« 祝意速報!「ベトナム」初めて国連安保理・非常任理事国へ! | トップページ | ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第137号 »

2007/10/19

パキスタンへ、ブット元首相、母国の混乱回復を目指す!?

イスラム原理主義は、悪くはないが善くもない。
政治という統治の場において、有効に機能していると見えないことが、そのように考える原因だ。
人は、敬虔、崇高な気持ちから、それぞれの宗教観を保ち個人的価値観を醸成するワケだが、その個々の人々の深層へ入り込み宗教的価値を強要されることは、いかなる宗教宗派を問わずご免被りたい。

過激さを競う「イスラムの諸宗派」は、自らの宗教的価値観を普及させる事に熱心で、その普及により得た地域を政治支配する必要に迫られても、様々な教義を繰り出し政治機能としての統治よりも宗教的価値観の強要のみに終始することを繰り返し、挙げ句、政治の機能が無秩序に破壊されるだけに終わっている。
後に残されるのは、宗教的野心の塊に過ぎない。
粗野な宗教的野心の塊が、更に宗教的野心の頂上を目指し、より一層、醜い過激さ競い潰し合う争闘が日々続けられている。
そこに、人の顔はない。宗教者の顔もない。争闘する者の憐れな顔があるのみだ。

相争い合う者は、自己目的があるからそれでもよかろう。
しかし、周囲で巻き込まれる側は、大変な迷惑だ。まして、その争いに、意味もよく理解できないまま動員され加えられ、虫けらのように殺戮される側に尊厳はあるのか。
いかに宗教的な意味を説かれようと、教義を説かれようと、そこに積極的な価値を見出す事はできない。

Pknationalflagパキスタンは、いま、主権国家が崩壊するか否かの瀬戸際へ追い込まれている。

この第一原因を造ったのは、綺麗な顔をしている「ロシア」だ。
ソ連邦の時代に、南下政策を達成するため、アフガニスタンへ武力侵攻し、時の王制を打倒し「アフガニスタン革命」なるものを起こし占領した事が始まりである。
その時に、ソ連邦による傀儡政権を認めない様々な勢力が、アフガニスタンを解放する目的で、人種の坩堝であったこの大地に、様々な価値観を掲げ「ゲリラ」を組織した。

最終的には、ソ連邦をアフガニスタン全土から追い払い、統一政権を樹立するかと見守ったが、ナンと、今度は、ゲリラ各派がアフガニスタンでの頂点を目指し武力抗争を続けたことで、アフガニスタンは、多くの富を失った。

結果は、パキスタンの支援を受けた、パシュトン人主体のタリバンがアフガニスタンの多くを支配する者の座を得た。
パシュトン人は、アフガニスタンとパキスタンに分かれて暮らす民族である。
タリバンが政権をとってからのアフガニスタンは、タリバンの宗教的価値観により、「イスラム原理主義」を強制され貧困のドン底に喘ぐ生活へ転落した。
今度は、これを打倒するゲリラ戦が組織され内戦が止まぬ状況で政治も経済も疲弊する一方だった。
そこに、「イスラム原理主義」の総本山を目指す、ウサマ・ビン・ラディンが率いる「アルカイダ」が根拠地提供を求め、大量の資金と武器を携え居座りに来たというワケだ。

タリバンが、稚拙で劣悪な宗教的価値観の強要を行う事なく、必要な民政安定に資する経済政策や社会政策を保ち、社会の安定に努めたなら今日のような事にはならなかった。
宗教的価値観としての「イスラム原理主義」は、政治として合理的に地域を統治する能力を根本的に欠いている。
自らの政策面の無能を隠蔽するために、展望のない自殺行為ともいえる戦争の継続を行っているワケだ。

その後の展開は、ペルシャ湾岸地域からアフリカ東北部(インド洋沿海)でのテロ活動に明け暮れていたが、遂にというかとうとうと言うか、ニューヨークを中心に米国本土でのテロに動いたわけである。
ここにアフガニスタンでの、新しい戦争が、米国を中心にした(とりあえずの)国際社会は自らの存立をかけて「対テロ報復戦争」へ打って出たワケだ。
内陸国のアフガニスタンでの戦争を有利に導くには、海運の兵站基地、陸運の兵站基地が要る。アフガニスタンの西側は、米国には悪名高い「イラン」である。

