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2019/08/16

「敗戦の日」から74年の歳月が経ちました。

1930年から15年続けた戦争が、明らかに敗戦となり74年。最終章の9ヶ月、日本は国土全体が戦場と化し、空虚な精神論「一億火の玉」は、別の意味で「火の玉」が降り注ぐ焦土へ転じ、精神論も戦力物資も打ち砕かれ、生命財産の多くを喪ない旧弊思考も潰えた日だ。


勝った、勝った、の高揚連呼を繰り返した14年!
他国を戦場にし、勝ちも負けも実際の臨場感は伴わずの日々が、
一転し、1944年の11月から9ヶ月にわたる「無差別爆撃」で、日本の国土が戦場となり、貴重な人命と財産の多くが喪われました。


戦争は「頭脳」と「物力」で対戦するのであり、空虚な「精神論」で切り拓き得られる事は稀少でしかない事を示し十分でした。
「腹が減っては戦はできず、武器がなければ戦えず」であり、馬鹿げた東條英機の戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」で、どれほどの貴重な人命(頭脳)を喪った事か!?


この「春秋」の記事にもある、岡本喜八監督の「日本の一番長い日」1967年作品は、それを見事に描ききった!


引用開始→ 春秋
(日本経済新聞2019/8/15付)

汗、汗、汗。1967年8月公開の映画「日本のいちばん長い日」は、終戦の玉音放送にいたる軍部や政治家の動きを、むんむんする暑さと噴き出す汗の描写で見せきった作品だ。「玉音盤」奪取を試みる陸軍将校の軍服に染みる汗が、運命の日を強く印象づけている。

▼終戦の年の夏は暑かった。というイメージの定着には、この映画も一役買っているかもしれない。しかし実際には、この年は北日本では冷夏だった。玉音放送が流れた8月15日、東京の最高気温こそ32.3度を記録したが東北や北海道は平年より涼しく、コメの作況も悪かったという。戦禍に冷害が追い打ちをかけていた。

▼終戦の決断がもう少し遅れたら、9月以降に来襲した枕崎台風や阿久根台風の被害も相まって多くの餓死者が出たのでは――と気象予報士の饒村曜さんがブログで指摘している。本当に際どい局面でこの国は救われたのである。負けることによって、米国からの食糧援助を受けて人々は生き延びた。そして戦後は始まった。

▼それもこれも、いまは遠い記憶だ。健忘症が高じて、軽口で戦争を云々(うんぬん)する国会議員まで出てくる始末である。思えば、旧作「長い日」は岡本喜八監督はじめスタッフも俳優も戦中派ぞろいだった。あの汗には暑さの汗である以上の熱がこもっていたのだろう。近年のリメーク版も佳作だが、登場人物は妙に涼やかである。←引用終わり

先年のリメイク版(2015年)は、松坂桃李(大根役者のコヤツを起用した時点で軟弱)など人生の決意すらないダラケヅラで、実に下らない臨場感すら欠く観客をバカにしたダラダラ映像だった。


喰うモノが無い、戦う武器がない、それを「精神」で克服するのだと。


集団ヒステリーを形成すれば、その精神力で「物的困難」を克服でき、「神州日本には『神風』が吹く」と、夢想し続けた。


「一億火の玉」「神風が吹く」は、悪い冗談として襲いかかった。
「火の玉」は焼夷弾として無差別に空から降り注いだ!
「神風」は間違いなく「大型台風」として襲いかかり吹き荒んだ!


東條英機に象徴される空虚で無能な馬鹿に、日本の権力中枢が占拠され続けた事で、日本は塗炭の苦しみを味わった。


戦没者の御霊に拝礼 合掌


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