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2005年10月

2005/10/30

「パキスタン地震」救援で思うこと

パキスタン現地(カシミール)の知人や友人たちとの連絡は依然としてとれません。

現地取材者からの報道では、パキスタンの地震による死者は8万人を超えそうと、真に悲しい推計数字が記事として報じられたようです。実際には、政治が機能していないようですから、犠牲者はもっともっと増えるでしょう。カシミールの町や村は、もう、冬です。この地域は所により異なりますが2000メートルから4000メートルの山々に囲まれた高地です。後ろには「K2」を始めとするヒマラヤの山脈がそびえ立っています。棲む家をなくし、家族を失い、寒気を防ぐ手立てをなくした人たちを案じながら、ささやかな救援に向けた動きを緩慢に繰り返すこと以外に手立てのない自らに忸怩たる思いです。

インド政府(印)もパキスタン政府(把)もカシミールの「軍事停戦ライン」を一部開放か?

報じられるところでは、カシミールの領有を主張する印・把両国は、軍事停戦ラインの両側に分かれて棲む家族の救援を含め、軍事境界線の一部を開放し、救援物資や救援人材の往来を認める動きを示すようですが、「人の命」を救うのが政治の原則なら、「何とも、遅きに失する」としか言いようがありません。ようやく、重い腰を上げたのかと考えた、その時に、インドの首都ニューデリーで爆弾テロが起き50人以上の人命が一瞬にして失われたようです。この爆弾事件は、原因も定かではないようですが、いつまでも宗教の原理主義を掲げ、ヒンドゥーとイスラムの対立を繰り返している場合ではないと思いますが。いずれの宗教も人(心)を救うことをテーマのひとつに掲げていると思量しますが、その前に、人命を奪ってしまうのはどうかと思います。何よりも、カシミールで「尊い人命」が無作為により失われようとしているときに、そのような争いを繰り返すことにどのような意義があるのか理解に苦しみます。早期に、印・把両国により「カシミールの軍事停戦ライン」が開放され、救援と復旧に向けた「人と物資」が往還できることを期待します。

イギリス政府は、もっと迅速に大量に救援せよ!

印・把両国の対立を創り出し、放置し続けた第一の責任はイギリスによる占領と植民地政策に全ての原因があります。何よりも、両国を独立させる(つまりイギリスが名誉ある撤収を図る)ときに、地域の状況を一考だにせず、「民主主義も知らない地域の人たちに『民主主義による自主権』という何とも聞こえのよい美辞麗句を押しつけ」巧妙に逃げたわけです。その結果、50年を経た現在も印・把・中で国境確定もできない状況を創り出し軍事衝突かテロの応酬を招いているわけですから、イギリス政府は、過去の経緯を考えても、この度の甚大な被害に対し手を拱くことなく、もっと迅速に救援の手を差し延べるべきです。知らぬ顔をし続ける姿勢はいかがなものか、名誉を重んじる国として人の顔を持っていないのではありませんか。

印・把両国政府は、自国民の生命財産を充分に救援し手当できないなら、核兵器を放棄せよ!

甚大な自然災害を受けたことは防ぎようがありません。ある点では仕方がありません。しかし、その後の救援をOK20051023113758429L0 自国の力量で展開できず、死者は瓦礫や野山に放置され打ち捨てられたままで、外国政府の支援に頼らなければ何もできないような政府なら「長距離弾道弾や核兵器」を廃棄せよ!自国民を自らの手で手当てできない政府が、他国の存在を脅かし危うくする「長距離弾道弾や核兵器」を保持してどうなる。報じられる事実に基づいて考えるなら、現在の救援状況では震災復興の過程で、テロ集団が、この地域を根城に活動し、カシミール地域全体が一気に不安定化することに強い懸念がある。「長距離弾道弾や核兵器」よりも、現実の被災者救援に奮闘努力して貰いたい。パキスタン政府はカシミールの震災に対し為政者として全く機能していないではないか。インド政府も、同様にカシミールの救援に為政者として機能していないように見える。自国民の救援を国際社会の責任に置き換え平然とする為政者とは何か?カラチやラホールでは、カシミールの救援にどのような手立てを考え行動しているのか。北西部辺境地域の部族社会は、このようなパキスタン政府に対し、別の圧力を加えるであろうことは容易に想像がつく。パキスタンは、カシミール震災復興の過程で一歩対応を誤ると「内戦の危機」に直面している。パキスタン政府はこの事態を正しく自覚せよ!国際社会は今が本当の意味で踏ん張り所ともいえる。

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2005/10/29

明治安田生命に行政処分!

明治安田生命は、今年、二度目の行政処分(業務停止)を受けました。

一年間に、二度にわたる業務停止は異常としか言いようがありません。処分理由も、契約金を受け取りながら契約記載事項を無視し、正当な理由もなく「死亡保険金」の支払いを拒否する。あるいは「ガン保険」の支払いを拒否したことなどが列挙され、同社の顧問弁護士でさえ「生命保険業務を逸脱している」と指摘するまでの事態のようです。記事詳細は下記で。

http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=te__yomiuri_20051028i105&csvname=1801413603

http://newsflash.nifty.com/search?func=2&article_id=te__yomiuri_20051028it13&csvname=1801413603

行政処分のその日(10/28)に起きた事件。

朝、明治安田生命の営業所担当者から電話があり、中身は「先月分の契約金の銀行振替ができていない。どうされるのか?失効となります」という趣旨であった。確かに、先月の振替日に口座残高が若干不足だったようで、振替えは行われていなかった。その事実を受け、明治安田生命の顧客担当部門は10月半ば、「10月の指定振替日(27日)に9月分を含め2ヶ月分を振替える」旨を業務通知葉書で連絡してきた。そして、その案内どおり指定振替日に2ヶ月分の費用振替えがなされた。この行為により契約者と被契約者の契約関係は維持されたのである。しかし、翌日朝、上記の督促電話を受けた。実は、既に1週間ほどの期間、電話をかけ続けたそうだが不在で誰も電話をとらなかったこともあり、巧く連絡できなかったとご丁寧な説明も加えられた。

2ヶ月分振替え完了後に確認しないで支払い督促を

「昨日、2ヶ月分、同時に振り替えは完了している。それを確認された上で、この電話をかけておられるのか?」と質問を返したら、何と!「入金があったかどうか、自分は知らない。確認できない」との驚愕する言葉が返された。「もう一度、確認しますが『口座振替決済』ができているかどうか、確認もしないで電話をしているの?」と問い返したところ、相手は「振替えできているかどうか、営業所では分かりません」と聞いた方が言葉を失う返事でした。明治安田生命は、顧客の月払い契約金が入金されたか否か、その時点では分からないようです。膨大な数の顧客を抱えている事情を考慮し、多少のことは割り引いて考えることもできましょうが、担当営業所が顧客の契約金未入を知るのは2週間ほど後らしい(裏付けなし明治安田生命では未確認)。その頃、先に掲示した『業務連絡の葉書』を会社としては発送しているようです。

これだけ情報が共有できる社会での不思議

一般的な日常生活でも情報ネットワークは進化しています。通常、「口座入金・未入金」は瞬時に担当営業所が把握できなくても、2~3日の間に掌握できるのが「金銭を扱う金融機関としての」通常の情報システムであろうと考えます。明治安田生命は、そうではないようで、この点で「保険業務という金融機関」の顧客(契約者)として、何よりも大変な驚きを禁じ得ませんでした。情報システムの未整備もさることながら、自社が発した『業務連絡葉書』記載との関係性を考えもせず、顧客(契約者)に対し、一方的に「支払い督促」を行う傲岸な姿勢には言葉がありません。もし、支払い督促に出るなら「少なくても、振替指定日(27日)に2ヶ月分振替入金がなかったことを確認した上で」行うべきとの考えは間違っているのでしょうか。28日は、日本経済新聞が朝刊の一面で「明治安田生命へ行政処分」との記事を掲げました。事前にこの事態を予想し、業務停止に追い込まれる前に「とれるものはとる」という営業姿勢だったのでしょうか。企業全体を貫く価値観や社会観が顕れた行為のように顧客(契約者)として受け止めています。明治安田生命は、営業現場と管理部門がバラバラなようです。

行政処分の原点はどこにあるのか

顧客(契約者)を無視する姿勢は、「生命保険業務」を扱う事業者として果たして適切でしょうか。会社(上位)は現場(下部)に契約だけさせ資金を回収し運用した上でのうのうとしている。現場(下部)は自分自身の収入を考えコミッションを取るだけ取りたいから、多少のことは目を瞑って契約を交わしてしまう。後は野となれ山となれで「明治安田生命の方が契約者より遙かに巨大で、弁護士も抱えているのだから、顧客が『ガア、ガア』言ったところで無視すればよい。訴訟されても必ず勝てる」と、高を括っているのではないかとみえる。このような傲岸な態度が今回の行政処分を受けた原点ではないか。一人の顧客(契約者)として、もう少し「マシな会社」と漠然と甘く考えていた。28日という行政処分が下された日に体験させられた事実は、明治安田生命についてのあらゆることが凝縮され一挙に露呈した瞬間であった。

