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2019/05/02

「令和元年伍月朔日(陽暦)/皇紀貳仟六佰七拾九年」を機に、日本の歴史を改めて思いを寄せ考え・・・

元号と、天皇制の維持(象徴の今も)は、日本社会の基層や文化と密接不可分の関係にあります。
故に改元の「令和 元年」は「神武天皇」紀元の、皇紀を以ち示すべきで、便宜上でも、決して西暦で表すものではないと考えます。


従って、
「令和元年伍月朔日(陽暦)/皇紀貳仟六佰七拾九年」でなければなりません。


様々に伝承される「神話」に拠ると、日向の高天原(高千穂)を出て、神武の東征が始まるワケですが、先住の者との戦いは熾烈を極め退却を余儀なくされ、紀伊半島は熊野の山への退却を余儀なくされ、八咫烏の神力を得て大和の平野を手に入れ、どうやら橿原の地に権力を打ち立て権威を確立した様子です。


日本史の時代区分を概略で眺めると、縄文、弥生、古墳(神武天皇の頃)、飛鳥、天平(奈良)、平安(京都)、鎌倉、室町(京都)、安土桃山(京都)、江戸。
明治以降、大正、昭和、平成、令和も、政治の軸は東京だし括りとしては、後年に「東京時代」とされるのかなぁ!?


実は、弥生と古墳の間に「神話」という括りがありますが、
「記紀」以外に検証できずは仕方ナシですが、
弥生の後「神話」の頃というのは、評価が難しいですねぇ。
「記紀」が記述され編纂されたのは天平の頃で、日本の社会文化が高度に確立された事に因ります。
それ以前は、記録され伝承され承継されながら、体系的な記述としてではなく、主に口承され受け嗣がれてきています。
また「記紀」も「正本」はなく、いくつもの「写本」が遺されています。
環境を考慮すれば、当然の事と云えます。


例えば「仁徳陵」は遺されていますので、その点における論点は明解ですが、しかしながら「検証」は難しいですね。
「神武陵」も明治中期に「万世一系」と「歴史性」を強調するために、橿原の地を当たり精緻な検証もなく特定し、神宮を形成し拠として120年ほどの事ですし、百舌鳥の古墳群などは「世界遺産」に申請しない方が良いと考えています。
それもあり、神話の時代との表記はパスします。

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