2008/04/09

「桜」ありがとう!

帰国しても、桜は満開を維持していた!
何となく、どことなく「嬉しい気分」に満たされた。

ハノイの仲間の皆様へ:
NHKのニュースによると、ハノイ(ベトナム)では、6日に日本から空輸した「桜」を飾り立て「さくら祭り」をしたという。
この件は、賛否両論だと先月末にハノイで聞いた。
理由は、杉良太郎さんが設立した「日本-ベトナム(ベトナム-日本)文化交流協会」を、とある「株屋」が買収し、理事長が「杉良太郎」さんから現在の方に代わっていらい、証券市場で有力なポジションを得ようという臭いプンプンだそうで、そんな胡散臭い組織に成り下がってしまったのが「運の尽き」ってワケだな。所詮は「成り上がりの『株屋』に過ぎない」のだから、品格や行儀を求めるのは「八百屋の店頭で魚を出せ!」と迫るようなモノだ。下品な「株屋」は、「国際交流も、文化交流も、語学交流も、様々な催事企画も」全て自社の売名行為だし反対給付を求める手段に過ぎないのだ。財団法人を活用して金儲けの手段に転じる当たりはさすがに「株屋」の手技と感心させられるワ。相手の足下を見てつけ込むところなんざぁ、「正義も人情もないやね」だからバカにされるんだよ!そんやヤロウに限って「正義だとか、公正だとか」を主張したがるのさ、これってまるで「中国」の主張と同じだね!デキナイからできるって主張しているワケだよ!

折しも、2008年は「日本とベトナムの国交樹立35周年」に当たるし、日本もベトナムも記念ロゴを作って備えているようだが、ハノイの日本大使館は、6日の「さくらまつり」で35周年記念ロゴの使用を認めなかったとの噂さも飛び交っていた。(真意は分からないが)
何となく、想像できる。
胡散臭くなってしまったのだ。
しかし、この団体が運営するっていうより、杉良太郎さんが個人資産と心血を注いで創り上げた「日本語センター」に勤務するベトナム人(知人)は、「6日に『さくらまつり』をするのだ」と意気軒昂だった。
でも、胡散臭くなってしまった「日本-ベトナム(ベトナム-日本)文化交流協会」も「日本語センター」も、いつの間にか色褪せてしまったなぁ~!
15年前のドキドキしたときめきもなくなっている。
着任している日本人教員は、いまや誰も知らないし、他人様だものねぇ~!
最近着任される方は、エライ方ばかりのようだ。
エライ方が、日本語を巧く教える事ができるかどうかは「別の問題だし、人間性や人格は、より別の問題だ!」と静かにハノイでの評判を見守っている。
まぁ、そんなこんなの「さくらまつり」が開催されたそうだ。

ンなこたぁ、どうでもよくって、こちとら正真正銘「日本の桜」である。
散るなぁ~!咲いていてくれぇ~!と毎日まいにち念じ続けて帰国した!
まだ咲いていた。咲いていたのである!満開状態だった!だから本当に嬉しかった!

Cimg0021_1_1Img_0304_1_1Img_0303_1_1Img_0003_1_1Img_0004_1_1頑張ってくれた「桜」に感謝して隣近所の「桜風景」5連発掲出しておこう!

7日と8日で散ってしまうのだろう!潔いなぁ~「桜」は!

散る桜(はな)の 敷き詰められし 路(みち)歩む [閑臥彌]

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2008/04/07

元「米軍兵士」再びベトナムを訪ね、慈善活動を活発に展開する!

その昔、ベトナムに戦争時に駐留した元米軍兵士が、今年もサイゴンへやってきた。

米国がクリントン前大統領の時代に、ベトナムへの経済制裁を解除し国交を正常化させて以来、米越関係は経済面では貿易投資とも大変スムースなように見える。
とりわけ、ここ数年は密着度を高めている。
もとより、ベトナム人はアメリカ人を毛嫌いしているワケではない。偏狭な米国の「反共キャンペーン」で何かボタンの掛け違いをしてしまった。その代償は「米国」にも大きなモノだったが「ベトナム」にはより重くのしかかり、とても簡単には言い表せない大きな災いをもたらせた。

米国は、つねに世界中に敵を求め創り出す事に忙しい。
観念的な社会をあざ笑うための「反共」政策が、不毛な東西冷戦を産み出した。
次に、それを発展させ熱い戦争をアジアを始め多くの場所で引き起こした。
何よりもベトナムと朝鮮はその犠牲者である。
そして再び東西冷戦を宇宙空間で繰り広げもした。
観念的な政策展開を続ける側が行き詰まりを見せると、包囲網を強化し観念論政策に支えられた社会を崩壊させた。
その前に、新しい敵を作り出す事に腐心し、「イスラム社会(の過激派)」を観念的に敵と規定し激しく非難する行動に出る。
最初は、ペルシャ(イラン)で続けた工作を情勢逆転された挙げ句に完敗させられた。
以来、米国にとりイランは不倶戴天の敵である。
いまも、イスラム社会の一部を観念的に敵対勢力と規定する政策を強化しても弱める事はない。アフガンで、イラクで兵力を直接展開している。
かつては、カルタゴも、ローマ帝国も当時の認識世界だった地中海を軸に兵力展開を競い合い、その挙げ句、疲弊したカルタゴ側が崩れ去った。
何たって、米国はまだ崩れるところまでに至っていない。その証拠に大統領予備選で、いずれの候補も「自分は弱虫ではない。強い(大統領だ)!」と主張する始末だから、手に負えないのかも知れない。

緊張が強まると、米国は軍事力を誇示し兵士を送り込む。
送り込まれる兵士達は、ごくごく普通の市民である。
兵器を持たされ戦闘行為をトレーニングさせられるから強そうに見えるだけである。
本当は、「気のいいヤツラ」なのだ。

だから、米国がベトナムと国交を正常化し交流が活発になれば、かつて駐留した地を訪ね自分達の気持ちを伝えようと涙ぐましい努力をしたがるのだ。

昨年もやって来た。
今年も再びやって来た。
彼らは、今年も下宿屋のような小さなホテルへ投宿し、小学生の修学旅行のように大きな声で騒いでいる。

ミネソタからやって来た気の善いジョン。ジョンはこのグループのリーダーだ。戦時駐留中からシッカリ者で実際上の統括者だった。
太りきった腹を抱えて陽気さは相も変わらずのケントは、カリフォルニアで暮らし、今年も太さではイイ勝負の嫁を伴い豪快に笑い飛ばしている。
相変わらず「下手で、くだらないジョーク」が大好きなビリーは古傷を庇いながらミズーリからやって来た。
元はコマンダーのマッキーは、何事にも計画性がある。よる年波に勝てず知的な風貌は崩れるけれど、周囲を圧する鋭い目は往年のままだ。何事も論理的に検証する思考力は衰えを見せない。

この4人が軸になり、昔のUSソルジャーをまとめるのである。

元米軍兵士、現在のベトナムへ慈善事業を提供する!

成田経由で、米国から、元の従軍者を組織し大挙して到着したのだ。
まぁ、同窓会みたいなモノだろう。昨年に続き二回目になる。
[ 元「米軍兵士」サイゴンへ、クチの村を訪問し過去の戦闘を告白! ↓]
[ 2007/03/23 http://febnet.cocolog-nifty.com/column/2007/03/post_eb43.html ]

今回の彼らのテーマは、チャリティーだ。
気持ちだけかも知れないが支援物資と、恵まれない人たちへの子供の「奨学金」を届けに来たワケだ。
また、様々な理由で、親を亡くした子供との養子縁組も数組なら行いたいとの事だ。
当面はベトナムで育てる養育費や教育費を米国から支援するプログラムを組んでいる。
高校修了(前)時点で、米国への留学を希望する場合は、留学支援も行うプログラムにしたという。
「なぜこのプログラムか」と質問したら

「ベトナムの子供たちは、ベトナムで基礎教育を受けた方がよい」。
「ベトナム人は、ベトナム語で、ベトナムの思考方法を身につけるべきだ」。
「基礎教育を終了し、希望があれば、『米国』の大学へ進学する事が最良だ」。
「そうすれば、両方の国でその仕組みや違いを比較できる」。
「(自分の意志で)将来住む国を選ぶ事もできる」。
「いま、小さな時期に、『米国』へ連れて行くのは、子供から比較や選択を奪う事になる」。
「だから、そのような非人道的行為を犯してはならない」。
「両方の社会を冷静に比較する能力を持つ事が何よりも大切だから、そのようにすべきだ」。
概ね、このように説明した。
「養子縁組の場合は別だが、でもそのケースは多くない」。
と彼らの支援に対する哲学を説明してくれた。

別に、米国内では「NGO枯れ葉剤被害者救援国際行動計画」もそれなりに形を見せ始めたようながら、サブ・プライムローン破綻問題で、米国経済全体がパワーダウンしているため、米国内での組織化と活動が壁に突き当たりそうになたとの説明も受けた。
双方の能力が問われる事になる。

在郷軍人の彼らも「人」として努力しているのだが。
米国人は、一人ひとりは「とても、イイ奴らで!気のよいヤンキー」なのだ。

「俺たちゃ、いまも『ベトナム』を愛しているよ!熱烈にね!」。
恩讐を乗り越え克服する努力が求められています。

「ロン(執筆者)よぉ!オメェー、あれから何回来たんだ?」
「2回だなぁ~、夏とクリスマスの時期だ。今回を加えると3回目になる」。
「そうかい、イイねぇ~、オメェーの国は近いからイイよなぁ。羨ましい限りだよ」。
「ビリーは、一年でこんなにたくさんの資金を集めて来たじゃないか!感心しているよ」。
「そうかい、オイラはもっとカネ集められるって思ってたんだけど、予想と違っちゃった」。
「イヤいや、結構な資金だよ」。
「それはさぁ、何てったって、マッキーの野郎が凄腕だからヨォ!」。
「何たって、マッキーの命令は絶対だからなぁ!いまもだよ!いまも絶対さ!」。
「それより、ジッポーがヤケに目につくなぁ」。
「いや、以前に比べりゃ、少ないよ」。
「そうかなぁ、ミンナ、どうしてあんなの喜んで売ってんだ?」。
「喜んで売ってるワケじゃないよ。多分ねぇ」。
「そうかなぁ~、ミンナ置いて帰ったり、オンナにくれてやったモノだろう?」。
「アンタたちよりも、もっと古い、随分古い時代のモノもあるからなぁ~、分かんないよ」。
「ベトナムじゃ、ちょっとしたコレクションだねぇ。ハノイでも売っているよ」。
「そうかい、オイラにゃぁ分かんないねぇ!」。
「そんな事より、えらくフレンチ野郎が増えてるじゃねぇか!」。
「どうして、ここまで増えてんだぁ~?」。
「オカシイじゃねぇかぁ~?キャツラ、また縒りを戻そうってんじゃぁネエだろうなぁ」。
「おぉ~、フランスのぉ!ッチッチ、ッシッシだよ、ホントに、ゴメンだぜ!」。
「何たって、キャッツらはケチなヤロウドモだからなぁ~!」。
「そのくせ、文句を垂れることにゃぁ天下一品だよ!ッタク話になんねぇや」。
「オレたちゃぁ、フランス野郎の後始末させられたんだよ!ッタクなぁ」。
「そいで、オレたちゃぁ、世界の悪者サ、割に合わねぇなぁ~」。
「まぁ、そんな話しに来たんじゃねぇだろぉ!」。
「おぉ、そうだよ、そうだ!オレたちゃぁ、愛するベトナムのためにチャリティーをしに来たんだ」。
「もう、イイじゃねぇか!?」。

「ロンよぉ、グェン・カオ・キがベトナムへ戻ったそうだなぁ?」。
「そうだよ、2回目だったかなぁ!」。
「何だって?」。
「あの酒屋か、バーを経営しているって野郎だぜ!」。
「オレたちゃぁ、あの野郎のために生命を的にさせられたんじゃぁねぇか!ッタク」。
「時代と環境は大きく変化してんだよ」。
「アンタたちも、1年前にクチへ行ったとき、『自分達は、USソルジャーでこの地で戦った』と言って、クチの兵隊達と仲良くなって写真写しあってたじゃないか」。
「そうだなぁ、そうだった」。
「まぁ、『平和』が何よりだよ」。
「戦争は『武器と憎しみ』以外に何も残さないからなぁ」。
「ロンよぉ、オメェーのここでの大切なパートナーは、その後どうしてんだ?」。
「何とかやり過ごしているよ!」。
「戻って来たのか?」。
「あぁ、カリフォルニアから戻ってきたけど、また、時期が来たら米国へ戻る」。
「どうしてだよ?」。
「だって、家族は『米国』に住んでるじゃないか」。
「そりゃぁ、『難民』として『米国』へ来たワケだから、住んでんだろぉなぁ」。
「そうじゃなくって、中身だよ中身」。
「そうだなぁ、難しくならないようにするよ」。
「ベトナムも、越僑(Viet Kieu)に帰国を呼び掛けてんだろぉ?」。
「200万人は海外だものねぇ~!」。
「頭イイしねぇ~!」。
「ロンよぉ、オメー、身を固めないのか?」。
「まぁ、今のところは、イロイロと難しいんだよ!年も離れているしねぇ」。

「それより、1年前、オレ達にイロイロ講釈垂れてくれた、ロンのダチ公とか何とか言ってた日本人の先生みてぇな野郎は、どうしてんだ?」。
「来てれば、会いたいねぇ~!」。
「礼を言わなきゃぁ、オレ達に『ベトナム』での目標与えてくれたんだからさぁ」。
「間もなく来るんじゃないかなぁ!」。

彼らは、やはり「ベトナム」を愛している。
元軍人として、ベトナム人コマンドは優秀だったという。
だから、平和になり、経済活動もオープンなのだから、間違いなく素晴らしい国になると考えている。その時まで、自分達の体力と生命が保つかどうかを心配している。

いくつかの場所で歓迎され、いくつかのセレモニーを行い、また来年も必ず訪れるという。
マッキーは、自分達が見張っていなきゃ、フランス人が勝手な事をするんじゃないかと、本気で心配している。本当にまだまだ「ベトナム」愛する陽気なUSソルジャーのままだ。

なんで「米国」は「ベトナム」へ踏み込み、悲惨な戦争しちゃったんだろう?
ヤッパリ「平和」が何よりである。

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2008/04/04

ベトナム付録話 「形が大切なベトナム」と「タン・ソン・ニャット空港『白タク』兄ちゃん物語」

某月某日:
ベトナムは、ホーチミン市の玄関タン・ソン・ニャット国際空港。
これまでは、国内線も国際線も一緒だった狭く非効率なビルで、国際線と国内線の利用者を捌いてきたが、その混雑ぶりはどれだけ改良したところで、所詮、1リットル容量の器に10リットル入れようとするのだから最初から無理がある。
こんなの40年ほど前に完成させたときには、1リットル容器に対し10cc程度だったろうから、無駄なスペースが溢れていたはずだ。
(多分、当時のサイゴン市民は「グェン・バン・チュー<南の政権の元大統領>のアホーが無駄な事にカネを使いやがって」とボロカスで辛辣な批判をした事だろう)
現在、ベトナム経済の発展に合わせ押し寄せる利用者数は考えもしなかった量だから仕方がないけれど、利用者を快適に捌けない事実は、ベトナムの印象を悪くするだけである。
降り立つたびにイヤになり、飛び立つ前にイヤになるのがタン・ソン・ニャット国際空港とその原因を作るビルだった。

ちなみに言ってしまえば、ハノイのノイ・バイ国際空港は、設備は勿論の事、提供されるサービスもそうだが、何よりも行く事自体がイヤになる。
現在のターミナルビルが、完成されて5~6年ほどしか時間は経過していないのに、もう、薄汚れてを通り過ぎボロボロだ。ベトナム人は基本的なメンテナンスをしないから、例え外壁が汚れても汚れたまま放置して平気だ。
「雨が多いから」とかなんとか言いながら平気だ。よく分からない、理解できない。
現在のノイ・バイ国際空港ターミナルビルができるまでは、田舎のバスターミナルみたいなビルに国内線と国際線が同居し旅客処理をしていた。
全く以て無理があった。無理偏に無理と重ね書きして「無茶苦茶無理」とでも読もうかと思うくらい無理を重ねていた。
いまは、あのノイ・バイ国際空港ターミナルビルができ、多少なりとも旅客の苦痛は改善されたように見えるが、やはり提供されるサービスの質は昔のままだ。ときおり懐かしく思う事すらある。

ノイ・バイ国際空港は、なんたって、ハノイの中心から遠い。余りにも遠い。
現在、ASEAN各国が競い合うように各国首都の玄関口である空港開発の主流から考えると距離が無茶苦茶遠いというワケではない。
しかし、アクセス手段が限られている。快適に旅客を運ぶ公共交通機関を持たないため、その都度、タクシーか知り合いに送迎を頼む事になる。
で、またこのタクシーの程度が低い極めつきなのである。何たってベトナム航空が差配する二社(Air Port TaxiとNoi Bai Taxi)だけの営業で独占状態だから進歩がない。
ハノイの中心部と田舎のノイ・バイ国際空港を往復するだけで、片道20米ドルにはなるのだから他の事はバカバカしくってやってられないだろうよ。実に効率のよいカネ儲けだ。
ところがドライバーは雇われの低賃金だから、愛想は悪いし運転は乱暴だし、ベトナム人のドライバーは客を乗せようと乗せまいと、自分の好きな音楽を大音量でかけて自分は悦に浸って平気なのだから手に負えないや。
音楽を大音量でかけると、こちらは考えの邪魔になるから「消せ」って指示するけれど、それに対して「自分は聞きたい、アナタに聞かせたい」と言い張る事を忘れない。
「サービス」の本質に対する考えが異なるのだから仕方がないのだろうけれど、「自分は聞きたくないから、消せ」と命令する事になる。
すると、その後は実に険悪な空気が車内に満ちる。
携帯電話が鳴ろうモノなら、大きな声で喚くようにマシンガントークで会話する。
乗車している側は、決して快適なワケではない。

この姿勢は「ベトナム航空」にはもっと充満している。
「国営だから自分たちは特別だ」という意識が強く、何かを勘違いしたバカバカしさに満ち溢れている。とにかく「乗せてやっているって姿勢」だけは何とかして貰いたいと希望する。日本との路線には、日本人の客室乗務員も、時おり搭乗しているが、これまた同じように○○に満たされ反省がない。「郷に入れば郷に従い」と染まってしまうのだろうけれど、一人の「人材」として誇りもないのか?って聞いてやりたいのがゴロゴロ転がっている。
韓国人の旅客は、いつも怒っている。彼らは自国のエアラインにも怒り心頭の様子だが、とりわけベトナム航空のサービスには、いつもなにがしかの不満を持っているようで、会う度に延々と「文句」を聞かされる。
こちらも、その都度「何で、(自分が)聞かされなきゃぁいけないんだ」って言うのが関の山だ。

数日前に、ベトナムのサービスってのは、「形」から入るって指摘したけれど、これは彼らの基本概念だ。
ホテルの「ネット接続サービス」でベトナムと中国を比べると一目瞭然だ。

中国のホテルは、無線LANを提供する事はない。基本的に有線LANだからLANケーブルが必要だ。持参のモノでもよい。有線だから基本的に安定している。そして何よりもアカウントを与えるワケだから「有料サービス」(ホテルにより異なるが大都市のホテルは2時間を超えると1日料金で2500円程度だから暴利だ)になる。
何よりも「客の情報活動を監視できる」。必要なら、公安警察は強制切断を指示し客の部屋へ踏み込み逮捕拘禁する事ができる。
これを含めて中国は情報統制の仕組みが徹底している。金儲けも徹底している。

ベトナムのホテルは、その多くが無線LANを原則無料で提供している。
これは実にスマートで聞こえがよい。
ところがこれは実にクセモノなのである。

何たって、ホテルは特定の地域に集まっている。家族経営のミニホテルやブティックホテルも、大規模最高級のホテルも利便性の高い地域には集中立地する。
そこがそれぞれ無線LANの電波を個別に競い合い提供するのだ。
ところ構わず、一定のエリア内には各ホテルが提供する無線LANの電波が飛び交っている。これにFPTなどの通信事業者の強力無線LAN電波も混じるから、時間や状況に因れば混線しPCはどれに接続すればよいのか分からなくなるのだろう。
だから、しょっちゅう切断されてしまう。
完璧に回復させるのに大変な手間がかかる。下手をすれば1時間近い時間を浪費させられる事にもなる。
「提供サービス」が高いか低いか、それを判断するのは提供者と利用者だが、利用者は大変な労力を費やす事になる。
何よりの問題は、無線LANの中継器はほぼ1台である。それをホテル内のどこに設置するかにより、電波の強弱があり、いずれの部屋も均質な環境提供を得られるワケではない。
少ししか入れられていない鉄筋などに邪魔されると、ほとんど受信できない状態も待ちかまえている。
その際は、部屋のチェンジが必要だけど、ホテルのスタッフも無線LAN電波について十分な知識も理解力もないため、説明して理解させるのは非常に難しい。

何の話を提供しようとしていたのか分からなくなってきた。

ホーチミン市の玄関はタン・ソン・ニャット国際空港での零れ話だ。(ホントに零れてしまったお話とその顛末記)
旧国際線ビルが国内線ビルになり、国際線のターミナルビルは新しく建設(確か鹿島主体の日本のJVだったと勝手に記憶している)された。

タクシー乗り場が一新された事もあり、いわゆる「白タク」が活躍の場を得るようになっている。従来は、既存のタクシーで満杯だったが、空港のエリアが広くなった事もあり、日本でいう無許可の「白タク」が混在するようになった。

彼らは、ターミナルビルの到着ゲートで客引きをする。
この客引きには、正規のタクシー組合の係もいるから、実際の見分けは厄介だ。
いわゆる「白タク」は、一般車両の駐車場に駐めている。
そして巧妙に駐車場へ案内し客を乗せるのだが、その時に「TAXI」の行燈を屋根に乗せる。駐車場で乗せていたら「公安(警察)」に不審車両として引っ張られるから、その点は手が込んでいて実に巧妙である。何よりも正規のタクシー組合の係に袋だたきにされるのがオチだ。
某日、何も知らない「白タク」の兄ちゃんが「TAXI?」と声をかけてきた。
最初から、自分は「白タク」ですって顔をしていないと本人は考えての事だろうが、そこはヤッパリ「白タク」の悲しさで、「ライセンスを見せろ」と言うと、見せたライセンスが無茶苦茶いい加減な代物だった。
オモシロイから、「そうか、だったらここまで行ってみろ」と言うと、嬉しそうな顔で荷物を持って彼らの巣の方へ足を向けた。
正規のタクシー駐車場ではないから完全な「白タク」である。
何も知らない顔で附いて行く。
中型バンの陰へ案内し「ここで待ってくれ」という。
「カモが、自分がカモにされている事も知らずに、カモにした」とほくそ笑んでいたのだろう。
車を回してくると、何の車体表記もない正真正銘「真っ白の車」だ。「ピュアーな白タク」。
「メーターは何処だ?」と、まず質問。
音響機器の下にそれみたいなモノが設えてある。
次に、「タン・ソン・ニャットから目的地までいくらで行くか?」と質問する。
<<目的地までの料金は、ほぼ10万ベトナムドン(700円)の距離>>
「15,000ベトナムドン(100円弱)!ベトナムのタクシーはみな同じ」と言う。
「そりゃ、オマエ、初乗り料金だろうが!」と、とりあえず噛ませておく。
本当は、このドライバーもこの時点で気づかなければならないのだが、何処の世界も○○はやはり○○で、カモを捕まえたから有頂天になっていたのだろう。
こちらは多少のバトル覚悟で乗り込む。

少し走り出すと、もう2万ベトナムドンになっている。4分の一くらいの位置で8万ドンになっている。
後ろの座席から、「オマエ殺されたいのか?」と足でメーターを踏みつける。
ドライバーは、慌ててメーターを消す。
「大丈夫です、メーター壊れている」と見苦しい弁明をしたので、
「オマエの人生も今日で終わりだなぁ!」とハッキリ断言してやる。
走ると、メーターは上がる仕組みのようで、また嘘の数字を弾き出し続ける。

目的地に到着。
「白タク」とはいえ、15,000ベトナムドンでは可哀想だから、正規の10万ドンを支払ってやろうとすると、
「150万ベトナムドン(約1万円弱)だ」と主張し始めた。
「そうか、こっちを向け」と向かせた瞬間にデジカメで顔写真を撮る。
次に、携帯電話で公安(警察)の友人に英語で電話を入れる。到着地の裏は公安(警察)署だ。
公安(警察)の友人が手下を連れて到着するまで、「高い、安い」と時間を稼ぐ。
3分ほどで、公安(警察)が到着し「白タク」を取り巻き、ドライバーを引きづり出す。
ベトナムの公安(警察)は、やるときは仕事が速い。実に手荒だ。いきなりドアを開きドライバーの首筋を掴むや否や引きづり降ろす。次の瞬間には別の係が腕を締め上げ有無を言わさず引っ立てる。「白タク」に使った車は「証拠品」として没収だ。

友人は、「怪我はありませんか、被害額はいくらですか」と聞く。
こちらも、公安(警察)署へ一緒に出向き、一部始終を子細に説明する。
彼らは記録(調書)をとる。
「白タク」の兄ちゃんも、客をよく吟味しないと、ホントに「一巻の終わり」になるのである。「カモにしたと思った客は、カモではなかった」という話である。
これは納期遅れのエイプリルフールの戯れ言ではありません。

ホーチミン市を旅される方、とりわけタン・ソン・ニャット空港でタクシーをご利用の時、よくよくご注意なさって下さい。
気の緩んだ旅人は、「タン・ソン・ニャット国際空港」が「カモられ岬」と化すでしょう。

さて、皆さん、いかがですか?
「表面」と「本質」の関係性について、「本質」の吟味と的確な掌握ができなければ、途上国ではやっていけません。

かく言いながら、パリでは、シャルルドゴール空港(CDG)からエトワール広場まで路線バスで快適に到着した後、うっかり乗せられた「TAXI」のドライバーに、いつものサントノーレのホテルへ無事到着したとき、料金支払いでユーロの紙幣を確認していた途中に、手にしたユーロ紙幣をまるごとドライバーに強奪された苦い経験もあります。
その金額なら、サントノーレのホテルとCDGの間を3回は往復できそうな金額でした。
サントノーレのホテルからCDGへ向かう「TAXI」の中で、ドライバーにその話をしたら、「次に来るときは自分に連絡してくれ、被害額の半分で運ぶから」って笑い飛ばし合った経験もあります。
何も、ベトナムだけの話ではありません。パリでも同じです。
「ッタク、油断も隙もありゃぁしねぇ~!」ですね。

ところで、この記述を作成した日はネットのラインが繋がりませんでした。
滞在ホテルでネットは繋がるのですが、その先でネット通信を提供しているプロバイダー「FPT」のサーバー機能がダウンしているのだそうです。
発展途上国でも、国際市場で製品製造の分担をし合うなら、情報通信は同じ品質、同じ精度、同じ能力を保つ必要があります。
市場がグローバル化し、国際分業しているワケですから、一国の分担業務に支障が出ると、他の製品製造に大きな影響を与えます。
グローバル化した国際市場で求められるモノの第一は、「品質、納期、価格」の順です。
単に価格が安いだけでは、国際市場では誰も相手にしません。
「求められる品質が揃い、求められる契約納期が守られ、その上で価格競争力がある」これがグローバル化した市場における国際分業の要諦です。
現在の標準が、そこにあるワケですから、様々な例外や言い訳を繰り広げてみても、「それがどうしたの?」で終わってしまうのです。

「形」と「本質」について、よく考えてみる必要があります。

チョー・ドッコイ!さぁ、それじゃ、脇を締めて仕事を片づけるとするか!

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2008/03/31

桜(はな)よ、散るな!満開でいてくれぇ~!

何年か前のこの季節と同じになってしまったかなぁ~。
帰国したら、「桜」は終わり燦然と「葉桜」が輝いていた。
「センバツ」も終わり、「春」を「春」として感じないまま「初夏」になり「夏」になった。

Su022_lsakura日本人は、春に「桜」が咲きその花を愛でる事で「季節の移ろい」を感じとるのだろうと勝手に考えている。
やはり「桜」を体験しない「春」は体内のリズムが狂うように思う。

東京は千鳥ヶ淵の「桜」が満開だとの事。
そうだろうなぁ!
ネットの画面で見る「桜」は「桜」のようで「桜」ではない。

毎日毎日、時間を見出しては、天気予報のWEBページで気温と天候のチェックを繰り広げていると、「何をしているの?」と不思議がられる。

衛星写真で雲の動きを映し出し、それがネット上で公開されている事にベトナムの友人達は驚きの表情を見せる。しかも日本を中心にカムチャッカからほぼシンガポールの手前までの東アジア全体を広域でカバーしているのだから、ベトナムの天気もよく分かる(データからの予知能力があれば)という事になる。

昨夜(30日)のハノイは、一部の地域が広範囲で停電となり、なかなか復旧しなかった。夜半には、巨大な雷雲に包まれ至る所が落雷に見舞われたようだ。
日本から来た知人は、雷からのプレゼントである「稲妻と雨」に驚いた様子だったけれど、ハノイの雷はたかが雷と高を括って大丈夫だ。
近隣に落ちたところで地響きもない。
それに比べ、南部の大都市ホーチミン市やメコンデルタ一帯で暴れる雷は、一度にたくさんの落雷を起すと共に、近い場合は地響きが伝わるからこれは正真正銘、驚嘆させられる。ホントに腰を抜かした人もいた。
この種の雷のときは、落ちてくる雨も半端な量じゃない。
稲妻が光ったと思ったら大音響と共に地響きが伝わるという事になる。
大粒の痛い雨が避けられない人は悲劇である。
間違って、木の下へでも逃げ込もうものなら、自分の「生命」との引き替えを覚悟する必要がある。もしも、稲妻の直撃を受けたら、間違いなく一巻の終わりである。

ベトナムの雷は別の機会に譲るとして、

日本の「桜」である。
何よりもヨーロッパでは「イースター」が春の訪れを告げるように、日本では「桜」だと頑固に考えている。
ベトナムの北部では「桃」かも知れない。
南部ではどうだろうか?「正月」に「金柑の実」を鉢植えごと飾るとき、「春」を感じるのだろうか、一度、聞いてみたいなぁ~。

とにかく、「桜」である。
「桜」よ、どうか散らずに待っていてほしい!
と願う、年度末、三月の末日である。
(この時点JST2008/03/31,14:55、昨夜[3/30]からネットは繋がらないままだ/現在時点JST2008/04/01,11:20ようやく復旧したので掲出)

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2008/03/30

ベトナムの空、ハノイは曇っているか、晴れているか!?

ハノイは、経済発展した成果を確認し体験しようという人たちで沸いている。
土曜の夜、旧市街を構成する中心のHang Dao通りは「夜市」が設えられ、格別の賑わいぶりである。
晴れやかな表情で、家族を満載したバイクで押し寄せ、豊かになったベトナムを自ら確認しようと「夜市」での買い物を楽しむ姿が微笑ましくもある。

少なくとも15年前、1993年の頃に「現在の繁華なハノイ」はなかった。ハッキリ言い切る事ができる。
人の表情にベトナム特有の「微笑み」はあっても、「(心からの自信に溢れた)微笑み」はなかった。これも断言できる。

旧市街のミニホテルというかブティックホテルというか、そこかしこに開業した家族経営の小振りなホテル(はやく言えば旅館)には、ヨーロッパとりわけフランスからやって来た観光客で溢れている。
彼らは、決して団体行動をとらないから、家族経営のミニホテルでゆっくり過ごすのだ。
滞在中のホテルも、日本人は自分一人だけだ。
フランス語が飛び交っている。
部屋の造りも、ほぼ、パリの同種のホテルと同じ構造だ。

ベトナムは、ここまで来るのに大きな回り道を連続して通過した。
様々なテーマについて、暇な時間を持て余すくらいなら、少し振り返っておきたい。

ベトナムが1986年にドイモイ(刷新)政策へ転換して、既に20年が経過した。
最初の10年はヴォ・バン・キエット首相が担当し、次の10年はファン・バン・カイ首相が担当した。それぞれ10年担当した事になる。
その流れから言えば、現在のグェン・タン・ズン首相はドイモイの3期目を担当しているワケである。

旧弊な社会主義政策を捨て、新思考による社会主義とでもいうべきかドイモイ(刷新)政策へ転換したベトナムは社会主義への過程という思考を完全に放棄せず、市場経済により国の経済基盤を構築しようと取り組み邁進している。

ドイモイ(刷新)政策により何が大きく変化したのか?
簡単に言えば、ベトナムが自国の経済を国際市場へ位置づけ、国際市場における様々な経済要素を担う政策へ転換した点といえる。
国際市場における様々な経済要素とは、乱暴な言い方をすれば、貿易により各国との協力補完関係を確立し持続性のある自律型の経済体制を確立する事だ。

経済活動の基本要素である「ヒト・モノ・カネ」の三条件を、様々な理由により十分に保持しなかったベトナムは、「外国資本」の導入(投資受入れ)へ舵を切る以外の方法で、自国の経済を国際市場へ位置づける事はおよそ不可能であった。
そのため、ドイモイ(刷新)政策へ転換した1年後の1987年に、外国からの投資受け入れへ転換し「外資」による自国経済の構築を政策目標として明記したのだった。

爾来、20年の歳月が過ぎた。

当初は、シンガポール、台湾、香港からどちらかといえば「幼稚産業」に分類される「ベトナムの軽工業」への投資であった。
次に、二国一地域の資本の多くは、お定まりの方針のように、ホテル(宿泊施設)などへの投資に重点を移した。
1994年以降は、日本、韓国を含め周辺国からの投資が加わり、本格的な「ベトナム投資」ブームが起きる。
中でも、タイとマレーシア(の華人資本)は積極的にベトナムへの投資を推進していた。
彼らの多くは、ベトナムの軽工業への投資を進めていた。
日本の資本は「ベトナムへの投資」に興味を示しながらも、どちらかといえば抑制的で慎重な投資姿勢だった。
1994年、米国がベトナムへの経済制裁を解除した事を受け、1996年には日本も「ベトナムへの投資」を積極姿勢へ転換する。
しかしながら、外資開放(導入)10年後の1997年に、タイで発生した「アジア通貨危機」により、ようやく歩き始めたに近いベトナム経済も甚大な影響を受けた。
何よりも「アジア通貨危機」に巻き込まれた周辺国(タイ、マレーシア、シンガポール、香港、韓国)からの投資が急減したからである。

ここで、ヨチヨチ歩きのベトナム経済は1997年、大きな壁に突き当たる。

この難局を、どちらかと言えば、日本を含めた先進工業国からの「資本投資」を積極的に受け入れる方向(幼稚産業軸から工業軸)へ舵を切る事により切り抜けを志向する。

従来の貧弱な社会資本のままでは、生産活動に支障を来す事が鮮明になり、社会基盤の整備に重点を置いた政策への転換が不可欠となり基盤整備重視型へ政策の軸足が移る。
ハード面を整備するのは当然の事であるが、より重要なテーマは、「制度整備」であり、必要な「制度」支える「政策展開」が求められた。

ベトナムの政策は、「形」の整備を重視する傾向が見える。
しかしより重要な点は、整備した「形」を統合的に効率よく運用する持続能力が大切なのである。
この点では、実に曖昧模糊とした印象を拭いきる事ができない。
個々の現場を預かる人たちは、それぞれ優秀であり懸命な取り組み姿勢を見せる。しかも、平均的には十分な知見と能力を備えている。
しかし、残念な事に、組織化された点で総合的に捉えると、どこかチグハグな事になっているように見受けてしまうのが残念な点である。

外国からの資本投資が、徐々に大型化し巨大な生産を生み出す案件になると、操業が始まるや、あまり時を置く事なく、ベトナムは「政策」の矛盾を噴出させてしまった。

ベトナムは、本質的な意味で「社会主義政策」も「資本主義自由経済政策」もその本質において完全な経験を欠いている事もあり、いま現在もベトナムが固有に抱える社会や制度に派生する基本的な問題を内在させている。
それらを遠因とする「内部の政策矛盾」を、2000年以降に噴出させてしまった。
日本との問題を例にとれば、「オートバイ部品」の現地部品調達率で生じた問題であり、自由な生産と自由な販売により拡大した市場が、当初予想を上回る生産量を招き、そのため「計画生産量」を超える「部品の手当」で割当生産思考に呪縛されたベトナム政府の担当官僚と日本の事業者が激しく議論する事になった。
また、別には「現地部品調達率」を掲げても、「規格」に合う部品を地場で製造できない事も抱えていた点を含め、この件は一気に政治問題の様相を示した。
両国は、粘り強く向き合い、日本側が指摘し助言する必要なポイントを共有し合う事で解決を見た。
この後、「日越投資保護協定」が締結され、この過程で議論され検証された様々な問題点は、「日越共同イニシャティブ」の各フェーズで共有され、相互の協力により解消へ向け努力が積み重ねられている。
その上で、現在までに両国間では「経済連携協定(EPA)」の交渉が進められている。
両国間のEPAが最初に提起されたのは、記憶が間違っていなければ2002年か2003年の年末に東京でベトナム側からの提案だったと思う。
当時は、一方で「オートバイ部品」の扱いをどう解決するかの交渉を行っていた。

この頃、ベトナムは、コメコン体制が華やかなりし頃にロシアや東欧諸国へ留学していた大量の官僚に「政策思考のドイモイ(刷新)」を迫られる経験をした。

日越間に「オートバイ部品」で生じた「形」に拘るベトナム側の政策の克服課題の例に挙げたが、様々な点でまだまだ克服課題を抱えている。

今後も引き続き、整備した「形」を統合的に効率よく運用する持続能力を支える「政策形成能力」の保持育成が大切なのである。

ハノイの空が晴れわたるのか、それとも曇ってしまうのか?
2020年の「工業国」へ向けた政策課題は山積している。
この点については、別に整理し必要な検証を経た上で、やがて掲出したいと考えている。

それでは、朝から続いた停電もようやく復旧しネット環境も回復したので掲出しておこう!

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2008/03/29

「外国人研修・技能実習生」制度の反省と適切な法整備を国に求める!

ちょっと報道時期とズレが生じたが、ようやく「外国人研修・実習生」制度が抱える構造的な欠陥を是正する動きが強まろうとしている。

まず、「研修生を労働者として法的に保護する」。
こんな当たり前の話が、国が無策であった事と、バカげた制度のため公然と無視され、実態は「低賃金の奴隷労働」を強いていたのである。
「人権上の問題が生じる」という事を、関係機関は勿論、この種の業務を綺麗事に飾り立て膨大な利益を上げ続けた事業者は即刻、総懺悔するなり、解散するなり、適正に行動すべきである。
「コラコラコラム」は、中国と同じような発言で申し訳ないが、
心に思い当たる節のある者(事業者)は、正直に申告せよ!
その場合は、いくらかでも「人としての『人権』に対する罪は、若干なりとも減じられる」であろうと主張しておきたい。

彼らは、反論するだろう!
途上国の人材育成に役立っている!
来日した研修生は喜んでいる!感謝されている!
導入した日本側の事業者は、もの凄く助かっている!
すべてがプラスに作用している。

それは、盗人の弁明であり、強盗の言い分である
弱い立場へ追い込まれた側の「途上国」の譲歩を逆手にとり尊大に振る舞う側が行う寝言の主張に過ぎない。

「コラコラコラム」は、一貫して「外国人研修・技能実習生」制度は実際の労働者としての法的保護の下で扱い、最低賃金や労働法の適用対象にすべきだと主張している。
そして、当初、この制度の基本だった「国際経済政策」で人材育成を語るときに大切な「途上国の人材育成」と「技術移転」に立ち返るべきであると主張している。

本邦政府には、これまで野放しにしてきた「外国人研修・技能実習生」制度を、本来の姿へ戻した上で再編整備する事を求めたい。
長期的には本邦の労働力の構造変化をよくよく考えなければならない。
その点を含めた制度整備が根本的に求められているのである。

引用開始→ 外国人研修生:「労働者」として保護方針 政府が法令適用  (毎日JP)

低賃金、長時間労働が多発し問題化している「外国人研修生」について、政府は最低賃金法や労働基準法などの労働関係法令を適用し、「労働者」として保護する方針を固めた。「外国人の単純労働は認めない」との政府見解の事実上の転換につながるものになる。「規制改革推進のための3か年計画」に盛り込み、週内にも閣議決定する。

現行の「外国人研修・技能実習制度」は、開発途上国の人材育成を目的としているため、研修生は就労を認めない「研修」の在留資格で入国している。1年間、座学・実務研修を受け、2年目以降、就労可能な「特定活動」に在留資格を切り替え、技能実習を行う。1年目の実務研修は実質的に労働となる場合が多いが、「研修」名目のため労働関係法令が適用されなかった。

このため長時間の残業をさせながら、「研修手当」名目の時給300円程度しか払わない企業が続出した。

同制度を巡っては、厚生労働省と経済産業省が昨年5月、相次いで改革案を発表。厚労省は研修制度を廃止し、3年間の実習への一本化を、経産省は現行の研修制度を維持したまま、受け入れ企業の指導強化に重点を置く内容を示した。一方、自民党の長勢甚遠前法相は現職時代の両省案発表直後、3年を限度に外国人の単純労働を認める「短期外国人就労制度」を創設する私案を発表するなど、改革の動きが本格化していた。【外国人就労問題取材班】

▽外国人研修・技能実習制度 大企業を中心とした従来の企業研修制度を90年に改正し、中小企業が受け入れ可能な仕組みにした。93年、1年の研修後に、2年間労働ができる技能実習制度を新設した。衣服・繊維製品、食料品などの製造業、農業など1万8000社以上が受け入れ、約16万人の研修・実習生が来日している。
毎日新聞 2008年3月23日 2時30分
Copyright 2008 THE MAINICHI NEWSPAPERS. All rights reserved.  ←引用終わり

引用開始→ 外国人研修生、労働関係法令を適用すべき…鳩山法相  (讀賣On Line)

鳩山法相は24日の参院予算委員会で、外国人研修・技能実習制度が安価な労働力として外国人を雇用する隠れみのとして使われていると指摘されていることに関し、「『研修は労働でなく、技能実習になって初めて労働』という考え方は改めるべきだ」と述べた。

外国人研修生に最低賃金法などの労働関係法令を適用すべきとの考えを示したものだ。民主党の相原久美子氏の質問に答えた。

同制度は日本の技術、技能などを移転することを目的に、海外から研修生を受け入れ、企業で実務研修や技能実習を最長3年間行う。技能実習に移行するまでの研修期間は「労働者」にあたらないとして、労働関連法令が適用されず、研修手当が払われる。このため、企業によっては、外国人研修生を安価な手当で過酷な労働に従事させている実態がある。
(2008年3月24日19時44分  読売新聞)
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2008/03/27

産油国ベトナムも日本とクェートと合弁で、自国に製油所建設へ!

