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2012/08/30

福井県大飯町で原発再稼働を取材した記者の報告記事を冷静に!

最初は「容原発」か「脱原発」か「反原発」か、だったと記憶している。
しかし、感情的な議論の積み上げや形成に伴い、
「容原発」は現実の課題に対し当然ながら「原発再稼働」を唱え、
「脱原発」は現実の課題の前に二つに分裂し、
一つは「再稼働やむなし」を支持し、
もう一方は「再稼働反対」の流れに吸収された。
「反原発」は、「脱原発」の分断に成功し(たと考え)、一気に「原発ゼロ」へ舵を切っている。

まぁ、夏の暑さにもようやく翳りが出始めた事もあり、「原発」についての熱い議論は「反原発」勢力の圧勝のようにも感じ取れる。

根っこのというか根源の価値観に依る部分が異なるのだから、いくら議論しても埋めようがないのも事実だ。
プロ市民として「反原発」を主唱する勢力は、この間、大いに勢力拡大では成功をみたと受け止めなければならない。
いつまで保つかは別のテーマではある。

さて、以下に引用紹介する記事は、
福井県の大飯原発の再稼働に伴う「反原発」動員で喧しく騒がしい時期を取材した報道記事である。

今後、福井県内で関西電力は、「美浜」、「敦賀」の再稼働を抱えています。

よくよく冷静に読み解き考えて頂ければと願い掲出しておきます。

引用開始→ 再稼働に揺れた原発のまち 地元の「我慢」と電力消費地の「傲慢」を見た
(産経MSN2012.8.7 08:09)

「4号発電機、定格熱出力一定運転に到達しました」-。
7月25日午前1時、関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の中央制御室。当直課長が牧野聖修経済産業副大臣らへ4号機がフル稼働したことを報告した。先にフル稼働した3号機と合わせ、原発再稼働の節目に立ち会った。記者3年目、原発のまちで声を拾ったこの1年。原発の立地自治体の「我慢」と電力消費地の「傲慢さ」を見続けてきた。(福井支局敦賀駐在 浅山亮)

原発記者に転身
昨年5月1日、初任地の京都総局から「敦賀」に異動。全国最多の原発14基が立地する県南部(嶺南)で原発を担当することになった。前任地では警察を担当していたので事件記者から原発記者への“転身”となった。

当時から関心を集めていたのは大飯3、4号機の再稼働問題。地元の原発関係者に取材を進め、関電が再稼働に必要なストレステスト第1次評価報告書を経済産業省原子力安全・保安院に提出することを事前にキャッチした。「大飯原発1次評価提出へ」(昨年10月26日付夕刊)。自分のスクープが夕刊1面を飾り、これをきっかけに大飯3、4号機の再稼働問題が加速していった。

孤軍奮闘の取材
枝野幸男経産相が今年4月14日、県庁で3、4号機の再稼働への同意を要請。5月14日におおい町議会、6月14日に時岡忍・おおい町長がそれぞれ同意し、県議会の議論を含めて同16日に西川一誠知事が同意した。

再稼働が決定するまで、ほぼ毎日、敦賀市からおおい町へ約1時間40分、片道約65キロを車で“通勤”。走行距離は毎月3千キロを超えた。

記者仲間には「孤軍奮闘だね」と揶揄(やゆ)されることもあったが、笑い飛ばしてやった。実際、今年7月初旬には小浜市に臨時駐在所(月ぎめ賃貸マンション)が置かれ、県内で「単身赴任」し、大飯3、4号機の再稼働を取材し続けた。

反原発は口先だけ?
今年5月、おおい町へは県外からの電話などが連日、数百本単位で続いた。「再稼働を認めたら、お前を殺してやる」といった物騒な声もあった。町関係者は「矛先が違うやろ」と思いながらも、一つ一つに応対した。

だが、町議会と町長が再稼働に同意する日まで、反対派が会議を傍聴することは一度もなかった。

ようやく彼らが町に現れたのは、6月30日。発電所の正門前で“ダンスイベント”を始めた。「再稼働反対」「原発反対」。彼らは手拍子とドラム演奏で訴えた。

船の手配いる!
「今日の取材は厳しいかもしれない」。大飯3号機が起動する7月1日午前7時、経産省原子力安全・保安院からそう告げられた。

これまで地元記者クラブ幹事として、国や関電との調整役を務めてきた。さらに記者クラブは約2週間、関電と話し合い、中央制御室での取材が可能になっていた。

ところがその当日、大島半島にある大飯原発までは、反対派の活動によって陸路が閉鎖された。悪天候で空路も無理、とあって海路で入るしかなくなった。

保安院は「国も関電も船の手配は無理。記者クラブで手配できないか」と言ってきた。「そんなむちゃな。もう取材は無理かも…」。そう諦めかけたとき、先輩から電話で「地元の記者で、誰か1人くらい渡し船の知り合いがいるはずだ」とアドバイスを受けた。

半信半疑だったが、地元放送局の女性記者に聞くと「あら、お友達がいるわよ」という。それで5分後、13人乗りの漁船が手配できた。結局、船はその後に関電側が陳謝し、手配することで合意したが、思わぬドタバタだった。

1日午後5時、作業員の輸送船に同乗した。まるで巌流島へ向かう宮本武蔵のようだった。午後9時、大飯3号機の原子炉の起動作業に立ち会う。

外の反対派は発煙筒を投げつけ、モニタリングポストによじ登り、男性器を模した御輿(みこし)を担いで、2日未明まで騒いでいた。

関西は被害地元?
反対派の一部は、現場の実情を知らないまま反原発を語っているように思う。

滋賀県の嘉田由紀子知事と京都府の山田啓二知事は原発事故が起きた場合の“被害地元”という言葉を使っていたが、どうやら関西人の中には、自分たちを被害者だと思っている者も多いらしい。

「では、私たち立地側は『加害地元』なのか。もともとは関西の迷惑施設で、それを受け入れてやってきたんだぞ」。あるおおい町議はこう憤った。

原発受け入れによる財政的なメリットがよく取りざたされる。確かに、人口約8700人のおおい町には不似合いな巨大リゾートホテルなどもある。だが、大都市のように量販店やデパートはない。大きな不便の中のわずかな恩恵でしかないのだ。

一方、関西圏も多額の原発交付金をもらっている。また原発作業員の半数は関西出身者という。関西圏も安定的な電力以上にメリットを受けてきた。

関西圏がなぜ都市であり得たのか。それは、立地市町のリスクと犠牲の引き換えであったことを心すべきだ。それを理解せず、「脱原発」を声高に叫ぶのは傲慢ではないか。

供給地と消費地
福井県や立地市町は40年以上、原発と戦い、共存してきた。関西圏で反原発や再稼働に慎重な人たちの声を聞くと、本当に電気料金の値上げと産業の空洞化を覚悟できているのか、とも思う。

次の再稼働候補とされる高浜3、4号機が立地する同県高浜町の野瀬豊町長はこう語る。

「国は、『技術革新を期待する』など“たられば”の夢物語な戦略をやめて、現実的なエネルギーの出口戦略を作るべきだ」

大飯3、4号機は再稼働したが、原発問題はまだまだ大きな課題を抱えている。原発記者の熱い夏は続く。←引用終わり
© 2012 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

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