引用開始→ 信じられないニューヨークの家賃、その訳は
田村明子(ジャーナリスト/インフィニティ)
現在のマンハッタンで1人暮らしするためにかかる家賃は、月におよそ30万円と言ったら、驚くだろうか。
筆者がニューヨークに移住した1980年から比べると、当然ながら物価は上がっている。50セントだった地下鉄運賃はおよそ5倍の2.75セントに。レストランの外食代はおよそ3倍に、そしてアパートメントの家賃は、場所によっては6倍から10倍程度に跳ね上がった。
現在マンハッタンで、Studioと呼ばれるワンルームでも月の家賃は安くて2千ドル(およそ21万円)くらい。エレベーターとドアマンつきの近代的なビルだと、3千ドル以上するところもある。
マンハッタンの家賃を払いきれなくなった人々は、筆者もそうだが川を渡ってブルックリンやクイーンズなどに移った。だがブルックリンもクイーンズもこのところ再開発が進み、地下鉄の便が良いところはマンハッタンとさほど変わらないほど家賃が上がり続けている。
一体なぜ、ニューヨークの不動産はここまで高騰したのか。
住みたくない街からの変貌
「基本的に、需要と供給の問題です。不動産というのは限られていて、増やすことはできない。ニューヨーク、特にマンハッタンは狭い島ですからそこにいくら高層ビルなどを建てても、物件の数は限られているんです」
そう説明するのは、長年ニューヨークの物件を手がけてきたベテランの不動産ブローカーのスティーブ・ヘルド氏である。個人の会社「Held and Co.( heldandco.com)」を経営する傍ら、R NewYorkという大手不動産事務所にも所属するヘルド氏は、高騰したのはそれだけニューヨーク市の人気が上がった証拠だという。
「ニューヨーク市は1970年代に財政破綻したことを覚えているでしょう。当時は治安も悪く、誰もが住みたい街ではなかった。80年代にエド・コッチ市長が企業を招聘し、不動産デベロッパーを優遇し、ニューヨークを国際都市へと再建していきました。それが何代かの市長政権に受け継がれて、ニューヨークは再生したのです」
筆者がニューヨークに移住した1980年には、確かにこの街はまだ危険な大都会というイメージが強かった。タイムズスクエア周辺など、絶対に夜に行ってはいけないと言われたし、日本人の数もそれほど多くなく特に女性は少なかった。
その代わり不動産の価格もリーズナブルで、筆者も家賃月400ドル程度(当時の換算でおよそ8万円)のアパートメントで暮らしていた。当時ソーホーのロフトが5万ドルで売りに出ていたのを覚えている。現在なら少なく見ても100万ドル以下ということはありえないだろう。
治安改善し、豊富な文化が人を呼ぶ
ヘルド氏はこう続けた。
「さらに90年代になってルドルフ・ジュリアニ市長がニューヨークの警察官の数を増やし、タイムズスクエアから風俗関係の店などを追い出すなどして、治安を劇的に改善させました。現在ニューヨークに常駐している警察官の人数は、小国の軍隊よりも多いのですよ。人々もこの街は安全だと感じるようになったんです」
治安が良くなったことにより、一時は郊外の住宅に移った若い家族たちが子供を連れてマンハッタンに戻ってきた。
「教育機関の改善によって私立のみならず、公立の学校の教育システムもかなりレベルが高く充実してきた。余裕のあるインテリ階級は、文化的なバラエティに富んだこの街で子育てをしたいと願う人も多いのです」
またニューヨーク市はコロンビア大学、ニューヨーク大学など、大きな総合大学をいくつも抱えている。世界中の裕福な家庭の親が、こうした大学や大学院などに子供たちを送ってくる。
「寮ではまかないきれないので、経済的余裕がある学生はアパートやコンドミニアムを探すことになります。また富豪階層は、たとえ年中住んでいなくてもニューヨークにアパートメントやコンドミニアムなどを所持する。こうして次々と外からニューヨークに移住してくる人口に対して、新しい物件の建設がまったく追いついていないのが現状なのです」
中古物件の価格は?
