同志社国際高校の西田校長は「教育の中立性に保っていない」との文科省の判断に「異論」があると主張し! 真に同志社らしい想定どおりの展開になり

ホォ~!
同志社らしい対応だと思いますねぇ。

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事故事案が公になり、
西田校長の会見表明を見聞きした時に、
同志社の人らしいモノ言いだなぁと感じさせられた違和感は、
今も尾を引いていますが・・・


「木で鼻を括る」ようなモノ言いでした。


一般論としての「世論」には、流されず、安易に同調しない。


掲げてきた教育の基本方針を国家権力に否定される事は容認せず、
争うべき点は「論点」を整理した上で徹底して争う。


「掲げる教育の理念を、何人にも否定される事はなく、
断じて容認しない」と、争う姿勢を明言したワケだ。

(真に「同志社」らしいと言うほかナシだ)


個々の良心のテーマゆえに、
結論は出ない(至れない/出せない)としか言うほかなしだろう。


「正義」というか「正しさ」への哲学と理屈の応酬と議論の迷宮に陥るだけだ。


それで得る論理上の哲学としての「正義」と、
日常社会で暮らし生きる現実的な「正義」や「犠牲」とは相容れない。


ゆえに、世間がどのように受け入れ「評価」するかは別のテーマとしか言えない。


最初の会見を見聞きし、それを掲げてくるとは思ったが、
学校法人同志社の中でも議論して結論に至る事が適わず。


迷宮にあるワケで、
それを捨象するのがリーダーたる法人を統括する理事長(総長)としての八田英二氏の器量なのだが、
未だ1960年代後半から70年代前半の学生運動のまま、
前進も後退もできず無益な時間を無益に消費するだけの姿を世間に曝し、
リーダーシップの不在を印象づけるだけでは、実に情けない厄介な人達としか言えず。


<コラコラコラム ©>

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2026/07/21

米中間の「現代アヘン戦争」といわれる麻薬「フェルタニン」事件の騒動は、いつの間にか麻薬資金のロンダリングの場として「日本」が巧妙に利用されたと

現代の麻薬「フェルタニン」を巡る国際事件ですが。


2024年1月に合衆国の大統領にトランプが2度目の就任をした際に、
公式な演説で「中国に依る密売」と、それによる「米国社会の危機的破綻状態」が指摘され、
その流入に、通常の貿易を装いながら「メキシコ」と「カナダ」が無自覚に利用され、
「北米自由貿易協定(NAFTA)」が悪用されていると、名指しで批判した事で、その危機が表面化した。


その後、様々な機関が追求を始め「日本」重要な踏み台にされているとの指摘があった。

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(写真の記事は、2026/07/17. 日本経済新聞 朝刊)

メディアの取り上げ方は、米中間の現代アヘン戦争」だと、真に喧しく賑やかな報じ方であった。
しかしながら、日本の社会に浸透した(と思われる)フェルタニンの追求を日本の政府機関が取り組んでいるとは思えない。


口煩く、賑やかな煽りが特技で、大好きな技とも言える週刊誌メディアは沈黙したままで、
一向に理解できない状況のままだ。


日本経済新聞が、2026年の6月から7月にかけて、騒動の概略を取材記事として纏め1面✕3日にわたり報じた。

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(写真の記事は、2026/06/29. 日本経済新聞 朝刊)

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(写真の記事は、2026/07/03. 日本経済新聞 朝刊)

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(写真の記事は、2026/07/06. 日本経済新聞 朝刊)

未だ、杳として十分に掴めないままですが、
一つの参考事例として、日本経済新聞の特集記事を記録しておきます。


チュウゴクジンは、中国国内に居ようが居まいが、悪質な犯罪人は何処でも、何をしてでも根を張り生きる。
許し難いのは、強権の臭禁屁でも統治できず、狂犬ドモは簡単に国境を越え根を生やす。
その時、その際の摺り寄りの決め手()決め台詞は「同郷の誼(ヨシミ)」で接近し「扶け合わなきゃ」と。
一度でも、協力すると「アッと言う間」のデキゴトになるという。


その内に、トランプの事ですから「何を言い出すか?」とも考え、備えておく必要があると思量します。


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2026/07/20

FIFA2026 WORLD CUP 胴元の悪辣なまでの酷さと開催地域の歪んだ金ピカの悪質な企みは蹴り出され、最後はランキングに従い実力伯仲だった

FIFAワールドカップ 終わりましたね。

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アホ〜どもが、ヒステリックに煽り立て合い自慢するサルのボール遊び。
サッカーは大体、入込みが過ぎ、サルドモが常軌を逸するのは、
不満のガス抜きだとしても、バカバカしいだけのサルドモだ。


間抜けのサルが解説し、感情爆発で悦に入っていたのはアホ丸出しだ!


