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2011/01/26

「就職活動」開始時期について大学から当たり前の見解が示された!

学生の「就職活動」について、開始時期の適格性がようやく議論され始めたワケだが、就職活動の開始時期は、「いつが正しく適切なのか」なんて議論は正直なところバカバカしい。
一斉に大量採用する方法そのものが異常だし、バカバカしいとしか言いようがナイと考えるからである。

ヒトは何らかの事情である日、唐突に退社する事がある。
例えば、事故に遭い退社せざるを得なくなる事もある。
また別には、病気に襲われ「長期休業」を余儀なくされる事もある。
その際、そのヒトが担当する業務は、たちまち停滞するワケだ。
それでも「遊軍」がいて、そのヒトの業務を担当する事ができる仕組みが構築されている。
そんな風に説明されてきた。

仮に、その説明が全てにおいて正しければ、日本の企業は一定の「遊軍」を抱えているワケであって、つまり、日頃から社内に「ヒマ」なヒトを抱え遊ばしているってワケだ。

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
「ヘェ~!裕福な事ですナァ~!」と皮肉の一つも飛ばしてみたくなる。

でも実態はそんな事じゃなくって、同じチームあるいは周囲のヒトが業務を代行するってワケだ。
従って、割り振られた側は、自然に過重な業務を背負い込む事になる。

それらを考慮し、日本の企業は定時採用時に一定の人材を採用しておこうってワケだ。

ナンデ定時採用でなきゃぁならないんだろう?
これは本当にミステリアスであり「ナゾ」ですな!

まぁ、大量の定時採用に走る企業の足下を見て「ビジネスチャンス」にして一儲けを企むヤカラが現れるのは、これまた当たり前の事である。

まずはリクルートを筆頭とした「人材ビジネス」という、「口入れ屋」であり「街頭魔術師」稼業ドモである。
世間の一端しか知らない新卒学生を狙った「口入れ屋」稼業は盛況なようだ。

「ウソと誇張でパンパンに膨れあがったイメージ」だけを見せ続け、欺し続けるワケだナ!
世の中を見る目が定かでない(つまり冷静な分析把握力のない)学生を欺す事なんて朝飯前ってワケだな。

まず、社会に出ようとする学生は、「イメージ」だけを追っているから、「イメージ」を膨らませるように適切な要素をインプットするだけでよい。
後は勝手に学生が自分の都合に合わせ「イメージ」を膨らませるだけだ。

その後は、自らが自らを「人身御供」のように飾り立て、イヤな事も厭わずひたすら自己犠牲の下、献身的に目指す企業のしもべとなるべく取り組むのである。
この時点で、勉学なんてクソ喰らえだ!
大学は、学割を使うための便法でしかない!

日本経済は、学生が就職活動で消費する事を「国内総生産」に組み入れ、その恩恵を得る側は活況を呈する状況もある。

採用する側は、押し寄せる学生を好みに合わせ「取捨選択」するだけだから、無理難題を課しても良いし内定通知まで長期拘束しても良いという状況に陥っている。
あるいは、この状況を好んでいるようにも見える。

大学側は、この状況を把握していたハズである。
それでも警告しなかった。
社会の側が、経済界の側が、「就職活動」開始時期について論究し始めるまで、黙して語らず素知らぬフリをし続けたのである。
その罪は深く重い!

いまさら、綺麗事を並べ立てても「どうしようもない」と言ってやりたい。

一部の大学教員(とくにKOの)の中には、有名企業とのコネクションをネタに、学生に自慢し、早期就職活動を推奨するとともに、有名企業への内定数を誇る者(幇間教員)までいるじゃないか。
これはこの大学が築き上げた伝統や体質だって言い訳では解決できない!

