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2010/04/19

一学年50万人、まだ偏差値やら学歴や出身大学の名に拘るヒトがいるという!?

東京大学を出た全員が成功するワケもない!
早稲田大学を出た全てのヒトが成功するワケではない!
慶應義塾大学を出たヒト全てが成功を手にできるワケじゃない!

そんな事は当たり前じゃないか!
人生は長いし、経済環境の変化は激しい。
大凡の事業が旬を保つのは、10年ほど期間に過ぎない。
多くのヒトが、常に主流を占め続けられるほど、世の中は甘くない。

それを踏まえて、肉食獣が爪を磨くように、ヒトは己の能力を磨くのだ!
大方において、実は名ばかりに過ぎないブランド大学を狙うヤカラは、「人脈」形成というか「人脈」利用を狙っての事だ。
「人脈」っていうのは、紹介されても、その相手が持つネットワークに対応できる、十分な能力や「人脈」を自分自身も持っていなければ、実はナケナシと同じなのである。
誰が、簡単に自らの「人脈」をどこの馬の骨とも知れないヤカラへ紹介するものか。
バカも休み休み言え!

何かの間違いか、偶然の仕業で「有名ブランド大学」潜り込めたとする。
4年間、遊び呆けて時間を過ごし、大した能力も知力も持たないままの学生を上げれば枚挙に暇がない。
そんなヤカラが、大学の「人脈」を頼り「学閥」で固めた企業の門を叩く。

潰れ去ったが、カネボウは聞きしに勝る「学閥」会社だった。
つまり「カネボウ」にあっては「慶應義塾大学」出身者が幅を利かし、「塾生」に非ずんば「カネボウ」幹部に非ずであった事は実に有名だ。
だからというワケではないが、閉塞感に包まれた人事構造と組織もあり、市場から退場を求められ淘汰された。
びっくりする大学を出たヒトが、お世辞にもオツムのできがよいとは見えない「慶應義塾大学」出身を誇るだけしか能のないヤロウの前で、自らの心情を押し殺しても耐えている姿を目にする度に同情させられた。

世界がいかにグローバル化しようとも、この種の会社は、そこいら中、ゴロゴロ転がっている。特に報道に携わる側「マスゴミ」やら「出版」はその権化だろう。

だから、柔軟に物事を考える能力を組織的に欠くのである。

多くは「ステレオタイプ」であり、「レッテル貼り」が大好きだ。
だから、引用記事を目にした時、「当たり前じゃないか!」と考えた次第だ。

偏差値や学歴は一時的には有意義だ。
偏差値51と50と49はどう違うのか、「統計分析」で理論的に説明できても、実際にヒトとしての総合力や人間的魅力を説明してみろと迫ると、たちまち行き詰まってしまう。
が、「偏差値優先論」を主張するヒトのために、まぁ、偏差値35と65は考える能力という面での差が明確に生じる事を付記しておこう。

その延長線上としての「学歴」というか「ブランド大学」卒は、大まかなれど一応の指標にはなる。
しかし、先にも述べたように、人生は「ウサギとカメの競争」でもある。「アリとキリギリスの日々」でもある。
卒業を控えた「就職活動」で、僅かな「僥倖」によりゴールを手にした者が長らく生き生き活躍しない事は、多くの企業の人事課題でもある。
この事実を、よくよく考えて貰いたい。
採用を含めた人事制度(HR:ヒューマン・リソース)は、年功序列人事から「実力主義・成果配分」人事へ多くの会社が舵を切りつつある。

引用開始→ “偏差値神話”は本当なのか 日大が早稲田をアゴで使うとき
(2010年04月16日18時42分 / 提供:Business Media 誠)

「彼は、日大(日本大学)しか出ていないのに……」

1カ月ほど前、大手出版社の副編集長(44歳)と赤坂で酒を飲んだ。そのとき副編集長はハッキリとこう言った。「彼は、日大しか出ていないのに……(苦笑)」

この場合の“彼”は、2歳年下の後輩を意味するらしいが、この春の人事異動で編集長に抜てきされたようだ。一方で、早稲田大学出身のこの副編集長は、昇進できなかった。つまり、後輩に負けたのである。だから、酔った勢いでつい「日大しか……」とバカにしたのだろう。

会社員として30代後半~40代後半までの約10年間は、大きな分岐点になる。その後、役員などになるか、それとも管理職で終わっていくかという、2つの道が待ち構えている。最近は、管理職にもなれない3つ目の道が作られている。