挙げ句の果てに、
次期監督に手を上げるなど、サルバカも休み休みモノを言え、
オマィだけは、あり得ない。虫酸がはしるワ。

(摂津のアホには、ハッキリ言うてやらんと、分からんので)


音程の外れた汚トコの楽曲と言い、サァ〜ィテェ〜な期間だった。


サル使いの胴元は、年間で2兆円を超える収益を掻っ攫い平然としている。


それを疑問に思わぬのがヒステリーを撒き散らす。


とは言うものの、

日本が学んだ事は多いように受け止めます。


「専守防衛」は、日本の防衛政策の基本ですが、
スペイン(ナショナルチーム)のサッカーは、徹底した「専守防衛」で、
全試合を通じ、失点は「1点」だけ。

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隙を見て、隙を突き反撃する時は実に効率よく効果的で、
結果は「スパイン」に栄光が輝いたワケです。


防衛政策でも学ぶ点が実に多い「スペイン(ナショナルチーム)」の戦略と、
効果的な戦術展開があり、重要なポイントで「作戦」が効果を発揮させ、
見事に世界を圧倒しました。


学ぶべき点は余りにも多く、
余りにも見事な手際であったと感心させられたままです。


マァ、示された結果を見れば、
データに基づくランキングの正確さを示し得たのは立派な事だ。


またまた嫌われ投稿ですが・・・


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2026/07/19

カナダ・オンタリオ州の山火事はカナダ政府に責任があると隣国の怒鳴る怒・トランプはゴネて、大気汚染対策費を求めると表明し「関税に上乗せ」すると

アッと言うワ!


耄碌の「怒鳴る怒・トランプ」が、USA「嘘八百合臭酷」台頭猟の間は、
ナンとも言えず。 アァ~、アホクサ!

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選ぶために投票したのはUSA 嘘八百合臭酷 の死罠だからナンとも言えませんが・・・


世界はオオメイワクでしかないワケで。


「カナダ(オンタリオ州)の山火事は、カナダが原因で責任がある。


火災による大気汚染対策の費用をカナダ政府は負担するべきだ」と。


まぁ、ヤタケタなヤクザそのもののモノ言いには、アッと言うワ!


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引用開始→ トランプ氏、山火事の煙巡りカナダ非難 関税加算を警告
(ロイター 2026年7月18日 午前 5:18 )

[17日 ロイター] - トランプ米大統領は17日、カナダで発生している山火事の​煙の影響が米中西部や北東‌部に及んでいることについて、カナダに責任があると非難し、汚染のコ​ストは関税に加算されると​警告した。

16日時点で、カナダ・オンタ⁠リオ州を中心に850件超の山火事が発​生。米政府の観測データによる​と、ミネソタ州やミシガン州、イリノイ州北部、オハイオ州北部からオンタ​リオ州にかけて危険な濃度の煙​が確認された。

トランプ大統領は交流サイト(SNS)「‌ト⁠ゥルース・ソーシャル」に、米国に有害な空気が流入していることは容認できないとし、カナ​ダのカー​ニー首相⁠に電話し、山火事への対応策について説明を求め​る考えを示した。

さらに「森​林の⁠適切な管理を怠っている責任はカナダにある」とし、「この汚⁠染に​よるコストは、カナダ​が現在支払っている関税に必然的に加算​されなければならない」と述べた。 ←引用終わり

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2026/07/18

皇室典範の改正過程で明らかになった事 国会また政府の提議に対し日本の30%とメディアの半分超が明らかに「反政府」「反権力」「反社会」という事だ

日本の一日:


日本の社会は、これまでの先人が創り上げてきた「伝統文化」を大切に受け継ぎ、
社会の歴史として形成し、更に次代へ伝承する事を繰り返し、有効に積み上げてきた。


例えば、
7月17日に、京都では日本を代表する「祇園祭」の前祭が執り行われ、
露払いの「山鉾巡行」に続き、神幸祭として祇園社の神輿が氏子地域を巡回し「四条御旅所」へ鎮座し。

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同じ頃に、
国会では「皇室典範」の改正案が参議院本会議で可決成立した。


この改正案を巡っては、
「火のない所に、煙を立てようと、火を点け、扇ぎ立て」

基本は、伝承してきた統治上の「智恵」であり、
それを大多数の国民が「制度」として受け入れ静かに支持してきた。

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しかし、
能く考えられた「制度」そのものを破壊し打倒しようと企む側もまた生じ。
実に喧しく、実に騒がしく、実に活発に「口角泡を飛ばし」好き呆大を述べ立てるのだった。

