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2007/11/03

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第139号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年11月03日 土曜日 第139号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflagいつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その139 今週のヘッドライン

*10月29日(月) 早くて便利で経済的なATMの光と影
*10月30日(火) 不動産累進課税への抵抗圧力
*10月31日(水) 天下のご意見番ベトナム祖国戦線
*11月01日(木) 人身売買から5年ぶりの生還
*11月02日 (金)   若い夫婦のあの話し、、、、。
*11月03日 (土)  謙譲の心に褒章を!

10月29日(月) 早くて便利で経済的なATMの光と影
*会社の経理担当者から給与の手渡しを受ける代わりに、若い秘書のグエン・ミン・グエットさんはいつでもどこでもお金が必要な時にお金を引き出せるようになった。というのも、彼女の勤め先が去る7月から給料振込を開始したからに他ならない。グエットさんは、このサービスの利便性を否定しないものの、2ヶ月前にグエン・タン・ズン首相が社会における新たな支払い方法を適応させる運動を開始した際、彼女やその他のベトナム人労働者たちの多くは、それが大きな懸念材料になると心配したという。ベトナム人労働者に給与振込システムが導入されると、瞬く間に若い世代の労働者にATMは熱狂的に受け入れられ歓迎されたのである。

この新システムは給料受給者の目を引いたばかりでなく、支払う側にとっても利益をもたらしたのだ。「うちの会社では早い段階でこのシステムの導入に踏み切りました。そうですね、4年も前になります。ですから、それ以後、給料支払いの為にいちいち銀行へ現金の引き下ろしに行かなくて済むようになりました。それに多額の現金を持ち歩いて盗まれる心配もなく、手渡しで従業員に給料を手渡す必要もありません。私がすることと言えば、事前に必要な金額を口座に振り込んでおき、支払いはカードで銀行が行ってくれるので重宝しています。」とFソフト社経理課長のレ・タン・ヴァンさんはいう。

若い従業員が新システム導入の一番の受益者で、ATM使用はつまり人々に貯蓄の動機付けをもたらすからとグエン・トウ・チャンさんは説明する。「手許にいつも必要な現金があると限らないし、だいたい私は買い物の際 現金は持ちません。カードが対応してくれるからです。」とチャンさん。ATM給料支払いシステムの利点を使用者により理解して貰うために、各銀行ではそのサービスを更に魅力的なものにしてゆく努力を怠らない。ベトナム中央銀行は新たに20の銀行に対し、現金出し入れ可能なATM取引の認可したと発表し、現在、国内において約620万枚のATMカードが3800カ所のキャッシュディスペンサーを通じて利用なされている。ベトコムバンクの様な銀行では、ほんの僅かな利息ではあるが、カード所有者の口座に毎月利息をプレゼントしているほどだ。

疑いの余地もないことだが、ATMに拠る給料支払いはこれまでの支払い方法に比べ格段に優れているといえる。より便利で、安全、しかも経済的でもある。しかし、ATMユーザーが増加するに伴い、その一方で新たな問題の発生やクレームなどが急速に増えつつあるのだ。その最大のものは“信頼性”に尽きる。人々はPINコード(暗証番号)の保護に慣れておらず、それが証拠にATMでの取引が終わるとその明細は、中に如何に重要な情報が網羅されていたとしても、その場で捨て去ってしまう。この様な悪い習慣が、銀行口座を狙うハッカーたちの格好の標的となり食い物にされる事になるわけだ。

多くの労働者たちが、自分たちの手許にお金が入る前に口座のお金が消えた 或いは盗まれたと不満の声を挙げている。
「ATMで給料を受け取り始めるようになってから、スムーズにお金を下ろせたことは稀で、ある時なんかは20万ドン(US12.5$)が口座から消えており、銀行に掛け合いましたが補償を受けられませんでした。」と今年23歳の工員グエン・トウ・フエンさんは話してくれた。実際、彼女は、この事を何度か銀行に問い合わせて見たものの、銀行側は親身になって採り上げなかったという。それどころか銀行側は、忙しいからまた後で連絡しろなどという始末とフエンさんは肩を落とす。

