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2008/02/27

どこか寂しい「寝台急行・銀河」の廃止!

「乗車率が低いのだから、仕方がないでしょう!」と言われたら、「そうですねぇ~!?」としか応えようがない。
「でもなぁ、能率ばかりが能でもあるまいになぁ~・・・・・」と独り言かな?

最初に、東京を目指したとき、お金が足りなくて「銀河」には乗車できなかった。
とても悔しい記憶がある。

その頃の「銀河」には、4人掛けボックス型座席車両が座席指定制度で連結されていた。
硬座の席に延々と座る事10時間近くだったかな?
その席にも乗れないほど、カネには不自由していた。
当時は、高速道路などなかったから、東海道を延々と列車で進むのである。
それでどうしたかというと、大阪駅から東京駅まで、銀河の出た後を走る「夜行鈍行列車」があり、それに乗車するワケである。勿論、硬座4人掛けボックス席だった。
夜の11時過ぎに大阪駅を出て、忘れられていない程度の駅には律儀に停車しながら、昼の1時過ぎに品川まで辿り着いたように記憶している。あと残りは新橋で東京だが、もう、辛抱できず品川で下車したのだった。
でも、考えてみたら、14時間ほどで鈍行列車が大阪から東京まで運んでくれるのだ。確か1800円前後だったように覚えている。
その後、この列車は廃止になり、電車車両で東京駅から大垣駅まで結び、大垣からは西明石駅までの快速列車に接続する形で、とにかく東京=大阪の夜行移動を繋いでいた。
これは、その後の改革で「ムーンライト長良」と呼び名が変わり全座席指定の夜行普通電車となり今日に至っている。

最初は、乗車できなかった「急行・銀河」は、東京起点で大阪止めと神戸まで延長の二形態が整えられ、神戸止めは後の一時期、姫路まで延長されていた。

姫路駅発着になった「急行・銀河」には三度か四度お世話になった記憶がある。いずれも硬座4人掛けボックス席が座席指定扱いだった。
それでも、東京まで直通の夜行急行は嬉しかった。硬座席でもとにかく12時間程度で東京駅へ着くのだから。播州の田舎者にはできすぎた話だった。

いつかは「寝台急行・銀河」の寝台車に乗車してやろうと狙いを定め、約20年前の今頃に実現した。後にも先にもこれが最初で最後だった。
偉そうにも、大阪から横浜までA寝台を手当てした。昔は、全く手が出なかったB寝台を飛び越え実に過分な事だ。

Trd0802171520009p25Trd0802171520009p27sankei「寝台急行・銀河」が消えると報じられ、「そうか!」と思ったが、それだけだった。
現在、東京=大阪の移動はほとんどが航空機利用になったし、よほどの事情がない限り新幹線にも乗車しない。乗車すると寝てしまう深寝入りの熟睡もあり、睡眠すべき時間に眠れず翌日は疲労困憊する事を何度か経験した事で、深寝入りしない航空機移動へシフトしたのだった。

それでも、時折、最初に東京を目指したときは「急行・銀河」に乗るカネもなかったと、反芻するのである。
その意味で、ある時期まで「寝台急行・銀河」は高嶺の花であり、東京との間を繋いでくれる存在だったともいえる。

乗れもしなかったくせに、あるいは乗りもしなかったくせに、
少し寂しい思いもする。「そんな時代もあったねと」いう事だろうか。

それぞれの人にはそれぞれの「寝台急行・銀河」に対する思い入れがある事だろう。あと2週間ばかりかな?ラストランの当日、コラコラコラム主宰者は国内にいない。いまもいないが。

引用開始→ さらばブルートレイン銀河、走り続けた歴史も終着駅   (夕刊フジ)
狭い通路、質素な客席がノスタルジック

8時間20分、556.4キロの旅を終え、早朝の東京駅でEF65(電気機関車)から切り離される銀河(写真掲出割愛)
3月15日のJRのダイヤ改正で現存する唯一の寝台急行「銀河」(東京-大阪)が廃止される。最終の新幹線より遅く出発し、始発新幹線より早く到着する利便性から、ビジネスマンや学生に愛用されたのも今は昔。東京と大阪を「のぞみ」が2時間25分で結び、3000円台の高速バスも出現し、存在価値が薄れてしまった。1947年以来61年間、東海道を愚直に走り続けた名物列車の“定年退職”。最初で最後の乗車記をお伝えする。