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所詮は、上部構造の都合が古の昔ムカシに創出した統治上の「共同幻想」なのだが。
それも口承で2000年を超え、営々と維持されてきた「智恵」の「歴史」は、誰もが知る事だ。


ただ、それを更に巧妙に弱体統治の仕組みへ160年前に変えた薩長の田舎者が、
彼らの都合で、京都から東京へ拉致し編み出した手法がお粗末で多くの困難を強い、
結果的には「破綻」したが、その破綻を修正し現代に至る「象徴天皇制」を編み出し80年。

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その制度を補強し維持しようとの政策議論が提議され、多くの困難を伴いながら日の目を見た。
智恵を提供した結果だが、判明した事は30%が、全ての体制に反対で、しかも絶対反対という事だ。


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2026/07/17

日本の社会は人財の採用軸で「官界は東大を、民間は早慶」を、人では無く大学名を軸にヒエラルキーの価値観を形成し、画一的に無責任運用のツケが

大学の評価は様々な角度で検証されるべきは当然だが、
日本の社会は、大半が「メディア」に刷り込まれたとおりに、
国公立大学、有名私立大学、著名私立大学を優先し、
報道するため、それらの優先が定着し一般化してしまった。


人生の成功を買うために、
大学(名)を買うのが実際の姿で現実だ。
それをメディアが煽り、進学塾というビジネスが参加し、
企業社会で採用する側は、採用者を真に評価せず、採用者の大学名を歳費の条件にする。
それらの要素が複合的に形成され、何よりも「人物より大学名」が広く定着した。


そこへ、
入学志願者が殺到する事もあり、
受験者の成績評価を偏差で計る方法が一般化し、大学の「序列化」を推し進めてきた。


大学の門が高いならと、首都圏を始め大都市では、
私立大学の付属学校への入学が一つの関門になり「付属」または「系列化」された
「幼稚園、小学校、中学校、高校」への入学を求め、熾烈な闘いが日常的に展開され、
それに目を付けた「受験ビジネス」は既に「産業領域」にあるともいえ、
他者を蹴落とすための熾烈な闘いが一部では公然と展開されている。


それにメディアも一枚噛み、
「美味い汁を吸う」事は茶飯の話で、何よりも「AERA」の母体である「朝日新聞」は、
例年3月には「東大」「京大」を始めとする有名著名国公私立大学の合格者に懸かる記事を特集し、
怒汚く薄汚い「セニ儲け」を恥もなく堂々と行っている。


それらを総合的に「積み上げた結果」が、
今日に至る「大学過多」の根源的病巣でもあります。


巨大メディアは、実に都合よく、
論点を変えながら、相互批判もせず、自分の手は綺麗だと主張する、
真に便利な恥知らずとも言えます。


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引用開始→ 偏差値だけでは見抜けない「大学の価値」とは 200校超の取材でたどり着いた一つの答え
(MSN/AERA DIGITAL 2026/07/16.)

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 大学の価値を決めるのは、偏差値なのか。全国の大学を歩き、学生や教職員の声に耳を傾け続けた取材班は、一つの答えにたどり着いた。地方大学や小規模大学をめぐる議論の先に見えてきたものとは何か。朝日新書『崖っぷちの私立大学 偏差値で測れない価値をどう見抜くか』から一部抜粋してお届けする。

*  *  *

大学の存在価値をおとしめる偏見
 文科省幹部と高等教育論の専門家へのインタビューを通じて、日本社会にとっての地方大学や小規模大学の存在意義や、地域や日本社会に必要とされる大学を残していくための方策を探った。

 両者の話にも見られた通り、「2035年の崖」を前に今後の地方大学や小規模大学の見通しは非常に厳しい。一方で、大学の教育には依然として改善の余地が大きいことも明らかだ。社会のニーズもふまえながら、各大学が学生の成長を促す教育の内容や手法をいっそう磨いていくことが必要だ。

 だが、今後の18歳人口の減少は、地方大学や小規模大学の自助努力だけでは対応が難しい段階に来ている。政府や自治体、産業界などが、大学を地域の将来に欠かせない「インフラ」と考え、積極的に支援していくことも不可欠だ。

 しかし、私たちは、それ以上に重要なことがあると考えて、本書(朝日新書『崖っぷちの私立大学 偏差値で測れない価値をどう見抜くか』)を出版することを思い立った。それは、受験生や保護者、高校教員をはじめとする社会に根強く残る、知名度や偏差値が高くない大学は教育力も低いという偏見をなくすことだ。