ATMの技術的問題点や不足が、サービス利用者から多くの非難が寄せられる結果に繋がっている。現在、このサービスは何も大都市に限った事ではなく、ラオカイ省などの僻地山間部でも受けられる様になっている。ベトナムにおける四大首相ATMサービス提供銀行であるBIDV銀行・アグリ銀行・テクコム銀行・インコム銀行は、地方でも活発なカード利用者獲得キャンペーンを張っているものの、ラオカイ省のような地域ではサービスのインフラ整備が追いつかずこれ以上に発展は厳しいところにきているという。
同省で稼働するATMは10台で、主に郊外に設置されているだけで、未だこの地域の何千という労働者にはサービスが行き渡っていない。ATM給与支払いシステムは確かに社会進歩の起爆剤となった。しかし、この起爆剤も誤った使い方をすれば手痛いしっぺ返しとなる可能性を秘めているのでもある。

(辛口寸評)
話は大きく逸れるが、日本で給料が手渡しから振込に切り替わったのは既にふたむかしになるだろうか。女性読者にははなはだ不遜な物言いになるが、日本の女性が男尊女卑の価値観から完全に解き放たれたのは、雇用機会均等法の導入だけでなく、根本原因としてこの“給与自動振込”が大きく作用してきたと筆者は常々考えてきた。その昔、一家の大黒柱と崇め奉られた“お父さん”。給料日、いつもより早めに帰宅したお父さん。お母さんは「お帰りなさい!」ニコニコと亭主の帰宅を迎え、夕食のおかずはいつもより一品か二品多く、ついでにお銚子までついてきた。お父さんは、会社で貰ってきた給料袋を重々しく奥さんに渡す。奥さんはそれをうやうやしく受け取り、ひとまず仏壇に供えるという風景が我が家にもあったし、多くのニッポンの家庭で見られた一コマでもあった筈だ。

そこへ便利さと安全性を売り物に突如現れた、給料振込!お父さんはいてもいなくても、給料日になれば黙っていても銀行口座にお金が振り込まれている。お父さんの威厳は失墜!それどころか、家庭内で口やかましいだけの存在になってしまったのである。
残業で疲れ果てて午前様過ぎに自宅に戻って見たところで、奥さんは既に布団の中で高鼾。さだまさしじゃあるまいが、昨夜の残りのカレーをチンして独り孤独な夕食をとるしかない。何とも罪なのが、この給与振込なのである。ベトナムにこのシステムが導入されて4年になるが、うちの会社では何を言われようが未だ手渡しを通している。便利とかは関係ない。ベトナムのお父さんの地位をこれ以上落とさないためにも、、、。嗚呼!父よ、あなたは強かった。。。

10月30日(火) 不動産累進課税ヘの抵抗圧力
*今日、世界中で最も高額の部類に入るベトナムの地価を抑制するにはこれまで15年間据え置かれた土地課税法を見直し、特に土地転がしで巨額の富を得る投機家に対する高額課税を導入するしかなかろうと、元政府職員は語った。地価は政府の不完全な路線価の設定と課税政策の結果、土地が投機対象となり高額化に繋がって行ったのだと、元天然資源環境省副大臣で現在、ハノイ大学土地調査課で学部長を務めるザン・フン・ヴォ教授は語る。この様なおかしな政策は一部の公務員たちが地価を国家の管理下に掌握し続けたいという意向が強く働くため、今も生き続けていると教授。天然資源環境副大臣在任期間中 公共からの人気を勝ち取り、今年初めに副大臣の職を退任したヴォ教授曰く、即効性があり効果的な地価引き下げの方法は進歩的な累進課税を余剰で遊休地などに掛ける制度をスキームに盛り込むことだとする。仮に政府がこの法案作りを急げば地価の下落は急速に進むだろうという。

