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2006/01/02

週刊ベトナムニュース・43号

  ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成17年12月31日 土曜日 第43号
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■ こんにちは!!

 2005年一年大変お世話になりました ベトナム ニャットアインです。2006年もどうぞ宜しくお願いいたします<(_ _)>

 昨年最終週のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

 翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り 言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

 誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

 尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その43 今週のヘッドライン

* 12月26日(月) 意外なふたつのイベント
* 12月27日(火) 希望の光を灯し続けること
* 12月28日(水) 機械式時計で町興し
* 12月29日(木) 観光業界人材育成
* 12月30日(金) 代替燃料への取組
* 12月31日(土) ベトナム市場を狙え!

* 平成17年度「週間ベトナムニュース」 が一冊の本になりました!

12月26日(月) 意外なふたつのイベント
*    最近、ホーチミン市で変わった二つのイベントが開催された。ひとつはビジネス英会話競技大会、後のひとつは仮想株式取引大会で、どちらも学生に依って競われた。外国では一般的なこの二つ競技は、ここベトナムでは今でも普通ではなく、これらについて都市に住む若いベトナム人がどのような反応を示すのか報告するよう依頼された。
私はホーチミン経済大学でビジネス英語2005の決勝戦の見物に出掛けた。決勝戦が行われる会議場には既に1000人以上の若者が詰めかけている。会場内は熱気がこもり喝采が巻き起こる。私は隣の若い女性に「あなたはこの競技はじめから見てきたの?」と尋ねると、「ええ、そうよ 私の大勢の友達も競技に参加しているから」と応えた。

   見物人の一人 Ton Duc Thang大学2回生 Tran Thanh Hoaさんも、この競技を予選ラウンドから終いまで見てきた内の一人で、ビジネス英語を習い始めて3年になる。彼女がここへ来た目的は、参加者の流暢な英語を聞き自分の学習の参考にするためだという。同大学で金融を専攻する3回生のNguyen Thanh Lanさんは「参加者たちの操る英語能力に感銘を受けた。皆、自分の実力に自信を持ち、テーマは目新しいものとはいえないけれど、彼らの英語によるプレゼンは魅力的です」と語る。

   1400人を超える経済系学部に所属するホーチミン市内各大学・短大生が参加して行ったこのビジネス英語2005は初の催しであり、大会名から判るように参加者の考えを英語で発表するものである。先月行われた予選大会の後、Bingoチーム・Inter Coolieチーム そしてZenithチームの3チームが決勝戦に勝ち進んだ。決勝戦は4つのラウンドで戦われ、各チームは起業・市場開拓に関する戦略を英語で披露しなければならず、その後 ベトナムの有名企業の経営者やBritish Council職員から出される質問に答えて行くのだ。

   「僕らはここまで勝ち残るために数日間練習に費やし、ここへ来る前に何度も大学のクラスのみんなの前で発表もしてきました。見物人の熱気が一段と僕らの闘志に火をつけました。今回の参加経験はいつか本当のビジネスに飛び込んだ時 大きな支えになると思います」と語るのはInter CoolieチームのメンバーNguyen Quy Vanくん。優勝したチームには今大会のメインスポンサーであるホーチミン市Dan Xuan Trading & Service社より商品18mドン(US1125$)と奨学金US1000$が贈られた。

   ビジネス系学生の仮想株式取引大会は、多くの国々で盛大に行われる競技である。驚くまでもなく、今回のこの競技にはホーチミン市から多くの学生が参加した。この大会の主催者はホーチミン国家総合大学の経済学部に在籍する学生たちで、サイゴン証券取引所とTH Infomatics社の協力により催された。2000人近くの参加者には始めに10万米ドルの仮想資金が与えられる。勝敗はその資金を元に株取引を行い、その日に一番資産を増やした参加者が競技の勝者となるのだ。
午前9時に取引開始すると全ての参加者は株価が映し出された大きなスクリーンに一斉に目を向け世界トップテンの会社の株の動きを注視し、その中にはマイクロソフト・インテル・Sears等も含まれていた。

   優勝賞金を与えられたのは大学で会計学を専攻する2回生Nguyen Thi Tuong Vyさんに授与された。しかし、彼女が得た最も偉大な商品は その名をベトナム証券業界に馳せた事である。「売買は実際の取引と同様、息もつけぬような速いペースで進行しました」と語るのは別の参加者 BA専攻の3回生Nguyen Phuong Luanさん。この競技の参加準備のためにLuanさんは、証券取引に関する多くの本や新聞を読み漁り、大会では成長著しいマイクロソフト株に投資したという。経済短大に通うTran Phuong haさんの参加の為に数週間、ブロカーになる訓練をし大会に臨んだ。大会ではリアルな株取引について学ぶことが出来たという。

