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2010/07/05

「参議院選挙」投票前に、「民主党」について、よぉ~く考えるべき事がある。

ネコゼ・ズルカンはまるでインチキを専らウリにするヤカラである。
「民主党」の忠実な犬で、自ら広報紙(ベンジョ紙)を買って出る「日刊ゲンダイ」は、「ネコゼ・ズルカン一派」対「トツベン・オザワ一派」の言い合い(程度が低い)っていうか、内ゲバ(オォ~、懐かしい:ネコゼ・ズルカンやらチバ・ケムコには相応しい用語だ)による分裂選挙と相成る展開で、予想よりも早い速度で「民主党」の分裂と崩壊が進んでいる。

早く消えちめぇ~!

オバカ政治学者ドモに尻尾を振って、良い点を付けて貰いたい一心から、「マニフェスト」だのナンだのって、煩わしく喧しいだけだった昨年夏の「衆議院選挙」とは打って変わってだね、今回は、意趣返しとでもいうか、嘘を散りばめた「民主党」の「マニフェスト」が総攻撃を受け、専ら防戦に追い込まれこんなハズじゃなかったと嘆き節らしい。

そんな表面上のことは、一端、横に置いておこう!

「民主党ら」に担がれ内閣を組織するネコゼ・ズルカンは、テメーらの「国家観」を示さなければならないし、何よりも「これまでの総括」を示さなければならない。
その上で、政権の設計し、国民に呈示しなければならない。

それを隠して、「参議院選挙」へ傾れ込んだワケだ。
いま、「民主党」が選挙戦で喚いているコトは、
①政権交代したばかりである、この流れを変えてはいけない。
②(消費税を上げなきゃならないまでの)財政赤字は、11年間の自公政権が作り出している。(民主党は関係ないと言いたいのだろう)

*政権交代した挙げ句、日本を無茶苦茶にした事への反省はないのか?
*自公政権の11年というが、「民主党」は野党として「バラ撒き」に群がった責任はないのか?シロアリの如く群がってたゾォ~!
*政策は思いつきでバラバラ、党の中に別の党があるっていう状況を国民(選挙民)に説明せよ!

国民を愚弄し続ける「政治」を続けていると安藤慶太氏が指摘するように「政治が愚弄される社会」に堕してしまうゾ!

投票を前にして、「民主党」の嘘を暴き十分に検証する必要がある。

引用開始→【安藤慶太が斬る】政治そのものが愚弄される社会にならないために
(産経MSN2010.7.4 18:01)

私は昭和40年、福岡に生まれ、浪人生活までをここで過ごした。福岡は当時、日教組の強い地域だった。最近では日教組に批判的なグループも強くなったらしいが、県立高校で毛沢東語録を教える教師が裁判沙汰(さた)になったり、国歌をJAZZかロックに編曲した音楽教師が現れたり、あるいは教職員組合が気に入らない校長の赴任初日に、校門にバリケードを築いて、入校阻止を企てたりと、今から思えばまあ話題には事欠かない地域だったといっていいだろう。

珍事の連続

私が通った高校では勤務時間中なのに授業のない教師が数人集まって、平気でコートでテニスに興じていた。それをとがめられる場面も見たことがなかった。世界史の授業では朝鮮戦争は韓国側が先に不当な攻撃をしたと教えられた。米軍が参戦したときには北朝鮮軍は戦闘を止めて土着して仲良く暮らしていた…なんて話を真顔で聞かされたものである。

これも私の高校での話だ。トランプゲームで「大貧民」(地域によっては「大富豪」ともいうらしい)というゲームが放課後の生徒会室ではやったことがあった。何人かの生徒同士が遊んでいる場面を、巡回中の生徒指導主事の教師が目撃、「何をしているんだ!」となった。ところがこの教師が問題視したのはまず「大貧民」というネーミングだったのである。この名前が差別的だというわけである。

さらにこの教師はゲーム勝者の「大富豪」が次のラウンドに入る際、自分の一番弱いカードをゲーム敗者である「大貧民」に押しつけ、代わりに「大貧民」が持つ一番強いカードを受け取るルールが「差別を温存する構造」だと言い出した。「大貧民」はいつまでも「大貧民」から抜けられないゲームの構造になっている、そんなゲームに興じるのは差別を肯定することにほかならない、というわけである。差別に苦しんでいる人間がゲームを見たときに味わう苦しみは計り知れない、それがおまえたちわかっているのか!という論理で責め立てられたのである。生徒は「はいはいわかりました」とその場を撤収して収めたが「大貧民」というゲームは相変わらず残った。翌日から「大貧民」という名称が教師の氏名に変わっただけだったからである。