やっと、ここまできたか!というのが正直な感想だ。
意外に思われる方も多い事だろうが、ベトナムは産油国だ。
日本は、結構な量の原油を購入している。

そのベトナムには、様々な理由により「自前の製油所」がなかった。
ベトナム経済の自律的発展のためにも、製油所建設は避けられない事案であった。

しかし、製油所建設は膨大な資本が必要だ。加えて、精製技術を蓄積する必要もあり難しい条件が山積していた。
ベトナムは根気よく、一つひとつのテーマと向き合い解決した。
そして、今日の発表に至ったわけである。
出光興産と三井化学の両社に深く感謝したい。クェート国際石油にも深謝する。

ベトナムからNguyen Tien Nhan副首相が訪日中である。素晴らしいニュースだ。

このニュースと共に、ニャン副首相の訪日で本邦政府と交換された覚書を本邦外務省発表のプレスリリースから引用紹介しておきたい。

人材育成も本邦と一層の協力関係を強める事になる。

引用開始→ 出光 ベトナムに製油所建設へ三井化学などと合弁、アジアの事業拠点に (産経MSN)
2008.3.27 21:52

出光興産と三井化学は27日、クウェートの石油会社などと組み、ベトナム北部に大規模な石油精製施設を建設すると発表した。最終的な判断は2年後に行うが、日本の石油会社が東南アジアで石油精製施設を建設するのは初めて。投資総額は約5800億円を見込む。豊富な資金力を持つ産油国との連係強化によって、成長市場であるアジアで事業拡大を図るとともに、将来の原油の安定調達を狙う。

出光、三井化は、クウェート国際石油(KPI)とペトロベトナム(PVN)との合弁で調査会社「ニソン精製有限責任会社(仮称)」を設立することで合意した。ベトナム政府の承認が得られる6月に、正式に設立する。資本金は約200億円で、出光とKPIが35・1%、PVNが25・1%、三井化が4・7%を出資する。

合弁会社では今後2年間かけて、精製設備の設計や採算性、資金調達方法などの調査を行い、最終的に建設するかどうかを判断する。建設を決めた場合、2013年末の操業開始を目指す。建設費用は約5800億円を見込むが、このうち7割は国際協力銀行(JBIC)などからの融資で賄う方針。出光は出資比率に応じて約600億円程度を負担する考えだ。

精製施設は石油化学製品の生産施設も併設する。原油処理能力は日量20万バレルを予定。年率8%の経済成長が続くベトナムの石油需要は現在、日量30万バレル弱だが、2015年には日量40万バレル、2020年には同60万バレルにまで伸びる見通しというが、出光などが製油所を建設した場合、2015年にはベトナム市場の約5割を供給することになる。また、ポリプロピレン、パラキシレンなどの石化製品は、ベトナム以外のアジア各国にも輸出する。

同日会見した出光の天坊昭彦社長は事業参画の理由について「本業となる石油事業の国内市場が縮小するなかで、産油国との連係で原油の安定調達を進めるとともに、需要が拡大するアジアで事業拡大を図る」と説明した。

天坊社長によると、日本国内のガソリン需要は年間1~2%程度の減少傾向が続くとみている。このため、出光は2006年にもコスモ石油などと共同で、カタールの製油所建設事業に参画を決めており、海外事業に活路を見いだす姿勢を鮮明にしている。
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital  ←引用終わり

引用開始→ ベトナムの博士育成計画への協力に関する日本国外務省、日本国文部科学省とベトナム社会主義共和国教育訓練省との間の覚書について  (外務省プレスリリース)
平成20年3月25日

3月25日(水曜日)17時45分から17時50分にかけて、高村正彦外務大臣、木村仁外務副大臣及びグエン・ティエン・ニャン・ベトナム副首相兼教育訓練大臣の立ち会いのもと、渥美千尋外務省南部アジア部長、清水潔文部科学省高等教育局長及びチャン・バー・ヴィエット・ズン教育訓練省国際協力局長との間で、「ベトナムの博士育成計画への協力に関する日本国外務省、日本国文部科学省、ベトナム社会主義共和国教育訓練省との間の覚書」の署名が行われた。
覚書の概要は以下の通り。
(1)大使館推薦国費研究留学生の受入枠を拡大(2008年度より3年間)。
(2)ベトナム側は、本計画実現のための円借款の有効性を認識し、本計画に関連する案件が我が国円借款要請案件リストに含まれるよう考慮する。
(3)文部科学省は、日本の大学との調整につき中心的な役割を果たす。
(4)ベトナム側は、日本の大学との協力促進のため、専門家を在京大使館に駐在させることを検討する。
(5)双方は、ベトナム人学生の日本語能力の重要性を強調し、ベトナムにおける日本語教育の拡充に努める。
(参考)「ベトナム博士養成計画」

(1)高等教育の進展のためには、大学教諭陣を含むベトナム博士号取得者数を増やすことが不可欠との考えから、2020年までに約2万人(うち、海外留学で約1万人)の博士を養成しようとするもの。
(注)現状(2005-2006)では、ベトナム全国の大学・短大講師は4万8,000人であり、このうち博士号取得者は6,037人(12.4%)

(2)日本には約1,000人程度の博士課程留学生の派遣を想定。
(注)日本にいるベトナム人留学生数:2,582名(2007年5月1日現在)。そのうち、国費留学生は毎年約130~140人。
Copyright(C):The Ministry of Foreign Affairs of Japan ←引用終わり

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2008/03/25

NHK特番 本田美奈子「最期のボイスレコーダー」に感動!Forever Ms Minako Honda.

「アメージンググレース」のアルバムを出して急逝してしまった、故・本田美奈子さんが、病魔と闘いながら、師匠の岩谷時子さんが同じ病院の一つ上の病床へ骨折入院されたと聞き、岩谷さんを励まそうとの思いから、ボイスレコーダーへメッセージを吹き込み、それがやがて岩谷さんが手がけた曲を歌う事へ進み、やがて相互に意思疎通を成し遂げながら・・・・・・・。

この事実について、残されたボイスレコーダーを素にNHKは映像化し3/24に放映した。
別に見る予定はなかったが、どこかで聞いた声がした。
テレビの画面というよりスピーカーから、聞き覚えのある故・本田美奈子さんのアメージンググレースが流れていた。
そして50インチ画面いっぱいに、故・本田美奈子さんにかかる番組である旨のタイトルが出た。そして何気なく見入ってしまった。

少し感動した!
人は病魔と闘うと周囲に対し優しくなれる!
これは体験から得たものだが。

Mm20051106180700688l0故・本田美奈子さんは、「アメージンググレース」もよいが、稀代のミュージカル「ミスサイゴン」でキムを演じ、そのとき歌い上げた「いのちあげよう」「サン・アンド・ムーン」「今も信じているわ」の方が目と耳に焼き付いている。
1991年ロンドンで見出し感動し日本公演を願った者として、長く見守ったミュージカル「ミスサイゴン」だから仕方がない。
今も「いのちあげよう」を聞きながらこのブログを作成している。

2005年11月5日だったか、突然の訃報が飛び込み、直ちに「コラコラコラム」へ追悼文を表記した。→ http://febnet.cocolog-nifty.com/column/2005/11/post_7e0e.html

市村正親さんは3/24のNHKをご覧になっただろうか?

故・本田美奈子さんは「レ・ミゼラブル」と「ミスサイゴン」でミュージカルスターとしての地位を完全に築き上げた。「コラコラコラム」は今もそのように評価している。
最後まで、優しさを失わなかった稀なミュージカル女優であった。
改めて賞賛の拍手を贈り、ご冥福をお祈り申し上げたい。
「(人に)幸福を運ぶ人」でありたい、あり続けたい。

「コラコラコラム」の「ベトナムチーム」の中では、故・本田美奈子さんはいまも元気に生きている。記憶の中で小柄なベトナム女性キムとして。
Forever in Miss Saigon act of Ms Kim and Forever Ms Minako Honda with all our love !

引用開始→ 「本田美奈子. 最期のボイスレター 歌がつないだ“いのち”の対話」 (NHK On Line)
(2008/03/24) 午後7:30~8:43 

アイドルからミュージカルスター、そしてクラシックの歌手へと登りつめ、3年前、38歳の若さで世を去った本田美奈子.。その本田が白血病と闘いながら、亡くなる2か月前まで、病室で毎日のように録音していたボイスレターが遺されていた。・・・「声の手紙」の相手は、本田に歌の心と言葉の大切さを教えた、恩師とも言える作詞家、岩谷時子。89歳だった岩谷は大腿骨を複雑骨折し、偶然本田と同じ病院に運ばれてきたのだ。無菌室から出ることを許されない本田は、岩谷を励ますために、ボイスレコーダーにメッセージと自らの歌声を吹き込み送り続けた。みずから死と直面しながら、恩師のためにエールを送る本田の肉声と歌、そして生きることの意味を伝え続ける岩谷の返事。
「人は自分の幸せのためでなく、誰かの幸せのために生きている」――本田美奈子.が日々過ごした病院の世界に徹底的にこだわりながらボイスレターを映像化、本田と岩谷の二つのベッドを結ぶ心の交流を描く。そして、看病に当たった家族、病院関係者、当時の入院患者の証言で、最期まで魂の成長をもとめ懸命に生きた本田の最後の日々を追う。
(NHK On Line) ←引用終わり

NHKもやりますねぇ~!
この手のまとめ方では、頭が上がらないワ。
3/24はNHKの番組作りに脱帽させられました。

25日は別のテーマを準備していましたが、感動を記録したく、感謝を表明し(伝え)たく、急遽、差し替えました。

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2008/03/23

まず、外国人研修・実習生への収奪をヤメよ!JITCOはシッカリせよ!

国もようやく重い腰を上げるのか、ようやく当たり前の事をするだけじゃないか。
何にでも、線引きをしたがる、経済産業省がオカシイのである!

巨大企業、大企業、中小企業、零細企業が混在しているのは仕方がない事だ。
何も日本だけの現象ではない。
現代社会で、一つの産業を産業として成立させるには、裾野を支える幅広い工業的生産活動が不可欠だ。
頂点は巨大企業でも裾野も全て大企業というワケにはならない。
中間や、末端では、個人事業主も含めた事業者が重要な生産基盤を支えている。

国際市場での競争を勝ち抜くため、最終製品の市場価格は当然ながら制約を受ける。
中間素材や部品も当然ながら価格制約を受ける。
これは何も日本の企業だけではない。
つまり日本の企業だけが、特殊に制約を受けているワケではない。
(国際)市場を目指し、市場で競争する世界共通のテーマである。

製品の費用で、大きな要素を占めるのは「開発費」と「人件費」である。
いずれの企業も、その人件費を制約するため、様々な手立てを考えている。

日本は、発展途上国の若い人材に目を付け、これを「研修生・実習生」という方式の労働力として導入し、実質的な賃金切り下げへ誘導したのである。

すると、世の中には、制度を悪用するヤカラが現れるのは世の常である。
日本人の多くは、日本は不正をしない。なによりも多くの不正は中国人が一番だ、と考えがちに陥るが、こと「研修生・実習生」については、日本の不正は枚挙に暇がなく堂々のチャンピオンだろう。
これは、何よりも実際に生じている事実に対し目を瞑り、知っていながら知らないフリを続けるJITCOを始めとした、無責任クズ官僚ドモの不作為が事態を悪化させ複雑化させてきたに過ぎない。
日本人の労働力に対する侵害事件は法的にも必要な手立てを講じることができる制度を被せているが、こと「外国人研修・実習制度」に基づく案件は、無法地帯と化していた。
これほどの不作為を見た事も聞いた事もない。

雇用主が振るう職場の暴力事件では人後に落ちない韓国でも、「外国人研修・実習生制度」に基づく「外国人労働力」へは、通常の労働者と同じ保護を定めている。
アジアの周辺国では、いずれの国でも有名なまでに悪質な暴力を振るう韓国の中小企業や零細企業、そこでも労働者としての保護は講じられている。
あとは、雇用主や職長が悪質な暴力を振るわない事だ。

引用開始→ 外国人研修生:「労働者」として保護方針 政府が法令適用  (毎日JP)

低賃金、長時間労働が多発し問題化している「外国人研修生」について、政府は最低賃金法や労働基準法などの労働関係法令を適用し、「労働者」として保護する方針を固めた。「外国人の単純労働は認めない」との政府見解の事実上の転換につながるものになる。「規制改革推進のための3か年計画」に盛り込み、週内にも閣議決定する。

現行の「外国人研修・技能実習制度」は、開発途上国の人材育成を目的としているため、研修生は就労を認めない「研修」の在留資格で入国している。1年間、座学・実務研修を受け、2年目以降、就労可能な「特定活動」に在留資格を切り替え、技能実習を行う。1年目の実務研修は実質的に労働となる場合が多いが、「研修」名目のため労働関係法令が適用されなかった。

このため長時間の残業をさせながら、「研修手当」名目の時給300円程度しか払わない企業が続出した。

同制度を巡っては、厚生労働省と経済産業省が昨年5月、相次いで改革案を発表。厚労省は研修制度を廃止し、3年間の実習への一本化を、経産省は現行の研修制度を維持したまま、受け入れ企業の指導強化に重点を置く内容を示した。一方、自民党の長勢甚遠前法相は現職時代の両省案発表直後、3年を限度に外国人の単純労働を認める「短期外国人就労制度」を創設する私案を発表するなど、改革の動きが本格化していた。【外国人就労問題取材班】

▽外国人研修・技能実習制度 大企業を中心とした従来の企業研修制度を90年に改正し、中小企業が受け入れ可能な仕組みにした。93年、1年の研修後に、2年間労働ができる技能実習制度を新設した。衣服・繊維製品、食料品などの製造業、農業など1万8000社以上が受け入れ、約16万人の研修・実習生が来日している。
(毎日新聞 2008年3月23日 2時30分)
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2008/03/21

国産ジェット「MRJ旅客機」、いよいよテイクオフへ!

満を持して、三菱・リージョナル・ジェット機(MRJ)がいよいよ実現する。
報道のように、日本航空と全日空が最大70機購入するなら、事業着手まで後30機と言われていたが、ベトナム航空も非公式ながらMRJを10機は購入する意向を示している
こうなると、事業着手まで残りは20機だが、簡単に運ぶとは思えないが、当初想定の100機目標は遠いゴールではなくなった。
Mrj02そのように考えていたら、三菱重工はMRJ事業への着手方針を固めた模様。
いよいよ、国産ジェット機「MRJ」がテイクオフする事になる。

自動車一台当たりの部品点数は3万点。
MRJクラスの小型ジェット機は30万点を使用する。裾野の広さと自動車とは根本的にレベルそのものが異なるため、産業全体へ与えるインパクトが全く違う。
様々なハイテク製品を軸に、ボーイングにもエアバスにも部品供給を繰り広げ、下請け生産を担ってきた日本の「宇宙航空技術」だが、ここ一番いまこそ踏ん張りどころだ。

三菱重工、川崎重工、富士重工、新明和工業と、世界で誰もが認める高度な航空機生産技術を持つ会社が日本には存在している。
なぜ、いままで米国に遠慮してきたのか、よく分からない。
あるいは「YS-11」の失敗が余りにも大きかったのか?
それは「武士の商法と公家の商法」が市場を無視し、互いの無責任ぶりを競い合った結果に過ぎない。「YS-11」のビジネスフレームは、現在の行政官僚による無責任構造が引き起こした数々にわたる政治・経済の混乱と同じ構造である。
その種の、バカバカしさを正面から克服する事もなく、優れた能力を保つ「YS-11」を世界の片隅で寂しく飛行するだけの機材へ陥れてしまったワケだ。
それがトラウマとなり、今日まで日本は本格的な民間機市場へ製造参入する事をしなかった、意志すら見せなかった。

中国や、ロシアが先行しても、オモチャみたいな機材に過ぎない。
ブラジル機もカナダ機もその無能ぶりを見せつけているではないか。

MRJ
満を持して世界の空を飛ぼうというのだ!
国を挙げて「MRJ」を売り込もう!
たかだか一機30億円だ!100機販売しても3000億円にしか過ぎない。2000機販売して6兆円円の市場シェアを目指すべきだ。
できれば、必要な改修を繰り広げボーイングの「B737」シリーズのように長命なベストセラー機材になってほしいな。

高い燃費効率と簡易な使い回しができれば、必ず間違いなくベストセラー機になる!
国は、ワケの分からない「道路財源」などに拘らず、思い切って未来の事業へ資金を投入せよ!その際、無能でセンスのない行政官僚は口出しするな!

国も、貿易保険を提供しようというのだから、ようやく本腰を入れる姿勢を見せたか!?

引用開始→ 三菱重工、小型旅客機事業化へ・国産40年ぶり  (日経NET)

三菱重工業は国産初の小型ジェット旅客機を事業化する方針を固めた。全日本空輸と日本航空が最大で合計70機を購入する方向で最終調整しており、アジアの航空会社からの打診を含め一定の受注数が確保できると判断した。今後高成長が見込める小型旅客機市場に参入し、航空機事業を拡大する。国産旅客機の誕生は「YS―11」以来、約40年ぶりで、部品や素材など日本の製造業に幅広い波及効果が期待できそうだ。

三菱重工は小型ジェット旅客機「MRJ」について航空各社と価格や保守、納期遅れの際の補償などで詰めの交渉をしている。条件面で合意すれば、全日空は早ければ月内にも購入を決める見通し。その後、三菱重工が取締役会で事業化を正式決定する段取りだ。
[3月20日/日本経済新聞 朝刊]
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引用開始→ 三菱旅客機輸出、国が保険新設し支援…購入代融資に損失補償  (讀賣On Line)

政府は15日、三菱重工業が事業化を目指している国産ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」の事業化を支援するため、貿易保険にあたる「航空機輸出保険」(仮称)を新設する方針を固めた。

機体を購入する航空会社に邦銀が融資して、融資が焦げ付いた場合、100%損失を補償する。国が異例の支援体制を取る背景には、航空機産業は、多くの企業がかかわり、すそ野が広いため、将来的に日本企業全体の技術力の向上につながるとの判断がある。

関係者によると、経済産業省所管の独立行政法人、日本貿易保険(NEXI)が主体となり、保険の対象は邦銀が外国の航空会社やリース会社にMRJの購入・リース資金を融資する場合だ。融資先の航空会社の経営不振などで返済が見込めなくなったり、相手国で戦争や革命が起きて外貨を送金できなくなったりした場合の損失を全額補償する。邦銀が支払う保険料は、MRJの機体を担保に押さえて割安に設定する。融資額の100%を債務保証するのは異例。NEXIは保険の枠は設けず、販売やリース契約が成立して、申し込みがあれば、すべての保険を引き受ける。

MRJは2012年度の就航を目指している。価格は未定だが、競合するカナダやブラジル製の小型ジェット機と同額程度(30億円)と仮定すると、100機売れれば最大3000億円、採算ラインとされる300機が売れれば最大9000億円規模の資金需要が見込まれる。
(2008年3月16日03時10分  読売新聞)
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コラコラコラムが、このニュースを21日に掲出した際は、ベトナム航空が10機購入すると、誰よりもどの報道メディアよりも先行報道したが、もう10機増えたようでベトナム航空はMRJを合計20機三菱重工へ発注する事になる模様。

(追加掲出:2008/03/22 21:10)

引用開始→ 三菱重工の小型旅客機、ベトナム航空が購入へ  (日経NET)
(2008/03/22)

国営ベトナム航空は三菱重工業が開発・生産に乗り出す小型ジェット旅客機「MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)」の20機購入に向け最終調整に入った。交渉がまとまれば、日本以外の航空会社による初の購入となる。三菱重工はベトナム国内にMRJの部品工場を建設する方向。購入資金は日本政府が貿易保険などで全面的に支援する。ベトナム航空の発注により、MRJは事業化に向け一段と弾みがつく。

訪越中の三菱重工首脳が21日午前にベトナムのグエン・タン・ズン首相と会談。その後、ベトナム航空と最終交渉に入った。早ければ4月上旬に正式決定する見込み。MRJ20機で約640億円になるとみられる。購入費用は日本政府が支援し、独立行政法人「日本貿易保険」の貿易保険と国際協力銀行の低利融資などを組み合わせる案で調整している。(12:06)
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2008/03/20

ベトナム国会 グェン・フー・チョン議長の訪日と「貿易投資セミナー」ほか

3月16日~20日(今日)までの日程で、ベトナムの国会グェン・フー・チョン議長が河野洋平衆議院議長の招待を受け、随行者と共に公式訪日した。

今年は、日本とベトナムが正式に外交を樹立してから35周年となり、秋に向け様々な行事の準備が進められている。
チョン議長の公式訪日は、国交樹立35周年を記念する年明け最初の外交日程といえる。
衆議院訪問、皇居参内に続き、いくつかの公式行事をこなした後、東京と大阪で「貿易と投資に伴うセミナー」に出席し、ベトナムの国会議長として、ベトナムが取り組む「ドイモイ」の進捗、過去から今日までの越日関係の発展について、また、両国間の貿易と投資の関係、現在進めている「EPA(経済連携協定)」の見通しなどについて講演した。

国会では、衆議院河野洋平議長、参議院江田五月議長と懇談し両国の関係強化などについて活発な意見交換がなされた。

皇居への参内では天皇・皇后両陛下との懇談を行うなど意欲的で活発な外交姿勢を見せた。

Img_0276_1_1Img_0277_1_119日午前、大阪へ移動し同様のセミナーを随行者と共に開催した後、京都へ足を運び20日に関西空港から帰国の途につく。<写真は大阪で開催のセミナーで講演中のチョン国会議長:左/会場を埋める参加者:右>

以下は、衆議院の公式WEBよりの引用紹介--------------
ベトナム社会主義共和国国会議長一行の衆議院訪問 衆議院議長の招待により来日したグエン・フー・チョン・ベトナム社会主義共和国国会議長一行は、3月18日(火)に衆議院を訪問し、議長応接室において河野議長、横路副議長、笹川議院運営委員長及び同委員会理事等と懇談を行いました。
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Betonamu3shugiin懇談の冒頭において河野議長から、日本とベトナムの外交関係樹立35周年の幕開けとなるチョン議長の来訪を歓迎する旨の挨拶があり、続いて両国間では首脳の往来のみならず、一昨年の横路副議長のベトナム訪問や両国国会の友好議員連盟による往来など、極めて活発な議会間交流が行われている旨の発言がありました。これに対してチョン議長は、今回の訪日招待に対する謝意を表明するとともに、来日してまだ二日ではあるが、日本とベトナムとの関係が全面的に発展しつつあることを実感でき、今回の訪日をさらなる関係発展につなげたいと述べました。

また、河野議長は、国民の勤勉さと経済政策により日本は戦後の国造りを行ってきたが、戦争の悲惨さを忘れてはならない、また両国間には文化的共通点も多く国際社会への貢献も念頭において協力関係を発展させていきたいと述べました。これに対し、チョン議長は、ベトナムも戦火を経た上で近代的な国造りに励んでおり、日本を主要なパートナーとして未来志向で協力を進めていきたい、両国の間にはまだまだ協力の余地はたくさん残されており、政府、議会、国民といった幅広いレベルで関係を深めていきたいと応えました。

チョン議長一行は、3月16日(日)から3月20日(木)まで我が国に滞在します。議長は滞在中、夫人とともに天皇皇后両陛下にお目にかかるのをはじめ、衆参両院議長を訪問するとともに、政財界関係者との懇談や経済セミナー出席の後、大阪及び京都を訪問します。
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引用開始→ (ベトナム共産党 公式WEBより)
Japanese investment in Vietnam encouraged
Updated on 3/18/2008 at 10:31

The Vietnam National Assembly will try its best to perfect the legal system and accelerate administrative reforms to create the best possible conditions for Japanese investors to operate in the country, says National Assembly Chairman Nguyen Phu Trong.

Mr Trong welcomed more than 200 Japanese entrepreneurs to the Vietnam-Japan Business Forum held in Tokyo on March 17, saying their presence shows the keen interest in exploring the emerging Southeast Asian market.

“With the presence of many Japanese entrepreneurs, the forum is expected to open up a new chapter for stronger economic cooperation between the two countries in the future,” said Mr Trong.

Mr Trong briefed the participants, including representatives of 70 leading Vietnamese businesses, on Vietnam’s Doi Moi (Renewal) process, its improved investment environment and called on Japanese entrepreneurs to establish partnerships with Vietnamese businesses.

According to Mr Trong, currently Japan ranks third among leading foreign investors in Vietnam with a total registered capital last year reaching US$1.7 billion. Two-way trade also hit nearly US$13 billion last year and is expected to increase to US$15 billion by 2010.

However, Mr Trong said that the two countries still hold great potential for further cooperation. He said that during the international economic integration process, Vietnam needs foreign assistance and cooperation in infrastructure construction, the development of the capital market, personnel training and high-tech industries.

At the forum, the Hanoi development and investment group signed a fibre optic cable manufacturing contract with Hitachi group worth US$100 million.

Later the same day, Mr Trong paid a courtesy visit to Japanese Emperor Akihito and Empress Akiko. Emperor Akihito recalled the Japan visit by Vietnamese State President Nguyen Minh Triet last year and expressed his hope that the two countries will successfully implement cooperation agreements reached by the two countries’ top leaders.

Mr Trong thanked the Emperor and Empress for the warm welcome and hoped that they will make a further contribution to strengthening bilateral relations.

At a reception for President of the Japanese Communist Party (JCP) Kazuo Shii, Mr Trong affirmed that the Communist Party of Vietnam (CPV)’s goal is to implement social equality and build a law-governed State of the people, by the people and for the people.

For his part, Kazuo Shii praised Vietnam’s achievements, particularly in poverty reduction, during the Doi Moi (Renewal) process under the leadership of the CPV as well as its policy on developing the socialist-oriented market economy.

Both host and guest shared the view that the two parties will continue to share theoretical experiences to deepen the relations between the two parties and the two nations.

The Vietnamese legislative leader also received CEOs of leading Japanese corporations such as Sumitomo, Mitsubishi and Nomura, the Head of the Policy Council of the Liberal Democratic Party (LDP) and visited the headquarters of the Japan Federation of Economic Organisations (Nippon Keidanren).

Mr Trong thanked the Government, the Diet and people of Japan, including leading investors and economic groups, for supporting Vietnam in its development endeavour. He said Japanese-invested projects such as Nomura industrial park in Hai Phong city and North Thang Long-Sumitomo industrial park in Hanoi have been paid off while Japan’s official development assistance (ODA) capital have been effectively used in Vietnam.

Head of the LDP Policy Council Kaikan said that never before has Vietnam been so popular in Japan like at present. He said that Japanese legislators have supported efforts to strengthen ties with Vietnam.
(CPV/VOVNEWS)
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2008/02/10

月暦「正月」です。「正月節」を祝し「二十四節気」について考えます。

中国から、ある大学院へ教授として赴任しておられる先生へ「春節祝意のメッセージ」をお贈りしたところ、
「日本でも、50~60年ほど前までは、農村を中心に『旧正月』を祝っていた、と聞いています。『旧正月』を覚えておいて下さってありがとうございます」と、ご自身が東京大学大学院で博士後期課程に取り組んでおられた頃の話を振り返り、上記のようなメッセージが戻りました。

太陽暦の正月は忙しない展開でイヤですね。
何が「新春」なのか、何が「迎春」なのか、何が「賀春」なのか、「新しい春を迎えて」など「いけしゃあしゃあと」よく書けるモノだと、いつも不思議に思っておりました。

太陽暦では、一番寒い「小寒」「大寒」を正月以降に迎えるワケですから、なんだかオカシイですよね。
2月も節分を越え、立春を迎えると、まぁ「春」になるなぁ~と何となく考えることもできますが、「太陽暦」に対し多くの人は「太陰暦」と呼ばれるようですが、「陽」に対して「陰」とするのは文化かも知れませんが、その呼称には、少なからず抵抗を覚えます。
「月暦」と呼ぶのが正しいのではないか。英語では「Luna Year」と呼ばれています。従って「月暦」で良いのです。

日本も、中国も「漢字文化圏」の地域では、「二十四節気」という考え方が農業の生産過程で重視され、生活文化の中で着実に確立されていました。
「二十四節気」は、太陽暦でも月暦でも大きな変化はありません。その理由は、太陽の高さやそこから発する「黄経」を軸に算出されるからです。

どなたにも思い当たる「二十四節気」の季節を表す言葉を探してみますと、「春分の日」、「夏至」、「秋分の日」、「冬至」などがあります。
一年は12ヶ月です。一ヶ月を二つの季節に分けると、二週間に一度の割合で季節が巡り来る事になるワケです。ここまではご理解頂けますか。

「夏至(天文学の上では、太陽が黄経90度を通過する日)」で昼と夜の長さでは昼が一番長くなる日です。この約30日後に「大暑(太陽が黄経120度を通過する日)」で最高に暑い時期を迎えます。この頃から約1ヶ月、太陽に熱せられた空気が私たちの暮らす地域の空気を包み暑熱となるわけです。
つまり、「二十四節気」はこれから起きる(始まる)空気の変化を先んじて示しているのです。
逆に「冬至」を過ぎた約1ヶ月後に「大寒」が訪れ、ここから約1ヶ月は寒い日が続きますね。(いま、まさにその時期ですが)

さて、一ヶ月を考え(想像し)てみて下さい。
普通の生活でも2週間という時間が過ぎると、気温はどことなく変化しているでしょう。昼間の気温は急に変わりませんが、「朝夕の気温」は確実に変化しています。農業は朝から夕方までの作業を必要とします。ですから、農業に従事される方は「朝夕の気温」の変化に敏感です。
人は元来、自分たちが生活する地域の空気に包まれ、その空気の温度変化に対し敏感に反応し、できるだけ自然に対応しようとしてきました。

人は気温の変化に、自然に対応しながら生きてきたわけです。
日本は、世界の中でも類のない「四季の変化」を楽しめる地点に位置する国です。
四季の変化と共に生きる上で、「二十四節気」を取り入れ積極的に空気とその気温の変化を楽しみませんか。
わずか100年ほど前まで、多くの人は、実際に時計を持ちませんでした。
それでも、無茶苦茶な凶作に襲われない限り収穫を失う事はありませんでした。空気の変化を読み、空気の変化と共に生きてきたのです。何と素晴らしい知恵でしょうか。先人の残した知恵について振り返ってみましょう。

「二十四節気」(2008年の)
立春(2/4)りっしゅん
雨水(2/19)うすい
啓蟄(3/4)けいちつ
春分(3/20)しゅんぶん
清明(4/4)せいめい
穀雨(4/20)こくう
立夏(5/5)りっか
小満(5/21)しょうまん
芒種(6/5)ぼうしゅ
夏至(6/21)げし
小暑(7/7)しょうしょ
大暑(7/22)たいしょ
立秋(8/7)りっしゅう
処暑(8/23)しょしょ
白露(9/7)はくろ
秋分(9/23)しゅうぶん
寒露(10/8)かんろ
霜降(10/23)そうこう
立冬(11/7)りっとう
小雪(11/22)しょうせつ
大雪(12/7)たいせつ
冬至(12/21)とうじ

今年の「月暦」では、
②4月8日が三月三日にあたり「上巳」五節句の一日「雛祭り」に当たります。
桃も桜も咲きそろい、確かに真「雛の祭り」に適した日ですね。
③6月8日は五月五日で「端午」。五節句の一日「菖蒲の節句」となります。
花菖蒲も咲きそろう季節ですね。
④8月7日は七月七日です。「七夕の節句」となります。
⑤10月7日は最後の五節句九月九日「重陽」で、「菊の節句」となります。
それでは①は何か?どこにあるの?と質問されそうですが、
①は、正月節です。今年は2月7日が正月元旦です。
ちなみにベトナムでは、「正月節」と呼びます。「節」のベトナム語は「tet(テト)」です。そのため、中国が旧正月を「春節(春を迎える節)」と呼称するのに対し、ベトナムでは「(正月を省略し)節=tet(テト)」と呼びます。
韓国では、「正月(節)」です。日本も同じく「正月(節)」でした。

中国は、「春に向かう節目」だから「春節」と考えるワケです。

こんな他愛ない話ですが、実は、十数年ほど前にニューヨークで、「二十四節気」を軸に「日本市場における商品構成とその展開」を議論した際、「二十四節気」の深い意味を理解した聴講者(参加者)から、提議講演を終えた際に大きな反響を頂戴した記憶があります。
そのとき、日本や中国が培ってきた(生活に根差した)文化の奥深さについて理解を得られと考え、とても嬉しく思いました。

その話も含め、中国から赴任された先生と「漢字文化圏」における蓄積された文化と透視可能な文化について、今後も議論しましょうということになりました。
「アジアに生を受け、暮らす民族」は、欧米とは異なる別の深く広い思考力を持っているのです。

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2008/01/26

メコン流域五カ国外相会議が16日~17日に東京で開催されました

日本政府の主催で、ASEANの大陸部を占める、タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー、ベトナムのメコン川流域五カ国の外相が東京に集まり、流域全体の開発計画を初め「人材育成」について議論を交わしました。

ようやく、本邦政府もこの地域に対し重い腰を上げるのか?というのが本音です。

日本は口先では「やれ人材育成だ」、「やれ開発計画だ」などと、イロイロ様々な主張を繰り広げますが、実際には着手までが遠く遅いというイメージを払拭することができません。
「自由と繁栄の弧」と些か勇ましい外交コンセプトを打ちたて、当該地域を対中国包囲網の中軸を担う地域で、本邦とは切っても切れない関係にある極めて重要な地域。とかなんとか位置づけていたくせに、アッソウ・タロォが外相を滑り落ちるや否や、動きを止めてしまった感が強かった。
本邦の外交戦略では、久々に「ホッオ~!」と思わせるヒットコンセプトだったが、鳴かず飛ばずでお蔵入りかと半ば諦め考えていた。

この間、中国は着々とASEAN地域全体を我がモノとすべく周到な手を打ってきた。なかなかの手を連続して打ち続けている。
当該地域への影響力で、当初は本邦が中国を大きく引き離し距離を開けていたが、昨今は、その差を詰められ形勢が逆転しそうな感すらありヒヤヒヤドキドキが連続する毎日だ。
中国は、イロイロ主張しながら、はっきり言ってミャンマーを完全な支配下に置いたようである。世界がうっかりしていると、ミャンマーは中華人民共和国ミャンマー自治区になる気配すら漂っている。

インドシナ半島を初め、ASEAN市場を開発する業務に就いている日本人ビジネスマンは、最近は、中国の巨大な影響力に右往左往させられる状況を繰り広げているのではないか。

当該地域の各国政府は、「なぜ、日本は鷹揚に、知らない顔で澄ましているのだろうか」と訝っていたはずである。
ところが、前述のように重い腰をやっと上げたのである。

日本は、当該地域各国の要請に応えるべく、もっと積極的に応えるべきである。

引用開始→ メコン流域支援 青少年1万人5カ国から招請 (日本経済新聞)
日本政府はメコン川流域五カ国から今後五年間で一万人の青少年を日本に招聘するなどメコン地域の支援策をまとめた。十六日に東京で開く日メコン外相会議で議長声明として発表する。同地域では、投資や製品輸出の増加で中国の存在感が高まっており、日本政府は支援を通じて影響力維持を図る。
カンボジア、ラオス、ベトナム、タイ、ミャンマーの五カ国など毎年二千人を招く。年二百人の高校生を五カ国一人ずつ五人一組で二週間ほど日本の家庭に滞在させる事業も実施する。日本文化に触れるとともに、五カ国間の人的つながりも深める。
総額四千万ドル(約四十四億円)の無償支援も表明する。
うち二千万ドルはインドシナ半島を横断する「東西回廊」の物流効率化事業に投じる。残り二千万ドルはベトナム、ラオス、カンボジアが接する貧困地域対策に拠出。日本の政府開発援助(ODA)を今後三年間増額することも表明する。
同地域は日本企業の輸出拠点となる期待値が大きく、域内約三億の人口を抱える市場としての潜在力がある。
(アジア部 上原正詩) <2008年1月14日(月曜日)朝刊>
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引用開始→ 鉄鋼分野で協力期待  (日本経済新聞)
「ベトナム」ファム・ザー・キエム第一副首相(外務大臣)
--優先順位の高い投資分野は。
「交通網などインフラ分野だ。日本は南北縦貫道路や高速鉄道建設、ハノイやホーチミンの都市インフラ整備で協力を表明した。三年以内に南北高速道路の一部整備で資金支援を検討してくれることを希望する」
--民間への期待は。
「中部クアンガイ省などに年産約五百万トンの製鉄所を建設する計画だが、環境に配慮しながら高品質製品を造れるよう日本企業の協力を求めたい。ベトナム政府も喜んで投資環境を整備する。我が国の鉄鋼生産は現在年約五百万トンで、二○二○年には最大千八百万トンに急拡大する見通しだ」
--ラオス、カンボジア間のインフラ整備状況は。
「『東西回廊』は開通したが、通関などの手続きの手間が障害になっている。円滑化には人材育成が重要で、ダナンかホーチミンに訓練センターを設けたい。今月初には三ヶ国を結ぶ送電線の建設で合意した」
(聞き手は 国際部 長尾久嗣) <2008年1月21日(月曜日)朝刊11版6面>
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毎週、土曜日に掲出しておりました、
週間ベトナムニュース」は先週(第150号)で終了しました。
今後は、右側のブログリンク(Friendly Blog)「明日の寿司より今日のラーメン」で、執筆者が随時更新し維持されます。そちらをご覧下さい。
なお、これまでの「ナマのベトナムが分かる、週間ベトナムニュース」は、「コラコラコラム」のアーカイブに収録してございます。「ベトナム」の部分をクリックしご覧下さい。

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2008/01/19

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第150号(最終回)

ウィークリー・ベトナム・ニュース (最終回) 
■ 平成20年01月19日 土曜日 第150号 
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■ こんにちは!!

いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

【ブログ版へ移行のお知らせ】

週刊ベトナムニュース読者の皆さまへ

3年に渡り、毎週土曜日に皆さまのもとへ配信して参りました、メルマガ「週刊ベトナムニュース」ですが、今週・第150号をもちまして、ブログ版ヘ移行することに致しました。と、同時に更新は不定期となります。ブログ版は従来より、週刊ベトナムニュースの下書き用として日々利用してきたものですが、ヤフーのお奨めブログ並びに、メルマガ大手マグマグが主宰する、”アジア新興国投資ブログ集” http://asiamoney.mag2.com/ に採り上げられたのを機に、完全移行することに決めた次第です。

ブログ版:This Is ベトナム(明日の寿司より今日のラーメン)
        http://blogs.yahoo.co.jp/nhatanhj1

最後に皆さまの益々のご健勝とご活躍をお祈り申し上げ、ブログ版移行のご挨拶といたします。この場をお借りして御礼申し上げます。

主筆 拝

それでは、最終版になりますが、
今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その150 今週のヘッドライン
* 01月14日(月) ゲーム中毒の対処法
* 01月15日(火) 最低賃金引き上げも効果ナシ
* 01月16日(水) ハノイ建都千年紀年カウントダウン始まる
* 01月17日(木) 高級アパートのクリテリア策定を急げ!
* 01月18日 (金)   外資に有利な労働法を労働者の手に!
* 01月19日 (土) 証券担保貸付制限緩和?!

01月14日(月)  ゲーム中毒への対処法
*今年45歳になる母親のグエン・ティ・ミンさんは、彼女の15歳の息子ダットくんが学校の無断欠勤を繰り返し、放校処分されるまでオンラインゲーム中毒であることを知らなかった。「ダットくんは1年生から8年生まで成績優秀な素晴らしい児童生徒でしたよ。ところが、彼と同じ学校に通う、うちの子供の懇談会で担任教師からダットくんがゲーム中毒で学校を辞めさせられたことを聞き愕然としました。」と話すのはミンさんのご近所さん。

3年前にミンさんの自宅近くにインターネットショップが開店すると、ダットくんは学費に使うという理由で、より多くのお小遣いを求めるようになったという。毎朝、きちんと登校し、決まった時間に帰宅する少年から、母親のミンさんがゲームに嵌り込んでいるなんて疑う余地すら無かったそうだ。「まさかうちの息子に限って、、、学校をずる休みしてネットカフェでゲーム三昧の日々を送っていただなんて未だに信じられません。」とミンさん。

ところが、放校された途端、ダットくんはそれまで以上にゲームに興じるようになったのであった。自分の自転車や腕時計、その他お金になる物は総てお金に換え、ゲームに費やすようになってしまったのだ。現在、困惑した母親は、息子をゲームから引き離し学業に戻すため、ホーチミン市内の学校への転入を検討しているそうだ。

グエン・ティ・ミンさんだけが特殊なケースに陥っているわけでなく、昨今多くの親たちがゲーム中毒に罹った子供たちをパソコンから引き離す方法を捜しているのだ。ゲーム中毒に罹りやすい子供たちの多くが元々、勤勉で従順な性格なのだが、しかし、好きなゲームキャラクターを模倣して人格が変わり攻撃的になる者や逃避癖をつけるようになってしまうという。

「うちの娘は未だ12歳です。しかし、ゲームのオーディションで遊んでから、彼女は私に流行服を買うようせがむようになり、おまけにそれを着ては鏡の前で踊り狂うようになったのです。」と話すのはホーチミン市8区在住のホアン・リンさん。多くの親が今では子供に妥協し、自宅でオンラインゲームをやらせているそうだ。「私は2000万ドン(1250米ドル)のパソコンを息子に買い与えました。息子をわけの判らない人々で賑わいを見せるネットカフェで遊ばせるよりは自宅で遊ばせた方が安心ですからね。」と5区在住のルー・ハさん。

ホーチミン市師範大学の心理学講師ヴォ・ティ・トオン・ヴィさん曰く、ゲーム中毒に罹った子を持つ親たちはしばしば短気に走り、ゲームをさせないよう圧力をかけ易いものの、親たちがしつこく言えば云うほど、逆に子供たちは親の言うことを聞かなり、そして圧力をかければかけるほど子供たちは外に自由を求め家から離れて行くと説く。「親の対処法は、兎に角、落ち着き子供たちにとって健全なライフスタイルを創造するように心懸けることなのです。つまり、仮想世界では味わうことの出来ない現実世界を環境として与えるのです。サッカーや水泳などのスポーツをさせるのです。そして定期的に担任の先生と連絡を取り合い学業の進捗を確認することです。子供たちのお金の使い方に注意を払うことは子供の問題を素早く顕在化するのに役立つばかりか、解決の糸口を見つけやすいのです。」と、ヴォ講師。

(辛口寸評)
今回の記事を読む限り、なぜかベトナムも嘗て日本が高度成長期に歩んで来た道をなぞるようにして歩んでいるとの印象を持った。特に、「うちの子に限って!」といったセリフは、僕が中学生の頃、あらゆるメディアを飾ったモノで、土壇場になるまで、親は子供の素行を気付かずに、事に及んで狼狽える描写は、昭和50年代によく見聞された話しでもある。日本の場合、この後にインベーダーゲームが登場し、社会現象にまで発展するようになるが、さて、次にベトナムの子供たちを待ちかまえているものは何だろう。
やはりオンラインゲームが今後も主流をなして行くのだろうか?実際、ネットカフェで手軽に最新ゲームに触れる事が出来るという意味においては今のところオンラインゲームに対抗するモノは無い。

世界的に大ヒットを飛ばしたファミリーゲーム ニンテンドーDSやWii、ソニーのプレステ、マイクロソフトのXbox、これらを現在、ベトナムで手に入れる事が可能になってきている。これらソフトウェアについては20数種類にも及ぶ安い海賊版が出回っているので、躊躇無く数を揃える事が可能だろうが、ただ、本体はかなり高額でベトナムの平均的世帯月額収入の三倍と、かなりの負担を強いるので当面、普及しがたいと思われる。

ところで、ここまで書いて、はたと思いついた!昨年末のクリスマスに、日本で手に入れたWiiなどのゲーム機本体を子供のプレゼントにしたご家族も読者の中に多いと思う。我が家もそのひとつだ。そして、ベトナムの海賊版ゲームソフトで楽しもうとしても、それは不可能なので悪しからず。。。どうやら、こちらで販売されているゲーム本体はいずれもコピーロックが外されているため、違法ソフトが利用可能だが、日本から持ち込んだオリジナル本体は、それが判別可能でロックが掛かり使えなくなってしまうとのことです。

01月15日(火) 最低賃金引き上げも効果ナシ
*今回の最低賃金上昇は、結果的にインフレに対する効果が無かったことが証明されたと、労働傷痍兵社会省給与政策課のファム・ミン・フアン課長は憤る。労働者たちやエコノミストたちも同様に考えているという。ハイタコ社の従業員ディン・スアン・トアンは、「私の月給は約20万ドン(1480円)上がりましたが、物価上昇率はそれを遙かに凌いでいるのです。一杯のフォー(うどん)の価格は6000ドン(約44円)から10000ドン(74円)~12000ドン(88円)の間に値上がりし、一杯のお茶は500ドン(約3.7円)から1000ドン(7.4円)となっています。これでは昇給分がついて行ける筈がありません!」と訴える。ハイフォン社会保険課の社員ファム・ヴァン・マンさんは、「月給は上がり、始めは私も嬉しく思いました。ところが、直ぐに急激な物価の上昇が私の生活に変化を与えないことに気づき肩を落としたのです。

金融科学研究所所属エコノミスト レ・ティ・トウイ・ヴァン女史は、最低賃金の上昇は労働者の生活水準の底上げを図るためになされたが、思惑通りに事が運ばず、最低賃金の調整は未だ市場原則を包含していないと話す。国営企業の給与は、労働者の生産性に基づいて算出されたものではなく、労働傷痍兵社会省給与政策課が社会保険を設定する為に定められたものに準じて決められているのだ。これがインフレと連動し、折角の給与増加も効果のないものになってしまった。金融科学研究所国際金融課に所属するエコノミストは、賃金増加が無効に終わった主な理由が3つあると指摘する。一番大きい理由が、12%のインフレだ。二番目が、民間企業の給与は国営企業よりも高かった事。事実、多くの国営銀行の行員が民間銀行に転職ラッシュが、この事を裏付けている。三番目の理由として、いくつかの企業は給与を上昇させる変わりに他の収入、例えば賞与や手当を削った事などが上げられる。

労働傷痍兵社会省給与政策課のファム・ミン・フアン課長は、生産性に拠って労働者の賃金が支払われるように変化させなければならないという。「国家は今後も民間企業と同等になるまで最低賃金を押し上げ続けるべきで、併せて国家は価格管理に目を光らせる必要がある。価格の管理がされている時の昇給ほど効果的なものはないのだから。」と述べた。

(辛口寸評)
我が社でもご多分に漏れず、今月5日の給料日から各従業員の昇給を行った。国が政策として決めた昇給なので、従ったわけだが、本来、うちの昇給は旧正月明けの翌月、つまり今年なら2月が旧正月月なので3月の給料から昇給となるわけだ。当然、この昇給は毎年恒例の既定事実なので、臨時国策昇給が行われたからと言って“ナシ”にするわけには行かない。結局、3月の昇給分を半分に割って、1月・2月にそれぞれ5割ずつ給料に上乗せすることで決着を図った。大手企業はいざ知らず、ベトナムの中小零細企業のほとんどは、こんな感じでお茶を濁したのでは無いだろうか?しかし、この事を国は非難出来ぬだろう。

世界的な原油高といった背景を考慮しても、昨今のインフレの増加は嘗て無いレベルにまで上昇しており、これを招いたのは短期利益を目論んだ不動産投資に関わる規制が後手後手に回り、金余り減少を生じさせたからに他ならないのだ。漸く、規制に踏み切ったものの既に時期を失した感は拭えず、今年GDP目標を9%と打ち出してはいるが、結局、高インフレ率に足を引っ張られる形で目標達成は危ういものとなると思われる。

