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2010/01/12

ユニクロは社会悪か? 考えもビジネスモデルもなく「道連れ廉売」に走る側が悪いのか?

興味深い記事がAERAに掲出された、昨年5月だったか6月だったかにAERAは「ユニクロ」を特集し褒めちぎっていた。
同じ頃、日経ビジネスも「ユニクロ」の特集を組み、そのビジネスモデルの優位性を褒めちぎっていた。
この頃を機にというか転換点として、新宿高島屋も「ユニクロ」を導入すると発表し、業界に少なからず影響を与えた。
@NIFTYが、AERAの記事を引き提議しようと試みているので、当該分野に関わりメシの種にありついている者として、簡単に構造を示したいと思います。

池袋の東武百貨店は、2005年2月に「ギャップ」、9月に「ユニクロ」を導入している。
松屋(浅草)は、2001年9月に「ユニクロ」を導入済みである。
西武百貨店は(本来、西友の百貨店事業だった)東戸塚店へ2009年9月に「ユニクロ」を導入した。
高島屋は、新宿に先立ち大阪・堺店へ2004年6月に導入している。
大丸も梅田店へ未定(2011年春?)までに「ユニクロ」を導入する意志を公表している。
大丸梅田店が「ユニクロ」を導入すれば、JR大阪駅を挟み、ヨドバシカメラの「ユニクロ」と駅の南北で展開する事になる。一方を閉鎖するか「ユニクロ」が「ユニクロ」と競合しながら販売競争し合うかの展開が注目される。

分かりやすい表現をすれば、百貨店という業態は、小売業か不動産業(商業ビル)かという事である。百貨店という業態は「小売業としてのノウハウ」を保持していたかどうかが、問われる事態を迎えている。

百貨店も、量販店(GMS)も、自主マーチャンダイジングを掲げても、頭でっかち尻すぼみで自らリスクを取らないし、口先だけで「中間流通業(=納入会社)」にタカリ搾り取るだけだし、自ら自分が売る商品の構成を、ほとんど組立られないじゃないか。
少なくとも「小売業」というからには、自分達が店頭で販売する商品は責任を持って自分達のリスクで企画し開発し組立ができないとダメだよね。

他人依存で、自らリスクを取らない。
(ハイリスク、ハイリターンがビジネスの原則だろう)
リスクを取らないで、「ローリスク、ハイリターン」を求める、鬼のような、ハゲタカのような存在でしかない。
百貨店ビジネスの本質は何かと問えば「有力立地に位置し集客する事」だけではないか。
しかも、その際の「賃料」に該当するビジネス構造は、店頭販売価格から20%~30%を自社の所場代として巻き上げる。しかも、店頭販売時点で同時に仕入れ計上するという方法(いわゆる「消化仕入れ」)だ。
店頭で、販売に従事する人員も、中間流通事業者に提供派遣させる外部の低賃金人材だ。
百貨店は、販売に従事する人手も他人依存で、ヌクヌクと途方もない高給を社員に分配する搾取構造そのものだと指弾しておきたい。

例え、売れ残った商品でも何らのリスクも生じないない構造だ。
もし、店頭販売金額が少ないと、「売れ筋商材を積極的に積まないから」だと、取引先(中間流通業者)を責めて、売れる見込みもないのに「商品を積み上げさせる」。

売れ残っても、持ち帰らせればよい(仕入れ計上していないから返品ではない)のである。百貨店側の腹は痛まないのである。

中間流通業は、これでは堪らないから、「貯金を考える」ワケで、途轍もない顔と品質と価格の不均衡が生まれ、適正さを失うのが通常の構造である。
従って、セールというかバーゲンにならないと、消費者は買わなくなった。
この構造は、量販店(GMS)も基本的に同じ構図だ。
日本の流通業が抱える基本的な問題である。

量販店(GMS)は、都心やターミナルに立地する事はない。
郊外立地であるが、その中でも「有利な立地、優位性のある立地」を占めている。
消費者を動員する事がポイントである点は百貨店と同じで、違うのは、店頭での販売をよほどの事情が無い限り自分達が行う点である。
しかし、従事しているのは、パートやアルバイトの賃金を抑制した人員である。