顧客(契約者)としての抗議はたらい回しに

これらの一連の流れを受け、当然の事ながら担当営業所へ強く抗議を行った。すると地域を担当する支社の顧客担当部長という、いわゆる組織上営業部隊としての部下を持たない窓際の人物が現れ、「自分が解決するから、全てを任せて貰いたい」と洞口を叩く挙に出てきた。「窓際は、不手際を表面上謝罪できても、本質的な構造上派生した事実を謝罪することはできないので、解決できるなどと言わない方がよい」と逆に指弾することになった。それでも顧客担当部長などという窓際には、顧客(契約者)が指摘している意味や事の本質(体質を含めた構造上の問題)を理解することは不可能で、自分には物凄い権能があると大きな誤解をしたままで、より事態を複雑にする。結局、東京で顧客(契約者)を統括する部門へ担当営業所長は電話をかけ事態の本質的な解明を求めるが、担当部門は「防波堤の役割」しか果たさないため埒があかない。普通の顧客(契約者)は、だいたいこの段階で諦めてしまう。明治安田生命も顧客(契約者)の正当な抗議を踏みにじり無視することには実に長けているようだ。担当営業所長も窓際部長も、最後は、自らが叩いた大口に対する報いの虚しさを存分に弁知したことだろう。

顧客のクレームをどう処理できるかにより会社は決まる

kei064-1 明治安田生命は不思議な会社である。生命保険会社という業務の性格から契約者を社員として「相互会社」である。もし、この規模の株式会社なら上場もしているだろうから、今年2月に「業務停止」という厳しい行政処分を受けた際に、株価は低迷したはずである。加えて、役員は辞任を発表したにも拘わらず、「明治」と「安田」の合併会社らしく、合併相手の出身者で構成された役員同士が責任をなすり合い、未だに「誰も引責辞任していない」のである。そして28日に再び行政処分を受けている。ここまで追い込まれたら、普通は「倒産」するのだが、そこは「明治」は「三菱」の会社であり「安田」は「みずほ」の会社ということも作用し、官僚的な体質が強化されることはあっても「顧客サービス」を改善する方向へは作用しない。顧客(契約者)からのクレーム処理に対する姿勢を見たとき、「明治安田生命」という会社が、どちらを向いているのか明確になった。それでも、28日の経営陣の社会に対する謝罪は、自らが起こしたことを真摯に反省し謝罪する姿勢ではなかった。何が悪いのか、どこに問題があるのか、全く理解しかねるという姿勢に見えた。経営に危機感を欠いた経営陣。それを逆手にとり「やりたい放題」を繰り返した営業現場、市場で顧客(契約者)からの資金を預かり「金融事業」をしていることについて、責任感も何も感じられない実に堂々の開き直りと傲慢な姿勢は、市場から淘汰される以外に途はないのかも知れない。その点で、立て続けに行政処分を繰り返し「茶」を濁そうとする「金融庁」の監督責任も併せて問われなければならない。行政の怠慢による不作為についても深く考えさせられた一日であった。

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2005/10/25

「日本ファッションウィーク」公式サイト

「日本ファッション・ウィーク」と「東京コレクション」の公式サイトがオープンしました。

URLは http://www.jfw.jp/  です。ご興味のおありの方は、ぜひ、ご覧下さい。開催日程は、10月31日~11月9日の予定です。会場は、明治神宮外苑(中央線・信濃町、下車)絵画館前の特設テントです。緻密で素晴らしい「日本のクリエイティビティーの高さと、高度なファッションビジネスのレベル」を海外へプレゼンテーションする場として、官民挙げて最初の試みです。成功を期待しています。

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2005/10/18

小泉首相の「靖国参拝」秘策を考える

「靖国」参拝取材報道は内閣記者会との事前了解?

小泉首相は、「この度の『靖国参拝』は純粋に個人的(私人)な立場、秋の例大祭にお参りした、一般の方々と同じように」と強調しておられますから、立場はそうかも知れませんが。それでは「なぜ?」、①TVカメラが待ち受けているのでしょうか?NHKを始めとする報道機関各社のTVカメラは四六時中、首相や閣僚の「靖国神社参拝」をカメラを構えて張り込んでいるのでしょうか?②そうだとすれば「靖国」へ行く普通の人達も含めて、監視されているわけですから大変恐ろしいことですよね。③同時に「それほど、報道機関は『ヒマと人を持て余している』のでしょか」。そのようなことは基本的にあり得ませんよね。夕刊フジの記事によると、飯島首相秘書官は事前打診のためか「靖国神社」へ足を運ばれ、「田舎へ戻る際の手土産に『純ちゃん饅頭』を買いに立ち寄った。ここしか売っていないので(実は国会内の売店でも販売)」と、わざわざ記者に説明されたようです。首相秘書官は公人ですから記者がまとわりついていても当前で、この記事には「そうか!」という印象でした。しかし、17日の小泉首相の個人的参拝は、事前に周到な形で『内閣記者会』へ事前にレク(説明)があり、それを受けた上での取材準備、現場取材、報道が為されたと考えるのが普通でしょうね。なぜなら、先にも触れましたが、TV各社も機材と人があり余っているわけではわけではありません。何よりもTV各社が機材を構えて一年365日四六時中待機していることは考えられませんし、そんなことをされたら靖国神社も本当に迷惑な話でしょう。従って、首相が突然、朝10時前に官邸から車に乗り込み「靖国神社」へ向かったとしたら10分ほどで到着してしまいますから、TV(カメラ)取材の態勢すら造れません。報道されたカメラアングルから考えても、周到(事前)に取材位置が設定されていなければ不可能な画像だったように見受けます。

首相も報道されなければ「靖国参拝」の意義がない。

小泉首相も、自らの「靖国神社」参拝が「私的、公的」の別なく報道されなければ、参拝する意義(存在提起)がないわけでしょうから、内閣記者会への充分な事前レクはされたものと思います。意義を問わないのであれば、早朝なり深夜なりの時間に「秘めやか」に参拝されるとよいわけですが、そのような夜陰に乗じてでは本当に問題提起ができません。従って、充分な事前レクを重ねた行為と考える必要があります。従って首相が「個人(私的)」であるとか「公人」などということを強調されたりすることは意味をなしません。基本的に「内閣総理大臣小泉純一郎」が参拝したことになるわけですから。ゆえに報道されるわけです。

小泉流で実に計算し尽くされた行為

小泉首相は、相当な人物ですね。先の衆議院選挙戦での戦術もそれなりに見事でしたが、17日の「靖国参拝」は、それ以上の展開を狙ってのようですね。何よりも北京で中国側が呼び掛け「日中の外務局長会議」を始める寸前に、あるいは「日中外相会談」を月末に北京で開催するため、日本から町村外務大臣が訪中する。それを打診し合意する会議の前を狙うわけですから「凄い」の一言です。中国側の政治戦略が変化するかの隙を狙い切り込み観測気球を上げてみる。実に小泉首相らしい固有のというか独特の計算が働いたような、この強気の姿勢には本当に驚愕させられます。おそらく中国は小泉首相の「靖国参拝」を「そろそろでは?と予想し想定」していたと思いますが、この日に実行とは考えもしなかったでしょう。それが17日の反発(李外務大臣自らが阿南大使を呼びつけ抗議する)に現れたように思います。小泉首相は東京で自らの面子を立て、中国政府は北京で自らの面子を潰されたわけです。この点も含めて、相当緻密に計算され想定され挑発した17日の「靖国参拝」だったように思います。もし首相官邸サイドから「そんなことはない」と否定見解が流布されるなら、小泉首相は本当に思いつきで行動される方だということになりますから、その方がもっと危険です。内閣記者会への周到な事前レクを踏まえ、無事に「靖国参拝」を終え「靖国神社境内」での立ち止まり会見でも、官邸での内閣記者会の代表取材に応じる小泉首相の表情と言葉に『自らのこの日の行為に対する達成感』が滲み出ていたように見えました。しかしながら「実にしたたかにみえる行動も、この一石による今後の展開は、外国(多国間にわたる外交関係)相手ですから、国内相手のようには読み切れません。なぜなら、当面は『小泉首相の思惑による優勢勝ちが国内向けには続くでしょう』が、外交がそのような展開を継続維持できるとは限りません」。アメリカ政府の外交当局も報道官が談話の形で「波風を立てない方が」との見解を示しているようですし、小泉流の強気の計算に基づく国内からの挑発は外交の舞台、国際社会でどこまで通じるのでしょうか?小泉退陣後に生じる後始末も含めて国際社会への戦略が不可欠ですね。「不毛なナショナリズムや不毛な原則論」で心配しているわけではありません。小泉首相のリーダーシップには敬意を表しますが、現実の社会における直近のテーマには「小泉流の言葉は切れ味が良く、響きも良いのですが、その先にある姿を始めそれを支える戦略がみえない、説明もない」この点に大きな不安を隠せないというのが正直なところです。

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2005/10/16

ベトナム航空はサービスを改善せよ!

