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2008/08/22

北京オリンピック開会式の虚飾と偽造!「テレ朝・Nステ」批判もできず!礼賛を垂れ流し!

北京オリンピックが「ペテン・オリンピック」と揶揄される原因を構成した三点に対する、中国国内での「批判」の嵐を論じた「コラム」を見出せた。
コラム全文は長文だが、全体の構成もよく抑制的な纏めながら巧く書かれている。
リンク貼りではいつか整理消去される事を回避できない点を考慮し、長いけれど全文の引用紹介をさせて貰いたい。

先日(8月20日だったと記憶)、テレビ朝日「ニュース・ステーション」はコメンテーターを務める加藤某(朝日新聞論説者)の北京オリンピック取材を放映した。
その主要部は、加藤某が、開会式のプロデュース総監督を担った「張芸謀」へ自慢の「北京語」で行ったインタビューを軸に形成していた。
加藤某は、張芸謀に対し、全体の構成を褒めちぎった上で、①口パク、②CG(グラフィクス処理)で欺いた事、③56民族の少年少女行進の嘘を、指摘し「張芸謀」の見解(弁明)を求めた。
①に対する弁明は、概ね「新中国(中華人民共和国)の来し方と未来を示す上で、どのような方法がよいか考えた上での事だ。演出の上では技術の問題であり、大きな事ではない」との主旨だった。
②に対する弁明は、概ね「CG技術で、ここまで、このような事もできる事を見せたに過ぎない。これも演出の上では技術の問題である」との主旨を示した。
③に対する弁明は、実に奮っており殊更印象深い内容だった。いわく「中国は、多民族の国であり、幅広く『中華民族』を形成している。『漢民族』を中心に56の民族が協力し一つの家族として国を形成し世界の一部を構成している。それを形式的に表現したに過ぎない」との主旨だった。

加藤某は、何よりもインテリジェンスの高さを鼻にかけたリベラリストを自認する度し難いまでに市井の市民を見下したコメントを発する人物である。

リベラリストの加藤某は、放映画像に由ると、ナンとも「張芸謀」が述べ立てた3点に対し、一切の反論もせずに全てを受け入れたのである。

少なくとも、中国の友人を自認するなら、①口パクは、「中国の信用を低下させた」。②「CGの技術が高度化されたのであれば、その点を明らかにした上で、活用すれば賞賛も多くなった」。③56の多民族の中で「漢民族」が突出しているのは事実かも知れないが中華民族という概念は別に議論するにしても、何よりも「ワンワールド」「ワンファミリー」を世界に向けて主唱したいなら、中国の少数民族はもとより全世界で全ての民族は「平等」「対等」でなければならない。いかに中国人(漢民族)が13億人いようが、世界は人数の多寡で主軸が決まるわけではない。

世界に向けてものを言いたいなら、まず民主主義を徹底する事だ。民主主義の基本は少数者の存在を保障する事に始まる。少数意見を尊重する思考が前提だ。漢民族優先主義という稚拙な権力を笠に着て、(漢民族でも)弱者や少数者を警棒で叩き追い散らす、あるいは戦車で踏み付け蹂躙するような国は民主主義とは相容れない。

その程度の国が、エラそうにオリンピック開会式の演出で軽々に扱うものではない。また何よりも中国内にいる残り55の少数民族を無視して扱うべきではない。常に「漢民族」が優秀(実は人品ともサイテーのくせに)だとバカバカしい主張を重ね、世界の中心を占め居座ろうとするから中国は国際社会で信用されない。

この程度の事は、ハッキリ指摘し反論すべきであると考えるが、「テレビ朝日」の体質か、はたまたピエロ・古館一郎と同じか、「中国礼賛」「中華饅頭低国」への思い入れ過多が原因か、実にスンナリと礼賛と協力姿勢を見せ千切ったのであった。
「テレビ朝日」と「ニュースステーション」の相も変わらぬ姿勢を見せたのであった。
どこの国のどこのテレビだ?加藤某なんて昼前叩頭新聞の論説者らしい現実離れした中国かぶれのヘタリに過ぎないのである。

このバカバカしい「テレビ朝日・Nステ」や加藤某に比べたら、中国国内の言論の方がまだしも「自己分析的であり自己批判的である」。
「礼賛と批判」両方が存在してよいのである。
それにより、言論の自由は保障され、社会ではダイナミックな議論ができるのである。