この時点で競争に負ける人は、人事について不満が多くなる。そんなときに、彼らがよく口にするのが「〇〇大学しか出ていないのに……」といった言葉である。さすがにしらふのときは口にはしない。酔ったりすると、ハッキリと言う人がいる。

そのような人は私の周りに10~15人ほどいる。「あいつは立教なのに……」「まあ、中央しか出ていないから、彼は必死にがんばったんだろうね」など。いずれも早稲田大学や慶應義塾大学、東京大学出身の編集者たちである。この人たちは現在、副編集長(課長級もしくは課長補佐)などをしているが、その上の編集長(課長級もしくは部長級)になるのが遅れている。会社から十分には認められていないのだ。彼らはそのことを察知しているから、自分を追い抜かす人を冒頭で紹介したように「日大しか……」とバカにするのだろう。つまりは、嫉妬(しっと)である。

時おり、「学歴なんて関係ない」と勇ましいことを言う人がいる。しかし、私が取材していると、学歴や競争、さらに能力観などはそれなりに日本社会に影響を与えていると思う。そこで今回の時事日想は、企業の中で学歴がどういう意味を持つかを考えてみたい。

だが多くの企業は、社内の昇進などに学歴がどのくらい影響を与えているかを公表していない。私が知る限り、そのようなデータは存在しないし、取材で人事部に尋ねてもあいまいな回答しか返ってこない。従って、私がこの20年ほどの間に学歴について書かれた本を読んできた中で、もっとも説得力があると思ったものをベースに論を進めたい。

日本社会の能力観には2つのニュアンス

その本は『日本的経営の編成原理』(岩田龍子、文真堂)という学術書であり、もう30年以上前に書かれたものだ。著者の岩田氏は当時(武蔵野大学教授)、終身雇用や年功序列など日本的経営を文化論からアプローチすることで一躍注目を浴びた。

岩田氏は、学歴うんぬんを論じる前に、日本の社会の能力観には2つのニュアンスが含まれていると言及する。

「(1)能力は、ある漠然とした、一般的な性格のものとしてうけとめられることが多いこと (2)能力は、訓練や経験によってさらに開発されるべき、ある潜在的な力であり、したがって、ただちに実用に役立つ力、つまり“実力”とは考えられていないこと」(150~151ページから抜粋)

一方で、米国の能力観を「訓練と経験によって現実に到達しえた能力のレベル」(149ページから抜粋)ととらえている。そして、これらの能力観から、日本の競争とは違った意味合いを持つ競争になると説く。「米国社会では、人びとは、いわば局部的にしか競争にまき込まれていない」「競争における個々の勝敗は、人生における長い一連の“戦い”の局面にすぎない」(149~150ページから抜粋)

そして日本の能力観にもとづくと、次のような意識を人々が持つことになりがちと説く。

「“できる人”は潜在的によりすぐれた一般的能力を賦与されており、彼がその気になりさえすれば、いかなる領域においてもすぐれた力を発揮するのであり、逆に、“駄目な奴”は乏しい潜在的な能力しかもちあわせていないために、何をやらせてもうまくゆかないのである」(151ページより抜粋)

さらに岩田氏はこう進める。

「わが国では、一流大学の卒業生達は、その“就職戦線”において、他の卒業生よりはかなり有利な立場に立っている。このことは、彼らが、“実力”において他に抜きんでているからではない。むしろ、これは、彼らがよりすぐれた“潜在的な能力”をもっていると“想定”されるからであり、入社後の長期にわたる訓練の結果、次第にその“能力”を発揮すると期待されているからである」(151ページより抜粋)

“能力”を発揮すると期待されていない人がブレイク

いかがだろうか。読者の中には、岩田氏のとらえ方に違和感を感じた人がいるかもしれない。私は、この本を始めて読んだ1991年のときは、ところどころに疑問を感じた。ここまで単純明快に言い切れるのだろうか、という問いである。しかしその後、取材の仕事を20年近くすると、その間に見てきたものとかなり重なるものがあると思うようになった。

例えば、私が就職活動をしていた20年近く前にも多くの企業の人事部員が、「学歴なんて関係ない」といったことを就職情報誌などで説明していた。だが、少なくとも歴史のある大企業は、いざふたを開けると、東大卒業生を中心に採用していた。これは、いまも大きくは変わらない。当時もいまも岩田氏の唱える日本的な能力観に支配されている限り、結局は変わらないのである。

