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2020/01/18

1995年1月17日 同じ朝はこなかった・・・・・

人は、
いつも同じ朝がくると・・・・・
あの日は、
いつもと同じ朝はこなかった・・・
寝呆も叩き起こされた
何が興きたか知りようもなく
寒い朝は
一時間ほどで夜が白み
そこには砂塵が舞っていた・・・・・
煙が立ちのぼり、火の手が見えた
街は一溜まりもなく壊塵に帰し惨めな姿を曝していた
人の暮らしは破却され阿鼻叫喚がこだました


やがて現実が姿を見せた
そこには茫然自失しか残されていなかった
しかし、
みな無事であった
棲居は激震に耐え壊れなかった
電気は復したが、水とガスは止まり
直ぐに電磁プレートを手当した


ふと我に帰り苦労しているだろう知り合いの顔が浮かび
連絡してもダメだった
手持ちの飲料水を積み世話人の下へバイクを走らせた
渋滞を交わし着いた先は、ほぼ全壊で両側に保たれていた
母国を離れ肩を寄せ合う蝟集地へ向けバイクを走らせる
渋滞を交わすと、大火が行く手を阻む、臭いが呼吸を塞ぐ
全壊全滅した激甚の街路を進む
指定避難所は日本人で満杯
目的の人達はいない
近隣の公園を探す
母国を離れ20年
ようやく安定し始めた時、想像外の激甚災害に直撃され


当座の応援を手当し
継続的に応援できることの手当を考えた
無力感が起ち上がり来るが
負けないようにとハイだった
繰り返し余震は続く
生き残った建物が崩れゆく
人も崩れゆく
人の心も崩れゆく
神戸は国際都市だと自慢しながら余裕をなくすと
人の心も崩れゆく
報道が悲惨の見世物を探し求める賤しさに暴力的にもなった
東京から報道を指示する者とは極めつけの温度差があった
どれだけ人が賤しくなれるかを垣間見せていた


前の日まで150万以上の笑顔があり、人の誇りがあった
僅か、10秒で、150万以上の哀しみに替え、人の誇りを打ち砕いた
壊塵を前に悲嘆にくれる人の上を爆音を靡かせヘリが容赦なく
今日も上空からヘリが爆音を撒き散らす


思えばたくさんの哀しみが起ち上がり
想えば幾多の怒りが起ち上がり
人の心を喪いたくない


25年の過程で、いくらかでも、
いまの立場を形成する上で鍛え育てられた神戸に恩返しを
10年後に、最初に関わったポートアイランドでの事が
防災の研究学環も
理解と協力の下に
多少ながら恩返しできたかも
神戸はユネスコの「デザイン都市」として認定された
まだまだ、復興への課題は多い
理解ある友人は提唱のNPOを世界に向け運営してくれる
感謝しかない


転べば、起ち上がろう、何度でも
150万以上の笑顔と誇りを僅か10秒で喪い
150万以上の哀しみの涙に
150万以上の笑顔を取り戻そう、
哀しみの涙を150万以上の大きな喜びの涙に変えよう


転べば起ち上がり
何度でも起ち上がり、手を携え生き抜き
伝えよう多くの経験を知恵を・・・
150万以上の笑顔をとり戻そう
150万以上の誇りをとり戻そう


自分だけが一人で生きているワケではないコトを識ろう
人の心を喪わず
「はるかのヒマワリ」のように
世界の人と共に生きていこう、共に歩みを進めよう
難しいコトに挑戦しよう

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