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2006/04/01

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第56号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成18年4月1日 土曜日 第56号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflag_1 いつもお世話になっておりますベトナム ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その56 今週のヘッドライン

* 3月27日(月) 産まれた時からインターネット
* 3月28日(火) ホーチミン市民1000万人時代目前
* 3月29日(水) 化粧を始めたベトナム男
* 3月30日(木) 差別を克服して
* 3月31日(金) 第一四半期輸出超過と新たな摩擦
* 4月01日(土) ベトナム・ニューイメージを模索

3月27日(月) 産まれた時からインターネット
*今日、ノートパソコン(以下:ノート)を所有することは特に1980年代に生まれた世代の若者たちにとって、ひとつの流行になっているようだ。若手ジャーナリストのNguyen Hong Maiさんは最近、海外出張時にUS1700$のノートを手に入れたという。それは彼女が業務を遂行するうえで、必要不可欠な道具となっており、必要な情報収集ツールとして或いは、メールを利用したコミュニケーション媒体として役立っているのだ。彼女曰く、職場で遣り残した仕事を外のカフェで行なったり、出張中でも報告書の作成を可能にしてくれ、だからこそ彼女の仕事にはもはや欠かせない存在なのだと。それに職場を離れたカフェでお茶を飲みながら仕事をする環境は、作品に対する創作意欲を増すことになるのだと付け加えた。

80年代世代にとって、パソコンは多目的な用途を見せており、勉強はもちろんチャット・音楽鑑賞・ネットサーフィンなどお好みのものがそれひとつで自在に操作可能なのだ。この成長しつつあるトレンドは結果的に、都市部のハノイやホーチミンにネットカフェを次々とオープンさせる原動力になっている。昨年、ハノイのビジネス街Nguyen Thai Hoc通りに、アクアカフェがオープンした途端、ノートユーザーの人気スポットになった。カフェは毎朝、大勢の若者で賑わっているのは、多分、ここのオーナーがオンライン・トレーディングの専門家であることも起因しているのかも知れない。Quach Trung Kienくんもノートユーザーのひとりで、自慢のノートを移動オフィスとして活用するほど。既に、彼のノートは充分に元を稼いだという。今年28歳になるセールスマンの彼にとって一日8時間の就業時間だけでは新商品の情報収集するには不十分だそうだ。

新型デスクトップパソコンの価格は、中古ノートと大よそ同じ金額で購入する事が可能な為、学生や一般のサラリーマンが購入対象者になる。然し、外資系企業や国営企業で働き割合高額な給料を手にすることが可能となった若手ホワイトカラーにとってノートを所有する事はもはや夢でなくなった。高級ブランド製ノートの価格帯は、$1,500 ~$2,500、国産の FPT Elead,・Vinacom,・Robo それにCMS Sputnikなら幾分、安く求めることができるという。そんなわけで国内メーカー各社は廉価な中古品を集め拡大する需要に対応しようと動いている。若い世代にとって、ノートを持つことはモダンライフを行き抜く上で大切なのだと、Kienさんはいう。
Kienさんや Maiさんのような若手ビジネスマンにはノートは、仕事であり、娯楽であり、且つ組織であり、人脈構築の源泉とまでなっているのだ。

ただ、とあるショップオーナーのNguyen Van Hungさんに言わせれば、大多数の若者にとってノートは単なる見栄張り坊の玩具でしかないらしい。
本人もそのひとりと自覚している様に、東芝製ノートの他、有名デザイナーズブランドに身を包み、乗っているバイクは本田のデイラン125とのこと。
3年前まで1970年代前半に生まれた世代にとって、ノートは奇妙で新しいものだった。しかし、今日、80年代生まれの者たちにとっては、ノートを仕事に遊びに使いこなすなんてのはもはや当たり前化しつつある。これらの若者たちが明日のベトナムを担って行くのだと思うと、おじさん世代の記者にとっては感慨もまたひとしおな今日この頃だ。