01月16日(水) ハノイ建都千年紀年カウントダウン始まる
*一昨日の晩 ハノイっ子たちは群れをなして市中心部にあるホアンキエム湖のバアチイユ寺を詣で、ハノイ建都1000周年紀年日までのカウントダウンを開始した。1010年、当時の都はタンロン(昇竜)と呼ばれ、長きに渡る悠久の歴史を記念し、7メートルもある巨大でユニークなデジタル時計が設置された。その時計の屋根と二本の柱は、クエ・ヴァン・カック(文学パビリオン)やヴァン・ミイウ寺(文学寺)などの伝統的な建造物を参考に造られたもので、各々の柱には二匹の飛竜が彫り上げられている。「二匹の飛竜は、ハノイの旧名タンロンを表しています。」と話すのは、ハノイ市文化情報課のファム・クワン・ロン課長。

イベントは、コアン・カック・タンロン・ハノイ(タンロン・ハノイモメント)と呼ばれ、人民芸術家のレ・フン氏に指揮されたカウントダウンセレモニーは時計の表面を覆う五色の旗につけられた一文字を切り取るところから始まった。「二匹の竜はまるで千年間飛び続けてきたようです。」とフン氏、そして、カウントダウンの鐘は2010年10月10日の建都千年の本番をハノイっ子たちに強く意識させるだろうと添えた。数百人の俳優や芸術家、そして地元の人々が今回のこのイベントに参加した。

レタック通りやレライ通りでは古き良きハノイの想い出と題した野外展示会が開かれ、新旧ハノイの風景を撮影した巨大な写真パネルや絵画が展示された。この展示会にはハノイ博物館、レスパス、ハノイ文化基金に所属する地元やフランスからの写真家や絵描きなどが多数参加した。亦、ファッションショー、クッキング、手工芸品、カアチュ(ベトナム詩吟)やゲーム各種でレライ通りは充満し、19世紀のハノイ市民の生活風景を再現した。立ち食いの行商人らは、古いコスチュームのアオトウタン(ロングドレス)やカンモウクア(おでこにつける三角巾)を身に纏い、そして木靴を履きながら当時の販売スタイルで、お客を呼び込んでいた。

しかし、今回のイベントで最も人気の高かった見せ物は竹と木で造られた古いハノイの民家だった。家の中には、礼拝室・燭台・中国語が刻まれた漆塗りの奉納台、それに、黒檀に細工を施したベットと戸棚が収められていた。ラックヴィエットのパフォーマンスも催され、ハノイのホアンマイやタンチ区などから集まった民間有志により28匹の巨大な竜の演舞が、30台の中世の銅鑼の音に併せて繰り広げられた。銅鑼芸術家のレ・タン・バオさん75歳は、これまでに多くの都市や地方で演舞を指揮してきた経験を持ち、今回のグランドイベントに参加することが出来て大変嬉しいと感想を述べていた。今回のイベントのメインスポンサー契約をハノイ文化情報課との間で結んだのは、ペトロベトナム金融社代表取締役トン・クオック・チュン氏だった。

(辛口寸評)
ハノイ建都1000年まで、後2年余り。そのカウントダウンがいよいよ始まったという。否が応でも、市民の期待と盛り上がるは日を追う毎に高まりを見せることだろう。さて、今日はハノイっ子について、独断と偏見のもとに語ってみよう。先ず、ハノイ住民であることに強いプライドを持ち、ハノイ以外は何でも見下す傾向にある。亦、純粋なハノイ弁を話せることが、重要な要素となる。我々、発音を二声で賄う日本人には理解しにくい話しだが、六声もあるベトナムの発音では、音の違いが明確にその人物の出身地・出身階層などを代弁する。故に、純粋なハノイ弁が話される地域も限定され、ハノイ中心部のホアンキエム区・ハイバーチュン区・バーディン区・タイホー区・ロンビエン区とドンダ区の一部となる。拠って、ここから外れると行政区画はハノイ市内にあってもトーリエム・ザーラム・ヴァンディエン・ドンアン各区の言葉は純粋なハノイ弁では無くなる。
ましてや、域外のハードン辺りは、完全にハノイっ子が、認めるハノイ弁では無く単なる北部弁でしか無くなるわけだ。

とはいえ、ベトナム最強のプライドを持つハノイっ子ではあるが、実はハノイの女性の多くは、サイゴン男の話すサイゴン弁。しかもビジネスの中で話されるそれに強く惹かれるという。どうやら、その根底には洗練されたビジネスはホーチミンと言うイメージが彼女たちの中に根強くあるらしく、劣等感の裏返しみたいなところが彼女たちの耳元を快くくすぐるらしい。それが証拠に、うちの会社でもハノイ在住の取引先(この業界、マネージャークラスは女性が主流を占める)とトラブルが起きたり、或いは値上げなど話し辛い話題を告げなければならないときは、ハノイ支店のスタッフに対応させるよりも、ホーチミン本社から直接 営業でも経理でも男性マネージャークラスに対応させると、彼らのサイゴン訛りの魅惑的なバリトーンのお陰で、スムーズに問題解決に向かう事が多いのである。ウソだと思われる。そこのあなた!騙されたと思って一度お試しを。。。。(笑)

01月17日(木) 高級アパートのクリテリア策定を急げ!
*今月2日間限定で行われたホーチミン市のホアン・アン・リバービュー・アパートメントの580戸の売り出し申込に6000名の人々が殺到した。一戸の売出し価格は最高が53億ドン(約3925万円)となり、このハイグレードアパートメントフィーバーは、ハノイにも飛び火したという。アパートメントの部屋、特にハイグレードの物は、特別な所有物で供給を需要が軽く超える減少が起きているのです。しかし、それが明確な統計結果として出されているわけではありませんが、、、。」と、建設省品質保証課のチャン・チュン課長は話す。

不動産コンサルタント会社CBリチャードエリー社の最新統計に拠れば、ハノイ構外の60の地域で現在200棟のアパートメント建設プロジェクトが立ち上げられており、ほとんどの物件が直ぐに市場で完売する勢いという。アパートメントの部屋への急激な需要の原因のひとつに国内外からの投資熱が隠れており、その勢力が一戸当たりの価格を15~20%も押し上げる原動力となっているわけだ。「数年前 チュンホア・ニャンチンアパートメントの一平米辺りの単価は、6~7百万ドン(約44000~52000円)だった。しかし、今では単価が更に勢いづいて上昇中です。例えば、ミーディン地域での部屋の一平米辺りの端かな14~15百万ドン(約103700~111111円)で、フォンサック地域では、現在17百万ドン(約126000円)にもなりますよ。」と不動産コンサルタントのグエン・ヴィエット・フック氏。

新たなハイグレードアパートメントの開発毎に日々物件価格は上昇しており、発売と同時に直ぐに完売する有様だ。人々は特に郊外のヴァンケ・ナムアンカン・バックアンカンなどの新興住宅地域の物件を買い漁っているのだと、フック氏。「人々は全盛期の70年代から80年代にかけて古い一戸建てを購入していましたが、フーミンフンやリンダムなどの新しい郊外型宅地が整備されるとアパートメントに目を向けるようになりました。そして、彼らの物件への見方が劇的に変化して行きました。」と、フック氏は続ける。「我々はハイグレードアパートメントの部屋を保安と利便性、そして環境面から選ぶのですよ。」と話すのはミーディン地区のアパートの一戸を所有するホアン・フエン・チャンさん。

とはいえ、ハイグレードアパートメントの所有増加傾向には思わぬ落とし穴も潜んでいるというのは既出のCBリチャードエリス社の調査結果で、ハノイ、ホーチミン市とも物件で約束された高い品質が満たされていない事が多々あることだ。最低限の投資本で多数建設されている中程の品質のアパート物件でも、ハイグレードとして宣伝されている。消費者は一般的に、余り深く考えずにそれらのアパートを安心して高いお金を払い購入して行くのだが、実際、彼らは入居してから、その物件本来の品質を認識することになる。「私は昨年4月に入居しましたが、壁は雨水でしみてしまっています。」と某氏。

多くの消費者は品質とレイアウトに関して無知である。取引はしばしば物件のドキュメントと見取り図だけを基準にして行われ、しかも契約は常に売り主に有利に造られている事が多く、消費者権利が蔑ろにされているのだ。いわゆるハイグレード物件客というのは1億ドン(約74万円)を家具代として余分に費やさなければならない。また、緑地が無かったり高さの異なったアパートの中の一角で、陽が当たらなかったりするものも非常に多くなってきている。

ある一部の企業はハイグレード物件客の悩みを商売の種に利用して、一平米辺り最高3千米ドルで、優秀なアパートの調査・斡旋などを開始しているという。売り主が契約に明記したサービスが履行されず、庭や運動場は契約よりも狭く、廊下の電灯が消えても何もなされず放って置かれたり、近所にあるはずの学校や病院がまだ建設されていなかったり、兎に角、この手の問題は日常茶飯事なのだ。ハイグレードアパートメントの建設基準などは未だ整備されていないと話すのは建設省住宅管理課のディン・ゴック・バック担当官。

同じ地域でもブロックが異なれば、それぞれ建設基準も異なっています。仮にひとつのブロックがハイグレードと考えられるのであれば、それ以外も物件も同じ等級と考えることが可能ですと話すのは、ベトナム建設投資輸出入会社の執行役員グエン・クオック・ヒエップ氏だ。品質及び販売価格ともそれを決定するのは常に売り主側なのだ。「我が社では物件のロケーション・空間・構造 そしてそれが所属するブロックに基づいて売値の設定をしています。」と話すのは第二ヴィナコネックス社のドー・チョン・クイン副社長。

建設省は3つのアパートメントの建設基準となるクリテリアを設けており、この基準に合致しない物件についてはハイグレード物件とするべきではないとしている。はじめに、ビルの基礎の安全性、そして構造(耐久性)だ。部屋は単に住むだけの空間では無く、人生を楽しむ為の場所でもある。故に、それらは快適さと美学の高い基準を満たさなければならないのだ。ふたつめは、物件の周囲のインフラ整備状況が整っているかを評価する。
インフラには道路・上下水道システム・学校・ショッピングや娯楽施設及び他の公共施設が揃っているか。最後のクリテリアは、サービス(例えば顧客の要求に応ずるために建物にもたらされる公衆衛生、建物警備と改善)を含を含んでいるかが対象となる。

中国では最近、アパートメント3段階の格付けが発表された。
A(A1)、AA(2A)、AAA(3A)といった具合。我が国の国立建築研究所は、中国の取り組みを自己に取り組むよう研究を始めたところで、中国に限らず国際的な経験値を少しでも多く取り込み現実に即した評価基準を出せるようにしなければならない。物件を購入する消費者権利を守りリスクを限定させる為に、消費者は少なくとも建設省が規定している消防安全基準合格証・エレベーターシステムの耐久性と品質保証書を保有している物件かどうかをはじめに確認すべきだ。先ずは自分たちの身は自分で守ることが大切である。現在、建設省もアパートメントのクリテリア策定について検討段階に入っているとのこと。

(辛口寸評)
ベトナムには集合住宅に対する明確な建設基準値が明確に定められて来なかった為、建設ラッシュに伴い、実際に問題が顕在化してきているのが昨今の実情なのだ。国内外の不動産デベロッパーが、ベトナム都市部の郊外を中心にアパート建設ブームを巻き起こしているものの、基本的に彼らの頭の中にあるのは自己の利益しかない。顧客に対する安全などは二の次で、先ずはいくら儲かるかだけが総てなのである。サイゴンに3年前に出来た巨大なアパートがある。このアパートを土地の人々は、サイゴンの斜塔と呼んでいる。実は、外から見てハッキリと解るほどに建物が傾斜しているのだ。実際、この物件を購入した人の話では、床にボールを置いた途端、コロコロと転がって行くそうだ。

元々、湿地帯ゆえ、今でも大雨が降ると道路が水没するようなところなので、基礎工事がいい加減だったか、さもなくば基礎柱の数をケチったかのどちらかだろうと言われており、不良物件の象徴となっているのである。幸い、このところのベトナム景気に湧いて新たに外国人が移り住んで来るため、ここぞとばかりに、コッソリ転売が始まっているそうだ。もちろん、新しい住人はそんなことを知らさせれるわけも無く、婆抜きのように不良品を掴まされる事となる。兎に角、ベトナムで不動産を買うにせよ、借りるにせよ、デベロッパーの営業の鵜呑みをせず事前に近隣住民に聞き合わせを行い、また可能であれば乾季より雨季の時期に物件を見定めると良かろう。雨季になると、水がその物件の品質だけでなく、地域がどのような状態になるか迄、克明に教えてくれるから、、、。

01月18日(金) 外資に有利な労働法を労働者の手に!
*労働者の生活の向上を図るため、中国政府は同国の労働法を改正するに至った。このニュースを知ったあるベトナムのメディアは、中国での労働法改正がベトナムへ拠り一層の外国直接投資の起爆剤になるだろうと予想した。地元新聞紙上で、外国系企業での労働争議が勃発したさい、ベトナムの関係法令は常に外国投資家側に立つ傾向があるという不満が掲載された。しかし、この新聞にその具体的ケースについての論評は一切なされていなかった。とは言え、労働者たちは常に外国人経営側よりも風下に立たされているのは疑う余地が無い。

外資を取り込むために、我が国では一部労働者の利益が無視されたりしている。例えば、外国企業用の最低賃金に関する規約があるお陰で、十分な賃金が支払われていないのだ。中国も以前は外資を取り込む為に労働者たちは僅かな賃金で働かされていたものの、低賃金労働力が時代遅れとなり競争力確保に役立たぬ事に気付いてからは、同国政府は労働法を改正し、労働者を守るようになったのである。

新しい労働法は導入時には、一部の外国資本を追い出すかも知れない。しかし、長期的に見れば、中国はこの結果から利益を得ることになるだろう。先ず始めに、改正労働法は労働者たちに力強い支持を受ける為、中国の労働者たちは雇用に対し真摯になり、スキルの高い労働人材の創造が可能となる。
次に、進出して欲しい外資を選ぶ事が出来る。これはこれでベトナムでの目標でもある。今日に於いては、総てを犠牲にしてまで、外資を誘い込む必要も時間も無い。

ベトナムは労働者を訓練するための戦略を策定し、彼らの能力に相応しい賃金が支払われるよう援助しなければならないのだ。我々は隣人が労働法を改正したのを指をくわえて眺めている場合では無いのである。

(辛口寸評)
前にも一度同じ様な寸評を書いた事があるが、中国が外資を誘致した頃、兎に角、産業を移植するため、国家と地方が一丸となりそれに努めた。その甲斐あって、製造業を中心に、一国で産業に必要な資材を賄え、そして世界の工場と呼ばれる迄に国力を押し上げた。そこまで来てから彼の国は、外国企業の選別を開始し、中国とその人民にとって益をもたらさないと判断した企業を追い出して行ったのである。一方、ベトナムはどうだったかと言うと、役人がワイロ欲しさに外国投資希望企業に対し、国家も地方も不文律、つまり担当役人のサジ加減で、最低投資資金を設定し、それ以下の企業を足きりしてしまったのである。結果、本来、安価な労働力を確保し、製品価格に反映させようとベトナムに工場を移そうとする多くの外国系中小製造企業が入って来れなくなり、最終的にベトナムは未だに自国で総ての産業物資を賄うことが出来ず、恐らく中国との差は今後も容易には縮まるまい。

そして今回、中国が労働者に有利な労働法に改正した事例を採り上げ、ベトナムもそれに倣えといった論調だが、“ちょっと待て”である。中国は30年という時間をかけ、臥薪嘗胆、国家の実力がつくまで我慢に我慢を重ね、漸く労働法の改正に踏み切ったのである。そこのところをベトナムは全く捉えていないのだ。先ず、労働法を論じる前に、がむしゃらに外資を誘致し、産業国家としての実力を蓄えるのが先決なのだ。公務員と国営企業従業員の週休二日制導入もそう。今までハイハイしていた赤ん坊が、漸く掴まり立ちが出来るようになったのが、現在のベトナムなのだ。突然の繁栄に目が眩み足下が見えなくなってしまっているベトナムに私は大きな不安を感じ始めている今日この頃だ。

01月19日(土) 証券担保貸付制限緩和?!
*国家証券委員会は、ベトナム中央銀行と共に論争の的となっている同行に拠る商業銀行に対する証券担保貸付制限を緩和してゆくと、同委員会ヴ・バン委員長は一昨日、ハノイで開催された2008年証券市場発展と展望の会合の席上、発表した。ベトナムインデックスは、2007年中旬にこの規制の発動以降、下落基調にあり、昨年6月末当時1024ポイントあったものが、一昨日の取引では808ポイントまで下がった。中央銀行行政指導3号規制の緩和に拠って、証券市場での取引の活性化を図り、証券資産総額をGDPの50%まで押し上げ効果を達成することにある。

バン委員長は、今回の行政指導は2007年上旬の加熱した証券市場を冷却し調整する効果は充分あった事を認めつつも、現状、国内投資家たちが投資資金不足に喘ぐ時期に於いて適用され続ける事は好ましくないと語った。「証券市場での株式供給過多が需要を圧倒しています。ですから貸出金利が、投資家にとって空きがあるならば現状のアンバランスは解決に到るでしょう。」と、バン委員長。

ベトナム証券協会のグエン・タン・キイ会長は会合の席上、今度の行政指導が商業銀行の不動産貸付担保を助長させ、結果的に追加的なアンバランスをもたらしていると指摘した。不動産融資には何の制限も課せられていないため、商業銀行は不動産投資には103兆ドン(約64億米ドル)を融資に回し、その一方で証券融資に向けられた額は僅か16兆ドン(約10億米ドル)に過ぎなかったという。「中央銀行はこれらのセクター間での貸出を拠り合理的にすべきで、証券市場で証券投資家へ拠り多くの機会を与えなければなりません。」とキイ会長は訴えた。

バン委員長は、仮に不動産投資への融資がきちんと管理されているなら、証券投資への融資も拡大されるべきで、多くの資金が証券業界に投入されなければならないと同意した上で、証券に拠り多くの対外投資を惹き付けるもうひとつの処置として証拠金勘定の整備・発展を提案した。

一昨日の会合で歯、OTC(未公開株市場)のより良い管理法と債権市場設立についても話し合われた。チャン・スワン・ハア財務副大臣は、店頭市場はOTC株をインデックス化し定め、信用格付けが可能な専門組織を設ける必要があると語った。上場企業連合会のグエン・ヴァン・タム代表は、投資家たちは証券投資に関する拠り大きな訓練をしなければならないと述べた。「教育を通じて、投資家たちは投資寺のリスクを削減し、群集心理に惑わされないようにしなければならない。」とタム氏。

バン委員長はタム氏の意見に同意した上で、教育が投資家たちのみならず、昨年、証券会社が起こした高い数字の規約違反を減少させるために証券ブローカーたちにも必要であると訴えた。昨年、国家証券委員会が与えた個人と法人併せた処罰件数は83件にも及んだ。証券教育センターは、教育システムを改善するために海外の教育機関等と連携して行くとバン委員長は結んだ。

(辛口寸評)
今日のテーマとは関係ないが、本日で休刊となる週刊ベトナムニュースに相応しく、ベトナム株をやる僕なりの心構えを書いておきたい。先ず、第一に長期保有の原則を忘れてはならない。これはと決めた銘柄は最低3年雨が降ろうが槍が降ろうが保有し続ける事である。特に、昨年、ベト株加熱時に取引を始めた投資家も多いと思う。今の株価からすれば、随分、高値掴みをしてしまったと嘆く向きもあるだろう。しかし、長期保有を明確な柱に据えたのであれば、がっかりする必要などさらさら無いのである。資金に余裕があるとき、それが高値だろうが安値であろうが、株に替えて保有するといった頭があれば好いのだ。

保有するうちに配当が出てくるし、株配も無償・有償を含めこの先、余程業績が悪化しない限りなされて行くもので、それにより所有株は必然的に自己の中で調整され、平均化されて行く。短期で大きなリターンを狙おうとすれば、それだけリスクも高くなるだけだ。まだまだ市場の小さなベトナムで、スイング取引は愚かだと云える。調整段階の今が、強力な“買い場”でもある。兎に角、自分なりに研究し、有望株と思える株があるのなら、あなたはそれが高いときも、安いときも、豊かなるときも、貧しきときも、その株を愛し、これを敬い 買い続けるならば、最後に微笑むのは あなた自身となるだろう。

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2008/01/12

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第149号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成20年01月12日 土曜日 第149号
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■ こんにちは!!

いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その149 今週のヘッドライン

* 01月07日(月) 男女出生比率、広がりを見せる
* 01月08日(火) 危険に立ち向かうガードマンの地位向上
* 01月09日(水) ヘルメットの正しい被り方
* 01月10日(木) 銀行株 外国人割合の増枠を
* 01月11日 (金)   高級外車がお好き
* 01月12日 (土)  今が師走のベトナムと正月イベント

01月07日(月)  男女出生比率、広がりを見せる
*保健省人口局ファム・バ・ニャット局長の発表に拠ると、ベトナムは男女誕生の比率が崩れつつあり、男子出生率が女子のそれを越える警戒レベルにあるという。同局の報告書には、結婚適齢期に達する子供たちの20年後に問題は表面化するだろうとの意見が添えられ、今のベトナムが丁度、10年前の中国の状況に酷似しているとする。

同報告書に拠ると北部バックニン省の男女比率格差が国内で最も高く、2006年度の統計では123人の男児出生に対し女児出生は100人との結果が出ており、それに続くハイズン省では121対100で、中部ダックラック省が118対100となっている。現在、ベトナム国内平均は110対100だが、仮にこの様な比率格差がこのまま続くと、国家にとって脅威となるという。通常レベルは、女児の幼児死亡率が若干高いために104~107人の男児に対し100人の女児となる。

「ベトナムは今の中国同様、将来、女性の数が少なくなる危険に陥ってしまうでしょう。現在でも女児より男児のほうが僅かに価値が高いと信じられており、それにより多くの人々が是が非でも男の子を望むことになります。加えて、昨今の超音波医療技術の発展で、産み分けが進み女児なら中絶させてしまうという傾向も、格差に拍車をかけています。」とニャット局長。

バックニン省とハアタイ省、そしてビンディン省を対象に科学発展研究所が行った研究に拠れば、これらの省では頻繁に男女産み分けが行われていることが確認されている。同研究所のクワット・トウ・ホン副所長は、産み分けを促す主な理由は男の子が力を持ち、将来、両親を含め家族の面倒を見てくれるという考えが根強いからに他ならないと語る。これらの省の人々は、政府の二人っ子政策も良く理解しており、性選択妊娠中絶は政府政策だからという問題だけでなく、当の女性自身も二人っ子政策を容認しており、その為に間引くことは仕方がないと考えているのだ。

バックニン女性連合の某メンバーが、研究員に語ったところに拠れば、中絶する多くの人々には多義に渡るその理由があると言い、仮に国家がそのような人々に子供を産むように奨励するならば、彼らのニーズを満たす必要があるがそうすると政策との間に矛盾が生じてしまうとする。超音波による性選択は違法となったものの、男の子を産むために最高の排卵日を日付を決める医師のアドバイスは合法で人々の間に人気がある。

バックニン省在住で4人の子持ちの母親は、彼女の月経の周期から12日目で超音波で検診を試み、それから一週間後の19日目からは毎日、超音波を受けるそうだ。超音波に拠れば、彼女にとって1男児を得るために第19日目が核心的合体日という。多くの回答者が、性別選択用に超音波を利用している。或いは他の誰かが利用したことを知っていると答えている。超音波の使用は地方では一般的になってきており、それぞれ産み分けに活用し、予め性別が判っているのだ。

国立病院などに勤務する超音波検診士は胎児の性別を公表してはいけないことになっており、胎児に奇形などが見られる時を除いて、中絶のアドバイスはしない。しかし、個人が運営するクリニックでは、この様な約束事は守られていないのが実情で、公的病院外での超音波検診サービスはどこでも利用出来るのだ。

「人は誰でも胎児の性別を知る権利を有します。最も重要なのは、人々の男児神話を変えることではないでしょうか?これをするために、政府は国民にとって良い社会保障政策、特に高齢者を対象にしたそれを打ち出すべきではないでしょうか。そうすれば、老後に息子に面倒を見て貰おうなどといった考え方も減ってくると思います。」と、ホン副所長。

「保健省は、他の国の政策を参考に自国の関連する政策の見直しと向上に努める一方で、娘が倅と比べ成功のチャンスや親への孝行が負けないと人々が理解すれば、何としてでも男の子をという気持ちもやがて無くなるでしょう。」と、保健省のニャット局長は結んだ。

(辛口寸評)
ベトナムに限らず、儒教概念が人々の脳裏を支配する中華文化圏において、男児信仰は根深いものがあり、そう簡単に払拭出来るものではない。都市部において豊かな生活を送られる人々の考え方は多様化が進むため地方に比べれば、その意識はさほど強くは無いが、地方の場合、子供が男であるか女であるかがそのまま実生活に直結してくるのでその分、産み分けに真剣にならざるをえないのだ。

都市というのは普遍的な言い方をすれば、“才能の見本市”の観があり、地方から様々な才能を受け入れ成り立つものだ。そこには男女の垣根は無い。才能だけが総てなのだ。ところが地方では、才能の流出は毎年の様に続き、結果的に残った者たちで、古来から連綿と継続してきた経験値に基づいた農業などの土着の仕事に頼る必要が生じ、それをこなす上で、男手があることが必然的に尊ばれることとなるわけだ。

しかし、都市というのは地方に比べ経済的パワーは確かに巨大なのだが、国家規模で見れば、それも国の一構成地域に過ぎない。圧倒的大多数は地方にある以上、男女比率格差は今後、ベトナムの将来に暗い蔭を落とすことになるだろう。

01月08日(火) 危険に立ち向かうガードマンの地位向上
*ハノイ 午前2時 街は眠り静寂の時を刻む。通りは静かで、僅かな人たちが足早に行き交う。しかしそんな中でも、多くのビルや建設現場では照明が煌々と照らされ、それぞれのガードマンが監視の目を光らせている。ナムディン省出身のグエン・ヴァン・ヒさんは、ハノイのタイハ通りにある銀行のガードマンとして働いている。
彼は既にガードマン歴20年になるという。彼の両親が亡くなったのは彼が10歳の時で、そして姉に従い首都で生活を築く日が始まった。靴磨きなどの仕事を通りでして7年後、友達が彼にレストランでのガードマンの仕事を世話してくれたという。

「レストランのガードマンという仕事は端から見ているほど楽じゃありません。監視のみでなく、店のお客さんに対する接客も併せて行い、彼らにレストランのトータルなサービスを喜んで貰わなければなりませんでした。」とヒさんは述懐する。彼は、一度、礼儀の欠如が元で小うるさい客の不況を買ったのが原因で、店を首にされたことがあるそうだ。「私のこれまでの人生はタフそのものですが、私はこの仕事が好きなんです。」とヒさん。

首になったヒさん、捨てる神あれば拾う神ありの喩えの如く、客としてきていた銀行家が、ヒさんの仕事の経験と正直な人格を買って、彼を銀行のガードマンとして雇用することにしたのだった。
一生懸命 銀行で働くヒさんだが、心ない人々は彼の事をストリートチャイルド出身のガードマンとしてしか見なかったという。彼の同僚のフィ・ヴァン・ザンさんは、多くのガードマンは他の人々から尊敬をされないものだと話す。「この銀行で働く前、私はハンダイスタジアムで、もぎりの仕事をしていました。ある日、チケットを持たぬ若者が強引に中に入ろうとしたので、彼の肩を掴んで引き戻そうとすると、若者は私の顔に唾を吐き、侮辱したのです。しかし、私はじっと耐えるしかありませんでした。」とザンさん。

商工業省のガードマン、グエン・テエ・タンは誰もがこの仕事に適しているわけではないという。「24時間、我々は神経を集中させ監視に当たります。僅かな気のゆるみが、泥棒の侵入を招き、数ヶ月分の自分の給料で穴埋めできないほどの被害を顧客にもたらす事になるのです。」と、タンさん。彼自身も過去にミスが元で自腹を切り弁償したことがあり、彼の多くの同僚は同じ状況に置かれていると話す。泥棒のほとんどは麻薬中毒者で、日々、彼らの監視と薬物中毒の危機に晒されており、何度か彼らに薬物の入った注射器を打たれそうになったことがあるそうだ。

ゴックカン湖近くの建設現場をパトロールするド・ヴァン・ティンさん。「建設中の建物に侵入する泥棒は多くありません。しかし、それが完成し高価な家具などが運び込まれた時を見計らい、彼らはやってくるのです。また、昨年、橋梁工事現場を舞台にタイビン省出身のガードマンが泥棒に殺され、その遺体は河に投げ込まれました。そして以来、ガードマンの数を増やすと共にガードする誰もが用心深くなりました。」と、ティンさん。

現在、ベトナムには十数社の警備会社が存在する。警備会社が最初に誕生したのは1990年代後半で、ベトナムに興行でやってきた香港の歌手リ・ミンのボディーガードを請け負ったタンロンサービス社である。

2001年に、首相が警備サービスに関する法令14を発行し、公安省はそれを回覧させることに拠って実施に踏み切った。しかし、これは警備会社設立に関する条件面だけをカバーしたもので、ガードマンの訓練について細かい規定事項など網羅されていない。
現状、公的なガードマンのための訓練プログラムも無ければ、ガードを資格として認定する基準も無い有様だ。故に、総ての警備会社は自前のガードマン要請プログラムを持ち、その中には関連の法律や外国語並びに格闘技・救急措置・火災防止などが含まれている。

ティンさん曰く、多くの人々はガードマンになるような人は無教養であると考えており、結果的に差別的待遇や失礼な振る舞いをする。しかし、この仕事はリスキーで、生命と所有物を守るために必要なもの。故に総てのガードマンは生活の糧をここから得る一方で、人々から丁寧に扱われる事を望むのだと。。。。

(辛口寸評)
弊社ハノイの事務所、今から既に2ヶ月ほど前になるが、テト商戦を控えて夜間不用心なので、ガードマンを導入するか業者を招き検討して見た。ベトナムのガードマンの養成をするため、警備会社各社はそれぞれ独自に所属するガードマンへの訓練・教育を行っているものの、やはり先進国の様には行かないらしい。

先ず、ガードマンといっても100%信頼は出来ないという。故に、事務所の中へは入らず、外にガードマン用のボックスを設け、事務所の鍵は封筒に入れ封印し、緊急事態発生時のみガードマンはそれを開ける事が許されるのだ。そうでもしないと、机の上に置いてあるものを彼らが盗んでしまう恐れがあるのだそうだ。

元々、警備を生業とする職業が誕生して未だほんの10年でしかない。黎明期といえよう。記事の中ではガードマンの地位向上などを呼び掛けるコメントが書かれていたが、やはり彼らに対する世間の信用度は低いし、加えて彼ら自身の素行を直してゆかないことには、人々からの信頼を勝ち得るにはまだまだ時間が掛かるだろう。

リスキーな仕事ゆえ、尊敬されたいとい気持ちは理解できるが、それには国家的なきちんとした資格制度を設ける必要もあると思われる。

01月09日(水) ヘルメットの正しい被り方
*今ではほとんどのライダーが先月、ヘルメット着用義務化に伴いヘルメットを被るようになったものの、多くのものがきちんとそれを着用していないという問題が顕在化してきている。最近の交通事故で、この問題が浮き彫りになったのだ。37歳のグエン・ヴァン・ソンさんは事故に遭った時、ヘルメットを着用していた。「もし、彼がストラップを、しっかり装着していれば命を落とすことは無かったでしょう。」と、ヴィエットドック病院の医師たちは指摘する。実は、ストラップが弛んだままだったために、事故遭遇時に、それで首を切ってしまい病院に搬送される途中に死亡してしまったのだ。

ドン・ヴァン・ヘ医師は彼の病院内で少なくとも2名の患者が、ストラップをしっかりと顎に掛けていなかったことが理由で、重傷患者として運び込まれてきたのを見たことがあるという。また同医師は、ストラップの誤装着は、気管と食道損傷の原因になると警告し、総てのライダーはきちんとヘルメットを被り、ストラップをきつく留めるよう訴えた。ヘ医師が行った11000人を対象にした調査結果に拠れば、88%のヘルメット装着者は、誤ったそれの被り方をしているという。ヘ医師は現在、ほとんどのライダーがヘルメット着用しているが、ストラップをきつく締めていないばかりか、ストラップを使わない者が多いと語る。

ヘ医師は昨年12月26日に交通事故が元で病院に担ぎ込まれた5人の患者の内3人は頭からヘルメットが外れた状態だったという。ただ、脳に障害を負う患者のパーセンテージは、着用義務化前は45%だったのに対し、現在は30%と低くなってきていると指摘する。同時にヘルメットを誤着用した場合の生存率は30%ほどでしかないとも同医師。ライダーは事故による怪我よりも交通警察から受ける罰金を恐れているだけで、従って、ヘルメットを被ってさえいればよいと考える傾向が強いのだという。

多くの人々がきちんとしたヘルメット装着方を知らないままである一方で、ヘルエットメーカーらがこの問題を更に拡大しているのだ。例えば、ホンダ&プロテック社で製造するヘルメットストラップ幅は僅か1.5cmしかなく、顎にフィットさせることなど出来ないのだ。加えて、限られた数ではあるもののベトナムで販売されるヘルメットのバックルがゴムで作られストラップが弛みやすいものが存在するのだ。結果的に、多くの人々が顎に着用する事が出来ず文句が出る次第。

「こんな狭い顎のストラップでどうしたらヘルメットを被れるというのでしょうか!?こんなのだったら、首の下に巻いた方が便利です。」というのはハノイ在住のチャン・ディン・バンさん。
グエン・ティ・ホアさんはヴィエットドック病院の医師たちからヘルメット誤装着の危険性を知らされ心配するものの、質の高いヘルメットというものがどういうものか判らないと訴える。ファム・ビーさんは、ヘルメット製造メーカーらがこの問題に責任を持ち、質の悪いヘルメットを供給し、それで事故に至った場合、補償をさせるべきだと提案している。

(辛口寸評)
ヘルメットの正しい被り方、案外知られていないものだ。僕が中学生の頃、自転車通学で、アコヤ貝のような波打ったヘルメット“シェルメット”を被るようホームルームの時間に指導されたお陰で、ストラップの先の顎を置くホルダーに、顎を中てるようにして装着しなければならないことを学んだ。その際、担任の先生が正しい被り方の見本として三億円事件の犯人とされる白バイ隊員の格好をしたモンタージュ写真を黒板に貼り、懇切丁寧にヘルメットは顎で被るもであることを教えてくれたからだ。我が身を事故から守るヘルメット、だからこそ、きちんと被る必要がある。ただ、不安なのはベトナム製ヘルメットのほとんどが世界的標準から見ると、それを遙かに下回るようで、在越のある知人などはわざわざ日本で買い求めたものを利用して凌いでいるそうだ。

01月10日(木) 銀行株 外国人割合の増枠を
*株式会社化された国営銀行の外国人株主割合を、ベトナム証券市場に外国資本を呼び込むために増枠させるべきだと、ベトナム金融投資家協会(VAFI)は提案した。同協会は現行、30%枠に収められている外国人株主法定限度割合を35~37%に増やすことを推薦すると、同協会のグエン・ホアン・ハイ事務局長はステートメントの中で指摘し、増枠は外国戦略的機関投資家へではなく、総ての個人・法人投資家に高い限度枠を与えるべきだと語った。「もし高い限度枠が承認されれば、ベトナム証券市場にとって外国人投資家を呼び込む良い機会となるばかりか、ローカル株式市場での質と量に厚みを増すことになるでしょう。」とハイ事務局長。

銀行株は外国人投資家にとって保有希望が高いものの、現在、上場しているサコム銀行(STB)とアジア商業銀行(ACB)の二行の枠は既に上限枠に達してしまっている。「外国人投資家は銀行株に乾きを覚えており、その枠を上げることは現況 動きの鈍い証券市場に活力を与えることになるでしょう。同時に、国内銀行が海外での上場に役立つことにもなると思います。海外での上場はベトナム証券市場が世界市場への統合の良い機会となるでしょう。」と事務局長は続けた。

外国人投資家枠を拡大することは、外国人投資家の支持が得られ、今後の証券システムの基盤と自治の向上を促すことに繋がるだろう。国家賞県委員会市場発展局のグエン・ソン局長は、今回の同協会からの提案を参考にするが直ぐさま実行に移す計画はないという。「WTOのコミットメントの下、ベトナムは、2010年までに外国人投資家のベトナム株式所有率の見直しを図り調整してゆきます。時が来れば監査機関は、市場開発に関与するための行動を起こすことになります。」とソン局長は結んだ。

(辛口寸評)
ベトナムでは外国人投資家の株式購入枠というのがあり、一般株は発行株式の49%までが、銀行株は30%までの限度枠が設けられている。
これは外国資本に株式会社化されたベトナム国営企業の経営権を乗っ取られないようにするための措置だが、どうもこれが足枷となり、ベトナム証券市場が今ひとつ軟調といった今回の論評だが、二行しかない銀行株枠を拡大したところで、果たしてどれほど市場にインパクトを与えるのか、僕は懐疑的に感じている。

これが、銀行株だけでなく一般株の枠も拡大ということになれば、既に多少の影響は出てくるだろうが、それにしても今後も、Sought afterな新規上場企業が市場に随時 参入してくることを思えば、一過的にはそれらが牽引役となって取引が活発になる可能性はあるものの、直ぐに調整し成らされるのがオチだろう。ましてや、人気の銀行株といっても、民間は別にして、ベトコンバンクなど元国営系大手は、かなりの不良債権を内に秘めているので、株価の実力は相場の半分以下と見て間違いない。この事は銀行株を買う際にカウントして置くと好いだろう。

01月11日(金) ベトナム人も高級外車がお好き
*数日前、2008年型最新モデルのロールスロイス・ファントムがホーチミン市のタンソンニャット国際空港に到着した。税込み価格で150万米ドルのこの車は、ベトナム一高額な自動車のタイトルを独占したのである。
この車を輸入したのは、自動車愛好家たちの間で有名な女性実業家で、彼女はBMWが好きで既に3台所有しており、亦、高価でエキゾチックな高級車を所有するためには金に糸目をつけないベトナムの高級自動車マニアのひとりでもある。

昨年12月中旬、推定価格23万米ドルの真っ赤なベントレーフライイングスパーが、ベトナム客に届けられた。この車は中古車だが、アメリカやイギリスでは珍しく、最も人々に求められている高級モデルなのだ。ベトナム統計局の調べでは、昨年、ベトナム人が28000台の輸入車に支払った額は記録的な5億2300万米ドルにも上り、2007年度の輸入車への派手な金遣いは対前年で223%に達しているという。そして、高級車の輸入に占める割合は、全輸入自動車のかなりのウェイトを占めるようになってきているとのこと。

アメリカ贅沢品研究所が年間20万米ドル以上を稼ぎ、個人資産500万米ドル以上の小富豪を対象にしたアンケート結果に拠ると、ロールスロイスはベントレーに次ぐ世界トップランクの高級車と考えられているそうで、それが現在、ベトナムに3台存在し、その一方でベントレーが20台、内14台がホーチミン市にあるという。

亦、ベトナムの富裕層はアストンマーチン、BMW、フェラーリ、ランボルギーニ、マセラッティ、メルセデス、そしてポルシェを含む贅沢なモデルを購入する傾向にあるそうだ。250台限定生産のランボルギーニ・ガラードSEの欧州での価格は207098米ドル。その249台目に作られたモデルが昨年11月にベトナムに持ち込まれている。

あるベトナム人実業家は、約40万米ドルの防弾装備のBMWを所有している。アウディーR8は、パリで開催されたモーターショー後の2007年に正式に国際市場に投入された。ドイツ国内でのその価格は約11万米ドルで、日産僅か15台しか生産出来ないものだという。

ところが、この車も販売開始直後、昨年9月中旬にベトナムに輸入されている。輸入高級自動車増加の背景のひとつの要因として輸入自動車関税の引き下げがある。ベトナムは2007年10月に60%に関税を引き下げた。それ以前8月までは70% 昨年上旬は80%だったものが段階的に引き下げられて行ったのである。

その理由としては、ベトナムに実業家を中心にした富裕層が増加してきたことにある。運輸省の最新統計に拠れば、ベトナムの総人口は現在8600万人で、自家用車量は110万台存在するという。「ポルシェ自動車は、ベトナムでの販売に高い可能性を見出しているメーカーです。」と言うのは、ベトナム・ポルシェのアンドレアス・クリンガー社長。

クリンガー氏曰く、2008年度には数十台の販売を目標とし、2009年の販売台数は前年の倍増を目指すと鼻息が荒い。「何分、ベトナム人は高級車購入に躊躇しません。ベトナムの道路の状況は高級スポーツカーにとって決して理想的なコンディションとは申せませんが、これら自動車のオーナーたちは、彼らの所有する高級車を通して、自身の成功と贅沢を誇示するんですよ。」と、クリンガー社長は結んだ。

(辛口寸評)
ついこの間まで、この国の自動車といえば、ロシア製やチェコ製、たまに1950年代のフランスのシトロエン辺りが、黒々とした排気ガスを撒き散らしながらたまに通りを見かけるほどでしかなかったが、この頃では最新のメルセデスやBMWなどは当たり前のように目にするようになった。しかもSクラスや7クラスを、、、

バイクの洪水の中で、いつ傷つけられても可笑しくない交通事情の中、ビクビクしながら高級車に乗りたくは無いが、それは僕がただの貧乏性ってことで、高級外車を乗り回すベトナムの人々は、きっと、そんな些細なことにいちいち気にしていないのだろう。

とはいえ、この様な層が誕生しつつあると云う話題のみで、ベトナムを構成する圧倒的大多数は貧しいままだ。ベトナムは経済発展進捗と共にますます高級外車が我が物顔で公道を走るようになるのだろうな~。取り敢えず僕には目の保養となるだけだが、、、(笑)

01月12日(土) 今が師走のベトナムと正月イベント
*新暦のお正月はベトナムの大都市でも人々から熱烈に歓迎されたのと同様に、今年2月7日の旧暦のお正月(テト)も人々から喜色満面で受け入れられることだろう。大晦日の2月6日夜には、2つの音楽ショーと色とりどりの打ち上げ花火で、ホーチミン市民の新春気分を盛り上げる予定で、現在、これらの主催者たちは準備に追われているところだ。

お祭り気分をもり立てる為、レズワン通り・ドンコイ通り、そしてレロイ通りなどには糸で吊された提灯の灯りで飾り付けが施される予定だという。2月5日から10日までの6日間、市中心部にあるグエンフエ通りでは、ベトナムがWTOに加盟初年度を紀年した色とりどりの花が咲き乱れる花市が開催されるとのこと。

グエンフエ通りは、ホーチミン大統領アプリコット花壇を含む3つのセクションに分けられ、主催者の管理委員会はライブ音楽の演奏や見学客の為の各種屋台を舗道に設置し食べ物を提供する予定だ。

100人以上の男優と女優が参加して繰り出される花車のパレードは、テトを祝うイベントのひとつとして2月10日行われる。亦、同日、一組の巨大バンチュン(正月に欠かせぬちまきのこと)を、新年の幸福・平和・安寧を象徴し展示なされるという。

今回、一連のテト祭に掛かる費用は約15億ドン(94万米ドル)は、ビナミルク・ペプシ・サイゴンツアー・マレーシアベルジャ社などの主要企業のスポンサーに拠って賄われ、約2億ドン(12万5千米ドル)が、チャリティーとして集められる予定だ。

(辛口寸評)
日本は正月も終わって、普段の生活に戻って久しい頃だと推測するが、ベトナムは旧暦を祝うため丁度、今ぐらいの時期からこの国の人々は旧正月テトに入るための準備をし出す。テトは、人々がそれぞれの田舎に帰省し、家族揃って新年を迎える一大行事で、子供から大人まで等しく待ち遠しく楽しみにしているものなのだ。

正月を迎えるために庶民の購買力は劇的に上昇するのもこの時期である。うちの会社も当然、その恩恵に与っており、今月だけで通常月の売上の4~5倍を稼ぎ出す。人々は師走そのものを今、味わっており正月に向けた忙しい時間を過ごしているのだ。さて、もう一働きするとしよう。

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2008/01/05

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第148号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成20年01月05日 土曜日 第148号
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■ こんにちは!!

