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2013/12/15

赤穂浪士は赤穂義士となり、いまも日本人の精神性に大きく影響している

14日は、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日で、長年の苦節を経て、主君の怨みを晴らす本懐を遂げ高輪の泉岳寺へ詣る事が、多くの日本人に共感を呼び積極的に受け入れられ支持されてきた。

理不尽を良しとせず、耐え抜き闘い、そして仇討ちを果たし見事に本懐を遂げる。
日本人の精神性の一部を表徴しているとも云える。

14日は、本家である「播州赤穂」の義士祭は言うまでもなく、
ナンと、東海道で、高輪泉岳寺への道中でもあった銀座中央通りで「赤穂義士」47士の行進が為されたそうである。
ホッ、と思っていたら、京都は山科でも「赤穂義士」47士の行進があったという。

そうなんだねぇ~。
いつも考えさせられる事ですが、
火事装束に身を包み、襟元の一方に「播州赤穂浅野家臣」、もう一方に「誰の何某」と大きく書き、山鹿流の陣太鼓を打ち鳴らし、深夜未明とはいえ月夜の晩に、江戸深川を歩き吉良邸へ押し寄せる行為は決死の覚悟とはいえ、それは叶わぬ事ではないか。

一説では、某年の仮想会と言い「市中の蕎麦屋」に集まったとも言われているが。
浪士といえど、浪人の身で「赤穂藩の浪人」である事を隠し「播州弁」を隠し西国の言葉と言ってみても、江戸の警備方には胡散臭く思われた事だろう。
江戸市中には、「赤穂浪士」の義憤を支持する声も多かったのなら、警備や予防検索は厳重である。
そこへ町人に身を変えたとはいえ侍が月夜の晩に集り徒党を組んで吉良邸を襲うのである。慎重に指揮し事を運んだ家老の「大石内蔵助」は類い希な奇才の人物でもあり立派な事だ。

その種の「物語」に360年近い歳月の中で創出された部分は多いのだろう。
歌舞伎には大石内蔵助が京都・祗園の茶屋「一力」で遊ぶ呆けたとされている。
元禄の頃に「一力」は、それほどだったろうか?
その頃の京都は、いわゆる洛外洛中ともに「遊里」など何処にもあった。
八坂神社の門前に許可を得た茶屋の集合である祗園の遊里も、その一つに過ぎないのだから。
今でこそ、祗園も京都の中心と考えられているが、当時の京都(洛中)は寺町通りが、東の端であり、河原町通りと寺町通りの間には土塁が築かれ、鴨川も氾濫を繰り返す時代に川を越えた東の地域に細々と広がっていたに過ぎない。

歌舞伎の下本は、物語を誇張する。
「赤穂浪士」は「赤穂義士」となり、様々な美談として多くの物語を生み涙を誘った。
そして、出身地の「播州赤穂」に止まらず、「赤穂義士」の所縁を見出し12月14日には、「赤穂義士際」をし執り行って貰える。
赤穂浅野家の断絶で無念の思いを持ち続け、主君の仇討ちで見事に本懐を遂げた47士の諸侯は、後年にわたり見事に日本人の精神性に生きている。

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