« 次はムラカミ不安怒 ヵ? | トップページ | 負けたらアカン!「阪急電鉄」「阪神電鉄」の経営陣へエールを贈る! »

2006/01/21

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース46号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成18年1月21日 土曜日 第46号
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ こんにちは!!

いつもお世話になっておりますベトナム ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その46 今週のヘッドライン

* 1月16日(月) 越南 傾城 阿波の鳴門 
* 1月17日(火) ジョブ・ホッピイング
* 1月18日(水) ホーおじさんコレクション♪
* 1月19日(木) 鳥インフルエンザの現状と日本のマスコミ
* 1月20日(金) 秘・食品検査の実態レポート
* 1月21日(土) ホーチミン市新版商業取引投資促進プログラム

☆★朗報のお知らせ★☆

週刊ベトナムニュース平成17年度版 初版50部が一週間で完売。
その後も 各方面から追加注文のご要望を頂き、急遽50部増刷することにいたしましたのでご報告いたします。ご希望の方はお早めにお知らせ下さい。

1月16日(月) 越南 傾城 阿波の鳴門 
* 14歳以来 盲目のNguyen Trung Thanhさんは本を読むのが大好きだ。今年48歳、周囲の人々から“本の虫”の愛称で子供の頃から呼び親しまれてきた彼だが、今も新刊本が村の書店に届くと聞くとワクワクするそうだ。Thanhさんが視力を失ったのは1971年、ベトナム戦争最後の年だった。彼とその家族は爆弾を避けるためシェルターに身を潜めていた近くで爆弾が炸裂し、その破片が彼の視力を奪ったのだった。この事件以来、竹かごを作り生計を立てていた彼の母は息子の治療費を稼ぐためそれまで以上に働き、ハノイの病院で診せたがThanhさんの視力が回復することはなく、それと共に彼は中学での勉強を諦めるしかなかったのだ。

 しかし彼の読書に対する欲求は萎えるどころか更に高まり消えることはなかった。Thanhさんは彼の母が営むカゴ屋へ買い物で来るお客さんを掴まえては最近発売された読んだ本の内容を抜粋し聞かせて貰う日々が続いたという。そんなある日 お得意さんでThanhさんに好意を寄せる若い女性が彼の為に本を読んで聞かせてくれるようになり、二人はやがて結ばれ夫婦になった。今日でもこのころ耳にしたベトナムの多くの小説を覚えており、それもこれも母のお店で過ごした日々が役に立っていると語る。

 彼ら夫婦は今も大変貧しく近くの川で採れた蟹や貝を売りながら生活を支えているが、Thanhさんの読書に対する情熱は変わらない。
毎日 彼の奥さんと子供たちはThanhさんの為に3~5時間掛けて本を読んで聞かせてくれる。これら本の中にはアンデルセン童話や最近話題のベトナム人作家の作品も含まれている。仕事の合間にThanhさんは詩を書いており、1995年には詩にエッセイを散りばめた詩集を出版した。「詩を書くのはとても時間が掛かるのです。点字で文字をひとつひとつ打ち出してゆくため、熱が入り過ぎて指から血が出るような事もしばしばなんです」とThanhさんは照れていう。最近 発刊された詩集“ハートの子守唄”は彼の友人たちの協力で完成したものだ。

 Thanhさんが今 力を入れている作品名は“隠された方法”は全400ページに渡る大作で彼と彼の娘さんたちがベトナム北部各地へ御伽話をしながら転々と行脚した時の事を題材にしたものだ。11年前、Thanhさんは、娘のNguyen Thi Kieu Loanさんを伴い各地を周り自分の作った詩を通りすがりの人々に聴かせながら、お金を稼いでいた。
「傷痍軍人さんが時折 街の辻にたち歌を唄いお金を得ていますが、私には歌の才能がないので詩を聴いて貰うことにしたのです。尤も、私につきあわせたばかりに娘は上の学校にやることが出来ませんでした」とThanhさんは当時の様子を振り返る。