地価、特に大都市圏のそれは今年急騰した。ホーチミン市の下町にある1400平米の地価は約3920億ドン(US2450万米ドル)に達した一方、ベトナムの一人辺りの平均年間収入は僅かUS835$に過ぎない。ある経済学者たちは、この傾向をベトナムの若者人口や急速な都市化、収入の増加、強く安定した経済成長、それに増加する外国人直接投資に起因するものと見ている。これに加え、昨今の株式市場の成長も不動産に資金が流れる原因だとしている。しかし、ヴォ教授はふたつの問題があると主張する。ひとつは政府の路線価は実勢価格を遙かに下回っていること そしてふたつめが後退する土地課税政策にあるというのだ。路線価は通常、土地使用料や登記料、或いは売買課税、それに補償費などの算定に使われるものだが、これは常に市場の実勢価格を下回っており、一部の国家公務員や裕福層の中にはこの開きの違いが大きければ大きいほど喜ばしいと考える不心得ものが混じっている。何故ならベトナムにおいて土地は国家の所有物として規定されているため、個人や企業法人などは当局と共謀し、広大な土地資源を手に入れようとする。中央政府が自治体政府に路線価を見直すよう指示しても、彼らが見直しに応じようとしないのだ。

ふたつめの土地課税政策の後退についていえば、元々経済的効果を軸に土地管理を行うべき取り組みが、人々の欲望により麻痺してしまったことにあるとヴォ教授は続ける。1992年に発動された土地住居税法では、一平米あたりの土地或いは家に課せられる最も高い年間課税額は2キログラムの稲に等しく、6000ドン(US0.37$)以下でしかない。いくつの土地を所有しようが、亦は土地を所有しようが、全ての所有面積に2倍掛けた数字を割り出し、それを稲に換算したものを払うだけで済まされているのが実情なのだ。これは投機家にとっては好都合な環境で、ベトナム政府は早急に土地や住居に累進課税をするように仕向けなければならないとヴォ教授は訴える。有効利用されていなかったり、過剰所有されている大きな土地には、その所有者に対し累進課税を適用し、法人が所有者の場合でも彼らがそれを遊ばせているようであれば累進課税を導入しなければならないだろう。進歩的な土地課税は投機を抑制される上において発展途上国ではとても効果的なことが証明されている。ホーチミン市やハノイ市下町の300平米の地価は凡そ、370万米ドル(邦貨4億2550万円!)で、これがオーストラリア・ビクトリア州であれば課税額はUS74000$、台湾であればUS40000$となる。

余剰地や遊休地に対する累進課税法導入について2003年以前に議論なされたことがある。共産党はあの時点では、土地の生産的な利用を容易にし、国土の広範囲に渡る土地所有者の収入を調節する為の税制を決定。国会下院は2007年中旬に改正土地課税法を通過させる予定だった。しかし、ヴォ教授に拠れば財務省は今もいくつかの理由を上げ、土地課税における別の法案作成に難色を示しており、この試みは時間を掛けなければならないとする。
「私自身、財務省がこの問題について前向きに対処する姿勢を見せる必要があると考えており、財務省がこの3年の間 国民が必要とする税制を導入出来ないでいる方が寧ろ不思議にさえ思っています。亦、遅れが出ても誰も処罰されないことも含めて、、、。」とヴォ教授は結んだ。

(辛口寸評)
ベトナム人はとてもクレバーな人たちである。どうすれば自分たちの利益になるかしっかり理解している。ところが、根源的に公共の利益より家族(身内)の利益を優先させる為、結果、公共心は常に後回しにされてしまうのだ。税制度がその良い例で、今回の不動産所有の累進課税にしろ、国の利益を考えた場合、当然、財務省を主体として導入すべきと頭では判っちゃいるのだけど、それが遅々と進まないのは、つまり家族単位を主軸とする彼らベトナム人にとって“損”でしかないからだ。因みに、日本人資産家にとっては羨ましい話だけれど、この国には相続税がない。

これからもご理解頂けるよう、とどのつまりベトナムで既得権益を手放す為には、それ以上の既得権益が今後得られなければ、良くも悪くも変化は進まないのが実情なのだ。他に変化が起きるとすれば、それは日本同様、外圧(WTOクラスのコミットメント)ぐらいだろう。ヴォ教授の意見は核心を突いたものだった。故に、ポピュラリズムを庶民から得られたのだ。だが、哀しいかな天然資源環境副大臣を退官した今、如何に持論を述べたところで遅きに失した感は否めないし、亦、ここにこそベトナムの現実が垣間見えるとも云えるわけなのだ。