この構造に公然と異議を唱えた(実際に異議を述べたワケではない)のが、「ファースト・リテイリング」こと「ユニクロ」を率いる柳井 正である。

「ユニクロ」は、自社の流通ビジネスモデルを、素材手当て、生産、ロジスティック、店頭に至る仕組みを構築した上で「低価格」を実現している。
このビジネスモデルが確立できた最大の要点は、経済のグローバル化とIT技術の高度化に支えられている。

しかしながら、従来からの日本のアパレル各社は、原料・素材から縫製加工を経て店頭に至るまでの仕組みが多段階である。
この仕組みは、この間に、一定程度、短縮されたが「ユニクロ」や「無印良品」が構築した仕組みに比べると10~15%短縮したに過ぎない。

それでも、「ユニクロ」や「無印良品」が中国生産で稼いでいるとの情報(ネタ)だけに依拠し、中間の僅かの費用圧縮を企図し中国生産に取り組むワケである。

もしも、同じ素材で同じような商材なら、「ユニクロ」の店頭価格2000円に対し、7000円~8000円になるのが一般的な流れだ。

もう、目の肥えた消費者には、その手の小手先の「誤魔化し」は利かない。
店頭で打ち捨てられ、見向きもされない。
その結果は、一瞬にして「大量の不良在庫」となり、いわゆる「品の山」を築く。この文字の組み合わせに「」を被せると、モノの見事に「」に変身する。
言葉は悪いが、つまり「不良在庫の山を築いて」、「」を生産し、中間流通業も百貨店や量販店も、自らの体力を急激に失っているのである。
高笑いをしているのは「中国」である。

「ユニクロ」も多少なりとも「愛国心」があるなら、ここまで大きくなった事業者としての社会的責任を果たす事を求めるくらいが関の山だろう。
勿論、柳井 正が応じないであろう事は自明の理である。
その柳井 正は、「銀座松屋」株の買い占めを図る中国資本(LAOXを傘下に収めた)を阻止し、銀座松屋を中国資本には渡さないと述べたと、FACTAが伝えている(後日スレッドに上げたい)。*ツイッター(ginza24:右側のリンク Twitter ginza24 市井の市民も呟きを)で記述。

何よりも、低価格商品や廉価販売の商品に釣られて買い急ぐ日本の消費者も問題がある。
それ以外に買えないという経済構造を生み出したマクロ経済政策にも大きな問題がある。
グローバル化した国際経済に政策対応できない「日本の政策」、賃加工業を海外移転させ産業の空洞化(労働基盤の空洞化)を招いているにも関わらず、①金利を下げるとか、②業界への補助金を上げるとか、③地域公共事業(土木事業)程度の、誤魔化し政策でしか対応せず、次の産業基盤を本質的に創り出さなかった「政治の責任」は重大である。
その意味で、「政策の失敗」のツケが廻ってきているのである。

その過程を検証する事なしに、「ユニクロ」を悪者にして糾弾してみたところで何も解決できない。
浜矩子さんも、研究者ながら現実に生きた国際経済政策を、どのような視点で見ているのかと思わず考えてしまう。

「コラコラコラム」は、決して「ユニクロ」の手法を「諒」しているワケではない。
(現在までの「ビジネスモデル」は完成領域にあるといえる)

ただ、アパレル製品を扱う「中間流通業」は商品を企画し、同じように「中国」へアウトソーシングしているのである。しかし、自社が全ての領域でリスクをとるシステムを確立する思考も覇気もないのである。
これをして「集団自死」と「コラコラコラム」は呼んでいるワケだ。
日本は、「経済」も「政治」も同じレベルで同じ事、同じ状態で藻掻き苦しんでいる。

引用開始→ ユニクロ悪玉論とデフレの「真犯人」
(AERA 2010年1月4-11日号掲載) 2010年1月8日(金)配信

再び底なしの安売り競争が日本経済を破壊するのか。「ユニクロ型デフレ」の罠に警鐘を鳴らすエコノミストと、「節約の王道」を実践する作家のインタビューを誌上対論の形に構成して、お届けする。

──浜さんは「文藝春秋」で「ユニクロ栄えて国滅ぶ 安売り競争は社会を壊す恐るべき罠だ」(2009年10月号)、「『ユニクロ型デフレ』で日本は沈む 激安合戦が自分のクビを締める」(10年1月号)を立て続けに書き、安売り競争とデフレに警鐘を鳴らしています。

浜矩子 賛否両論がわき起こりました。ただ、ユニクロは問題の象徴として取り上げただけで、ユニクロ自体が悪いと言いたいわけではありません。こんなにどんどんモノが安くなってしまっていいのか、そういう商品をみんなが争って買うのは「何か変だな?」という感覚が読者にあったのだと思います。