   主催者のひとりNguyen Minh Son氏に因れば、今回の企画をするにあたり9ヶ月を費やし競技用ソフトプログラムの開発をし、とても苦しい思いをしたが、意義深い大会が開催できて嬉しく思うと結んだ。

(辛口寸評)
英語弁論大会は有益であり、今後も英語に限らず他の外国語を用いた同様な大会が増えてゆくことを願っている。が、一方、仮想株式取引に関しては、唯でさえギャンブル好きのベトナム人に学生のうちから慣れ親しませるのはどうかと筆者は考える。
現状、ベトナム自体、大した産業がないので、土地以外にバブルになるようなことはないだろうが、やがてその時期が来たときに日本の轍を風様な気がしてならないのだ。こんなのはSexと一緒で黙ってても、時が来れば覚えることだし、わざわざ注目を引き若者の射幸芯を煽ってはいけない。学校の中で 教育の一環として粛々と教えてゆけばいいと筆者は思うのだが・・・。

12月27日(火) 希望の光を灯し続けること
*    定年に差し掛かった男性 Luong Dinh Khanhさんはこの度、無事、学士を取得し彼の長年に渡る学習の苦労が報われたのである。旧サイゴン政権時代に学生運動に参加したKhanhさんは逮捕・拘束されてしまい、大学を去らねばならなかった。40年前の出来事だが、彼は大学での学習意欲を片時も忘れなかった。

   そして彼が60歳になるまでその夢は果たせなかった。というのも彼は代用教員として採用され一日に15~20時間 数学・国語・体育・地理・外国語の授業を持たねばならなかったのだ。1997年についにその時が来たのは初老を迎えた60歳の時だ。彼の勤務先の学校は、昇進や高給を提示し、慰留を試みたが彼の決意は固く教職を捨て大学入試を決意した。「高校は独学で卒業資格を得ましたが、私は長い間、体系的な学習を望んでいたのです」とKhanhさん。

   Khanhさんは大学入試願書提出の為、Hue師範大学に出掛け申し込んだ際、大学職員は息子の為の願書を父親が代わって持ってきたとしか思わなかったという。大学職員は受験志願者がKhanhさんその人であると知ると、信じられないという顔で彼を見つめ、思わず恥ずかしさに顔を覆ってしまいたかったほどだったと往事を振り返る。貧しさの中で育ったKhanhさんは家計を支えるために富裕なよその家で牛の世話を始めることにした。牛の世話をしながら彼の友人たちから教科書を借りたり、稼いだお金でノートを買い毎日、独学で身を立てて行ったのだ。このような姿勢で、高等教育課程を修了した彼には当時、教師の道が開かれた。教員養成訓練は受けていなかったものの、教員仲間からアドバイスを受けつつ授業の仕方をひとつずつ習得していったのだ。

   時は下り、大学に合格してからもKhanhさんは図書館が閉まるまで毎日居残って研鑽していった。「私の様なロートルが若い学生に互して行くには人の二倍も三倍も勉強しなければ追いつきませんよ」と謙虚に語るKhanhさん。大学在学中、彼は一度も欠点を取ることもなく単位を次々と取得していった。彼の勉学に対する熱烈な気持ちは彼の子供たちに刺激を与えた。彼の今年30歳になる娘は既に二つの学士号を取得し、現在、三つ目のそれに挑戦中。33歳になる息子は8年生の時、落後してしまったが、今は元気に短大へ通っている。「社会的地位やお金がなくても心配は要らない。だけど、チャレンジ精神の炎を常に心に灯し続けることが大事です」とKhanhさんは結んだ。

(辛口寸評)
一般的にベトナムの大学は入試も難しいが無事潜り込めても日本と異なり勉強をしなければエスカレーター式に卒業させて貰えない。なんと言っても卒業までの4年間で半分が学校を去って行くほどだ。現役大生でも毎晩、宿題や予習・復習に覆われひいこら言いつつ勉強に励んでいる中を初老に差し掛かった人間が大学入試に挑戦し、無事卒業を果たしたのはまさに快挙であるといえる。まあ 生涯学習人間どんなときも努力し続けるのが必要ということなのだろう。