10月31日(水) 天下のご意見番ベトナム祖国戦線
*昨日の祖国戦線会合で、昨今、ホーチミン市内の交通環境悪化はひとえに当局の近視眼的な施策に帰依するものだと非難した。抗仏戦線戦い抜いたベトミンから成長した社会政策グループ組織参加団体の祖国戦線曰く、市の交通当局者は今日に至る交通環境を知っていたにも拘わらず有効な施策を打ち出し戦略的交通問題の打開する計画を持って来なかったとの立場に立ち、市人民委員会により打ち出されたいくつかの解決策はどれも実行不可能なものばかりと切り捨てた。そして交通違反者に対する厳しい取締の強化だけが短期的に交通問題を減少させる唯一の方法であると彼らは指摘する。祖国戦線はホーチミン市にラッシュアワー時の交通量緩和を促すため学校や企業などにフレックスタイム導入を検討するよう提案した。

ホーチミン市人民委員会は、先週、市内の交通事故と渋滞は日増しに悪化の一途を辿っていると報告した。今年9ヶ月間で1044件の交通事故が起き、内841名が死亡。事故件数割合は前年同期で既に15%上昇している。加えて、9月に各学校が始業すると渋滞は更に酷くなった。市人民委員会は増え続ける自動車・人口・道路工事の遅延・市民の交通モラルの欠如などが相まって都市の交通環境を阻害しているのだと指摘した上で、市当局は関連下部組織や公安に渋滞解消に向けた別ルート作り・インフラ整備のスピードアップ・交通整理の員数の増加など指示したという。

祖国戦線のあるメンバーは会合の席上、市当局の不注意な管理と近視眼的政策導入、それに伴う交通環境悪化を非難した。
技術者のチャン・ティエン・トウ氏は本来交通当局は将来を見越していくつものステップを踏んで政策作りに取り組まなければならないが、彼らはこれまで何もしてこなかったと語る。ジャーナリストのディン・フォン氏は、地元立法人民介護は既に10年も前から今日の問題点を憂慮指摘してきたが、それに誰も注意を傾けて来なかったと憤る。祖国戦線会合参加者の中からは、仮に道交法が厳格に適用されれば交通ルールが市民に浸透する唯一の手だてとの意見も出された。罰金は重く、再犯者にはより重くすることが大切だと衆目は一致した反面、市内に出入りするバイクに制限を加えたいとする市当局の提案には強く反意を示した。ベトナムではバイクが主な移動交通手段である。日々多くの地方出身者がホーチミン市に移住してくるのに、一体どのようにしてバイク数に制限を加えられるのか?とグエン・レ・ニンさんは訊ねた。祖国戦線は市が導入を進めているバイク市内利用税にバイク所有者の殆どが低所得者のため、導入に承伏しかねるとこれも反対し、その一方でホーチミン市当局に対し円滑な交通を妨げているインフラ整備プロジェクト工事の加速化を図るよう要請した。

(辛口寸評)
記事の中でも多少触れられている様に、ベトナム祖国戦線はフランス植民地からの独立を目指し、1941年5月19日に結成された独立運動組織で、ホーチミン大統領に率いられたベトナム独立同盟会 所謂“ベトミン”がその発生の起源で、ジュネーブ和平協定後、ベトミン軍は1954年10月10日にハノイを解放し、フランス軍がベトナムから撤退すると翌1955年、植民地からの解放が完了したとしてベトミンは自ら解散を宣言。同年9月10日、これを継承する“ベトナム祖国戦線”が樹立された。こんな歴史を持つ祖国戦線は“ベトナム解放を指導したのは我々である”というプライドが高く、アメリカに於ける全米退役軍人会の如く、ベトナムの政治・政策に隠然たる力を持ち続けているのだ。中央政府レベルであれ、自治対政府レベルであれ、必ず祖国戦線はオブザーバーとして発言権が与えられており、法的拘束力は無いまでも“天の声”として蔑ろには出来ない。

その祖国戦線が、ホーチミン市の交通問題で市当局のやり方を完膚なまでに非難したという事態を招いたということは、彼らの逆鱗に触れるほど市内の交通環境問題が逼迫している証と云えるだろう。恐らく今回の非難で市当局や市公安当局の責任者は更迭、そして関係窓口の担当者は半分ぐらい入れ替わることになるかと思われる。政治家や役人にとって、ややもすると目の上のこぶとも取れる祖国戦線だが、ある意味、この様な団体が存在することに拠り、ベトナムの政治・政策の自浄作用を促しているとも言えるので、今後、市当局者は早急に対策を立て、一刻の猶予無く眼前の交通問題をひとつひとつ的確に捌いて行くよう努力して貰いたいものだ。亦、祖国戦線には今後とも、市当局者が仕事に邁進するようお尻を叩き続けてやって欲しい。