引用開始→ 開幕式の「まやかし」が傷つけたもの ネットに溢れる中国国民の怒り<2008/08/21>  (日経NET)

遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

1941年、中国長春市生まれ。筑波大学名誉教授、帝京大学グループ顧問(国際交流担当)、理学博士。中国国務院西部開発弁公室人材開発法規組人材開発顧問。著書に『チャーズ』(読売新聞社、文春文庫)、『中国大学総覧』(第一法規)、『中国大学全覧2007』(厚有出版)、『茉莉花』(読売新聞社)、『中国教育革命が描く世界戦略』(厚有出版)、『中国がシリコンバレーとつながるとき』『中国動漫新人類~日本のアニメと漫画が中国を動かす』(日経BP社) ほか多数。当サイトの連載「中国動漫新人類」と「中国“A女”の悲劇」が大きな注目を集めている。「動漫」の連載を始めた詳しい経緯は、こちらの同連載第1回に。二児の母、孫二人。

北京オリンピックの壮大な開幕式(開会式)の中で私を最も惹きつけたのは、9歳の少女、林妙可(リン・ミャオクァー)が歌った「歌唱祖国」という歌だった。

これは、1950年代初期、私が天津の小学校に通っていた時に世に出た歌で、行進曲風のテンポの速い力強い曲なのだが、その子は非常にスローなテンポで歌った。その意外性と澄んだ歌声は、私自身が革命の血潮まだ冷めやらぬ新中国(中華人民共和国)で、「日本鬼子!日本狗!」(日本の鬼畜生)と罵られながら歌った時を思い出させた。私は思わず立ち上がって共に歌い、涙を隠すのに必死だった。この歌詞は、49年に誕生したばかりの新中国を讃える内容で、文革時代にも歌われ、今日まで歌い継がれているため、きっと多くの中華民族の心に深く響いたことだろう。

その歌が、実は「口パク」であったと知ったのは、4日後の8月12日である。
しかもその理由がすごい。

実は、誰がこの晴れ舞台の歌い手となるかに関して、全国から「容貌が美しく歌唱力のある少女」を集め人選を行ったのだが、最も美しい林妙可は歌唱力が弱く、最も歌唱力の高い7歳の楊沛宜(ヤン・ペイイ)は「長相」(顔立ち)がいま一つだったとのこと。そこで、中国がいかにすばらしいかを世界に示すには、容姿が最も優れている林妙可を舞台に立たせて、予め録音しておいた楊沛宜の歌を流し、「容姿+歌声」で一対とさせる以外にないという判断が、中国政府最高指導層の政治局員を交えた話し合いで決定された、というのである。

■感動の分、怒りも大きい

この判断自身が尋常ではないが、もし後ろめたい所がなければ、せめて開幕式後の記者会見で、一生懸命歌った7歳の少女、楊沛宜の名誉を讃えて発表するなり、あるいは二人を舞台に立たせるなど、いろいろな方法があったと思うが、この事実はその後、アクシデント的に明るみになった。開幕式音楽総監督の陳其鋼氏がインタビューで、うっかりなのか、あるいは(政府の決定に抵抗して)故意になのかはわからないが、この事実を漏らしてしまい、しかも「楊沛宜が落選したのは、対外的形象を考慮したからであり、これは“国家の利益のため”である」と決定過程の一部を語ったのである。この「対外的形象」という玉虫色の表現は、ストレートに言えば、「外見」と言ったに等しいと解釈していいだろう。

これが中国国内の世論だけでなく、かつての強権政治時代に海外に逃れて望郷の思いで生きている地球上のすべての中華民族の心を激しく逆なでしてしまった。

あの歌声により、中華民族の誰もがそれまでの人生を思い巡らせ、怨讐を超えて、「遂にこんな日が来たのだろうか、いろいろあったが、これで良かったのかもしれない」と納得しただろう。そういった崇高に近い感動を受けた分だけ、「裏切られた」と感じたときの怒りは深く激しい。

中国語圏のネットを「假唱」(偽の歌)あるいは「対口型」(口パク)という文字が飛び交い、国民の怒号が聞こえんばかりの怒りと罵詈雑言が走るのに、時間はかからなかった。