イランが米国に兵站基地を貸してくれるワケがない。
そこで地政学的な流れから自然にパキスタンが兵站基地の役割と、パシュトン人への前線基地の役割を担うことになってしまった。

当初(おそらく今も)、ムシャラフ大統領は、米軍への基地提供には積極的ではなかった。

しかし、米軍が国際社会(の主要国)と一緒に、アフガニスタンでの「アルカイダ」掃討作戦を展開する中で、ムシャラフ大統領はパキスタンを有力な米国の同盟国へ転換せざるを得なくなった。
先にも触れているように、アフガニスタンをソ連邦から解放した主体は、パシュトン人が組織した「タリバン」だ。
パシュトン人の「タリバン」にイスラムの宗教的価値観を教育したのは、パキスタンに山のようにある「イスラム神学校」だ。しかも、パシュトン人は、アフガニスタンとパキスタンに分かれて暮らしている。人工的に引かれた国境なんて何ら意味を為さない。

タリバンの勢力は、根絶されたわけではない。
根絶されそうになると、パキスタン側の安全地帯へ身を移すから、米軍もNATO軍も手の出しようがない。
勢い、パキスタンの対応が悪いと非難する!

ムシャラフ大統領は、二律背反に追い込まれるワケである。こうなれば「毒喰えば皿まで」の例えどおりの展開しか途は残されていない。
ならば、米国と話ができる人物で周りを固めようとするのは、自然で妥当な事になる。

ムシャラフ大統領が、パキスタン国軍の参謀総長を兼務するのは違法だ!との批判が強い。
しかし、現在のパキスタンで、大統領が軍の指揮権を離したら、いつクーデターが起き寝首を掻かれるか分からない。そんな危険な事はできない。
ムシャラフ大統領は、自らの首が掻かれる事は覚悟の上だろうが、その結果、パキスタン国内が内戦に陥る可能性は否定できない。ほぼ、間違いなくパキスタンは内戦になる!

米国と欧州連合は、何よりもそれを恐れている。

なぜか?

パキスタンは、核兵器を保有しているからだ。

パキスタンが保つ核兵器が「テロリスト」の手に渡る、その瞬間から世界は、テロリストに脅迫されながら日々を過ごす事になる。
誇り高い、米国も中国も、それを受け入れる事はできない

アフガニスタンでの戦争は、米国と欧州連合を中心とした国際社会による「対テロ報復戦争」だ。しかし、それに付随する戦線としてのパキスタン内におけるパシュトン人との攻防は、「タリバン」「アルカイダ」に続く「国際テロ組織」と「核兵器」を巡る争奪戦であることを弁えておく必要がある。

パキスタンも米国も中国、何があっても、この際、パキスタンを内戦の危機から救い上げなければならないのである。悲壮なのだ!

そのためには、かつての政敵も「反米、反中」でさえなければ友人なのである。

さて、そのブット元首相(イラン系の血筋)は、パキスタンで平和を願い息を潜める声なき声や、ムシャラフ大統領、米国、欧州連合、中国の期待に応え、見事に国を再建できるだろうか?世界は固唾を飲んで見守るしかない。
間もなくというか、そう遠くない時期に、世界はその結果は知る事だろう。

引用開始→ パキスタンのブット元首相、8年ぶりに帰国へ  (asahi.com)
2007年10月17日19時52分

パキスタンの野党指導者ブット元首相が18日、亡命先から8年ぶりに帰国する。ブット氏は総選挙後の政権運営をめぐってムシャラフ大統領と交渉してきた。両氏は連携を目指して詰めの協議を続ける。

ブット氏の帰国については、イスラム過激派が「親米派のブットは受け入れられない」と自爆テロを予告。政府は帰国の延期を求めていたが、ブット氏は17日、滞在先のアラブ首長国連邦のドバイで記者会見し、「民主化を促進する約束を果たすため、予定通りに帰国する」と述べた。