    【恭賀新年】   

あけましておめでとうございます。
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
本年が皆さまにとって幸多き一年となりますよう祈念致して下ります。
旧年中に変わらぬご愛読のほど宜しくお願い致します。

いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その148 今週のヘッドライン

* 12月31日(月) 労働者輸出が人身売買に?!
* 01月01日(火) いつまでつづく低調なベトナム証券市場
* 01月02日(水) 偽造に罪悪感は存在せず
* 01月03日(木) 道ばたの食の安全
* 01月04日 (金)   上下のタイミングを巧みに掴め
* 01月05日 (土) 特殊改造車輌禁止措置延期

12月31日(月) 労働者輸出が人身売買に?!
*ダックラック省出身の三人の若者たちがホーチミン市に拠点を置く労働者輸出会社を相手取り、彼らを長時間労働を強い労働条件の悪いマレーシアの工場へ売り飛ばしたかどで非難している。彼らがベトナムに帰還したのは12月上旬で、彼らの家族が労働者輸出会社コピメックス社に対し、契約違約金として1140万ドン(約712米ドル)を支払ってからのことだったと三人のひとりチャン・ラム・ヴさんは話す。

ヴさんは、今も件の工場で悪条件下のもとで、家族からの違約金の支払いがなされない為、労働を強いられているベトナム人仲間がいるのだという。仲間を含めた四人は、それぞれこの5月にダックラック省労働輸出センターにマレーシアに出稼ぎに行くため、2100万ドン(約1310米ドル)支払い登録を済ませた。同センターは彼らをコピメックス社に仲介し、10月24日にからら四人はマレーシアに送られたのである。

マレーシアに到着すると彼らは、ジョホダルルタクジム省の工場に配置され、そこで彼らが工場に“買い取られ”、工場の総ての要求に応じるよう告げられたという。一日の休息時間は5~6時間しか与えられず、しかも食べ物は僅かで重労働を強いられたそうだ。ヴさんが、この状況を国元の家族に電話すると、彼らはコピメックス社にヴさんたちをベトナムに戻すよう要求したが、違約金の支払いを同社から求められたのだった。

ダックラック労働輸出センターのヴァン・ティ・レ・ズン副所長は、同センターはコピメックス社との合意書をもとに労働者の仲介を行っているに過ぎないというコメントを残している。

(辛口寸評)
コピメックス社と弊社とは若干の関わり合いがあって、この会社の社長と副社長には何度か仕事の話しをしたのだが、労働者輸出会社の多くが元国営企業系の中にあって、コピメックス社は純粋な民間企業からスタートして今に至っている。
二人とも至って温厚実直で、しかもビジネスの発想は完全に西側のそれを持つ。常に即断即決、故に業界でのしのぎも悪くない。ただ、未だ日本への研修生実績はない。

この業界で出だしから純粋な民間企業といえる会社は恐らく同社だけだろう。もちろん、昨年、外国で働くベトナム人労働者の管理に関する政令の改訂の結果、この業界にも民営化の波が巻き起こり、国営企業から民間に移行しつつあるのだが、それらは単に国営企業から“移行”しただけの看板の掛け替えにしか過ぎない。

恐らく、今回の事件はコピメックス社の成長をやっかむ同業他社の誹謗中傷だろう。それが証拠に、被害者とされる人たちの家族は“契約違約金”を支払っている。支払ったからこそ、ベトナムへ帰還できたのである。仮にヴ氏が売り飛ばされたというのなら、ベトナムに戻すようなことはせず、もっと手っ取り早く、インドネシア辺りへ密かに送り、島の缶詰工場で一生働かせるか、漁船の乗組員に仕立て、それでこちらの言うことを聞かなければ、海に捨てて一巻の終わりだろう。。。

01月01日(火) いつまでつづく低調なベトナム証券市場
*先週木曜日のホーチミン証券取引所での商いは2.62ポイント減少の921.75ポイントで取引を終えた。前日の水曜日にはベトコムバンクのIPOが行われ、最高落札価格25万ドン(約1785円)、最低落札価格は10万2銭ドン(約729円)だった。これを受けて証券投資家たちは、ベトナム商業銀行の中で牽引的役割を果たすベトコムバンクの低株価が、今後の市場を下げてゆくのではないかと心配の声が高まりつつある。

しかし、ベトキャピタル証券の証券アナリストは、低株価ではあるがそれはこれまで投資家が今回のIPOに備えて蓄えてきた資金が市場に環流することを意味すると指摘し、その資金は過去4ヶ月間に株価を急激に落とした株の購入に結びついてゆくだろうと語った。

木曜日のホーチミン市証券取引所の商いは、上場140社中53社が株価を落とし38社がそれを上げた。そして全体で560万株が売買され、売買総額は5400億ドン(3383万米ドル)だった。取扱いボリューム最高は712140株でサコムバンク、しかし、前日より500ドン安の65000ドン(約464円)で引けた。大資本金を持つペトロベトナム農薬化学社・タンタオ工業団地・ファーライ火力発電所・ホアファットグループ、そしてサイゴン証券らの株価は変わらずだった。

新規上場企業のリラマ10社・マイチャウ包装印刷社・サイゴン魚網社・トランシメックス社、そして第四水産加工社の僅かが最高上げ率の5%をマークしたに留まった。ミュートラルファンドのVF1とプルデンシャルの株価は、それぞれ前者が27300ドン(約195円)、後者が10500ドン(約75円)と下げ基調で終えている。

同日、ハノイ証券取引所のHaSTCインデックスは連続4セッション株価を落とし、5.57ポイント減少の317.96ポイントで取引を終えた。同市場上場企業の内、65社が株価を下げ、37社がそれを上げた、売買ボリュームは192万株で、2133億4千万ドン(約1336万米ドル)が取引された。

(辛口寸評)
年末に数億ドン突っ込んで、ここは“買い”とばかりに2007年最後の追い込みを指し値で掛けたものの、購入希望株の下落は意外としぶとく、結局、1000ドンの差で買えずに終わってしまった。とは言え、このところ軟調なベトナム証券市場において、仮に件の株が買えていたにしても、買えたら買えたで下げの心配を背負い込むことになるだけなので、寧ろ買えなくて好かったという気もしている。

優良銘柄は軒並み、好い業績を上げているにも拘わらず株価には繁栄されず、鳴り物入りで開催されたベトコムバンクのIPOも結果的に予想した通り、市場にインパクトを与えず、今、ベトナムの市場は全く灯りが見えない状況で、今後のポジションをどう取るのか思案のしどころだ。いずれにせよ、ナンピンで1月2日の大発会から、懲りもせず希望株を指してゆくだけだ。

01月02日(水) 偽造に罪悪感は存在せず?!
*先週、ダラットで開催されたミス・ベトナム人民美人コンテストの参加者の経歴詐称が発覚し、関係行政当局は現在、調査を進めているという。ホーチミン市からクメール人少数民族出身としてコンテストに参加したチュン・ティ・マイさん19歳とドー・ヴィエット・ホアイと呼ばれる男性は文化・スポーツ・観光省に対し、マイさんがクメール族ではなく本当は京族であること、併せて、コンテスト出場資格に必要な高校の卒業証書を偽造し、参加させたと告白した。

なぜこの様な経緯になったかというと、2007年11月に行われた別のコンテスト、ミス・ベトナム宝石コンテストが背景にある。
マイさんの母親がホアイさんに娘の高校卒業証書を偽造するように求めたが、一度は拒否したとホアイさん。そしてマイさんが実はクメールではなく京族であることを母親に告げたという。しかし、出場資格の卒業証書がないため、マイさんは結局、ミス・ベトナム宝石コンテストへは出場が適わなかったのである。

タンニエン新聞の記者はマイさん一家が住むホーチミン市フーニュアン区の人民委員会に赴き、彼女の公式記録を調査したところマイさんもその母親も京族であることが判明。ダラットのミス・ベトナム人民美人コンテストの主催者に拠ると、マイさんの参加申込書には2006年9月付けでホーチミン市教育課が発行した高校の卒業証書の写しが添付されており、今後も調べを続けて行くと述べた。

(辛口寸評)
マイさんの母親とホアイさんの痴情のもつれか、賞金の分け前でのトラブルか何があったのか具体的なコメントは何もない日本でなら三面記事ですら採り上げないような詰まらぬ記事だが、今日はベトナム人の偽造意識について書いてみたい。日本の場合、それが私文書だろうが公文書だろうが偽造行為そのものに対する罪の意識が重く、普通の感覚を持つ日本人なら先ず手を出さない犯罪だが、ここベトナムではそもそも偽造行為に対する罪の意識というものが存在しないのだ。曰く、“ばれたら運がなかったと思って諦める”的発想がベトナム人には根強い。

故に、通関用の書類なんか、当たり前に書き換えをするし役人側も、書類の辻褄があっていれば書き換えが判っていても、多少の“お小遣い”を渡せばすんなり手続きが捗って行くといった寸法。この間も、日本から数キロのある食品原料を取り寄せたのだが、サンプルで通関を通そうとしたのに薬事法の絡みで、ハノイの関係役所へ原料の申請を起こし、許可書を取らなければ通関させないと言われてしまった。

結局、取引のある乙仲にそれを振ったら、餅やは餅やである。なにやら書類を作って持ってきた。「これでサンプル取れます」と、早速、通関に行って貰うとたちどころに通関が切れ、待ちに待ったサンプルが届いた次第。かみさんに件の書面の内容を尋ねるとピシャリと一言「知らない方が良い」と言われてしまった。。。。

01月03日(木) 道ばたの食の安全
*食品の安全基準を満たしていない露天商(筆者注:主に屋台が、屋根もない規模、天秤棒移動商売)への罰金導入計画案は、実行不可能であると予想されている。ホーチミン市健康局は市内各通りで行商を行う露天商への食品安全免許を取得するか、或いは重い罰金を支払うよう求めているものの、多くの露天商はこの様な法令は知らないと首を傾げている。

同健康局では、2008年1月から食品安全基準の免許を携帯していない露天商は営業が出来なくなり、さもなくば1000~1500万ドン(約625~937米ドル)の罰金を課せられることになると発表した。
しかし、市内の主要道路で営業を行う露天商は、この様な規則は聞いたこともないとクレームを付けている。

ビンタン区のホアン・ホア・タム通りで販売を行っているチャン・ミン・ホンさんは、この法令の存在を教えられた際、驚愕したという。ホンさんの露天商仲間も、彼らの驚きを口にして、行政当局からは免許取得についての指導も何も受け取っていないと付け加えた。しかも、免許窓口がどこにあるのかさえも知らないと話す。この様な混乱が他の多くの市内の露天商たちを困惑させているのだ。

うどんを売り歩いているダオ・ヴァン・タンさんは、免許申請は喜んで行う積もりだが、肝心な点として行政当局は懇切に申請方法の仕方の教授を露天商たちに周知徹底させる必要があるのではと疑問を呈している。

先週、ホーチミン市で開かれた会議の席上、市内各区の健康局当局者たちは、今回の法令の徹底は困難が付きまとうだろうと口々に指摘した。彼ら当局者たちは露天商に免許を与えることで、補導での彼らの元々違法な商売にお墨付きを与えたものと勘違いされるのではないかと警告したのである。しかし、去る10月、ホーチミン市当局は、歩行者の邪魔になる違法行商を摘発し始めている。大多数の露天商の食品安全基準は極端に非衛生であるために、安全基準に合わないことに加え、免許取得費用が50万ドン(約32米ドル)は彼ら露天商にとって費用が高額すぎるのではないかと述べた。

市保健局食品安全管理事務所のフィン・レ・タイ・ホア所長は、低所得者層で構成される露天商への罰金額1000~1500万ドン(625~937米ドル)は高額すぎ、実行不可能な数字であると話す。
健康局のレ・チュン・ザン副局長は、この様な高いハードルを認めて局として解決を見当するため政府に報告すると述べた。先月開かれた会合で保健局が纏めた報告書に拠ると、ホーチミン市内で食品を提供している露天商のほとんどが、安全基準を満たしていないとし、総数は凡そ31000軒、この内7割が基準値に到達していないことが判明している。

ベトナム全体の3分の2の食品を製造するホーチミン市のこの統計は、大多数のベトナム人が、影響を受けることでもあると当局者を心配させている。保健局はひとまず、市内の企業・学校及び病院などの食堂で売られている食品に対しての安全を保障出来るよう素早い措置をとると約束し、労働者や学生、それに病人の食の安全を確保すると述べた。

(辛口寸評)
道ばたの食べ物屋、これほどベトナムらしさを感じさせる風景はないだろう。先進国から来た人にとって、衛生的な点で、今ひとつ積極的に食べる気にはならないが、それはさておき、味は大体どこでも外れなく美味いのである。美味いから不衛生で良いという積もりはないが、味については事実と断定する。馴染みのおばちゃんのところで、プラスチック製の風呂場にあるようなちっちゃい椅子に腰掛けホーティウ(ベトナム風ラーメン)を注文する。嬉しいのは注文して僅かな時間で直ぐにそれが出来上がることだ。

「あいよ!」と出来上がったそれをおばちゃんは、僕に手渡す。
それを受け取りながら、どんぶりのスープにおばちゃんの親指が浸かっているのをしっかり目撃にする。そして、おばちゃんと目が合う。
おばちゃんははにかみながら、「大丈夫!熱くないから」と微笑む。
まあこんな具合なので味は保障します。但し、ベトナムの露天で食事をするなら渡越経験二度目からにしましょうね(笑)

01月04日(金) 上下のタイミングを巧みに掴め
*ベトコムバンク9750万株の大型公開IPOが行われたにも拘わらず、それが市場に与えた影響は低く、その先行き不透明感に影を落とすものとなった。このIPOに先立ち証券アナリストら一株辺りの落札価格を14~15万株(約8.75~9.38米ドル)と予測していたが、しかし結果は108000ドン(6.70米ドル)と遙かに予想を下回る数字になってしまった。亦、アナリストらは仮にベトコムバンク株の売れ行きが芳しくなければ、証券市場全体の動きも鈍化し、急激な下落基調に見舞われるであろうと予測していた。とは言え、ベトコムバンクのIPOが実施された同じ日、ホーチミン市証券取引所のインデックスは6ポイント増加し、その翌日に2.62ポイント下落した。

それにも拘わらず市場には楽観論が広がりを見せている。IPOの結果が10万ドン周辺の発表があった直ぐ後で、他の上場株価の多くが調整に入った為、更なる調整は考えにくいこと。それに今回のIPOに参加したほとんどの投資家が長期保有を念頭に考えており、他の保有株を売却し、ベトコムバンクの競売に参加した人々ではないこと。亦、今回のIPOで惜しくも購入できなかった投資家の資金は他の上場株に流れることなどが、市場に明るさをもたらしているのだ。

各銀行が取引の為の融資を大量に行うことになれば、2008年第一四半期に現状、パッとしない証券市場も加熱を取り戻すことになるだろう。ベトナム中央銀行の各商業銀行への証券ローン購入費用の貸付限度3%のせいで、それらの銀行はいずれも貸付資金を減少させなければならなかった。一方、投資家たちは彼らの負債を減らすために株の購入より売却を優先させなければならなかった。各商業銀行はこのところ資本金額の増加に伴い融資額も拡大してきている。結果的に、これら資金が証券市場に投入されることになるだろう。

(辛口寸評)
ベトナムの証券取引所の大発会があった2008年1月2日の結果は、ホーチミン市が前年納会の結果から5.95ポイント(0.64%)下げ921.07ポイントの下落、ハノイ市も1.21ポイント(0.37%)下げ322.34ポイントの小幅な下落で取引を終えた。ご祝儀相場で、仕事始めくらいは明るく上げて欲しいものだが、そうは問屋が卸すはずもなく、結局やっきょくベトナムの正月は旧正月なのだと割り切るしかない。実は年末納会日に数億ドンを投入したことは前の寸評でも触れ、買えなかったと書いた。ところが、2日の朝になって証券会社の担当ブローカーから、「買えた」と一通のメールが舞い込んだ。

納会日、目的株は途中、指し値に嵌ったものの、直ぐに反発した為、指し値より1000ドン高い株価で終えたため、約定しなかったものと諦めていたのだ。早速、当日の株価をネットで調べてみると、底値で買えた喜びも束の間、2000ドン下げで取引が進んでいた。最終的に3000ドン下げて取引を終えたものの、ガックリだった。そうとは言え、株の世界、所詮、上下の動きだけだ。これまでの保有株と共に、上昇基調に転ずるまで手堅くホールドを決め込もう!

01月05日(土)  特殊改造車輌禁止措置延期
*ホーチミン市人民委員会政府は、物議を醸し出している改造三輪車及び四輪車市内通行禁止措置をこれらの運転手らが新しい仕事を見つけるまでの期間を設け、7月まで延期することを決定した。
しかしながら、これらの特殊車輌が公道を走れるのは夜間のみに限るとの条件付きとなった。この条例は、市の条例局と執行機関との間の緊急会合で決議され、そして禁止が全国的に実施される元旦になる数時間前に今回の修正を決定した。この禁止措置が施行されることにより、市内でこれらシクロを含む特殊車輌を用い生計を立てている6万人の運転手が影響を被ることとなる。

加えて、これらの車輌がこれまで市民に提供してきたゴミ収集作業や食品や野菜販売、そして荷物の輸送業務など便利な庶民の暮らしに役立ってきたサービスが終焉を迎え、少なからず庶民生活に影響を与えることとなろう。

社会政治団体傘下祖国戦線ホーチミン支部のレ・ヒユ・ダン副支部長は、今回の延期決定は貧しい人たちにテトを後にしてじっくり新しい仕事を見つけるために必要な措置だという。亦、ホーチミン市人民委員会政府決定は、やがて失業するこれら特殊車輌の運転手たちへの金銭的支援をするよう公的関係機関に指示した。

今回の特殊車輌禁止に関する人民委員会決定は6ヶ月前にその触れを出したというが、ダン副支部長曰く、この条例の関係組織はことごとく市行政当局に対し計画を事前に公表してこなかったと憤る。「いくつかの関係組織は全く無責任で、社会的なインパクトを理解出来ず、人々の懸念事項に対し無関心でした。私はこれら組織の非難決議を提案します。」とダン副支部長。

ビンタン区で民間のゴミ収集を請け負う組織のタ・ヴァン・クアン副長は、彼の組織ではビンタン区人民委員会へ何度も陳情や要望などの手紙を送ったが、一通も返事が来なかったという。同副長は、一ヶ月ゴミ収集を1万ドン(約0.62米ドル)で請け負う組織メンバーは貧しい人々で構成されていると訴える。亦、3人乗りの特殊車輌は市内の細い通りを動き回りゴミ収集に適した最適の輸送手段だと副長は付け加えた。

副長の組織には現在220台の特殊車輌と500名のスタッフを擁し、ビンタン区で毎日生じる200トンのゴミの収集を行っている。ある住民は先週、特殊車輌の廃止は通りを美しくするのに役立つと話す一方で、ゴミ収集に関してしっかりとした計画を立てなければ各世帯はゴミの処理に悩まされ、公害のもととなるだろうと語った。市の決定ではこれら特殊車輌の運用は今後7月30日迄の間、午後10時から午前4時の間 許可される。亦、例外的にゴミ収集車については2時間余計に午前6時まで許可される。しかし、免許や書類のない特殊車輌の使用は2月までとなる。

(辛口寸評)
ベトナムの街の風景に長く融け込んできた改造三輪車や四輪車が、いよいよその姿を消すことが決まった。なんとも残念だが、これも時代の移ろいの中で、バイクや自動車が公道を占め、安全面を考えるとき、やはり時代にそぐわなくなって来ているのは事実だし、粛々と受け入れられるべきであろう。しかし、狭い裏道や路地が縦横無尽に走るホーチミン市内において、自動車が通れない、これらの道を特殊車輌がカバーして来た側面は否めない。

ゴミ収集にしてもそうだ。この辺りを熟慮した上で、実際の行動に移さないと条例の施行後、市民生活に麻痺を起こすことになりかねない。ベトナム人は一般的に上も下も実力以上に見栄を張るところがあり、確かに特殊車輌は役所のお偉方にとって目障りだけな存在かも知れないが、実態をよくよく把握し、検討した上で、条例に踏み切るべきだと思う。7月に実施延期になったとはいえ、僕の予想は以前のヘルメット着用と同様、正式に条例として施行されるまでに、今後 2年くらいは掛かると踏んでいる。

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2008/01/01

2008年のご挨拶!ブログで年頭の小さな抱負!

2008年、新年を迎えました。皆様、今年も、よろしくお願い申し上げます!

Ino37何の取り柄もない「コラコラコラム」ですが、今年も、できれば鋭く鈍くオチャラケにならないよう、気を遣いながら(どこが!?)、テキトォ~に品位を保ち、政治的に危ないテーマも非難されない程度に丸めながら、イロイロ、モノを申し述べたく願っています。

ナンで、ネズミ年にネコ?捕まえキャット!チュウとこですかねぇ~!

国内報道への異論・推論・邪論はもとより、「行間」をお読み頂く楽しみを(勝手に)提供し続けたく存じます。まったく、独善的で一方的です!かなり際どい点もあります。Blogを軽くあしらわれない方がよいと思います。勝手に拡がっていきますから。

「コラコラコラム」は、ベトナム報道ではガンバリます。様々なニュース提供者やソースがありますから。しかし、際どいことはやりません。充分に自らの立場を辨えていますから。

「コラコラコラム」は、パキスタン報道でもガンバリます。こちらも様々な立場のニュースソースを抱えています。高度な立場のニュース提供者とのコネクションも保持していますから、引き続きガンバリます。しかしながら、裏付けがとれそうにないネタは扱いません。また、先行しても「コラコラコラム」は報道機関ではありませんから、報道された既報ネタを裏付けとして活用させて頂きます(保険をかけているワケです)。

ご期待(されてないかも)の、パレスチナ報道は、唯一の友人(パレスチナ人)との連絡が途絶え1年以上になります。かと言ってノコノコ出かける時間も資金も持ち合わせていない事もあり、手つかず状態です。おそらく今年も続きます!

永田町界隈の衆参両議院議員や、霞ヶ関界隈のお手空きの皆様の時間慰みに、強く協力申し上げる狙いから、今年も、政治家カラカイネタを連発したいと考えています。いつもの調子で、お名前を軽くあしらわせて頂きたく、この方面は、結構な人気を博しているようですから、強く正しく扱わせて頂きます。レベルはオレンジペーパーのレベルでやります。海外にお住まいの友人知人を始め、お目にかかった事もない多くの皆様のご期待に沿うかどうか全く自信はありませんが、できるだけ、永田町や霞ヶ関の皆々様のご期待にも沿えるよう、努力邁進日々精進致します。ナン中(チュゥ)ても、アナタ「温故創新」ですからねぇ~!エライ時代ですねぇ~!孔子も格子の中で・・・・・・・!?

とかナンとか、文字数を稼ぎましたので、2008年第一本目はこの辺りで止めます。

それでは、皆様、2008年も「コラコラコラム」をよろしく、お願い申し上げます!殊勝にもお願い申し上げる次第です。

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2007/12/29

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第147号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年12月29日 土曜日 第147号
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■ こんにちは!!

いつもお世話になっておりますベトナムからニャットアインです。

年末のご挨拶
読者の皆々さま 本年も週刊ベトナムニュースをご購読頂きまして誠に有り難うございました。

2007年は間もなく暮れゆきますが、
来る2008年が皆さまにとって素敵な一年となりますよう願っております。
来年もどうぞ宜しくお願いします。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その147 今週のヘッドライン

* 12月24日(月) 国内初ヴィエトジェット航空営業認可
* 12月25日(火) 海外送金増加の一途を辿る
* 12月26日(水) ヘルメット着用義務から早10日
* 12月27日(木) メコンデルタのホスピタリティー
* 12月28日 (金)   屋外広告需要増大と規制緩和
* 12月29日 (土)  物価高騰がテト前に家計圧迫

12月24日(月)  国内初ヴィエトジェット航空営業認可
*ヴィエトジェット合資会社(Viet Jet Air)は、ベトナム初の民間航空会社となり、12月20日、正式に営業許可を認可された。資本金6000億ドンで、ヴィエトジェット航空の創業株主にはT&Cグループ、Sovicoグループ、住宅開発銀行などが含まれている。

ヴィエトジェット航空初の商業フライトは2009年上旬を予定しており、ホーチミン・ハノイ間及びホーチミン・ダナン間を就航させることになるという。同社は、近距離の香港・バンコク・シンガポール等への国際航空便の就航も目指しており、現在、認可待ちの状況だ。

ホー・ギア・ズン運輸相曰く、今年、航空産業の成長は20%増加し、ヴィエトジェット航空の誕生は航空業界の発展と競争力の強化に基づく民間セクターを奨励する政府戦略の一環であるとする。

同社、ロバート・ヒューズ常務は、航空業界は、ベトナムの経済発展と観光需要の増大で今後数年の間に急速な発展を遂げることになるだろうと語る。「これらの有益な機会を鑑み、ヴィエトジェット航空は、2009年上旬の戦略的営業計画を既に詰めており、国内市場に於ける我が社の確固たる足場を築いてゆく積もりで、亦、チケットの販売チャンネルも直接・間接を含み開拓をする一方で、5割はネット販売を進化させて行きます。」と、同常務。

ヴィエトジェット航空は、搭乗客の安全確保からボーイング737かエアバスA320の機材を使用する。グエン・ドック・タム社長は、航空安全の世界基準を満たす専門技術チームを育成を確実なものにするため、ヴィエトジェット航空は海外人的資源の活用も行って行くと語った。

(辛口寸評)
ベトナム航空、独占上の国内航空市場で、新しく民間航空会社が生まれる話題は暗闇の先に僅かに灯ったロウソクの明かりにも似ている。ベトナム航空は昨今、機材も新しいものを次々と導入し、就航路線も増やしハード面での拡充に努めている。その姿勢は評価に値するものの、肝心のソフト面でハードに追いつかないでいる。

その最たるものはエアーホステスやパーサーの態度である。今もお上意識で“乗せてやっている”式の感覚があるのだろうか、接客サービスはお粗末を通り越して、怒りさえ生じさせる。国内線でも地方へ飛ぶ場合、ベトナム航空に変わるキャリアがないので、結局諦めるしか手だてはないが、出来ることなら使いたくない。

さて、今回、ヴィエトジェット航空が再来年にも商業運行を開始するという。ガリバーである数々の利権が絡み合うベトナム航空を向こうに回して、どれだけ健闘出来るか未知数だが、同社の登場が、ベトナム航空業界に一石を投じ、消費者に利益が還元されるようになって欲しいものである。

12月25日(火) 海外送金増加の一途を辿る
*外国に暮らすベトナム人の祖国への送金額合計は今年50億米ドル以上となり、前年度より3億米ドル増加し、これを受けて機転の利いたベトナムの金融機関は送金受入サービス業務の拡充に乗り出す。ベトナム商工銀行海外送金課(Incombank)のグエン・ティ・ホン・ヴァン課長補佐は、彼女の銀行では地方への送金サービス業務の拡大を進めているところだという。亦、同行ではATMネットワークを利用した外国送金のシステム開発を推進中とのこと。

ベトナム国内に4000軒以上の窓口カウンターを持つウエスタンユニオンは、8月に労働傷病兵社会省海外輸出労働局と海外労働者が祖国へ送金援助に同意書に署名した。同社は亦、インターネットでの送金を可能にさせるためのプログラムを系列会社と共に開発中である他、旧正月プログラムを完成させたばかりでホリデーシーズンへ向けた外国からの送金に対応させるという。近年、アジア各地や中東諸国からの送金額はベトナム人労働者の増加と共に、急速に殖えて来ているとウェスタンユニオンのデータは示す。
現在、アジア・中東諸国で働くベトナム人は8~10万人と見られ、その大半が定期的に祖国への送金を行っている。

サイゴン商業合資銀行送金代行会社サコムレックス社を通じ扱われた2007年一年間の金額9億3000万米ドルのほとんどは不動産や株式市場に投入されたと同社グエン・フー・タム社長は語る。
送金顧客の動向に拠れば、送金業務に関し国営銀行より民間銀行のサービスが優れていると顧客は考える一方、国営銀行は海外決済業務に長けていると見ていることが判る。この差は、国営銀行の送金業務に関する海外ネットワーク作りが民間銀行に立ち後れから生じるものだ。加えて、国営銀行は送金元のチェックが厳しく時間が掛かることにも原因の一端がある。

統計局に拠れば、過去16年間で祖国ベトナムに送金された海外送金は平均37%も増加しており、1991年に僅か3500万米ドルだったものが、2007年11月には294億米ドルに達している。ベトナム政府は国内から出金される外貨についての開示を強く求める一方で、国内に入金される外貨に関しては寛大で、しかも定期的に入金される送金に対しての課税もない。海外送金がなされる主な国はベトナム系住民の多く住むアメリカ・カナダ・オーストラリア・ヨーロッパ、そして台湾などがある。

(辛口寸評)
海外に暮らすベトナム人、所謂“越僑”といわれる人たちは現在、200万人とも300万人ともいわれている。その多くが、現体制の共産党との政治的な対立をきっかけにアメリカやオーストラリア、フランスなどに新天地を求め、祖国を離れて行った人たちだ。これらの人々からベトナムで暮らす家族や親戚の元に送られてくる送金が長く主流を占めてきたが、近年、ベトナムの経済が高まりを見せると、アジア諸国や中東諸国へ出稼ぎで働くベトナム人の数が急激に増加し、いわば“新越僑”とも呼べる人たちが誕生し、ベトナム送金層の新たな担い手を構成するようになったのである。

不動産市場や株式市場の整備はベトナム経済を急激に押し上げると共に、ベトナムに残る身内を最前線の先兵として越僑たちは共闘を組み、金融市場からの利殖を目指し、ベトナムへの海外送金は更にその額を高め、スピードを速めていったのである。
結果的に僅か16年余りの間に送金規模が840倍にまで膨れ上がったわけだ。とは言え、実際の高まりは10年前の第一回不動産バブル、そして昨年の証券バブル、そして現在の第二回不動産バブルといった段階でその都度、要所要所のタイミング毎に数字を伸ばして来たのが実態である。

12月26日(水) ヘルメット着用義務から早10日
*ヘルメット着用が完全義務化となって早10日、ハノイ公安当局は市内の99%以上のライダーが、それを遵守していると試算した。この風景は何も大都市だけに限ったものではなく、タンカウと呼ばれるマフラーで頭を覆う伝統を持ち、その為、頑なにヘルメット着用を拒否してきた少数民族のタイ族やモン族女性たちも自ら交通環境に適合させ、これまでの習慣から脱却し、それを被るようになった。

北部ソンラ省チエンアンに住むタイ族女性ロ・ティ・カンさんはタンカウを被ることはつまり美と健康の象徴のみならず、既婚か否かを他者に報せる為の役割を担っており、その着用はその女性が亭主に対し従順で忠実である証なのだと話す。タイ族女性が、タンカウを外す時は彼女らの亭主が亡くなりその喪に服す間でしかない。しかし、これらの女性たちも先週、バイクを運転する際はヘルメット着用することに同意したのである。バイクを降りれば、亦、タンカウを被るのだ。

「私たちは面倒ですがヘルメットを被りバイクに乗ることを同意しました。交通安全には変えられませんから。」と話すのはソンラ省モックバイ区ロンルオング村在住、モン族女性のテン・ティ・ドーさん。「巻き髪はモン族の女性にとって美の象徴です。いくつもの世代間を継ぐ中で、モン族の若者は髪の長い女性を娶ると金持ちで豊に慣れると信じ、それが女性の美しさの基準と考えて来たのです。昨年、バイクを購入したとき、ヘルメット着用なんて考えもしませんでした。何故なら、美しくないからです。でも、最終的に今ではそれを被るようになりました。」とドーさん。

“あなたの人生を守ることは民族のアイデンティティーを保持に繋がる!”の合い言葉はソンラ省行政当局が人々にヘルメット着用を奨励するキャッチフレーズとして呼び掛けたものである。同省公安当局交通安全警察官のルトコル・ホアン・フック氏は、少数民族のアイデンティティーと彼らの文化・習慣にはかなり気を遣ったと話す。「少数民族の文化・習慣を維持するのはとても重要です。
しかし、命を守る為のヘルメット着用はなされなければなりません。
その着用が誰かの文化的アイデンティティーの美しさを損なうものではなく、そのアイデンティティーを保持する“その人”を守るものなのです。」とフック氏。

さて、大都市に戻ってみよう。郊外居住者の何人かはヘルメットを着用しつつも、きちんとホックをかっていない人が見受けられた。これは単純に警察官の目を誤魔化す為だけに着用している、そんな感じだった。亦、警察官が視覚に入ってきた時だけヘルメットを被り、それが視界から遠ざかると外してしまう人々も見られた。
バカバカしくて愚かな行為といえる。ヘルメット着用は警察の検挙を恐れてすることではなくて、交通事故から我が身を守る為のものなのだ。ヘルメット未着用で罰金を支払った人々は、ヘルメットに関する法律が実際何の為に作られたのかを十分に理解すべきなのだ。

ヘルメット着用義務化が始まった最初の三日間のハノイ市で、5676名のライダーが警察に停められ、罰金を支払った。これらほとんどが同乗者のヘルメット未着用が原因だった。ホーチミン市では同様に三日間で2300件の摘発があったという。道路鉄道公安部に拠れば、ヘルメット着用義務化が始まり最初の数日間で罰金を課せられた人々の数はベトナム全土で約25000人近くにのぼり、これは国内ライダー総数の1%弱になるという。99%の遵守率を得たことは即ち、さい先の良いスタートを切れたことを意味するが、反面、各交差点に配置した警察官らの陣頭指揮に拠る指導が功を奏したともいえるだろう。

長期間に渡り人々は99%の遵守率を維持出来るでしょうか?
亦、罰金の恐れをなくしても人々は自発的にこの法律に従うでしょうか?「今日、誰でもが規則に従います。人々は、そうすることが当然と考えているからです。ですから今後とも高い遵守率を維持して行くでしょう。この法が施行される前、バイクの運転時、人々は安全を確証出来ませんでしたが、今ではヘルメット着用で安心できているはずで、故に今後ともその着用は継続して行くと考えるわけです。」とフランス・トールズ市から来たコンサルタント、フィリップ・ブロウリア氏は語る。

(辛口寸評)
ヘルメット着用義務化が施行された12月15日、僕は朝から自動車の中で市内を回っていた。午前中、時折、ヘルメット未着用のライダーが散見されたが、午後になるとその影は潜め、髪の毛が見られるのは自転車か電気自転車に跨ったサイクリストだけになっていた。軒下に吊されて販売しているヘルメットに人々が群がって、我先にそれを買い求める姿が至るところで見受けられた。きっと、通りを行くライダーたちの着用率に度肝を抜かれ、いそいそと手に入れた人々だろう。

ここへ来て、巷に溢れたヘルメットも供給過多に陥り、現在は安売り競争となっている。3~5割引は当たり前で、中には損保会社でバイクの任意保険に加入するとヘルメットを貰えるなんてキャンペーンも現れたそうだ。ヘルメット導入前、その平均価格が10万ドン(約670円)を越えることから、都市部に住む富裕層にとって何ともない金額であっても地方の貧しい世帯では5日分の生活費に相当するので、貧乏人の事情を無視した悪法と罵られたのもだが、10万ドンと命の重み、どちらが重いかは明々白々。出掛けるときは、忘れずに。。。。

12月27日(木) メコンデルタのホスピタリティー
*木製のテーブルに置かれたロウソクからこぼれる仄かな灯の明かりが、この二人にはちょうど良い。男と女、二人のオーストラリア人は抱き合いながら突然、子供のように泣き出した。二人の短期滞在先のご主人タンさんは、何か間違いでもあったのか、心配になり急いで二人の元へ駆け寄って行った。そして二人は、明日、この素敵でのどかな場所を去らなくてはならず、今回のここでの滞在経験は自分たちが期待した以上の結果を生んだとタンさんに告げたのだった。

外国人観光客がメコンデルタの農家にホームステイをし、地元の農家と共に生活した経験から生まれた話しだ。彼らはホストファミリーと共に暮らし、農家を手伝ったり食事を一緒に拵えたりする機会を得る。

前出のタンさんは私に先の二人のオーストラリア人カップルの話を聞かせ、そして外国人観光客に魅力的なツアーを設定するのは簡単ではないことや、彼らを迎える為に本を読んだりインターネットから外国人のそれぞれの国のライフスタイル等の情報を事前に沢山仕入れ、彼らに何が必要で、どう感じ考えるのか、或いは年代に拠るテイストの違いなど理解することが大切だと付け足した。

「如何にして例の二人に印象づける場所を創造し提供出来るかが、私の課題でした。彼らは私の家に一週間滞在し、メコンデルタで暮らす人々のライフスタイルを学習しました。」とタンさん。

ゲストとの意志の疎通やよりよいお世話を提供するために、多くの農家が英会話を学んだという。例えば、そのひとりヴォ・タン・ズンさんの場合、彼はベンチェ省カウタン区のいちご畑を経営しているのだが、その名刺は英語で書かれている。書かれている内容は、いちご畑・ランチ・果物・蜂蜜・伝統音楽・ホームステイといった案配。ズンさん曰く、以前と比べ観光業は急速に変化を遂げつつあり、その変化について行けなければ機会を大きく損なってしまう。WTOにベトナムが加盟した今、我々自身も変貌を遂げるべきなのだと訴える。

別のホストファミリー出フンフー果樹園を経営するリイ・タン・ファットさんは、農民は外国人ゲストと意志の疎通を図るため今こそ英会話を学習しなければならないと力説する。その一方で外国人と交わることで文化・習慣などの違いに触れ、世界の見聞を広げる機会を増やすことに繋がると話す。

ベトナム国家観光局からメコンデルタの観光旅行実態調査の依頼を受けているテーヘチェ旅行社マネージャーのチャン・テエ・ズンさんは、農家の人々は観光客の需要に合わせた対応が可能だと話す。ズンさん自身、農業文化を学習する博士課程の学生として、観光客と取引する農民の知識の豊富さに驚かされるという。
彼らが作る土産物品は安価で単純なものでしかないが、しかし、外国人客はそのようなものこそ好むのである。そればかりか、去りゆくゲストに対しどうしたら感動的に別れが出来るかも農民たちは心得ており、川の桟橋まで彼らを見送りに行ったりするのだ。

仮に農民の農場や果樹園などがハードウェアとしたならば、農民たちはゲストらを魅了するためのソフトウェアをどのように設計すべきかを知っている。ティエンザン省タイソン5観光エリアのオーナーは、観光客が彼ら自身のスープに入れる野菜を摘み取る為の観光農園を運営している。亦、カウタン区の別の農民フックさんは蜂を飼育している。ここではゲストに蜂蜜入りのワインやレモネードが振る舞われたりするのみならず、彼自身がゲストに蜂の育て方や蜂蜜の販売方法などを教えるのだ。

ヴィンロン省タムビン区のタムベ農場へやってくるゲストはカヌー、釣り、ケーキを作るために必要なバナナの葉切り、それに焼きめしから作るお酒の作り方、或いは竹製のベットで眠る等のオプションに参加することが出来る。ベンチェー省でグリーンパメロを経営するダン・ヴァン・ローさんは殺虫剤を使用せずに栽培する多用な野菜・果物の育成法により観光客を惹き付けているのだという。

(辛口寸評)
ベトナムの観光資源は、少しずつそのボリュームと内容を充実させてきているようではあるが、年々急速な拡大を見せる観光客需要にまだまだ追いついてはいない。それ以前に客室提供数が圧倒的に不足する現状、この事が端的にベトナムの資源不足を端的に表しているといえよう。とは言え、インターネットの出現に拠り、ハード面での立ち後れをよそに、ソフト面で観光業に従事する人たちは、迎えるゲストの為に何が必要で、何を提供することが重要なのかを理解し、遅れたハードを補えるようになった。

何も高級リゾートホテルに滞在するだけが、ベトナムの旅のスタイルでもなかろう。亦、観光業とは本来、一見客の多寡で競うものではなく、如何にリピーターを増やすかにある。そんな客層を取り込むために、メコンデルタでのこの取り組みは、ベトナムのみならず、世界の至るところで普遍性を持つ観光業の実験例なのかも知れない。

12月28日(金) 屋外広告需要増大と規制緩和
*ホーチミン市民は外出を好み、広告業者は人々の出掛ける先々に広告を設けるようになってきている。好景気に沸く、ホーチミン市はベトナム一の屋外広告市場を形成するに至り、700万人の人々が暮らすとされる市民は昨今の驚くほどの経済成長を日々身近に感じるようになった。ベトナム全体の国民総生産の2割をホーチミン市経済が賄い、今年の成長率は12.5%と見られている。

立て看板やショッピングモール・空港内、その他の屋内施設などに出される屋外宣伝広告の需要は、ホーチミン市の経済成長のペースに合わせて順調な伸びを見せている。ホーチミン市民の外出好きのリサーチ結果を公に発表したTNSベトナム社に拠って行われた調査に拠れば屋外宣伝広告費は年間10億米ドルでベトナム全体宣伝広告費の20%を占める。

ホーチミン市の広告業者はその宣伝媒体に伝統的な手法である立て看板・バス停広告・ベンチ広告・タクシー車内広告などを利用する傾向が強い一方で、最新技術の液晶ワイド画面やホロビジョンを用い空中に立体映像を映し出す三次元イメージの投影させたりする。しかしながら、地元広告代理店は急速な地元にサービスの提供が追いつかない有様だ。

亦、彼らは市の行政当局に対し、広告行政の改革と屋外広告に規則の明確化と簡潔かを呼び掛けた。事実、ダットヴィエット社屋外広告マネージャーのズオン・フイ氏は、地元広告代理店の作品やサービスは直ぐに完売してしまうという。長年、一般道や高速道路脇に掲げられている立て看板はベトナムにおいて人気の広告手法で、需要が高く供給量を遙かに凌いでいるのだ。立て看板の年間費用は、3万米ドルから8万米ドルになるのだが、ホーチミン市内では市の規則により掲載場所が限られてしまう。

年間7千米ドルから1万米ドルのバス停広告も人気の広告媒体のひとつだ。毎日、ホーチミン市民が利用する市内のバス停は1350カ所で、通りすがりの多くの人の目にも触れる。富裕層の顧客獲得を意識し、ハイテクを駆使した宣伝方法も最近では広がりを見せつつある。ゴールドサン・フォーカス・メディア社は最近 1500個のワイド液晶ディスプレイをオフィスビルやショッピングモールに設置した。
米系広告会社のヴィナスター社は昨年、携帯・着用可能で双方向性のメディア媒体のピクサムを導入し、ナムティエン社は、先月、広告市場にホロビジョン技術を導入したばかりだ。しかし、これらの新技術が根付くまでには今暫く時間が必要と業界関係者は見ている。

増大し続ける広告需要に対応するため、広告業界はホーチミン市行政当局の広告行政に関する規約の改訂を呼び掛けた。行政当局の業界に対する長期計画は不明瞭であり、それを是正しない限り主要投資案件決定の阻害要因になっているという。規則A2003は、市内の公共交通機関への広告宣伝を如何なる形態も認めておらず、そのことが屋外広告に制限を与えている。中央政府の2001年に決議された広告宣伝規約には規則A2003にあるような制限は設けられていないにも関わらずだ。

シンガポールのほとんどの公共交通機関には広告が載せられていると指摘するのは、ホーチミン市広告宣伝協会のグエン・クイ・カップ会長。「ハノイ市では最近、バスへの広告が再導入され、多くの広告主に受け入れられたものの、ホーチミン市では今も導入には至っていないのです。ホーチミン市での公共交通機関の広告はとても魅力的で、数千台にも及ぶ公共バスが毎日大勢の乗客を運んでいるのです。

液晶ディスプレイ広告のスペースに掛かる費用が年間10億ドン(約62500米ドル)ですから、バスへの広告料がいくらになるのか言うまでもありません。今後5年間でホーチミン市は更に大きな成長を遂げ、屋外広告用スペースや場所の需要は伸びるでしょう。その為には市の行政当局が開かれた政策を行うことが肝要なのです。」とカップ会長は結んだ。

(辛口寸評)
一歩外に出れば至るところに広告が掲載されており、広告を見ることなく外出することなどあり得ない環境が整っている。余りにも多すぎるため、せっかくの広告も周囲に埋没してしまい本当にそれが機能しているかは甚だ疑問だが、市内のシンボル的な場所を飾るそれはその範疇には当てはまらないだろう。前回、記事で採り上げたベンタイン市場の屋根の部分にも6年ほど前から企業各社の広告が貼り出されて来たが、最近、これが綺麗に外されてしまった。理由は不明だけど、個人的には昔の風景が戻ったのみならず、それの広告はホーチミン市のシンボルを汚すものだと考えていたので、すっきりさっぱりと垢を落ちたように清々しく見られ嬉しい。
多分、看板が市場から撤去された理由はそこにあるように思っている。

ところで、ベトナムへ来て暫く暮らしたことがある方なら、ベトナムの扉や家の壁に電話番号がベタベタとスタンプのように押されている風景を目にしたことがあるだろう。実は、これも広告の一種なのだが、一見、電話番号だけなので、広告主の業種は判らないのだが、これらは全て街金の広告なのだ。以前は、固定電話番号だったが、この頃では時代も移り全て携帯電話番号に様変わりしている。ベトナムの広告の中で、最も影響力のある広告が政府のプロパガンダが描かれた立て看板だが、その次に位置している広告が、この街金広告ではないかと勝手に僕自身は考えているのだが。

12月29日(土) 物価高騰がテト前に家計圧迫
*テト(旧正月)での豪華な食事やプレゼントに慣れている多くのベトナム人たちも、今年ばかりは来るべきテトでの出費の財布のヒモは固くなりつつあるようだ。若い母親のグエン・ミン・ホアさんもそんな考えを持つ消費者のひとりだ。来年1月1日からベトナムの最低法定賃金が15%上昇となるものの、物価高が断続的に進む昨今、そのことが彼女の心配を減らす要因にはならない。

ホアビン精糖社ハノイ事務所で経理として働く彼女のご主人の稼ぎは約400万ドン(240米ドル)で、この収入は平均から見れば他者と比べて決して低いわけではない。しかし、二人の子供の教育費、食費、医療費、その他の必需品の手当でお金に羽根が生えたように飛んでいってしまうのが実情だ。「サラリーが上がっても、その分、物価が上がってしまえば意味がありません。」とホアさん。

ベトナム政府は生活物資の輸入税を減少させ必至に価格統制と管理を試みているものの物価は上昇し続け、結果的に多くの主婦たちがホアさん同様のジレンマに陥らせるのだ。5リットルの食用油の価格は12万ドン(約7.5米ドル)で、今年初めの価格から30%も上昇した。標準的な世帯で使用されるガスの価格も1ボンベ辺り、数ヶ月前と比較すると4万ドン(2.5米ドル)上昇している。

タンスアン区で食品販売業を営むグエン・ティ・トウさんは、豚肉価格が今年初めと比べると50%上昇したという。ガソリン代の値上げが直ぐに豚肉価格に影響を与え、先週100キロ280万ドン(175米ドル)だったそれが今週は、370万ドン(231米ドル)まで高騰しているとトウさん。ですから、今では多くのベトナムの人々は「価格くん、おいらのサラリーが上がるまで値上げは待っておくれ!」などと冗句が飛び出す始末なのだ。

高い価格は消費者からいつも歓迎されないものだ。特に工業団地や輸出加工区で働くワーカーたちや学生たちのよう生活に余裕の無い層にとっては深刻な問題となる。くず鉄回収業のグエン・ティ・ガさんとそのご主人は、ハノイから南に約90キロ離れたナムディン省からやってきた。そしてカムティエン通りに家を借り、ここから田舎に残してきた二人の子供たちにお金を送っているのだ。

「我々のような労働者に国は面倒を見てくれません。以前は毎月50万ドン(31.25米ドル)ずつ貯めては、子供たちの教育費や生活費に充てていました。しかし、家賃・食費、その他の生活費の値上げで、今ではそれも適わなくなってしまい、どうして生きて行けば良いのか判りません。とは言え、田舎にいるより都会にいた方が未だ稼げる方なので、暫くはここに留まる灯りです。」とガさん。

これまでベトナム人は、テトが近づいても一部の特別な商品を除き価格は安定しており、それに慣れて来ました。しかし今年は違います。継続的な価格上昇が主婦たちや商売人たちを驚愕させているのだ。統計局商業価格課のグエン・ドック・タン課長は、消費者物価指数の上昇は予測と正反対の結果となっていると話す。11月の消費者物価指数は10.01%で、単月としてはこれまで最高記録の1.23%となった。

物価上昇の主要原因は明らかです。食料品や石油価格が世界的に上昇して行く中で、ベトナムは干魃や洪水 そして家禽や家畜類の病気が蔓延しました。財務省市場価格調査研究所のゴ・チ・ロン副所長は、国家は無制限に人々に助成金を与えることは出来ないという。国の経済発展段階に起こった今回の物価上昇は回避出来るものではないと警告する。

しかし、待ったなしでやってくるテトに向け、人々は今後も物価上昇に気をもませ心配し続けます。給料が上がろうと上がるまいと、全ての人々は生活の安定を願っているのです。

(辛口寸評)
2008年1月1日から、ベトナム政府は労働者の最低賃金を15%引き上げるように決定した。これにより公務員や国営企業従業員、そして外資系、合弁企業などそれに従い一に給与の引き上げがなされる。筆者の会社はプライベート・エンタープライズ、いわば個人商店に属すため、既出の企業群と同等の措置は課せられずに済むものの、それでも我々の出来る範囲で賃金の引き上げをして行かねばならない。通常、我が社ではテト明けの翌月が、定期昇給に当たるので、来年は2度、給与配分と昇給をしなければならないことになる。

記事の中でもあったように、給料を上げて貰うより、その分、物価を1割でも2割でも下げて貰った方が、消費者にとっては嬉しいものだ。未だ、テトにはこれから一月ちょっとあるけれど、例年からると、テト2週間前までは物価が上がる傾向があるので、一家の台所を預かる主婦にとって気が抜けぬ日々が続くのである。

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2007/12/22

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第146号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年12月22日 土曜日 第146号
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■ こんにちは!!

いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その146 今週のヘッドライン

* 12月17日(月) コスプレが遂にベトナム上陸?!
* 12月18日(火) 火蓋を切る旧正月商戦
* 12月19日(水) ベンタインマーケット今昔
* 12月20日(木) タンソンニャット空港公式開館
* 12月21日 (金)   今時の子供との関係とその距離の保ち方
* 12月22日 (土)  ニャチャンの海 汚染広がる

12月17日(月)  コスプレが遂にベトナム上陸?!
*1960年代のベトナムにおいて少女たちの間で僅かに流行ったミニスカートがベトナムのその後のファッションを席捲することは無かったが、今日、ホーチミン市やハノイの少女たちは個性をその着こなしで主張し、彼女らの親を驚かせている。最近、新たにミニスカートが巷で持て囃されるようになると、流行に敏感な今時のベトナムの娘たちはロンドンではなく東京発のトレンドを追いかけるようになった。ハノイのキムリエン高校2年生のチャン・ティ・タン・トウイは「自分の好みのファッションを求めることが出来ない世の中なんて想像もつかない。それが例え親にショックを与えるような服装であってもという。」

トウイが日本のストリートファッションを追い始めたのは今か数年前の事、東京のトレンディーなショッピングエリアから名付けられた“原宿スタイル”に魅了されてからだ。お手製のパンクムーブメントと日本のストリートファッションを掛け合わせたお気に入りのスタイルで、原宿気取りの娘たちは今日も首都ハノイの通りを闊歩している。

古い世代の人々にとって奇異に映るこれらスタイルも、原宿スタイルに傾倒する少女たちは個性の発露と自由トレンドの創造と捉え、アオザイとプリーツのついたスクールスカートをいかがわしいストッキングに履き替え光り物を身に纏い喜びを表現しているのだ。

「原宿スタイルはとてもクールだわ!」と話すのはホーチミン市ヤーディン中学3年のグエン・ラン・アインさん。「誰もが他の人とは違っていたいのよ!お年寄りを除いてね。多くの若者たちがこの様なファッションを好む一方で、両親は私たちのファッションに顔をしかめるの。。。。」とホーチミン市内のヴァン・ヒエン私立大学学生ミンヴさん。

両親が原宿スタイルに眉を顰める一方で、ベトナムの若者たちの間で少しずつ浸透してきている別の日本の流行がある。それは“コスプレ”というもので、この単語はコスチュームとプレイを組み合わせた造語であり、日本の漫画やゲームの好きな主人公の服装に合わせた着こなしをするというもの。

最初にコスプレがベトナムに到来したのは2005年、それ以来、徐々に定着しつつある。主人公の服装にディテールを凝らし、少しでも主人公に近づけることがコスプレマニアにとって重要なのだ。
多くの少女たちは漫画に出てくる可愛くてお茶目なキャラクターを演じる一方で、彼女らのボーイフレンドはアクションヒーローや戦士となって登場するのである。

原宿スタイルがカジュアルなストリートファッションとして容易に考えられる一方、コスプレはコスプレフェスティバルやコンテストなどの特別な機会に限定されるものだ。最近、ホーチミン市とハノイで開催されたコスプレ祭では、このムーブメントの広がりつつあることを感じさせた。

コスプレ祭の主催者、キムドン出版社は昨今、漫画愛好家たちにとって集いの場となっており、ホーチミン市で七夜祭、ハノイではアクティブエクスポ2007と銘打ったコスプレ祭を去る9月に開催し、多くのコスプレファンを魅了した。コスプレがティーンの心を何故捉えるのか理解するのは容易である。「例え一日だけでも自分の好きなキャラクターを装うことが出来るって素敵だと思いませんか?まるでテレビ画面から飛び出してきた主人公に人々は羨望の眼差しを向けてくれるのですから。」と前出のトウイさん。

コスプレ人気に伴いそれをビジネスにするものも現れ始めている。コスプレ愛好家の想像力と彼らが望む主人公に拠って異なるものの、コスチューム一着辺りの価格は凡そ30万ドン(18米ドル)から数百万ドンになるという。平均的な値段は約100万ドン(63米ドル)前後。この金額はベトナムのティーンに取っては決して安いものではなく、高級スーツに匹敵するものなのだ。

コスチュームを作るために大枚をはたける幸運なティーンはさておき、一般的で予算が限られるアニメファンは幾分、創造力を働かせる必要がある。ハノイ美術単科大学の学生グエン・ディウ・リンさんはコスチュームを作るために生地を購入し、コスチュームを彼女の気に入ったテーラーで仕立てて貰うという。コスプレは罪のないエンターテイメントで、着飾ることはベトナム文化のひとつでもあり、祖母の誕生日にゴジラの着ぐるみで登場しない限りにおいて、どんなキャラクターになりきるかはそれぞれ個々の好みで決め楽しめば良いものなのかも知れない。。。

(辛口寸評)
この記事に出てきたような話題が現実にベトナムで起こっているのかと考えた時、少しばかり首を傾げたくなる。確かにサイゴンのお洒落なカフェやディスコへ行けばセンスが良く小綺麗で多少、ファッショナブルな若者たちに出くわす機会は増え、ヒップホップや原宿スタイルくらいまでは目にするものの、さすがにコスプレそうろうなど街で見かけたことがない。やはりコスチュームのコンペ辺りに集まるのだろうか?興味は尽きない。

機会があれば是非、宮崎駿監督の紅の豚の主人公“賞金稼ぎのポルコ”で参加するのも悪くないな。もちろん、白いスーツに赤いネクタイ、ボルサリーノの中折れ帽をかぶって、その上にカーキーのトレンチコートを身に纏うのは云うまでもない。。。。(笑)

12月18日(火) 火蓋を切る旧正月商戦
*ハノイとホーチミン市の食品問屋は、旧正月商戦に突入し商品供給量を増やしつつあるという。ベトナム人は旧正月に驚くほど食べる。この為、この時期になると飲み物を含む食料品の需要が増え、値段が劇的に跳ね上がるのだ。来年の旧正月元旦は2月7日で、現在、ハノイ市内の70余カ所のスーパーやショッピングセンターなどは仕入れを通常月の倍にして需要に備えている。

ハノイ・トレーディング社のチュウ・スアン・キエン副社長の話しに因れば、同社は既に240トンの精肉、800トンに及ぶ加工食品、100トンの青果、200トンの菓子類、それに110万本のソフトドリンクを確保し、商戦需要に対応しているとのこと。亦、同社は今後、旧正月までにハノイ市内において食品ストアー6店の出店計画を進めており、現在14店舗を展開中。

ハノイ食材輸出入社のレ・ティ・リエン副社長は、630万ドルを投下して3500トンの米と200トンの小麦粉を輸入したという。旧正月祝杯用として、ハノイビール&ソフトドリンク社は少なくとも対前年比30.2%増の5100万リットルのビールを販売するそうだ。

その一方で、ハノイに拠点を置くスーパーマーケットチェーンは、現在、ソフトドリンク類在庫調達に手間取っており、問屋らの協力を得て仕入れを強化しているとのこと。主要製菓会社などは、旧正月に向け2500トンに及ぶキャンディーやチョコレートの販売を見込んでいる。精肉業者たちは、期間中、360トンの豚肉、260トンの鶏肉、そして100万個の卵の売上を計画しているそうだ。

ヴィサン輸出入会社のブイ・ズイ・ドック社長は、同社は既に旧正月を控え販売用の食材を十分に手当をした上に、万が一、需要が予想以上増加したとしても対処できるように既に手を打ってあると答えた。

しかし、CPベトナム社のキエウ・ミン・ルック執行役員は、最近、メコンデルタ地域で発生したマレック生病により鶏肉の供給不足と豚肉価格上昇が今後、暫く懸念されると述べた。加えて、ホーチミン市内の各スーパーマーケットに於ける旧正月に向けて平均物価上昇率は、10~20%の間と見込まれているとのこと。

予期される物価上昇対策として中央政府は既に各自治体当局に対し、価格管理と受給差を抑制するよう要請した。ベトナム中央銀行と財務省、そして投資計画省は価格上昇を抑制させるため協力して解決策を見出すよう指示を受けているという。

ビックCスーパーマーケットチェーンのグエン・タイ・ズン副執行役員は同社で販売する300類の商品価格を10%切り下げると約束した。亦、クリスマスセールや新正月に掛けても様々な販促を計画しているとのことで、商戦は益々加熱の模様を呈してきている。

(辛口寸評)
来年の旧正月に向けて、弊社でも一月前から一気に商品需要が高まりを見せ、工場では毎日3時間の残業体制に入っている。
12月1日より、急激なインフレと原料代の高騰の煽りを受け、卸で5割値上げを敢行し、注文が激減するのではないかと当初気をもんだものの、パパママストアーを除く、コンビニ・量販店・スーパーマーケット・デパートなどは時の流れと捉えてか、すんなりと新価格を受け入れてくれたのである。

値段もさることながら旧正月テトに向けて品揃えすることが重要とばかりに、連日注文を起こしてきてくれる。新価格が受け入れられる背景を考えてみると、これまで、安さだけが売上を左右する要因だったベトナム市場に明らかな変化が生まれつつあるといえる。

コンビニ・スーパー・デパート、いずれをとってもここで買い物をする層は、ベトナムでは中間層以上に限られるが、年々、新興中産階級が続々誕生し、それらの人々の市場参入が購買力の増大とボトムズアップの拡大に一役買っているのは勿論のこと、これらの人々の商品に対する考え方は、従来の安かろう悪かろうでなく、品質・安全性・信頼性を重視する傾向にあり、これらが押さえられている商材であれば、価格はさほど重要なポイントではなくなってきているのだ。

つまり同じような商材であっても、イメージ戦略を高め、これら中間層に支持される品が供給出来れば、受け入れられる土壌がベトナムに育ち始めたといえるのである。今後、ベトナムで流通を考えるとき、このポイントを良く認識しておくと良いだろう。

12月19日(水) ベンタインマーケット今昔
*サイゴンで最も古い建築物のひとつであるベンタインマーケットは今日、ホーチミン市に於けるシンボルのひとつと考えられている。このマーケットは雑貨を求める観光客に人気のスポットで、アオザイやお土産物、そして郷土料理などが楽しめるようになっているが、そもそもここが市場になったのは17世紀にサイゴン河近くで商品売買していた露天商が集まって発展したものなのだ。

フランス人が1859年に家族大聖堂を買収し、その跡地に現在、銀行の建物のある場所に大きな茅葺き屋根の建物を拵えベンタインマーケットの基礎が作られたのであった。ベンタインと名が付いた理由は、露天商が集まり商いしていた場所が波止場(ベン)近くであったことと、大聖堂(タイン)跡地に建てられたことに由来するという。

最初の市場は商売人たちで大層賑わいを見せたものの、1890年の火災でマーケットは全焼してしまった。火事で焼失後直ぐにフランス人はサイゴンで一番大きな鉄骨の新マーケットを建設した。1912年、当時のサイゴン市長はマレイス・ボレッセと呼ばれる市内の湿地帯に新しい市場の建設を命じた。

建設には2年の月日を費やし、1914年3月に新ベンタインマーケットが完成した。その後、1975年にベンタインマーケットは修復され、10年後の1985年には大改装が施され今の姿になった。大改装により、多くの部分が変わったが、有名な時計台だけは現在もホーチミン市のシンボルとして変わらず時を刻みつけているのだ。

ベンタインマーケットの一日の始まりは早朝4時で、裏門周辺の果物売りで幕が開く。その他の3つの門の開門は午前8時だ。同市場はホーチミン市を散策する観光客に取ってとても便利なところにあるばかりか良い目印となっている。

昼下がりになると、市場の周囲には屋台が組み立てられ、安価な値段で様々なベトナム料理を楽しむことが出来る。敷地面積は13000平米で、市場内には1000軒を越すお店があり、雑貨・お土産品・衣服・生地・お菓子・宝石など幅広い商品が軒を並べている。

ここではベトナム随一の商品が集まりベトナム人はもとより外国人にも喜ばれている。亦、ほとんどのお店の店員は英語を話すだけでなく、フランス語・中国語・韓国語、或いは日本語を巧みに操るし、売り買いも電卓片手に行われる為、コミュニケーションの問題は全くない。

最高の立地が幸いし、ベンタインマーケットには毎日大勢の観光客が訪れる。その中に大勢の外国人客も含まれるわけだが、日本人客が群を抜いている。世代を跨ぐ歴史と発展により、ベンタインマーケットは、ホーチミン市内で最も繁栄を謳歌する商業施設となっている。

(辛口寸評)
僕がベトナムに初めて来た頃のベンタインマーケットは、長年の風月に曝され壁の色はくすんで、時計台の時計もしばしば止まったままで、看板広告など一枚もなく大きいが寂れた市場のイメージは拭えなかった。

中のブースも同様で、品数は豊富だが店員は一様にやる気がなく、おしゃべりや弁当を食べたり、酷い者になると鼾をかいて寝てるのも多かった。

やる気あるのか?などと思って、店員を呼ぶとどんな体制からも応えられるような俊敏な動きを披露し、それまでの態度と打って変わった臨戦態勢となる。

定価なんてあるわけもなく、来たばかりの頃は店員に10と言われて6くらいを落としどころとして購入していたが、ベトナム人のかみさんを娶ってからは、10と言われて4を落としどころにするようになった。買い物そのものよりも店員との掛け合い漫才が愉快だった。

しかし、小綺麗になった今、確かに観光客も増え、様々な外国語を話す店員も取り揃え、一見、華やぎがましたようにも取れるベンタインマーケットに以前のそれを知る者としては随分、味気なくなった。

ご大層にどの店も“FIXED PRICE”(定価販売)などと軒先に吊し、観光客にそれを見せては納得させて法外な代金で商品を売りつけようとする。こんな調子だから、ベンタインマーケットに買い物に寄りつくベトナム人庶民などほとんど見かけることはない。

本来、市場は庶民と切っても切り離せない関係にあるべきなのに、観光客御用達だけの完全な人寄せパンダに成り下がってしまったのは残念に思う。もっとも、それも時代の流れなのだろうが、栄枯盛衰、これからもあの場所でサイゴンをじっと見つめ続けて行くのだろう。

12月20日(木) タンソンニャット空港公式開館
*34ヶ月間の工期を経て、一昨日18日、ホーチミン市のタンソンニャット空港国際線ターミナルが公式に開館した。年間旅客1000万人を捌くことの可能な新ターミナルは地上3階建て中二階付きの93000平米の広さを誇る。

特殊装備として搭乗エリア・情報管理・ビル管理・荷物ハンドリング装置などをカバーしている一方で、2億1900万米ドルのこのターミナルにはエスカレーター、動く歩道、荷物検知器、下水処理施設を完備しているという。ターミナルの建設費用は日本政府のODAと国家予算が充てられて建設された。

日本空港公団がこのプロジェクトに携わり、日本の鹿島・大成建設・大林組・前田建設のJVを組み、基幹コントラクターをなした。南部空港公団のグエン・グエン・フン理事によれば、8月従順に試験的開港をし始めてから、新ターミナルは40の航空会社から27000便を飛ばし200万人の搭乗客と34000トンの航空貨物を扱ったと発表した。

ホー・ギア・ズン運輸相は、これまで従来、タンソンニャット空港でベトナム全体の国際搭乗客の75%を取り扱ってきたと述べ、この新しいターミナルの完成は、南部の殖え続ける航空利用者の需要を満たすだけでなく、ホーチミン市を含む南部地域経済の活性化に繋がるものだと語った。

新しいターミナルの搭乗許容数はこれまでの2.5倍となり年間1800万人までカバー可能となったと日本国際協力銀行ハノイ駐在事務所の森 睦也所長。在越日本国大使館の服部則夫大使は、タンソンニャット空港を利用しベトナムへ入国する搭乗客は新しいターミナルにより気分良くなるでしょうと話し、そして新しいターミナルが日越協力のシンボルとなることを希望すると述べた。

今月初め、ハノイで行われた会合で、日本政府は来年度のベトナムへの拠出額を今年20%増加の11億1200万米ドルとすることを誓約した。服部大使は今後、日本は道路・鉄道・ITなどのハイテク産業を含む輸送インフラ分野をベトナムとの戦略的協力に拠り強化してゆくと語った。南部空港公団に拠り管理されるタンソンニャット空港は、今後も需要に応じ、プロジェクトの拡大をし続けてゆく。

(辛口寸評)
空港に日本からやってきたお客様を新ターミナルで出迎えた。さすがに出来たばかりで綺麗で清潔感が漂う。今も出迎えのベトナム人の人手は絶えることは無いが、それでも広々とした場所がミーティングポイントとなっただけあって、気のせいか待つ人々の動きにも我先に他人を押しのけてとい殺伐としたものはなく、余裕が生まれているようだった。

日本人の一人として最も、嬉しいのは新ターミナル中央、目立つところに日本語・ベトナム語・英語の三カ国語で、この建物が日本のODAに拠って建てられたことがきちんと書かれてあり、一個人としては関係ないが誇らしく思えた。新ターミナルの完成が、カントー大橋崩落事故をチャラにするものではないものの、日本として“あるべき形”をベトナムに提供出来て先ずは良かったのではなかろうか。

12月21日(金) 今時の子供との関係とその距離の保ち方
*ハノイの路地を埋め尽くす細く狭い家の中では、子供たちが親に隠れて秘密をもつことなど長く不可能と考えられてきた。しかしそれもインターネットの出現により、親たちの知らない不可解な世界へ子供たちがアクセスを広げることに拠り変わりつつある。

自宅で或いはインターネットカフェで一時間3000ドン(約23円)費やすだけのお金と環境さえありさえすれば、ほとんど無制限に若者たちが必要とする情報を取り出すことが出来る。10代の子供たちのプライバシー願望は何も新しいものではない。しかし、現代社会では彼らはそれを容易に保持することが可能になってきている。

最近、19歳の人気女優のセクシービデオの拡散は、大人たちが如何に子供のネットの中での趣向・行動について無知なのかを明らかにしたのは良い例えであろう。保護者たちと教育関係者たちが、ネット世界に対する理解と認識に立ち遅れるようなことがあれば、若者たちにセックスや妊娠に関する知識を適切に与えることが出来なくなる。

それに単純に、拡散したそのビデオを“社会悪”と片付けるだけでは彼らはそれらへのアクセスを止めることには繋がらないといえる。問題は、インターネットの出現が、10代の若者たちが仲間たちとのプライバシーの共有をより簡単にした一方で、両親の前では寡黙になってしまったことにある。

ホーチミン市在住二児の母親、ブイ・ホン・ハンさんは彼女の次女の態度に困惑したという。長女との関係は誕生以来何の問題も無いのだが、次女の場合、成長するごと、ハンさんとの距離が益々遠のいて行くという。

「次女は一度も母親の私に心を開いたことはありません。彼女の親友は主人が彼女の16歳の誕生日に買い与えたノートパソコンだけなのです。何だかインターネットが私の母親としての役割を奪っていったような気がしています。」とハンさん。

この様な困惑は最近の両親たちにとって一般化してきているというのは、ハノイ市で電話相談を受け付ける心理学者だ。「今日の子供たちが生きる社会はその親の世代とは全く異なります。ベトナムの家族関係に現代化やグローバリゼーションの波が怒濤の如く押し寄せて来ているのです。インターネットへのアクセスは若者たちに先例のない、独立をもたらしました。そして、それを彼らは彼らが望むことをする自由或いは、彼らの両親の監視からの解放と定義しているのです。西欧諸国の場合、この様なライフスタイルの変化に対処しなければなりませんでした。しかし、ベトナムは現在、未だ移行期なのです。今日の若者たちと15年前のそれでは当然、意志の疎通の点で世代間ギャップが存在するのは驚くに値しません。」と、心理学者氏。

ある人々は働き過ぎの両親たちのせいで子供たちと過ごす十分な時間が取れないことを問題の槍玉に上げる一方、両親たちは自分たちの子供とどのように接して良いのか解らないという。

今日の親たちが10代だった頃、何をするにおいても所属するコミュニティーの耳目に触れるのが常であった。簡単に言えば他人からの干渉を受けずに何かを行うことは不可能だった。しかし、今日、他人から触れることの出来ないネットの世界で若者たちはその友人たちと会話やプレイ、或いは心配事の相談などをし常にコミュニケーションを深めており、結果的にそんなところへ親の出る幕などなくなるというわけだ。

ハノイ市ドンダ区に住む16歳の娘の母親ブイ・ティ・ヴィエンさんは、彼女の娘は母親と話しをしたくないように見えると憂う。そしてこの様な娘の態度はヴィエンさん自身、両親に従順で何でも打ち明けることが美徳とされていた子供時代に経験したことでもなく、対応に頭を痛めているという。

「娘とは今でも食べ物やテレビのこと或いは彼氏への素敵なギフトなどについて話し合うことはあると云うが、娘は常に私と一定の距離を取っているのです。」とヴィエンさん。そして、娘に黙って彼女の部屋に入って咎め立てられたことを思い出して話してくれた。

「彼女の部屋は散らかって、掃除してあげようと思ったのです。しかし彼女は部屋へ入るなり突っかかって“プライバシーの侵害”を訴え、娘を尊重していない証拠だと嘆いたのです。始め私は"何故"、母親の私が娘の部屋に入るのに許可を得なければならないのか!親なら当然のことに腹が立ちました。しかし、怒りが収まると娘には娘の個性があり、一個の人格を形成していると気がついたのです。しかし、いずれにせよ私と娘の間には高い壁が出来てしまったようです。」と弱々しく微笑むヴィエンさん。

多くの国々で、これまで説明してきたような秘密の態度が10代の少年・少女たちの間で標準的なものと考えられている。ベトナムでは、しかし、彼らの個室を所有したり、寝室でネットを行うことは新しい行動様式であるため、両親らに取ってどのように対応して良いのか判らない部分が存在するのだ。

両親たちにとってこの様な子供たちとの対応にはガイダンスが必要であることを十分、理解している。ハノイ市のある父親は、13歳になる息子にガールフレンドが出来たことを知り大いにショックを受けたという。幼い二人がどのように愛を育んだのか理解しようがないばかりか、ネットに拠って知り得た大人の愛を単に模倣しているだけなのか、いずれにしてととても心配だという。この父親は今後、息子と話す時間を増やし、彼の態度を監視してゆくと誓った。

カウンセラーにせよ、心理学者にせよ、子供のことで心痛める親には先ほどの父親が誓ったようなアドバイスを送るだろう。そしてプラスアルファー、我慢と忍耐、そして愛情を持ち子供たちと接して行くことが求められているのだと結んだ。

(辛口寸評)
我が家では、10歳の娘にインターネットを自由に使わせている。
娘が通う学校ではパソコンやネットを積極的にカリキュラムに入れているので、宿題などもそれらを使わなければ始まらないものが多く、結果的に本人の自主性に任せている次第。ただ、我が家ではネットを使う時間を宿題に拠って決めている。タイムオーバーしたら、それ以上、利用は出来なくなる。

とは言え、必要な部分は予めプリントアウトさせるので、宿題を進めるのに問題になることは先ずなく、娘本人も今はそれが当たり前だと思っているようだ。クラスメイトなどとのチャットもしているようだが、これもクラスメイト限定で、母親の許可を得て使用出来る。

その内、もう少し大きくなれば反抗期も始まり、今のような調子で押さえ込むことは難しくなるだろうが、可能な限り、この姿勢を続けて行くつもりである。

さて、今年のクリスマスのプレゼント、遂に子供にテレビゲームを与えることにした。これまでゲームなど与えたら、それだけに夢中になり、学業が疎かになることばかり心配し、ベトナム生活をこれ幸いにテレビゲームとは無縁な生活を送って来た我が家なのだが、この8月に日本へ行き、友人・知人宅に普通にテレビゲームがあり、しかも単なるゲームではなく、辞書やスードク、或いは頭のトレーニング、果てはスポーツ疑似体験まで出来ることを知り、テレビゲームに対する認識を改めた次第だ。

尤も、娘を出汁にして、親である僕自身が嵌ってしまう可能性も否定出来ないのだが、、、、(笑)

12月22日(土) ニャチャンの海 汚染広がる
*付近の水産加工工場や魚処理施設などから生じる汚物がニャチャンの海を汚染し破壊し始めていると水曜日に行われた会合で発表された。カインホア省人民会議の席上、総務部はニャチャン湾が圧倒的な公害によって危機に晒されていると報告した。

総務部は、観光客や漁船、養魚場或いは農工加工業者の出す汚物がその元凶であると指摘する。総務部に拠ると、5000人の海上生活者が一日辺りに行う海上違法投棄量は10トンになる一方で、7000軒の水産養殖業者の筏から出る産業ゴミなどが環境破壊に繋がっているという。

加えて、カイ河とタック河の両川が農工業、水産加工工場或いは生活排水をニャチャン湾にしばしば汚水を垂れ流していることも公害を加速させている原因のひとつとなっている。

汚水はニャチャン湾の珊瑚礁を含む海の生態系及びエコシステムに深刻な損害をもたらしており、総務部担当官に拠れば、現在、建設中のバック・ホン・オン水産加工団地が完成すれば、湾の環境悪化は避けられず、自治体当局の早急な対策と手当を講じる必要性を訴えた。

農業部は現在、水産加工団地建設プロジェクトの投資家が環境アセスメント報告の下書きを作成中であると述べ、汚水レベルが規格Aに再処理されたものだけが湾に通じるタック河へ流すことを可能にすると付け加えた。

会合参加者の一人は、水産加工団地の建設地をニャチャン市から凡そ60キロ離れたヴァンニン区やカムラン町への移設を提案した。しかし、農業部はその提案を労働力確保と水産品取引に不便であることを理由に却下した。

ニャチャン湾は、中部ベトナムにおいて最も重要な観光ハブとなっている。

(辛口寸評)
産業が進むにつれ、環境は劇的な変化を遂げ、多くの場合、人を含む生き物に取って深刻な影を落とすもの。経済(銭儲け)を優先させる余り、生き物に本当に必要なものが、簡単に捨てられて行く。

甚大な影響が目に見えて現れた時になって、慌てて人々は忘れ去っていた“大切なもの”を思い出し、対策に乗り出すものの、ほとんど手遅れに近い状況で、是正するには開発で費やしたお金以上の費用が掛かり、結果的にロスがロスに繋がって行く愚を犯して来た。

嘗ての日本もそうだった。せめてベトナムには日本が高度成長期に歩んだような同じ轍を踏むことなく、自然との調和を考えた国造りをしていって欲しいものである。

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2007/12/16

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第145号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年12月15日 土曜日 第145号
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■ こんにちは!!

いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その145 今週のヘッドライン

* 12月10日(月) インターネットとお年寄りの融合
* 12月11日(火) 逃げた鰐よりもっと怖い人の話
* 12月12日(水) 勉強に追われる今時の子供たち
* 12月13日(木) 訪越外国人客2007年400万人突破
* 12月14日 (金)   ヘルメット着用義務化始まる!!
* 12月15日 (土)  2008年ベトナムへのODA総額試算

12月10日(月) インターネットとお年寄りの融合
*ベトナムのほとんどの人々にとってインターネットとは若者やビジネスピープル、役人のものと考えられて来たが、昨今、高齢者がそれに高い価値を見出し心地よく新たな技術進歩の恩恵を受けるようになりだしたという。現在は何億人という世界中の人々がインターネットに接続し、楽しんでいるがベトナムでのその歴史は未だ7年前に過ぎないものの、その登場以来、一気に全国に広がり、世界の中でも最も急速にネット環境が広がり成長を続ける国となった。

結果的に利用者は殖え続け、学生・サラリーマンはもとよりあらゆる階層に人々、もちろん僻地を含み利用者の数は伸び、彼らの日常生活に必要不可欠なものとなている。高齢者への浸透は未だ遅々としたもので、多くのお年寄りはインターネットそのものを識らず、名前を知っていてもどのように使いこなすのか理解していないのが現状である。

私の祖父はヤフーメッセンジャーを利用し海外留学中の兄と連絡を取り合っていると話したところとても驚きました。そして私に“どこで兄と会ったんだ?コンピューターの中で、どうしたら兄の会えるのか?」と驚愕し尋ねて来たほどだった。そこで祖父にネットの仕組みを説明したものの、今ひとつ彼は理解できないようだった。彼らの世代の人々にとってヤフーボイスチャットを利用して兄と会話を楽しみより電話利用の方が扱いやすいと考えているようだ。仕事を持つお年寄りにとっても紺婦イーターやオンラインは理解しがたいものらしい。

今年52歳になる公務員のチャン・ヴァン・タムさん曰く、インターネットが彼のオフィスで使われ始めた時、ほとんどの若手職員はどのように使うのか知っていたが、彼や同年以上の同僚にとっては未知との遭遇だったと当時を振り返る。若手職員はネットを使い苦もなく早く事務処理をこなしたが、彼の場合、ネットといえば若手に手助けをして貰わなければ仕事が進ま無かったという。現在は多少、操作を覚えたと言うタムさんだが、ネット利用の仕事に自信が持てないと話してくれた。

古い世代にとってインターネットへアクセスする上での問題点は、単純にその言語にある。英語はネットの中で共通に使用される言葉であり、古い世代の人々に外国語能力の限界が生じるからに他ならない。亦、敢えて指摘するならば視覚の老化に伴いスクリーン上の文字を長時間追い続けることが出来ないのである。しかしながら、多くの老人たちはワールド・ワイド・ウェブに飛び込み、オンラインニュースを読んだり、記録を検索したり、遠方の友人や家族らとチャットを楽しんだりしている。

ホーチミン市郵便局がスポンサーについて市内で開催中のプロジェクト“インターネットをお年寄りへ”は、4月開始以来これまでのところ1600名近くの受講生を集め、その内のほとんどが80歳以上だ。履修コースは1コース2週間で1週間に3回各2時間ずつ行われる。一日辺り4クラスで受講料は全て無料。これら受講者は、元々、知識階級に属していた人たちがほとんどで、元医者・元教師・元講師などが含まれ、全ての人が嬉々として参加しているという。受講者のひとりグエン・ゴック・カンさんは、海外で暮らす娘とメールやチャットを楽しみたいと考えている一方で、82歳になるラム・ヴァン・ラングさんは、オンラインでフランス語の資料を探そうとしている。

受講生はヤフーメッセンジャーを通じてチャットを学び、ニックネームの付け方から始まる。そしてクラス仲間でチャットを楽しみ自信に繋げ、単に孫たちとの距離を縮めるだけに留まらず彼らとの経験を共有し人生を楽しむようになるわけだ。「現在、孫とインターネットについての話しが出来るようになりました。以前にも増して、孫がとても身近な存在になりました。ネットって、気持ちに安らぎを与え、記憶力の薄れた年寄りにとって物忘れを防ぐのに役立ちますよ。」とカンさん。

とは言え、お年寄りにインターネットの操作法を教えるのは楽ではない。カンさんは、受講初日のことを今もはっきり覚えているという。二時間近くかけてマウスの使い方を覚えた彼女、年寄りに若者と違って学習速度が遅いと実感したそうだ。22歳のグエン・フック・ティン講師は、お年寄り相手に同じことを何度も何度も時間をかけ優しく辛抱強く教え無ければならないが、そのお陰で彼自身、辛抱を同時にお年寄りから学ばせて貰っていると話す。
お年寄りが時間をかけ、インターネットの効果を学習し、そこに最新ハイテク技術がもたらした恩恵を見出す。これは取りも直さず、壮年から老年に向かう全ての人々に新たな世界と繋がり、様々なことを学び実験することが可能になった意味するのだ。

(辛口寸評)
度々、ここの記事でも採り上げて来たが、今回もうちのかみさんの実家、北部ソンラ省に住む身内から話題をひとつ提供したい。サイゴンからほぼ2000キロ離れたソンラ省。標高1500メートルの山間部にあり、南へ20キロ下ればラオスの北部国境へ、北へ150キロも進めば中国国境の街、ラオカイに至る。元々、この辺りは少数民族が数多く住む一帯で、チュオンチンの時代に大勢の京族(所謂、ベトナム人)の若者が、志願という形で集められ、ここいらに定住し開拓が押し進められた。筆者の義父母もそんな若者たちのひとりで、開拓団で知り合って世帯を持ったのだった。

義母は筆者のかみさんが10歳の時に亡くなってしまったが、義父は今も達者で、毎朝5時に起きて欠かさず5キロをジョギングし、戻ってからは近くの公園で仲間とバトミントンで汗を流している。
とても来年70歳とは思えない体付きで、今も筋骨隆々、裸で座らせればロダンの“考える人”を彷彿させるほどで、筆者のメタボ腹に溜息が出るばかり。そんな義父が、現在、かみさんの長兄が買ったパソコンで、チャットの勉強をし出した。講師役は、かみさんが務めスカイプを利用してボイスとチャットの両刀遣いで指導している。

これまでソンラの義父との連絡のやりとりは専ら手紙に頼り、義父から届く手紙はいつも最低5ページに渡り、出だしは近況が綴られ、次に我々夫婦への説教が続き、最後に孫の話題に触れ、一幕を閉じると言った内容だった。余程、緊急を要する場合のみ電話で、それも電話代を気にして用件が済むと、必ず“電話代が掛かるから”と直ぐに受話器を切っていた。ところが、時代は流れ、とうとうソンラのような寒村にもネット化の波が押し寄せ、聞いたところに因れば(既に筆者は4年無精中)街のあちこちにネットカフェがたち、連日連夜、京族の若者ばかりか揃いの民族衣装を纏った少数民族の若者たちで大盛況だそうで、そんな時、長兄がパソコンを手に入れ、実は義父のみならず、長兄も一緒にかみさんからチャットを習っている真っ最中というわけなのだ。

仕事が終わって毎晩9時から11時まで教えているが、上の文中にも出てきたように、ベトナムでは英語がチャット言語となるので、やはりその辺から教えなければならないのが大変なようである。従って、言葉を意味としてでは無く、記号化して指導しているとかみさん。例えば、Removeは、ベトナム語読みで“リモヴェ”といった具合。一旦覚えてしまえばこれほど便利なものはない。老人にとって覚えるのは難しくとも新しい世界を構築する偉大なツールであるのは間違いない。医者通いよりも、余程社交的であり健康的なインターネットに多くのお年寄りが繋がって行って欲しいものである。

12月11日(火) 逃げた鰐よりもっと怖い人の話
*先月上旬、カンホア省でベトナム最大の養鰐所から逃げ出した200匹以上の鰐は、生け捕り或いは射殺された。これに因り216匹の鰐が記録されたものの、今も逃げ出した鰐の具体的な数は、はっきりしておらず、その中には体重200キロを超すものも紛れ込んでいると考えられている。しかし、ホラー映画みたいな話しだが、ニャチャン市やカンヴィン区、ディエンカン区に住む住民にとっては現実なのだ。仮に一匹でも鰐が人里近くに現れたとすれば、そこに住み人々の生活は危険に晒されることになる。

土砂降りの翌日11月10日に増水で鰐を囲っていた檻が壊れ、鰐が逃げ出した舞台となったカンヴィエット社。商用に鰐だけでなくダチョウや熊なども飼育している同社は、事件後直ぐに住民や警察、そして軍隊に救援要請をし、逃げ出した鰐を探し求めた。
カンホア省人民委員会のヴォ・ラム・フィ委員長は、同社に対し安全面から養鰐所を別の地域に移転させるよう命令した。同社に因れば、洪水前5000匹飼っていた鰐の内、216匹が生死を含め見つけ、残っていた1440匹は安全な場所へ移動させたという。しかし、現在、養鰐所にいる鰐の実数は掴めていないとのこと。

逃げ出した鰐の数がはっきりしないことほど、心配で怖い話しはない。今のところ野放し状態にある逃げ出した鰐について市民より心配の声が多数寄せられている。同社副代表のレ・ティエン・アイン氏曰く、養鰐所で飼育していた種類はシャムクロコダイルと呼ばれる種類であり、ここ数日間、目撃情報が寄せられないところからすると、小さい若い鰐だけが逃げ出したことを意味するのでは無いかとの立場を取り、それらが野生の状態で生き残って行くのは非常に難しいと付け加えた。しかし、危険に晒されている市民にとってこの談話は懐疑的でしかない。

養鰐所近くに住む住民のグエン・タン・ハイさんがベトナムネットに語ったところに拠ると、逃げ出した鰐が河などで成長すれば、数年の治には人々の脅威になり食人化するのではないかと疑問を呈した。10万平米の養鰐所近くにあるカウ河やカイ河は子供たちの格好の遊泳スポットでもある。養鰐ビジネスは多くの起業家が魅せられ参入を目指す傾向にあるものの、関係官庁及び機関はその活動について注意をほとんどしていないという。数ヶ月前、テレビリポートで、養鰐所のスタッフが鰐の餌付け後、しばしば檻の鍵を掛け忘れることがあると暴露していた。

ホーチミン市では毎年、多くの生き物が河や運河に逃げ出すと言われている。しかし、免許取り上げなどの行政処分を懼れ、飼育所の所有者たちは当局に報告せず口を噤むのが一般的だ。年に一度、当局と所有者たちの間で登録された動物の保有数の確認が成されるものの、数が合わない場合、所有者たちは“死んだ”ことにしてしまうだけなのだ。政府関係機関は、この様なことを念頭に置き、このビジネス設立についての許可を与えるようにしなければならない。カンヴィエット社が今回起こした事件と同様のものを今後、飼育場を運営するものに対して下ろしてはいけない。2003年に同社が設立されたが、人々の記憶では壊れたケージの高さは低く、僅かな増水で鰐が逃げ出す可能性は高かったという。これらを当局では許していけないのだ。

今後、飼育場の場所も注意深く選定されることが必要で、今回のカンヴィエット社の事例で行くと、上流地域に設けられていたため、鰐たちが逃げやすく隠れやすくなっていた。最後に、最も重要なのは逃げ出した鰐の監視を担当する森林保護局は、それらを探し出すために定期的且つ場所を変え鰐の捜索を行い、鰐が養鰐場から逃げ出した時の対応策を如何に事業経営者の責任を理解させるかその啓蒙を図って行かねばならない。

(辛口寸評)
それにしてもベトナムらしいというか、カンヴィエット社副代表のレ・ティエン・アイン氏の発言には今風の言い回しで云うと“どん引いた”ものだ。小さな若い鰐は自然に放されたら順応力がないので、生存は難しいのだと。。。。なんじゃそれである。元々、ベトナム南部の河という河には自然の鰐がうようよしていたのであって、人間がそれを捕獲して、今のように鰐の居ない河が出来たのである。本末転倒とはこの事を云うのだ。どんな小さな鰐でも野生に話された瞬間から、自ら餌を求めるだろうし、よしんばそれが出来なければ自然の法則に従い、死を待つのみだが、基本的に自然界へ戻れば、河の中に限って言えば弱肉強食の世界で鰐はその時点で水中生物の頂点に立つわけだ。腹が減れば他の生き物を捕らえるのが摂理でもある。

さて、逃げた鰐の実数が把握できていないというお寒い話しについて一言述べる。ベトナムでは、まともに申告することなど殆ど無い。これは税金対策もあるが、それ以前にベトナム人の気質の中で、“小さな事は気にしない”というのが第一の理由だろうと思う。それにしても体重200キロを越す鰐が突如、現れたとしたらジョーズも真っ青だろう。数年後、続編として事件が起こらない事を今は祈るばかりだ。

12月12日(水) 勉強に追われる今時の子供たち
*近所に住む7歳の娘フォン・リンちゃんは4キロもあるスクールバックを背負ってか背負われてか、毎日とぼとぼ学校へ通っている。
リンちゃんは所謂、現代っ子。彼女らの世代にとって勉強は辛抱が伴い、遊ぶ時間はほとんど無い。毎朝彼女の一日は午前6時半にスタートする。始業時間の7時に間に合うように起床し学校へ向かう。
午後4時半に彼女の両親が学校へ迎えに行き、自宅へ戻ると直ぐに宿題を片付けなければならない。「平日、放課後は自宅で音読や書き取り、それに英語の復習などを含む5つの課題をこなさなければならず、それが週末になると少なくとも10科目に増えるのです。」とリンちゃん。彼女の母親、グエン・タン・チュックさんは以前、リンさんがこの様な学習スケジュールをこなす事を好意的に捉えいたそうだが、最近は詰め込み過ぎではないかと考え始めているという。チェックさんは17キロしかない娘の健康を心配しているのだ。学業の達成と好成績獲得のしわ寄せが小さな子供たちに重くのし掛かる。

ある母親曰く、彼女の息子は毎日、午後11時或いは日を跨ぐ頃まで宿題に取り掛かり、それが終わると疲れて倒れ込むようにしてベットに崩れ落ちるのだという。そして週末の土曜日には午前8時から11まで、家庭教師がつき、日曜日は未着の宿題や翌週の復習に割くため休む時間もないのだと件の母親。彼の成績はクラス担任にも認められ、算数の特別編成クラスへ編入も叶った。そして現在、息子は週に二回午後4時45分から7時までの間、特別クラスで算数の特訓を受けているという。結果的に僅かに残されていた彼の自由時間であるテレビ鑑賞・友達との遊び時間もこれで吹っ飛んでしまったとのこと。彼の母親はタイトなスケジュールに縛られた苦渋に満ちた不安げな息子の表情をその顔に見て取ることが出来、息子は常に何かに急ぎ追われ、宿題を終わらせることが出来ないのではないかという焦りに苛まされているようだと悩みを訴える。「もし息子がこの状況もこれから数年続けて行かねばならないとしたら、彼がまともに成長してくれるのか自信が持てないです。」と彼女。