平和教育の賛美歌

今から思えば何かが狂っている光景の連続だった。

小学校では一学期の終業式が近づくと「夾竹桃(きょうちくとう)のうた」をよく歌わされた。

 《夏に咲く花 夾竹桃

 戦争終えた その日から母と子供の おもいをこめて

 広島の 野にもえている

 空に太陽が 輝くかぎり

 告げよう世界に 原爆反対を》

まるでうたごえサークルのようなテイストの歌だ。曲の最後など政治スローガンそのものなのだ。でも当時の私は元気に歌い終わって、結構心地よい思いを味わっていた。これが「平和教育」の「賛美歌」みたいなものだとは当時わかるはずもなかった。広島に原爆が投下された8月6日、夏休みの出校日になっていて、体育館に生徒を集めたところで、先生から「さん、はい」という号令のもとで歌わされるのだ。午後は午後で毎年のように「はだしのゲン」の上映会も用意されていた。学校教育の至るところにそういう仕掛けがあったのだが、後で夾竹桃が毒性植物でもあることを知り、なるほどと思ったものである。

個々に見ると道を誤れば、厳しく諭してくれたし、真剣かつまじめな教師も多かった。だが、学校にここまで特定のイデオロギーが持ち込まれていいはずがない。

現実には、こうした教育が正常な姿だと今も漠然と受け止めている人が多いのも確かである。時間とともにそれは当たり前のものと見なされ、定着するからだ。教師自身がどこまでその怖さを自覚してやっていたかは定かではないが、奥にはイデオロギーに基づく明確な意図がある。そして、それは生徒からは見えない。これは立派な洗脳だと考えていい。

イルカが日本人より大事

和歌山県太地(たいじ)町のイルカ漁を隠し撮りし、批判的に描いた米映画「ザ・コーヴ」の上映が全国6映画館で始まった。シーシェパードのプロパガンダのような作品と指摘されており、作品は描写の公正さや隠し撮りという手法など、さまざまな問題をはらんでいる。

米国人に時々思うことだが、どうして彼らはこう単純な正義の使者になれるのだろう。どうしてここまで押しつけがましくなれるのだろうか?まさかというかやっぱりというか、米国人はいまだに日本人よりイルカの方が大事だと真顔で考えているんじゃないだろうか。戦争中、硫黄島の戦いに臨んだ海兵隊員のヘルメットには「ネズミ駆除業者」と書いてあったそうだし、日本の占領政策にしても「日本人は何をしでかすかわからない」という思考のもとで行われたではないか。経済復興を果たせば、今度は「エコノミックアニマル」呼ばわりだ。今度はイルカかよという思いである。いつも私たちは動物以下に位置づけられる。この作品は2009年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞など数々の賞を受けたそうだが「ふーん」という気分である。これって恐ろしいほどの差別意識が一貫して彼らに根ざしていることを裏付けた作品じゃないか。

「表現の自由」で商売するなよ

というわけで、私はこれを「表現の自由」を盾に上映すべきだという日本の左翼の方々の気がしれない。「表現の自由」を、いつも彼らは免罪符に使うのだが、この映画にはもっと大切な問題が横たわっていると思えるからだ。

せめて「表現の自由」を口にするなら、表現をだらしなくもてあそぶのは慎むべきだというたしなみなり矜恃(きょうじ)はもっていてほしい。そんな彼らに限って自分たちの意に反する言論には目をむいて排除する体質をもっていたりする。いかがわしく、ちっとも、公正ではないのである。私だって言論統制社会には反対の立場であり、表現の自由は大事と思っているが、「表現の自由」を使って騒ぎをでかくしながら商売につなげることとは似て非なるものということは指摘しておきたい点である。

プロパガンダは至る所にある

ぜひ、映画をごらんになる人にとってプロパガンダの怖さというものを考える機会になれば、と願う。日本人を残酷な人たちと明白に描いている作品のようなので、心ある人なら胸を痛めるのではないかとは思うのだが、もしかするとこれはイルカ漁に携わった人々らが批判の対象であって、自分には関係ない話で、映画は映画として楽しめばよいと思う人もいるかもしれない。

映画というパッケージでさまざまなおもしろさを織り交ぜられて示された場合に、作り手の主張をうのみにしてしまうのか否か。うのみにしなくともどこまで、引き込まれてしまうものなのか。映画を見たときに周りがどこまで感化されるか。プロパガンダというのはプロパガンダという装いを絶対に取らずに私たちの前に現れる。常に知らず知らずなのである。それは文学であったり、映画作品であったり、日々の新聞だったり、エンターテインメントだったり、あるいは学校での「夾竹桃のうた」だったりするのだ。

