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2019/06/13

150年前「戊辰戦争」に敗れた会津藩士は太平洋を越え米国カリフォルニアへ移民し「若松コロニー」を拓いた事を忘れず讃えよう!

日本は、3000万人の人口を喰わす事ができず、
150年前に「移民」を奨め、実質は「棄民」していた事実を忘れてはならない。


この記事は、会津藩の人達が海を越え、米国本土に築いた「若松コロニー」について報じています。
当時は、喰わす事できない(労働の場がない)人を、明治維新政府は海外へ捨てたのだ。また、言葉巧みに北海道の開拓へ追い立てたのだった。
それから50年後には「満州開拓団」としての移民を推奨したのだった。
一族の一部は「満州の荒野を沃野」に変えて見せると、勇躍、大陸へ渡り、全てを喪い「命」辛々、逃げ帰りはしたものの、農地改革もあり苦心惨憺を強いられ続け「夢は幻」のまま没落した。


日本は、今、立場を変え、
日本の労働(処遇)条件で得る事ができない「労働力」を海外からの労働力に求めている。
海外の労働力に頼らず、日本の経済社会を維持できるなら、それに越した事はナイが、それができないのが日本の労働(処遇)とも言える。
この厳然とした事実を正しく認識した上で、多角的に外国人労働力の是非を冷静に論じて貰いたい。
利益を受けるのは、直接の事業者だが、その恩恵は薄いながらも、日本の経済社会全体に及ぶのだ。それに対する社会的負担を全体で負うべき事は当然の事だ。


日本が、歩んだ途を冷静に把握し、単純に「外国人労働力」導入反対を主張せず、噛み合う議論で考えて頂きたく願う・・・・・・・


引用開始→ 移民150年で記念式典=米本土初の日本人入植地
(時事通信2019年06月10日05時11分)

 【ゴールドヒル(米)時事】米国本土に渡った最初の本格的な日本人移民団がカリフォルニア州ゴールドヒルの入植地に到着してから150年となる8日、移民が築いた「若松コロニー」の跡地で記念式典が開かれた。移民の子孫らが参加し、移民団の出身地会津藩に連なる福島県会津若松市の関係者が建立した記念碑の除幕が行われた。
 会津松平家の15代目で早大3年松平親保さん(20)は、150年前の衣装をまとって式典に出席した。記念碑には松平さんが揮毫(きごう)した「義」の一文字が刻まれている。

 入植当時、移民団に続いて会津藩主もいつかコロニーに来ると伝えられていた。松平さんは「子孫である私がここに来ることで約束を守ることができた」とあいさつした。
 入植者の6代目の子孫で京大1年白石菜織さん(19)は「ほんの少し前まで鎖国していた日本から海外に渡った先祖を誇りに思う」と語った。式典には、地元エルドラド郡と姉妹都市の関係にある埼玉県蕨市の関係者も出席した。←引用終わり

引用開始→ 日系移民150年で6月に記念祭=米本土初の「若松コロニー」-加州 (時事通信2019年04月13日13時02分)

 【シリコンバレー時事】日系移民による米国本土最初の入植地「若松コロニー」の開設から150周年を記念して、カリフォルニア州の跡地で6月6日から9日までフェスティバルが開かれる。主催団体アメリカン・リバー・コンサーバンシー(ARC)のハーブ・タニモトさんは「日本の先駆者たちが米国の歴史と文化にもたらした貢献を理解してほしい」と来訪を呼び掛けている。
ブラジル邦字紙、72年の歴史に幕=高齢化、日本語離れで部数減

 若松コロニーは、戊辰戦争で敗れた会津藩の人々が武器商人ヘンリー・シュネルに導かれて1869年に渡米したのが始まり。数十人がゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州の内陸部に農場を築き、茶や桑の栽培に取り組んだ。
 しかし、干ばつとかんがい用水の汚染で作物が枯れ、やがて資金繰りに行き詰まった。コロニーはわずか2年で崩壊し、移民団は離散。現在は自然保護のために土地を買い取ったARCによって管理されている。
 フェスティバルには、入植者の子孫を含め日本からも多くの関係者が訪れる。入植地名の由来である福島県会津若松市からは会津藩主・松平容保の末裔(まつえい)を団長とする訪米団が参加。市民からの協賛金で記念碑を建立する予定だ。会津訪米団実行委員会は「海外で懸命に生きた先人の歴史を語り継ぐものにしたい」と話している。←引用終わり

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