「パキスタン地震」救援で思うこと
パキスタン現地(カシミール)の知人や友人たちとの連絡は依然としてとれません。
現地取材者からの報道では、パキスタンの地震による死者は8万人を超えそうと、真に悲しい推計数字が記事として報じられたようです。実際には、政治が機能していないようですから、犠牲者はもっともっと増えるでしょう。カシミールの町や村は、もう、冬です。この地域は所により異なりますが2000メートルから4000メートルの山々に囲まれた高地です。後ろには「K2」を始めとするヒマラヤの山脈がそびえ立っています。棲む家をなくし、家族を失い、寒気を防ぐ手立てをなくした人たちを案じながら、ささやかな救援に向けた動きを緩慢に繰り返すこと以外に手立てのない自らに忸怩たる思いです。
インド政府(印)もパキスタン政府(把)もカシミールの「軍事停戦ライン」を一部開放か?
報じられるところでは、カシミールの領有を主張する印・把両国は、軍事停戦ラインの両側に分かれて棲む家族の救援を含め、軍事境界線の一部を開放し、救援物資や救援人材の往来を認める動きを示すようですが、「人の命」を救うのが政治の原則なら、「何とも、遅きに失する」としか言いようがありません。ようやく、重い腰を上げたのかと考えた、その時に、インドの首都ニューデリーで爆弾テロが起き50人以上の人命が一瞬にして失われたようです。この爆弾事件は、原因も定かではないようですが、いつまでも宗教の原理主義を掲げ、ヒンドゥーとイスラムの対立を繰り返している場合ではないと思いますが。いずれの宗教も人(心)を救うことをテーマのひとつに掲げていると思量しますが、その前に、人命を奪ってしまうのはどうかと思います。何よりも、カシミールで「尊い人命」が無作為により失われようとしているときに、そのような争いを繰り返すことにどのような意義があるのか理解に苦しみます。早期に、印・把両国により「カシミールの軍事停戦ライン」が開放され、救援と復旧に向けた「人と物資」が往還できることを期待します。
イギリス政府は、もっと迅速に大量に救援せよ!
印・把両国の対立を創り出し、放置し続けた第一の責任はイギリスによる占領と植民地政策に全ての原因があります。何よりも、両国を独立させる(つまりイギリスが名誉ある撤収を図る)ときに、地域の状況を一考だにせず、「民主主義も知らない地域の人たちに『民主主義による自主権』という何とも聞こえのよい美辞麗句を押しつけ」巧妙に逃げたわけです。その結果、50年を経た現在も印・把・中で国境確定もできない状況を創り出し軍事衝突かテロの応酬を招いているわけですから、イギリス政府は、過去の経緯を考えても、この度の甚大な被害に対し手を拱くことなく、もっと迅速に救援の手を差し延べるべきです。知らぬ顔をし続ける姿勢はいかがなものか、名誉を重んじる国として人の顔を持っていないのではありませんか。
印・把両国政府は、自国民の生命財産を充分に救援し手当できないなら、核兵器を放棄せよ!
甚大な自然災害を受けたことは防ぎようがありません。ある点では仕方がありません。しかし、その後の救援を 自国の力量で展開できず、死者は瓦礫や野山に放置され打ち捨てられたままで、外国政府の支援に頼らなければ何もできないような政府なら「長距離弾道弾や核兵器」を廃棄せよ!自国民を自らの手で手当てできない政府が、他国の存在を脅かし危うくする「長距離弾道弾や核兵器」を保持してどうなる。報じられる事実に基づいて考えるなら、現在の救援状況では震災復興の過程で、テロ集団が、この地域を根城に活動し、カシミール地域全体が一気に不安定化することに強い懸念がある。「長距離弾道弾や核兵器」よりも、現実の被災者救援に奮闘努力して貰いたい。パキスタン政府はカシミールの震災に対し為政者として全く機能していないではないか。インド政府も、同様にカシミールの救援に為政者として機能していないように見える。自国民の救援を国際社会の責任に置き換え平然とする為政者とは何か?カラチやラホールでは、カシミールの救援にどのような手立てを考え行動しているのか。北西部辺境地域の部族社会は、このようなパキスタン政府に対し、別の圧力を加えるであろうことは容易に想像がつく。パキスタンは、カシミール震災復興の過程で一歩対応を誤ると「内戦の危機」に直面している。パキスタン政府はこの事態を正しく自覚せよ!国際社会は今が本当の意味で踏ん張り所ともいえる。
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