せっかく映画を見るのであれば、プロパガンダというものがいかに日常的な場所に転がっているのか、そういうことを考える機会になればと思うのである。

盛り上がらぬ参院選

今回の本来のテーマは、参院選であり選挙やマニフェストへの考察だったのだが、ちっとも参院選は盛り上がっていない。これは参院選がもともと政権選択選挙ではなく、マニフェストや与党・民主党に国民が幻滅を覚えながらも、他党に期待が集まるわけでもなく消極的な選択しかないことなど、さまざまな理由があるだろう。

ただ、今回の選挙は順当に考えれば、昨年あれほど熱狂した政権交代とその後の民主党の政権運営などが問われてしかるべき話だ。

なぜそうなっていないのだろう。W杯や大相撲の野球賭博が盛り上がっているといえば、それは確かにその通りなのだが、菅直人首相が、会見を拒否したり、逃げまくっていることも見逃せない。

鳩山由紀夫前首相からの首相交代のさい、小沢一郎前幹事長も一緒に辞任し、政権運営の足かせを一掃、民主党は変わったと印象づけた。本当は政治とカネの問題だってくすぶったままなのだが、支持率はV字回復した。それで選挙戦に突入、高支持率のまま逃げ切りを図るというのが菅内閣の戦略だったようである。

山積みの懸案どうするの

本来なら菅内閣は鳩山内閣の方針や遺産をどう具体的に受け継ぐのかを示すべき話である。例えば、膠着(こうちゃく)状態の続く八ツ場(やんば)ダムをどうするつもりか。子ども手当をどうするか。普天間をどうするか。日米関係をどう修復するつもりなのか。高校無償化で朝鮮学校をどう取り扱うか。外国人参政権や夫婦別姓、人権救済機関、事業仕分けで無駄づかいを引き続き洗い出すにしても「はやぶさ」の予算をいかに回復させるのか、政治とカネにどう臨むか…とにかく発信すべきテーマや明らかにすべきことは山ほどある。ところがそういうところは全部すっ飛ばして菅首相は消費税の増税をぶちあげた。短期間のワンイシュー選挙にすれば、こうした山ほどある懸案はかすんでしまう。これまでの政権運営は問われずに済むということだろうか。一点突破の高等戦術かもしれないが、消費税というのはそのためのアジェンダ設定だったのではないか。

ところがふたを開けてみると、消費税発言は裏目に出た。V字回復した支持率は再びダウンし始めたのである。すると首相の周辺からは打ち消し発言が相次いだ。菅首相自身、低所得者には支払った消費税を還付すると発言し始めた。低所得者を線引きする額面は遊説先ごとに変わり、野党との対決の場であるTV出演は拒むなど、はっきりいって逃げの一手だ。一体これは争点なのか、公約といえるのか、どこまで考えての発言だったのかすらわからないままである。

政府与党の姿勢としてけしからん話ではあるのだが、選挙戦術としては結局、この参院選、何が争点なのか、国民にはまるっきりうやむやでさっぱりわからない。何を判断基準に投票すればいいのかをつかませない点では彼らの狙いは成功しているようにも思えるのである。

現状、政治が発信する言葉に支持率が連動してはいるから、国民は政治家の言葉にまだ聞く耳を一定持っているとはいえるのかもしれない。だが、こうしたことでいいはずがない。

政治が愚弄される不幸

間違いなくいえることがある。このように選挙で勝てばいい。そのためには政治で何を為したかという内実よりも、いかに見せるかばかりに腐心し続けていれば、いずれ、そのしっぺ返しは厳しいものとして降りかかってくるということである。

政治家として願望はあっていい。しかし、政治家の真骨頂は願望を実現する計算や駆け引き、信頼関係の構築といった地道な営みであるはずなのに、耳目を引く願望を並べたて、それを言いつくろうことばかりに時間を費やしている。はっきりいえば実はこの8カ月間がその繰り返しだった。マニフェストの修正について、与党のマニフェストと野党のマニフェストは違うとか、マニフェストは生き物だとかケロっと言ってしまう。その危うさを自覚しているように見えないところが危ないと思う。

国民に愚弄(ぐろう)されても仕方ない政治家が現実にいるのは事実だ。これはこれで問題である。だが、私は、政治そのものが国民に愚弄される社会というのは不幸な社会だと思っている。政治はやっぱり重要なのである。政治家はそのことを肝に銘じて自分の発する言葉には気をつけてほしい。政治家が何を言っても国民がその発言を疑ってかかり、真意を邪推し、政治家の言葉の軽さに失望する。そんな社会が当たり前にならないことを願う。(安藤慶太・社会部専門職)←引用終わり
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