11月01日(木) 人身売買から5年ぶりに生還
*5年前に中国へ拉致され、そして中国人男性に身柄を売り飛ばされたベトナム人女性が、そこから逃げ出し、フエに住む家族の元へ戻ってきた。このレ・ティ・ハイ・ヴァンさんの哀しい物語は、多くの人身売買被害者と共通するものであった。フエの貧しい家庭の末っ子として生を受けたヴァンさんは中学2年で貧しさがゆえ学校をドロップアウトし、仕立ての見習いとして両親にホーチミン市の知人の元へ送られたという。2003年、春、19歳となった彼女に見知らぬ女性が声を掛けてきた。その女性は北部訛りで、ハノイ在住のビジネスウーマンで彼女の経営する衣料品店で働く店員を探しているのだとヴァンさんに語りかけたのだった。「もし貴女がハノイのお店で働いてくれるのなら、貴女の経費と月給120万ドン(約US80$)を支払うわ」という女性の誘いに魅せられたヴァンさんは、彼女の近所に住む友人で当時同じ19歳だったチャン・ティ・ヴイさんに一緒に行こうと誘ったという。

両親にハノイで働くことを話せばきっと反対されるだろうと、ヴァンさんは何も告げずにハノイ行きを決行した。それに後で両親に仕送りをすれば理解が得られるだろうと軽い気持ちもあったという。ヴァンさんとヴイさんは、あるカフェで“雇用主”と落ち合いハノイ行きのバスに飛び乗った。バス乗車二日目になって、ヴァンさんはバスの行き先がハノイとは違うような気がしていたものの、何も言わず旅を続けたのだという。乗車5日目になり、一行はバスを降り、小さな家に宿を取った。ここでは誰もが中国語を話していた。ヴァンさんとヴイさんはこの時になって漸く、国境を越えてしまったことに気がついた。それから3日後、ヴァンさんは5000元(約58000円)で、ひとりの中国人男性に売り飛ばされ、ヴイさんは別の中国人男性に連れて行かれたという。

その頃、ヴァンさんの両親は警察に必死の思いで行方不明になった娘の捜索を要請する手紙を書いたものの、誰も採り上げてくれなかった。やがてヴァンさんは、30歳前後の男性に転売されると、彼の故郷広東省の寒村に連れて行かれ、無理矢理、妻にさせられてしまったのである。ここでの暮らしはヴァンさんにとって悲惨なもので、場所も判らず逃げることさえ出来なかったという。ベトナムの両親や兄弟姉妹を想い泪に暮れる毎日ではあったが、一年も経過すると当地の言葉を覚え、やがて男の赤ん坊を産み落とした。2006年、子供が3歳になると旦那の中国人はヴァンさんと共に中山市の工業団地へ就職活動に出掛けた。旦那は彼女に偽のIDカードを渡し、二人とも同じ電線工場に仕事を得たのだった。お互いの作業部署は離れていたものの、旦那はヴァンさんを厳しい監視下に置いたという。

新しい職場でご主人が教員をしている友達が出来たヴァンさんに、この中国人夫妻が救いの手を差し伸べてくれた。約二年間、この職場で勤めたヴァンさんにチャンスが訪れた。先月、旦那が風邪に倒れ自宅へ早退したのを見計らい、ヴァンさんはこれまでの蓄えを掻き集め、友達の携帯電話でベトナムの家族に電話を入れたのだった。そして家族と常に連絡が取り合えるよう自分の携帯電話を手に入れ、ベトナムの家族と落ち合う場所を調整したという。ヴァンさんから電話を受けた彼女の両親は喜びで泣き濡れた。が、しかし彼らには中国へ娘を迎えに行ってやれるお金が無かったので、長女とその亭主の二人が3000万ドン(約US1800$)を借り、中国へヴァンさんを迎えに行くことになったのである。