ベトナム航空が「業績絶好調」と発表?!

logo_top01 このほど、ベトナム航空は、業績がすこぶる好調というより絶好調と発表し、鼻高々とのことらしい。この談話を聞いた事情通は収益の大半が「日本各地との路線(関西・成田・福岡・中部)」を始め、お隣の「ソウル線」に加え「香港線」で稼ぎ出していると考えるわけです。邦貨換算で1,400億円程度まで業績を伸張させたことは立派なことで評価に値します。しかし、収益を稼いでいる中身について、VN(ベトナム航空の国際識別コード)の経営陣は、自社便のサービスについて検証(国際比較)したことはあるのかと正直に疑いたくなります。いま以て、何よりも乗せてやっているというキャビンクルーの姿勢、機内サービス(機器を含めたソフト)のレベル、提供機内食のレベル、詰め込めばよいという姿勢の座席(少しは真面目にメンテナンスをされたらどうですか)、ベトナム国内でのチェックイン時の混乱(これは民族性か?列を守ろうとしないし、カウンタースタッフも順序を考えない)を整理できない、などなど言い始めたら際限なく続く。トータルな顧客サービスの再設計が必要ですよ。本当に一人前の航空会社になりたいなら、真剣に改革すべきです。機材だけを新規に導入してもソフトが付いてこなければ話になりませんからね。特に、キャビンクルーは自己の職務維持(任務)には熱心でも、搭乗客の希望など配慮しようともせず、クレームを出すとすぐ自己保身に走り延々と自己防衛のために自己主張を繰り返す。「あれ、定期航空輸送事業ってサービス業じゃなかったっけ?」と、何かを求めかけた客が思わず自己反省させられるような気分が連続するサービスって一体何なのだろう?と思わず考え込んでしまわずにはいられない。

日本人乗客は許してしまう?!諦めているのだ!

日本人客は、それでも「許してしまう。許してくれる」って思っていたら大きな間違いですよ。本当に救いようのないまでに大変な勘違いをしているのでしょうね。韓国人の乗客は絶えず搭乗中のいろいろな出来事に対し「文句と不平」を言い続けるようですが、日本人客の大半は「言っても仕方がないし、余計に不愉快になるから」って諦めているのですよ。つまり相手にしないようにしているのですよ。それを、「自分達は受け容れられている」と考えているところが凄いというか脳天気というか、正直に申し上げて次の言葉がありませんよね。それでも収益が上がったと自慢たらしく、いかにも誇らしげに成功しているとの談話を出す経営陣のセンスって相当酷い状態ですよね。もちろん、彼らが自社便に搭乗するときは「超超VIP」だろうから「不平も不満」も感じるわけないですしね。というより、何が標準かということの基本認識が異なるようですから最初から話になりませんし、噛み合わないですよね。単に甘えているだけじゃないですか?少なくとも、純然たるプロパーチケット(今どき正規料金を支払う人はいませんが)を購入しない日本人ビジネスマンは、この路線では何事も絶対選択できないわけで、6時間ほどのことだからって辛抱する人が大半のようですけれど、一般的には何とか快適に往還する方法はないものかと思案算段大変なのですよ。日本路線が開設された当初は、ベトナム航空と日本航空が同レベルで運航し合いましたが、最近は日本航空が国内線、国際線ともに経営上の大きな問題を抱えたこともあると思いますが、機材繰りの都合を理由にハノイ線とホーチミン線のごく一部を除き、ベトナム航空の機材を使用した「共同運航便」が大半(搭乗客の状況を考え、路線運航を実質的にVNに譲り華を持たせているわけです)となりました。JALの客はJALに運賃を支払って搭乗しますが、実際に、提供されるサービスはVN機材による運航では、当たり前のことですが輸送を含めてVNAのサービスです。このサービスが前述のとおり恐ろしく低レベルな仕儀ですから、大変な損を強いられたと感じ落ち込みます。言葉が悪くて申し訳ありませんが「軽微な詐欺」と言い換えることも許されるのではないかと考え込んでしまいます。キャビンクルーが「にっこり」笑って迎える「売り」で誤魔化されては均衡が保てないと思います。この「にっこり」も時と場合によるわけで、考えようによれば「いつもヘラヘラしているだけで、しまりがないのだ」と鋭く指摘する声もあります。「ニコニコ」が一転して自己保身に走るのは、搭乗客からクレームが出たときです。出した側は「うんざり」させられ自己嫌悪を招くことになります。VNのキャビンクルーはベトナム各地の路端屋台の給仕係と勘違いしているのではないかと思わず疑ってしまいます。

VNはJLに比べて輸送コストは総体的に低いのに?

総運航便数(総座席提供数)の問題もありますが、ベトナムより遠いタイやシンガポールへ行く航空券の方が市場価格では安いのです。国内はもとより当事国との二国間航空輸送をほぼ独占し、他の選択肢を一切与えず、単に甘えた状況の中で、一向にサービスの改善を図ろうとせず、事業収益の拡大のみを単純に喜び誇らしげに話す経営陣の姿勢に恐ろしさを禁じ得ません。これだけ寡占を許されているのだから、もっと搭乗顧客の利便性や快適性(提供機内サービスを高めるとCクラスの座席だけは良好ですが)を考えるべきです。しかし競争のないところではサービスも価格も変わりませんね。一輸送コストに占めるVNの人件費総額は最高に見積もってもJLの2割程度、後のコストは同程度ですから、自ら提供できるサービスの質(コスト)に応じた経営努力はできる筈ですが考えもしません。もちろん、共同運航相手であるJLのコスト水準を考え合わせてもいるのでしょう。JLもVNに値下げされたら追いつけないしベトナム路線から撤退するしか途は残されません。それは国益上も許されないわけで。このような事情を背景に、VNはVN基準のサービス(恐ろしく低位の)提供をJL水準の路線価格(国際水準では高価な方)で維持しその差額で「ニンマリ」ということになり、日本各地との路線で大いに収益を上げているわけです。なにぶん、日本とベトナムの間を往還する人の数は、ほぼ30万人前後で推移しています。総座席提供数から推定すれば、この7割~8割をVNが独占していることになります。このコラムをここまで読まれた方は「そこまで言うか?!」って思われるかも知れません。ついこの間、初めてベトナムを旅行され「素晴らしい経験をされた方は、どうしてそこまで言うの?」と、少なからず不快な思いを持たれることでしょう。しかし「同情は甘えを呼ぶだけ」に過ぎないので、長い年月ベトナムと共に歩んできた一人の者として警鐘を鳴らしたいと思います。「浮かれるな!」「付加価値生産性が低いのに、偉そうな態度で自慢たらしくいうな!」。国際線を運航する定期航空事業者としての国際水準をせめて搭乗客に提供できるようにして貰いたい。その後、現在の経営水準が保てるのであれば今回のように誇るのも大いに結構だろうが。そう巧くはいくまい。

原油代金は高騰中!既に平均的な水準の3倍になっています。

このような環境の中で、搭乗客は、ベトナム路線については運航する定期航空事業者を選べませんから、いまのような低いサービスレベルで独占運航が続くことを渋々受け容れざるを得ないのです。ベトナムはあらゆる分野の政策面で、例えば航空輸送の分野でも当然ながら「量的拡大」を目指してきました。そのため、VNは政府から国営航空会社として特別な便宜提供を受けています。つまり本当の意味でVNは「ナショナル・フラッグ・キャリア」として国を代表しているのです。ベトナム全体の印象を代表していると言っても過言ではありません。しかも、今は、量的拡大の維持を図る必要と同時に、「質的拡大・向上」を追究しなければ事業の拡大も維持も困難な状態に直面しつつあります。経営陣がそれを弁知していれば問題はありませんが、一切の改善もないまま運賃だけが高騰する航空燃料費(原油価格は従来平均の3倍)に合わせて無批判に上昇し利用者へ転化されるなら、ベトナムへの投資も観光もパスされることになるでしょう。また移動のための航空会社選択はシビアになることでしょう。その際、VNが日本人乗客に支持されるかどうか疑わしい限りですね。

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パキスタンへの緊急支援拡大を!