そいつらも含め、「就職活動」のフライングを繰り返した挙げ句、現在の「3年次10月開始」が何となく定着してしまったワケだろう。

大学内の情勢を言えば、その種の幇間教員を苦々しく思っている側の教員もいるが、幇間教員の側から「無能」扱いされる事を恐れ黙して語らずだったじゃないか。
大学の教授会なんて、「口先教員」が支配する歪んだ「無法社会」だし、あるいは「無能社会」っていう方が正しいのかも知れない。
これは、国公私立を問わず有名大学になればなるほど、この度し難い度合いが激しくなる。
大学教員の世界は、いわば「嫉妬社会」だし「怨念社会」だから、そんな中で「学生の人権」なんて実際には存在しない。
「人権」を口にする教員ほど、「学生の人権」など一顧だにしていない。

某大学の畏敬の創設者「天はヒトの上にヒトを造らず、ヒトの下にヒトを造らず。といへり」って言葉がナンと空疎である事か。

現在の、「若者の未来を摘む異常事態」は社会の進化に従いていけないまま、徒に「学歴」だけを追う社会がもたらした事態である。
実際には「遅れてきた、とりあえず『学歴主義』の悲劇」に過ぎない。

ヒトや学生を量る偏差値が第一だとは言わないが、
しかし「偏差値35」でも「大学」と名のつく後期高等教育の場へ進撃する「無敵」の学生みたいなのを見るにつけ、文部科学行政の貧困な精神を嘆かずにはいられない。
いま、凡そ780の大学が日本には存在する。
文部科学省が、「大学を粗製濫造」した結果である。
まだ、いまもなお「大学の粗製濫造」を続けている。

その結果、自分の名前を書けたら「入学」させ「卒業」させる大学も出現する始末だ。
結果は、「偏差値35」の学生を集めた大学が存立する事になった。
先祖代々日本人でありながら十分な日本語も話せない学生を含め、それを「大学卒」として扱う必要があるのかどうか、社会は正面からこのテーマに対し議論すべきである。

元来、基礎学力を欠き、社会性を欠いた「学生」を受け入れる必要はあるのか?
もし受け入れる必要があるとすれば、企業はどこまでその責任を負わされるのか?

「就職活動」開始時期は、4年次に向かう3月下旬解禁または4年次の4月解禁でよい。
そんな事をしてみても、「大学新卒予定者」の就職内定率を上げる事はできないと考えている。

何よりも、上の空の架空情報に頼らず、実際に「真実」を見詰める目が、「就活学生」に備わらなければ、無味乾燥で空虚な学生が自身の能力も客観的に把握せず「有名企業」へ押しかけるだけに過ぎず、根本的にっていうか本質的な解決は難しい。

大学の新卒学部学生の就職活動は、完全に大衆化してしまった「大学」をどうするのか、という議論を含めて考えるべきである。
「偏差値70」の学生は適切な場を手に入れ、「偏差値35」の学生も能力に適した場所を提供されるべきと考えるが。

後は、就業先の能力に合わせ「自己研鑽」し能力を発揮する以外に方法はない。
生きる上での「人権」は保障された国なんだから。

大学人が、自らの自己反省を忘れ去り、経済界を批判する事だけは許されない。

引用開始→ 就活開始「3年終了後が基本」大学側、初の見解
(2011年1月26日07時45分  読売新聞)

国立大学協会と日本私立大学団体連合会で大学生の就職問題を担当する名古屋大学・浜口道成学長と中央大学・永井和之学長が25日、それぞれ読売新聞の取材に応じ、大学生の就職活動の開始時期について、いずれも「大学3年終了後を基本として考えるべきだ」との見解を示した。

大学3年生が試験を終える3月末以降に、会社説明会などをスタートさせるべきだ、という主張。経済界側ではこれまでに複数の団体が表明しているが、大学側が考え方を明らかにするのは初めて。

大学生の就職活動は、現行では会社説明会やホームページ上での学生の登録が始まる大学3年の10月から事実上スタートしているが、「就職大氷河期」突入の懸念が高まる中、就職活動の早期化、長期化が問題となり、日本経済団体連合会などが是正策を示している。

こうした経済界の対応について、浜口学長は、「意味のある一歩」と評価した上で、「会社説明会を含めて最終学年になってから始めるべきだ」と述べた。←引用終わり
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