【大阪発】
「銀河」は東京駅を午後11時、大阪駅を午後10時22分に発車。大阪駅に翌朝の午前7時18分、東京駅には午前6時42分に到着する。乗車・急行・寝台料金合わせてA寝台上段が1万9310円、下段が2万270円、B寝台が上下段とも1万6070円。

大阪を出て間もなく、車内検札が始まる
牽引(けんいん)する電気機関車はJR東の田端運転所(東京)所管だが、車両はJR西の宮原運転所(大阪)が所管。「ならば大阪から乗るのがスジ」と解釈し、某日夜、大阪駅10番ホームに立った。入線時刻は午後10時16分だが、すでに9時30分ごろから乗客や鉄道ファンが集まり始めていた。

大阪市内の真言宗寺院住職、福井文隆氏(68)は、30年以上も毎月1回、銀河に乗車し続けている“ヘビーユーザー”だ。

「毎月21日に弘法大師さんのお参りで栃木まで行ってましてな。朝6時30分過ぎに東京に着いて、上野を7時過ぎに出る東北本線に乗ると宇都宮にちょうど8時30分ごろ着きます。これがベストですねん」

銀河廃止以降は、どうするつもりなのか。

「エッ、銀河なくなってまうんか!? ホンマに? 知らんかったわぁ…。兄ちゃん、そんでウチに取材しとるのね。あぁ、どないしよ…」

JRの車両清掃を請け負う会社の社員で、職場仲間4人と乗車した高梨美枝子さん(59)も「車両清掃コンテストで優勝したご褒美として、会社から招待されましてん。毎日列車に触れてますが、実際に乗るのは初めて。横になっているうちに東京へ行けるなんて夢のようやけど、これが最初で最後なんてホンマ残念なことやね」と話した。

【出発】
B寝台の車内通路
10時16分。8両編成の銀河が入線。2枚式折り戸がノスタルジックだ。車内の通路は、大人1人がやっと通れるほどの狭さ。車いすの乗客は、2人の車掌が抱きかかえて運ぶという。客席周りも極めて質素だ。

午後10時22分、出発。「ガコン」という大きな音とともにソロリと滑り出した。乗車率は約8割という。

記者はB寝台を利用。2段式の座席兼ベッドで、向かい合わせの4人で1つのボックスを使う。ベッド使用時間以外は、下段の座席兼ベッドに、上段の客と2人掛けで座る。もちろん、女性専用車などはない。

出発後間もなく「ハイケンスのセレナーデ」の音色が流れ、車内アナウンスが始まった。11時9分の大津駅出発後には車内放送を中断し、車内の一部を消灯するという。実際には、大阪出発直後に多くの乗客がセルフでベッドメークを完了させ、早々にカーテンも閉め切っていた。

【消灯】
寝台セット前(右側)とセット後のB寝台(写真掲出割愛)
10時58分、京都を過ぎ、検札後に車内を一回り。数人の乗客が携帯電話で記念撮影を行っていたが、すでに寝ている乗客がほとんど。照明の落とされた車内は異空間のようだ。

11時51分、米原駅を出発。記者もベッドメークに初挑戦。といっても、シーツに敷き毛布を掛けるだけ。寝床は長さ190×幅93×天井高113センチの広さで、サスペンションもほどよい固さだ。窓からは沿線の夜景。寝心地は格別だ。レール模様の浴衣に着替えて就寝。

午前3時、「ゴーッ」という音で目が覚めた。すでに浜松駅。時間調整で10分の停車中に3台の貨物列車に抜かれた。のどが渇き、洗面所に向かったが「これは飲料水ではありません」の注意書き。車掌に聞くと、なんと車内には自動販売機はおろか冷水器もないという。仕方なく洗面所の水を一気にガブ飲み。