「嘘だ!あり得ない!」
「誰かが流した、悪質なデマだ!」

というのに始まって、

「失望した。許せない!」
「政府はわれわれの心を裏切っただけでなく、全世界を騙すことによって、この聖なる開幕式を汚したのだ!われわれ中華民族の誇りを汚したのだ!」
「中国は官抱えの偽造を始めたのか?!」
「偽物で真実の中国を伝え得るとでも思ったのか!」
「何が真実の美なのか。偽物の感動より、不完全でも真実の美の方がどれだけ感動を与えることか」
「一人の少女の顔立ちが、国家の利益に影響するというのか。楊沛宜は十分に可愛く純真で感動的だ。そこには真実の美さえもある」
「子供は全て天が与えた天使だ」
「国家の利益のために、少女の純粋さまで利用しようとするのか」
「こんな詐欺行為に近いことをすることが、中国の国威高揚につながるとでも思っているのか!」
「政府よ、恥を知れ!中国政府の恥知らず!」
「このような国家ぐるみの偽造行為を発信するということが、国際社会において、どのような中国のイメージを作り上げていくか、考えたことがあるのか!」
「こういうことをすることこそが、中国の国家利益を損なうという事さえ分からないほど、政府はボンクラか」
「ああ、偽造偽装は、ついに中国の国策となり果てたのか。偽装偽造は子供のころから培えと(子供たちを)教育せよとでも言うのか!」

■中国政府、「口パク」記事を削除

こういった激しい失望と非難がネットに充満した。しかも文面から見るに、今回はどうやら、いわゆる80后(1980年以降に生まれた世代)という若いネット世代ばかりとは限らず、高年齢層がかなり含まれているという印象を私は持った。

日本のメディアでは、中国では「こんなのはよくあることだ」と言っていると報道されがちだ。だが、匿名性の高いネットでは事情が異なる。本コラムの<教師の告白があぶり出した中国社会の「危機意識」>でも触れたが、「マイクを向けられたら本当のことは言わない」という処世術は、中国庶民の骨の髄まで染み付いており、政府にとって耳触りのよい答えしか戻ってこない。庶民の真情をキャッチするには、庶民の中に溶け込んで感じ取るか、ネット言論にアクセスするしかないのである。マイクを向けられた時に抑制し粉飾する分だけ、ネット言論は激しさを加速させている。

これに対して中国政府が取った態度は、政府を非難した多くのサイトの記事とネットユーザーたちの書き込みを、次々と削除し封鎖することであった。

少なからぬ記事が一瞬で消え、中には明確に「皆さんの討議は削除されました」と明示することによって「抵抗」を示しているサイトもある。また検索した項目の中にはタイトルがあるのに、そこをクリックすると、「この頁は法律法規あるいは政策に不適切であるため示すことはできません」という文字があらわれ、5秒ほど経つと他のページに飛ぶように設定されているものもある。これらは削除された痕跡を残している「証拠」と考えていいだろう。

8月12日付の「洛杉磯(ロサンゼルス)時報」の記事が、多くのサイトに転載されている。それによると「中宣部(中共中央宣伝部)は本日から関与を開始し、多くのネット上の討議書き込みを削除し、林妙可の対口型(口パク)唱歌を示す画像を開けないようにアクセスを封鎖した」とのことだ。

とはいえ、実際には残っている記事もかなりある。8月18日現在、まだ削除されずにいる「中国法院網」(法院は裁判所のこと)に書かれている記事は実に手厳しい(発布時間:8月13日、13:45。筆者:奚旭初)。その概要を示す。

「假唱(口パク)は今では物珍しいわけではない。ある種の歌手たちは金儲けのために他人が歌ったCDに口だけ合わせて歌っており、職業モラルの根本に欠け、全社会の譴責(けんせき)を受けている。假唱は歌唱芸術の恥であり、後退である。観衆は假唱に対して深い嫌悪感を抱いており、非難の的となっている。

にもかかわらず、中華民族が百年間、待ちに待ったオリンピックの、全世界が注目する晴れの開幕式において、この假唱が出現した。おまけに民衆を欺き(国の)名誉を盗み取る(国が有名になろうとする)この假唱が、あろうことか、“国家の利益”のためであるという言い方がまかり通る。このようなインチキをして人を騙すやり方は、楊沛宜と林妙可の二人共を傷つけただけでなく、中国国民を欺き騙し、世の人々すべてを欺き騙したのである。