"何故、子供たちはそこまでしなくてはならないのかという"、ここに明らかな問いかけがあるのだが、それに対する父兄の答えは常に「誰もがそうしているから」というものでしかない。「私の娘が一生懸命に勉強しなければ、彼女は落ちこぼれてしまうでしょう。」と言うのは、2年生の父親トアン・ミンさん。彼の娘の通う学校は全日制で午後も授業があるのだが、ミンさんは娘に毎晩遅くまで勉強するように強いると言う。「他の家庭でも状況は似たり寄ったりですから、うちの娘が彼女のクラスで他の児童より学業が劣ることを望みません。ですから、学校の宿題とは別に娘のために英語とピアノの家庭教師と週末に雇っているのです。」とミンさんは説明してくれた。

4年生の子供を持つ母親トウー・フエンさん別の理由で子供のハードなスケジュールに共鳴するという。「宿題を子供たちに与える事は、彼らに頑張ることの尊さを身につけさせ、成長したときに価値のあるスキルを備えるようになるので支持します。」とフエンさん。
この意見に対して、父兄のチュックさんは、子供は子供らしくあって良いのではという疑問を呈している。「頑張ることの尊さを子供たちに幼い頃から身につけさせる事について私も尤もだと考えます。しかし、余りの詰め込み教育で楽しい子供時代を過ごせなくなるのは如何なものかと思いますが、、、。」とチュックさん。加えて、チュックさんは子供の感情や肉体の発育は彼らは遊びを通してなされて行くものと信じており、心身共に成長していない子供たちにハードワークを強いるのは返って逆効果だとする。

某小学校教諭のダン・ティ・ランさんもチュックさんの意見に同調する。「ほとんどの父兄は彼らの子供たちの学校での成績が良いことを喜ぶため、彼らは家庭内で勉強を強いる事になるのです。子供たちは若すぎて本来ハードワークには適していない事を家庭では忘れがちになります。子供たちには適度な自由時間が必要なのです。自宅で教科書に齧り付いて勉強する変わりに、父兄が子供たちの成績の向上を願うのなら、寧ろリラックスした雰囲気と相互対話の可能な落ち着いた環境を与えるべきでしょう。」とラン先生。

今から10年後のベトナムでは、現在、子供たちに強いたツケが回ってくるだろう。もし、子供たちの学業への圧力が収まらずこのまま進んで行ったとしたなら、我が国の次代を担う子供たちは遊びを知らず、表現力の乏しく創造性のないロボットのような人間ばかりになってしまうに違いない。しかも皮肉なことにそのようなロボットは長年の不摂生に拠り常に病気に悩まされながら生きるしかなければ、もはや悲劇を通り越して喜劇とさえいえるだろう。

(辛口寸評)
うちにも小学校4年生になる娘がいる。学校の宿題はそれほどでもないが、補習校に通わせているので、日本で買い求めた市販のドリルで漢字の書き取りや娘が図書館で借りてきた本で音読の練習などをさせている。かみさんに言わせると、娘の通うインターは甘っちょろいそうで、宿題のボリュームはもちろんのこと、学校での先生の指導は時に体罰が伴うほどで、子供たちは先生の体罰をひたすら懼れるがため、親に言われなくても学校から戻ると机の前に座り、宿題を淡々とこなして行くそうだ。

かみさんの友達の子供らはほとんどがそうらしく、毎晩9時くらいまでは勉強しているとのこと。故に、インターの進み具合に彼女なりに“遅すぎる”と危惧を感じているのだ。尤も、筆者自身、そうがつがつガリ勉になって貰っても、親である“私”が窮屈に感じるので、勉強はほどほどで良いと思っている。娘に勉強しろ!ともほとんど云わない。「ただ、勉強が嫌いだったら学校辞めてうちの工場で働いてね」っと優しく諭すと本人結構震え上がるらしい(笑)

12月13日(木) 訪越外国人客2007年400万人突破
*12月6日に今年一年間で400万人の外国人客がベトナムを訪問し、これまでの最高記録を達成した。アメリカ、コネチカット州からやってきたマイケル・デイビッド・マジソンさん、65歳は彼が400万人目のゲストになったことを聞かされ大いに驚いたと語った。元ビジネスマンで今は年金生活者の彼はベトナム旅行は初めてで、タイからベトナム航空830便エアバスでハノイのノイバイ空港にやってきて、今回、幸運なる一人と相成った。「素敵な旅の始まりが、この様な栄誉ある訪問者として出来ることに喜びを感じています。これから北から南を一ヶ月間掛けて旅しますが、ベトナムとベトナムの人々との触れ合いを期待しています。」とマイケルさん。彼には、伝統的な薬罐太鼓を模したメダルと副賞にホーチミン市からファンティエットへの旅行招待券、そしてベトナム航空就航地間内であればどこでも利用可能な往復航空券が贈られた。

マイケルさんの一人前の3999999人目のベトナム訪問者も、やはりアメリカ人でマロリン・デブリンさん。彼女にも記念メダルの他、ハノイ・ハーロン湾4日間二人分の旅行券とベトナム航空アセアン域内往復航空券が贈られた。4000001人目の訪問者となったのはバンコクから来たワティニー・カンサウィーさん37歳で、彼女にも記念品が贈られた。「私も出来ることなら400万人目の訪問者になりたかったですね。それでも私はついていました。今日ここにこれ多くの素敵な贈り物に感謝しています。」と訪越4回目になるワティニーさん。次回の訪越は今回、贈られた航空券を利用するという。400万人の外国人訪問者を迎えたという報せは観光当局にとっても素晴らしいニュースとなり、この記念すべき数字が観光産業にとって今年一年を振り返る指針となる機会を得、将来の飛躍に向け何をすべきかを教えてくれるものとなったと、ベトナム国家観光局のグエン・マン・クオン副局長は語った。

後3週間もすれば2007年も幕を閉じる。年度末には430万人の訪越外国人客を迎える予定で、仮にこの数字が達成されたとすれば前年比で17%の増加、約70万人も増えたことになるという。外国人客の増加は何も新しい傾向ではなく、実際、過去数年間順調な伸びを示してきている。1994年には100万人だったそれが、2005年には347万人を達成し、対前年比で18%の増加、そして2006年の358万人といった具合。最も多い外国人訪越社は中国人で、今年だけで既に52万人が訪れ、昨年と同様ランキング一位を誇っている。次点が韓国人で、43万人、三位が日本人、そしてアメリカ人、台湾人、オーストラリア人、フランス人だ。アセアン域内国人やニュージーランド人、ベルギー人、オランダ人、イタリア人、スペイン人にとってもベトナムは魅力的な観光地として知られその数を増やし続けている。

増え続ける外国人訪問客はベトナムに大きな収入をもたらしてくれる。2005年の観光収入は23億米ドル、翌2006年は28.5億米ドル、そして今年は35億米ドルを見込んでいる。2007年の観光業への外国直接投資は、45億米ドルと試算されており、ベトナムはこれらの前向きな数字を積極的に活用しなければならないとベトナム観光局観光課ヴ・テェー・ビン課長はいう。しかし、400万人超の外国人訪問客数は近隣諸国のタイやマレーシアに比べればまだまだ可愛いもので、ベトナム本来の観光業の実力からすれば決して多い数とはいえないと同課長。とは言え、ベトナムの環境業の発展は印象的なペースで進められているとサイゴンツーリストのヴォ・アイン・タイ社長は話す。インフラ整備に投資が今以上になされ、アセアン域内及びベトナム地域内を跨ぐ新たな主催旅行の整備、効果の高い宣伝、そして環境に配慮した企画をすれば、ベトナムは直ぐに近隣諸国の観光業に追いつくことが可能となるだろうとタイ社長は結んだ。

(辛口寸評)
ベトナムの観光業(特に高級ホテル)の現状について、僕は一言“浮かれるな”と言いたい。ホテル不足により需給バランスが完全に崩れている現状、ベトナムの高級ホテルは軒並み儲けのチャンスと見て、ここぞとばかり足下を見た客室の販売に走っている。この間、SARSが広がって、ベトナムにパッタリと客足が途絶えた時、多くの高級ホテルたちは青色と息の状態で、5つ星ですら一部屋50米ドルを割ってでも苦境を乗り越えようとした辛い当時をすっかり忘れてしまったが如くだ。恐らく現状のバカな部屋代のせいで、多くの外国人客がベトナム旅行を断念し目的地を変更したであろうことは容易に推察出来る。部屋代だけでベトナムの印象を悪く持った人も相当数に昇ることだろう。有頂天になったホテル経営者たちは今は何を言っても聞く耳などもたないだろうが、このツケは今後、今後、数年掛けて重いボディーブローのようにジワジワとベトナム観光業に暗い影を落としてゆくこととなるだろう。

12月14日(金) ヘルメット着用義務化始まる!!
*バイクのライダーたちへのヘルメット着用を促すための交通安全キャンペーンが首都ハノイで開催された。ヘルメット着用は最近の政府決議で強制措置と定まり、ライダーたちは12月15日から国内全ての道路での着用義務が課せられることになっている。キャンペーンのセレモニーにおいてホアン・チュン・ハイ副首相は交通事故減少に向け国民が一致団結しようと呼び掛けた。副首相に因れば、ベトナムで毎日平均35名が交通事故で命を落としており、60名が怪我を負っているとのこと。ハイ副首相は政府が法律により半ば強制的にヘルメット着用を義務づけたものの、その着用は各ライダー自身を守るためだけでなく、彼らの社会における責任を明確に表す行為であると語った。

公安省交通安全課に依ると、法律施行日から当面、取締警察官を全国の要所に配置させ、ヘルメット着用化の動きを側面から支援。これに対する罰金は15万ドン(約9米ドル)となる。セレモニーの席上、ハイ副首相は全国の不幸な人々に無償で5万頭(かしら)のヘルメット贈与キャンペーンの一環としてハノイの貧しい住民にそれらを贈った。交通事故の約7割がバイクが関与しており、現在、ベトナム国内には2100万台のバイクが走っているという。

(辛口寸評)
何度も出したり引っ込めたりした、バイク運転時のヘルメット着用だが、それも今月15日から、法律が施行され完全義務化が導入される。市内を走っていると既に5割以上のライダーが、自主的に着用しているように見受けられる。以前は暑苦しいとか言って、ほとんど無視していたヘルメットだが、このところ街のあちこちで悲惨な事故現場と遭遇することも多くなり、背に腹は替えられないというか、花よりも実を取る方向へ人々の考え方が改まって来た証といえるだろう。

ヘルメット自体、工事現場用なら15000ドン(約90円)から手にはいるのだが、公安省交通安全課に勤務する親戚に訊ねたところ、工事現場用のそれは摘発の対象となるという。何でも強度に違いがあるそうで、いくら安いといえ認められないそうなので注意が必要である。
それから、バイク預かりでは、バイクの他、ヘルメットも預かってくれるようになっている。僕の知る限りヘルメット預かりは無償だが、場所に依っては500ドンとか1000ドンを取るところもあるらしい。

12月15日(土) 2008年度ベトナムへのODA総額試算
*諸外国及び多国籍機関並びに国際的NGOはベトナムに対し2008年度のODA総額54億2600万米ドルを供与することになるとベトナム政府は発表した。この数字は昨年44億5000万米ドルに対し20%増額となるものだ。アジア開発銀行が最大の拠出機関で13億5000万米ドル。これに日本が続き11億1100万米ドル。以下、順に世界銀行の11億1000万米ドル、欧州共同体が9億6280万米ドルといった順となる。今回、記録的なODA供与の背景にベトナムの発展が国際社会からの信用を得た証であるとヴォ・ホン・フック計画投資大臣はハノイで開催された会合の席上語った。

「ベトナム国家・政府・人民の発展を支える国際的資金提供者の信頼を勝ち取るためには、我が国が世界に約束したコミットメントの数々の遂行はもとより、与えられた資金を最大限友好に活用し、ベトナムの各市民に行き渡るようにしなければなりません。」とフック大臣。世界銀行ベトナム事務所のアジャイ・チーバー所長は、統計に拠るとベトナムが世界で最も効果的にODAを利用する国であるという。各資金提供者はベトナムに長期資金の貸し付けを拡大しており、特に物流・エネルギー・熟練工育成の3つの民間分野の開発に力を入れていると、チーバー氏。

世界銀行上級エコノミストのマーチン・ラマ氏に因れば、ベトナムの自主発行債権(国債)を含む対外債務は、国家歳入の31%であり、同国の一人当たりの国民所得平均額は800米ドルまで上昇したという。
チーバー所長は、今後、発展途上国から先進国への移行期において更にステップアップするためにいくつかの課題にぶち当たることだろうと話した。既に多くの国々が途上国から先進国の間の層に到達してきたが、それから先へが進めないで居る。ベトナムも所謂“中間層の壁”の打破に注意を払わなければならないという。

アジア開発銀行ベトナム事務所の小西 歩所長は、この壁を避けるために必要な鍵となるのは質の向上にあるという。世界経済への統合利益は官僚主義・感度の悪い行政システムに因ってもたらされる高い業務コストに蝕まれない競争力を掴み取ることが出来、ベトナムの公共行政システムを強化することはこの国の現代化及び産業化、そして将来の繁栄に必要不可欠であると語った。フック投資計画大臣は、ベトナム政府が中間層の壁を認識し、環境を維持しつつ経済を経済を因り拡張する際、難問が山積しており、多くの挑戦が待ち受けているとし、持続的な発展は第一にマクロ経済の安定を図って行くことが重要と指摘した。そして、過去数ヶ月の間、マクロ経済において不安定要因と持続不可能さの兆候が見て取れ、それらはインフレ・失業・貧困の縮小・環境保護などが政府にとっても最も高いハードルであった。

来年ベトナム政府の主たる目標は、貧困撲滅と8.5~9%の経済成長率達成、そしてインフレ抑制に銀行改革及びWTOの約定などの実行だ。フック大臣はベトナム政府とODA資金提供者らとの間で拠出金の支払い方法について相互の歩み寄りが見られ、今年の支払いは世界平均に近づき、今年ベトナムはこれまでにODA資金総額44億米ドルから約20億米ドルの支払いを起こした。次回、同様の会合は来年7月初旬に観光地北部ラオカイ省のサパで開催予定となっている。

(辛口寸評)
“中間層の壁”とは僕の意訳であるが、適当な言い回しがなかったのでこの様にした。要するに、発展途上国から先進国に向かう途中、国民所得が1000米ドルを突破して、中間層の仲間入りを果たしたといわれるタイやマレーシア、フィリピンなどの国々はそこから先に進めない状況に置かれ、経済がそのまま停滞してしまうことを指す。様々な理由があるが、記事にも書かれていたように国内外の企業が経済活動に参入しても、お役所仕事や不正などで、本来不必要な経営コストに負担を生じ、活性化が行われないこと、或いは、技術力は模倣のみで自国で独創性の高い製品を生み出せず、結果的に安い労働力だけが搾取の対象となり、好いように外国勢に利用されるためだ。とは言え、それら搾取の構造はベトナム人自身が既に十分理解している筈で、敢えて向き合おうとしないのは、結局、家族主義の名の下にお金の前に個人が優先されてしまうところにベトナムの病巣があるのだろうと思う。

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2007/12/08

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第144号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年12月08日 土曜日 第144号
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■ こんにちは!!

いつもお世話になっておりますベトナム ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その144 今週のヘッドライン

* 12月03日(月) 日越共同声明締結と発表
* 12月04日(火) 増加傾向にあるドロップアウト
* 12月05日(水) 困窮した地方教員の実態
* 12月06日(木) 地方の為のガイドライン
* 12月07日 (金)   国家証券委員会設立10周年と今後
* 12月08日 (土)  広報への理解が企業成長の鍵

12月03日(月) 日越共同声明締結と発表
*11月27日、貿易の結びつきを強化し、共に新手の犯罪に挑み、且つ防衛面での協力関係を加速させるなど幅広く協議されてきたものが、越日両国の指導者たちによって合意に至った。日本訪問中のベトナム元首グエン・ミン・チエット大統領と日本の福田首相は、共同声明の中で、ミャンマー問題解決に辺り“対話”でのみ活路を見出し修正してゆくことを求め、同時に北朝鮮に対して核兵器放棄を呼び掛けた。
これら合意により、日本とベトナムは全ての分野で関係強化を更に進めるものとなったとチェット大統領。これに応え、福田首相は日越の戦略的パートナーシップを固めて行きたいと共同声明調印前に記者団に語った。

チェット大統領は、質の高い貿易を日本と取り組んで行きたいとの抱負を語り、今回、同大統領と共に日本を訪れたベトナムビジネス代表団は凡そ45億米ドル相当の日本との契約をベトナムに持ち帰ることになるだろうと福田首相。亦、二人のリーダーは今年1月に始まったEPA交渉を大局的観点から前向きに加速すべきと合意しその旨、声明に謳った。ベトナム国家元首初来日であるチエット大統領の5日間の訪日は越日両国の友好的な経済関係を加速することとなるだろう。2006年、年間二国間貿易額は94億4千万米ドルで、2001年度から倍増しているという。加えて、共同声明では日本が今後とも引き続きベトナムの社会経済発展を押し進めて行く上で必要な優先分野へのODAを積極的に提供することを確認した。

福田首相は今回の会談でカントー大橋崩落事故に触れ、犠牲者に哀悼の意を表すと共にチェット大統領も双方にとって望まぬ事故で両国の友好関係に悪影響を及ぼしてはならないと応じた。

チェット大統領は東京で主要三社の日本企業経営者らと会見し、越日で結ばれた14件のビジネス合意書の調印式の証人となった。丸紅・三菱重工・伊藤忠グループ経営陣との会談での席上、大統領はベトナムが今後とも外国投資が行いやすい環境の向上を計って行くので、より一層、日本からの投資を加速・拡大して貰いたいと要請した。これに応え、経営陣は彼らが現在、ベトナムでのビジネスを拡大計画中であることを大統領に打ち明けた。調印された14件のビジネス合意には住友とリラマ社で締結されたヴンアン第一火力発電所建設実行の覚書が含まれている。その他に丸紅とサイゴン投資合資会社との間で結ばれた15億米ドル相当の水・火力発電所戦略的パートナーシップ合意書などがある。

(辛口寸評)
ベトナム人の家族を持つ筆者のベトナム寄りの発言ととられるかも知れないが、今、日本はベトナムとの関係を強固に築いてゆかなければならない時期に来ており、日本政府の対応は現段階で正鵠を射たものといえよう。ベトナムはアセアンの中で予想通り力強い経済成長を背景にいよいよその発言権を増しているばかりか、大国のアメリカや中国の間に立って強かな外交を展開している。今後、アメリカの没落は避けられないところに来ており、ここ10数年以内に多極化した国際社会の再構築が起きるあろうと考えられる世界情勢の中で、日本が国際政治、そして国際経済の中で頼れる国はベトナムを盟主としたアセアンであるのは先ず間違いない。

その為の、先行投資としての種まきが多額のODAであり、EPA交渉なのである。EPAについて、日本は未だに米や果物などの農産品の除外を要求しているようだが、地球的規模で起きている人口爆発、それによる食糧不足は今後益々その深刻の度を増して行く中、供給源をベトナムを含むアセアンに求めるのは地政学的にも戦略的にも意に適う。一方で、将来、日本の高級農産品の消費地としての市場の開拓も進められることになるのであれば、早期に向けたEPA交渉の合意を目指すのは寧ろ、日本の国益に沿うものだと考えるが如何だろうか?

12月04日(火) 増加傾向にあるドロップアウト
*家族の経済的理由や両親の勉強に対する理解不足、そして有給の仕事に魅せられ、このところ中部地域各省ではドロップアウトする学生がその数を増してきているという。「昨年度、ドロップアウト率は3.5%で、その数字は増加傾向にあります。」と答えるのはビンディン省教育訓練課のチャン・ヴァン・クイ課長。ベトナム中部各省では年々学校からドロップアウトする学生の数が増え続けており、この傾向は省の担当セクションの職員にとって頭痛の種になっている。クイ課長曰く、中学校でのドロップアウトが特に高いと指摘する。

同省トウイフック区域にある小中学校全体で、2007~2008年度の最初の3ヶ月間で1000人にも及ぶドロップアウトを生みだした。地元教育担当職員に因ると、教室の修繕や教育機材設置費用に毎年数千億ドンの予算を投入しているにも拘わらず、ドロップアウト率はいよいよその数を増す状態が続いているという。多くの児童生徒がドロップアウトする理由は第一に家族問題に起因しており第二に彼らの学習意欲の枯渇と修業不振にあるとクイ課長はいう。

トウイフック区在住の二人姉妹グエン・ティ・トウさんとグエン・ヴァン・ヴウイさんは最近、祖母が病気になりその看病をするために学校をドロップアウトしたという。この二人の姉妹は常に学校から真面目で努力家な姿勢を高く評価されていたにも拘わらず、彼女らの行動は学校をがっかりさせたのだった。この様に家族の問題で学業を離れなければならない子供たちの為に、広く地域が支援する施策をとる必要があるのではとクイ課長。

クアンガイ省近くの中部沿海部でのドロップアウトの高さは両親の勉強に対する見識不足に起因する。トウギア区ギアアン村では、ほとんどの父兄が家を空け漁師として長く漁に出るため、子供たちの教育については彼ら自身に任せ専ら放任しているのだ。「我が家では学校へ行くか行かないかは子供たちが自主的に決めるのです。」というのは6人の子供を持つ母親のレ・ティ・タムさん。ギアアン村役場の統計では10%の中学生が入学して二ヶ月にして学校に来なくなり、ふらふらしているという。32クラス中3つのクラス分の生徒がドロップアウトしているのだギアアン中学校のレ・ヴァン・トウアン教頭。

亦、10歳未満の児童がカードゲームやビリヤードにうつつを抜かし学校へ来なくなる例も後を絶たず、これに業を煮やしたギアアン村人民委員会は補導チームを立ち上げ街でふらついている不登校児を見つけては学業に戻りよう説得しているという。しかし、それも今のところ不調に終わっており、学業に戻って数週間もすると直ぐに学校へ来なくなってしまうそうだ。

コントウム省では、ゴム園での仕事に魅了され不登校になる学生が多くなったという。このところ、コントウム省ではゴムの価格が上昇し、その結果、ゴム生産者はゴム採取に高い給与で雇用を促進しているのだ。498名の生徒の内52名が定期的に学校を休みゴム集めに勤しんでいますと言うのは、ゴックホイ区のダックドック村中学校のグエン・フー・フォン校長で、問題の対策に苦慮していると語った。

(辛口寸評)
ベトナムのドロップアウトというと真っ先に頭に思い浮かぶのが、家庭の経済的理由からというもので、筆者の頭の中では半ば定番化していたが、このところは少し事情に変化が出てきたようだ。本人の自主性に任せるという放任主義が招くドロップアウト、日本のニートと同様、働くことをせず、日がな一日ゲームやビリヤードに興じて時間を潰す輩の出現だ。学校をドロップアウトしなければならない理由は様々あるだろうが、ニートの走りのような子供たちがこの国に出現し始めたのはそれだけこの国が豊になってきた証でもあるけれど、反面、黄色の信号が社会に点滅し始めたと捉え、今から対策を講じて行かなければならない。

12月05日(水)  困窮した地方教員の実態
*社会から教師がいなくなるなんて話は想像も出来ないが、しかし、地方の幼稚園で働く多くの教員にとって日々十分な糧を得ること自体が壮絶な戦いなのだ。地方の幼児教育は普通、午前6時半から午後5時までの長時間に渡り、給料は少ない。地方自治体の殆どは常勤教員を雇おうとせず、専らパートタイムの非常勤で賄い彼らへの報酬は授業料から毎月40万~50万ドン(約30米ドル)が支給されるに過ぎないのだ。しかも、授業料は統一されておらず、地方地方に拠って差が生じ、従って教員の給与もそれに準じることとなる。

北部バックニン省クエヴォ区ダオヴィエン村の幼稚園では、月謝が3万ドン(2米ドル)に決められているものの、多くの父兄が子供の教育費にかける余裕が無く遅滞滞納しているのだとグエン・ティ・ウエン園長は話す。この事は教師生活30年のベテランで今年50歳になるグエン・ティ・フン先生でも月給は僅か45万ドン(約28米ドル)にしかならないことを意味している。この様な低所得では扶養家族を養うことも満足にゆかないと同幼稚園のド・ティ・ビン先生はいう。「私の主人は農民として必至にお金を稼ごうと努力していますが、私たちの生活はいつも厳しいままです。何故ならば戦争で身障者となった私の父親の面倒と共に3人の子供たちを食べさせて行かねばならないからなのです。私の給料で家族全員が食べて行けるだけの収入はなく、何とか子供たちの学費を賄うのが精一杯なのです。」とビン先生。

十数年に渡る教育経験と高い資格を持つ教師ですら、生活に事欠く状況なのである。イエンフン区ホアティエン村の幼稚園には14名の教員がおり、総て高い資格を保持している。それにも拘わらず、短大卒の教師も師範大卒の教師も全く同じ給料で島も年二回の分割払いで支払いが行われるという。ホアティエン村のグエン・ヴァン・トア村長曰く、自治体ではそれ以上 教員に支払いを起こすことが出来ないのだと首を振る。

山間地域の北部ホアビン省ダバック区の教員に至っては、状況は更に悪く、10000ドン~15000ドン(約0.63~0.94米ドル)の月謝さえも払えない人々が多く、給与がお米やトウモロコシなどの作物で支払われることもあるという。又、それどころかトウリー村の幼稚園では36名の教員の半数しか結婚が出来ず、残りはその“余裕”すらない有様なのだ。給与額が50万ドン(約31米ドル)と恵まれている方の教員でも生活の帳尻を合わせるのは至難の業という。

ティ先生が教員として働くハノイ市ソックソン区の幼稚園での一人当たり月額の授業料は15000ドン~50000ドン(約0.63~3.13米ドル)だ。
「私はこの幼稚園に25年も在籍しています。しかし生活は苦しいままで、週末は畑に出て米やトウモロコシを育てて不足分を補う有様なんです。」とティ先生。この幼稚園の何人かの教員は年金をかけることも適わず、老後は子供の世話になるしかないと嘆いているという。

(辛口寸評)
今回のこの記事を読んで、筆者は“何かがおかしい”と感じた。10年前ならいざ知らず、今日 ベトナムでは最低賃金が厳格に決められており、それが幼稚園であったとしても、地方でしかも僻地山間部のそれならば公営の筈で、教員が暮らしに困窮するなどと言う話は先ずあり得ないのだ。もし、仮にあり得ない話があったとすれば、それは地方政府(各省自治体に相当)が何かの理由に拠って、きちんと公金を利用していないか、不正流用の疑いさえ出てくる。この国では、マスコミを買収することが可能だ。“買収”というと不正の温床のように聞こえるが、ベトナムでは日常的な風景の一こまであり、新聞・ラジオ・テレビ関係者から、御用記事書きますよといったオファーは頻繁にあるほどだ。

それでこの事を記事に関連づけて見ると、恐らく教員に対する給与はなんかの理由できちんと払われていないのは間違いない。そこで、この事を社会問題化させるために、マスコミを利用して、彼らの実態を公にし、その一方で、地方政府に間接的な圧力を加え、問題解決の糸口に利用しているのだと思う。家の家内の実家は北部ソンラ省にある。
サイゴンからだと約2100キロ離れた地方山間部で、僻地といえば今回登場したバックニン省やホアビン省以上のところにも拘わらず、省としてはとても豊であり、先生が極貧に耐えるような噂は先ず聞いたことがないと家人は話してくれた。問題はどうも他にあるような気がする。

12月06日(木)  地方の為のガイドライン
*計画投資省は、地方自治体レベルで広範囲な外国投資案件の承認をより簡略化させる包括的な法的ガイドラインを発表した。
地方政府は自治体事で投資案件に承認を与えることが出来るものの、しばしば規則の理解力に欠け、投資計画省に手ほどきを求めてきた。ホーチミン市とハノイに拠点を置く法律事務所ベーカー&マッキンゼー代表フレデリック・ブルーク氏は去る5月にハノイで開催されたベトナム・ビジネス・フォーラムの席上、地方自治体当局者の殆どが、ベトナムがWTO加盟にあたりどのような約束を条件に呑んだか、限られた理解力しかなく、その結果、皮肉なことに現在、外国投資家はベトナムがWTO加盟以前よりもビジネス環境が難しくなっていると語った。

計画投資省は今のところ各自治体から数百件を越す投資案件のクラス分けの説明やや新規投資案件の承認のガイドラインなどの対応に苦慮している。同省法制局のファム。ミン・ズン局長は今回提案した法的ガイドラインが同省への地方からの問い合わせなどを緩和するものになると自負しており、そしてこのガイドラインはベトナムのWTO加盟にあたり、WTOとその他の国際関連機関の間で取り決められた約束事を基に作成されているばかりか状況に合わせて柔軟に対応できるよう既存の投資環境にも適応しています。」とズン局長。投資計画省は、このガイドラインを中央政府へ承認を得るために上げ、これが承認された暁には、合法的な外国投資案件であればその殆どは承認されることになるとのこと。

(辛口寸評)
この文脈からすると、通信設備は以前に比べ格段に進歩しインターネットも利用されているというのにベトナムは今も中央と地方との意志の疎通が上手く機能していないように見えるが実は、そうではない。これまで外国投資といえばほとんど北部ならハノイ近郊、中部ならダナン近郊、南部ならホーチミン市近郊に集中してきたものが、インフラの充実と共に地方にもその恩恵が浸透し、これまでは見向きもされなかった地域にまで直接投資が急激に及ぶようになり、それに対応すべき地域役人がソフト面でついて行けないことに拠りこの様な齟齬が起きているのである。いずれにしても判らぬことは、御上に聞けとばかりにその中央担当直轄省である計画投資省に問い合わせが集中するという具合。

しかし、余りにも問い合わせが多く殺到し、投資計画省の仕事に支障を来たし始めたので、ガイドラインを作成し、ある程度、地方が独自で投資案件の判断をし、裁量を持たせ円滑に承認作業を進めさせようとしているのだ。ただ、ガイドラインの内容を見ていないので断言は出来ないが、この手の規則や法令などベトナムの場合、抽象的な文言で纏められ、しかも人によりどうとでも解釈の出来るような形に体裁がとられていることが多いので、結局、ガイドラインが出来たところで、結局、中央にお伺いを立てなければならなくなるのではと思われる。兎に角、一度、中身を吟味したいものだ。

12月07日(金) 国家証券委員会設立10周年記念と今後
*将来的に世界市場と連動させる近代的な証券市場の育成は国家証券委員会の責任であると11月30日、首都ハノイで開催された国家賞県委員会設立十周年記念式典の席上、語ったのは、グエン・シン・フン副首相。「国家賞県委員会誕生は政府及び国家が社会資本主義経済への意向を決意させる重要なイベントだった。そして証券委員会が、その目的を実行させる為には4つの要求が完遂なされなければならない。」とフン副首相は参加者に話しかけた。「同委員会は市場の透明性を保つための法的な枠組みと投資家の利益の安全を図ると共に、公共に証券市場の周知を高めて行かねばならない。

その為に科学的且つ、断固として、国状にふさわしい市場を構築し、国際標準と同調し、最新の情報テクノロジーシステムへの継続的な投資を呼び込み、市場のダイナミックな発展に適応することができる人材育成を目指さなければならない。」とフン副首相は続けた。「もし証券市場の近代化がなされたなら、国内外の投資家にとってこれほど喜ばしいことはないだろう。ベトナムが国際投資家の魅力的な投資国としての名声を博せるよう、その機会を逃さない為にも我々は先の4つの項目を達成しなければならないのだ。」と副首相は強調した。

国家賞県委員会ヴ・バン委員長曰く、「これまで証券委員会は関連省庁や機関と適切に連動し、より多くの銘柄を証券市場に導入して来た。
その結果、2000年に2社しかなかった上場企業が今日では216社にまで拡大。証券委員会の仕事は市場の監視や監督、そして世界各国の証券市場との関係を確立することで、市場資本化率は既にGDPの40%に達し、これは証券市場が初めてベトナムに登場した年から比べると100倍の規模に匹敵するものだ。」証券業務仲介は66社、ファンドマネージメント会社は24社、そして40社の証券保管業務会社と1社の所定払込銀行に、それぞれ設立許可が与えられ、現在総勢35万口座が開設されている。

国家賞県委員会は2001年に国際証券委員会の仲間入りを果たし、多くの協力・情報交換及び管理合意書などに調印し、資本が国の発展に投入されてゆくよう証券委員会は今後ともベトナム株式市場の管理に最善を尽くすとバン委員長。国家賞県委員会の来年の市場資本率目標は50~60%のGDPを掲げている。専門的なボンド市場の設立・上場企業の増加・透明性の高い投資環境の創造・国家機関の管理能力許容量の向上・証券市場に対する公共の啓蒙は国家証券委員会が焦点を当てている主な課題であるとバン委員長は続けた。

フン副首相は世界中でも最も成長著しい証券市場建設に寄与した国家賞県委員会を賞賛すると共に過去十年間の同委員会の功績に対し第一級労働勲章を授与した。

(辛口寸評)
国家賞県委員会が本当にその役割を担い始め、活動の幅を広げだしたのはこれまでの10年の歴史で僅かにここ一年程度のことでしかない。健全な証券市場発展を使命に設立された同委員会であるものの、外見の見栄えは徐々に資本主義世界の色彩を放つようになってきたが、ベトナムの内側から見ることが出来る筆者からすれば看板の掛け替えだけで中身(関係者の思考・発想法)については、未だ旧態依然の枠を脱していないというのが本当のところである。国家賞県委員会の中にも人はいる。

ところが、ベトナムの組織であればどこにでも見られるよう、色々な派閥があって、決して一枚岩の結束を誇っているとはいえず、様々な流れの中で支流を飲み込み最終的に大河になった派が主導権を握るのが常なので、じっくり観察することが大切だろう。いずれにせよ、インフレが加速し、カジノ経済に突入した感が否めないベトナム経済は、数年の内に政府の意図的な総量規制のようなものが導入され、崩壊するのではと噂されている。

筆者は今年上半期、ベトナム株はここ4~5年所持していても問題ないとの見方を示していたのだが、最近、バブル崩壊のタイミングを3年以内に起こるのではないかと修正したところだ。

12月08日(土) 広報への理解が企業成長の鍵
*待遇が良くて高級でしかも簡単?広報の仕事は今日最も人気のある職業だが、実際、ベトナムでは言われるほど気軽な職業では無いようなのだ。人脈形成はこの仕事に欠かせないものの、社交が全てではありませんというのは通信系企業で働くマイランさん。「日中の仕事以外に広報担当は定期的にオフィス外で会い個人的な関係を維持しなくてはならない。ということはアフター5意向の時間を仕事に潰さなくてはならず自分や家族との時間が制限されるわけだ。これらの経費は上司が仕事に有益と判断すれば会社持ちとなるし、さもなければ個人負担をしなければならない。

一般的に広報担当は国内外のマスコミ対策の他 投資家への企業情報、或いはジャーナリストへの情報開示などを手掛けるほか、企業の販促にも従事する。多くの企業は、広報担当がする他の仕事に関して、この作業負担と堆積の範囲を完全には理解せず、しばしば広報とは関係のない業務までこなさなくてなりませんと語るのは通信ソフトウェア会社で働くゴックミンさん。「全従業員の誕生日の管理はもちろんのこと、懇親会の企画、その他社内報の編集なども対応しなければならず、私自身、広報担当というよりも庶務担当のようで不満が募ります。」とゴックミンさんは鼻を鳴らす。

それらにも増して広報スタッフは、常に新しい業務遂行知識を吸収するために多くの時間を費やさなけれならないのだが、知識吸収を行うための教育機関の数は限られて、ジャーナリズム&コミュニケーション大学校や国立経済大学及び貿易大学くらいしかなく、しかも広報に関するコースは短期しか揃えていないのが実情なのだ。通常、広報の仕事に就くスタッフの出身大学がジャーナリズム・経済・貿易大学であるのも頷けるというものだ。広報は自己啓発が必要で、記者発表の原稿の書き方を磨く一方、現実の会社が追求しているビジネスについても深い理解力が問われるのですと、マックス・コミュニケーション社のグエン・マン・トウオン代表。

しかしながらベトナムの産業が成長を遂げている現在、企業は当然、広報の重要性について認識をし始めているのですと述べるのはホーチミン市経済大学で広報コースを教えている講師のンゴ・ティ・ゴック・フエン女史。企業はそこで働くスタッフを私のコースに送り込んで来ますが、その多くは外国との合弁企業が主力で、国内企業でそれをしているのは未だ僅かでしかないという。

問題は多くの国内企業は未だに広報は難しいものであるといった先入観を持ち、やるだけ無駄といった意識に支配されていることで、特に北部では顕著に見られるのですと旅行会社で広報を担当しているクインガさんは指摘した。そして、ローカル企業経営者の多くが広報は経費が掛かり投資とは見ておらず、広報にお金を掛けたら直ぐに結果を求めるきらいが強すぎ、広報の重要性を消化できずお座なりにしてしまっているのである。クインガさん曰く、LGやサムソン、ホンダのような大手外資企業、或いはFPTやVittelのような僅かな先進的な企業のみが独立した広報を存続させているに過ぎないのです。会社の経営者たちは広報により注意を向けるべきで、広報担当は取締役会に出席し、所属する企業の最新の成長戦略に絶えず触れることが大切で、そこから始めて多くの人々に企業が知られるようになるのだとクインガさん。

広報担当者間の給料は所属する企業が広報の重要性への認識度に因って異なり、広報に力を入れている企業の広報への月給が1000米ドルを超すところもあれば、僅か200万~300万ドン(124~186米ドル)に過ぎないところもある。現状は後者が圧倒的に主流を占める。広報担当は多くの挑戦が待ち受けているものの、人気が高いのには何か理由があるはずだ。ハノイに拠点を置く協調広報社で広報の講義を行っているド・トウ・ハンさんに因れば、その人気が高いのは、仕事がバラエティーに富み、色々な人に出合う機会が豊富にあるからだという。「広報担当は行動的で且つ創造性に富んでいることが必要です。ビジネスの企画を促進するために情報をどのように纏めるべきか広報は知らなくてはなりません。しかし、その結果 人生経験が豊になるのです。」とハン講師は結んだ。

(辛口寸評)
広報に力を入れてゆきたいのはやまやまなれど、多くの中小企業にはそこへお金を回すだけの資力に余裕がないのである。中小企業の多くは事業を回転させる為の目先の資金に振り回され、結果的に広報へは後回しになるのだ。どんな企業の経営者でも、自社が世間に知られることを喜ばぬ者はいないし、扱う製品や商品の知名度が高まればそれに越したことはないと考えているが、何と言っても先立つものが無ければ話しはそこから進まない。あっ!うちの会社のことだ!!(笑)

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2007/12/01

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第143号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年12月01日 土曜日 第143号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflagいつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その143 今週のヘッドライン

* 11月26日(月) 都市部児童肥満化傾向
* 11月27日(火) 国営企業に監査プログラム導入
* 11月28日(水) 女性の高学歴はお嫌ですか?
* 11月29日(木) アセアン 新たなる幕開け
* 11月30日 (金)   チェット越大統領夫妻 天皇皇后両陛下拝謁
* 12月01日 (土)  国産バイクメーカー販売台数伸びず

11月26日(月)  都市部児童肥満化傾向
*国立栄養研究所とネッスルベトナム社がハノイとホーチミン市に住む、6~11歳の子供を対象に行った共同研究によると、近年の子供達は肥満傾向にあるとの結果が出た。ホーチミン市在住で11歳の子供の20%が肥満で、同様にハノイの場合は4%とだった。9歳児でホーチミン市とハノイを比較してみると、前者は30%、後者は6%で、この結果から肥満の原因が子供達の食習慣と運動不足に繋がっていることが判明した。同研究所の専門家は、最近の子供達は友達と外で遊ぶよりも家の中でテレビやパソコンに時間を費やす為に、それらが昂じて肥満の要因となっていると説明した。

又、今回の調査で二つの都市郊外に住む子供達の栄養失調は政府の栄養失調撲滅キャンペーンの効果が現れ改善に向かっているとの結果を伝えている。9~11歳の年齢層での栄養失調率は11.8%、6~8歳では6.4%だった。栄養失調は各年齢層の平均身長・体重により図られている。郊外の住む栄養不足の子供の平均摂取カロリーは一日辺り、2108キロカロリーで、一日辺り子供の平均摂取カロリーの2200キロカロリーを下回っている。郊外自動の平均カロリーは2213.9キロカロリーとなっている為、今後、肥満を誘発する可能性が高いと同研究所は見ている。

同研究所のグエン・コン・カン所長は今回の結果を参考に子供達の生活改善を図って行きたいと述べた。亦、今回の研究期間は2006年12月から2007年5月の6ヶ月間に渡り行われたものである。

(辛口寸評)
ベトナムでダイエットしようなんて人々は概ね中産階級以上の人々と見て間違いでない。凡そ大多数のベトナム人はダイエット出来るほど栄養は取れていないのだから、ある種 贅沢病と言える。
筆者もメタボ一直線の腹の出具合に危機感を持ち、早朝、近所の公園を散歩しているが、最近では太ったベトナム人女性や子供を見るのは珍しくなくなった。しかも男の子の割合が高く、母親と一緒にジョギングする姿を目にする。10年前には全く見られなかった光景だ。肥満児と並んで、近眼で眼鏡を掛けている子供の割合もかなり多く見られる。原因は、やはりテレビとパソコンの使用なのだろうか?いずれにしても、この国が物質的に豊になればなるほどそれに比例し、肥満と近視割合は上昇してゆくのだろう。

11月27日(火)  国営企業に監査プログラム導入
*2年かけて監督しても利益の出せない損失続きの国営企業は、新しい所有者を見つけるか、又は清算するか、それとも破産しなければならなくなるという。新たな手順は利益の出せない国営企業に対し首相決定での監査プログラムを含む機能を与えると去る日曜日、政府のウェブサイトに投稿された。このプログラムの要約は、損失の原因を特定することにある。タイガーインベスト法律事務所所属弁護士チャン・クワン・フイ氏は、この決定により効果のない国営事業のスリム化を加速させ経済全体の発展が促され、必要な資金を効率の高い国営企業への投資に回すことが可能となると語った。

フイ弁護士(彼の事務所ではM&Aに特化したサービスを提供している)曰く、以前から生産性の低い国営企業に対する監査化導入のアイデアは存在していたものの、ここへ来て漸く現実化に向けて動き出し、ベトナム経済発展に不可欠な施策である。ベトナムの破産法はとても複雑であるが為、僅かな不良企業がこれまでに廃業したに過ぎず、放置は国家予算の浪費になるばかりか経済に何の足しにもならないと同弁護士は付け加えた。監査は4つのタイプの国営企業に課せられる。二期続けて赤字を出した企業、一期の赤字額が株式の30%以上発生した企業、二期損失の間で利益を出し、負債の0.5%しか返済出来ない企業などだ。

上級エコノミストのレ・ザン・ドアン氏は、二期連続で赤字を出した企業が業績回復の見込みは殆ど無いと指摘し、監査プログラムの誕生は政府が進捗を再審査することに役立つものと説明した。
チャン・クワン・フイ弁護士とレ・ザン・ドアン氏はそれぞれどちらも今回の監査プログラムは利益の出せない国営企業を審査する上で有益であると述べた。そして、ドアン氏は経済発展を阻害する事実を削減するや目のマクロ・プログラムはベトナムにとって必要だと訴えた。監査プログラムは亦、他の企業の参考・指針となり得、今回の決定は企業買収を促進させることに繋がるとフイ氏。しかし、国営企業買収は、行政手続きの複雑さと買収される側の企業経営陣の激しい抵抗に遭うことが多く、フイ氏の事務所で扱う企業買収の殆どのケースは非国営企業とのこと。

政府の新しい監査プログラム導入の意味合いは将来、国営企業買収に門戸を開ける機会となる一方、国家予算の有効な割り当てに寄与するというものだ。世界銀行発行の“Doing  Business 2008”に拠ると、ビジネス撤退ランクでベトナムは178の国と地域の中で121位にランクインした。その一方で、ベトナムでのビジネスのしやすさでは91位になったという。

(辛口寸評)
2年間の業績不良の国営企業が処分される、その為の、指針が今回、導入の監査プログラムなのだろう。しかし、筆者はこの方法に懐疑的である。何故なら、国営企業などといっても、一部の大規模を除くと経営者一族によってかなり私物化されているものが多く、意図的に業績を操作させるようなこともある。知る限りでこの様なケースがある。労働者輸出を生業とする国営企業の社長は、その立場を利用し、規制緩和で労働輸出業が民間企業でも許可が下ろされるようになると、家族名義でその事業の会社を設立し、国営企業の中の優良顧客を自分の会社の顧客としていった。

当然、国営企業の業績は下降の一途を辿るわけだが、件の社長にとっては安い給料しか取れない国営企業などに何の未練もなく、寧ろ業績不振で罷免された方が好いくらいにしか考えていないのである。これは労働者輸出事業の中での一コマだが、現実にこの様なケースは様々な業種に渡る国営企業の中で日々行われてきた行為なのだ。故に、監査プログラムが導入されたところで、確かに無駄な補助金の政府支払いは是正されるかも知れないが、大きく経済発展に寄与する措置だとは思えない。