また一つ、日本と大きく違うのはニューヨークは中古物件でも価値が落ちないことである。地震など大きな天災がない上に、これまで戦火に見舞われたこともないニューヨークでは建築されてから100年近くたったビルも珍しくない。
故ジョン・レノンが住んでいたことでも有名なダコタハウスなどは、建設されたのは1884年と19世紀の末である。それでもいまだ住居として使われており、マンハッタンでもっとも高価な物件の一つだ。
「できれば他人が使用した場所に住みたくない、というのは日本独特の文化かもしれません。ニューヨーカーは古い物件を改装、修理して住むのが大好きですよ。個性が愛され、隣と同じようなような住宅に住みたくないんです。また古いビルの多くは部屋も広く、天井も高く、今では作れないような贅沢なつくりになっている。窓が大きくて窓枠のデザインが凝っていたりなど。ですからきちんとメインテナンスがされている限り、建物が古いから家賃が安くなる、ということはないのです」
新しく建てられる建物はスペースも小さめで、特にキッチンが狭い物件が多い。
「今はほとんど外食ですませてしまう住民も多いです。2年くらい人が住んでいたアパートメントのオーブンが新品のままだったこともあります。だからデベロッパー側も、そういったところは簡略化していく傾向にあります。ニューヨークの物件は内容に比べて割高なことは間違いない。ドアマンがいる、フィットネスジムがついている、近くに地下鉄の駅がある、公園がある、窓からの風景が良い、騒音が少ない、大きなスーパーができたなど、細かい条件でプレミアがつくのです」
低所得者向け住宅もあるが……
だがニューヨークに行ったことがある人なら、どう見ても億万長者ではない市民も大勢マンハッタンに住んでいることに気がつくだろう。
アメリカには80/20ハウジングプログラムと呼ばれるシステムがある。不動産デベロッパーが新たに建築する建物の20%を低所得家族用に家賃を安くすることで、税金が大幅に軽減されるのだ。
こうした州や市が援助してきたハウジングプログラムは昔から何種類かあり、ロウインカム(低所得者)、ミドルインカム(中産階級)を対象にした、家賃の値上がり率を制限した建物が市内中各所にある。
こうしたアパートメントは、いったん住民が入ってしまうと子供、孫にと受け継がれていく。そのためニューヨークに引っ越してきたばかりの新参者がこうしたアフォーダブルハウジングに入居することは、とても困難だ。
シェアが社会人でも当たり前に
では億万長者でもなく、アフォーダブルハウジングに入りそこねた一般市民は、ニューヨークでどうやって暮らしているのか。
現在では、独身者の多くがアパートメントシェアをしている。かつてシェアといえば、学生がやるものであった。だが家賃の高騰により、社会人の間でもルームメイトとシェアをすることが現在のニューヨークでは珍しくなくなったのだ。人の紹介やインターネットの掲示板などを通して、人々はルームメイトを見つけるのが一般的だ。
1ベッドルーム(リビング、キッチン、寝室)のアパートメントで、リビングにソファベッドなどをおいて2人で暮らす。あるいはブルックリンあたりで2ベッドルーム(リビング、キッチン、寝室2つ)を借りて住むほうが、マンハッタンで1人でStudioを借りるよりも安上がりなのだ。
日本人の留学生や短期滞在者も、駐在員以外はそのほとんどがシェアをしていると言って良い。だが中には、行ってみたらリビングルームをカーテンで仕切った部屋だったり、窓がない、暖房がきかない、などトラブルの話を聞くこともあるので事前に物件を見学しておくことは必須だ。
家賃が下がる要因はあるのか
ニューヨークは2001年の同時多発テロ、2008年のリーマンブラザーズの破産によるリセッションなど、多くの経済ダメージを乗り越えてきた。
「その直後には確かに賃貸の価格が停滞し、不動産物件の売買の数も減りました。でも影響は一時的なもので、いずれも短期間で終わりました。世界でこのような経済的打撃に耐えて短期間で立ち直れる都市は、他にそうないと思います」
たとえば小さなStudioで家賃が5千ドル、という日もいずれ来るのか。そう聞くとヘルド氏はこう答えた。
「実際のところ、つい先日49丁目のウェストサイドの高層ビルですが、小さなStudioで月3200ドルの契約がありました。一般的な年収上昇率は家賃の値上がりに追いついていない。でもIT業界で働いている一部の人々はお金を持っているし、家主もそのことをわかっていて強気です。経済、文化、観光、芸術、すべてを求めて世界中から人々が集まってくる。今のところ、ニューヨークで家賃が下がる要因というのは、見当たらないですね」←引用終わり
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