12月28日(水) 機械式時計で町興し
*    ドイツ東部の旧炭坑の町 Glashuetteで、熟練した時計職人によって生み出される素晴らしく緻密で複雑な時計は稀少価値が高い。風光明媚なこの町で伝統的な手法によって製造された時計たちは鑑定家やコレクターにとって常に垂涎の的であり、US500000$近くの値で取引される。時計製造はこの町に経済的な成功をもたらし、旧東ドイツの中で失業率は17%と最も低い。

   Glashuetteはドイツ第三帝国時代から第二次大戦終了時まで、スイスと並び称されるヨーロッパ随一の時計づくりのメッカだった。1990年に東西ドイツが統一すると高品質機械時計製造需要が急激に高まりに押され、再び時計づくりがこの地に蘇ることになった。チェコ国境沿いに近いA Longe & SoehneやGlashette Originalなどの有名時計メーカーから作り出されるプラチナやゴールド時計は数万ドルもし、スイス有名時計メーカーのPatek PhilippeやVacheronの向こうを張る人気を博している。

   「これら Glashuetteで作り出される時計たちはとても美しく素晴らしい出来です」と讃辞を称して止まないのは、時計雑誌Klassik Uhren編集長 Christian Pfeiffer-Belli氏。この二つのメーカーの経済的成功は、若干安めの時計生産を担う新興時計メーカーNomoのような他メーカーの励みになっているという。「Glashuetteの名は最もドイツらしい名前であり、偉大な時計の産地として古くからドイツ人に親しまれて来たんです」とPfeiffer-Belli氏。今後の経済成長見通しも有望で、特に経済復活が進みつつある日本市場からの需要が昨年から高まりを見せ始めています。

   Glashuetteの少し外れに位置するDresden郊外の森林に囲まれた渓谷の村Erzgebirgeは伝統的な時計職人にとって時計づくりに欠かせない完璧な環境が整っている。複雑な機構を備え、精密なパーツの組み立てに因り産み出される作品に世界の時計マニアを魅了し、家一軒が買えてしまうほどのお金を腕時計一本に惜しむことはない。ランゲ社の最も複雑な機械時計ターボグラフには1000を超すコンポーネントが組み込まれ、髪の毛の太さで633個の独立した部品からなる円錐滑車付き鎖引き装置はネジを巻かなくても自動にトルクを保つよう設計されている。ランゲ社のもうひとつの雄、ローターを駆動力に用いたトゥールビヨンは地球の重力の影響を受けぬよう設計されたメカニズムを持ち芸術性にも優れ、高い評価を受けている。因みに気になるお値段はUS447500$。

   精密な機構を宿した時計づくりはもちろんのこと、時計メーカーに神秘的雰囲気を持たせ付加価値とし年間2~3000個しか製造しない販売戦略は希少性を武器に市場を需要を更に深めている。信心深い初代フェルナンド・アドルフ・ランゲがGlashuetteに最初の時計工場を設立したのは1845年のことだった。彼は地元の人々を雇い入れ技術を教え込んだのが町の時計産地としての出発点だった。20世紀初頭、ランゲ社は有数な時計メーカーに並び称され、1898年にはドイツ皇帝ウィリアム二世によりオスマントルコ国王への公式贈答時計に選ばれ贈られた。宝石を散りばめられたこの時の時計は今もトルコ、イスタンブールのトプカピ宮殿博物館に飾られている。

   第二次大戦終戦で全てを失った初代ランゲの孫に当たるウォルター・ランゲは1951年に会社と工場が東ドイツにより接収されると、西ドイツに亡命。1990年にベルリンの壁の崩壊と共に故郷Glashuetteに戻るとパートナーのGuenter Bluemleinと共に会社のランゲブランド再興したのだった。
“復活の鍵となったのは1951~1990年の間だ”とGlashuette Original社代表、フランク・ミュラー氏はいう。“当時 西ドイツでは精巧で安価なクォーツ時計が市場を席巻し、国内時計産業に大打撃を与えていました。しかし、同じ頃、東ドイツでは国営企業として再生された各時計メーカーで国家の補助を得つつも細々と機械式時計作りの伝統を守ってきたのです”と同氏は結んだ。