11月28日(水) 女性の高学歴はお嫌ですか?
*グエン・タン・タオさんは結婚をとるか仕事を取るかで悩む多くのベトナム女性のひとりだ。彼女の20代はまさに高学歴を得、成功へのキャリアを積むための時間に費やされた。結果的に彼女の努力は実り、彼女はベルギーのアントワープ大学で博士号を修めることができたのだった。「博士号さえ取ればそれが人生をバラ色に変えてくれるものと信じていました。ですから、その為の努力は惜しまずなりふり構わず勉強に勤しみました。そして今日、その夢が叶い多国籍企業に就職し、高い地位と給料を手にしたのです。しかし、何故か切ないのです。」とタオさん。

30歳になった彼女は現在、この先、結婚出来る見込みがかなり厳しい現実に恐れをなしています。そして彼女が若い内にもう少し彼女の家族生活について注意を割いていたならば、恐らく彼女は自身のエネルギーを愛情に捧げたのではなかろうかと過ぎ去ったことに今も揺れ動く。「卒業証書を得ることは私に規律と目標達成意識を与えてくれました。その一方で多くの幸せになる機会も逸してきたと思います。今この年になってしまうと理想的な人生パートナーを見つけることはとても難しいと考えています。」とタオさん。

童顔でチャーミングな女性のタイさんは、輝く瞳と優雅な話術は直ぐに私を魅了したものの、男性についての会話になると、彼女の年齢と学歴が彼女自身の結婚に制限を設ける要因になっているいう彼女の考え方は正しいように思われる。私は友人のチャン・タン・チュンさん(男性)に結婚するなら相手の女性は多少、賢くなくても若くて可愛い人を選ぶかそれとも普通の外見で少しトオの経った女性、しかし賢い人とどちらが好いか質問したところ、チュンさんは迷わず、前者を選択した。

25歳になる会計士のグエン・ホン・ズウオンさんは、別の考え方を示した。曰く、「僕はバカとの結婚は望みません。温厚で教養があって、賢い妻を娶ることが常に僕の最優先事項なのですから。。。とは云え、僕自身、我が儘で保守的な考え方を持っているので、結婚相手が僕より賢かったり学歴が上であることを望みません。ベトナムの格言にもあるでしょう。“賢い妻に注意を与えるのは難しい。気がつけば丸め込まれるだけ”」とズウオンさん。きっとズウオンさんの意見がマジョリティーのベトナム人男性の意見を代弁するものと私は思います。そしてズウオンさんは好例として一般的なベトナム人男性がどのようにして妻を選ぶかを集計したウェブアンケートの話しをした。

アンケートの結果で文盲の女性と博士課程を出た女性の価値は彼ら男性に取って同ランクで10ポイントの内3ポイントしか得られず、高卒と修士取得女性の場合は5ポイントで博士と比較し2ポイント有利、結局一番人気は大卒学士女性だったという。妻帯者の友人たちとの意見交換したところ、ズウオンさんが指摘したように結婚相手の女性の学歴は学士以上は好まれないと言いベトナム男性の価値観を裏付けしているのだ。「多くの夫婦から聞いたところに因ると、高学歴を持つ妻は遅かれ早かれ亭主を叱り始め、家庭内は常に緊張感が漂い戦闘的な雰囲気を醸し出すと言います。ですから、処置する以前に予防することが大切なのです。」とズウオンさん。

もちろん、タオさんや他の高学歴のベトナム人女性たちにはそれぞれ彼女たちの理想がある。結婚相手となる男性は彼女と同じ価値観を持ち高い教育を受けていることが必須なのだ。「私の両親はいつも私の選り好みの性格について注意したものですが、結局彼らの言うことは正しかったと今では考えるようになりました。私は常に私をデートに誘い出す異性を、私が相手にすべき教育と教養がある男性ではないと侮っていました。仮に相手の男性より私の学歴が高ければ同じ思考法は保てないと考えていたのです。」とタオさん。

社会の中では結婚して子供を産み育てることが多くの女性にとって究極のゴールと考えられている。タオさんは現在、彼女の選んだ道が如何に多くの人々に理解されないことなのかを身をもって学んでいると言える。タオさんは、家庭よりキャリアアップにエネルギーを燃やすことを厭わぬ開拓的精神を持ったベトナム女性世代に属している。彼女が選んだ人生は、ひょっとすると彼女の母親のそれとは似つかず、亦、多くのベトナム人女性とは逆行したものであるがゆえ、月日を重ねる毎に彼女にとって切迫した現実を突きつけるのでもあるのだ。

タオさんはこの件について悲観的ではあるものの、私自身はタオさんが悩むほど真剣な問題ではないと思う。ベトナムには愛する男性を思いやり、笑わせたり、一緒に苦労したりしてくれる女性との結婚を望む男性が沢山いる。その女性が結婚適齢期を過ぎていようがいまいがそんなことは関係ない。タオさんは自らの力で博士号を修めキャリアを積んできた。それは取りも直さず、彼女は安易な人生を歩むことを潔しとせず、必要な時間と努力を課し我がものにしてきたガッツがあるということだ。それだけの根性がある女性なら、好きな伴侶を得ることもいと容易きことでは無かろうか。

(辛口寸評)
社会主義国であるベトナムは男女の平等は、この国の誕生以来、国是として存在し、徹底してきた。しかし、その一方で家族主義が文化の根底をなすこの国で、一家の中での女性の地位は男性に比べ常に低いものとされてきた。優秀な女性であればあるほど、家庭に入ることを嫌い自活の道を模索するのは洋の東西を問わぬ傾向で、ベトナムの経済発展と共に金銭的な余裕が生まれキャリアアップの選択肢も格段に広がり、海外でそれを磨く者は男女を問わず多くなって来ている。ところが、記事の中でも触れているよう、女性は結婚し家族を持ち子供を産み育てることが一番の幸せと考えるベトナムの社会的通念では彼女らの過度の社会進出を快く思わない空気が絶対的支配をしている。

ここに優秀な女性はジレンマに置かれる事となり、結局、如何に優秀でも周囲のプレッシャーに屈し、安易な結婚をしてゆく女性は後を絶たない。如何にベトナムが急激に変化を遂げようと、やはり人々の意識に変化が出るにはそれ相応の時間が必要なのだろう。兎に角、この様な問題はベトナムに限らず現在の日本でも多くの才女が直面しているものでもある。

11月29日(木) アセアン新たなる幕開け
*ブルネイ・カンボジア・インドネシア・ラオス・マレーシア・ミャンマー・フィリピン・シンガポール・タイ、そしてベトナムのアセアン加盟各国のリーダーたちが一同に会し11月20日、シンガポール・サミットの席上、アセアン憲章に署名をした。アセアン結成40周年にして初めて、組織の基本的理念と規則を成文化したものだ。米国上院はアセアンにミャンマーを吊し上げるよう求めて来たことで憲章が整備され、その結果、アセアン地域の域内問題は自分たちで解決するとその要求を拒絶した。アセアン諸国連合は創立メンバーのインドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール、そしてタイの5カ国の共同宣言で1967年にバンコクで設立されたが成文化はされていなかった。

これまでアセアンで下される約束事や決定においては一切法的拘束力が生じなかったものの、アセアン憲章が成文化された今より、欧州連合の様に原則に拠点を置く組織に変貌を遂げる事になった。31頁に及ぶ憲章には参加各国リーダーたちは年に二回の会合を開き一同に会し、平和的に紛争事を解決するための規則を作ったり、意志決定を因り臨機応変に行えるようにし、参加各国で合意に至った決議事項を監視し、実行してゆくことの出来るようにアセアングループ内の組織的構造を強化するガイドラインの設置などが含まれている。憲章では亦、域内が協力し人権保護と基本的自由を約束している。

オング・ケン・ヨン事務総長は記者会見で今後、ミャンマー問題はアセアン諸国内で解決策を図り、諍いを答えとはしないと発言し、他の国々は我々がどうすべきかを良く理解しているかも知れないが、我々の問題は我々に民主的に委ねて貰いたいと語った。米国上院は11月16日、アセアンリーダーたちにミャンマーをサミットに参加させないよう呼び掛ける決議を採択した。ところがオング事務総長はミャンマーの軍政を擁護するアセアンの立場にたっており、もし脅迫を行えばミャンマーの指導者たちは枠組みから離れて行くことになるだけだとする。しかもミャンマー自身、他からの干渉を好まず仮に鎖国をしても構わないと考えているほどで、門戸を閉じいつでも冬眠する気概を持つ。オング事務総長曰く、東南アジア各国指導者たちの優先事項はミャンマーの改革を促すイブラヒム・ガンバリ国連特使の努力を支持することでそこからの逸脱を防ぐことにあると語った。

(辛口寸評)
アセアンがこれまで独自の憲章を成文化せずに、法的拘束力が無いままにグループ化し、40年に渡り行動を共にしてきたことの方が筆者にとって新鮮な驚きでこの記事を読み、息を忘れる思いがした。結果的にアセアン憲章が調印され、これからは欧州連合を見習い、大国からの干渉は避けつつ、域内の問題は当事者であるアセアン連合に任せて貰うという旗幟を鮮明にしているのは興味深い。特にミャンマー問題に絡み、アメリカの上院の採択もどこ吹く風とばかりにはねつけている。一昔前のベトナム加盟前のアセアンであればアメリカが咳をするだけで震え上がり、ご無理ごもっともとばかり尻尾を振って今の日本同様、言いなりになって来たが、米国の対中国政策に重要な役割を担うベトナムが存在する新生アセアンとではアメリカも幾分、自重気味にならざる負えない。アセアン憲章の下、参加各国が一致協力して世界の中でのこの地域の存在感を高めていって欲しいものである。

11月30日(金) チェット越大統領夫妻 天皇皇后両陛下拝謁
*お断り:原文の一部を修正させて頂いております!
*日本の天皇皇后両陛下は11月26日、ベトナムのグエン・ミン・チェット大統領夫妻を招き会見した。皇居での歓迎式典席上、明仁天皇は日越両国間の友好と亦、今回のチェット大統領夫妻の訪日が両国関係の歴史の新たな友好と協力のマイルストーンになることを希望しますと語ると共に、近年、ベトナム国民と国家が一致団結し国家建設と発展に邁進し、絶大な功績を打ち立てたことを賞賛した。
チェット大統領は日本政府の温かい歓迎により、今回の訪日が成功することを希望し、ベトナムは国の発展に取り組んでいること、また日本政府と日本国民によるベトナムへの支援に謝意を述べました。
会見後、チェット大統領夫妻と天皇皇后両陛下、そして日越政府高官たちはフエ王朝伝統芸術シアター劇団から帯同してきた劇団員たちによるベトナム伝統音楽や日本の伝統芸能を楽しんだ。
歓迎式典と会見終了後、チェット大統領は、経団連とベトナム商工会議所共催の日越ビジネスフォーラムに出席し、このフォーラムに450名を越す日越の経営者が集まった。同大統領は日本政府の官僚や日本の企業家らのベトナムに対する興味が両国間の友好・協力の絆を深め、アジアの繁栄と平和をもたらす為の戦略的パートナシップの手助けになるだろうと訴えた。日本はベトナムの主要貿易国であると共に、ベトナム投資の最も高い国のひとつであるばかりか、日系企業により興された投資事業は外国直接投資の中で最も効果の高いものと考えられていますと述べ、これまで日系企業がベトナムの発展に寄与してきた貢献度は高く、今後ともベトナムへの投資を拡大して増大して貰いたいと語った。

現在、ベトナムは劇的な行政改革を実行中で、外国人投資家に魅力ある投資先として喜ばれるよう体系化した法整備と市場経済機関整備、そしてインフラ整備に邁進し、ベトナムが地域やグローバル経済と一体化し繁栄を目指して行き、日本との協力を最優先におき、日本の投資家が我が国に投資し易くなるよう奨励して行くと訴えた。その為に、ベトナムは今後とも、労働・貿易・金融・科学技術・教育・訓練・観光・環境保護などの日本の専門知識を必要としていると結んだ。

福田首相との会談では、今後の越日友好関係発展は高いレベルで寄与する事を確認し、日本の支援に謝意を述べ、越日の戦略的パートナーシップを見据えて、ベトナム国家と人民は北東アジアにある日本との関係強化を最優先事項に掲げ、共に協力して友好関係を更に発展させ、地域や世界レベルで平和と安定に貢献してゆくよう最大限の努力を惜しまずに続けたいと述べた。

(辛口寸評)  *お断り:原文の一部を修正させて頂いております!
昨年、グエン・タン・ズン首相の訪日に続き、今回のグエン・ミン・チェット大統領の訪日でも、天皇皇后両陛下による歓迎式典が催されたことは、如何に日本が今後のベトナムとの関係を重要視しているかのまさに現れと言えるだろう。
ベトナムの発展について、陛下直々にお言葉を掛けられたことは、特筆すべき事柄であり、これは日本の国家元首がベトナムの人々に対する気持ちを最大限にメディアを活用し、送り届ける絶大な効果が得られた。兎にも角にも、日本の対越姿勢が今後も、この様な形で気遣いを見せているうちは、盤石な友好関係は今後も末永く続いてゆくだろうし、個人的にもそうなって行って欲しいと心より願っている。

12月01日(土) 国産バイクメーカー販売伸びず
*ベトナム国内バイク市場は今年最高の販売ピークを迎えている。尤も、販売の主力は外国製ではあるがとアナリストはいう。
ベトナム自動二輪車・自転車協会(VAMBA)は、今年一年間のバイク総販売台数を250万台と予想しており、この内80万台は国内メーカー社製だとする。年末に向け売上に貢献しているのは、専ら外資系メーカーであり、ホンダ・ベトナムの10月の新車販売台数は103000台で、前の月より5000台増加 対前年同月比では30000台も増えているという。ヤマハ・ベトナムは10月に40000台以上新車販売を記録し、前の月より3000台増加したとする。ヤマハ・ベトナムのディン・クワン・トウアン市場調査課課長に因れば、高級で贅沢なあつらえのバイクの売り上げの伸びが際だっていたと話した。

一方、営業力を高め、市場を拡大しつつあるにも拘わらず、国産バイクメーカーの多くは外資系メーカーの健闘を傍観しているしかなかったとVAMBA副理事長レ・アイン・トウアンさんはいう。
国産メーカーの殆どは低価格帯のバイクを6~800万ドン(約375~500米ドル)で販売しているものの、伸びに繋がることなく20社ある国産メーカー内の好調といわれるところでも月産3000台前後の実績しか残せなかった。何故、国産メーカーの成績が不調に終わったのかというと品質改善の立ち後れ・多機能化への出遅れ、そしてレンタルバイク市場開発を怠って来たことに起因すると業界関係者は指摘した。

(辛口寸評)
先月、大学に通う義理の妹にバイクを一台購入した。ヤマハから売り出された、ちょっと小粋でお洒落なスクーターだ。ホンダも考えたが、女子大生の義妹が乗るならば燃費よりもデザイン重視で行こうと今回の選択と相成った。ところで、以前にも書いたがベトナム国産バイクを知るベトナム人は圧倒的に少数派であったが、ここへ来て昨年以降、これらメーカーの宣伝が功を奏し、徐々に知られるようになってきた。事実、現地の大型量販店やデパートで、彼らのバイクの販促がしばしば開かれ見かけるようになった。

しかし、残念ながら購入にはなかなか結びつかないのが実情のようだ。うちのスタッフに国産バイクについて尋ねたところ、買って3ヶ月くらいはなんの遜色も無く調子よく走るそうだが、その後に掛かる維持費が膨大で、結果的に安物買いの銭失いということになるらしく、貧しい世帯でももう少し辛抱しお金を貯め、日本製の廉価版バイクを買い求めるとのこと。恐らく今後も国産と外資系メーカーとの市場の差は埋まらないだろう。何と言ってもバイクの代名詞が既に“ホンダ”になっていて「このホンダ 君のホンダ?!」なんて会話が普通になされるこの国で、国産メーカーの市場奪還は夢の亦夢ではなかろうか。

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2007/11/30

グェン・ミン・チェット、ベトナム国家主席国賓訪日総括コメント

グェン・ミン・チェット国家主席は、25日からの国賓訪日を29日に関西で終えるに当たり、離日を前に大阪で、質問に対し概ね次のように答えました。

私(国家主席)は、この4日間、多くの仕事を日本で行う事ができました。
日本では、天皇皇后両陛下、福田首相を始め多くの方から心温まる歓迎を受けました。心から感謝申し上げます。

両国が抱える多くの案件について、100%異論なく合意できました。とりわけ福田首相と一致した中身は「共同声明」に表しています。昨年の安倍=ズン両国首相による会談で約束した内容は更に推進する事を確認しました。

ベトナムと日本は、来年(2008年)国交樹立35周年を迎えます。現在、両国の関係は強い相互信頼に基づき大変安定しています。日本とベトナムは、基本的に同じ文化を保ち兄弟のように結ばれています。何よりも、地政学的な面でも切っても切れない関係にあります。
現在、ベトナムは改革開放経済体制の下で、国家建設に取り組んでいます。この面での日本政府と国民の支援に深く感謝しています。いま、ベトナムは南部の中心都市ホーチミン市と首都ハノイの交通問題を解決することの必要性を抱えています。この点について、日本政府に説明し支援頂ける合意を得ました。両市の交通問題は全国の問題であり外国の投資者がベトナムへの投資を考える際、不可欠のテーマで避ける事ができません。

さて、ベトナムへの投資のテーマについて、率直にお話ししておく必要があります。
ベトナムへの投資は魅力に溢れています。
そのポイントは、
①ベトナムの労働者は若い。
②ベトナムの労働者は教育されている。
③投資費用が安く回収が早い。
④ベトナムは政治的に安定している。
特に④番目の「政治的安定」について強調しておきたい。
ベトナムは、平和で友好と発展の国です。かつて敵であった国とも仲良くし、世界各国と友好関係を保っています。ベトナムは2008年から2年間、国連の安全保障理事会の非常任理事国に選ばれました。世界の国々が「ベトナム」の存在を認めたのです。
ベトナム人はホスピタリティーに溢れています。政府も人民も非常に優しく友好的です。

一方、ベトナムは問題点も抱えています。
①社会資本が弱く、特に産業インフラ(交通・情報通信)が弱体です。
②サポーティングインダストリー(裾野産業)が弱体です。
③高い管理能力を持つ経営管理層が少ない。
④行政手続きが遅い→改善が必要で私たちの克服課題です。

私たちは、指摘されるマイナス面の改善克服に努力します。
現在、東京で勤務するチュー・トアン・カップ大使は間もなく任務を終え帰国します。次に大使として着任するグェン・フー・ビン外務次官を紹介しておきたいと思います。
私は、日本へ強力なスタッフを配置します。

世界の状況は複雑化を示しています。平和の「和」の中に「福」があります。複雑で困難な問題はチャンスに変えていかなければなりません。
ベトナムと日本の関係は、より強化され前進させる必要があります。
その理由は、ベトナムは長い間「米国から経済制裁を受け、国際貿易ができませんでした。その米国による制裁中にも、日本はその壁を開け支援してくれました。私たちは、この事を忘れません」。「ベトナムは、米国と望まない戦争を強いられましたが、今は、大変仲の良い国になりました」。

もう一度申し上げますが、2008年、ベトナムと日本は国交樹立35周年を迎えます。
関西は、日本の経済センターです。高い能力や技術力を保つ地域です。関西の友人による、ベトナムへの投資を求めたい、私は強く希望しています。

引き続き、ボー・ホン・フック計画投資大臣[ベトナム=日本友好議員連盟(ベトナム側)会長]も離日を前に大阪で、質問に対し同様に、概ね以下のように答えました。

ベトナムは、2007年に140億米ドルの投資を受け入れました。
私たちは2008年も、120億米ドル超の投資を受け入れ、8.5%程度の経済成長を維持します。この結果、2009年までに一人当たり950米ドルのGDP達成を得たいと考えています。

現在、ベトナムは、外国からの投資受け入れによる経済発展を原因として生じる様々で困難な問題を解決する必要に迫られています。
その一つが、南部のホーチミン市内の交通体系を整備するテーマとしての地下鉄東西線の建設です。また、ハノイ市内の混雑を地上交通を解消する交通整備が緊喫のテーマです。また、人材育成面では、高い技術、経営管理能力の開発が必要です。法律制度の整備も避けられません。また行政改革と効率化は重点対象と認識しています。
世界銀行の調査では、「ベトナムの投資環境は改善されている」と報告されていますが、ベトナムはもっと効率のよい方法を提供したいと考え、2週間(実質10日)以内に投資認可を出せるよう投資環境改善に取り組んでいます。

日本との関係では、日越投資保護協定に基づく、日越共同イニシャティブ第2フェーズの達成まで進みました。間もなく第3フェーズへ進む予定です。
第2フェーズでは「小売業」、「中古バイクの輸入」、「バイク部品の輸入基準」の分野が残されました。これらは、もう少し時間をかけることで解決できると考えています。
それを踏まえ、日越経済連携協定(EPA)の締結に向かいます。
関西の特徴は、高い技術力を保つ「中小企業」が産業軸となり、幅広い裾野産業を形成し大規模で強力な製造業を支えています。
ベトナムの裾野産業育成のためにも協力をお願いしたい。
そのためにも「外国語能力のある人材の育成に力を入れたい」。特に日本語教育には、JICA、JETRO、日本語センター、貿易大学を中心に力を注ぎたいと考えています。

今回のチェット国家主席訪日は、日本の政治環境(テロ特措法新法案、防衛省疑惑など)は国際政治を忘れ、国内問題に押され、日本では殆ど扱われる事もない無視した状況が続きました。この間隙に隠れ、NTTがデータセンターを投資するとか、三菱重工は航空機組み立て工場を投資するとか、ベトナムが望みもしない、米国の勝手な理屈による戦争を1960年代に強いられた際、その戦争に加担する事でボロ儲けし続けた側が、何の自己批判もせず厚顔無恥にも、今は状況が変化した、情勢が変わったからといい、進出投資する事を決めました。「コラコラコラム」主宰者には、これらの一連の流れに対し、内心、忸怩たる思いもありますが、「悲しみを乗り越え、『福』を得るため、努力を続けるベトナムに対し、やはり応援を続けたい」と考えを切り替え「悲しみ」を克服したいと思います。

<追加掲出:2007/12/01 2350>

ベトナム側発表による「日越首脳会談共通テーマと合意事項」。掲出まで日時を要しましたが、それぞれの確認と邦訳理解に時間を要しましたことをお詫び申し上げます。

Bigin Quotation →
Japan-Viet Nam Agenda Toward Strategic Partnership  27/11/2007 -- 9:48 PM Tokyo (VNA)-

112701_hoidam_2 The leaders of Viet Nam and Japan have agreed on an agenda towards “A strategic partnership” between their countries. Hereunder is the full text: Exchanges, Cooperation in Policy Dialogue, Security and Defense .

1. Exchanges at High Levels
Leaders of both countries make annual visits in recent years, including this State Visit of President Nguyen Minh Triet to Japan . President Nguyen Minh Triet reiterated the invitation to Their Majesties the Emperor and Empress of Japan and other members of the Imperial Family to visit Vietnam . President Nguyen Minh Triet officially extended an invitation to Prime Minister Yasuo Fukuda to pay an early visit to Viet Nam. The two sides express their wishes for the Secretary General of the Communist Party Nong Duc Manh’s visit to Japan at an early and mutually convenient date. The two sides strongly hope that a visit by Chairman of National Assembly Nguyen Phu Trong to Japan will be realized early next year at the invitation of the Speaker of the House of Representatives.

2. Japan-Vietnam Cooperation Committee
Policy dialogue is important in deepening bilateral relations toward a strategic partnership. Both countries successfully held the Japan-Vietnam Cooperation Committee in May this year, which is a comprehensive policy dialogue framework headed by Foreign Ministers of both countries, and will hold the 2nd meeting of the Japan-Vietnam Cooperation Committee in Vietnam in 2008.

3. Government-to-Government Exchanges
Government-to-government dialogues are implemented in various fields, including the Vice Foreign Ministerial Political Consultation. The Vietnamese side appreciates Japan’s various invitation programs for many Vietnamese government officials. In this connection, the Japanese side welcomes Vietnam’s initiative to commence an invitation program of mid-career Japanese diplomats next year.

4. Defense Exchanges
Defense exchanges have been making a steadfast progress between the two countries such as the Politico-Military(PM)/ Military-Military(MM) Dialogues, Staff Talks and education. Chief of Staff, Japan Ground Self-Defense Force visited Vietnam in March. The two sides express their willingness to further promote the defense relations by continued exchanges of military delegation, including high-level defense officials’ visits and ship visits by the Japan Maritime Self-Defense Force.

5. Public Security, Police
Minister of Public Security Le Hong Anh visited Japan in April this year. Reaffirming the importance of exchanges between police authorities, the two sides hope to develop further specific cooperation in this field. In this connection, the Japanese side will consider sending a mission of high-ranking police officers to Vietnam.

6. Parliamentary Friendship Associations
Parliamentary Friendship Associations of Japan and Vietnam highly contribute to solidifying bilateral relations. Members of parliaments of both countries frequently visit the other country. The chairman of Japan’s Parliamentary Friendship Association to Vietnam , Mr. Tsutomu Takebe, and other members visited Vietnam in August while the chairman of Vietnam’s Friendship Association to Japan, Mr. Ho Duc Viet visited Japan in October by Japan’s invitation program. The two sides express their expectation that a mechanism for regular dialogue between members of parliaments of both countries is established.

Comprehensive Economic Partnership.

7. Investment Environment
“The Japan-Vietnam Joint Initiative to Improve Business Environment with a view to strengthening Vietnam’s Competitiveness” was productive and contributed to a large increase in Japan’s investment in Vietnam. Japan’s investment in Vietnam increased tenfold in the past three years. The two sides will sincerely cooperate in the follow-up of the report of the Vietnam-Japan Joint Initiative Phase II in November. The two sides will commence the Vietnam-Japan Joint Initiative Phase III. The two sides also emphasize the importance of reinforcing the intellectual property protection to attract investment. They affirm the implementation of the Vietnam Project Phase II of Policy Framework for Investment (PFI) under the OECD initiative, for which Japan is committing experts’ and financial contributions in order to improve the investment environment in Vietnam.

8. Japan-Vietnam Economic Partnership Agreement (JVEPA)
The two sides attach great importance to the Japan-Vietnam Economic Partnership Agreement and acknowledge the positive outcomes of the intensive negotiating rounds since January 2007. They express their determination to further advance the negotiation to conclude a mutually beneficial and high-level agreement at the earliest possible date.

9. Official Development Assistance (ODA)
The Vietnamese side expresses its deep gratitude for Japan’s contribution to Vietnam’s economic and social modernization as the largest donor country in Official Development Assistance (ODA), the accumulated volume of which amounts to 478.8 billion yen in the past five years from 2002 to 2006 of the Japanese fiscal year. The annual volume of Japan’s ODA to Vietnam has surpassed one hundred billion yen since the Japanese fiscal year 2005. The Japanese side will continue cooperation especially in the fields of improvement of infrastructure, investment climate and environmental protection through Japan’s ODA in the upcoming years.

10. The South-North Highway, the South-North High-Speed Railway, the Hoa Lac Hi Tech Park
The Vietnamese side highly appreciates the sincere cooperation that Japan has rendered to Vietnam on the South-North Highway , the South-North High-Speed Railway and the Hoa Lac Hi Tech Park which Vietnam proposed in the Joint Statement last year. The cooperation includes Japan’s mission to Vietnam in February, the preliminary study on transportation strategy in June, the business mission and the completion of the study for up-grading the master plan on Hoa Lac High Tech Park in November. The two sides welcome the cooperation in preparing for projects to develop Hoa Lac Hi Tech Park, including the study on possible cooperation for related infrastructure in the Park. The Vietnamese side expresses its hope for the establishment of the Advanced Technology and Science Institute within Hoa Lac Hi Tech Park. The two sides will maintain their mutually beneficial partnership and continue their effective cooperation in these three major projects.

11. Major Infrastructure
The Vietnamese side expresses its deep gratitude for Japan’s assistance to infrastructure development in Vietnam, including major bridges, ports, roads and others, and welcomes the opening of the terminal of Tan Son Nhat International Airport this year, as well as the progress of cooperation on Ho Chi Minh City urban railways. The Vietnamese side asks Japan to participate in U rban Transportation Improvement Projects in Hanoi and Ho Chi Minh City. The Japanese side reaffirms its firm support for Vietnam’s socio-economic development by providing assistance in priority areas such as promotion of growth, improvement in living standard and resolution of social problems, and institutional building while utilizing advanced Japanese technology and expertise. The two sides express their regrets over Can Tho Bridge accident, stress the importance of safety in infrastructure construction, and reaffirm their continued cooperation in this area.

12. Stock Exchange
The two sides welcome cooperation between Tokyo Stock Exchange Group and Ho Chi Minh Stock Exchange, and hope that Financial Services Agency of Japan and the Ministry of Finance of Vietnam will establish a mechanism for mutual cooperation in the future.

13. Business Exchanges
The two sides reaffirm the importance of exchanges in business between the two countries, and appreciate JETRO organized business mission and exhibition on supporting industries as the efforts to develop supporting industries in Vietnam. The two sides also appreciate the economic forums organized in Tokyo and Osaka on this occasion of President Nguyen Minh Triet’s visit to Japan.

14. Regional Economic Cooperation
To consolidate the prosperity in the region, the two sides welcome the conclusion of the negotiation of the ASEAN-JAPAN Comprehensive Economic Partnership (AJCEP) Agreement and concur on the importance of an early entry into force of the AJCEP Agreement and the promotion of regional economic cooperation such as the study on Comprehensive Economic Partnership in East Asia (CEPEA), and the timely establishment of the Economic Research Institute for ASEAN and East Asia (ERIA).

15. World Trade Organization (WTO)
The Japanese side welcomes the accession of Vietnam to the WTO in 2007. The Japanese side welcomes Vietnam ’s strong efforts toward becoming a market economy. The two sides will cooperate toward an early and successful conclusion of the Doha Round negotiations with a comprehensive and balanced outcome. In this regard, the Japanese side will continue to support Vietnam in its implementation of WTO commitments as well as further integration into the multilateral trade system.

Improvement of the Legal System and Administrative Reforms

16. Enhancement of the Legal System
Acknowledging the importance of the rule of law in the social and economic development of Vietnam, the Vietnamese side expresses its gratitude for Japan’s assistance in this field, and welcomes new projects concerning the enhancement of the legal system, including assistance to the drafting of revised laws of Criminal Procedures Code and Civil Procedures Code and the new State Compensation Law.

17. Administrative and Fiscal Reform
The Vietnamese side is committed to improving the governance under the Doi Moi Policy and appreciates Japan ’s assistance to Vietnam ’s institutional reform, including financial support such as Poverty Reduction Support Credit (PRSC) and assistance on tax system reform.

Science and Technology

18. Agreement between Japan and Vietnam on Cooperation in Science and Technology
The first meeting of the Joint Committee on Science and Technology was successfully held in March 2007, in which Ministers of both countries in charge of science and technology participated. The two sides will promote cooperative projects listed in the first meeting and hold the second meeting in Vietnam in 2008.

19. Cooperation between Related Institutions
Cooperation on science and technology such as biomass progresses between the Vietnam Agency on Science and Technology (VAST) and respective Japanese counterpart bodies such as Japan Society for the Promotion of Science (JSPS), and the National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST). The two sides will promote cooperation between related institutions.

20. Outer Space
The two sides appreciate the cooperation in such fields as remote sensing with its applications, small satellite development with its applications between the Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA) and the Vietnamese Academy of Science and Technology (VAST) based on their Agreement. The two sides will cooperate for the success of the fifteenth session of the Asia-Pacific Regional Space Agency Forum (APRSAF-15) co-hosted by Japan and Vietnam in Vietnam in 2008.

21. Infectious Diseases
The Vietnamese side is gratified with Japan’s assistance to the National Institute of Hygiene and Epidemiology of Vietnam, which plays a role as the center of excellence in infectious diseases. Both countries will utilize it as the center of the Mekong region in the future.

22. Information Communication Technology (ICT)
The Vietnamese side highly appreciates ongoing cooperation on information and communication technology under the framework of “Asia Broadband Program” and “Asia IT Initiative,” and welcomes the progress of cooperation on the next generation IP based network and mobile technology this year. The two sides stress the importance of Japan’s ODA cooperation in the Project on Higher Education Development Support Project on ICT and Project on Rural Community Internet Use Development.

Climate Change, Environment, Natural Resources and Energy

23. Climate Change
Climate change has become an imminent challenge for the world as a whole. In this regard, the Vietnamese side appreciates the Japanese proposal “Cool Earth 50” to achieve the ultimate objective of the United Nations Framework Convention on Climate Change (UNFCCC) and the two sides share the need to cut global emissions by half from the current level by 2050. The two sides will take part in the establishment of an effective framework for addressing climate change beyond 2012 in which all major emitting countries participate. The two sides will further promote mutual cooperation to address climate change and to promote the improvement of energy efficiency and the use of clean energy, including nuclear energy and to promote the measures for natural disaster risks raised by climate change. The two sides concur to promote co-benefits approach, which address domestic environmental pollution and climate change simultaneously. The two sides will continue the cooperation in promoting the use of the Clean Development Mechanism (CDM).

24. Environment
The two sides highly appreciate bilateral and multilateral cooperation in the field of environment, such as water, 3R (Reduce, Reuse, and Recycle) planning, hazardous waste management, pollution control, forest and wetland conservation. In order to reduce greenhouse gas emissions and conserve biodiversity, they concur on the importance of sustainable forest management, and will work together in this area through bilateral and multilateral cooperation such as the Asia Forest Partnership (AFP), and UN Food and Agriculture Organization (FAO). The two sides recognize the significant contribution of wide use of the environmentally friendly regional passenger aircraft developed in Japan to the solution of the environmental problem in Asia and the rest of the world. The Japanese side emphasizes the significant contribution of wide use of the environmentally friendly regional passenger aircraft developed in Japan to the solution of the environmental problem.

25. Natural Resources and Energy
The two sides reaffirm the importance to set goals and formulate action plans for improving energy efficiency by 2009 under the CEBU Declaration on East Asian Energy Security and Singapore Declaration on Climate Change, Energy and the Environment. The Vietnamese side highly appreciates Japan ’s cooperation in the area of mineral resources, coal, oil and natural gas, oil stockpiling, electricity, energy efficiency and conservation, and clean energy. The two sides welcome the progress of cooperation this year, such as the Japan-Vietnam energy forum in March, the joint geological investigation project for rare-earth elements in the northern area of Vietnam commenced in October. The two sides will promote cooperation in the near future, including policy dialogue on coal and mineral resources.

26. Nuclear Energy
Cooperation on peaceful use s of nuclear energy is important from the standpoints of energy security and protection of the global environment. The two sides express their intention to continue bilateral cooperation including development of necessary infrastructure for the peaceful uses of nuclear energy in Vietnam . The two sides will promote multilateral cooperation in the framework of the Forum for Nuclear Cooperation in Asia (FNCA) and welcome the 8 th FNCA Ministerial Meeting to be held in Tokyo in December this year. With respect to the peaceful uses of nuclear energy, it is necessary to ensure non-proliferation, safety and security, for which the IAEA Additional Protocol, the Convention on the Physical Protection of Nuclear Material, and the Convention on Nuclear Safety play vital roles. These efforts could lead to discussions on a bilateral agreement for nuclear cooperation in the future.

27. Energy Efficiency and Renewable Energies
Especially in the field of energy efficiency and renewable energies, the two sides welcome the progress of model projects such as promotion of introduction of high performance industrial furnace, and introduction of technology for power generation by industrial solid waste. The Vietnamese side highly appreciates that Japan dispatches an expert to the Ministry of Industry and Trade on the long term basis in the field of energy efficiency.

Mutual Understanding between the Peoples of the Two Countries

28. The 35th Anniversary of the Establishment of Diplomatic Relations
Next year is the 35th anniversary of the establishment of diplomatic relations between Japan and Vietnam. The two sides hope for the deepening of mutual understanding between their peoples through various exchanges, particularly the filmmaking activities by students now underway in Vietnam, as well as music festivals in Ha Noi and Ho Chi Minh and a Vietnam Festival to be held next year in Japan.

29. Youth Exchanges
It is important to promote people-to-people exchanges, especially youth exchanges for deepening mutual understanding between the peoples of both countries. The Japanese side will receive as overseas students or invite more than 2,000 Vietnamese youths to Japan in the coming five years under various programs including the Japan-East Asia Network of Exchange for Students and Youths (JENESYS) Programme and programs based on ODA schemes. The Vietnamese side welcomes this initiative.

30. Cultural Exchanges
The Vietnamese side welcomes the establishment of “The Japan Foundation Center for Cultural Exchange in Vietnam.” The two sides will further promote cultural exchanges, and hope that the Japan-Vietnam Cultural Exchange Forum would make a valuable contribution to the promotion of friendship and cooperation between Japan and Vietnam. The on-going project of hybridizing lotus of both countries will symbolize cultural similarities and contribute to the promotion of friendship.

31. Education, Academic Exchanges, Human Resource Development
The two sides recognize the importance of educational cooperation, especially between universities, research institutes and human resource development centers. The Vietnamese side expresses its satisfaction over increase in the number of Vietnamese students in Japan. The two sides welcome the progress of Japanese language education in Vietnam at all the levels including compulsory education. The two sides will promote cooperation to foster Vietnam’s opinion leaders in the field of Japan study.

32. Cultural Heritage
Progress has been made under the framework of the Japan-Vietnam Cooperation Committee on the preservation of Thang Long cultural heritage. The two sides will commence full-dress cooperation by utilizing UNESCO Japanese Funds-in-Trust. The two sides welcome the progress of cooperation on the preservation of Sea Port Hoi An as well as the ancient village in Duong Lam Commune of Ha Tay Province.

33. Tourism
Tourism is an area of great potential. The two sides will move forward with the implementation of the Action Plan approved by the two sides in the 1 st Meeting of the Japan-Vietnam Tourism Cooperation Committee in 2005 and will hold the 2 nd Meeting in Japan next year.

34. Exchanges between Local Governments
The two sides emphasize the significance of exchanges between local governments, including sister cities with a view to enhancing the mutual understanding and beneficial cooperation in economic, cultural, education and exchange-of-personnel areas.

Cooperation in the International Arena

35. United Nations (UN)
The Japanese side congratulates Vietnam’s first non-permanent membership in the UN Security Council for the period 2008-2009 and appreciates Vietnam ’s support for Japan ’s candidacy for the non-permanent membership of the Security Council for the period 2009-2010. The two sides reaffirm their determination to strengthen cooperation in the UN, especially at the Security Council. The two sides stress the need for early reform of the UN Security Council. The Vietnamese side reaffirms its support for Japan’s permanent membership of the Security Council.

36. Peacekeeping and Peacebuilding
The two sides can collaborate more closely to promote dialogue and information exchange on the United Nations Peacekeeping Operations (PKO) as well as other peacebuilding efforts. The two sides will promote cooperation in human resource development for peacebuilding.

37. Counter Terrorism
The two sides reaffirm the importance of regional cooperation in counter-terrorism and recommend that ASEAN Member countries strengthen cooperation in this area.

38. Human Security
Human security should be jointly addressed by the international community. The two sides will strengthen cooperation from this perspective in addressing various global challenges in the international arena.

39. East Asia Cooperation
The two sides will work towards enhancing regional integration based on internationally shared interests, peace, security, stability and prosperity, through closer cooperation in existing frameworks such as the Japan-ASEAN cooperation, EAS and ASEAN+3. The Vietnamese side welcomes Japan’s continuous commitment in supporting ASEAN’s effort at narrowing the development gaps and closer regional integration towards building an ASEAN Community by 2015.

40. Mekong Region Development
The Vietnamese side highly values Japan’s commitment to the Mekong Region Development, including the Japan-Mekong Region Partnership Program which Japan announced in January this year. The two sides recognize great potentials of the East West Economic Corridor to the regional development. They reaffirm closer cooperation to make sure that the corridor be best used and improve infrastructures and efficiency of logistic services, thus creating favorable conditions for businesses from both countries to increase their investment in the corridor. In this regard, the two sides will cooperate for the success of an actual run test along the East-West Corridor. The two sides will adopt a package of cooperation projects on Development Triangle in Japan-Mekong Foreign Ministers’ Meeting next January by utilizing 20 million USD of the Japan-ASEAN Integration Fund (JAIF).

41. Democratic People’s Republic of Korea (DPRK)
The two sides state the importance of resolving the outstanding issues concerning the DPRK for maintaining peace and stability in North East Asia and the Asia Pacific and welcome the implementation of the “Initial Actions” agreed in the Six-Party Talks and the adoption of the “Second-Phase Actions for the Implementation of the Joint Statement.” It is Japan’s strong intent to normalize relations with the DPRK through comprehensively resolving all the outstanding issues between Japan and the DPRK, and the Vietnamese side supports all efforts to this end. The two sides call for the full implementation of the denuclearization process agreed in the October 3 agreement, and that all parties continue to take concrete and effective steps toward the full implementation of the Joint Statement of 19 September 2005. The two sides stress the need for the DPRK to address the humanitarian concerns of the international community, including the abduction issue.

42. Myanmar
The two sides express their profound concerns over the current situation in Myanmar. They emphasize the urgent need for an expedited national reconciliation process that includes genuine dialogues between all parties concerned. They call on the government of Myanmar to render their full cooperation with the UN, in particular with Secretary-General’s Special Advisor Ibrahim Gambari.

43. Africa
The two sides concur on the importance of sharing Asia's successful experience in economic development with Africa, and will continue to consider joint projects between Japan , Vietnam and an African country in the spirit of the Tokyo International Conference on African Development (TICAD). In this connection, the two sides share a willingness to consider conducting trilateral cooperation in Mozambique . The Japanese side invited the Vietnamese leader to attend the fourth Tokyo International Conference on African Development (TICAD IV) on 28-30 May 2008 in Yokohama . The Vietnamese side commends the significant contribution the TICAD IV process is making for African development and reaffirms its readiness to cooperate for the success of TICAD IV. The Vietnamese side will send a high-level Governmental delegation to the Conference.

44. Disarmament and Non-Proliferation
The two sides reiterate their commitment to disarmament and non-proliferation, expressing their strong concerns over proliferation of weapons of mass-destruction including nuclear weapons and their means of delivery, and will continue cooperation and work as partners in this area. The Vietnamese side reaffirms its commitment to an early approval of the IAEA’s Additional Protocol.-Enditem
Copyright, Vietnam News Agency (VNA)   ←Quotation End.

かつて、故ホー・チ・ミン主席は「幸せを運ぶ人」になりたい、「幸せを運ぶ人」であり続けたいと、ささやかに希望されました。故ホー・チ・ミン主席の呼び掛けに「人」として感動した側に身を置く一人として、大きな意味で「幸せを運ぶ人」の意義を改めて考えたいと思い返しています。

この度の国賓訪日を様々な立場で支えられました、両国の関係各位、皆様のご苦労に謝し、ご慰労申し上げたく存じます。「お世話になりました。ありがとうございました」。

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2007/11/29

ベトナムのグェン・ミン・チェット国家主席(大統領)関西(京都・大阪)へ、29日帰国離日へ!