 彼の作る詩は主にフランス植民地下のベトナム人の窮状を訴え掛けるものだが、他に1930年代のベトナム上流階級の生活を風刺した作品などもある。「旅先で、人々は我々親子を歓迎し“お話父娘”として親しんでくれました。特に彼らは偉大なベトナムの詩人 Xuan Dieu・Nguyen Binh・Han Mac Tuが書いたロマンスストーリーを我らが演じるととても喜んでくれました」とThanhさん。数年間の旅芸人生活にピリオドを打ったのは、娘さんが学校へ戻りたいと言い出したからだという。旅の途中 学校の前を通ると彼女は決まって淋しそうに涙を流していました。もちろん 彼にその姿は見えないが、充分娘の気持ちは判っていたという。加えて。彼自身いつまでも他人の作品で演じることを、潔しとしなかったからだ。

 今では娘のLoanさんも詩作や物語の創作に励んでおり、彼女が書いた“あの頃”は1998年、Youth Pioneersマガジン主催の文学賞を受賞し、先月、彼女の最新作“赤ん坊の川”を挿入し出版された。

(辛口出版)
ベトナムではThanhさん一家に限らず、障害を持つ多くの人々が旅芸人となって各地を回る。その生活は大変辛いもので、毎日毎日、行った先の知り合いの軒先や納屋などを転々としながら、芸を売って歩くのだ。幸いこのような行脚は主に乾季に行われるため、雨露の心配はないものの、それでも身に堪える仕事に変わりない。特に目の見えないThanhさんの場合、どうしても家族が先導となって連れ添わなければならない。多くは農作業の働き手として大人を自宅に残す為、子供がその役を引き受けるわけだ。
とはいえ年端も行かぬ幼子である。しかも、同じくらいの年頃の子供が学校へ行く姿は眩しかろう。今回の記事では、父娘とも才能が開花し、出版という形で日の目を見た話だが、こんな事は滅多にない。
このような生活がベトナムには未だあることを読者の皆さんに覚えておいて欲しい。

1月17日(火) ジョブ・ホッピイング
* 若い会計士のNguyen Tri Thanhくんは人生を謳歌しているという。なぜなら、いくつもの職を変え、ついに希望する職場に就職することが出来たからだ。大学3年の時、彼は経理担当として初めて私営企業でアルバイトとして働いた。「僕にとってお金が目的ではないのです。一番大切なのは、働くことにより専門蓄積の集積と経験を積むこと、次に職場環境 そして最後に出世かな」とThanhくんは語る。先の私営企業で二ヶ月間働いた後、ふたつ目は国営企業で職を得、その後、私営企業2社に短期間 席を置いたという。

 Thanhくんが大学を卒業する時に彼は既に4つの職歴を備えており、アルバイトをした前出の企業はそれぞれThanhくんに彼らの会社へ入社するように勧めたが、彼は何れも断ったという。その後 Thanhくんは、外資系企業に履歴書を送り難しい就職試験をパスし、初任給US250$で職を得たのだが、数ヶ月後 彼は辞職した。彼にとって外資系企業の仕事運びは職能的で大いに参考になったが、彼にしてみればそれらの知識習得は2~3ヶ月もあれば充分だと考えた結果だった。今日のベトナムにはThanhくんのような優秀な若者たちにとって、転職は日常茶飯事であるし、職場に対する見極めも早く、職業斡旋所では、こんな若者たちを称し“腰掛けスタッフ”と呼んでいる。彼らには次の共通の特徴が見られる。モチベーションが高く、事務処理能力が優れ、順応性に富み、チャレンジ精神豊富な事だ。

 もう一人は過去3年間に4回の転職を果たしたPham Anh Phuongくん曰わく、彼がこれまで働いてきた職場からは様々な重要な経験を得ることが出来たものの、これは僕自身が起業する為に必要なもので、誰かに雇われ続ける積もりはないのだと。人々が転職する理由をPhuongくんに尋ねたところ、彼らは自由でより活動的な環境に身を置き、有能なスタッフには出世が約束される職場を求めるからだと説明してくれた。最近多くの若者の職場環境に対する意識の変化が現れている。これまでは、身内のコネを頼って就職を決めてきていたものが、己の実力を頼りに武者修行を繰り返し独自で進路を掴み取る風潮が出てきているのである。

 彼らの共通するものは、就職先での高い収入よりも、将来の独立に対する野心が深いことだ。ベトナムに進出してくる多くの外資系大手企業は最先端の技術や職務遂行知識を持ち込み優秀な若者たちはそれらをどん欲に吸収し、更なる高収入を得る職場への足掛かりとしている。
「昇給・昇進の機会をじっと待つより、駄目な企業はとっとと見切りをつけてある程度経験を積んだら転職するに限るね」と前出のPhuongくん。