パキスタン地震の被災者支援を!質的量的拡大が必要!

パキスタンの北部山麓(カシミール)を震源にM7.6の巨大地震が発生して一週間経ちました。この間、世界各国からパキスタンへの国際緊急支援が続いています。日本も、自衛隊へ緊急派遣命令が出され14日には陸自隊員、15日には空自隊員と輸送機やヘリコプターが首都のイスラマバードへ着いたようです。派遣された皆様のご活躍を祈ります。
パキスタンの人は秩序よく並ぶ(並んで救援物資の配給を受ける)ということをしませんかpksdfshakyodo040-1 ら、救援物資の配分ひとつにしても殺気だつ喧噪との戦いの連続が待ち受けるものと考えます。派遣隊員の各位にはご苦労が絶えないものと思量いたします。秩序を保ち並ぶことを併せて習慣づけ(公的[行政機能]秩序を回復させ)なければ派遣者の生命に危険が及ぶ可能性も否定できません。

早くも「反米」主張が表れる
伝えられる範囲から漏れ聞こえる "噂話" の中には、「パキスタンは貧乏でもアメリカのハリケーン被害に対し義捐金を贈ったにも関わらず、アメリカはパキスタンの困難に応えようとしない。口では友好国だと言いながら実際の行動が伴わない。アメリカはダメだ」という早くも政治性の高い主張が乱れ飛び始めているようです。何でも「反米」と主張すれば気持ちは収まるかもしれませんが、事態の解決には何の有効性も発揮しません。しかし、国際社会が対応を一歩誤れば直ちに地域全体が不安定化する要素を抱えています。

やはり震災犠牲者は4万人超へ
震災犠牲者の数も極めて残念ながら、震災発生当初に予想した数値(4万人)を超えることが確実視され、真に悲しい思いをしております。
パキスタンの北部(首都イスラマバードからカシミールへ至る地域)は、急峻なヒマラヤ山系に包まれあるいは行く手を阻まれる地形にあり、この度の地震では、各地を結ぶ道路が寸断されている様子で、救援に向かうにも陸上輸送ができないなどの難点が次々と報じられています。昨年、インド洋で発生したスマトラ島沖の巨大地震でもスマトラ島の道路が寸断 され救援活動は困難を極めたようですが、スマトラ島は赤道直下といえる位置にありますから暑気との戦いという困難はあったようですが、それでも暑熱を原因として人の生命が奪われることはありませんでした。
しかしながら、パキスタン北部の被災地域は、山岳地域(2000m級)に位置しています。家屋が倒壊した状況下で、間近にヒマラヤ山系の厳しい冬を迎えようとしています。手を拱いているうちに人の生命がさらに失われることを招くことになりかねません。パキスタン政府もアpkntkokap018-1 ジズ首相自ら、この度の被災額が50億US$(約5,700億円)と発表し、国際社会への支援強化を呼びかけていますが、政治としての国際社会はもちろん市民社会も救援に取り組む速度と有効性の高い支援物資の量的拡大を高めて頂けるようお願いのアピールを強めたいと思います。

日本には大切な友人の国
パキスタンに一定数の友人知人を持つ一人の者として、できる限りの救援行動への支援を重ねておりますが、皆様の温かいご芳情を頂戴したく重ねてお願い申し上げます。
日本とパキスタンは、重層的な関係性があり大切な友好国のひとつです。日本からの輸出品は繊維機械や精密機器などを中心に先端的付加価値の高い分野が多く、パキスタンからは私たちの日常衣料品として欠かすことのできない多くの綿製品に使用する大量の原綿を中心に輸入しています。また、政府開発援助(ODA)は年間約700~750億円を供与しています。

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2005/10/12

ファッション・ビジネスと「二十四節気」

「漢字文化圏」と「二十四節気」
漢字文化圏には、「二十四節気」という季節を表す美しい言葉があります。

*「二十四節気(=にじゅうしせっき)」と読みます。

1月:小寒(しょうかん:5日ころ)、大寒(だいかん:20日前後)。
*小寒:寒さに向かう、古くから「寒の入り」と呼ばれてきた。
*大寒:寒さも頂点、冬至から約一ヶ月。この頃が一年中で最も寒い頃とされています。

2月:立春(りっしゅん:5日ころ)、雨水(うすい:20日前後)。
*立春:さすがの寒さも和らぎをみせ、寒気も遠慮がちに、いよいよ春に向かう頃とされる。
*雨水:雪もこの頃には、雨に変わり始める頃とされる。

3月:啓蟄(けいちつ:5日ころ)、春分(しゅんぶん:20日前後)。
*啓蟄:春の足音を予感するのか、地中に潜る虫もそろそろ動き出す頃とされる。
*春分:この日を境に、春(夏)に向かう。春の彼岸の中日とも云われる。

4月:清明(せいめい:5日ころ)、穀雨(こくう:20日前後)。
*清明:読みどうり字の如く、桜に満たされ、空も空気も清々しく明朗溢れる時期。
*穀雨:この頃に降り始める雨は、穀物に恵をもたらすとされる。

5月:立夏(りっか:5日ころ)、小満(しょうまん:20日前後)。
*立夏:新緑が溢れ、樹々の香り盛ん、いよいよ夏に向かう。最も過ごしやすい頃。
*小満:新しく芽吹いたものを始め、いろいろなものが満たされる頃とされる。

6月:芒種(ぼうしゅ:5日ころ)、夏至(げし:20日前後)。
*芒種:梅雨に入り、種蒔きに適した頃とされている。
*夏至:夏に至り、太陽が頂点に達する日(ここからいよいよ暑くなる)。陰が短くなる。

7月:小暑(しょうしょ:5日ころ)、大暑(たいしょ:20日前後)。
*小暑:夏特有の暑さが始まり暑熱の時期に向かう頃とされる。
*大暑:暑さの頂点、夏至から約一ヶ月、この前後が一年中で最も暑い頃とされている。

8月:立秋(りっしゅう:5日ころ)、処暑(しょしょ:20日前後)。
*立秋:さすがの暑さも衰えをみせ始め、朝夕に涼を感じ秋に向かう頃とされるが、残暑は厳しい。
*処暑:夏の暑さも、この頃までとされる頃。

9月:白露(はくろ:5日ころ)、秋分(しゅうぶん:20日前後)。
*白露:樹木の葉にも露が溜まる頃とされる。
*秋分:この日を境に、秋(冬)に向かう。秋の彼岸の中日とも云われる。

10月:寒露(かんろ:5日ころ)、霜降(そうこう:20日前後)。
*寒露:樹木の葉に降りる露に冷たさを感じる頃。
*霜降:そろそろ霜が降りる頃とされる。

11月:立冬(りっとう:5日ころ)、小雪(しょうせつ:20日前後)。
*立冬:落ち葉の季節、落葉樹は葉を落とし、いよいよ冬に向かう、ひととき秋を満喫。
*小雪:雪国には、そろそろ雪がちらほら報じられる頃。

12月:大雪(たいせつ:5日ころ)、冬至(とうじ:20日前後)。
*大雪:雪国では根雪になりそうな量の雪が降り始める頃。
*冬至:太陽が最も低い位置へ達する日(ここから寒くなる)。陰が長くなる。

これらは日々の生活を支配する空気を言い表した言葉です。私たちの日頃の生活は、太陽暦で構成されるカレンダー上の日々を利用して、数学的に生活していますが、太陽暦を受け容れていなかった頃も「漢字文化圏」の人は「」を持っていました。もちろん、その暦は、大陰暦による「月暦( げつれき=日本では陰暦と云いますが)」でした。月の満ち欠けで月日を捉える方法です。それに、このような美しい言葉で「空気の変わり目」を加えて生活に刷り込み知恵として保持してきました。いずれの言葉も確かに「農耕型村落型社会」を前提にし土と共に生きる考え方が底流にあります。
いかに「工業型都市型社会」へ変化しても、その社会を取り巻く気温の変化や空気の節目あるいは存立基盤としての大地を取り替えることはできません。改めて、生活の中で培われ受け継がれ、先人が遺してくれた大切な「知恵」を捉え返すことも重要なのではと考えます。