(辛口寸評)
他人は認めないが、自称機械式時計マニアの筆者としては興味を刺激する記事だ。昨今、時計など持たなくとも、あらゆるところに時計表示がなされ、携帯電話にも時計機能は当たり前についているので、今更、アノログの機械式時計を持ち歩くなんてナンセンスかも知れない。でも、コチコチ時を刻む脱振機の音は時計職人の息づかいが聞こえるような温かみと安らぎを与えてくれるのだ。確かに、たかが腕時計に何千マンも掛けるのはバカバカしい気がしないではない。もちろんそんな高価な時計を腕に巻き、外に持ち出すことなど、機会もなければ、考えもない。

では、何故、世の時計マニアと呼ばれる人々は、そのような物に惹かれるのかと云えば、やはり綺麗に装飾を施された一点一点のパーツの集合体がひとつの芸術性を醸し出しているからに他ならない。女性が宝石を求めるようなものだろう。

自分にそんな時計を所有する価値があるのか?と問われれば、はっきり言ってそれはない。しかし、いつかはパテック・グランドコンプリケーション、いつかはランゲ・プール・ル・メリットの思いを秘めつつ自分のレベルアップを人生の中で目指す目標のひとつであるのなら、それはそれで男のロマンではなかろうか。

12月29日(木) 観光業界人材育成
*    副首相Vu Khoan氏は観光産業に従事するスタッフの質を高め、ベトナム経済の一翼を担うよう求めた。この分野での人材育成は観光業発展に重要な位置を占めるのだと国家観光業常任委員会委員長でもある、Khoan氏はハノイで開かれた会議の席上、訴えた。副首相はベトナムの観光資源開発や地域統合について議論する会議の中、経済のあらゆる
分野は、人の為に、そして人によってなしえられるべきものであると強調した。

   観光分野の多様化した人材開発育成は、管理者はもちろんの事、ツアーガイド及びホテルスタッフに至るまで、知識・技能・接客態度を急速に向上させ、伸びゆく観光産業に対応させて行かなければならないという一方、副首相は今年初めに始まったベトナム観光分野人材開発プロジェクトへ22.8mユーロを資金提供したEUに謝意を述べた。このプロジェクトの目的は、観光業に従事する人材育成に使われると共に、プロジェクト終了後は政府や民間関係団体が観光業従事者の質・量とも当地を訪れる観光客に満足を保証させることにあるという。

   ベトナム観光局人事課のNguyen Van Luu課長に因れば観光局は既に26カ国の国々と観光協定を締結し、加えてASEAN観光開発協定並びに国際観光協会等とも協約を結んでいるという。人材育成協力はベトナム観光業にとって最重要課題であり、これまでにこの分野の発展・促進に各国からUS40m$に及ぶODAが投入されていると付け加えた。2010年までに人材育成プログラムを推進させる専門家グループのリーダーNguyen Van Dinh教授はこれまでにベ観光局は人材育成を計るための資金を国際社会からばかりでなく、他の産業分野及び国際支援機関などから積極的に調達する努力をしてきており、それを有機的に使用することはベトナム観光業を基幹産業に育てるのに欠かせないと述べた。

   3日間に渡り開催されたベトナム観光分野人材開発プロジェクトの会議には内外から150名の参加者が集った。この中には、ベ観光局・国家観光常任委員会・政府関係機関・欧州連合代表事務所並びに欧州各国大使館の代表らが臨席した。

   昨日、ノイバイ空港に500万人目の観光客を迎えるに至った。フランス人のBas Matineさんがその人で記念の山水画が授与された。フランスからのベトナムへの入国者は今年、対前年同時期と比較して60%上昇し、内80%がハノイへの訪問客であった。ハノイツーリストサービス副社長、Cao Ngoc Lan氏に因ると、今年過去11ヶ月でハノイ市が稼いだ観光業売上総額は8tドンで、アメリカの旅行雑誌travel & Leisure誌が推奨するアジア観光地ベスト5にハノイが二度目のランクインを果たしたという。ハノイへの観光客の増加は年20%ずつ推移しており、1992年時点の5倍に拡大している。

   ハノイ市は2010年までに年間 570万人の国内観光客及び160万人の外国人観光客を受け入れたいとし、現在、国家総収入に占める観光収入の割合は既に10.38%になっている。市当局は今後も積極的な観光プロモーションを実施し、併せておみやげ物の開発やホテル・観光施設・観光サービス多義に渡り観光業界発展の為の社会資本投下を促進して行く意向である。

