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2018/07/23

「歴史」に「正史」はありません!

歴史って、人それぞれの「記憶」で、様々な立場により対象とする「現象」の捉え方が異なりますから、実に「多様」なのです。
多くの場合、何れも勝者の側が「自らに都合良く記録」を遺しますから、その遺された記録を軸に検証や議論が提起されますが、何事にも勝者があれば敗者があるワケですから、敗者の立場から眺める事で勝者の論理だけでは規定できない要素が隠されています。



従って、歴史的事件とされる事案また事象を捉えても、その「原因」は極めて多様であり、様々な原因を取り巻く「要素」は更に複雑に関係し合い絡み合っていますから、単純に規定する事はできません。
しかしながら、近現代に形成された「国民国家」は、国民の統合を「アイデンティ」形成を刺激し図り促進するために有効な「物語」を吹聴し、共有化を促進する事で「国民国家」としての統合を形成するワケです。
その段階で、大きな枠組みによる「歴史的価値観」の強制を進め「価値観の共有」を図ります。


従って、国家間を跨がる「歴史的テーマ」を扱う際に、それぞれの国で幅広く形成された固有(多くが正史と考える)の「歴史的価値観」に依拠する思考論理は、基本的に対立し、感情的に対立しがちになるのです。


また、何よりも歴史は、個々人が「想い」「考え」「発言」する時に、その人の言葉を通じ「表現」される瞬間に「歴史」としての姿を表すのです。


歴史を遺し記録を表す施設として「博物館」や「資料館」また「祭礼」などがあります。
例えば、身近な社会としての地域で催行される「祭礼」なども、参加したり観覧する事で「空間を共有」し、記憶を蘇らせ「アイデンティティ」を確認する行為ですが、その記憶(価値観)を共有する事で自己存在を意識します。
いわゆる「歴史」とは、そのような「地域社会」による「記憶」であり「価値観」であり「共有する文化」でもあるワケです。


地域社会にある特有の「生活律」に基づく習慣や慣習は、日々の生活の過程でしっっかり「価値観」として刷り込まれ「記憶」されます。
それは、他地域の人が考えると「異なる」場合があります。
それこそが地域を巡る「歴史」とも言えます。
「歴史」は、これが正しいという「正史」は存在せず、基本は「多様性」や「相対性」を持ち、時に対立する関係にあります。100人居れば100の歴史が存在するのであり、それを適正に検証し議論を重ねる事で、ほぼ多くの賛意を得ながら記録される事が大切なのではと考える次第です。

結論として、
「歴史」に「正史」はなく、様々な「対立」があり「要因」や「要素」を解きほぐし客観的な事実に迫る必要がある事。
近現代社会では、
「国民国家」の成立以降、自国の「国民的アイデンティティ」を形成し、近現代国家としての「統一性」を保つ必要性から、アイデンティティ優先の極端な論理展開にチカラを注ぐ、幼い国が出現するとも言える。

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