(辛口寸評)
ベトナムでノートを使う人々はまだまだ少数派に限られる。しかし、中心部へ行くと普通のカフェなどでこれ見よがしにそれを開けているのは最近、良く見掛けられる傾向である。確かにLANで繋がったインターネットカフェもこのところ至るところでオープンしているものの、聞こえて来る話はろくでもないのが多い。例えば、そこが一種のオンライン・鉄火場化し、マフィアも絡んで借金の形に不動産を取られたとか、金を強請られたとか 特にウィンドウズカフェが危ないと聞いている。尤も記事の文中に出て来たようなビジネスマンが仕事に娯楽に利用している人たちも出て来ているのだろうが、少なくとも、世間一般のベトナム庶民の目はネットカフェに対し、不良が集まる場所として白眼視している事を憶えておいて損はない。

さて、私事で恐縮だけど、このところ若い世代が自由にパソコンを扱う姿を見て、我ながらジェネレーションギャップを感じるようになった。つい最近も自宅で今年8歳になる娘が「お父さんのお絵描きしてあげる」と言って来たので、喜んでイスに座ったところ、かみさんのパソコンのある部屋まで来てくれという。ついて行くと、器用にお絵描きソフトを使って絵を描いて行くではないか?!驚いて娘にどこで習ったの?と尋ねると学校だという。更に驚いた事に、インターネットの操作法も覚えており、それで宿題もこなしているそうだ。思わず唸ってしまった。正に、親は無くても子は育つ。生まれた時からインターネットをまざまざと実感した次第である。

3月28日(火) ホーチミン市民1000万人時代目前
*2010年におけるホーチミン市の総人口は1000万人を超えると予想されており、市都市計画課担当者たちは、今の開発計画だけでこの先、新たにホーチミン市ヘやって来る400万人の人口を維持出来るのかを疑問視しているという。市運輸交通課のNguyen Cong Minh氏に因ると、現在、急速に膨張しつつある人口流入に対し課の社会資本敷設事業の未計画事業への圧力が高まっているという。今回の発言は "2020年に至る人口増加と開発戦略事務レベル協議会" の席上なされたもので、Minh氏は人口増加は公害の増大を意味しており、このままでは近い将来、市民生活の向上は不可能になるだろうと付け加えた。「現在、ホーチミン市では自動車やバイクが烈しく行き交う中、600万人市民を擁し、空気は汚染され、騒音が引きも切らぬ有様なのだ。しかも、移転費用の高騰から、道路網の整備・拡張さえままならぬ状況なのだ」と氏は現状をうれいて述べた。

1998年に首相から承認を受けたホーチミン市開発計画では、2020年までに人口は1000万人を超えてはならず、既存の住民に対して十分な居住スペースを確保することが求められている。しかし、人口増加は止まる事を知らず、ホーチミン市が国内一の商業都市である以上、今後も経済的な理由による市内への移民は増え続けるだろうと、市統計課のLe Thi Thanh Loan女史は語る。1999~2004 だけでも、既に100万人の移民が流入して来ており、その数字は、1979 から1989年の10年間に流入した人数の倍となっているという。市統計課の試算によると、2010年のホーチミン市総人口は720万人に達し、2020年には1000万人を超える。これは定住者のみをカウントしたものであり、季節工や観光客は含んでいない。

ホーチミン市都市計画課副課長Pham Thi Thanh Hai女史は今後、流入する人々を新しい政策を策定したうえで、市中心部から郊外の新しく整備された区域や工場団地近郊に誘導して行くことが大切だと訴える。加えて、現在、市内に存在する12の区で対応できる最大数は現状の600万人が限界であり、定員オーバーであるとHai女史は語った。建築家のTruong Trung Kien氏は、人口増加に対応する為、当局は住居の高層化に焦点を当てて行くべきだと示唆する。高層化すれば、住居スペース問題は一気に解決に向かう、それらのなかで社会資本の集合的な設置が進められれば、市の経済的負担も抑制される筈だという。長期的視野に立てば、市行政当局はマニラ市やジャカルタのように衛星都市化を模索して行くべきだと、市郊外開発研究所のNguyen Dang Son副所長はいい、特に市北西部のCu Chi、それにCan Gio地区及び二区のThu Thiem 地区のような地域を増やして行くよう努めるべきだと添えた。