ブット氏とムシャラフ氏は、来年1月までに実施される総選挙後に向けて交渉を続けた。その結果、ムシャラフ氏がブット氏の首相在職時の汚職訴追を取り消す大統領令を出すことなどで合意に達した。ただ最高裁は12日、大統領令を違憲とする訴えの審理を開始。訴追撤回が無効となる恐れがあり、今後も波乱が予想される。

ブット氏は80~90年代に首相を2期務めた。英国滞在中の99年に汚職で有罪判決を受け、ロンドンやドバイで事実上の亡命生活を送った。
(朝日新聞社asahi.com)  ←引用終わり

「コラコラコラム」も、パキスタンの商都カラチへ向け、
おかえりなさい、ベナジール・ブッド!」と掲げておきたい。
それは内政干渉だ、と指摘されても、市井の市民ゆえに何ら構わない。
いま、パキスタンを救えるのは、元首相のブッド女史以外にはないからだ。

ブット政権が機能したら、「早い時期にパキスタンを訪ねたい」とまで考えている。
EPBのメンバーとも、できれば再会したい。

身命を賭しても、パキスタンをブット元首相が率いるなら必ずカラチへ行く!カシミールの入り口フンザへも行く!身命を賭してもパキスタンの友人達とは苦労を共にする価値がある。

日本の政治家も、気概を持ってもらいたい!世界の国々は、自分の利益よりも国家や民族の利益あるいは名誉のために、身命を賭している。幼稚園児の戯言のように「グウにもつかない、私益のために、自己利益のために『政局』を楽しんでいるヒマは残されていない」。自民党も、民主党も、日本が世界の中でどのような役割を保ち、国際社会でどう期待されているか、よくよく考え、自らの意志で国際社会での名誉を取りに行ってもらいたい。政治家とは、自らの国家と民族のために、世界に向けて身命を賭す者である!永田町と赤坂の安全地帯で寝言の議論を交わしてみても、世界の誰もが聞く耳を持たないし、日本は勝手な国だと見放すだろう!世界人口の2%程度の国が、世界の富の13%を占めている。この事実を前に、国際社会が求める様々な事に背を向け、日本の国内でしか通用しない寝言や戯言を言い合って、それで世界の国々は「日本」を信用するだろうか、日本人を尊敬するだろうか?よくよく考えて貰いたい!政治家は、国際社会を語り、自国を語り、その身命を賭して責任を果たす者である。それができないなら、直ちに、国会議員を辞任せよ!

引用開始→ ブット元首相、パキスタンに8年半ぶり帰国  (讀賣On Line)

【カラチ(パキスタン南部)=佐藤昌宏】パキスタンのベナジル・ブット元首相は18日、約8年半に及ぶ事実上の亡命生活を終え、滞在先のアラブ首長国連邦ドバイから、航空機で帰国した。

ブット氏は1988~96年にかけ、2度にわたって首相を務めたが、首相在職中の汚職の罪などで訴追され、拘束を逃れるために99年4月にロンドンに渡ったまま、パキスタン国外で生活を続けてきた。

今回、帰国が実現したのは、政権基盤の強化を狙うムシャラフ大統領との間で、「政権の共同運営」で大筋合意し、大統領がブット氏の罪を免責する大統領令を発令したため。

帰国地に選んだ南部カラチを州都とするシンド州には、ブット氏の選挙区があるほか、総裁を務めるパキスタン人民党(PPP)の一大拠点で、カラチの沿道にはPPPの活動家や支持者ら数万人が総裁の帰国を出迎えた。
(2007年10月18日20時45分  読売新聞)
Copyright © The Yomiuri Shimbun.    ←引用終わり

引用開始→ ブット元首相、8年半ぶり帰国・パキスタン、1月総選挙出馬へ   (日経NET)

20071018at2m18030181020071fnikkeiパキスタン南部カラチの空港に到着、支持者に手を振りながら旅客機を降りるブット元首相(前列中央)=18日〔AP〕

【ニューデリー=山田剛】海外亡命中だったパキスタンのベナジル・ブット元首相(54)が18日午後(日本時間同日夕)、中東・ドバイからの民間機でパキスタン南部の中心都市カラチに到着した。元首相の帰国は8年半ぶり。ブット氏は自身が総裁を務める野党パキスタン人民党(PPP)を率いて来年1月の総選挙に出馬、ムシャラフ政権に協力して三たび首相の座を目指す。パキスタンの政局は、ムシャラフ大統領再選後をにらんで動き始めた。