中越国境のあるモンカイに到着した、姉夫婦はそこで中国の観光ビザを取得し、通訳を雇い広東へ直行した。彼らは電話でヴァンさんと交信を重ねながら、やっとの思いで中山市バス停で再会を果たしたのだった。ベトナム国境の手前で、一旦、ベトナム入境のために姉夫婦と別れたヴァンさんは、姉夫婦が正規の出入国を果たす一方で、深い森を抜けてベトナムへ入国し、10月14日の日曜日、遂に家族の元へ戻ったのであった。自宅へ戻ったヴァンさんだが、彼女は今も悪夢とトラウマに悩まされているという。彼女は今も友達のヴイさんが気がかりだが消息は今も杳として掴め無い。しかもヴィさんの家族も亦、貧しくて病気がちなのでとてもヴァンさんの家族のように3000万ドン借りて娘を捜しに行く余裕すらない。

(辛口寸評)
たびたび、ここでも採り上げる深刻な人身売買事件ではあるが、今回の記事もそのうちのひとつである。国を跨いだ人身売買が如何に日常的に発生しているかを示唆している一方、一向に有効な対策が講じられていないことが窺い知れるというものだ。兎に角、日本は四方を海に囲まれているので、海を渡った拐かしといえば、北朝鮮の国を挙げた拉致事件以外思い浮かばないが、人工的な国境線で隔てられた大陸の国々においては、人も物も一緒くたで盗まれる対象になる。

尤も人の場合、そのターゲットになるのはいつも貧しい人々で、あの手この手で誘き寄せられ、主に中国に売り飛ばされてしまう。今回のヴァンさんの様に帰国できるのは稀で殆どは、誘拐後、絞れるだけ搾り取り、その死に至るまで過酷な労働を強いられるという。ある意味、ヴァンさんの場合、誘拐されたのは不幸だが、嫌々の中国人亭主との結婚生活だったかも知れないが、置屋で客を取らされ続ける最悪のケースに至らなかっただけ幸いだったと云えるだろう。本人にしてみれば、冗談では無いだろうが、、、。

11月02日(金) 若い夫婦のあの話し、、、。
*3年前、ヴァン・カンとトウー・ヴァンの二人はハノイに住む幸せ一杯の若いカップルだった。しかし、現在、若い妻は彼女の怠惰が元で離婚調停裁判所で離婚の危機に面している。「私には妻が、息子には母親が必要なのに彼女はそのどちらの務めも果たそうとしません。彼女は仕事を優先し家庭を試みないのです。」と旦那は訴える。
多くの若いカップルがそうであるように、彼らのトラブルが生じたのは新しい仕事に因るものだった。妻のヴァンさんの就職が決まると、彼女は殆どの時間を仕事に費やし、夜になると英語クラスへ入りビジネス英語を受けるようになったという。旦那のカンさんに全ての家事が託され、2歳になる息子の世話までしなければならなくなり、日々の夕食は独りで寂しいものとなり、最終的に離婚を決意したのである。

この話はとてもユニークなものとは言い難い。が、しかし忙しい仕事のスケジュールは個人からも、家族からも多くの時間を奪うようになり、夫たちも妻たちも仕事の重荷を背負わされるようになった。
「他の家族が食卓を囲んで話しながら食事を摂ったり、自分独りで映画を観ていたりすると、自分自身が寂しくて情けなくなるんです。妻の帰宅は毎晩遅く、息子は既に寝入った頃なのですが、疲れた彼女の顔を見ると私自身彼女と話すことを躊躇ってしまうのです。」とカンさん。彼らは夫婦であっても心は完全に離れており、どことなく同じ家に住む同居人みたいなもので、お互いに意志の疎通がなく、孤独で、侘びしさを感じているのです。

もちろん、彼ら若いカップルは家政婦を雇うことも可能で、家事や育児は託せても働く若い二人の間に立って仲を取り持つことまでは叶わない。ハノイで、若いカップルに雇われて長く務めているアンさんという家政婦は、雇い主のカップルが揃って食事を摂るところなど滅多に見られないと語る。「私の仕事は毎日午後7時に終わるのですが、奥さんが仕事で忙しい時などは、しばしばその時間を超え、彼女の息子の世話をしなければなりません。」とアンさん。この様な状況は殆ど人生経験未熟な若い世帯に多く見られ、他者に対する思いやりに欠け、仕事とプライベートのバランスをうまく調整出来ないのである。

