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2015/05/19

在阪メディアは、朝日も讀賣も産経も日経も「大阪市を解体」できず、さぞ悔しかろう!

ABCも、YTVも、KTVも、TVOも、橋下徹の応援サークルを形成し「夢想」を吹き続けてきた。
多くは「ウソ」と「デマ」と言っても過言でなく、極小の問題を然も極大の問題でもあるかのように報じる事で、橋下徹のご機嫌を伺った。
その主たる理由は、橋下徹を在阪メディアが「反政府・反権力」の象徴的な領袖として担ぎ続け「叛乱」を試み、自分達のビジネスを極大化させようとしての事だ。
その珍奇な道化は終わりにしなければならない。
橋下徹は潔く敗北を認め自らの責任を17日深夜の会見で明らかにした。

まぁ、橋下徹には人としての「徳」が欠けているように思う。
最初から「人徳」が無かったワケではないだろうが、この7年余りの間に少なからず自らの行為で自らの「徳」を喪ったと見ている。

しかしながら、在阪メディアは「敗北」認めたがらない。
猶も「橋下徹」に縋り付き残像を追い求め小銭を得ようとしている。
17日の住民投票は、橋下徹と既存メディアを相手にした戦いだった。
ここまで不利なハンディキャップを背負わなければならない理由はないのだ。
それほどまでに、既存のメディアは「橋下徹」と「大阪都構想」支持の一枚岩報道一色だった。
メディアの中立性なんて最初から歯牙にもかけられなかったように受け止める。
例えば、街頭インタビューでも、
「賛成」を引き出すと、格好良く褒めちぎる。
「反対」と聞けばネチネチ否定的に阿呆を相手にするような報じ方で対処していた。
これほど明確な「報道差別」を見るのは珍しい。
それぞれのメディアは、そんな事はないと言うだろうが、まぁ冷静に捉えれば一方に軸足を置いた意図的な報じ方が目に付いた。

最初から最後まで「世代間の争い」への矮小化を試みる橋下徹の邪悪な主張に沿うかのように、「若者が輝く未来の大阪」を打ち出そうと見るに耐えない努力を重ねていた。
大阪の行政組織をどうするかは「世代間の争い」ではないのだ。
橋下徹の性格にも依るのだろうが「今、どう振る舞うか、どう振る舞えば得か損か」という刹那的な目前の小さな事に拘泥する事で、「咄嗟の損得」を浮き彫りにし投票行動を誘導しようとするかの如き報じ方をしていた印象が強い。

引用開始→ 敗北の橋下氏「議員から辞表集めておけば…」と冗談も 引退会見の隣室は“修羅場”に
(産経新聞2015.5.18 21:21)

「悔いのない政治家としての7年半だった」。こわばったような冒頭の笑顔は、記者とのやり取りを重ねるうちに自然な表情へと変わった。これまでなら「答えません」と一蹴(いっしゅう)するような質問にも笑みで応じた。「大阪都構想」の住民投票に敗北した17日夜、大阪市内のホテルで大阪維新の会代表の橋下徹は吹っ切れたように政治家引退を宣言した。

多数決による「決める政治」を信条とし、選挙を「究極の民主主義」と表現してきた橋下。住民投票に勝てば、いずれは堺市を大阪都構想に参画させるために市長候補になる可能性も周囲に話していたとされる。しかし「たたきつぶすと言って、こっちがたたきつぶされた」。橋下らしい引き際とも言えた。

隣の部屋は修羅場のようだった。維新の党代表辞任の意向を固めた江田憲司の腕を、大阪府議の浅田均が「やめんといて」とつかんだ。江田は泣き、「トップは責任を取らないとダメだ」と譲らなかった。

会見を終えた橋下が部屋に入り、メンバーに謝意を述べた。「やめるなんて言わんといてください」と叫ぶ衆院議員の馬場伸幸に向かって橋下は「そんな顔しないでください。家に帰って馬場さんの顔を思い出して、泣いてしまう」。馬場はおえつを漏らした。

混乱ぶりは維新への打撃の大きさを物語っていた。

 ■  ■  ■

公明党の翻意で住民投票実施の流れができた昨年末、維新は浮足だった。橋下は「今やったら勝つと思うが、そんなに甘くない」とクギを刺したが、その言葉は現実となった。

「橋下、お前嫌いじゃー」。5月10日、大阪市北区の扇町公園で開かれた都構想の反対派の集会。司会者の絶叫に出席者の雄たけびが続いた。行政改革、選挙で対立してきた大阪の自民、民主、共産各党、官公労関係者が顔をそろえた。平成25年秋の堺市長選で維新候補を退けた市長の竹山修身の姿もあった。20年2月の知事就任以来、橋下が「ふわっとした民意」を背に切り込んだ相手が「打倒都構想」で結束した。

反対派は大阪市分割がもたらす住民サービスの低下や財源の懸念を中心に批判を展開し、橋下は釈明に追われたが、橋下と対照的に周囲の危機感は高くなかった。選挙戦最終盤に追い上げる成功体験もあり、維新議員は「ちゃんと活動してたのは3分の1ぐらい」と打ち明ける。

住民投票終盤の全体会議で松井が「われわれ自身が『最後に強い』なんて言ったらやっつけられる」と戒めたが、松井退出後の会議室では冗談が飛んだ。

橋下は周囲に「覚悟を決めさせるために議員から辞表を集めておけばよかった」と冗談めかしたとされる。側近は「橋下独りが危機感を背負い込んできた」と思った。

 ■  ■  ■

「よっしゃー」。17日夜、自民府連の幹部たちは反対多数のニュース速報に叫び声をあげ、両こぶしを突き上げた。

カメラの前で手を取り合い、表情をほころばせる。ただ1人、自民市議団幹事長の柳本顕は険しい表情を崩さなかった。「賛成に投票した人がこの光景を見たら、いい気持ちはしない。この戦いに勝者や敗者を作ることは好ましくない」という理由だった。

有効票数のうち賛成は49・62%、反対派50・38%で僅差だった。柳本は「私たちは51の方に立ったが、49の民意をくみとり、市政を調和でもって取り戻していきたい」と語る。

投票箱が締め切られるまで、賛成派、反対派の双方が主張をぶつけあった。大阪市の存続は決まったが、街は二分された。18日には反対派に加わった市民団体が市役所近くで勝利集会を開き、橋下の即時辞職を求めた。調和への道は容易ではない。(敬称略)

     ◇

橋下氏が5年余りかけて作り上げた「大阪再生」のプランは露と消え、街には戦いの「爪痕」が残った。対立から調和へ。新たな道へとかじを切った大阪政治の底力が試される。←引用終わり
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