この安売り競争、2010年は、止まるどころかますます熾烈になりそうです。みんなわかっちゃいるけど、止められない。必要に迫られた安物への殺到状況は変わりようがなさそう。

いま、100円ショップが日常化している。量販店にも100円ショップがあります。昔のワンコインというコンセプト、そこに一種の趣味性を感じるような側面は消えうせた。スーパーが100円ショップ化してしまっている。100円に感動しなくなった時点から、安売り合戦の熾烈化に歯止めがかからなくなった感じですね。

問題なのは消費の劣化
林望 ユニクロは安かろう悪かろうではない。品質も良く、傷まないし、着心地がいいですから。でも高いものを売ってきた人はユニクロが憎いでしょうね。僕はいつもユニクロを着ていて、同じものを何着も買うし、着ていて恥ずかしくもない。

世間は、まっとうなユニクロのやり方とむやみな安売りを混同しているのでしょう。ユニクロが新しいモデルを提示して大成功したので、まねする人も出てきたけれど。でも、ビジネスは長期的には経営者の思想が左右します。柳井正さんの「コピー」はできないのです。だから優劣がはっきりした。

問題はユニクロでなく安売りによる消費の劣化です。もしビールを飲むのにお金が足りないとしたら、発泡酒などの安い酒にして同じように飲むのでなく、禁酒するとか、週末以外飲まないとか、生活改良に振り向けるべきではないかと思います。

──安売りの余波で百貨店が血を流しています。

 これは殿様商売のツケでしょう。ブランドに浮かれて、場所を貸して店を「ブランド名店街」にしてしまった。消費者に百貨店では高いものしか買えないことを刷り込んだようなもの。百貨店は苦し紛れに、集客のためにもユニクロに頼んで出店してもらっているでしょう。彼らは新しいビジネスモデルを見つけられていないのです。

車を買えない自動車工
洋服、カバンでも高尚なマークが付いているだけで、数万、数十万円とするが、私の目にはまったく無意味に見える。でも、デフレ効果で、そういう虚栄の空しさに気付いた人が多くなって、ブランドも衰退しつつあるのは救いですね。グルメブームもブランド信仰と同じ。家庭のちゃんとした味の基本を知らない人がミシュランの星の数を追った。だから味覚のバブルも終わるんです。

──安売りが止まらないと、最後はどうなりますか。

 価格競争で負けた相手は、もう一歩の安値実現を目指してさらにコストを削ります。その結果としてリストラや賃下げの対象となってしまった人々は、さらに安くなったモノさえ買えません。自動車を組み立てている人が車を買えない。家を建てている人がマイホームを持てない。漫画のような状況ですね。

ついに99円の衣料品まで現れました。それをつくっている人はきっと80円でないと買えないはず。これが恐怖のデフレスパイラルです。完全な悪循環。

 働く層の可処分所得が減ったのは痛いところ。でも、雇用が派遣や非正規にシフトしたのは、裏を返せば企業が必死に経営努力をした結果といえます。つまり、資本主義のやむを得ない側面のひとつなんです。

小泉内閣時代は、不良債権と既得権で倒れかけた日本をどうやって立て直そうかと改革したが、劇薬を飲めば副作用があります。問われているのは、副作用に対してどう手当てをするかです。改革は悪いことばかりではないのです。

主犯格はグローバル化

──では、悪いのはいったい誰でしょうか。

 大競争の背後にある経済のグローバル化。それが結局は「主犯格」でしょう。歴史的成り行きですから、犯人扱いも少々変ですが、グローバル競争はどうしてもモノの値段、そして「人の値段」について、底なしの最下位競争をもたらす。その主戦場は中国からベトナムへ、そしてバングラデシュへと移動していく。ユニクロ型製品の生産拠点もそういう流れでしょう。

労働者は賃金を削られ、やがて失業してゆく。消耗戦の後は「そして誰もいなくなった」というホラーのような状況も考えられます。

 マスコミも悪いでしょう。テレビが面白半分に取り上げるスーパーのニンジン詰め放題にしたって、次の日から献立をどうするのか。馬やウサギじゃあるまいし。毎日ニンジン料理ではまずいでしょう。僕は昔から「流行をつくり、高級品を売りたい業界に乗せられるな」と訴えてきましたが、今度は逆方向で「激安」信仰の大きな流れに乗ってしまったようです。