(辛口寸評)
一人が都会にやって来て、その二年後にはその家族を呼び寄せるのがベトナム人である。何分、田舎にいるよりも企業が多く存在する街では、仕事はいくらでもあるし、田舎で野良仕事をする何倍もの稼ぎが転がり込む。
しかし、現状、市中心部は既に飽和状態にあり、郊外へのドーナツ化現象も見られる。ところが、バス路線などはかなり整備されたものの、鉄道や地下鉄といった公共交通機関の整備は立ち遅れ、とても通勤の足と成り得ない。
結果として、バイク通勤可能な市内へ定住する事になるわけだ。

兎も角、人の自由な行き来を政策によって抑制することがあってはならない。古くから住む市民だけが既得権益とばかりに胡坐をかいていててもいけない。複雑な所有権の権利が絡むだろうが、特にフランス植民地時代の名残を残すような中心部にあっては、これ以上美観を損ねるような高層ビルは止めてもらい、それ以外の一戸建て個人住宅に住む人々用の集合住宅を建てて行くようなことも考えられる。尤も、新市街地の形成が可能ならば速やかにそれに焦点を当て行動に移してゆくのが最も、効果的で誰しもが納得行くのだろうが、はてさてどうなることか。。。

3月29日(水) 化粧を始めたベトナム男
*異性からより良く見られることに加え、最近、メディアでやたら宣伝される男性化粧品の効果からか、ベトナム人男性は自分たちの外見(肌・ヘアースタイル・ファッション・フィットネス)に関心を持つ様になってきた。多くの男性諸君が喜んで月額500万~1000万ドン(US350~700$)のお金を歯のホワイトニング治療・服飾・ジムメンバーシップニ費やし、サラリーの10~15%を整形手術やスタイリッシュなヘアースタイルにかける事を厭わないという。その多くが歌手・モデル・役者だったのだが、このところその対象がビジネスマン・弁護士、その他の専門職の人々へも波及しつつあり、所謂、ボディーコンシャスに気遣う層が出現して来ているのだ。

保険会社で働くTuan Hungさんは20着のスーツ、16本のネクタイ、30枚のYシャツ そして9足の靴を所有しているが、それも彼の同僚と比べれば取るに足らない数だという。その同僚は常にベトナムで手に入れることが可能な最新ファッションに身を包んでいないと気が済まない性格らしい。会社経営者Anh Dungさんは、つい最近1500万ドン(US1050$)のウェイトトレーニングマシーンを購入したことが物語るように、このところ多くのベトナム人をハノイ市内の高級ホテル内に併設されたジムで外国人料金を支払ってフィットネスに勤しむ姿を見掛けるようになった。「高級ジムでのトレーニングは僕を癒してくれるんだよ だから僕にとって無駄遣いとは思っちゃいない。それに爽快感とおまけに健康な身体も作れるしいうことないです」と語るのはインターネット・プログラマーのHaiさん。

美容サロンやスパでも、最近、男性客の利用が高まっているという。既にベトナム人女性たちは男性にさきがけ美に磨きをかけて来たが、男性は新たに到来した消費文化に後押しされるような格好での参入といえるだろう。
商売で成功を収めたビジネスマンNguyen Trungさん曰く、彼の持ち物は車から服装・外見に至るまで彼のキャリアにとって重要な要素をなすものだとする。
ハンサムを自認するVo Toan Thang さんは、ルックスの良いことが彼の仕事マーケティングを行うのに重宝しているという。モデルのTrung Dungさんは、歯のホワイトニング治療と美白を施術して貰ってから仕事が増えたそうだ。

