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2009/10/14

中国にGDPを追い抜かれるの是非より、一人当たり日本人の「幸福」を考えるべきだ!

今日も、日本の「浮沈」についての議論に的を絞ります。

基本は「経済を成長させ『若者』の就業機会を与える」事がなければ、所得の増大もないし何よりも社会の安定(安心)はないというテーマについて考えてみます。

下記に引用させて頂く、原田氏の論究を待つまでもなく、日本の報道はやや歪なところがあって「日本のGDPが、中国に追い越される」と「この(面)ままでは、もう日本はダメだ」みたいに、かなりオーバーで恐怖心を煽るような、ある意味で無責任ともいえる報道が目に付くのは頂けないと苦々しく思っています。

以下で、原田氏が指摘し看破するように、中国の人口は公称13億人で、日本の公称人口1億2700万人のほぼ十倍である。その中国の生産性が日本の10分の1なら総生産額は日本と同じだし、何よりも普通に考える能力を持つなら中国の生産力が日本の10分の1なんて事がいつまでも続くわけがない。
従って、圧倒的に人口が多い中国が、やがて日本のGDPに並び追い越すのは当たり前の事なのに、大騒ぎした報道が目に付くのは頂けない。
総額ではなく、一人当たりという中身を重視する事が重要だ。

そんな事より、住環境や都市基盤あるいは環境を含めた都市市民の生活感に基づく「幸福度」や「購買力平価」が、もっともっと重視されなければならない。
もとより、ローカル地域に生活基盤を置く市民の生活感はより重要である。
仮寓ともいえる「都市生活」を絶対視した上での議論か否かも重要ではないかと考える。

「都市の社会生活基盤」を支えるのは、周辺部を含めた地域であり、とりわけ「東京」はその他の日本の全地域の犠牲により支えられ存立している。
東京都民は、この点を本当に認識しているのかどうか、甚だ疑問が残ると常日頃から考えている。
つい先日までは、ローカル地域に生まれ育った者が、陽が当たる「東京」へ彷徨い出てきて、幸いにしてというか一瞬の僥倖に恵まれ一廉のポジションを得た程度で、尊大な態度に変身すると共に「(にわか)東京人」を健気にも演じようと試みているようで、その種の御仁を目にすると片腹痛しで思わず吹き出してしまう。
偉大なる田舎者の巨大な集合体が「東京」であり「首都圏」である。
そこでは、デキもしない「東京言葉」に「東京アクセント」を求め「悪戦苦闘」し、のたうち回る(元)偉大なる田舎者の滑稽さを嘲笑わずにはいられない。

都市というのは、いずこも同じで、話題の「中国」でも「北京語」を話し「北京のアクセント」というか「言い回し」に注力する「中国のローカル出身学生」の態様を見ると、微笑ましいというよりバカバカしいという感情が先に立つ。
「上海」へ行けば、これはもっとハッキリしていて、「上海語」というか「上海アクセント」はもとより「北京語」を嫌う純粋「上海市民」を真似ようと取り組み悪戦苦闘する姿は、洋の東西を問わず滑稽でしかない。

その種の事を繰り広げながら、「都市は膨張」し、そこに仮寓を求めるヒトを吸引し続けたのである。
しかし、日本の場合は、「東京」だけが異常に膨張し、効率は良くなったかも知れないが、根源的には「生産」を失ったに等しい「東京」は、単なる「流通」と「消費」だけの「バカでかい都市」になろうとしている。
それでも「東京」へ蝟集させようとする「産業政策の無策」に「都市計画の無策」も作用し、いまとりあえず「東京」へ蝟集してみても、よほどの幸運というか僥倖にでも恵まれない限り、大半の蝟集者の人生は憐れな結果しか残らない。
正業としての職を手にできなかった多くの若者は、とりあえず「(不定期でも)就業」し、仮寓の生活を確立しようと努力するが、彼らの1日の労働で得る対価、いや1年間に渡り、額に汗し手に汗して得る貴重な収入総額を、一瞬にして稼ぎ出す者も存在している。
それも間違いではない。

しかし、「君はなぜ、『東京』に仮寓を求めるのか?」に対する回答は曖昧である。
多くの若者は、自身の貴重な人生(取り返しのつかない)を収奪されるために『東京』に仮寓を求め、自らの成功を夢見る、あるいは『幻想』を追う」のである。
しかし、それは実に巧妙に「自身の人生をソフトに収奪され『奴隷労働』に嵌められている」に過ぎないのだが、彼らの多くが「自分には『夢』がある」と主張する(嘯く)のである。

原田氏が指摘するように、日本の一人当たりGDPは、米国には劣るが、それでも高い。
何よりも「東京」の一人当たりGDPは日本の中では抜きに出ている。

これを見て、若者は「東京」での仮寓に巨大な幻想を抱き続け、人生を浪費(ではなく「奴隷労働により巧妙に収奪」され)ている。

しかも政治は、この点について「見て見ぬフリ」を続けている。
抜本的に対策を講じ、そのための施策を施行しようともしない。
政治は、貴重な「若者」の能力を人生を見捨てている。
実に冷たい、冷酷な政府だと言わなければならない。