開幕式が中華民族の栄光と夢であるだけに、假唱などという現象が混在したことは、人々に否定しがたい不安を抱かせるのだ。すなわち、もし“国家の利益のため”という大義名分さえあれば、どんなことでもして良いことになり、いったいこの後、何が隠され、誰が表舞台から消されるということになるのだろうか、と心配になるのである」

「博鋭管理在線」(「在線」はオンラインの意味)は、8月12日に、開幕式の総監督を務めた映画監督・張芸謀に対して「張芸謀は映画の技法を用いて全世界を欺き騙した」というタイトルの記事(筆者:劉先明)を載せている。そこには次のような文章がある。

「果たして、楊沛宜が舞台に立って歌うことが“対外的形象”と“国家の利益”を損なうことにつながるのだろうか?実際は、その反対ではないのか。開幕式の中で全世界の人民に向けて≪歌唱祖国≫を歌う時に口パクをさせる方が、よほど“国家の利益”を損なうのではないだろうか?なぜなら、こういうやり方こそは全世界の人民を欺くやり方であり、不誠実な(真実味のない)中国を全世界に見せることになるからである」

この、「真実味のない中国という印象を世界にばらまいた」という事実に対する不満は、多くの書き込みにもあり、政府への不信感を露わにしている。

■オリンピックの精神は

「中国財経網」は、「奥運双簧」(オリンピックの二人羽織)というタイトルで、口パク現象を酷評している(8月12日15:41、筆者:楊彬彬)。

見出しには「オリンピックの開幕式の舞台で、“国家の利益”の名において出現した赤裸々な假唱(口パク)行為こそは、まさに国家利益に背き、オリンピック精神に反している」と明言している。

財経網によれば、開幕式後に開催された記者会見で開幕式の総監督を務めた中国の国家級の名監督、張芸謀は、わざわざ「開幕式の全行程の中で、私を最も感動させたのは9歳になる女の子、林妙可が清唱(扮装やしぐさをせずに京劇の歌だけを歌うこと。筆者注)した《歌唱祖国》だ。この女の子は《歌唱祖国》を歌う時に、いつも今日の(ように歌った)程度まで練習して私を感動させた」と語ったというのだ。

これが真実なら、張芸謀はつかなくてもいい嘘をつき、粉飾を重ねたということになる。口パクでないことを保証するために、「歌唱」という言葉を使わずに、わざわざ「清唱」という単語を用いた。「粉飾をせずに“歌だけ”を歌った」ということを強調したことになる。これはまるで、親にチョコレートを食べてはだめですよと言われた子供が、陰でこっそり食べたあと、親に聞かれもしないのにわざわざ自分の方から「ボク、チョコレート、食べてないよ」と告白するのに似ている。

財経網は、「オリンピック精神とは何か?!」と最後に突き付けている。

「オリンピック精神に反するではないか」という書き込みは他にもかなりあり、「わずかの不正も許されないはずであり、ドーピング等(の裏工作)も厳しく取り締まっているはずだ」というものや、命を賭けてメダルを獲得した選手たちを汚すものだと非難するものもある。

そして、私の尊敬する張芸謀は、「お前は権力に屈し、国民を欺いたのか?」という誹謗をネットで受けるようになった。

国民の怒りは、これに留まらなかった。
もう一つの偽造が見つかったのだ。

今ではすっかり有名になっている、夜空に放たれた、オリンピック会場に向かう巨人の足だ。第29回目のオリンピックであることから、北京の南の方角から、風水的に縁起が良いとされている北のオリンピック会場に向かって駆けていく28個の足型の花火が、実は1年以上前からパソコン上の画面で制作されたCG画像であって、最後の一足以外は、これもまた「偽造」であったということがばれてしまった。

「京華時報」の報道によれば、この事実をばらしたのは、開幕式画像効果工作小組の高暁龍とのこと。彼の話によれば、「みんながテレビを通して見たあの足型の花火の画面は、その場で放たれたものではなく、あくまでも1年以上の時間を使って3D技術を使ってパソコン上で制作されたもので、それは当日の天気や飛行機の空中管制、撮影時間や角度の問題などを考慮し、開幕式を演出する監督組が3Dの方法を用いようと決断した」とのこと。