ではこれらの男性諸氏に対して、ベトナム人女性はどのように見ているか伺ってみよう。「私は旦那が酒やタバコにお金を使うよりもショッピングに出掛けてくれたほうがいいわ」と銀行OLのLanさん。ベトナムの多くのテレビ番組では、既に身嗜みに気を遣わない男性を皮肉った題材を取り上げているが、女性の目から見ても、男性は身嗜みが良いほうが好感が持たれるようだ。ある男性経営者曰く、彼が男性社員を採用するさいのポイントは外見がよくマナーを如何に弁えているかで決めるという。今日、男性達は女性用化粧品を使う必要がなくなったのは、一重に男性用化粧品が、ベトナムでも求められるようになったからだ。ホーチミン市に拠点を置くデボン化粧品のHoa Phuong さんの話に拠れば、現在 市販されているベトナム国内の化粧品の内、実に10%が、男性用だといい、その要因としてベトナム人男性の収入の増加とともに、服飾・化粧品、その他のハイエンド商品にお金を回せる余裕が出来てきたことを挙げる。

とは言え、保守的なベトナムでは化粧をする男性に対する見方はまだまだ厳しいものがあり、なかなか表立って堂々と化粧する風潮は一般的に根付いていないのが実情だ。実際、美容サロンにも男性客の予約は増えてきているものの、恥ずかしがって予約時間に現れない客もしばしばあるようだ。「肌の質を向上させたいとは思いますが、知り合いにサロンに通っている事がバレルのはね~」とスパ利用者のHungさん。整形手術センターの医師達も、Hungさんの言葉を裏付けるように、多くの患者は彼らが整形手術を受けたことを他人に知られたくない傾向にあるという。このような古い考え方は確かに西洋でも50年前には存在していた。しかし、今日、アメリカンだろうがヨーロピアンだろうが気にする人はいない。要するに程好い化粧である事が肝心なのだ。恐らくベトナム人男性の化粧が一般的な嗜みに落ち着くまでには未だしばらく時間が掛かるだろうが、外見に気遣わぬ男性諸氏に一言いうとするなら、何も経済や政治改革だけが現代化の全てではないってこと
だ。

(辛口寸評)
「おいおいベトナム人男性諸君、君たちもかよ」というのが、筆者の今の偽らざる心境だ。チョッとばかり金回りが好くなったからといえ、こんな方に走っちゃいけない。日本でも普通のサラリーマンがエステに通っているといったニュースを耳にするけど、どんなに古い石頭といわれようが、服飾は未だしも大の男がチャラチャラ顔にファンデーションを塗りたくるなんて想像しただけで、吐き気がする。尤も、商売上、やむおえず化粧を施す芸能人やホスト、セールスマンなどが客に好印象を演出するための小道具であるとしたなら、それはやむおえないが、普通の男性がそれをするのは全く頂けない。
基本形として男は素のままで勝負すべきで、誤魔化してはいけないのである。

その昔、学生時代、筆者は部活で相撲に明け暮れた時期があった。ただでさえまわし姿は、女子高生の目に奇異に映るのに、加えて臭い。全てだとは言わないまでも下心のあるクラスメイトは、テニスだとかバレーボールだとか野球に青春の汗を流したが、そんな奴等を低く見て女子高生が鼻をつまんで土俵の脇をすり抜けようと、後輩がだみ声で「先輩ファイト!」と叫ぼうが、ひたすら土俵の中を這いずり回ったものだ。元大相撲上がりの社会人指導者が、性病保菌者でそれを知らず胸を貸してもらった際、土俵で腕を擦り、そこから病気が感染し、皮膚科に見せたら医者から、「きみ~ 珍しいな~ 腕がヘルペスだよ」と言われた時はさすがに仰け反ったものだが、それでも汗とまわしの黴臭い毎日を体の鍛錬に明け暮れたものだ。そのお陰で、今は10人並以下の風貌でも、女性に対する押しと突っ張りでは人後に落ちないでいる。
ベトナム人男性もちゃらちゃらせず、正攻法で自分の魅力をアピールしていって貰いたいものだ。