(辛口寸評)
ベトナム観光業界は、外資系関連企業がこれまで質・量・サービスとも国内産業の牽引車の役目を果たしてきた。しかし年々飛躍的に増加する観光客数に対応するためには、外資系企業だけのそれでは追いつかないのが現状で、ベトナム系を本格的に人材面で育成して行かねばならなくなってきたお家事情がある。

観光施設や開発などはハードの面なので、外国の提携先と連携するなりすれば整備は用意だろうが、それらを運営するソフト、いわゆる人材については現状、立ち後れており、サービス面で各社まちまち、産業に従事するスタッフの資質に委ねられており、マニュアル化やシステム化がきちんとなされていない。このため、うまく行くときは問題ないが、そ
うでないと折角の訪問客を国全体のリピーターに繋ぐ事ができなくなり将来に向けた客の取りこぼしをしかねないのだ。

旅行産業は極端に大きな投資を必要とせずとも外貨を手っ取り早く稼ぐ最も有効なビジネスである。ベトナムが国全体で観光業の発展に取り組む姿勢を明確にしてきていることは歓迎すべきである。

12月30日(金) 代替燃料への取組
*    代替エネルギーを作る発電所がPhu Quoc島には必要であるとエネルギー研究所職員はいう。同研究所所長Pham Khanh Toan博士は生物ガスまたはバイオマスを燃焼させ電力を作る発電所があれば島の電力不足解消に役立つばかりでなく、我が国最大のエコツーリズム資源を持つ島の環境問題もクリアーされるだろうし、代替エネルギー使用はPhu Quoc島経済発展に多大な貢献をもたらすことだろうとエネルギー研究所と先週、生物・生物量燃焼発電所の事前調査結果発表をしたCan Tho大学との共催で行われたセミナーの席上、語った。

   代替発電所建設促進コーディネーターでCan Tho大学のDo Ngoc Quynh博士は、11月に政府が承認したマスタープランのお陰で、島にやってくる観光客数は昨年の13万人から2010年には35万人までに拡大するだろうと期待している。同博士は、今後多くの観光客が島の観光業に経済的効果を与えるにも拘わらず、その分、電力不足は更に増大するだろうと指摘した。総面積568平方キロメーターの土地に住民85000人が暮らすPhu Quoc島では今年の電力需要は既に20234MWhが必要と試算されている。ベトナム電力供給公社が運営する既存の火力発電所は現在、7.5MWしかなく必要量の半分にも満たない状況だ。ベトナム電力供給公社は今年、既に23bドン(US1.4m$)の赤字を計上しており、このままで行けば今後5年以内に29%の電力需要が見込まれる中、対策に苦慮しているのだという。

   Phu Quoc島通商観光課の統計に因れば、島内26の区域の内3つの地区、Phu Quoc区・Thom区・Tho Chau区のみが電気格子と繋がれているだけだという。島民の20%が電力を小型発電機を用いた自家発電で賄わなくてはならず、KWhあたり6000~9000ドン(US0.38~0.56$)の出費を強いられ、この額は電力公社が提示する電力価格の実に20倍に匹敵する。既存の発電所供給電力はさておき、生物ガス・バイオマス燃料発電所から得られる主な利点は環境に優しいことである。なぜなら、燃焼に必要な重油は僅かな量で済むし、ゴミ問題解決にも繋がって来るからだとQuynh博士は訴える。加えて処理後の排出物は通常、年間1万トンの肥料が必要とされる500hr分の黒コショウ栽培地への有機肥料として転用出来る様になるだろうと同博士はいう。仮に化石燃料を代替燃料に替えて行くことは温暖化抑制に繋がるのみならず、化石燃料の温存にも役立ちますと、プロジェクトコーディネーターのひとりドイツ環境保護資源再生研究所のMartin Wittmaier博士は述べる。

   「現在 島内のDuong DongとAn Thoiのふたつの町で年間15.5mkgsのゴミが出るが、これだけで代替燃料発電所で0.5MWの電力を作ることが可能になるので、私としては今後益々多くの観光客が、ここPhu Quoc島に来るようになって欲しいのです。そうすれば代替燃料を増やすことが出来、有機肥料が増え一石二鳥となるのです。その上、生物ガス発電所のヨーロッパでの建設コストは凡そ2.5mユーロ(US2.94m$)ですが、人件費の安いベトナムならもっと安価に作り上げることが出来るはずです。」とWittmaier博士。