「私は遊びで仕事に出掛けているわけではありません。そこのところを夫は理解せず、私の大変さを共有しないばかりか責めるのです。」とヴァンさん。ヴァンさんとカンさんだけが家族の為に時間が取れない人々ではない。二人ともベトコンバンクで働く別のカップルは、彼ら自身の幸せを維持する為に戦い続けているのだ。夫は現在、ハイジュン省支店に席をおき遠距離通勤を強いられる立場だが、それでも彼ら夫婦は幸せだという。夫は週に二回は出来るだけ早く自宅に帰宅し家族と共に過ごす時間を大切にする。「私の夫は、殆ど自宅にいませんが、子供たちはそれでも幸せです。何故なら夫はちょくちょく子供たちに電話を寄越し、お互い助け合い励まし合って難しい問題を乗り越えて来たからです。お互いが相手の立場に立って物事を考えれば何事もうまく行くものです。」と妻のヴァン・チンさん。

ベトナムで有名な歌手のミー・リンさんも若い妻であり母親である。仕事の合間を縫って、見つけた自由時間は全て夫や子供たちと過ごすことに充てるのだという。亦、時間が許せば子供たちを学校に送り届けることもあるそうだ。あるレポーターが最近、彼女に「なぜ貴女は日本で大きな計画があるのに日本語でなくフランス語の勉強をしているのですか?」と訊ねたという。ミー・リンさんは応えて曰く、「日本で音楽の仕事はこれから多くなるのは事実です。実際、日本語を習うことも検討し悩みました。しかし、私の子供たちは現在、ハノイにあるフレンチスクールに通っています。母親としてフランス語が必要なのです。子供たちは私の希望の星なのです。」

ここにもうひとつ素敵な母親の見解がある。彼女自身、ビジネスで大きな成功を収めているようだ。尤も彼女の見解は多くのベトナムの母親のそれを代弁するものでもある。しかし、リンさんの場合、彼女の人生を優先し、何が最も重要なのかを判断し、それに従って生きることに成功したと云えよう。結婚生活において、ときめきを求め続けるのは難しく、亦、家族に対し終わりのない団欒と情熱を提供してゆくことも簡単では無い。しかし、相手に同情し、適度な仕事のスケジュール調整を行うことが双方に大切なのだ。あなたひとりだけが忙しいのではありません。多分、枕を共にし隣で眠っている人だってそうなのですから。。。

(辛口寸評)
今回のお話しに登場したカップルはそれぞれ、夫婦互いが仕事を持っている人たちで仕事が違えば当然、職場も違い相手のことを理解しようにもなかなか容易には行かない立場にある。余所の家庭のことは判らないので、今日は我が家のことを書いてみたい。
ご存知のように筆者と家内は共働きであり会社の共同経営者でもある。ましてや、自宅スペースと仕事場(会社)が同じ場所にあるため、夫婦の会話は常に仕事優先となる。四六時中一緒に過ごしいるために、ある意味、意志の疎通は捗りやすいものの、反面、プライベートと仕事の境が無くなり、仕事での意見の対立がそのままプライベートでの感情の対立に繋がってしまうことが多いのも事実である。

ただ、結婚して今年で12年、創業11年は伊達じゃない。記事の中にも出てきたように人間、時を経る事に生きる上での知恵が備わるもので、仕事中はお互い“仲の良い同居人”として相手を見るようになってきた。これにより、仕事の延長線上でプライベートにそのことを持ち込むことは少なくなったし、仕事モードとプライベートモードの切り替えがうまく行くようになったのである。とは言え、プライベートでの夫婦喧嘩がこれにより減ったわけでは無いのだけど、まあこれはこれでお愛嬌と言ったところだろう。これがある種の夫婦の“第二の絆”なのかも知れないな~~。