ジーンズだって、安売りの反対にヴィンテージ物なんてボロボロの古着に大枚の金をはたく人もあるけれど、ナンセンスですね。安売りを買うのでなくて、本当によいモノを買って10年、20年とはいて、みずから風合いを出していくのが王道なんですよ。本藍染のシャツは1万円はするでしょうが、着れば着るほど風合いが出ます。自分で考えてモノを買うという主体性がないから、業界やメディアに流されていくのです。

「独立自尊」の生活築け

──そういう状況に救いの手は差し伸べられないでしょうか。

 地域の店でも利潤の出る値段でモノが買え、みなが豊かな暮らしを目指せる時代にするにはどうすればよいのか。やはり福沢諭吉の言う「独立自尊」の生活を築くよう努力する。それしかないのではないでしょうか。

 グローバル競争のジャングルの中で生きていかざるを得ない人々は、競争しないわけにはいかない。自分ではジャングルから脱出できないのです。消費者も生きるために安売り競争のジャングルの中へ分け入っていく。この病気は自分では治せない。外からレスキュー隊が入っていかないと。自分がやっている自殺行為をそれと知りながら、でもやめられない。

──ジャングルの外で楽々と暮らしている人もいます。

 外にいる人の代表者が政府ですよね。彼らは、ジャングルの中がどうしようもなくなったら、助けに行かなければならない。救助のヘリコプターを用意してジャングルから住人たちを救い出す。だけど、外の人が本来の任務を忘れ、飽食にうつつを抜かし、ヘリを出さない、あるいは途中で落ちてしまう状況も見られます。

「生き方の政権交代」を
政府がしっかりしないと。ただし、出しゃばりすぎはいけません。統制経済になりますからね。そこのバランスをしっかり取りながら、責任を全うしてほしい。へたをすると、デフレが民主主義を殺すことにもなりかねない。デフレが生活者にやさしいなんていう考えは、とんでもなく甘いんです。

──10年代は安売りや節約のパラダイムが変わりますか。

 一人ひとりが最安値競争を加速する「グローバル消費者」ではもうダメです。自分がこう動いたら最終的に世の中はこうなってしまうという感受性を持ちたい。つまり、みんなが消費者・生活者でなく市民を目指すこと。自分の心の中で「生き方の政権交代」ができればすごくいい。民主主義を担うのは市民で、その姿は消費者のように身勝手ではないのです。最低価格争いをするグローバル資本主義がグローバル市民主義に変わらなければ、夜明けは来ないかもしれません。

──若者は親の世代のように経済的に豊かではないのに、税や社会保障の負担が重い。お年寄りも将来不安からお金をため込んでいて使わない。これでは「シルバーデフレ」です。

 確かに高齢者もモノを買わず、それが不況を加速するようなところがある。でも、いきなりカネを使え、ためたものを吐き出せと言っても、それは酷。彼らを節約行動に駆り立て、追い詰めてきた社会構造や政策のほうに問題がある。

若者が毎日、「蟹工船」的で、「あゝ野麦峠」型の日々を送り、老人たちが自己防衛的にカネを使わない。これはまさに国が滅びていく姿でしょう。グローバル化が我々に強いるユニクロ型デフレやシルバーデフレをどうはねのけるのか。知恵の絞りどころです。

カネより時間の節約を
 私の世代から上は、景気のいい時代の社会システムに手厚く守られている人も少なくない。友人で、一流商社などを退職した人は、みな悠々自適です。ざっと月何十万という年金をもらうんじゃないかな。

一方の若者は、大卒、新入正社員でも可処分所得はせいぜい10万円台。でも、若者は高齢者には少ない「時間」を武器に、10年後を見据えて精進してほしいですね。

本来なら節約し、大事にすべきものは、金やモノでなく時間なんです。誰にも平等に与えられて有限な時間こそ、節約で大きな可能性を秘めるもの。10円安いものを買うために行列をつくるのは、事の軽重がわかってない。節約が自己目的になっては終わりです。

時間はデフレ経済の大きなプレゼントと思いたい。デフレでライフスタイルを変えて、自分を高めるわけですから。目先の快楽のためでなく、自分に投資する時間をつくる。その努力こそ勝ち組への王道なんです。

構成 編集部 山下 努 ←引用終わり
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