   ライプチヒ大学院のKatia Korff氏はPhu Quoc島の発電所建設プロジェクトはODA資金を活用しBOT方式を採用してはどうかと提案した後、Wittmaier博士はドイツ・ブレーメンのErzeugung社から既に30%分のプロジェクト投資に興味をしてしていると述べた。セミナーの席上、ベトナム政府産業振興課Pham Quyet Chi課長は、政府は必ず環境に寄与する生物ガスプロジェクトにインセンティブを提供するだろうと語り、彼はKien Giang省人民委員会並びにPhu Quoc行政当局に30%の外国企業からの出資を基に、プロジェクトの管理運営を行う持ち株会社設立を促した。

(辛口寸評)
グローバルウォーミングが叫ばれて久しい中、不完全ながらも京都議定書も正式に調印され、世界が二酸化炭素削減に動き出している。
CO2だけが温暖化の主原因かどうかは学者の間でも意見の分かれるところだが、フロンガス同様、ひとつの構成物質には違いなく、それが環境破壊防止に役立つのなら、筆者は大歓迎である。

多くの場合、京都会議に於いて途上国は環境問題については消極的である。中国然り、インド然り、パキスタン然りで彼らの言い分は十分に判る。先進国のみが、やりたい放題、環境汚染をばらまいておいて、その反省から今になって他の途上国に対し問題提起をし、先進国のいうことを聞けと云われても、“途上国は貧乏なままでいればよい”と言っているのと同じにしか聞こえないだろう。だが、世界の人々は既に、地球の気候が変化してきているのに気づき始めている昨今、少なくともKyoto Protocolに調印した途上国の国々は、アメリカに比べれば、地球に対する良心を持っているのだといえる。

ベトナムも途上国のひとつである。しかも、経済発展が目覚ましく進む中、環境問題は先送りしても、更なる発展を進めて行きたいのが国情であるが、敢えて現段階で環境問題に目を向け対策を講じる姿勢は高い評価をしたい。

12月31日(土) ベトナム市場を狙え!
*    ベトナム人観光客はマレーシアにとって同国観光業界の有望な市場になりつつあり、来年はベトナムから10万人の観光客が来ることを期待し見込んでいるとマレーシア観光促進協会Kamaruddin Bin Siaraf会長は相好崩して発表した。発言はベトナムを訪れたSiaraf会長率いるベトナム表敬訪問団の席上、話されたもので、ベトナム市場の有望性をその人口と急速な経済発展を裏付けにしてなされた。

   マレーシア観光動向統計調査に因れば、同国を訪れるベトナム観光客は今年9月時点で42000人に達し、対前年比で20%増加となった。今回、ベトナム側との事務レベル協議を主催したSiaraf会長はベトナムに対し、2国間観光協力を促進させるため、マレーシアはベトナム民間観光業界へ援助を申し出た。マレーシアはベトナム人観光客にとって人気の旅行先国になっており、毎年、マレーシア観光促進協会はベトナム人観光客販促に30万米ドルを費やしている。

   昨年 マレーシアの観光業界は全体でUS7b$の収益を上げ、それは同国GDPの5%を稼ぎ出している。

(辛口寸評)
マレーシアの人口は僅か2500万人しかおらず、国内の経済成長は近年停滞し、消費の伸びも頭打ちとなってきている。このところ、マレーシアにとってベトナムは観光客だけに留まらず、大きな人口を抱える一大消費地として魅力的に映っている。この為、特に製造業を中心にベトナム市場への足がかりを作ろうと、ここ3年前から、ベトナムに窓口を置くマレーシア系企業が増加しており、うちの筆者のところへも会社HPを通じて代理店契約を結ばないかとか、ベトナム流通システムを尋ねる内容の問い合わせが良くあるほどだ。

2015年にベトナムは総人口が1億を突破すると言われている。その時点でも40歳未満の消費人口は全体の5割を超すという。このまま順調に経済成長が続いて行けば、東南アジア第一の魅力的なマーケットになるのは間違いない。そんなわけで、筆者の会社でも10年しぶとく利幅が薄く美味しいお菓子を作り続け、明日のナビスコを目指してこの地で頑張っているわけである(笑)

「お知らせ」

* この度、平成17年度「週間ベトナムニュース」 が、加筆・修正を加え、424ページの一冊の本になりました!限定30冊、購入希望の読者さまがおられましたら、別途、ご連絡下さいませ。

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