 しかし一方に於いて転職回数が多すぎる人間を、企業は嫌う傾向にあるのも確かである。「ある求職者は面接時に、2年間で6~7回の転職し経験豊富だと自慢する人もいますが、実際問題として彼らの経験は転職回数のみで、各職場で与えられたタスクを如何に遂行し求められる良い結果を出してきたかと言えば疑問です」と外資系化粧品メーカーの代表Mai Van Phucさんはいう。韓国系衣料会社マネージャーのLe Van ThanhさんもPhucさんの意見に同調するひとりで次のように述べている。
「転職を繰り返す人々は、我々が与えた仕事に幸せを感じるかと考えると懐疑的にならざるおえません。それに直ぐに職を変えてしまうような人に対し、責任ある仕事なんて任せられません。企業の多くは求職者に対し、仕事を愛することができ、我慢強くやり抜く人材を求めているものなのです。」

 ただ、大企業と異なり中小企業では恒常的に優秀な人材不足に悩んでいるため、このような優秀な“腰掛けスタッフ”の存在は短期であってもありがたいもので、彼らの存在が中小企業経営者の経営に対する姿勢を変えさせているとも言えるのだ。彼らの意見を採り入れ、給与体系や管理システムの見直しのきっかけとなっており、優秀な人材を惹き付けようとする努力に繋がるからだ。転職はあなたのセルフモチベーションの高さ、現在の状態に順応する適応力を発揮し、次なるステップへ導くかも知れない。が、しかし、時間には限りがあるもので、どちらが良いという問題ではないが、そのことを充分に理解し計算に入れた上で行うべきであろう。

(辛口寸評)
更に上を目指しての転職は大いにすべきである。但し、それぞれ所属した企業で結果を残し、それを勲章としての転戦であればだ。筆者も経営者として面接に携わることが多いが、書類選考の段階で、正当な理由なく最低ひとつの会社で2年以下の職歴しかない者 加えて、極端に相場と懸け離れた給与を求める者は落とすことに決めている。確かに、企業の発展を図る上で、優秀な人材な喉から手が出るほど欲しいし、本当に期待通りの仕事をこなしてくれるのであれば、筆者の給料以上出しても構わないと考えているが、転職回数の多い者は所詮、銭だけのつきあいで、記事のコメントにもあったように安心して責任ある仕事は任せられないのだ。
ベトナムに限らず、どこでも経営者は自社の人材難を嘆く向きが多い。ヘッドハンティングに因って一過的にそういった人材が手にはいるかも知れない。しかし、人材難を嘆く前にこれらの経営者が、自社の持ち駒である社員の能力を有効に出し切っているのか、或いは育てようと努力しているのか、それを今一度、胸に手を当てて考えて欲しいのだ。必要な人材は経営者が手塩に掛けて育てるのがどこまで行っても本筋ではなかろうか。弊社でも多くの人を採用しまた多くの人が去ってゆく。理由は千差万別であっても、筆者が常に思うのは自分の経営者としての魅力のなさに起因しているに間違いなく、辞めてゆく社員を責めるのではなく何故彼らは僕を見限ったのか反省し、次の活かすことにしている。

1月18日(水) ホーおじさんコレクション♪
* Soc Trang省在、お百姓さんのNguyen Van Nhungさんには彼独自のホーおじさんへの尊敬の仕方がある。Nhungさんは800点以上のホーおじさんに関する絵画や書類を収集しているのだ。1969年9月初旬、当時11歳だったNhungさんは祖母の家に出掛けると、祖母が大切そうに一枚の写真を胸に大切そうに眺めていた。写真の男性を訪ねると「彼がホーおじさんよ」と優しく教えてくれたのだった。1975年サイゴンが解放されると、徐々にNhungさんはホーおじさんが誰で、何故、ベトナムの人々が深く彼の事を敬愛して止まないのか判ってきた。以来 彼のホーおじさんに関する収集が始まったのだ。

 風変わりな自転車に跨り、図書館や役所、それに新聞社に通ってはホーおじさんの資料を買い求めたり時には既存コレクションと交換したりして集めて回り、どうしても手放してくれない貴重なものはコピーをさせて貰ったり、絵画などは画家を雇って描かせたりしたのだという。毎年、ホーおじさんの誕生日には家中をNhungさんはホーおじさんコレクションで飾り付け、ベトナムの偉大なリーダーの誕生日を祝うのだ。Nhungさんは暇を見つけると、こつこつコレクションの整理に時間を掛ける。

