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2005/10/09

発展途上国への援助は、ODA(政府開発援助)のみでよいか?

発展途上国への援助を真剣に考えるべきです。果たして途上国への支援はODA(政府開発援助)のみでよいのでしょうか?

日本の国家財政がピンチを迎えてから、発展途上国への有償無償のODA(政府開発援助)予算額が問題視され、バッサリ縮減する方向の議論が盛んです。極端から極端へ走りがちな日本の思考を象徴する議論といえなくもありません。果たして、それは正しい議論でしょうか?

+ODAに制約を加えない無条件の時代もあった
日本経済が安定的な活力を持ち税収も堅実だった頃、日本は平和外交を推進するため、ODAを外交戦略の基本軸に据えました。世界の多くの発展途上国の支援要望に対し、有償無償を含めたODAの大盤振る舞いで応え、喜ばれ国際社会で強い支持を得ました。その際、予算付けの吟味は勿論、執行過程、完成後の運用などを正しく評価したかどうか、という議論もある時期に提起されましたが、案件の多さと被援助国が余りにも多国にわたること、また遠隔地も多いことなどを理由に、個別案件が厳密また詳細に検証されることもないまま過ごしてきました。
そして、税収低下による財政逼迫が現実の課題となるや否や、あるいは被援助国でもある中国の現実的な発展や、過度な軍事力の増強やそれに伴う実際的な脅威などを理由に対中国援助の削減論を軸に、ODA予算の縮減が議論されています。
中国の無原則な言い分に対し、従来何ら有効な手立てを講じないまま、世論だとかなんだとか理由を隠れ蓑に一切の検証を放棄し続けた対中国外交のありようを反省(断罪)すべきなのであって、それもなく、いきなりODA予算全体の縮減を行おうとすることに対し強い異議があります。何よりも本邦のODAを受ける側の国家財政規模や中身、あるいは当事国での当該案件の必要性に伴う事情を、厳密に精査し評価することが先決ではないか(遅まきながら外部機関による検証と評価の制度を発足)と考えます。勿論、原則的な観点では充分な精査があり厳密な査定を経た上で提供され執行されているのでしょうが、いきなり、縮減の議論が声高に交わされ、ODA予算が簡易に圧縮できることについては強い違和感が残ります。本邦が丸腰で展開する対中国政策(外交)と現実の中国の外交政策あるいは外交戦略には限りない齟齬があるように見受けます。それを世論から激しく批判され糾弾されたから、いきなり対中国ODAを縮減するとの方針は、従来は確かな思考により中国政策を採っていたのかと、より強く大きな疑念を生じさせます。それらの点を曖昧にしたまま、他の発展途上国を含めたODA予算全体の縮減を打ち出したと思ったら、2005年のグレンイーグルサミットを始め、国連の常任理事国入りを模索する過程で、ODA予算の増大を求められると一転して増額表明を臭わせるなどの途惑いは本邦の外交政策は確固とした国家観や戦略を欠いたままであることを表徴していると思います。強い批判を加える必要があると考えます。

+民間の発展途上国開発援助を考える
ここでは、ODAではなく、発展途上国への援助について民間の開発援助としてできることを考えてみましょう。「民間人あるいは民間機関が、どのようにして発展途上国を開発援助できるのか」という意見も提起されることでしょう。それは大切な意見です。
しかし、ここでは大上段に構えて議論する必要はありません。「一人ひとりのあなたの考えや行動が発展途上国を支えるのです」。
あなたを含めた、それぞれの個人が、一人ひとりの意思と行動で発展途上国の生活基盤を支える産業支援に参加することができます。発展途上国の「人が必要とする生活基盤を獲得し、維持できる収入を保証する業務委託」は、誰にも簡易にできる行為です。「業務委託」 する際の「対価」を相対(必要があれば公正な第三者機関の同席)で公正に決定し中間事業者を介さずに直接取引をすることで、不要なコストの縮減を図り、縮減された利益を発展途上国の業務受託者へ直接配分するという考え方です。

+「フェア・トレード」は世界共通の「ヒューマン・ライツ」です
一般的には「フェア・トレード=FAIR TRADE(公正な取引)」という考え方で説明されています。民間で一人ひとりの市民が直接参加できる形を変えた「発展途上国への援助」です。
先進諸国と呼ばれる側の国が、どのよう方法で各国との間で実際に市場を獲得し、繁栄の基盤を築いてきたかを含め冷静に捉え返し、発展途上国との関係性についても冷静に見つめることが求められます。
発展途上国への業務委託が進むと先進諸国内の産業空洞化やそれに伴う失業問題がクローズアップされ、いつの間にか大きな「南北問題(富める国と貧しい国)」の議論にすり替えられてしまう危険性も潜んでいます。いつまでも先進諸国と発展途上国の経済格差が詰められないまま、多くの発展途上国が先進諸国とは別の意味で深刻な失業問題を抱え、経済的な問題から派生する多くの政治的課題を解決でない不安定な状態は正常な姿ではありません。発展途上国も先進諸国と同様に幸福を追求する固有の権利を持っています。世界の平和や安全について軍事面での声高な議論の前に、発展途上国の経済的安定というテーマについて先進諸国は「政府も民間」も「ヒューマン・ライツ」として多角的な立場から真剣に考えるべきではないでしょうか。

+日本は今でも空洞化が進んでいるではないか
日本は、この10年ほどは底の見えない経済状況に「デフレ」が加わり一段と厳しい状況を強いられています。自己防衛の視点から「デフレ」の原因説として「生産拠点の海外移転」や「発展途上国からの大量の低価格輸入材」を挙げ、国際経済の面で議論される「要素価格(土地価格や人件費など)の均等化論」が持ち出され、自らの生活低下を懸念し、巧妙に発展途上国への業務委託や生産を回避する主張も増加しているようです。
その意味で、日本で発展途上国への「民間開発援助」を提議することは、現在は適切な時期ではないかも知れません。しかし、苦闘しているとはいえ世界で二番目の経済力を所持する日本が発展途上国の生活基盤について無関心でいることには無理があります。

+多様な「フェアト・レード」として考える時期
いま一度、発展途上国への援助を多角的に捉え返すことが求められます。その一環として、規模は小さくても確実に発展途上国で業務委託を受け、その業務に携わった人達へ直接しかも確実に収入を保証できる「フェア・トレード」による形を変えたODAといえる「民間開発援助」について考えを整理する時期ではないでしょうか。

【この記事は、FEBのWEBでも掲載しています】

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