さらに、前述の「“できる人”~ゆかないのである」までをもう1度、読んでいただきたい。この意味するものを心得ると、冒頭で述べたエピソードをこれまでとは違ったまなざしで見ることができるのではないだろうか。つまり、早稲田大学出身の副編集長は、20数年前の大学受験という競争で一応、“勝利者”になった。そして、就職戦線では“潜在的な能力”を持っていると“想定”されたわけである。

しかし、いざ会社に入り20年ほどが過ぎると、その想定は誤りであったのだ。大学受験の“勝利者”とは言い難い、日大OBがいち早く昇進した。岩田氏の言葉で言えば「“能力”を発揮すると期待されて」いない人がブレイクして、編集長になったのである。

早稲田大学OBの副編集長は、この現実を素直に受け入れることができないがために「彼は、日大しか出ていないのに……(苦笑)」と愚痴をこぼすのである。彼自身、日本的な能力観にかなり影響を受けていると見ることができる。

ここまで読むと、読者の中には「俺は偏差値の低い大学だから……」などと、それこそ日本的な能力観にしばられて、ふてくされる人がいるかもしれない。会社員の人は、同じ会社の東大出身者らを見て、劣等感を感じるのかもしれない。大学生は就職活動で期待はずれの結果が出ると、つい「やはり、自分は〇〇大学だから……」と思うのかもしれない。これらもまた、日本的な能力観の悪影響である。

いまは、日大OBが早稲田OBを打ち負かす時代である。「“能力”を発揮すると期待されて」いない人たちに、私は心からエールを送りたい。【吉田典史】←引用終わり
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コメント

いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。

投稿: 履歴書の添え状 | 2010/09/02 23:08

普天間基地移転問題でかまびすしい限りだ、25日日曜には読谷村運動場で基地反対の県民大会なるものが開催され10万人の参加があったと告げていた、大会の航空写真に写っている群衆はどう見ても2万人と行ってないよ。
主催者の扇動的誇大宣伝の体質が見て取れる。
しかもそれぞれが労組の団体動員と見えて衣装やうちわなど小道具も良く揃えている。
アッピールを読み上げる女子高生の手慣れていること。かなり集会ずれしているのが一目瞭然、要するに左翼先鋭分子の突撃隊がここを先途と、米軍の追い出しにかかっているのが丸見えさ。
しぶしぶ参加させられた仲井間知事のスピーチも、なんとなくそっけなかったのも、そんな雰囲気にうんざりしている様だった、
そこで沖縄県人はどう考えているのか、本音が知りたいと、インターネット辞書のウィキペディアの沖縄を開けて見た。
人口130万人、一人当たり県民所得は全国最低、失業率は日本一、産業は製造業の比率が全国最低、主な企業は沖縄電力と、あのまずいオリオンビールだけ、業種では第三次産業がトップでそれは観光産業であり、これが一番の重要産業だ。
そうゆう脆弱な産業構造を助けるためガソリン税の7円軽減、酒税も軽減、航空燃料税を半減、観光戻し税などなど、驚くほどの制度的優遇措置を享受しているが、最大の産業は米軍基地での労務雇用と基地用地に国から支払われる地代の二つが県民所得の大黒柱だ。
そんな現実には目もくれずここでめでたく米軍を追い出しに成功したら、基地の仕事と地代はなくなったは、返してもらった基地用地ではサトウキビとまずいパイナップル(緯度が高いのでまずい)しか作れないはで、沖縄の経済が持つと思うの?
それを沖縄県人に喜べと言うのかね、その結果130万沖縄県民はフィリッピン人なみの生活水準を享受するという嬉しいことになるだろう。
サトウキビとパイナップルではそれがやっと、の生活さ
 みんなそんなことうすうす判っていて、左翼の連中はイデオロギー的快感を味わいたくて沖縄基地を奪還し、米軍をグアムに追い返そうと張り切っているのさ。
 そして彼等は沖縄県民の暮らしの心配など、てんからする気もないのさ。
 日米関係はこれで破たんまちがいなし、そうなりゃあのこすっからいシナ人どもが、自国の武力を背景に白アリのように入り込んで来て、あっという間に沖縄では日本語は通じなくなるだろう。
当然日本人観光客は寄り付かなくなるに決まってる。
タイ、ビルマ、マレーシア、インドネシアに見るごとく、沖縄も華僑どもの天国になり果てるのだ、そしてあのころは良かった、昔は良かったと帰らぬ日々を懐かしんで、涙を流すことになるのさ。
 その時の泣きっ面はなんぼこいても後の祭りだぜ!!、いい加減に目を覚ませニッポン人、そして沖縄人よ!!

投稿: 蒲池良介 | 2010/04/27 11:41

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