 取材班の記者自身も、大学の取材に取り組むまで、知名度や偏差値で大学や教育の善し悪しを判断しがちだった。そうした反省の気持ちを込めて、これまで一般の人には注目度が高くなかった大学の教育や学生支援の様子を、成長を実感する学生の声とともに、できるだけ丹念に描いたつもりだ。

 不登校傾向がある子、発達に課題があるように見える子、外国にルーツを持つ子、複雑な家庭の子など、高校までの学校では多様な子どもが学んでいる。知名度や偏差値だけを物差しにした大学の選び方では、進学した大学とミスマッチを感じる子どもが増えることが心配される。

 第5章の章末コラムで紹介したツールなども活用して、「4年間で成長できる教育を行っているか」を基準に進学先を選ぶ。多くの受験生や保護者にそうした姿勢が定着することが、どんな国の政策や自治体の取り組みよりも、存在価値のある地方大学や小規模大学を支援することにつながるはずだ。

(朝日新書『崖っぷちの私立大学 偏差値で測れない価値をどう見抜くか』から一部抜粋)
【AERA Books MEMO】

■朝日新聞「ひらく 日本の大学」取材班『崖っぷちの私立大学 偏差値で測れない価値をどう見抜くか』
少子化の崖が迫る2035年、あなたの大学観が覆される。「名前を聞いたことがない大学」に、いちばん丁寧な「学び」があった。諦めかけた若者たちが初めて学ぶ喜びを知り、消えゆく地方を支えている。10年・200校以上を歩いた記者が辿り着いた「真実」を記した一冊。←引用終わり

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2026/07/16

1789年7月14日「バスチーユ牢獄」を襲撃し始まった「フランス大革命」から237年が経ち岐路に立つマクロン大統領は民主主義を護る事を宣明した

フランスの大革命から237年の大パレードが、
7月14日に、パリのシャンゼリゼで行われたようで、
Le Figaro が「X」へ投稿した動画をコラージュで1枚にまとめ状況をと・・・

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フランス共和国は、中央政府とローカル政府の主張が対立も際立つ特徴を日々に感じます。


また、
何よりも階級対立が激しく、
それに移民問題も加わり、左右の対立はほぼ拮抗しています。


最大の特徴は、パリに暮らそうが、ローカルで生きようが、
自立した市民として、国家と対峙する意識が高く、社会思想として確立されています。


「意見を持たない人は、生きていないのと同じ」と指弾されます。


それゆえ、政治思想については激しい対立がありますが、
主権国家としてのフランス共和国への誇りは強く大きいのです。


「自由・平等・人間愛」にはフランスを形成する人の大半が堂々と守り抜くと主張します。


それが、その姿勢が2026年の革命記念祝賀パレードで示されました。


マクロン大統領は、
フランスが全ヨーロッパをリードする立場を明らかに示しました。


シャンゼリゼを行進する場で、
国家として何物にも代えがたい誇りを示し、
ウクライナ軍を招き共に行進する事で、対ロシアへの姿勢を明らかにし、
対米(対トランプ)に、フランスの意志、EUへの意志、NATOへの姿勢を明確にした点は大きく評価したいと思います。


フランスは、
左右の勢力共に、フランス共和国を侵す者には、一致して対し国を守り護り抜く事を、
WWⅡでもドイツ軍を相手に徹頭徹尾に渡り都市でのゲリラ戦を組織し抵抗し、
占領されても国を護り抜きました。


日本は、
自国を守る事すら反対する勢力が堂々と恥もなく息をしています。


7月14日のフランス大革命の記念日を「パリ祭」だ、などと寝とぼけた事を平気で話題にし、
テメェの小汚い薄汚い「カネ儲け」に過ぎぬ事を恥とも想わぬ「加藤登紀子」のようなオバケが出てきて、
全体を考えず「戦争反対」と煩く述べ立てるのを拈り潰す事もできず。


掲出の写真の下右は、
少人数ながらシャンゼリゼを行進する「ウクライナ国旗を掲げるウクライナ軍」です。


日本の政府にできますか!?
それだけの決意はありますか!?
日本のメディアは、驚天動地だと騒ぎ立てるでしょう。


狂いきった夜盗ドモの、ニポン狂惨倒を始め、
アンポンタンムズホのチャビンや、タチミンのクズ代表のウジモトイヤミ、バナナ連呆などが、ヒステリーを撒き散らすでしょ。


ロシアへの売国一途の鈴木宗男も積極的に喧しく反対するでしょう。


肚の座わらぬ子供の国が恥ずかしいニポンです。
(添付の写真を、ご一読下さい!)