因みに、女性が愛用する化粧品。特にファンデーションの類等は、聞いたところによれば、その成分は、あの靴を磨く時に使う靴炭とほぼ同じだそうだ。
かみさんに面と向かってこのことを言う勇気は筆者にはないのだが。。。

3月30日(木) 差別を克服して
*数千人のベトナム中から集まった子供たちの参加によって "世界の子供の為の人権大賞" の投票が行われた。ハノイのPhan Dinh Giot小学校から参加したThai Thi Ngaちゃんは今回、二度目の選考委員に選ばれた。Ngaちゃん自身、枯葉剤被害者のひとりで、ベトナム戦争の後遺症に苦しんでいる全てのベトナム人の子供たちの代表だ。彼女の父親もまた戦争中にダイオキシンを浴びた犠牲者なのだ。むろん戦時中、Ngaちゃんはこの世に存在していなかったものの、父親から二次感染してしまったというわけなのだ。彼女は体中の皮膚に茶色の発疹が現れる症状に冒されている。小さな頃から、彼女は除け者にされたような負い目を持って生きてきた。他の元気な子供たちは彼女が登校して来ると、化け物呼ばわりをし、怖れ、仲間外れにしたという。そんな醜い自分自身が恥ずかしくて登校拒否に陥ったこともあるそうだ。そんなNgaちゃんを勇気づけ慰めたのはたった一人の親友Huongちゃんだった。Huongちゃんが居なければ、彼女は一生学校に戻らなかっただろうと回想する。

ある日、Ngaちゃんのクラス担任がクラスパーティーを開くと生徒に告げたので、彼女はそれに参加するためお金を貯めることにし、その額はクラス中で一番の金額だった。Ngaちゃんの夢は他の子供たちと元気一杯遊ぶこと。そして彼らが彼女の置かれている立場に理解を示してくれることだった。しかし、パーティーが始まるとクラスのみんなは彼女が用意した菓子やフルーツを受け取るとさっさと彼女の元から去っていってしまったのだ。彼女の環境がガラリと変わったのはそれからしばらくして故郷Nghe An省からHoa Binh 省に移り住んでからのことだった。ここでは多くの救いを必要とする子供たちに、救いの手が差しのべられていた。同じような境遇の子供たちと一緒に生活する様になったNgaちゃんは、次第に自分自身に対する自信を取り戻して言ったのだった。環境の変化は更に続き、2005年度の世界の子供の為の人権大賞の選考委員に任命された。彼女はこの賞について、次のように語る「受賞は名誉なことです。このフォーラムでは子供たちは様々な思いや考え方を人々に訴えることが出来る一方で、大人たちはそれを直に耳にし、将来のよりよい計画に繋げることが出来るのです」と。。。

2005年度のイベント終了後、Ngaちゃんは正式にPhan Dinh Giot小学校に迎え入れられ、教師や健康なクラスメイト達から愛情を受け勉学に勤しんでいる。
彼女の友人は、Ngaちゃんに今回のイベントで参加する他の子供たちへ、ベトナムの子供たちは世界の子供達が与えられた権利を喜び楽しんで欲しいと思っているって伝えてと頼んだという。今回のイベントではNgaちゃんと共に、約1万人のベトナムの子供たちが出席し、そして投票することになっている。ベトナムは2000年より、スエーデンのセーブ・ザ・チルドレンの支持のもと世界子供人権プログラムに関わって来ている。