ファッション・ビジネスは年間24テーマで商品展開

「ファッション・ビジネス」の店頭で商品を展開を考える際に、最も大切なポイントは「季節感」の表現です。一口に季節感と表現しても、その基軸や指標を欠いた場合、それを感じる方法は人それぞれです。「二十四節気」は1ヶ月を二つの空気感で整理しています。つまり12ヶ月を24の季節に置き換えているわけです。これこそ、当に「ファッション・ビジネス」の店頭商品展開を24に置き換える際に、最も有効性を伴う「知恵」だとお考えになりませんか。偉そうな顔をして、やれトレンドだ、やれテイストだと、口角泡を飛ばしてみても店頭で消費者に買って貰えなければ、何の意味もなくただ単なる「ゴミ」に過ぎないのですから。旧い時代の人と考えるのではなく、ここまで美しい言葉で季節や空気感を言い換える知恵は、実は知的センスに溢れた大変「おしゃれ」なことではないでしょうか。「衣服」はその社会が属する「自然環境」に規定されますから、基本的には「第一次産業としての農林水産業」と同じで自然が相手なのです。よく考えてみる必要がありますね。

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「日本ファッション・ウィーク」と「東京コレクション」

日本ファッション・ウィーク:若手デザイナーら紹介--10月31日から東京で

日本が“ファッション発信地”であることを、世界にアピールするイベントが10月31日~11月9日、東京で開催される。「東京発:日本ファッション・ウィーク」。経済産業省と繊維・アパレル業界、デザイナー組織などが共同で取り組む初の大イベントだ。 毎日新聞【 2005年9月26日東京夕刊 】

日本ファッション・ウィーク:概要固まる

日本のファッションを海外に売り込もうと、10月31日から東京都内で開かれる「東京発:日本ファッション・ウィーク」の概要が固まった。初めて本格的な集中開催となるファッションショー「東京コレクション」には、若手から大御所まで52のデザイナーズブランドが参加する。 日本ファッション・ウィーク:概要固まる
経済産業省の主導により、官民共同で行う初の試みだ。主会場は港区・明治神宮外苑の絵画館前特設テント。業界イベントとして一般公開はほとんどなかったが、今回は屋外に大型スクリーンを設け非公開のショーも生中継する。繊維メーカーとデザイナーが提携した展示会(10月31日~11月9日)、新人デザイナーの合同ショー(11月6日)などの公開イベントもある。「ウィーク」は、これまでばらばらに行われてきた春夏向けコレクションのショーやメーカーの展示会を、10日間に集約する。
【 毎日新聞2005年10月3日東京朝刊 】

「ファッション・ビジネス」は知財立国にふさわしい

知財立国を目指すとか、先端工業技術や先端金融論の分野などについては、結構高い関心を集めているようですが、地味ながら「ファッション・ビジネス」は日本の「生活文化」を支える大きな要素を占めています。これまで、日本は政策分類上で、「ファッション・ビジネス」について「製造面」では「繊維産業」というとらえ方、「消費市場」については「流通産業」というような大雑把な括りで捉えてきたように思います。「ファッション・ビジネス」は構築次第で、膨大な付加価値を生む要素を抱えた「宝の山」ですが、すべてを「自由競争」に委ね、公的セクターが政策面で「刺激」を加えようという今回のような意志を示すことはありませんでした。しかし、ようやくと言うべきでしょうか、遅まきながらと捉えるべきでしょうか、官民あげて、日本の「ファッション・ビジネス」を世界に向け発信し振興を図ろうという動きが見えるようになったことはとても良いことです。アジアの各地域はもちろん、ヨーロッパ、アメリカからも一定の目を持つバイヤーを集めることが成否を決定づけるのでしょうが、一回や二回でマイナス評価せず、あるいはへこたれることなく、地道にしかし確実に維持されることを望みます。
フランスは「ファッション・ビジネス」の振興を、まるで国是のように政策面で手厚く支援し取り組んでいます。30年ほど前に、官民あげてルーブル宮の一角に巨大なテント村を設け、当時のプレタポルテ界で注目を集める有力クリエイターを集合させ「パリ・コレクション」として競わせ、世界から集めたバイヤーあるいはジャーナリストに自由に評価させることを通じ、同時に受注を得るという仕組みを築き上げ今日の隆盛をみています。'70年代には、従来の森英恵さんとは別に、パリ在住の高田賢三氏を始め、東京から三宅一生氏、川久保玲氏、山本耀司氏が参加し、彼らの手で発表されたデザインに熱い眼差しがおくられ高い評価が示されました。その後も、日本人クリエイターに対する熱烈な支持は続き、その中で前述の四氏はとりわけクリエイティビリティの高さから確固たる地位を築かれました。今に至るも、その評価は不動だにしません。
東京がこれを期に、パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークに続く、「ファッション情報を世界に向けて発信する拠点」として、官民一体で整備されることを期待して止みません。

「ファッション・デザイン」も「情報システム」もソフトウェア(=知財)そのものだ

「学ぶ」ことは「真似る」ことに始まりますが、現在、日本の「ファッション・ビジネス」を支える基盤は、「真似る」などという非難めいた指摘を受けなければならないような状況ではありません。製造能力でも構築能力でも独自の領域を構築しています。確かに表面に見える消費市場では、美味しい上位の分野を意味無く為す術もなくヨーロッパのブランドに押さえられ一方的に押しまくられています。中位から下位の部分はアメリカのブランドに巧みに押さえられようとしています。
日本の「ファッション・ビジネス」はIT技術の発達と一体化しつつ高度な情報システムを構築しています。そこから得た店頭情報を生産分野へ反映できるよう、商品製造と展開の段階で実に多様な情報を仕組んでいます。これらのプログラム構築それ自体が誇るべくソフトウェア(=知財)そのものです。これらの構築力と、他国に比べるとまだまだ均質性の高い所得配分を保ち、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌というメディア媒体に加え、インターネット網がこれだけ整備された国も稀ですから、極めて高質の情報伝播力を保つ日本のファッション市場は、海外から見たらとても美味しい市場なのです。
一方で、日本の「ファッション・ビジネス」は「ファッション・デザイン(=知財そのもの)」の面でも独自の領域を顕し、その表現領域を徐々にしかも確実に高めています。前述の四氏を凌ごうという気概を持つ、新進気鋭の高いクリエイティビティーを持つデザイナーが現れ始めました。これからの日本をリードするに足り得る人材が競い合うことは大きなエネルギーを生み出すことでしょう。最初は、稚拙でも気にすることはありません。日本のクリエイティビリティーの高さを示してもらいたいと、大きな期待を寄せています。

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地域の言葉を考える

地域文化としての地域言語について思うこと

故郷(ふるさと)の訛り懐かし
停車場の人混みの中に
そ(れ)を聞きに行く 【石川啄木】

故郷の言葉(地域言語=方言)は人の全容を示しはしないか?
グローバリズムという言葉が持て囃されてから随分時間が経過し、既に世界は大交流時代の概念が確立され、国内の小さな地域の交流などでなく、国境を越え多様で多彩な人達が往き交うようになりました。私も、この間いくつもの国で(国から)、実に個性豊かなというか個性に溢れた人達と、本当にたくさん出会うことができました。その一人ひとりが、もの凄いローカリティーを撒き散らす人達のように思います。グローバルな世界では、自らを強く主張する根拠でもあるローカリティーを捨て去ると、自らのアイデンティティーを喪失することになり、結果は自己の存在自体を失ってしまうのではないでしょうか。世界のいくつかを旅したとき、どの場所にもその場所としてのナマのローカルが存在します。ローカルな場所が集大成され形を変えながら攻め合い集合させたものを、ある意味で国際社会と言い換え置き換えているのではないでしょうか。いかに都市を高度化させてみてもローカルな社会がぶつかり合うという意味で、世界の実験的な最先端都市としてニューヨークを眺めると、ニューヨークに包含される各地域はいろいろな歴史を踏まえた移民の足跡があり、それぞれの場所には強烈なまでに移民が持ち込んだローカリズムの文化と臭い(臭いに裏付けられた味覚も重要な要素)が巨大な巣窟を成しています。ニューヨークには、移住してきた人達の母国語の方が共通言語としての英語よりも通じやすい地域もあります。マンハッタンの一角を占めるウォール街やブロードウェイというクレオール化された地域は真っ当な意味での英語圏でしょうが、それらを別にすると、グローバルな標準を示し、その環境の最先端を創造し提供し続けるニューヨークでも、生活の場では自らのナマの全容を剥き出しにしながらローカルを競い合っています。それが、またメトロポリタンとしてのニューヨークの何ともいえない魅力なのですが。