地元メディアによると、カラチ国際空港周辺や市内の主要道路には、ブット氏のポスターや横断幕を掲げた約10万人の支持者が全国から集まった。ブット氏は同日夕、建国の父が眠るジンナー廟(びょう)前で開く集会で演説する予定。

着陸後、ブット氏は記者団に対し「この日を夢見ていた。私は貧しい人々のために働きたい」と述べた。航空機から降り立ったブット氏は出迎えた党幹部らに手を振り、目を潤ませ、祈るしぐさをした。(20:52)
Copyright 2007 Nikkei Inc. / Nikkei Digital Media, Inc. All rights reserved.  ←引用終わり

引用開始→ パキスタン・ブット元首相、8年ぶり帰国 総選挙参加へ  (asahi.com)
2007年10月18日20時23分

パキスタンのベナジル・ブット元首相が18日、滞在先のアラブ首長国連邦から8年ぶりに帰国した。ブット氏は野党パキスタン人民党(PPP)の総裁として、来年1月までに予定される総選挙に参加。国政復帰を果たし、陸軍参謀長を辞して「文民」となるムシャラフ大統領と連携する意向だ。もっとも両氏の主張には依然へだたりがあり、完全な民政移管が実現するかはなお不透明だ。

「おかえり、ベナジル・ブット」。ブット氏の地元カラチは歓迎のポスターや横断幕であふれかえった。午後2時(日本時間同6時)前、ブット氏を乗せた民間機が空港に着陸。ブット氏は記者団に「民主主義こそ混乱したパキスタンを救う唯一の道だ。すべての政党は互いに尊重すべきだ」と述べた。イスラム過激派が自爆テロを予告し、治安当局が1万人以上の要員を配置するなか、ブット氏は防弾車の車上に立ち、目抜き通りをパレードした。

ブット氏は、99年のクーデターで実権を握ったムシャラフ氏を「軍事独裁者」と強く批判してきた。

米シンクタンク「国際共和研究所」が8~9月に実施した世論調査によると、ムシャラフ氏の支持率は17%で、ブット氏は28%。「反ムシャラフ」の急先鋒(きゅうせんぽう)で、9月に帰国を試みて再追放されたシャリフ元首相は36%だった。

シャリフ氏がイスラム原理主義を掲げる最大野党と手を組む一方、ムシャラフ氏はブット氏との連携を模索。イスラム過激主義に反対する両氏の協力は、テロとの戦いを推し進める米国の意向が強く働いたとされる。

今春以降、両氏は海外で極秘会談を重ねた。ブット氏はムシャラフ氏に対し、(1)陸軍参謀長の辞任 (2)汚職訴追の撤回などを要求。ムシャラフ氏は大統領選で再選されることを条件に、任期が切れる11月15日までに軍服を脱ぐと表明した。今月5日には、ブット氏を含めた政治家の過去の刑事訴追を取り消す大統領令に署名した。

ただ、ブット氏は、ほかにも首相3選を禁じた憲法条項の改正や、大統領に与えられた下院の解散権の撤廃を求めている。両氏は今後も交渉を続けると見られるが、難航も予想される。

一方、最高裁は、6日の大統領選で最多得票を獲得したムシャラフ氏の立候補資格を巡る審理を17日から再開した。ムシャラフ氏に不利な司法判断が下された場合、同氏は非常事態宣言や戒厳令など強硬手段に出るとの見方も根強い。
(WEB朝日新聞社asahi.com)  ←引用終わり

引用開始→ ムシャラフ大統領と駆け引き続く (産経MSN)
2007.10.18 21:17

【イスラマバード=菅沢崇】ブット元首相のパキスタン帰国を受けて、ムシャラフ大統領との権力分担交渉がいよいよ本格化する。ブット氏は交渉を通じて、首相への返り咲きを目指すが、両者の協議は「まだ入り口の段階」(消息筋)とされ、最終的な合意までには紆余(うよ)曲折が予想される。