(辛口寸評)
子供は残酷なものだ。その愛らしい瞳をして口元から出てくる言葉は他人の気持ちを斟酌せず、ついて出て来る。そういう筆者だって子供の頃はそうだった。大人になって世の中の事が多少見えて来るようになると、口をつむぐ。特に本人の関係のないところで起こる身体的差異よって差別するのはまったくナンセンスであり、良くない(もちろん筆者がハゲで短足でデブの三重苦を患っているからいうのではないが・・・)社会的動物である人間は群れる。群れる中で他との差別をしたがるのは致し方のない事かも知れない。しかし、それらの多くは何ら根拠を持たぬことも事実である。例えば、部落問題・在日朝鮮人問題・ハンセン病患者などがそれに当たるだろう。科学的な根拠は全くなく、古い因習だけが差別感情を生み出しているといえよう。

しかしながら、当事者の人々の中に既得権益に固執し且つ、食い物にする不届き者が少なからず見受けられる事には断じて異を唱えてゆかねばならないと思う。例えば、何も知らずに旅行先の町の入り口などに大きく、「差別のない社会を作りましょう!」などといったデカデかとした標語を見かける事がよくある。
普通の人はこれを見てどうおもうか、これを立掛けた人達は理解しているのだろうか?!筆者にすれば「ここは部落ですよ」と宣伝しているようで、返って垣根を造っているようにしか思えない。

次に在日問題では、様々な在日特権なるものが、一般の日本人の知らないところで多数存在し、数々の優遇措置が与えられている。それで、日本に税金を納めているから選挙権を寄越せとまで言う始末。彼らは日本へ強制連行されてきたなどと声高に訴えてはいるが、その実態は殆どが、自分たちの意志で日本へ渡って来た人々なのだ。選挙権が欲しいのなら先ず、これまでの特典を帰化する事で放棄し、正式な日本人になってから物申すのが筋であろう。おまけに、韓国では今も当該国に住む外国人に対し署名・捺印を義務付けている。
本末転倒とはこの事ではないだろうか?教科書問題もそう!中国同様 先ず自国の歪な歴史観を客観的に見直してから、物言いをつけて欲しいものだ。所詮、国が変われば、自ずとその歴史観は180度異なるものなのだから。

最後に、ハンセンシ病患者に対し、二年前になるだろうか。熊本の温泉旅館が、患者団体の宿泊拒否をした事により、閉館に追い込まれた。確かに、旅館の対応に問題はあっただろう。しかし、非を認め頭を下げたからにはそれを許してやるべきだったのではないだろうか?閉館に追われ苦しんだのは経営者たちだけではない。それによって、大勢の罪のない従業員たちが職を追われた。
彼らの生存権、人権を剥奪したのを彼らは気づいているのだろうか?一時、閉館に追い込むことに因り、関係者たちの溜飲を下げることは出来ただろう。だが、これを見た多くの普通の日本人の目に彼らの行動は傍若無人に映ったことだろうし、触らぬ何とかに祟りなしの思いを一層強くさせただけだと思うがどうだろうか?

本日の寸評は、大いに飛躍してしまったが、サイレント・マジョリティーとして、日頃から思うことを書いた。いずれにしても差別が新たな差別を呼ぶことを忘れてはならない。しかし、区別は当然あっていい。一生懸命頑張った者が浮かばれ、そういう人々が個人ではどうにもならぬ事情を持つ人々への助けになる。そんな社会の到来を筆者は望んでいる。

それはそうと最近、友人から藤原正彦氏なる数学者が著した、話題の本「国家の品格」を読むように奨められ手にしてみた。なるほどと納得させるだけの論拠が平易に書かれてあり、読み応えが確かにあった。100万部売れたと言う事実は、この日本で如何に多くの日本人が、日々の暮らしの中でおかしいと思いながらも、これまで知らずに素通りしてきた現実を見つめ直すに丁度良いお奨めの一冊である。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101416/503-4247969-6633537