 何年か前 Soc Trang省文化情報課主催ホーおじさん生誕記念展示会の際、殆どの展示された写真にはキャプションがなかったが、Nhungさんの膨大な資料による知識の裏付けから、それぞれの写真がどのようなシチュエーションで撮られたものか理解するのに大いに役立った事があった。展示会に集まった人々は口々にNhungさんの博識を讃え、文化情報課は彼に6枚のホーおじさんの絵を贈呈した。コレクションを始めて既に30年の歳月が流れ、彼の収集品は800枚以上の絵・写真 ドキュメントなどの資料は数千枚に及ぶという。彼の収集品は多くの人々の知るところとなり、近隣のBac Lieuからも問い合わせの手紙が届くほどだ。

 藁葺きの自宅スペースの半分以上が収集品の保管に当てられているNhungさんの家はCau Lo川沿いにあり、全てのコレクションは大切にラミネート加工が施されている。本当は、ちゃんとしたケースに保管したいのだが、そこまでの資金的余裕はなかった。噂を聞きつけたホーチミン市行政局は、Nhungさんの貴重な収集品保管の為に家を新築し真新しい保管庫を贈ったのだった。加えてホーチミン市や近隣の省の住民たちからホーおじさんの資料が送られるようになった。善意の人々の厚意はNhungさんのコレクションをより厚みのあるものにしており、Nhungさんは貧しいながらこれからもそんな人々へ感謝の意を込め、ホーおじさんの収集に努力してゆきたいと微笑んでいる。

(辛口寸評)
この世には様々な蒐集家がいるが、ホーおじさんコレクターといえばやはりベトナムならではであろう。好きこそ物の上手なれではないけれど、収集品が溜まり知識が深まったお陰で、無料で新しいお家をゲット出来ただなんてまさにホーチミン氏を偶像化してしまったベトナムならではのことだろう。聞き伝えではあるが、生前 ホーチミン氏は、死んでも祭り挙げるようなことはしないで欲しいと後進の指導者たちに遺言を残したそうだ。しかし、後進の中には彼のように傑出した人材はなく、また、だからこそ故、ホーチミン市をベトナム国家の象徴に据え、その下で後進のリーダーたちは権力を分散し合議制を主軸とした指導体制を築く必要があったわけだ。経済発展著しいベトナムではあるが、天国のホーチミン氏は、どんな気持ちでこの風景を眺めているのだろう。時にやるせなくなるのではないだろうか、、、。

1月19日(木) 鳥インフルエンザの現状と日本のマスコミ
*  ハノイ市動物健康課の報告に因ると、いくつかの鳥インフルエンザ感染地区は徐々に鳥インフルエンザ安全宣言をし始めているものの、引き続きウイルス発生には注意深く観察して行かなければならないとしている。安全宣言をする為に各感染地区は21日間、家禽に新たな感染がないことが条件であり、今のところ安全宣言を行った省は北部6省だが、WHOの定めた21日間安全宣言基準期間にHa Giang省、Nghe An省、Quang Tri省、Cao Bang省がこれに続くと見られている。

 昨年10月に鳥インフルエンザが再発した際、党中央鳥インフルエンザ防止・管理常任委員会は各自治体と一体になってその拡散防止に全力を投入し、全家禽類に大々的にワクチン接種を行い感染拡大を食い止めようとしたが、失敗に終わった。そこで党委員会は政策を変更し感染地区の家禽類凡そ400万羽を10月から処分したのだった。また、市動物健康課に因れば、10月以来、殆どの自治体で二回目のワクチン接種を完了しているという。

 鳥インフルエンザの拡大が止まったことにより、食用家禽の重要が高まりを見せ始めホーチミン市郊外の養鶏業者は養鶏再開を求めているのだが、ホーチミン市人民委員会鳥インフルエンザ防止・管理委員会副委員長Nguyen Thien Nhan氏は、未だ禁止されている養鶏が小さなスケールで行われていることに難色を示している。Nhan氏は市内各地区の人民委員会に対し、養鶏禁止を徹底し続けることはもちろんのこと、違法養鶏の取締りを徹底するよう通達を出した。