共通言語が話せないなど、どこ吹く風で
日本人は、なぜか、「英語が話せない」などという取るに足らない理由で、外国人を見ると尻込みする人もまだ多いようですが、そのような人を見ると「ホォー」と、いまも妙に感心したりしますが、私がこれまで出会った外国からの人の多くは「日本語」はおろか「英語」も覚束なくても、貿易商材を売り込みに来日する豪傑に始まり、公用語が二つ(英語圏では一つは英語であることが多い)以上ある国で、慣習上のローカル言語(民族の代表的な言語、場合によるとその標準的な言葉でもない、その民族の特に地方色豊かな方言)しか話せなくても、臆することなく勇者は堂々と、日本市場を目指し挑戦してきます。彼らに共通する点は、当事国の大使館や領事館で助けを求め通訳を手配してもらった上で、相手国の(市場の)事情など一考だにせず堂々としています。四六時中、自分を助ける通訳の離席を許さず大声で押しまくります。そのエネルギーには感服させられ時に鬼気迫る交渉力に正直辟易させられます。彼らに共通する点は自らのローカリティーを一身に背負う迫力に充ち満ちていることです。一方、受け入れる日本の側は既に十二分にというか変に洗練されてしまっているため、ナマの迫力の前にタジタジとさせられてしまいます。ほとんど、相手は一方的に売り込み主張します。一方的なまでローカリティーに溢れた自己主張を繰り返します。これは先進国からの人でも途上国からの人でも変わるところがありません。その点では、日本人はいつの間にかローカリティーもそこから生じるナマの迫力も捨て去ってしまったのか、実にほのぼのと温和しく紳士的です。武士道だという人もいます。そして要望には熱心に対応しようとします。これはおそらく世界の中でも稀有なまでに、人に対し誠心誠意の姿勢で応じる優しく上品で貴重な存在だと思います。
それでも、余りに、しつこく主張されますと、気長なように見えても実は短気な私には「もう、切り上げたいなぁ!」という悪魔の声が時折聞こえてきます。
そしてつい、「もう、ええわぇ、分かった、分かった。止めよかぇ、ここらで」と大音声を発してしまい、臨席者は、「またぁー!」と、あっけにとられたような顔で私を見つめます。遠い国から訪ねてきて、処構わず喋り続けた客は、自らに劣らない大音声と迫力に気圧されるのか、間抜けな表情になりポカンとしていることが多いように記憶しています。言葉は通じなくても、相手は私が相当怒っていることは十二分に理解するようで、そこから、やや落ち着きを取り戻し静かに交渉できることもあります。
いずれの場合も、終了後に、スタッフや臨席者から、「ガラが悪いですね。ホントに、困りますよ」と、私は間違いなく非難を受けます。そして私は反省してみようとしますが、反省すればするほど自分が生まれ育った地域で鍛えられた「生成の言葉」を否定されたような気分になり、気丈を誇ってみてもどこか落ち込んでしまうのです。
「スタッフも臨席者も、本当は、迷惑がっていたくせに、あの一声で流れを変えてやったではないか」との思いと「ガラが悪いですね。ホントに、困りますよ」の一語の非難に挟まれて落ち込むのです。

「播州弁は、ガラが悪いか?」
1 私は、播磨の国は姫路市の南部で生まれ育ちましたから、そこの言葉を刷り込んだまま人生を過ごしています。人に話を伝えるときは、なるべく標準的な指標に基づく言葉で話をしますが、怒りが先立つと、故郷を離れて長い時間が経つにも関わらず「生成の言葉」が前面に出てしまいます。多分、他の多くの方々もそうだろうと考えることにしています。
しかし、播磨の言葉、いわゆる「播州弁」は「ガラが悪いとか恐ろしい」とまで言われると、これまた、「どうして?何で?」と反発しながら考えてしまうのです。
そのようなある時期、播州弁は「ガラが悪い?!」というテーマで、地元のオピニオンリーダー紙たる神戸新聞が「特集記事」を組みました。意図がよく分からない特集だったようですが、地元(故郷)を遠く離れた地でWEBで特集をチェックするだけでしたから、「播州弁はガラが悪い」というレッテル貼りを目指したのか、そうでなく「ローカルな文化」としての「地域言語」やそれに支えられる慣習を大切にした方が良いとの考えだったのか、未だに理解できないままです。

「地域の言葉(=方言)は大切にすべきです
私は、地域の文化や伝統は大切にすべきだと思います。言葉(方言)はまさに文化です。地域の言葉(方言)は、その地域で育まれていますから「地域の文化」そのものといえます。以前、何かの書物で次のような記述に出会った覚えがあります。記述は概ね「人はそれぞれの国に属するのではなく、一定の地域や民族に根付いた言葉(言語)に所属している」という趣旨だったと、微かに記憶しています。
言葉(言語)にはそれを支える文法があります。文法は、主にその言語を使用する地域や民族の思考方法などを基盤に、長い時間を経ながら自然に形成されています。
例えば、英語圏の人はフランス語の表現をやり玉に上げたがりますが、同じ背景で形成された二つの言語は日本人からすると確かに「どうなの?」と言ってもよい程度に近いようで離れているように見え(聞こえ)ます。
フランス語は、時に、条件話法を巧みに交えたりしますから、相手が反対なのか賛成なのか、凡人には分かりかねる点もあります。しかしストレートな英語表現や、ゴツゴツ感のあるドイツ語表現に比べると、何とも滑らかで鳥の囀りのような心地よさもあり、それが欧州大陸の都人と考えるフランス人の鼻を大いに高めているようにも見えます。
このように指摘すると、多くの場合「思いこみがそうさせるのだ」と強い反論を受け、何の武器も持たない丸腰の日本人は躊躇するばかりです。

中心に位置する側が、自らとの違いを比較し区別するための仕掛け?
人は、自らと他人あるいは他の地域や他の文化を自然に比較し、自分を明らかに区別するため、多分に好き嫌いで峻別し、自らの優位性を確保しようとします。特定の地域が周辺部の中心に居座ると、周辺部との違いを殊更に強調し「自らの優位性」を絶対的に確保しようと試みる傾向を強めるように思います。
日本でも明治維新と共に「標準語なる共通語」が開発され、それは東京から公共放送の電波で全国津々浦々へ波及し、地域の文化である「地域の言葉」を瞬く間に制圧しました。しかし、京都では、いまも自ら「京都=みやこのみやこ」と名乗る以上、標準語なる言葉の押しつけにさりげなく迎合しても、「京(=みやこ)ことば」は絶滅せず生活の場で生きています。なにぶん千年にわたり洗練され続けた「京(=みやこ)の言葉」です。150年前までは正々堂々、中心の言葉だった「京ことば」は生き残り、私が生を受けた地域の「播州弁」は「ガラが悪い」言葉と断罪され、一方的に非難されています。
久々に、故郷へ戻り、出会う人に「播州弁はガラが悪いか?」と聞いてみますと、多くの人は「温かい言葉やわぁ」との答えです。「なんとも温もりのある言葉やでぇ」という反応を聞いて密かに安心しています。「生成の言葉」である「地域の言語」は自らを規定するアイデンティティーの中で「臭い(に裏付けられた味覚)」と共に最も重要な宝物ではないかと私は考えています。その点で、グローバル化した社会で自らのローカリティーを表徴するのは、「生まれ育った地域で刷り込まれた『生成の言葉』では」ないでしょうか。

播磨の地域で育まれた文化としての「播州弁」を、「世界遺産、国宝・姫路城」と同様に大切にしたいと考えています。
あるとき学校の授業で、同郷出の学生から「先生の播州弁、エエわぁー!」と言われ、播磨の言葉、播磨の文化を誇りに思う今日この頃です。

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2005/10/09

パキスタン北部地震で思うこと。人は経験しないと分からない。

パキスタン北部地震について思い起こすことは、人は自らが体験しないことを想定するのは難しい。改めて、それを考えさせられる悲しい出来事となりました。

kok0502 地震についてのメカニズムを考えたり説明するのは、物理学で地球を研究している人に頼るのが正しいのでしょうが、10月08日カシミールを含むパキスタン北部一帯はマグニチュード7.6の巨大地震に見舞われました。現地でご活躍中のJICA派遣の専門家がご家族とも犠牲になられた様子で、犠牲者の数は4万人を超える?とされ、まだまだ多くの犠牲者が出るだろうとの指摘もあるようでせす。真にいたましいことになりました。謹んでご冥福をお祈り致します。

10年ほど前、この地域を往き来した一人の者として心が痛み、辛く悲しい思いをしています。カシミールの村で絨毯を織っていたムハンマド伯父さんはどうしているのだろう?フンザで小さいながら陽気なレストランを経営し、誰にでも「旨いだろう!」って自分が提供する味を「旨い」と押しつけていたタヒールさんはどうしているのだろう。その頃、日本は「阪神大震災」を経験した直後だったこともあり、行くと出会うと、「日本は海の上に浮かぶ島国だから地震があると大変だね。崩れてしまわないかね、そうなればお前はどうするのか?」と得体の知れない心配をしているのか、からかっているのかよく分からない。彫りの深い顔の奥に隠された眼のせいもあり、意図を充分に読み取れなかったけれど、「ここは後ろに山(ヒマラヤ)があり、美しいだろう、ここでは地震は起きない」と彼らのほとんどは変な自信を持っていた。