3月31日(金) 第一四半期輸出超過と新たな摩擦
*統計局の発表に因ると、3月のベトナムの輸出超過は、好調な輸出に支えられたことに加え、今年初めからの微弱な輸入量の伸びによって、引き続き拡大基調にあるという。対前年同期と比較して輸出は20.3%の伸びを見せ、ここ3ヵ月間でUS8.57b$に達した。これに対し輸入は僅か1.9%増のUS8.51b$で、第一四半期の結果は差し引きUS56m$の輸出超過となった。第一四半期の国内石油関連製品の生産量は4.19mトンと10.4%に留まったものの、国際的な石油価格上昇に支えられ、収益率は16.1%上昇し、US1.99b$を稼ぎ出した。

衣料関連産業の収益は、アメリカ・日本・欧州共同体で新規顧客が増大したことによりUS1.24b$で31.2%増。シューズ・海産物・電気製品各関連業種もベトナムの輸出に貢献し、それぞれUS382m$からUS816m$の増加をもたらした。全体からみれば慎ましやかなUS261m$の収益しかなかったゴム生産であったが、伸び率100.1%はすべての産業の中で最も高い数字を示している。外国ビジネスが絡んだ第一四半期の輸出額はUS5.03b$で25.1%の伸び。その一方 ローカルビジネスが、US3.54$で14.1%の数字を残している。

自動車輸入は48.2%減少し、総額はUS122m$に過ぎなかった。エコノミストに因れば、この原因は国内自動車市場の動きが、政府が許認可を与えた中古車輸入政策を模様眺めしようとする市場の買い控えがもたらしたものだという。鉄鉱石・鋼材・工作機械・石油・化学肥料・糸・生地・木材輸入も第一四半期では減少したとのこと。

(辛口寸評)
今年第一四半期のベトナムの成績が発表された。相変わらずいきいけどんどんで好調な伸びを示しているようだ。恐らく年内一杯、この基調は続くことだろう。しかし、心配なのは記事最後のパラグラフの中でも触れられている中古車輸入だ。これによって引き起こされるであろう事象は、先ず、国内の中間層が、これら輸入中古車に魅せられ購入が加速するであろう。その一方で既に国内に存在する11社の自動車メーカーの新車販売にブレーキが掛かり、消費の落ち込みスパイラルに入る。当然、各メーカーは自動車生産者組合を窓口にして政府に対し、一定の圧力を加えることとなるだろう。

ベトナム政府は中古車に300%の関税をかけ、国内新車との価格差が広がらないように配慮を盛り込んではいるものの、元々中古車輸入に踏み切った経緯が、お手盛りの錬金術に過ぎないことは以前、書いた。300%といっても抜け道は潤沢に用意してあるだろうし、まともにそれを支払わされるのは、極一部のコネのない者だけだろう。というわけで、外国との貿易摩擦以前に、国内の自動車メーカー各社と国との摩擦の方がより心配になる。

と、そんなところに中古車に対する関税率が決まったとのニュースが舞い込んだ。それに拠ればなんと600%だという。自動車メーカー組合は一安堵しているというが、政府も十分、組合に配慮を利かせた措置を施したものだ。尤も、組合からの相当な圧力と抵抗がかけられたことは想像に難くないものの、今後、しばらくの間、目が離せないホットな話題である。それにしても、600%と聞いて、密かにチューンナップされた中古の左ハンドルRVを横須賀のパートナーと組んで日本から輸入しようと計画していたのだが、その目論見はひとまず費えてしまった。

4月01日(土) ベトナム・ニューイメージを模索
*ベトナム人の中でも特に若者は、ベトナムを世界に紹介する国家プログラムに参加することを推奨しているという。「ベトナム市場調査への道」と名付けられたこのプログラムはベトナム国内の様々な階層の個人や団体が持つアイディアや国家建設の礎となる効果を期待して、推し進められているのだ。プログラムは、ホーチミン市に拠点を置く、Tuoi Tre新聞社(新聞・若者)と広告会社であるVietnam Marcom社・Future One社、そしてGolden Event社が共催し活動をしてきている。