寝台に帰る途中、カーテンを開けたままメールしている男性を見かけた。大阪市在住の会社員、中村誠さん(24)は鉄道好きが高じ、東京出張のたび銀河を愛用してきたという。

「いつも大阪駅内でギリギリまで同僚と飲み、1人で銀河に飛び乗ってすぐに爆睡してましたが、今回は最後の乗車なので何だか眠れなくて…。次の出張は高速バスでしょうね」

お母さんと一緒に旅した1歳10カ月の柳子凛太郎くんも、立派な銀河ファン

【起床】
午前6時、再び「ハイケンスのセレナーデ」と車内放送で目が覚めた。列車はすでに大船駅に迫っている。ゴロンと横になりながら、いつもは自分が乗っている朝の通勤電車を眺めるのは何ものにも替え難い優越感。ここから終点東京までが、一番楽しかった。

午前6時42分、東京駅9番線に到着。ホーム先端では、一晩走り続けた真っ赤な電気機関車の切り離し作業が行われ、平日の早朝にもかかわらず記念撮影をするファンが押し寄せていた。

京都から1歳10カ月の柳子凛太郎くんを連れて銀河に乗車した鉄道マニアの母親(34)は、「この子にも“鉄ちゃん”の英才教育をしようと思いまして。いつの日か、自分が銀河に乗ったことの重みを分かってくれるでしょう」と感慨深げに話した。

それにしても、慣れない寝台列車の旅は疲れた。そんな過酷な旅を61年間休むことなく続けてきた銀河とその運行に携わった多くの人たちのことを思いながら、一晩の感謝とともにそっとつぶやいた。「ありがとう、銀河」

■鉄道写真家櫻井寛氏「ひとつの時代の終わり」
今回のダイヤ改正では、「銀河」のほかに京都発熊本行き「なは」、長崎行きの「あかつき」も廃止。関西発九州行きのブルートレインは全廃となり、東京発で残る熊本行き「はやぶさ」、大分行き「富士」も廃止は時間の問題だ。鉄道写真家の櫻井寛氏(53)は次のように語る。

「92年の新幹線『のぞみ』運行開始を境に、寝台列車の乗車率は激減。平均4割程度まで落ち込みました。それでも、乗車した4割の人にとっては何ものにも替え難い列車。『夜行』や『寝台』という言葉が死語になりつつあることも悲しい。東海道を夜行列車で走る喜びは、夜行バスでは決して味わえません。ただ、寝台列車の廃止は欧州でも顕著ですし、ひとつの時代の終わりということでしょうね」

JR西日本大阪車掌区の瀧山彰さん
■車掌歴38年瀧山彰さん「仕事場としての列車なくなるのは寂しい」
銀河にも多く乗車した車掌歴38年の大ベテラン、JR西日本大阪車掌区の瀧山彰さん(56)に話を聞いた。

銀河の乗務シフトは現在、月1回程度。朝6時42分に東京で乗務終了後、品川の休憩所で休んだ後、午後9時に点呼を受け、午後11時発の大阪行きで戻り、その日は非番、翌日公休というパターンです。車掌は“乗ってナンボ”の商売ですから、仕事場としての列車がなくなるいうのは、寂しい。東京への乗務も、なくなりますしね。

ただ、思い出は苦労話ばかりですね。酒盛りのグループが他のお客さまとトラブルになることはしょっちゅう。無賃乗車の若者が東京から静岡までトイレに立てこもったことも。到着間際の洗面時間帯の盗難事件も多かった。

60代ぐらいの関西の資産家のご婦人で、約3カ月間毎日乗車した人もいました。家庭で盗難事件が起きて人間不信になったそうで、毎日大きなバッグを抱えてきてね。寝台でも眠らないんですよ。荷物を持ってあげようとすると『触らないでください!』って(笑)。東京駅に着くと新幹線で帰阪し、また当日の夜に銀河に乗る。車掌の間でもしばらく話題になっていました。
ZAKZAK 2008/02/27  ←引用終わり

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