11月03日(土) 謙譲の心に褒章を!
*南部各省の多くの農民たちが自分たちの所有する土地を地元当局に提供し、学校や病院建設、或いは慈善事業活動拠点設営に一役買っているのは良く知られた話ではあるが、驚く無かれ、この様な行為は、地価や住宅価格が最も高額な都市のひとつであるホーチミン市でも行われており、多くの世帯が公共事業の為に彼らの不動産を当局に寄贈しているのである。ハノイのある地域では、国家事業建設プロジェクトに必要な土地造成が、地権者たちが高額な補償を要求し立ち退きを拒否され遅々として進まないでいる。
その一方で、ホーチミン市の過密地帯では、道路拡張に伴い多くの住民たちが自ら所有する住宅の一部や不動産の一部を提供することに拠って、多くの道路が綺麗に整備されていったのだった。

16メートルの幅で500メートルの区間を持つタンフー区タンクイ坊テータイソン通りの拡張工事は最近、85世帯の近隣住民の不動産寄贈のお陰で完成に至った。ゴーヴァップ区12坊の住民は彼ら居住区内の19の道の拡張・改修工事資金20億ドン(約1440万円)を寄付した。その中のある世帯などは自己の土地40~50平米を道路拡張や新道建設のために無償提供を行ったという。チュオン・ヴァン・ハイさんは、自宅の半分の土地を無償提供した住民のひとりだ。
「都市では、“1平方センチの土地は1立法センチの黄金に匹敵する”というベトナムの諺にもあるように、土地を失うことはとても残念です。しかし、我々が住む共同体のことを考えた時、我らは僅かな犠牲を厭うてはいけないのです。」とハイさん。

郊外に住む多くの居住者たちも彼らの土地を自ら公共のために手放し、学校建設などに充てているという。ビンチャン区ヴィンロック村のサウ・ルンさんは、小学校を建てるために彼の所有する庭のうち300平米を寄付した。それどころか小学校の建設が終わると、彼は学校の道路用地として更に2000平米を寄贈したという。これらのエピソードは、公共のために個を犠牲にした数千の人々のほんの一部である。タンフー区人民委員会フイン・ヴァン・ハン委員長は、過去数年 タンフー区の1万人以上の住人が数千ヘクタールに及ぶ土地を当局に寄贈したという。前ホーチミン市人民委員会委員長レ・タン・ハイ氏は、これら市民の厚意に感謝しており、都市の発展に捧げる自発的犠牲を市内各区当局者に検証し、このモデルが再生産されるようにするための施策を検討するよう要請したと語る。

現在、土地や住宅は緊急の課題となっており、多くの住民の間から不平や不満がもたらされている。多くの地域で計画されている国家建設プロジェクトの土地造成は、地権者の立ち退き拒否に遭い交渉が進まず、立ち退きの見返りとして高額な補償を要請する一方である。ある居住地帯では住民たちに拠る違法な道路占有が罷り通っている。これらの状況から、土地や不動産を公共のために放棄した人々に名誉を与え、後に続く人々を生み出すべくホーチミン市は基準を設ける動きに乗り出し始めた。名誉式典が、この様なモデルに対し組織されることにより、多くの人々が名誉を勝ち得るためのサンプルが視覚的に認知可能となるわけだ。

(辛口寸評)
この様な記事が掲載されるところから見ると、昨今、行政と住民との立ち退き交渉が捗っていない事が汲み取れる。実際問題として、行政が立ち退きの目安として地権者に呈示する補償は路線価を基準に算定しており、ここ数年来に渡る急速な地価の高騰による実勢価格との乖離は甚だしく地権者の立場に立てば到底受け入れられるものではない。その上、行政に携わる多くの人々は、その立場から得られる情報を最大限利用し、個人資産を殖やすのに邁進する一方で、常にその後塵を拝し不利益を被るものは、一般庶民という構図がある意味出来上がっているために、庶民から公正な理解が得られなくなってきているのだ。中国ほどでは無いにせよ、たまにベトナム人地権者のデモ行進を街中で見かけることがある。手に手にプラカードや横断幕を掲げ、シュプレヒコールを挙げることを除けば、皆静かなものだが どの顔にも深い憂慮の念が皺に刻まれ、瞳には憤りが宿っている。どこかの国で“痛みの伴う構造改革”を押し進めたが、結局、ベトナムでも痛みはいつも庶民の側が受けるだけで、支配者層や役人にはそれを求めないようである。

以上

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