7月末に始まった大統領との非公式交渉で、ブット氏が要求したのは、汚職罪などの自身への訴追の取り下げ▽陸軍参謀長兼務での大統領選出馬の阻止▽首相の罷免を含む議会の解散権の撤回▽首相の3選を禁じた憲法改正-の4項目だった。
しかし、一向に進展のないプロセスにブット氏側が、交渉破棄も辞さない姿勢を見せ始めたため、ムシャラフ氏は大統領選前日の5日に「国民和解令」を発令。ブット氏に対する訴追の取り下げと帰国を許可し、第1段階の交渉を終えた。

ムシャラフ氏は、大統領選当選後に「権力の源泉」である陸軍参謀長を辞任するとしており、後任に側近のキアニ前軍統合情報部(ISI)長官を指名。軍への影響力維持を確保した。しかし、ムシャラフ大統領への反発が強い中で来年初頭までに実施される総選挙で与党が勝利する見通しがたたず、ムシャラフ大統領は国民に人気の高いブット氏の取り込みを図った。

消息筋は「求心力を失う一方の大統領が、ブット氏の支持をのどから手が出るほど欲しがっているのは確実。しかし、首相の罷免権など大統領が譲歩できない条件について折り合いを付けられるかが問題だ」と指摘する。

一方、権力分担交渉が順調に合意に達したとしても、イスラム原理主義勢力の扱いを巡る両者の姿勢は大きな隔たりがある。パキスタン北部の部族地域に潜む国際テロ組織アルカーイダやタリバンについて、ブット氏はパキスタン軍だけで掃討できない場合は米軍の協力も辞さないとしており、あくまで国内問題として対応しようとするムシャラフ氏や軍とは姿勢が大きく乖離(かいり)している。

また、軍と長年にわたって対立してきたブット氏には軍に対する不信感が強い。ブット氏の支持基盤であるシンド州に1979年、政党「統一民族運動」(MQM)が発足した背景には、軍がブット氏率いるパキスタン人民党(PPP)を牽制(けんせい)するため肩入れしたといういきさつもある。

最高裁は現在、ムシャラフ氏の大統領選での立候補資格の正当性とブット氏の訴追取り下げの法的是非を審理しており、司法判断次第では、両者とも交渉の根底を覆される可能性も依然、残っている。

不透明な情勢のなかで外交筋は「事態の行く末を左右しかねない不透明な要素が多く、両者間の緊張関係は当分続く」と予想しており、緊張をはらんだ両者の駆け引きはしばらく続きそうだ。
Copyright 2007 The Sankei Shimbun & Sankei Digital  ←引用終わり

引用開始→ パキスタン:ブット元首相、8年ぶりに帰国  (毎日JP)

【ニューデリー栗田慎一】収賄罪による訴追から逃れるため国外逃亡していたパキスタンの最大野党「パキスタン人民党」総裁のベナジル・ブット元首相(54)が18日、故郷の南部カラチに空路で到着し、8年ぶりに帰国した。06年に国際刑事警察機構を通じて国際手配されたが、ムシャラフ大統領の政治危機を背景に「民主化」を求める米国の後押しを受ける形で政府と協力協議を開始し、刑事訴追の恩赦を認めさせることに成功した。

ただ、恩赦を与える政府の「国民和解協定」の合憲性について最高裁が審理中で、違憲と判断されれば逮捕される可能性がある。合憲の場合、政府は恩赦を与え、来年1月実施予定の総選挙に向け、権力分担を視野に協議を始める見通し。

人民党幹部は毎日新聞に対し「ブッシュ米政権は(ムシャラフ氏よりも)ブット氏が過激派対策に力を入れると見ており、対テロ戦でブット氏との共闘を望んでいる」と述べた。一方、与党幹部は「人民党との協力協議は選択肢の一つだ」とけん制している。

警察当局によると、混乱防止のためカラチ空港周辺には警官約2万人が動員され、同空港発着予定の国内線全19便が欠航となった。周辺には人民党の支持者ら約10万人が集まったが、大きな混乱はなかったという。

空港から出てきたブット氏は支持者らを前に「貧困で苦しむ人々を助けるため戻ってきた」と訴えた。空港職員によると、同氏は飛行機から降りた直後、感激のあまり涙を流したという。