私は「地球上で、地震の起きないところはない!あなた方がこれまでの経験の中で地震というものがなかっただけなのだ!それでは、後ろに聳えるこの山(ヒマラヤ)は、いったい誰が創り出したのか?誰かが、せっせと土を盛り上げたのかい?」。ユーラシア大陸を横断する造山帯は、ヨーロッパ大陸の西端を占めるピレネー山脈に始まりヨーロッパアルプスからヨーロッパの東端を占めるアナトリア台地に至り、それに連続してイラン高原を越えアフガンを経てヒマラヤ造山帯は南シナ海まで延々と続いている。これらの高山帯は誰が創り出したというのか。地球が起こす地殻変動により自然に創り出されたものであり決して人工的に造山されたものではない。そのように説明すると「そんなことはない」と彼らは断定的に私の説明を切り捨て「この山は遙か前からこの地に存在したのだ」と切り返した。そんなことは当たり前で分かっている話で、取るに足りない戯言なのだが「地球の活動」と自分達の生活が直接結びつかないのだから議論する方が無駄なので、それ以上この話題を続けることはしなかったけれど、いま、彼らはどうしているのだろう。

同じ時期に、世界最貧国と指摘され続け、その克服に向け「ドイモイ政策」という「経済開放政策へ転換」し、社会主義体制のまま資本による自由経済を追い始めたベトナムでも、「阪神大震災」を引き合いにされ「日本は大変だね」と盛んに同情を受け、「ここでは地震はない!」と強い自信を見せつけられた。私はその時も「ご心配を頂戴することはありがたいことですが、ベトナムでも地震は起こりますよ。地球上で地震が起きない所などありえない。これまで経験がなかっただけですよ」と繰り返していた。彼らは「インドシナ半島では地震は起きない」と強く妙な自信を覗かせていた。そこまで言われると私という人物は少々意固地になるもので「それでは、ラオスとの国境の山々(安南山脈と称されるチュオンソン山脈)は誰が造山したのか、中国との国境に聳える雲南の2000mを超える山々は誰が盛り上げたのか?」と切り返したことがあった。ベトナム中部は南シナ海の海岸端からラオス国境(1000m近い山)まで70Kmに満たない急傾斜地を抱えている。このような自然はインドシナ半島そのものがヒマラヤ造山帯の東端に位置していることの顕れだと考えるのが自然だが、そこに棲む人は自らが地震を体験しないと理解できないのだろう。この十年近い間に、中国の雲南省(ヒマラヤの山々に抱かれた)では、地震が多発している。昨年、インド洋スマトラ島沖で発生した巨大地震とそれによる甚大な津波被害で、件のベトナムの友人は「ベトナムもあのような地震と津波被害に襲われることはあるのだろうか」と質問してきた。「ベトナムの東側には南シナ海が拡がり、その先にはフィリピンがある。ご承知のようにルソン島はピナツボ山という元気な活火山を持ち、いつも爆発を繰り返している。地震の源といえなくもない。巨大な地殻変動があれば瞬時に津波は南シナ海を越えると考えるのが普通ではないか」と私は応え、友人は、深刻な表情になり「どうすれば良いのだろう」と考え込んでしまった。

これと同様に、実は「阪神大震災」の被災地、神戸でも震災前はほとんど同じような認識だった。つまり「神戸は地震がない」というもので、大半の人が自信を持ち誇っていた記憶がある。「それでは神戸の背後に聳える1000メートル近い六甲の山々は誰が造山したのか」と、私はいつも反論していた。何よりも、400年ほどの昔、太閤秀吉は大阪城からわざわざ「有馬」へ湯治に出かけているが、秀吉はなぜそれをする必要があったのか?その頃「有馬」は地震により壊滅的なまでの被災を受けたからと説明されている。つまり400年前にも「阪神大震災」級の地震が神戸で起きていたことを示している。当時、現在の神戸から阪神間の地域に人があまり居住していなかったこともあり、重大な記録が遺されていないだけなのではないか。何よりも、火山もない神戸の北側に位置する「有馬」に忽然と高温の「温泉」が自然に湧きだしている理由は何か、と考えないのだろうか。神戸の街も「有馬」温泉の湯脈の上に存立しているのだから、地球内部で生じる地殻変動の真上に位置しているのであって、普通に考えれば神戸だけ地震がないなどということはあり得ないのだ。それでも、人は体験しないことを俄に受け容れることには強い抵抗を持つものらしい。そこがまた、何とも人間らしいというか強がりを示すことになる。善いところなのだろうが弱い点でもある。

地震は防げない。大切なことは地震の後、どのように対処するかできるかである。ありがたくない話だが日本はこの十年、数々の震災被害を経験した。そのため、対処するノウハウは相当のレベルで蓄積できた。この度のパキスタン北部での地震による被災に日本政府もいくつかのNPOも救援体制を組んだと伝えられている。私たちの国のノウハウが役立つことを祈りたい。カシミールの村で自分が織った絨毯を誇らしげに示したムハンマド伯父さんも、フンザの村で料理に精を出す陽気なタヒールさんも、一期一会であった多くの人達も、今回の地震で被害を受けずに幸いでありご無事であることを、ただひたすら祈りたい。願わくば、沈静化しつつあるカシミールを巡るイスラムとヒンドゥーの争いが、震災被害を機に武力抗争や過激なテロとして再燃しないことを祈るのみである。如何なる事があろうとも、人は自らが信仰する宗教の以前に、ただ単なる人なのだから。

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発展途上国への援助は、ODA(政府開発援助)のみでよいか?

発展途上国への援助を真剣に考えるべきです。果たして途上国への支援はODA(政府開発援助)のみでよいのでしょうか?

日本の国家財政がピンチを迎えてから、発展途上国への有償無償のODA(政府開発援助)予算額が問題視され、バッサリ縮減する方向の議論が盛んです。極端から極端へ走りがちな日本の思考を象徴する議論といえなくもありません。果たして、それは正しい議論でしょうか?

+ODAに制約を加えない無条件の時代もあった
日本経済が安定的な活力を持ち税収も堅実だった頃、日本は平和外交を推進するため、ODAを外交戦略の基本軸に据えました。世界の多くの発展途上国の支援要望に対し、有償無償を含めたODAの大盤振る舞いで応え、喜ばれ国際社会で強い支持を得ました。その際、予算付けの吟味は勿論、執行過程、完成後の運用などを正しく評価したかどうか、という議論もある時期に提起されましたが、案件の多さと被援助国が余りにも多国にわたること、また遠隔地も多いことなどを理由に、個別案件が厳密また詳細に検証されることもないまま過ごしてきました。
そして、税収低下による財政逼迫が現実の課題となるや否や、あるいは被援助国でもある中国の現実的な発展や、過度な軍事力の増強やそれに伴う実際的な脅威などを理由に対中国援助の削減論を軸に、ODA予算の縮減が議論されています。
中国の無原則な言い分に対し、従来何ら有効な手立てを講じないまま、世論だとかなんだとか理由を隠れ蓑に一切の検証を放棄し続けた対中国外交のありようを反省(断罪)すべきなのであって、それもなく、いきなりODA予算全体の縮減を行おうとすることに対し強い異議があります。何よりも本邦のODAを受ける側の国家財政規模や中身、あるいは当事国での当該案件の必要性に伴う事情を、厳密に精査し評価することが先決ではないか(遅まきながら外部機関による検証と評価の制度を発足)と考えます。勿論、原則的な観点では充分な精査があり厳密な査定を経た上で提供され執行されているのでしょうが、いきなり、縮減の議論が声高に交わされ、ODA予算が簡易に圧縮できることについては強い違和感が残ります。本邦が丸腰で展開する対中国政策(外交)と現実の中国の外交政策あるいは外交戦略には限りない齟齬があるように見受けます。それを世論から激しく批判され糾弾されたから、いきなり対中国ODAを縮減するとの方針は、従来は確かな思考により中国政策を採っていたのかと、より強く大きな疑念を生じさせます。それらの点を曖昧にしたまま、他の発展途上国を含めたODA予算全体の縮減を打ち出したと思ったら、2005年のグレンイーグルサミットを始め、国連の常任理事国入りを模索する過程で、ODA予算の増大を求められると一転して増額表明を臭わせるなどの途惑いは本邦の外交政策は確固とした国家観や戦略を欠いたままであることを表徴していると思います。強い批判を加える必要があると考えます。

