12年の月日、4383日が過ぎました。
あの日から、4383日が過ぎました。
あの日の朝は、寒い朝でした。
何日か過ぎ、冷たい雨が降り注ぎました。
雨は、被災者の躰と心を冷やし続けました。
温かい、火がほしい。
躰と心を温める火がほしい。
一人では、生きていけない。
一人では、決して生きていけないことを知りました。
助け合う、助け合わなければ生きていけない。
水が必要でした。水がなければ生きていけない。
「水、あるよ、使こてエエよ、けど、ポンポン気ぃつけてなぁ~」
ゴミ、どうします。
ゴミなぁ~。
トイレ、どうします。
エライことになってまっせぇ~。
そうやなぁ~。困ったことになったなぁ。
「お腹空いたぁ、何か、食べるモンないのぉ」
「アラヘン、いまは、アラヘンさかい、辛抱しぃ」
「そんなこと言うても、お腹空いたもん」
「寒い、寒い、体育館の床は寒いからイヤヤぁ」
「そんなこと言うても、いまはどうにもならへんねさかい、辛抱しぃ」
「イヤヤ、もうイヤヤぁ」
「なんで、こんなめに、合わなぁイカンのぉ」
そんなこと、言われても。
生きていかなアカンのやぁ。
生き抜かな、アカンのやぁ。
いまは、辛抱しぃ。
やがて「いつか幸せを運びたい、いつか幸せを届ける側になりたい」と多くの人は考えた。生き抜けたことに感謝し、無くなられた方の尊い生命の分も、正しく受け継ぎ、決して風化させることなく、生命を繋ぐことができた者として大切に生きなければならないと思います。
また、お寄せ頂きました、数々の手厚いご支援ご厚誼に深く感謝申し上げています。昨日から神戸へ戻っています。今日のブログは神戸からです。
引用開始→ 命の重み、刻む1・17──阪神大震災から12年 (日経NET)
【2007年1月17日】
犠牲者の冥福を祈り、竹灯籠に火をともす女性(17日午前、神戸市中央区の東遊園地)
6434人が犠牲となった阪神大震災から12年を迎えた17日、被災地では地震発生時刻の午前5時46分を中心に数多くの追悼行事が行われ、鎮魂の祈りに包まれた。参加者らはかけがえのない命を奪ったあの日の教訓を忘れず、防災と「減災」の誓いを改めて胸に刻んだ。
神戸市や市民団体が主催する「1・17のつどい」は、午前5時から市役所近くの「東遊園地」で始まった。前夜から降り続く雨の中、集まった1人ひとりが、ろうそくを竹で囲った竹灯籠(どうろう)に点灯。「1・17」の文字をかたどった竹灯籠が、人々の顔を照らした。
その数は、震災をきっかけに病死するなどした「遠因死者」も含む6610本。昨年より15本増えた。
参加者らによる黙とうの後、矢田立郎市長が「去年も国内では竜巻や集中豪雨などの大災害が次々発生した。大切な命を守るため、私たちが震災で得た経験や教訓をより多くの人たちに伝えたい」などと話した。
正午前からは総合防災施設「人と防災未来センター」(神戸市中央区)で県などが「ひょうご安全の日 1・17のつどい」を開催。井戸敏三知事が「震災の復旧、復興の過程で芽生えた災害に備える『災害文化』をはぐくみ広げていきたい」と訴えた。「伝えよう、生かそう、大震災の教訓を。犠牲を払って得た、わたしたちの貴重な財産なのだから」などとする「1・17 ひょうご安全の日宣言」も発表された。
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