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2017/03/03

天皇皇后両陛下のベトナム公式訪問(VNは国賓招聘)の感謝!

天皇皇后両陛下のベトナムご訪問に深甚なる敬意を表します!

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思えば数々の困難や苦節を乗り越え、
日本の皇室から秋篠宮殿下を最初にベトナムへお招きし、両国の親善を丁寧に積み上げ、皇太子殿下にもご訪問を賜りました。
この度、ベトナム国民の長年にわたる願いを、お聞き届け下さり、本日からのご訪問を迎える事になりました。真に感慨深く心に去来するものがございます。

お聞き入れ下さいました両陛下、ご尽力を賜りました両国の関係各位に対し、心から御礼申し上げます。

日本とベトナムは、日露戦争で日本がロシアに勝利した事を受け、ベトナムの愛国者「ファン・ボイ・チャウ」が立ち上がり、日本に学ぼうと日本への留学「東遊運動」を呼びかけ、これに呼応したベトナム人が日本へ留学を果たしました。
グェン王家の「クオン・デ」公も滞日されました。
しかしながら当時の日本は国際社会で十分な立場もなくフランスを始めとする列強各国の圧力の前にベトナムの愛国者を受け入れ続ける事ができず頓挫しました。
それから幾星霜、日本は、先の戦争でベトナムを始め、当時のフランス領インドシナ全域を占領支配しました。この過程で様々な出来事も生じましたが、日本の敗戦後、ベトナムに止まりフランスからの独立を目指すベトミンの一兵として戦いベトナムの独立に応え、ベトナムで家族を得た高い志を持つ日本人がおりました。
しかし、国交がないなど、様々な理由により家族を残し泣く泣く日本へ帰還せざるを得ず、残された家族は塗炭の苦しみだったものと思量致します。
それら残留日本兵の残された家族ともご懇談いただける事を真に嬉しく存じ上げ、心より御礼を申し上げます

この度のご訪問を受け、日本とベトナムの友好親善が一層深められ、より高い次元での信頼関係が深まり厚い「絆」が強められる事を心より祈念申し上げます。
(再掲)

歓迎晩さん会での御言葉

 このたびクアン国家主席閣下のご招待により、皇后と共に貴国を初めて訪問することを誠に喜ばしく思っております。今夕は、私どものために晩さん会を催してくださり、また、国家主席閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、心から感謝いたします。
 またこの機会に、私どもの子供である皇太子や秋篠宮夫妻が、かつてこの地を訪れました時に、貴国の皆様から受けた様々なお心遣いに対しましても深くお礼を申し上げます。
 近年、国家主席をはじめ貴国の指導者が我が国をご訪問になり、その際私どもに貴国訪問のご招待を頂いてまいりました。そうした中で、今回、貴国を訪れることができたことを感慨深く思っております。
 貴国と我が国の間では、昔から数々の交流が積み重ねられてまいりました。歴史をたどると8世紀には、当時我が国の首都であった奈良で大仏開眼の儀式が行われましたが、その際、現在のベトナム中部にあった林邑(りんゆう)の僧侶・仏哲(ぶってつ)により舞が奉納されたと伝えられています。その時の林邑の音楽は、我が国の雅楽の楽曲として現在でも演奏されています。今回、かつて林邑が栄え、また、ベトナムの阮(グェン)朝の都であったフエを訪問します。その地で我が国の雅楽と源を分かち合うニャーニャックを聞くことを楽しみにしております。
 また、16世紀から17世紀にかけては、国際貿易港として栄えたベトナム中部に位置するホイアンに、我が国から多くの交易船が訪れ、日本人町もつくられました。
 その後、我が国の鎖国政策により、貴国と我が国の交流は途絶えましたが、20世紀初頭には、「東遊(ドンズー)運動」の下、約200名の貴国の青年たちが我が国に留学していたこともありました。
 1973年に日越両国の外交関係が樹立されてから既に四十余年、その間、両国の交流はますます拡大し、現在我が国には、約18万人のベトナム人が留学生、技能実習生などとして滞在しています。その中には、将来我が国で看護師、介護福祉士として活躍することを目指して、病院や福祉施設で働きながら研修をしている約500名の人たちもあります。明日、文廟(ぶんびょう)において日本に留学していた人たちをはじめ、日越両国の交流に携わる人たちとの会合の機会を持つこととなっており、楽しみにしております。
 近年、貴国では、日本語を教える小学校もできるなど、日本語学習への関心が高まっていると聞いています。一方、我が国でも多くの企業がこの地での生産などに関心を高めており、ベトナムに居住する日本人の数も今や約1万5千人に上っています。日越両国において、それぞれの文化への親しみが増してきている今日、このたびの私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆をさらに強める一助となることを心から願っています。
 個々に杯を挙げ、クアン国家主席閣下ならびに令夫人のご健勝と貴国の国民の幸せを祈ります。

天皇・皇后両陛下 ハノイで残留日本兵のベトナム人家族に面会下さいました。
小松みゆき さん、本当にありがとう!