 別の農作業に一過的に切り替えた養鶏業者を助けるために、禁止期間の事業支援補助金給付をホーチミン市人民委員会は発動した。給付対象者には3ヶ月間に6mドン(US370$)の他 2年間の特別融資10mドン(US620$)を年利6%で受けることが出来るという。また、職替えを余儀なくされた労働者に対しては失業手当を月額50万ドン(US31$)を支給し、職替えの為に最寄りの職業訓練校へ3ヶ月間通う場合は、その授業料を負担するとしている。加えて規模の大きな養鶏業者が市内からの移転を決めた場合 最大9年間、無担保・無利息の融資を行い、且つ100km以上市内から離れた場所に移転する場合、移転費用総額の10%が負担される。Nhan副委員長は今後とも市民に対する鳥インフルエンザの啓蒙活動を引き続き行うとしている。

(辛口寸評)
現在、ベトナムで鳥インフルエンザは小康状態といったところで、市民生活に大きな影響は出ていない。食卓でも普通に卵・鶏肉料理が並べられている。ただ、日本からの観光客数は例年に比べて減少傾向にある。これは日本のマスコミが、徒に読者の不安を煽ったからに他ならない。特に週刊誌辺りはその際たるもので、現地に出先機関も持たない癖に、東京の出版社の机上で少しでも雑誌の売上を増やすべく紙面をセンセーショナルに書き立てるからだ。マスコミに惑わされることなく現地情報や鳥インフルエンザ予防については、外務省の発表する鳥インフルエンザ情報を読まれること、それとこの週間ベトナムニュースをご参考にしていただくのが良いと思う。

1月20日(金) 秘・食品検査の実態レポート
*  ベトナム政府は先週より安全基準値に満たさず国内市場で取引されている食品の摘発を開始した。これら違法食品販売はハノイやホーチミンで常習的に行われているが、テト休暇を前にその販売量が増加する傾向にあるのだ。特にハノイでは不衛生な環境で生産並びに販売されている食品が店頭に並べられはじめており、食品衛生法違反で摘発された業者は、何度も同じ違反を繰り返す傾向にあるという。Ly Quoc Su通りの米穀店は、安全基準値を守らず販売をしたかどに因り、Hoan Kiem区保健所の査察を受け20万ドン(US12.5$)の罰金を科せられたものの、その後も改善されることなく、罰金を払いながら違反を続けているという。

 ホーチミンではクリスマスホリデー以来、数十名に及ぶ人々が食中毒で市内のCho Ray病院やSaigon病院に緊急入院する羽目に陥ってしまった。市内Hoc Mon区の食品検査官曰わく、テト商戦に突入することになると無許可の屠殺業者が操業を始め、とりわけ同区で摘発された最も大きな違反事例は二頭の牛と350キロに及ぶ牛肉をNguyen Van Dungが自宅で加工し市場に流していたものだった。ホーチミン市健康課主任検査官のNguyen Duc Anh氏は、今後も旧正月に向けて食品衛生法違反食品の集中取締りの強化をして行くという。

 保健省食品衛生課Chu Quoc Lap副課長は各自治体の食品検査官の要員不足に問題があると指摘した上で、現行50名の検査官を3~4チームに分けて対応をしているが、これで全ての食品検査をカバーするのは難しいという。加えて、これまで安全基準を満たしている業者に対し検査官が発給してきた安全証明書の取扱が別の部署に移ってしまった為に、実態調査をしてもその発給部署との現実乖離が生まれ、正確な行政手続きが行われなくなってしまっているという。故に安全証明発行は従来のように検査官の職務として戻すべきだと説明する。その上で、食品検査官にはこれまで以上の検査権限を与え、罰金や業務停止などの罰則をその場で与えられるようにすべきであると述べた。