<コラコラコラム ©>

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2026/07/15

私立大学の設置び懸かる巨大な「学校法人」は、様々な理由を付け大学名の売り込みとカネ儲けが主軸で大学教育や環境に無頓着な学生を釣り上げ

私立大学を設置経営する半数以上の「学校法人」は、
名誉欲と学位記販売業でのカネ儲けに主眼があり、
学術文化の探究あるいは人財の育成教育に不要不可欠の関心があるワケでもナイ。


自らが、中堅の私立大学の経営法人に参与し、大鉈を振るった経験からすれば、
中途半端な私立大学ほど「理念」も「戦略」もないまま、ズルズルと経営を続けてきたとしか言えない。
将来の危機的状況に対処するため「剰余金=繰越金」を大量に貯め込み、それを自慢する事はあるも、
次代への教育投資に資する事など考えもせず、ただ「ひたすら」に貯め込むのだ。
(貯め込む事が目的化され、それを何時、どの条件で使用するかは、ないのだ)


呆れて、
経営戦略の大改革と、それに伴う組織の大改編を行った。
最初は、ブツブツと消極的な受け入れだった。


次に、財務資産の内で「再投資」可能な要素と、その見返りについて中長期の策定を行った。
学生総数が減じる環境で、学生に見向きもされず、対象にも選ばれない状況の打破が必要だった。
そのために、次代の求めに見合う「価値観」を創出リードする。


キャンパスの整備と象徴性を高める事。
競争環境の再認識と対応する価値観を提議する。


そのための「大幅な、機構改革」を断行すると、
まぁ、狭い範囲の旧弊な価値観による「ステークホルダー」が、様々な形で抵抗し反対し妨害する。


足掛け15年。
実質は12年の孤独な闘いでもありましたが、改革を成し遂げた基礎を確立したと考え、
18年前に退きました。


結果的には、
受験学生に「見棄てられる事なく」一応の「競争力」を保っているようです。
手付かずで積残した今後の課題は「文系の数量科学分野」の確立です。


この分野は、自身が研究ゼミを預かった大学が大学院の研究科で取り組もうとしています。


持論としては、国公私立の別なく、
「本質的な競争力の無い400大学は、直ちに廃止せよ!」が基本の主張で、
併せて、
学位記販売業の巨大な「オバケ大学」や「幼稚園大学」は、
特に3万人以上の収容定員を保つ大学は、同時に30%~50%の定員削減をせよと一貫して要求する。
(この種のこの規模の大学はマスプロのままで、ベルトコンベアで学位記を与え販売して恥じない)


文部科学省は、天下り先も求めているのだろうが、
国家百年の大計で、大学の整理と文科省との癒着を徹底して糺せと要求する。


<コラコラコラム ©>

引用開始→ 私立大学の53%が定員割れ――ドラッカーが35年前に説いた「選ばれる組織」の共通点 (MSN/ダイヤモンドオンライン 2026/07/15.ダイヤモンド社書籍編集局)

いま、日本の私立大学のおよそ半数が定員割れに陥り、財務省は2040年度までに「4割削減」という数値目標まで示した。大学という組織が「何のために存在するのか」を根本から問い直されるこの時代に、古びない補助線を引いてくれるのが、経営学の父ピーター・ドラッカーが80歳で著した『非営利組織の経営』であり、その「ミッション」の考え方は、あなた自身の会社や仕事が本当は何をなすべきかを見直す道具にもなる。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。
(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

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ドラッカー ミッション © ダイヤモンド・オンライン

存在理由が問われる時代
 いま、私立大学のおよそ半分が「定員割れ」――募集した人数より入学者が少ない状態――に陥っている。少子化はこの先も止まらず、大学は多すぎるといわれて久しい。

 2026年4月には、財務省の諮問機関(国のお金の使い方を助言する会議)が、2040年度までに私立大学を約4割、数にして約250校減らすべきだという案まで示した。中には高校レベルの授業をせざるをえない大学もあると指摘され、生き残りをかけた淘汰が始まっている。

 だが、本当に問われているのは大学の「数」ではないのかもしれない。数を減らす前に、一つひとつの大学が「自分は何のために存在するのか」に答えられるかどうかが問われている。

 規模でも知名度でもなく、いま揺らいでいるのは存在理由そのものだ。まさに存在理由が問われているというこの状況にこそ、35年前、80歳のドラッカーが遺した本書の言葉が響いてくる。

 そしてこれは、大学だけの話ではないはずだ。あなた自身の会社や仕事にも、同じ問いは向けられている。

ミッションは行動である
 手がかりになるのが、本書でドラッカーが説く「ミッション」の考え方だ。ミッションとは、その組織が本気で果たすべき、たった一つの役割のことである。