東京から京都へ移る。

28日、東京で「プレスセンター::日本記者クラブ」に内外の報道関係者を集め、①ベトナムの外交政策、とくに改革開放政策と経済発展の重要性について力説。世界の全ての国との友好関係を維持する事の重要さについて言及した。また②日本との関係について、ベトナムと日本の関係は大変良好で、互いに重要な戦略的パートナーとして友好関係を更に発展させる事が大切だと指摘した。ベトナムはWTOに加盟する一方で、日本との間で経済連携協定(EPA)を結ぶ交渉を進めている、早期に締結される事を希望している旨の発言がありました。

引用開始→ 日本との経済連携協定、来秋に合意…ベトナム国家主席  (讀賣On Line)

来日中のベトナムのグエン・ミン・チェット国家主席(大統領)は28日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、日本と交渉を進めている自由貿易協定を柱とした経済連携協定(EPA)について、来年9月の両国の国交樹立35周年をめどに合意したいとの意向を示した。

チェット主席は、同協定について、「できるだけ早く合意したい」と述べた上で、国交樹立35周年を合意のめどと考えているかとの質問に対して、「そう希望している」と答えた。
(2007年11月28日23時52分  読売新聞)
Copyright © The Yomiuri Shimbun.  ←引用終わり

この後、NHKとの単独インタビューを終えました。

ベトナムと日本の関係は、二国間援助では、日本が最大であり、この点について「ベトナムを代表し、日本政府と国民に感謝する」と話があり、1986年からの改革開放経済政策により、ベトナムは世界市場でポジションを得ることができるようになり、経済成長も維持している。現在の発展を維持する上からも、更に政策強化を図ると共に、外国からの投資者に対するサービスを強化する。日本からの様々な支援は、次世代を担う人材教育や貧困克服のため大変役立ち、有効に活用し、その成果も出始めている。などと話ました。

2007112818414350942629_t東京での公式日程を終了した、グェン・ミン・チェット国家主席は、宿泊先で、天皇皇后両陛下からの見送りを受け、東京駅から新幹線で次の訪問地である京都へ向かいました。

28日午後、新幹線で京都へ入りした後、以前から強い要望を示された京野菜栽培農家を訪問。大都市近郊での付加価値の高い農業生産について、熱心に意見交換しました。(写真は、宿舎前で天皇皇后両陛下からのお見送り:VOV News)

Makethumbnail1128夜半、京都府知事、京都市長、京都商工会議所会頭など京都を中心にした関西の経済界首脳を交えた歓迎会に臨みました。(写真は、京都での歓迎会で:Vietnam News Agency)

29日は、早朝から大阪で、ベトナムへの投資セミナーを主催すると共に、関西(大阪)での訪問先を廻り夜半、関西国際空港から帰国の途に就く予定です。

事前確認を伴う日本-ベトナム外相会談(シンガポール:ASEAN首脳会議/東アジア首脳会議 2007/11/20)

日本-ベトナム外相会談(概要)  (日本国外務省公表文書)
平成19年11月20日

071120_3_smofa11月20日14時25分から14時55分にかけて、シンガポール(シャングリラホテル内会議室)において、高村外務大臣とキエム・ベトナム副首相兼外相との間で日越外相会談が開催されたところ、概要以下のとおりです。

1.チエット国家主席の国賓訪日
双方は、来週からのチエット国家主席の国賓訪日が日越関係の中で極めて重要であり、訪日の成功に向けて万全の準備をしていくことで一致した。

2.カントー橋崩落事故
高村大臣より、カントー橋崩落事故の犠牲者とご遺族に対し、改めて哀悼の意を表するとともに、円借款事業で多数の犠牲者が出たことは遺憾であると述べ、原因究明に可能な限り協力するとともに再発防止に努力したい旨の発言があった。これに対して、キエム副首相より、弔意の表明に感謝が表明されるとともに、日本政府の本件への対応を高く評価しているとの発言があった。

3.経済協力
高村大臣より、日本はメコン地域を経済協力の重点地域とし、今年度より3年間、貴国をはじめとする地域のODAを拡充するとした上で、明年1月に東京で開催する日メコン外相会議の成功に向け協力したいと述べた。キエム副首相より、これまでの日本のODA、特に南北高速道路、南北高速鉄道、ホアラックハイテクパークの3プロジェクトは、日越友好協力の象徴であるとして、日本の支援に謝意が示された。

4.日越外交関係樹立35周年
双方より、明年の日越外交関係樹立35周年を通じて、両国の友好が益々深まることへの期待が示された。

5.国連
高村大臣より、明年よりベトナムが国連安保理非常任理事国入りすることにつき祝意を表明し、ベトナムの我が国の常任理事国入り及び2008年安保理非常任理事国選挙に対する力強い支持に謝意を表明した。

6.北朝鮮
高村大臣より、ベトナムと北朝鮮は首脳の相互訪問を行うなど関係が緊密化しているところ、拉致問題を含む日朝関係が進展するよう側面支援をお願いしたいと述べた。キエム副首相より、最近の越朝要人の相互訪問の概要等について説明を行った上で、拉致は国際法及び人道に反する行為であり、ベトナムとして受け入れることはできない旨の発言があった。

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2007/11/28

日本-ベトナム共同声明を発表(11月27日)!

グェン・ミン・チェット国家主席の国賓訪日と日越政府共同声明など。

0711nmt_mof071126掲出写真は、皇居での歓迎式典(11月26日午前:外務省提供)

国賓訪日中の、ベトナム社会主義共和国グェン・ミン・チェット国家主席(大統領)は、昨日夕方、首相官邸を訪問し福田康夫首相と会談。両国の共同声明に署名し発表した。
(以下:日英文で掲出)

深化する日本・ベトナム関係に関する共同声明  [日本国外務省:公表文]
(英文はこの文書に続けて掲出)

グエン・ミン・チエット ベトナム社会主義国主席夫妻は、日本の招待により、2007年11月25日から29日まで国賓として訪日した。ベトナムとして初の国家主席訪日で初の国賓である。2007年11月26日、天皇皇后両陛下は、グエン・ミン・チエット国家主席夫妻のため、皇居での厳粛な歓迎式典に引き続き、晩餐会を開催した。

2007年11月27日、福田康夫日本国内閣総理大臣及びグエン・ミン・チエット国家主席は、友好的且つ建設的な雰囲気の下で首脳会談を開催した。双方は、2006年10月にグエン・タン・ズン首相が訪日した際に両国首脳が日越共同声明「アジアの平和と繁栄のための戦略的パートナーシップに向けて」を発出し、安倍晋三総理が2006年11月にハイレベルな大規模経済ミッションとともにベトナムを訪問するなど、近年目覚ましく日越関係が発展していることに満足の意を示した。

双方は、長年にわたり日本がベトナムにとって最大の経済パートナー且つ最大の援助国であることに言及した。近年、両国の経済関係は目覚ましく拡大している。日本のベトナムに対する経済活動及び経済協力は、ベトナムの経済・社会発展に大きく貢献している。ベトナムは、新興市場として台頭しており、地域の経済成長の原動力となっている。双方は、両国国民のため、また日越共同声明にあるアジアの繁栄のため、包括的な経済パートナーシップを構築することを熱望している。

双方は、ベトナムが国際社会に統合するにつれ、日ベトナム間のパートナーシップが地域及び地球規模的な側面から強まっていることに一致した。ベトナムでの2006年のAPEC首脳会議、日ASEAN首脳会議、ASEAN+3首脳会議、東アジア首脳会議(EAS)など種々の国際的会合において、日ベトナム両国は地域及び地球規模の問題につき協力を行ってきた。ベトナムは2008年から初めて国連安全保障理事国非常任理事国となり、2009年ASEM外相会合を主催する。双方は、アジア太平洋及び世界全体の平和に積極的に協力していくことに意見が一致した。

双方は、共同声明発出後1年間にも、二国間関係が大幅に拡大・深化していることを認識した。双方は、明年に日ベトナム両国が外交関係樹立35周年を迎えることを踏まえ、二国間関係を一層拡大する機運が高まっていることを認識した。双方は、協力の進展を振り返り、別添のとおり、日ベトナム両国の戦略的パートナーシップに向けたアジェンダに一致し、二国間関係を一層拡大する決意を表明した。

グエン・ミン・チエット国家主席は、同国家主席夫妻及びベトナム代表団に対する天皇皇后両陛下、日本国政府、国民のあたたかなもてなしに謝意を表明した。

2007年11月27日、東京

福田康夫 日本国内閣総理大臣    グエン・ミン・チエット ベトナム社会主義共和国主席
Copyright(C):The Ministry of Foreign Affairs of Japan

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Joint Statement on the Deepening Relations between Japan and Vietnam  [MOFA Japan]

President of the Socialist Republic of Vietnam Nguyen Minh Triet and Madam paid a State Visit to Japan from 25 to 29 November, 2007 at the invitation of Japan, which was the first visit by President of Vietnam as well as the first State Guest from Vietnam. On 26 November, 2007, ensuing the solemn welcoming ceremony at the Imperial Palace, Their Majesties the Emperor and Empress of Japan warmly received and hosted a State Banquet in honor of President Nguyen Minh Triet and Madam.

On 27 November, 2007, Prime Minister of Japan Yasuo Fukuda and President Nguyen Minh Triet held a Summit meeting, which proceeded in a cordial and productive atmosphere. The two sides noted with satisfaction the impressive development in the overall relations between Japan and Vietnam, in particular Prime Minister Nguyen Tan Dung's official visit to Japan in October, 2006 when the leaders of the two countries issued the "Japan-Vietnam Joint Statement Toward a Strategic Partnership for Peace and Prosperity in Asia," and Prime Minister Shinzo Abe's visit to Vietnam in November, 2006 accompanied by a high-level, large-scale economic mission.

The two sides noted that, for many years, Japan had been the largest economic partner and the largest donor to Vietnam. Economic relations between the two countries have expanded remarkably in recent years. Japan's economic activities and assistance to Vietnam have contributed significantly to Vietnam's economic and social development. Vietnam has risen as an emerging economy and has become a driving force for regional economic growth. The two sides are keen to establish a comprehensive economic partnership for the benefits of the two peoples and for the sake of prosperity in Asia as enshrined in the Japan-Vietnam Joint Statement.

The two sides concurred that as Vietnam became integrated into the international society, the partnership between Japan and Vietnam had been reinforced both from regional and global aspects. In various international fora, such as the 2006 APEC Economic Leaders' Meeting in Vietnam, ASEAN-Japan Summit, ASEAN+3 Summit and East Asia Summit, Japan and Vietnam cooperated in regional and global issues. Vietnam will become a non-permanent member of the Security Council of the United Nations for the first time in 2008, and host the Foreign Ministerial Meeting of ASEM in 2009. The two sides held the view that their close cooperation would actively contribute to peace in the Asia-Pacific region and the world at large.

The two sides acknowledged that even in one year since the Joint Statement, the bilateral relations had expanded and deepened significantly. Bearing in mind that the next year is the 35th anniversary of the establishment of diplomatic relations between Japan and Vietnam, the two sides recognized that the two countries had gained momentum for further expansion of their relations. Reviewing the progress of cooperation, the two sides shared the view on an agenda toward a strategic partnership between Japan and Vietnam as attached, and expressed their determination to further deepen the bilateral relations.

President Nguyen Minh Triet expressed his sincere appreciation for the gracious reception and hospitality extended to himself, his wife and the Vietnamese delegation by Their Majesties the Emperor and Empress as well as Government and people of Japan.

Tokyo, 27 November 2007

Yasuo Fukuda Prime Minister of Japan 
Nguyen Minh Triet President of the Socialist Republic of Vietnam
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Copyright(C):The Ministry of Foreign Affairs of Japan

高村外務大臣のチエット・ベトナム国家主席表敬  [日本国外務省:公表文]
平成19年11月26日

26日、高村外務大臣は国賓として訪日中のチエット ベトナム国家主席を表敬したところ、右概要以下のとおり(先方:カップ在京大使、ビン外務次官、ルック国家主席府副主任他、当方:服部駐越大使、渥美南部アジア部長他同席)。

071126高村大臣より、ベトナムから初の国賓訪問を歓迎し、戦略的パートナーとして、両国関係が発展していることを述べた。チエット国家主席より、両国関係が日々発展しており、日本の投資が大幅に増えるなど戦略的パートナーシップが現実化しつつあることに言及した上、高村大臣の早期訪問を招待した。
高村大臣より、ベトナムを含むメコン地域を重視し、同地域へのODA拡充に努めている、明年1月に日メコン外相会議を開催するので協力したい旨述べた。また、高村大臣より、ベトナムが2008年から国連安保理非常任理事国となることに祝意を表しつつ、ベトナムが2008年の日本の非常任理事国選挙や常任理事国入りを支持していることに謝意を表した。チエット国家主席より、ベトナムのWTO加盟や非常任理事国入りへの日本の支持に謝意を表しつつ、日本の国際的役割を高く評価し、2008年の非常任理事国選挙や常任理事国入りへの支持を再確認した。
高村大臣より、カントー橋崩落事故に関し哀悼の意を表し、ベトナムの事故原因究明努力に協力していき、その上、再発防止に努めたい旨述べた。チエット国家主席より、日本の協力に謝意を表しつつ、両国で協力して事故を克服し、事故が両国の友好関係に影響を与えないようにしたい、将来、同橋を両国友好のシンボルとしていきたい旨述べた。
Copyright(C):The Ministry of Foreign Affairs of Japan

この他、「北朝鮮」に関わる問題についても意見交換があり、チェット国家主席から「日本と北朝鮮の問題について、ベトナムも解決に向け協力したい」との表明がありました。

引用開始→ 中山補佐官 ベトナム派遣へ  (NHK On Line)

会談の中で福田総理大臣は、「日本は北朝鮮に対し、拉致や核、それにミサイルの問題を解決するため、具体的な行動をとるよう求めている。ベトナムと北朝鮮は関係が緊密化しているが、ぜひベトナムから北朝鮮へ働きかけるようお願いしたい」と述べました。そのうえで福田総理大臣は、拉致問題を担当する中山総理大臣補佐官を、近くベトナムに派遣し、具体策を協議したいと提案しました。これに対し、チェット主席は、「日本が憂慮している問題について、気持ちを分かち合いたい。日本と北朝鮮の関係を改善するために、ベトナムとしてやれることがあれば、できるかぎり協力したい」と述べ、提案を受け入れる考えを伝えました。また、チェット主席が、「日本のODA・政府開発援助がベトナムの発展に大きく貢献している」と述べたのに対し、福田総理大臣は、今後3年間にベトナムを含めたメコン地域へのODAを拡充していく考えを示しました。
11月27日 23時12分   (NHK On Line)  ←引用終わり

27日は、東京で、三菱重工、丸紅、伊藤忠、三菱商事、住友商事など各社と、ベトナムへの投資についての受け入れ契約「合計14件42億米ドル(約4650億円)」を確認し契約書に署名。この度の国賓訪日での民間分野での成果を確認。

引用開始→ 日本企業、ベトナム投資を加速  (日経NET)

日本企業がベトナムへの投資を加速する。三菱重工業が航空機部品工場の建設を決めたほか、NTTコミュニケーションズは政府関連機関と組みデータセンターを整備する。住友商事や丸紅は発電設備建設の検討に入った。ベトナムはBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)諸国に次ぐ経済拡大が期待され、各社が戦略地域に位置づける動きが鮮明だ。

各社は27日、来日中のベトナムのグエン・ミン・・チェット国家主席(大統領)が出席した会合で投資計画を発表し、ベトナム政府機関などと覚書を交わした。(08:35)
Copyright 2007 Nikkei Inc. / Nikkei Digital Media, Inc. All rights reserved.   ←引用終わり

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2007/11/26

ベトナムのグェン・ミン・チェット国家主席、25日午後、国賓訪日(到着)!

グェン・ミン・チェット国家主席(大統領)は、25日午後、ハノイから特別機で羽田へ到着。
チュー・トアン・カップ大使等、日本政府関係者の歓迎を受け、ベトナムと日本の友好関係強化、相互信頼強化に向け、日本での取り組みが始まる。

写真は、

羽田での到着(Vietnam News Agency)Makethumbnail_ngmthnd

歓迎レセプション(VOV News)2007112519243298444764_t_ngmt

                                                                                   

                                                               

                                                  

<<追加掲出:2007/11/26 23:50>>

26日は、午前、皇居で「歓迎式典」が挙行され、天皇皇后両陛下との会見がありました。

引用開始→ ベトナム国家主席 歓迎式典 (NHK On Line)

20071126000075002nhkチェット主席夫妻は、26日午前、皇居宮殿の南車寄に到着し、天皇皇后両陛下の出迎えを受けました。両陛下は、主席夫妻とあいさつを交わしたあと、皇太子さまや秋篠宮ご夫妻、それに福田総理大臣らを紹介されました。宮殿の前で行われた歓迎式典では、両国の国歌が演奏されたあと、チェット主席が陸上自衛隊の儀じょう隊の栄誉礼を受け、整列した隊員を巡閲しました。続いて宮殿で両陛下と主席夫妻の会見が行われ、天皇陛下が、戦没者の遺族の悲しみは長い年月を経ても消えることはないと述べたうえで、「ベトナムは戦争が長く、苦しい時代が続いたと思いますが、最近では経済発展が著しいと聞いています」と述べられました。これに対してチェット主席は、「確かに最近は変わってきています。ベトナムへの日本の皆さんの支援に深く感謝しています」と答えたということです。このあと皇居にある音楽堂で、ベトナムの楽団による演奏会が開かれ、両陛下は主席夫妻らとともに日本の雅楽にあたる「ニャーニャック」と呼ばれる宮廷音楽を楽しまれました。皇居では26日夜、両陛下の主催で主席夫妻を歓迎する晩さん会が開かれることになっています。
11月26日 13時11分   (NHK On Line)  ←引用終わり

2007112619495228438967_tvov午後は、JETRO主催の「投資セミナー」に出席、これまでの日越関係を振り返ると共に、ベトナムの経済政策と、強いパートナーシップに基づき、さらなる日本からの投資を呼び掛けました。(写真は、セミナーでスピーチ中のチェット主席:VOV Newsより)
夜は、皇居で天皇陛下主催の歓迎晩餐会に臨まれました。

引用開始→ 皇居で宮中晩餐会 ベトナム国家主席を歓迎  (asahi.com)
2007年11月26日22時29分

国賓として来日中のベトナムのグエン・ミン・チェット国家主席(大統領)夫妻を歓迎する宮中晩餐会(ばんさんかい)が26日夜、天皇、皇后両陛下の主催で皇居・宮殿で催された。日本側からは皇太子さまら皇族方、福田首相夫妻ら約140人が出席した。

天皇陛下は晩餐会の冒頭、「戦争による大きな痛手と長きにわたる困難を乗り越え、活気に満ちた国づくりに勤(いそ)しんでいる貴国の人々と、今日様々な分野で協力が行われていることを喜ばしく思います」と述べた。
(WEB朝日新聞社asahi.com)  ←引用終わり

引用開始→ ベトナム主席の歓迎晩さん会  (NHK On Line)

20071126000191003両陛下主催の晩さん会には、主席夫妻をはじめ、皇族方や福田総理大臣、それに両国の閣僚ら140人余りが出席しました。はじめに天皇陛下が「戦争による大きな痛手と長きにわたる幾多の困難を乗り越え、活気に満ちた国づくりにいそしんでいる貴国の人々と、今日さまざまな分野で協力が行われていることを、まことに喜ばしく思います」と述べられました。これに対してチェット主席は、来年が日本とベトナムの外交関係樹立から35周年にあたるとしたうえで、「両国の関係にとって、希望に満ちた新しい発展の一歩を記す重要な節目になると確信しています」と述べました。晩さん会は、フランス料理が出され、ベトナムの僧りょらが日本に伝えたとされる雅楽の曲などが演奏されるなか、和やかな雰囲気で進められました。
11月27日 0時2分   ←引用終わり

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2007/11/25

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第142号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年11月24日 土曜日 第142号
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■ こんにちは!!

[チェット国家主席 国賓訪日にかかるコラコラコラム特別談話]

P_tret186nmt1ベトナム社会主義共和国グェン・ミン・チェット国家主席(大統領)閣下による、初めての国賓訪日(11月25日~29日)を、心から歓迎申し上げます。また、両国が抱える様々な案件、またベトナム社会主義共和国の要請について、両国関係者の深い理解と固い友情に基づき、より大きな成果がもたらされますよう、強く心から期待申し上げております。以前の訪日は、公式には、ホーチミン市の党書記長としての実務訪問でございました。この度は国家主席(元首)としての日本訪問でございます。チェット国家主席にとり、多くの点で意義深く、また印象深い旅であられますよう念じております。<<国賓訪日を祝しての特別談話 11/25>>

Vnnationalflagいつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その142 今週のヘッドライン

* 11月19日(月) 2007年第四四半期インフレ懸念増大
* 11月20日(火) 帰ってきた越僑芸能人たち
* 11月21日(水) 規制緩和の進むベトナム証券界
* 11月22日(木) ベトナム国連大使議長就任決定
* 11月23日 (金)   今年もオンライン詐欺暗躍
* 11月24日 (土)  サンクス・教師ディー!!

11月19日(月)  2007年第四四半期インフレ懸念増大
*自治体当局者やエコノミストたちは多くの国内産品やサービスの価格上昇などが旧正月の終わる来年2月まで続くと心配している。
商工省は、11月の消費者価格インデックスは10月と比較して約0.4%上昇すると予測しており、エコノミストたちはベトナム政府が価格の抑制を試みようにも、旧正月が近づくこともあって厳しいものになると警告する。加えて、今月初めに発表された香港上海銀行の報告書に拠れば、ベトナムのインフレは第四四半期で9.5%上昇を予測しており、前回予想の9.1%を上回った。報告書は亦、来年のインフレ率は2桁になる極めて高いリスクを孕んでいるとも指摘した。

世界の市場の不安定性・不安定な気候・鳥インフルエンザ・需要と供給のアンバランスなどの種々の要因が重なって、今後数ヶ月の間に国内市場の価格を騰げて行くことになるだろう。商工省は、今年の旧正月商戦での購買力は対前年比で20~30%増加すると見込んでおり、生産者の多くは旧正月商戦の間、製品価格を15~20%値上げすると発表している。マキシマークスーパーチェーンのグエン・アイン・ホン社長は、10月以降、多くのサプライヤーが平均30%の価格上昇に踏み切ったと語った。飲料・加工食品・菓子類などは上昇率が高く、順に10%・20%・20%となっているとホン社長。

エコノミストたちは鶏肉・牛肉、それに海産物の価格は12月から1月に掛けて高騰するだろうと予想している。年末に向かい生産効率が高まるため、上昇率は僅かなものの、食品・食料品価格の値上がりも避けられないとの見方を示す。亦、米価も輸出業者が設定した売上目標達成させる為、急遽、その販売価格の値上げがなされた。
メコンデルタの穀倉地帯での米価は、キロ当たり50~100ドン上昇している。この傾向は、統計局の試算で今年の米生産高が昨年に比べ25万トン減少することを受けてのものだ。

フルーツや野菜の価格も中部高原地帯で発生した洪水災害の影響を受け、上昇傾向にあるという。災害地域でのフルーツや野菜の価格は昨年に比べ2倍、ところに拠っては3倍にも跳ね上がっているとのこと。10月以降の鉄鋼価格はトン当たり、北部は1010万ドン(約72700円)、南部で1030万ドン(約74100円)となっているそうだ。

(辛口寸評)
このところの物価上昇で、菓子屋をしている弊社でも、来月から商品の値上げに踏み切る予定を立てている。実際、先月まで白ごま1キロ当たり18000ドン(約130円)だったものが、11月に入り32000ドン(約230円)で倍近くまで高騰した。もちろん、砂糖やピーナッツなどの原料価格のみならず、ガス・水道・電気、軒並み上昇だ。第一次生産業者は、直ぐに値上げし、弊社のような二次生産業者に一方的に通告すればそれで済む(何分、原料が無くては製品が作れないのだからしょうがない)が、我々から卸し問屋や小売店への値上げはなかなか難しいものがあり、簡単には行かないのだ。

恐らく、多くのサプライヤーが今年出してくる最終平均値上げ率は少なく見積もって40%程度になると筆者は見ている。商品の値上げは、スタッフの賃金の値上げにも繋がって来るので、今回、うちの値上げもそれを含んだものになるだろう。こうしてトータルで見ると、今後1~2年でこの国のインフレは格段に進むのは必至だろう。

11月20日(火) 帰ってきた越僑芸能人たち
*ここ数十年に渡って多くの才能あるベトナム人歌手は様々な理由に因り海外で暮らしているが、今日、そのようなセレブの一部が祖国に戻り始め、それをベトナムのファンの多くが歓迎しているという。アメリカで安定した生活を築きパフォーマンスのキャリアを磨いた海外在住ベトナム人たちがこのところ祖国に定住を決めて帰国しだしている。経済成長や解放された今日のベトナムの雰囲気は、ベトナムでのパフォーマンスに新たな息吹を吹きかけ、海外で活躍していたベトナム人セレブたちは、祖国に今も多くのファンが彼らを待ち続けていることをこれまで以上に認識する。

1975年以前 解放前の南ベトナムで往年のスターだったザオ・リンさんは数年前に彼女の家族と共にベトナムへ帰ってきたひとりである。1982年にアメリカのサンジョセに住み着いたリンさんは、そこでも歌を歌い続け初めから人気を博したのだった。今日、リンさんはご主人と共にホーチミン市ビンタン区で快適で広々とした住居に暮らしている。毎年旧正月になると、世界中に散らばった彼らの子供たちや孫たちをベトナムに迎え入れ一緒に正月を過ごすのが楽しみなのだという。祖国へ帰国して数年間は、彼女の歌の練習をしながらも、家族の生活を維持するためにフォー店(うどん屋)を開き生計を立てた。やがて時が経つにつれ、彼女は歌手としての人生をもう一度ベトナムで歩んでゆく決心をしたのであった。

現在、彼女はコンサートツアーの最中で、12月までベトナム北部から中部の各省を回っている。リンさんは、ツアーは長くきついものだが大勢の観客から愛情を寄せられとても幸せで、祖国への帰国を決めたことは大正解で、ファンが彼女を支えてくれる限り歌い続ける積もりだと語った。リンさん同様 1996年に奥さんと一緒にベトナムに戻ってきたセレブにエルビス・フォンさんがいる。ホーチミン市12区にある美しいビラの中庭に座り、フォンさんの妻、ホアさんは、帰国した満足感を話してくれた。「ここで遣っている家具は総てアメリカで買い求めたもので、越米折衷のユニークな空間を創り上げているのです。」とホアさん。彼らの自宅とコンサート会場は結構離れているものの、ホアさんはご主人のコンサートには必ず顔を出し、彼の魂を揺さぶるような歌に聴き惚れるという。そして、これが自分たちの幸せだともいう。

1979年、アメリカに向けて旅立った伝説的歌手のズイ・クアンさんも3年前にベトナムへ帰ってきた。現在、本業の歌手の他、クワンさんはホーチミン市内でキャバレー・レストラン・カフェ、それにレコーディング・スタジオなどを手広く経営し、どれも成功させているという。クワンさんの新妻で歌手のイエン・スワンさんは、夫が今の繁栄したベトナムでの生活に大変満足していると話す。「ベトナムに久しぶりに帰還して驚いたことは大勢の人々が私のことを今も覚えていてくれたことです。人々は私の名を呼び、手を振り、微笑んでくれました。そのことが私には嬉しくて仕方がありませんでした。」とクワンさん。

4年前に祖国の急速な発展に驚き帰国したタレントのクワン・トアンさんは、現在、チャンフンダオ通りで衣料品店を営み、夜になると市内のバーやキャバレーでパフォーマンスを行っている。
「はじめ帰国することを躊躇いましたが、今はそうして良かったと思っています。」とトアンさん。彼は衣料品ビジネスを忙しくこなす中、地方でのいくつかのチャリティーコンサートなども計画しているのだという。この他にも年末のリリース予定のアルバムをも制作中とのこと。

なぜこの様に多くの越僑が祖国に帰って来るのだろうか?ある人は違和感なしで母国語を使い意志の疎通が図れるからだろうし、又、別のある人は人種の坩堝といわれるアメリカに身を起き続け、自分が何者なのかを自問自答し、アイデンティティの発掘、伝統や文化の置き場を祖国での生活に求めているのだろう。それに繁栄する観点から見た場合、ベトナム人セレブにとって祖国はより多くの成功の機会に溢れているからとも云える。アメリカでは週末のコンサートに出演できるアーティストはベトナム音楽のプロデューサー不足で限られている。これによりキャリアを積むにも限界が生じるというわけだ。しかしベトナムでは全くこの逆となり、週末どころか毎日コンサートを開くことが可能で、脇を固める人材にも事欠かないのである。ベトナムに戻ってきたセレブたちにとって現在のベトナムには多くの熱心なファンが支持してくれるだけでなく、彼ら自身のキャリアを積む聖域になりつつあるのだ。

(辛口寸評)
午前中にホーチミン市一区のレズアン通りにある在越アメリカ領事館前を通る度に、アメリカ行きのビザを取るため並んでいる大勢のベトナム人を目にしたものだが、最近は幾分、ベトナムの経済発展と共に、その数が徐々に少なくなって来ているように思われるが、それでも依然、この国を捨て去ろうとする人々の列は今も途絶えることはない。筆者自身、個人的には、ベトナムを今のご時世になっても脱出を試み、アメリカへ新天地を求めようとする気持ちが理解出来ない。アメリカンドリームは既に忘却の彼方にしかなく、極度な格差社会が生まれ全人口の9割までが年平均3万米ドル以下の収入しかなく、純然たる差別があり、社会全体が閉塞感に陥って戦争の旗振りが基幹産業になってしまったアメリカなんぞに何を好んで飛び込んでゆくのかその気が知れない。

反面、ベトナムには活気と活力が充ち満ちており、産業の確立も途上国ゆえ遅れているが、そこには多くのニッチが介在する証でもある。チャンスは誰にでもあり、才覚ひとつでのし上がって行くことさえ十分に可能なのだ。ましてや、記事に出てきた越僑たちにしろ、我々、在越外国人にしても、自分たちの国がどのように進化してきたかを分かり得る。つまり、先がある程度、読み解ける位置にいるわけだ。とは言うものの、今の世の中、越僑や在越外国人だけが将来を読める特権を持つものではない。インターネットの出現により、情報収集を的確に行えば現地のベトナム人ですら等しく成功のチャンスはある時代なのだ。越僑セレブだけでなく、今では外国人さえ魅了する国として、ベトナムは発展中なのである。

11月21日(水)  規制緩和の進むベトナム証券界
*証券専門家筋に拠れば、ベトナム証券市場は今後、外国人投資家への制限を緩めるだけでなく、成長する証券市場でヘッジファンドの算入も認めて行くことになるとの見方を示した。外国人投資家は証券市場自由化の一貫として今後、売買口座をベトナムに複数開設可能となるでしょうと国家証券委員会のグエン・ドアン・フン副委員長がこの週末、会合の席上で語った。現在、外国人投資家はベトナムでひとつの証券口座取得と通貨ドンでの売買しか認められていない。国家証券委員会副委員長はベトナムの証券市場設立の立役者となった国内外42の機関投資家やファンドマネージャーの代表者との会議の席で語った。

政府の昨今の動向は、外国人投資家に対し証券市場により多くの投資を歓迎しており、政府は直に全ての証券投資家に二つの証券口座所有を認めるだろうと話した。会合の中で、参加者達は一様に法の見直しを提案したが、フン副委員長は規則は既に緩和が進んでいると返した。現地企業は現在、支店設置を許可されており、海外100%の対外投資が認められるようになり、それらがベトナムのファンドマネージャーと提携を組み販売促進も可能で、副委員長は近い将来、この様な企業が投資の新しいビジネスモデルを証券市場で展開してゆくことになると述べた。それだけでなく、いずれ証券売買は夜間に行われることになるだろうと付け加えた。

証券売買がより公正で透明性が保たれるよう、証券取引所の取引場への携帯電話の持ち込みは制限されるとの見方を示した。
ベトナムに現在30万口座あり内5%は外国人投資家口座という。

ドラゴンキャピタルのドミニック・スクリヴェン代表は、ベトナム証券市場は未だ深く世界の証券市場とリンクしていないと述べた。
しかし、その一方で彼は今後 より多くの海外ファンドや機関投資家がベトナムにやってくるだろうとの自信を見せた。外国ファンドや機関投資家はベトナムに投資資金を持ち込むだけでなく、ベトナム証券市場の発展に寄与することになると同代表は指摘した。近い将来、70社以上の外国ファンドがベトナム市場に参入することで、40~50億米ドルの資金が投入なされる。加えて、ベトナムで操業するファンドは資本の拡大と投資範囲の拡張を進めているという。

プルデンシャル・ファンドマネジメント・ベトナム社のCEOファム・ゴック・ビック氏は、投資資金を多様化させる為にベトナム政府はムーチュアル・オープンやヘッジファンドを取り込むべきだという。

我が国唯一の車輌投資ファンドのブラックハウス・エンハンスド・ベトナム基金は先週水曜日、公式に立ち上げられた。この基金は60%の未上場株と40%の上場株、それぞれ1100億米ドルにも及ぶポートフォリオを所持している。アメリカに拠点を置くヘッジファンドKHT社創業者のチュオン・コイ氏は、ベトナムがヘッジファンド設立を許可したら直ぐに設立申請を起こす予定だと語った。

(辛口寸評)
最近、記事にベトナム株を取り上げていない。というのも、ひとつに余分な資金が回せないこと、そして別のひとつにもう将来に見据えた準備が整ったことが上げられる。元々、長期投資を主軸にしてきた筆者にとって、仕込みの時期は既に終わっており、後はどっかと腰を据え放置のホーチミンを決め込んでいるので、もう右往左往する必要もないのだ。後は手持ちのポートフォリオの無償有償を問わず、配当で株を増やしながら、ここ5年未満のいずれかで売り抜ける機会を待つだけなのだ。

今回、これからのベトナム証券市場の規制緩和が語られる切り口となった記事であるが、筆者はこれがベトナム市場がより大きなカジノ経済になり進んでゆく序章なのだと考えている。機関投資家や投資ファンドにとって賭場の規模とそこへ集まる参加者が多くなるほど、うまみも大きなものとなってくる。ヘッジファンドの参加も将来的に許可されるように書かれているが、既にベトナムもアジア通貨危機においてタイやマレーシア或いは韓国がどんな痛手を被ったか十分に解っているはずだ。にも拘わらず、許可に進むとしたら、そこにはベトナムの支配者層が絡む壮大な罠が潜んでいる可能性はあながち否定できなくなるだろう。

最近、アメリカに端を発したサブプライムローン問題。所謂“優秀”と言われている連中(クオンツと言うらしいが)が高等数学を駆使し、住宅ローンをリスクをそれぞれ低・中・高と三段階に分け債権化し、金融商品として銀行を含む機関投資家に発売したのだそうだ。しかし、その分け方自体そもそも返済不能な人々にまでローンを組ませ手段を選ばない方法で借り手を創りだした為に結果的に、始めの段階から“前提”が機能しないシステムだった。それが表面化したのがサブプライム問題なのだ。そもそも“前提”を設定し、カテゴライズし金融商品化すること自体に問題があると賢い人たちは考えないのだろうか?物のやりとりならば万人が共通認識を持ち規格化は十分可能だが、金融商品に至っては無形であり、そこには“理屈”しか存在しない。ということは前提そのものが成り立たないのであって、それが崩れれば全てが崩壊し後に続かなくなる危険を持っているのだ。そんなところにベトナムは足を突っ込むべきではないのだが、、、、。

11月22日(木) ベトナム国連大使議長就任決定
*レ・ルオン・ミン国連ベトナム終身大使は2008年7月1日から国連安全保障理事会議長に就任することになった。国連安全保障理事会議長職は15人のメンバーがアルファベット順に毎月持ち回りで担当する。現在議長職を担当しているのはインドネシア国連大使のマーティー・ナタレガワ氏だ。ベトナムの代表がこのポジションを担当するのは、ベトナムが2008~9年の国連非常任理事国に選出されて以来、初めてとなる。議長職の役割には議題の提示・議事進行・危機管理などが含まれ、ミン大使に拠れば彼の担当月は普通、国連総会へのリポート提出準備月で最も重要な月に当たるとのこと。

ベトナムは必要に応じ、適切に国連平和維持活動をする準備が整っていると同大使は付け加えた。国連安全保障理事会は15名のメンバーで構成され、その内、5つが常任理事国でアメリカ・ロシア・イギリス・フランス、そして中国がある一方、ベトナムは非常任理事国としてベルギー・インドネシア・パナマ・南アフリカ・ブルキナファソ・コスタリカ・クロアチア・リビアと共に活躍中。

(辛口寸評)
ベトナムが先月、国連の非常任理事国に選出されたのは記憶に新しいところだ。国際社会の中で、ベトナムも一定の役割を担うまでになってきたことは、ベトナムと関わる者のひとりとしてとても嬉しく亦、喜ばしい。非常任理事国となり、今回、初めて国連安全保障理事会議長職を勤めるという。尤も、これは月毎の持ち回りで、しかも来年の7月の話で、多少鬼が笑う程度で、少しばかりはしゃぎ過ぎとも云えなくない今回の記事だが、逆の見方をすれば、ベトナム自体、これから何か重要なタスクを控え自らを昂揚させるため発破をかける行為とも取れるだろう。幸い国内経済も順調な発展を遂げつつあり、民族自決が絡むような大きな国内問題もなく、社会は安定しているベトナムが、国際社会において寄与貢献出来ることは少なくない。はじめは慣れぬだろうが、段階を巧く経てゆけばやがて国際的イニシャチブを取れる可能性を秘めるベトナムである。今後の国際舞台での活躍に期待したい。

11月23日(金) 今年もオンライン詐欺暗躍
*数千人にも及ぶ農家の人々が、高配当を約束した投資を、www.colonyinvest.com 上で募集したオンライン会社に1000万米ドル以上も騙し取られるといった被害に遭っていることが判明した。
一人辺り被害平均額は5000~10000米ドルだが、ある被害者は80000米ドルも損失を被ったという。投資額の3%の高配当を謡い、始めの内は配当も約束通り支払われ、被害者たちの中には自宅を担保に借金をしてこの儲け話に飛びついた者も大勢含まれているそうだ。

ハノイ市警が先週、この事件を調査したところ、ホーチミン市・ハノイ市他、北部自治体やメコンデルタ各自治体併せて25000人もの“投資家”たちがコロニー・インベスト・マネージメント社に口座に1000万米ドル送金していたことが判明したのだった。調べに拠れば、昨年2月から今年10月にかけて156万米ドルが問題口座に振り込まれており、ホーチミン市タンビン区在住、今年31歳になる首謀者ヴ・ティ・トウ・ハンは、遊興費に充てるため約150万米ドルを引き下ろした。

メコンデルタのベンチェ省ジョンチョム区で、被害に遭った農民がグエン・タン・ダットの自宅に集まり彼らのお金を返すように要求した。被害者の一人カウタン区ビンドック村のファム・クオック・ズンさんは、“投資資金”の10万米ドルをコロニー社の口座へ送金する為に、総ての財産を売り払ったという。それに気を良くしたズンさんは1000米ドルの初回配当を受け取ると直ぐに再投資したそうだ。。。。ダットに怒りをぶつける農民たちは彼を吊し上げ、金を返すよう求めたが、ダット自身、自らを被害者と語り、警察に付き出すよう逆に要求する始末だった。

ダットはコロニー社の投資話を聞くと直ぐに100米ドルを投資した。暫くすると高配当が振り込まれ、これに気を良くして家族総出で掻き集めた62000米ドルを更に投資したのだった。その後、一旦、同社から5000米ドルの配当を受けたものの、そのまま同社サイトに繋がらなくなり総ての資金が吸い盗られてしまった。結果的に債権者に取り囲まれているのである。コロニー社のサイトにアクセスした人々の割合はベトナム人が55.6%、タイ人が32.5%、中国人が2.6%、スエーデン人が2% そしてアメリカ人が1.7%だった。
ハノイ市警に拠ると実際の被害額は恐らく報告が上げられている以上の額になるであろうと語った。

昨年11月、ホーチミン市一区グエン・フエ通りのゴールデン・ロック社を舞台にした詐欺事件が起き、1000万米ドルが巻き上げられている。この時の主犯者は騙し取ったお金と共にベトナムを出国してしまった。普通、メコンデルタや北部山岳地帯各自治体では女性連合や農民組合などが、この様な急速な収入増加に繋がる活動には目を光らせているものだが、今回のケースはITを絡めた新手のもので監視が機能しなかったところの盲点をついたものといえる。無知で蒙昧な農民が出し抜かれた事件ではあるが、もし警察や政府がもう少し早くコロニー社の違法な活動に注意を払っていたとすれば被害額は随分抑えられたことだろう。

(辛口寸評)
騙された人々の殆どが農民というこの詐欺事件。昨今、地方にもインターネット網が整備され、どんな小さな村にもネットカフェを見つけることが出来る中、純朴な農民を狙い撃ちした事件と言えるだろう。以下は筆者の推測に過ぎない。が、今回の事件のカラクリは次のようなものだと考えている。ネットが地方で使えるようになったとは言え、普通、好い歳をした農民がネットに触れる数は未だ極めて少数で、利用者層の多くは学生で、後に公務員や会社員が僅かに続く程度だろう。ネットの知識の無い、農民が自らサイトに接続するだろうか?答えは否だ。

ネットは彼らの理解を超えた不思議な存在である一方、ある種、万能の力を備えた新しいモノとして畏敬の念を植え付けたのだと思う。そして立ち上げられたサイトが農民の新たな信仰になってしまったのだろう。
満を持し、そこへ今回の犯人が意図的に、儲け話をサイトと結びつけて地方の農民を対象に口コミで流布させ勧誘し、被害者が被害者を呼び込んで被害が雪だるま式に増えて行ったと考えるのが妥当ではなかろうか。確かに騙される方も悪いが、今回の犯罪の裏には巧妙な罠が知能犯に拠って仕組まれたと見るべきだと思う。

11月24日(土) サンクス・教師ディー!!
*ベトナム教師の日にノン・ドック・マイン書記長は全国の教育者に対し祝辞を贈った。彼は各教育部門が国の新しい必要条件を満たし高品質な人的資源を国家発展及び国際的統合するために広範囲な改革を行うよう呼び掛けた。11月20日、首都ハノイでチュン・ブオン中学校(旧ドンカン小学校)創立90周年式典の席上、同時に第25回教師の日を迎えたこの日、マイン書記長は国家の発揚は児童生徒並びに学生たちの認識ときちんとした態度に掛かっていると訴えた。学生たちとの懇親会でマイン書記長は、「今日この日から、君たち学生ひとりひとりが明確な目的意識を持ち勉学の動機付けをしなければならない。良い市民になるため、将来の素晴らしいキャリアを積むため そしてベトナムで価値のある高い役職に就くために君たちは学ぶのである。」と語りかけた。

マイン書記長は学生たちに一生懸命勉強に勤しみ、自らを健康で高い見識と知識を持つ有益な市民として耕し、ベトナムの未来に活躍して欲しいと強調した。亦、同書記長はベトナム次世代を担う人々への教育に重要な役割を果たす教育者たちを賞賛した。
「全ての教育者は学生の模範となるべきで、その為に常に知識の吸収に務め、後進の指導に活かして行くことを期待している。」と書記長。この機会に、チュン・ヴオン中学校は、国家から二級独立勲章を与えられた。過去90年間、同校は教育・学習に於ける数々の偉大な記録を達成してきた。ホーチミン大統領はその生存中、5回も同校へ足を運び、ハノイ市人民委員会やベトナム政府から多くの名誉ある賞を贈られている。2005年に、同校は労働英雄称号も獲得している。

同じ日、グエン・ミン・チエット大統領は100名の退職教員組合員と会談した。彼は元教員たちを前にここ数年、経験豊富な教師が退職したことに因って教育が脆弱になっていたことを認めた上で、しかし一方で社会経済達成の為に教育現場が国家に多大な貢献をしてきたが、今後、脆弱になった部分を埋め合わせる為にも退職教員組合が教育分野でより積極的な参加を果たして行って欲しいと結んだ。

(辛口寸評)
教師の日、これまでは子供から花束の他、児童生徒の親から現金なども先生に渡されていた。額についてはケースバイケースだがキャッシュならこれまでは10~20万ドンだそうだが、この頃では現金に変わりスーパーなどで使える商品券が普及してきているとのこと。お金にせよ品物にせよ、教師との間で“取引”が行われることに日本人のひとりとしては抵抗を感じるし、亦、教師に対する有難味も薄れるというものだ。実際は感謝の気持ちを表すだけなら高額なものでなくても良い。

筆者は週に一度、ボランティアで英語を教えている。今回、教師の日に当たり生徒から花束を贈りたいと連絡があった。しかし、気持ちだけ頂いておくことにして花束は鄭重に辞退させて貰った。プロの教師じゃああるまいし、結構教えて改めて教わるなんて発見がついついあるので、お互い様でもありますしね。
以上

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2007/11/23

ベトナムのグェン・ミン・チェット国家主席(大統領)、25日から29日まで国賓訪日!

ハノイで、日本人記者との懇談があり、チェット国家主席の国賓訪日予定についてベトナム側から公表がありましたので、これまで、チェット主席の日程紹介を控えてきましたが、滞日基本日程を支障のない範囲で公表します。

11月25日(日)午後、東京国際空港(羽田)へ特別機で随員を伴い到着。
11月26日(月)~27日(火)、皇居(天皇謁見)、政府、国会を訪問懇談。先端施設を視察。経済団体との懇談、投資セミナーの開催。
11月28日(水)、訪問予定地の視察、民間団体との交流。午後、京都へ。
11月29日(木)、訪問予定地の視察、大阪で投資セミナーの開催、自治体、経済団体との懇談などを終え、夜半、関西国際空港から特別機で随員と共に離日し帰国へ。

大まかな予定は以上です。
随行者は、ベトナムの経済団体、有力企業経営者、投資案件関係者を含め100人近くにのぼる予定です。既に、東京・大阪で開催される「投資セミナー」は受講登録締切りを終えています。

この度の国賓訪日は事前(昨年から)に充分で入念な準備を重ねてのことです。
しかしながら、本邦の政治環境が夏以降激変し、本邦内では国内案件を初め、さまざまな案件、あらゆる案件が停滞を余儀なくされています。
この状況について、当初の計画時点では予定がなかった事もあり、チェット国家主席国賓訪日に伴う調整を担当する両国の関係者には頭痛の種と言っても過言ではありません。

引用開始→ 日本とのEPA「早期締結へ協力」ベトナム国家主席 (日経紙面14版6ページより手入力)

ベトナムのグェン・ミン・チェット国家主席(大統領)は22日、ハノイの国家主席府で邦人記者団と会見した。日越両政府が交渉中の経済連携協定(EPA)について「早期締結に向け双方の協力が必要。今回の訪日で政治決断する用意がある」と語り、関税撤廃などでベトナム側が歩み寄る意向を示した。
チェット主席は25日から29日まで国賓として訪日し福田康夫首相らと会談する予定。主席は「EPA締結で両国間のモノの流れがスムーズになり、貿易の拡大につながる」と期待。「両国の経済格差は大きく交渉は難しいが、できるだけ早期に締結するのが望ましい」と述べた。日越EPA交渉は来年1月に再開する。
9月26日に発生した、日本の政府開発援助(ODA)で建設中のベトナム南部の橋崩壊事故に触れ、「徹底した原因究明をし再発防止と工事の再開を目指す。事故責任者の適切な処分も考える」と語った。「事故が日越の友好関係に影響することは考えていない」と日本の支援継続の必要性を訴えた。
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2007/11/21

ASE