「東京」を購買力平価で比較すると、決して「豊」ではない。
おそらく絶対的な「幸福」も感じる事はないだろう。
仮寓として考えれば、一廉のポジションを得た側は、ほどほどの「幸福」に包まれるかも知れない。
その程度である。

日本の購買力平価は停滞していると、原田氏は鋭く指摘している。
これをどう考えるのか?
全体の「幸福」を真摯に考えるのであれば、現在のような「政策」では、そのうち誰も「幸福」を感じ取れなくなるのではないか?

日本の経済は、踊り場で停滞感を窺い始めている。ともすれば二番底が近いとも言われている。
いったい日本の政治は、何を解決しようとしているのか?
市井の市民としても愚者愚者珍民としても「居酒屋での愚痴や罵り」ではなく、冷静に振り返り考えてみたい。

引用開始→ 「1Q91という日本」(2009/10/09)
執筆者:原田 泰 氏(大和総研 常務理事チーフエコノミスト)

日本の国内総生産(GDP)が世界第2位から陥落、中国に追い越されて第3位になるとか言われている。おそらく中国に追い越されるのは今年ではなくて来年2010年になるだろうが、じき追い越されるのは間違いない。ただし、私はこれが大問題とは思わない。中国の人口が日本の10倍あることを考えれば当然のことだ。中国人の生産性が平均で日本人の10分の1以下だったことがおかしいのだ。現在、おかしいことが是正されるといった当然のことが起こっているだけだ。また、中国のGDPが世界2位になるという話は、為替レートで換算した場合だ。中国のGDPは、内外の物価差を調整した購買力平価ではとっくに日本を追い抜いている。

中国よりも自国のこと

中国がどうであろうが、大切なのは日本の1人当たりの所得が高いことだ。生活水準を問題にしているのだから、当然、ここでのGDPは購買力平価GDPであるべきだ。ところが、日本のそれが停滞しているのだ。

Harada88sgdp9006←図は主な国・地域の1人当たり購買力GDPを、米国を1として表したものである。基本的に人口400万人以上の先進国・地域を網羅している(ニュージーランドの人口が一番少なく418万人)。データはオランダのグローニンゲン大学のアンガス・マディソン教授が作成した。データは06年までしかないから、世界金融危機以前の状況を表していることになる。多くの国があるので見にくいが、中央部分の茶色の線が日本である。図は1980年以降しか描いていないが、戦後日本は米国との差を見事に縮めてきた。その頂点が91年である。日本は米国の85%にまで近づき、日本は世界で3番目に豊かな国になった。当時、日本より豊かな国は米国とスイスだけだった。ところが、そこから日本の凋落(ちょうらく)が始まる。85%まで近づいて以後は2006年に72%まで低下してしまう。日本より豊かなのは、米国、香港、ノルウェー、シンガポール、カナダ、デンマーク、オーストラリア、スウェーデン、スイス、オランダ、フィンランド、英国、フランス、オーストリア、ベルギーの15国・地域となる。

1991年、1人当たり購買力平価GDPが世界第3位となった日本では、もはや米国から学ぶものがないと言われていたが、とんでもないことだった。その後の日本の停滞は、米国に学ぶ力が衰えたということだ。もちろん学んで豊かであり続けるのは難しい。日本の場合は極端に低下しているが、欧州の多くの国も、米国の70%から80%にまで近づいた後、ほとんど足踏みしている。差を縮めているのはノルウェーだけだ。それも90年代の末以降は停滞している。スイスは米国よりも豊かだったのに、徐々に米国に遅れるようになった。ニュージーランドは一貫してアメリカとの差が拡大している。これに対して、香港、シンガポール、台湾、韓国は米国との差を着実に縮めている。98年に韓国が下落したのはアジア通貨金融危機のためだが、それを克服して再び米国との差を縮めている。

日本はなぜ、豊かさにおいて米国に追いつけなくなったのだろうか。追いつくことが難しいのは確かだ。欧州も追いつけないでいる。米国の持つ社会のダイナミズムを持っていないのだ。村上春樹氏の小説『1Q84』にあるように、日本は91年から別の世界の1Q91年に迷い込んでしまい、それが現在まで続いているようだ。そこには1Q84のように月が2つあるわけではないが、ダイナミックではなくて縮こまった日本がある。米国を嫌い、グローバリズムを嫌い、成長が嫌いになった日本がある。しかし成長を捨てても、社会の中ですでに富と地位を得た人々は、決してそれらを渡そうとはしない。成長によって若者の雇用と所得の増大を生み出さなければ、高齢者の安心もありえないことを考えるべきだ。←引用終わり
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