 そして本書でドラッカーは、このミッションを見失った典型として、ほかならぬ大学を名指しする。

大学のミッションは混乱したままである。50もの違うことをしようとしている。うまくいくはずがない。これが、今日シンプルな単科大学に人気の集まる理由である。

――『非営利組織の経営』より

 単科大学とは、一つの分野に絞った大学のことだ。役割をあれもこれもと抱え込むほど、組織は自分が何者なのかを見失う――本書にはそう書かれている。ミッションとは、掲げて終わる美しい文章ではない。ミッションは行動を生むものでなければ意味がない、というのがドラッカーの一貫した主張である。

絞るほど選ばれる理由
 では、混乱したミッションをどう立て直すのか。ドラッカーの答えは明快だ。役割を足すのではなく、まず「何をやらないか」を決めることである。

何かを加えたら何かを廃棄しなければならない。常に、最も役に立つものは何か、あまり役に立たなくなったものは何か、意義を失ったものは何かを検討していかなければならない。

――『非営利組織の経営』より

 これは「あれもこれも」の真逆をいく発想だ。たとえば、進学校の教員から「面倒見が良い大学」として長年高い評価を受ける金沢工業大学は、有名大学と偏差値を競うのではなく、学生を一人前に育てることへ資源を集中させているように見える。「育てる」という独自の強みに愚直なまでに集中したからこそ、偏差値とは別のものさしで選ばれているのだろう。捨てることが力になるのだ。

大学だけの話ではない
 ミッションを問い直す必要に迫られているのは、大学だけではないだろう。本書がそもそも扱うのは、学校や病院、地域の団体といった、利益を第一としない組織全般である。役割を増やしすぎて自分が何者かを見失う危うさは、あらゆる非営利組織に共通している。

 そしてそれは、利益を追う企業にも、私たち一人ひとりのキャリアにも当てはまるのかもしれない。事業も肩書きも増やせるだけ増やしたその先で、「自分は結局、何をなす存在なのか」。本書がいまなお読み継がれるのは、この問いが少しも古びないからだろう。

*この記事は、『非営利組織の経営』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。

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2026/07/14

チュウゴクジンという多くの「漢民族」は1500年をかけても「万里の長城」を物理的に構築する途方もないヤツラだ 南シナ海に人工島を造るのも平気だ

中国は、
「中華の自らこそが、" 世界の中心 " であり、世界の全てを規定する」と、
一貫して考えている。

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国際司法裁判所などという機構や組織は、
中国の与り知らぬ世界の事で、それが別格の存在である中国にアレコレと指示や判断を加える事そのものが、
常軌を逸する恥知らずの行為だと考えている。


中国の世界は、
アメリカやヨーロッパの世界とは隔絶されており、
誰からも干渉されず、誰からも指示も支配もされない世界だ。


例えば、
東シナ海、南シナ海、
この海で中国は防衛戦を形成し世界に向け
「第一列島線」と「第二列島線」を明らかにし、
それを誰も侵してはならないと宣言している。


それを国際司法裁判所という機能や組織が、
否定している事を受け入れる事は断じてあり得ない。
何よりも「第一列島線」は海域における「万里の長城」であり、
誰も侵す事はできない。 と、世界へ発信しているのだから厄介だ。


凡そ、1700年の歳月をかけ、
地上に「万里の長城」を築き上げた。

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同様に、2000年の歳月をかけ、
少なくても海上に「第一列島線」は構築するだろう。


その「歴史観」や「時間概念」に、
日本も米欧も全く無知で対処もできないまま、
目先の即効性のある結果を求め喧しいだけの無知が、
真に無念としか言い様がない。


<コラコラコラム ©>


引用開始→「南シナ海」仲裁判決に中国側「違法で拘束力のない紙くず」…茂木外相談話にも「とやかく言う資格ない」
(讀賣新聞 2026/07/13 11:20 吉永亜希子)

 【北京=吉永亜希子】日米やフィリピンなど14か国がオランダ・ハーグの仲裁裁判所の判決に関する共同声明を出したことを受け、中国外務省は12日、「(判決は)違法で拘束力のない紙くずだ」と否定する声明を発表した。

 中国外務省の声明は、米国を名指しし、「域外の国が南シナ海で軍事展開を強化していることこそが、南シナ海が直面している課題だ」と非難した。中国外務省報道官は、茂木外相が同日発表した談話についても、「日本は当事者ではなく、とやかく言う資格はない」と反発した。