今回は今週、Tuoi Tre新聞社より立ち上げられ、国会外交委員会副委員長Ton Nu Thi Ninh女史曰く、ベトナムは今 機会に満ちあふれており、国内外のベトナム人はこの機を逃さず国家の発展に寄与して行くことが大切であり、プログラム参加者、その中でも特にビジネスマン並びに様々な商業団体は、それぞれが持つ技能や経験を活かし、前向きなベトナムのイメージを個人の利益の追求にのみ役立たせるのではなく、国家の為に活用させて行くことを希望すると発言した。

ベトナム商工会がこのプログラムのスポンサーをかって出ており、文化・商業・観光・スポーツとバラエティーに富んだ内容を包括・提供する。プログラムの立ち上げに当たって先ず、開催される分野は市場調査・写真・絵画で、競技形式で今月から賞品付きで行われる。市場調査コンテストではベトナム観光地を創造的解決法でプロモーションする競技部門に加え、外国投資発揚やベトナムのトレードマークの創造を審査の対象基準に置くとのこと。その一方で、絵画・写真コンテストでは、ベトナムの今日の表情や印象を題材にした作品を募集し、多くの芸術家の参加を希望しているという。

「ベトナム市場調査への道」は未だ始まったばかりにも拘わらず、既に国内の多くの若者たちを惹きつけているいるという。「私たちはプログラムを開催することによって、多くの斬新なアイディアがもたらされ、祖国の為に働くことが大切なのです」と語るのは、民間旅行会社をホーチミン市で営むTruong Thi Hoaさん。観光業に身を置く今年28歳のHoaさんは、国家のトレードマークを作る重要性を認識しており、WTO加盟を控え全てのベトナム人は世界に対しベトナムが平和で躍動的で発展途上にあることを発信して行くことは義務であるという。

Hoaさんのような経営者でない、一ワーカーのTran Minh Thongは最近までWTOにベトナムが加盟する意義や世界の商業傾向などといった難しい話は他人事くらいにしか考えていなかった。しかし、これまで過去のベトナムのイメージは戦争と抵抗であり、経済・社会発展のイメージチェンジを図って行かなければならないという。彼にとって自身の仕事にベストを尽くすこと これ即ち国家への貢献となるのである。このプログラムの興味のある方は是非 次のサイトを訪問されたい。

http.//www.tiepthihinhanh-vietnam.org.vn

(辛口寸評)
ここ数年、日本などでは、ベトナムを紹介するテレビ番組が増えたため、ベトナムのイメージは陰鬱な戦争や戦争被害者などの負の遺産は概ね解消されつつある。ところが意外と近くのアセアン域内の国々でのベトナムの印象はまだまだ解消されていない。個人的な話で恐縮だが一例を挙げると、タイの友人(女性)が昨年、医者と結婚した。そこで筆者が是非、ハネムーンはベトナムをと勧めると、彼女ばかりか未来のご亭主までも揃って怪訝な顔をして「地雷が埋まっていると聞くが大丈夫か?」と真顔で訊いてきた。もちろん、そんなものはとうの昔に撤去され、安全は保証するよと応えておいたが、結果的に双方の家族が「危険なベトナムは行くな」と反対され、ベトナムへ来ることはなかった。

ベトナム自体、これまでクチトンネルや戦争博物館を挙げるまでもなく、確かに観光分野では、「戦争」をひとつの売り物にしてきた。いや観光資源が整備されていなかったのだから、それしか売り物にできなかった現実がある。いずれにせよ、ドイモイが始まり既に20年近くになる今日、ベトナムは国家を挙げて新しいイメージ作りを模索しているようだ。

以上

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