あなたの尽力の積み重ねが、きょう華ひらきました。
残留兵士の家族の皆さんを労ることができ本当に嬉しく存じます。
残された人生で名誉の回復が成される事を強く希望致します。

緊張の表情でした。ご苦労様でした。ベトナムの友たちと一緒に心から感謝申し上げます。
(記念に両陛下を案内される映像を静止画で投稿しておきます)

緊張の表情でした。ご苦労様でした。ベトナムの友たちと一緒に心から感謝申し上げます。

引用開始→ 天皇皇后両陛下 ベトナムで旧日本軍兵士の家族と面会
(NHKニュース2017年3月2日 16時49分)

ベトナムを公式訪問している天皇皇后両陛下は2日、ベトナムで終戦を迎え、その後も現地に残った旧日本軍の兵士の家族たちと面会されました。

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ベトナムでの滞在3日目となる両陛下は、現地時間の午前10時すぎ、11世紀にベトナム最古の大学が置かれた首都ハノイの史跡、「文廟」を訪ねられました。ここでは、かつて日本で学んだベトナム人の元留学生や、日本で看護師や介護士として働くことを目指している学生たち20人余りと懇談し、両陛下は、終始にこやかな様子で、「日本語の勉強はどうですか」などと声をかけられていました。

介護福祉士の候補生として、ことし5月に日本に渡る、レー・スアン・チュンさん(24)は「日本のお年寄りを助けて、両国の架け橋になりたいです。天皇陛下から『待っていますよ』と励ましていただき、頑張ろうと思いました」と話していました。

続いて両陛下は宿泊先のホテルで、第2次世界大戦中に、当時のフランス領インドシナに進駐し、ベトナムで終戦を迎えた旧日本軍の兵士、「残留日本兵」の妻や子どもたちと面会されました。

残留日本兵は、終戦後も現地に残ってベトナム人とともに、フランスとの独立戦争に加わるなどしましたが、政治体制の変化などもあって、1950年代以降、多くが日本に帰国し、ベトナムに残った家族は生き別れになりました。

家族たちは経済的に苦しく、さまざまな差別にも直面したということで、宮内庁によりますと、両陛下は訪問前に家族たちのことを知り、面会を望まれたということです。

両陛下から「本当に長い間、苦労されましたね」とか、「くれぐれもお元気でね」などと、いたわりの言葉をかけられ、涙を流す人もいました。

妊娠中に夫が日本に帰国し、3人の子どもたちを女手一つで育てたというグエン・ティ・スアンさん(93)は「長年の戦争でさまざまな困難に遭いましたが、ご高齢の両陛下がわざわざベトナムを訪問して、私たちに会っていただき感謝しています。両陛下がこれからもお元気でいてくださることを祈っています」と話していました。

ベトナム残留日本兵の家族 厳しい生活

第2次世界大戦中、日本軍は中国への物資の支援ルートを絶とうと、1940年以降、フランス領インドシナに進駐し、終戦当時も10万人近くの日本兵が現在のベトナムにいたとされています。

終戦後、そのほとんどが日本に引き揚げましたが、一部の兵士は現地に残り、植民地支配を続けようとしたフランスからの独立を目指す「べトミン」に合流し、教官としてベトナム人の訓練にあたったり、フランス軍との戦闘に加わったりしたということです。こうした残留日本兵は当時、数百人いたと見られています。

しかし、1949年に中華人民共和国が誕生すると、べトミンは中国から大規模な支援を受けるようになり、それまでべトミンとともに戦っていた残留日本兵は、次第に居場所がなくなったと元日本兵は証言しています。

残留日本兵の多くはベトナムの女性と結婚し、家庭を築いていましたが、こうした状況の変化を受けて、そのほとんどが1954年以降、帰国することになりました。元日本兵によりますと、帰国にあたって妻子を連れて行くことはベトナム政府が許さず、多くの家族が日本とベトナムの間で離れ離れになってしまったということです。

さらにベトナム戦争が始まると、西側陣営の一員と見られていた日本に対する反感も強まり、残された妻や子はさまざまな嫌がらせを受けたり、就職などでも差別されたりするなど、厳しい生活を送ってきました。

こうしたことからベトナムに残された家族は最近まで、過去を積極的には明らかにせず、また、日本に戻った残留日本兵たちも同様だったため、戦後、日本とベトナムの間で引き裂かれた家族がいるという事実は、ほとんど知られていませんでした。←引用終わり
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