 中国外務省の劉勁松アジア局長は、在中国日本大使館の横地晃次席公使と面会して抗議した。中国外務省によると、劉氏は14か国の共同声明や茂木氏の談話について、「厳正な申し入れを行い、強烈な不満と抗議を伝えた」としている。

 在中国日本大使館によると、横地氏は日本政府の立場を説明して反論した。その上で、中国によるレアアース(希土類)を含む戦略物資の輸出管理措置について、中国側に適切な対応を強く求めた。←引用終わり

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2026/07/13

「オバケ大学」も「幼稚園大学」も含め国公私立の別なく400大学を淘汰し、次世代の社会を透徹した意識改革と共に後期高等教育の再編から逃げるな

いま現在、
日本には、国公立大学の合計で大小を問わず約760大学が存立しています。


一学年の総収容定員数が凡そ50万人を超えています。
現在、2025年の総出生人口が70万人を切り、68万人です。


凡そ、大学教育と呼ぶレベルの学力水準は、総出生人口の30
%(++)程度とされています。
即ち、70万人の内の約30%で即ち20万人~25万人(最大値)までと推計されます。
現在時点の総収容定員50万人の半数(最大25万人)で智力や学力での均衡が保てるワケです。


この状況で、
巨大な上位の私立大学は、一大学当たり4年間で7万人~3万人の学生を収容しますから、
これは金城湯池で笑いが止まらない状態ともいえ、卒業者の政治力を用い、
次々に学部増や研究科増を実現し笑いが止まらない状態とも言えます。

上位の巨大私立大学(大都市圏中心)は「学位記販売業」で20%ほどの収容定員を示しています。
(この歪な実態を正確に知るべきです)


日本大学、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、立教大学、青山学院大学、中央大学、
帝京大学、立命館大学、同志社大学、関西学院大学、関西大学、近畿大学、福岡大学、などは
肥大化した私立の代表的で頭抜けた巨大なオバケ大学です。


大学の再編と日本の後期高等教育の立て直し、国際的な水準を維持するには、
ズバリ、国公私立大学の別なく、400大学の淘汰再編が必要です。
その前に、学生の収容総数が5万人を超える大学は、自主的に収容定員を半減させよ。
総数で3万人を超える大学は総数の30%を自主的に削減せよ。


その上で、400大学の閉鎖を必須の政策として進めよ!


再編する上で、
大学を「学術知」を探求する対象と、社会的な「実践知」を探求する対象に分ける。
更に、400大学は「専門技術職」を実践的に研究し教育する「専門学校」へ移行する事です。


その上で、
高等学校の「普通科教育」を明確な「水準」を示し、人としての「教養教育」に注力する事が不可欠です。
受験型に特化した受験学習ではない「人間教育」が重要です。


いわゆる「職業科」は、
大学に頼らず実践力のある知恵と技術を発揮できる教育への再編は必須です。


文部科学省の職員も、
政策を差配するのは「上級職採用」の人達で、国家社会や社会経済を担う俊英だと眺めみてきましたが、
残念ながら、デキの悪い利権政治屋に尻尾を振り、統計数値も見ず理解もせず、
求められるまま「大学を認可」し続けた無責任は否めません。


人口動態から私立大学の整理が不可避と言われたのは、
21世紀初頭で、2000年に入った頃からです。既に四半世紀が経過しています。
振り返り思えば、1997年に爾後の経営戦略の策定を求められ、
中堅私立大学の設置法人に経営参画した事で、将来計画のシビアな策定で、引用のテーマは殆ど議論しました。
当時、その種の真剣な議論を重ねた学校法人は希少だったと考えています。

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<コラコラコラム ©>


引用開始→ 財務省『私大250校削減案』が真っ当な理由、「大卒レベル」の稼ぎを得られない「名ばかり大卒」を量産する不幸
(MSN/J Press 2026/07/12.河村 小百合,・湯浅 大輝)


財務省は財政制度等審議会の分科会で、2040年までに私立大学を少なくとも「250校程度」(約4割)減らすべきだ、と指摘した。18歳人口が減少しているのに大学数は増えているのがその主な理由だが、資料には「四則演算・be動詞の活用を教えている大学もある」と記載され、話題になった。財政審の委員を務める日本総研の河村小百合主席研究員は「留学生・リカレント教育頼みで大学数・定員を維持しようとしていたのは無理筋。『大学全入』は悪平等で、結果として奨学金に苦しむ学生が急増している。高等教育政策は変わるべき」と喝破する。

文科省も実はホッとした?
──財務省が4月末に2040年までに私立大学を250校削減するべき、と提案しました。かねて河村さんは「日本には大学が多すぎる」と指摘していましたが、財務省が今回初めて数値目標を出したことをどう見ていますか。