ブット氏は空港で防弾ガラスの特別車に乗り、市内をパレードする予定。1947年の分離独立でパキスタン建国に尽力したジンナー初代総督の霊廟(れいびょう)を訪問した後、支持者らを前に演説する。

◇南部に支持基盤…ブット元首相

ブット元首相は、南部シンド州カラチを拠点にパキスタンの独立運動に尽力した名家の生まれだ。同州内にはパキスタンの政治の中心である北部パンジャブ州への対抗意識が強く、いまもブット氏への支持は根強い。

父親は79年にハク元大統領によって絞首刑にされた初代首相アリ・ブット氏。英オックスフォード大で政治学などを学び帰国。父親が処刑された後は英国に身を寄せたが、亡命中の84年に人民党総裁に就任した。88年、ハク元大統領が航空機事故で死亡した直後の総選挙で、人民党は過半数を獲得。同年12月に同国初の女性かつ最年少の首相に就任し、約100万人の支持者らに迎えられ英国から凱旋(がいせん)帰国した。

しかし、90年に収賄罪で告発され、当時の大統領に解任された。93年に首相に返り咲いたが、96年に別の汚職で再び解任され、99年4月に英国へ逃れた。夫は収賄罪で04年11月までパキスタン国内で服役した。

政治的な成果をほとんど残せず、身内の登用や蓄財疑惑で国民の反発を買ってきたが、政敵ムシャラフ大統領の今春以降の政治危機を背景に「パキスタンの民主化」を訴え、再び返り咲きを果たそうとしている。
Copyright 2007 THE MAINICHI NEWSPAPERS All rights reserved.  ←引用終わり

<<追加掲出 2007/10/20 20:10>>

パキスタンのイスラム過激派は、事前予告のとおり、ブット元首相の車列を爆弾テロで二度にわたって襲い、一説では死傷者530余名という惨事を引き起こしたと報じられている。元首相に被害は及ばなかったものの、帰国を歓迎し車列を囲む支持者へ卑劣な攻撃を加えたわけだ。パキスタンは既に事実上の内戦にあるともいえる。この状況で、果たして大統領選挙や国会議員選挙が必要なのか?米国は、パキスタンをここまで追いつめても、形式に従い「米国」流の「民主主義」を要求している。仮に、ムシャラフ大統領が、非常事態宣言でも発すれば、米国は形式に従い「パキスタンを厳しく非難する」だろう。米国と付き合うのは難儀な事である。結果的に「パキスタンの過激派」をここまで大きくしたのは「米国」であるという自覚がないから話にならない。

引用開始→ パキスタン、爆弾テロで130人死亡・ブット元首相狙う  (日経NET)

20071019at2m1900w191020071fnkブット元首相を狙った自爆テロ現場=18日、パキスタンのカラチ〔AP〕

【ニューデリー=山田剛】パキスタン南部の中心都市カラチで18日深夜(日本時間19日未明)、8年半ぶりに帰国した同国のブット元首相らを乗せた車列近くで爆弾2発が爆発した。民放ジオ・テレビによると爆発で少なくとも130人が死亡、約550人が負傷した。ブット氏や同乗していた野党パキスタン人民党(PPP)幹部らにけがはなかった。犯行声明などは出ていないが、地元警察当局はブット氏を狙った暗殺未遂事件と見て捜査を開始した。

米政府などは、ブット氏の帰国によって対テロ戦争の重要なパートナーであるムシャラフ政権の安定を期待していたが、今回のテロで同政権の弱体化への懸念が強まりそうだ。

爆発が起きたのは、カラチ市東部から中心部に向かうファイサル通り。ブット氏の車列は同日午後に市内東部のカラチ国際空港を出発、群衆に囲まれながら演説会場であるジンナー廟(びょう)に向かって低速度で走行していた。(10:28)
Copyright 2007 Nikkei Inc. / Nikkei Digital Media, Inc. All rights reserved.  ←引用終わり

|

« 祝意速報!「ベトナム」初めて国連安保理・非常任理事国へ! | トップページ | ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第137号 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 祝意速報!「ベトナム」初めて国連安保理・非常任理事国へ! | トップページ | ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第137号 »