私が個人的に驚いたのは、この画像制作を請け負ったのが水晶石公司であるということだ。この会社は拙著『中国動漫新人類』を執筆する最終段階で取材した会社で、オリンピックに関する動画や会場紹介のためのシミュレーションを担当していると言っていた。そのとき参観してもいい工作室と参観してはならない工作室があったが、この足型花火のCGは、あのときここで制作されていたのかと、奇妙な感慨を抱いたのである。

この「偽造」に関しては、効果が良ければ良いではないかというものもないではないが、しかし、やはり「中国は国家ぐるみの偽造大国になったことを全世界に知らしめた」として激しく非難する記事や書き込みが目立った。

「100年待った中華民族の誇りは、こんな虚像によって実現されたのか」
「なぜ、もっと真実味のある中国の力を見せなかったのか。これでは逆効果となり、中国は信用と真実性を失うためにオリンピックを開催したことになるではないか」

と嘆く書き込みもある。

もちろん、これらの記事やサイトの多くも、政府によって削除されたりアクセスを遮断されたりして封鎖されている。

第三の偽造として騒がれたのは、56の民族の子供たちが大きな五星紅旗を持って入場した場面である。プログラムの紹介には「56の民族から来た児童たちが」という説明があったらしい。しかし実際はすべて漢民族の子供たちが各民族の民族服を着たにすぎなかったことを、中央電視台銀河少年芸術団の袁副団長がばらしてしまったのだ。

これに関して海外メディアでは、第三番目の偽造として騒がれたが、中国国内では、非難の声はあまり起きていない。

なぜなら56の民族のうち、約9割(90.56%)は漢民族で、残り1割(9.44%)が55種類の少数民族によって占められている。すなわちネットユーザーのほとんどは漢民族であると考えてよい。したがって、漢民族主導による演出に対してネット上で不満を言うものは多くはないのだろう。

ただし、一部、少数民族からの不満を見出すこともでき、そこには「漢民族主導」に対する不満が綴られている。55の少数民族が漢民族と緊密に団結し、五星紅旗、つまり中華人民共和国を守るような演出をしているが、実際は漢民族の国を守るために、漢民族主導により「あたかも少数民族と団結している」という演出をやっているに過ぎない。漢民族の子供たちが、われわれ少数民族に扮するということは、それを象徴しているようだと自分には感ぜられる、といった趣旨の文章だった。

■国民の愛国心はどこに向かう

中国政府はオリンピック報道に関しては全て北京オリンピック委員会と国際オリンピック委員会の管轄下で設立された国際組織BOB (Beijing Olympic Broadcasting)に任せ透明性を高めると宣言したが、これ等一連の出来事は報道以前の問題である。

これまで実況中継では30秒間遅れで放映するのが慣わしとなっていた中央電視台も、今回こそはそれもやめると宣言し、いよいよ国際社会と同等の立場になり、中国はオリンピックを通して国際社会において威信を高め国威高揚に向かって一気に駆け上るはずだった。

もちろん開幕式のスケールは大きかった。またオリンピックが中国で開催されたことにより、多くの中国国民は自国への誇りを強め、中国が金メダルを獲るたびに流れる国歌に酔いしれもしただろう。

しかし、その裏にここまでの「まやかし」があったとすれば、形と面子を重んじた中国の実像と精神性が強調されて、国際的な印象は悪化こそすれ、改善されるとは思えない。少なくとも「真実味のない中国」というイメージを国際社会に与えてしまったのは否めないだろう。

何といっても痛いのは、少なからぬ国民が政府に失望したことである。オリンピックが終われば、一時しのぎで建設工事を中止し休職を余儀なくされた民工たちの問題やオリンピック会場整備のために立ち退きを強制された住民の問題等が待っているし、また日中間では餃子問題の解決等が待っている。

「偽装大国中国」という中国内外におけるイメージと、激昂する愛国的ナショナリズムのせめぎ合いは、どの方向に向かうだろうか。来年、中華人民共和国は、新中国誕生60周年記念を迎える。動向を見守りたい。

※記事末尾の「偽装大国」という表現は、中国のネット上で見られる言葉を引用したもので、記事筆者の造語ではありません。ご了解ください:編集部
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