(辛口寸評)
毎年、テト商戦が始まる11月を境に、地区の食品検査官が工場、つまり生産現場の視察にやってくる。しかも1チーム 弊社の小さな工場にも7~8名が雁首揃え大名行列さながらにやってくる。実際問題として、従業員50名程度の規模の工場に、このような大勢の検査官が必要かと言えば、答えは否だ。そもそも2人乃至3人もいれば充分対応出来る。何故、これだけ来るかと言えば、みんな小遣い稼ぎにやってくるわけで、検査官の査察といいながら、実際、資格を持った検査官は数人に過ぎず、残りは小遣い稼ぎの尻馬に乗って小遣い稼ぎにやってきた役所の仲間や下手をすると、検査官の親族や友人なんてことが良くある。
メーカーに対し、難癖つけ賄賂を要求してくるわけだ。その辺りは当然、メーカー側も心得ているので、一人頭幾らで予め心付けを渡す。ベトナムローカルのメーカーで叩いて埃が出ない企業は先ず99.99%ない!と断言できる。そもそも食品衛生法の中身自体が国際基準に基づいた(丸写しした?!)ものであり、それを厳密に守れるほどの体力を持った食品会社は存在しないと云える。それは例え株式を公開しているような大企業でも事は同じだ。検査官もこの時期、小遣い稼ぎに専念し、旧正月に備えるので、多少の事は賄賂で通してしまう。検査官の数を増やすより先ず、不正の温床となるような食品衛生法をベトナムの現実に即したものに修正・運用し、違反企業に対しては厳正な罰則規定を設け、そこから罰金を役人で分配して貰わない限り、いつまで経っても堂々巡りの繰り返しに終わるだけだろう。

1月21日(土) ホーチミン市新版商業取引投資促進プログラム
* これまでホーチミン市は、外国投資家を惹き付けるために優遇措置を提供してきたが、今年から投資計画を持ち込む可能性のある投資家に対しより詳細な優遇措置を提供してゆくという。ホーチミン市人民委員会副委員長のNguyen Huu Tinh氏曰わく、投資案件毎の詳細なインセンティブを盛り込んだ2006年度版商業取引・投資促進プログラムを今月中にも立ち上げるとしている。このプログラムから徐々に現行、投資誘致プロモーションセミナーなどで活用してきた手法を刷新し、外国投資家が興味のある投資先に対し直接、話し合いを持てるようにして行くとしている。従来の一般的な情報は既にメディアや関係官庁のウェブサイトから充分に対応できるので、より深くより直截的で投資家にとって有効な情報を速やかに与えられるようにするわけだ。

 産業分野に関し、ホーチミン市は今後ともセメント・電気・電子・機器製造技術分野の投資を呼び込んで行きたいとしており、加えてサービス業で必要な逓信・通信・金融・会計・IT技術の導入も積極的に図って行きたいと、Tinh氏はいう。投資の可能性が高い全てのプロジェクトは、投資家の所属地域先毎に各分野に分けられ、今年は北米・欧州共同体・中国・などがホーチミン市の主な誘致推進国として目標を定めている。これ以外の目標として、外国パートナーと組んだベトナム製品の外国への拡販を推し進め、同時に行政改革により一層拍車を掛け透明性の高い投資環境を構築して行くとしている。昨年、ホーチミン市は総額US945m$の直接外国投資の呼び込みに成功しており、対2004年度の20%の増加を果たしている。

(辛口寸評)
外国企業誘致インセンティブについては、ひとまず国が策定したガイドラインが設けられているものの、画一的なものであるため 昨今では各自治体が各々独自のインセンティブを設け投資家にオファーし始めている。これは政府にとって頭の痛い話であり、各自治体に対し指導を行っているもの効果はさっぱり上がっていない。なぜなら、国のガイドラインは各自治体の実情を充分考慮し、配慮なされて作られたものでないからだ。しかも、都市と地方のインフラの差は年々広がっているとなれば、同じ土俵で誘致を行いなさいという方に無理があるというものだ。
今回、ホーチミン市が纏めようとしている2006年度版商業取引・投資促進プログラムが、国の意向に沿ったものなのかどうかは筆者は知らない。ただひとつだけ言えることは、市のインセンティブは今後 欲しい産業分野だけに特化されてくるであろうということだ。既に、主な軽工業分野は充分に出そろっている感があるホーチミン市にとって、必要なものに手厚く そうでないものは進出を認められないという二極化が始まって行くことだろう。                       以上

|

« 次はムラカミ不安怒 ヵ? | トップページ | 負けたらアカン!「阪急電鉄」「阪神電鉄」の経営陣へエールを贈る! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース46号:

« 次はムラカミ不安怒 ヵ? | トップページ | 負けたらアカン!「阪急電鉄」「阪神電鉄」の経営陣へエールを贈る! »