+民間の発展途上国開発援助を考える
ここでは、ODAではなく、発展途上国への援助について民間の開発援助としてできることを考えてみましょう。「民間人あるいは民間機関が、どのようにして発展途上国を開発援助できるのか」という意見も提起されることでしょう。それは大切な意見です。
しかし、ここでは大上段に構えて議論する必要はありません。「一人ひとりのあなたの考えや行動が発展途上国を支えるのです」。
あなたを含めた、それぞれの個人が、一人ひとりの意思と行動で発展途上国の生活基盤を支える産業支援に参加することができます。発展途上国の「人が必要とする生活基盤を獲得し、維持できる収入を保証する業務委託」は、誰にも簡易にできる行為です。「業務委託」 する際の「対価」を相対(必要があれば公正な第三者機関の同席)で公正に決定し中間事業者を介さずに直接取引をすることで、不要なコストの縮減を図り、縮減された利益を発展途上国の業務受託者へ直接配分するという考え方です。

+「フェア・トレード」は世界共通の「ヒューマン・ライツ」です
一般的には「フェア・トレード=FAIR TRADE(公正な取引)」という考え方で説明されています。民間で一人ひとりの市民が直接参加できる形を変えた「発展途上国への援助」です。
先進諸国と呼ばれる側の国が、どのよう方法で各国との間で実際に市場を獲得し、繁栄の基盤を築いてきたかを含め冷静に捉え返し、発展途上国との関係性についても冷静に見つめることが求められます。
発展途上国への業務委託が進むと先進諸国内の産業空洞化やそれに伴う失業問題がクローズアップされ、いつの間にか大きな「南北問題(富める国と貧しい国)」の議論にすり替えられてしまう危険性も潜んでいます。いつまでも先進諸国と発展途上国の経済格差が詰められないまま、多くの発展途上国が先進諸国とは別の意味で深刻な失業問題を抱え、経済的な問題から派生する多くの政治的課題を解決でない不安定な状態は正常な姿ではありません。発展途上国も先進諸国と同様に幸福を追求する固有の権利を持っています。世界の平和や安全について軍事面での声高な議論の前に、発展途上国の経済的安定というテーマについて先進諸国は「政府も民間」も「ヒューマン・ライツ」として多角的な立場から真剣に考えるべきではないでしょうか。

+日本は今でも空洞化が進んでいるではないか
日本は、この10年ほどは底の見えない経済状況に「デフレ」が加わり一段と厳しい状況を強いられています。自己防衛の視点から「デフレ」の原因説として「生産拠点の海外移転」や「発展途上国からの大量の低価格輸入材」を挙げ、国際経済の面で議論される「要素価格(土地価格や人件費など)の均等化論」が持ち出され、自らの生活低下を懸念し、巧妙に発展途上国への業務委託や生産を回避する主張も増加しているようです。
その意味で、日本で発展途上国への「民間開発援助」を提議することは、現在は適切な時期ではないかも知れません。しかし、苦闘しているとはいえ世界で二番目の経済力を所持する日本が発展途上国の生活基盤について無関心でいることには無理があります。

+多様な「フェアト・レード」として考える時期
いま一度、発展途上国への援助を多角的に捉え返すことが求められます。その一環として、規模は小さくても確実に発展途上国で業務委託を受け、その業務に携わった人達へ直接しかも確実に収入を保証できる「フェア・トレード」による形を変えたODAといえる「民間開発援助」について考えを整理する時期ではないでしょうか。

【この記事は、FEBのWEBでも掲載しています】

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メイドインジャパンは誰の手で維持されているか?

日本製とされる国産品の多くは誰の手で生産されているか。

先日、国勢調査が実施された。五年ごとに政府が、国民の生活を掌握する目標を掲げ、「今後の政策を考える上からも国民生活の実態を捉える上で最も大切な基礎統計に不可欠です」と説明を受け、ほとんどの家庭では別に難しく考えることもなく、調査票と向き合い淡々と記述されたものと思います。

国勢調査とは別に、あるいは先日の衆議院議員選挙とも別に、日本の景気は回復基調だとの強気の話は多いようですが、実際には、成長産業(いわゆる勝ち組)と衰退産業(いわゆる負け組)の関係性が明らかになってしまい、成長産業(勝ち組)は意気盛んで、それはもう十数年前に経験したあの悪名高い「バブル景気」の頃を超える勢いです。一方の衰退産業(負け組)は、産業としては、もう徹底的に虐められ、とりわけ金融機関からは相手にもされず、この国から叩き出されようとしているのが実際の姿です。

興味深いことは、成長産業(勝ち組)も衰退産業(負け組)も共通して、現場の労働力は必要数を充足できないほどの状況を抱えています。若年労働層全体が人口構造上の問題から人手不足であることに加え、何よりも、昨今は「ニート現象」が闊歩し、「ニート」はいまやファッショントレンドであるかのような勢いに見えます。団塊世代が一斉に「定年退職」する2007年は、一定のスキルを所持する日本の労働人口は急減し、「一体、誰がこの穴を埋めるのか?」。危機的な事態を静かに迎えようとしています。一過性のテーマとしては「定年を延長するとか、退職者を再雇用するなど」の便法も大まじめに考えられているようですが、実際、急激で圧倒的な人口構造の変化というか移動の前では為す術もない事態となることは冷静に考えれば誰の目にも明らかで理解できることですが、付け焼き刃的なことでも、それに対し果たしてどれだけ真剣に取り組めるのでしょうか。

日本の製造業は、既に、外国人労働力を導入しないと維持できない事態を迎えています。日本は「移民受け入れ政策」を基本的に認めていません。しかし何らかの目的で入国した外国人が、許容された滞在期間を超え不法に滞在し、不法に就労している事実を一方で抱えています。例えば、「愛・地球博」で閉幕前に来日した某国の音楽関係者やダンサーが、集団で閉幕後に姿を消したことは、「愛・地球博」事務局を始めとする関係者に大きな衝撃を与えました。忽然と姿を消した人たちは、日本で働くことを想定し綿密に準備した上で、当事国の審査を受け博覧会要員として来日したものと考えるのが妥当です。しかし、彼らは、現実に「日本」を見たとき、同じアジアでありながら母国との違い(噂には聞いていたものの)に、天地の開きとでもいうべきでしょうか、あまりの違いに驚愕したはずです。日本に滞在して働くことは不法行為と非難されても、何ものにも代え難い条件にも見えます。「それなら帰国せず、ここで働こう、そして資金を得よう」と考え不法滞在の途を選んでしまうのです。

外国籍の労働者は、最初「日系ブラジル人」を突破口に導入を図りました。その後、日系社会出身者を積極登用してきましたが、周辺国からの強い要望を受け入れざるを得なくなり、現在は「外国人技能研修生」という制度(短期滞在に限定した労働力確保)を創設しました。日本の生産現場は、実際に、彼らを導入しないと生産を維持できないばかりか「生産基盤としての技術の維持すら覚束ない事情」に追い込まれています。日本で生産されたとされる「国産品」の多くが、「メイドインジャパン・バイ・チャイナハンド」だったりというのが隠された現実です。日本人は、高度な教育を享受しながら、それを充分に活用できないで、あるいは高度な教育システムそのものからも逃避し、高度に発達した国として生じさせた「ニート」なる現象を仕方なく抱え込んでいます。消費することに多くの人は喜びを持ち、消費と生産の均衡がいつの間にか崩れかけているように見えます。

かつて、カンボジアは、あの「アンコールワット」を建設する技術力とそれを支える文化力を持っていました。しかし、カンボジアは「アンコールワット」を創り上げた頃が歴史的には最高の時期で、後は衰退を繰り返し、やがて現在の歴史を受け入れざるを得ない事情を抱えました。カンボジア衰退の理由はいくつもの観点から検証があり議論されていますが、「アンコールワット」を創り出した頃のカンボジアは最高の時期であり、その頃には、隣国であるタイを始めラオスなどインドシナ半島の大部分の地域を支配し、それらの地域から人と消費財の供給を受け、常に消費する側に位置する「我が世の春」を謳歌していたものと考えられます。生産を伴わない消費は衰退の始まりを招く、あるいは衰退への入口だったわけです。美しいカンボジアは露と消え去り、近代といわれる頃には地域と人は残されましたが、「アンコールワット」に表徴される輝くまでの文化は消去されていました。

「工業生産」と「輸出」により今日の成果を得た日本は、師匠のアメリカに倣い、今後は「国際金融国家」を目指しているようにも見受けますが、一億三千万人の人口を「国際金融の上がり」で「現在の生産性を確保し現在の消費を維持できる」と考えるのでしょうか。果たしてそれで国民を養い喰わせ続けることはできるのでしょうか大きな疑問が残ります。生産と消費の均衡を欠いたまま、日本は、本当にどのような姿を示そうとしているのでしょうか。

ほとんど、すべての生産財を外国人労働力に依拠しなければ、国も市場も維持できない事態に直面しようとしています。

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