河村小百合・日本総研主席研究員(以下、敬称略):文科省が反論しなかったことに、率直に驚きました。これまでは財政審で財務省が大学等の教育分野の改革のあり方について厳しく指摘すると、文科省が公式HPや大臣の記者会見等で猛烈に反論するのがお決まりの流れでした。

 ところが、今回財務省が「250校程度」という数字を出したのにもかかわらず、これに対する明確な反論を避けました。

──大学が多すぎると、国にとってどんな不都合があるのでしょう。

日本は「名ばかり大卒」が多すぎる
河村:大前提として、日本の大卒資格は国際的に比較しても、競争力がありません。学生にとって不利益になっている可能性が、まず挙げられます。

 以下の図を見てください。
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図表:河村氏提供

 OECD諸国の中で、日本は「大卒なのに大卒以下の仕事に就いている人」が非常に多いことが分かります。

 私は職業差別をしているわけではありません。むしろ、学歴に関係なく、それぞれの持ち場での役割が尊敬され、尊重されて、社会に貢献する付加価値で報酬が決まる世の中の方が健全だと思っています。

 しかも学生や親からしてみれば、せっかく高い学費を払って、場合によっては奨学金も背負っているのに、大卒でしか従事できない仕事に就けている人が少ないことから様々な問題が生じているのではないでしょうか。

 なぜこんなことになっているのか。大学教育が内向きになり、実際の経済・社会活動に必要な人材を育ててこなかったからでしょう。あるいは、ゆとり教育開始以降、大学の数を増やしすぎて、「名ばかり大卒」が増えたことも関係しているかもしれません。

 こうした状況について、ある大学関係者の方が「大学はこんなに良い教育をしているのに、それに見合った仕事をつくらない社会が悪い」と発言するのを耳にしたことがあります。社会のニーズを把握しようとせず、自分たちのしたい教育ばかりをしている。正直、唖然としましたが、これが日本の大学の現実です。

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人口減少社会の中での総合的な国力の強化(財政各論Ⅰ)4月23日・財務省。18歳人口と大学数が反比例していることが分かる

──そもそも、なぜこんなに大学の数が増えてしまったのでしょう。

カタカナの学部が急増したワケ
河村:一番大きいのはゆとり教育でしょう。受験戦争を緩和し、できるだけ多くの子どもに高等教育の門戸を開こうとしました。

 そればかりでなく、日本の社会全体に「大学は誰でも入学できるようになるのが当然だ」とでもいうような“ゆがんだ平等志向”が拡がっていた点も大きかったと思います。

 挙句の果てに到達したのが大学全入時代です。必ずしも4年制の大学に行く必要がなく、現場で早くから経験とスキルを積み上げた方がいいような職種もあるのに、猫も杓子も大学に行こう、となってしまった。

 他方、大学側も収益は学生数に比例するので、いくら子どもの数が減っているのが分かっていても(自分たちの大学は)定員を削りたくない、となってしまった。教員の雇用を守りたいからです。

 しかも、高等教育政策にかかわる文科省のさまざまな有識者会議では国内の大学関係者が目白押しで、経済界など社会全体の意見が通りにくい状況が続いていました。

 その結果、教育内容が必ずしも明確ではなく、単に時流にのるような国際○○学部やカタカナの学部が乱立することとなります。

 さらに驚くべきは、2018年に至っても、まだ文科省・大学は「留学生」「リカレント」という需要で定員不足を賄える、と楽観視※していたのです。

※中長期的な高等教育政策の運営方針を中央教育審議会がまとめた「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」

 留学生もリカレントも需要として限界があることは自明なのにもかかわらずです。

 結局、こうした無責任な高等教育政策運営のツケを払わされているのは、学生です。「大学には行くものだよね」という社会通念と大学経営を維持したい大学側、そして文科省の思惑に乗せられ、今や奨学金を借りている学生は全体の半分以上だと言われます。

──しかも卒業しても、大卒でしか就職できない仕事に就ける可能性が低い、と。

卒業生の報酬を公開せよ
河村:奨学金を借りても、卒業後相応の仕事に就ければ返済にそこまで困ることはないはずです。しかしながら現実には、大卒相応の仕事に就けず、稼げないから奨学金も返すのがつらくなるケースがかなり多い。これでは大学が何のために存在しているのか、まるで分かりません。

 それであれば、ドイツのマイスター制度ではないですが、早いうちから自分の適性を見極め、稼げる道に進んだ方が、どれだけいいでしょうか。

 確かに、大学には研究と教育という大きな2つの目的がありますが、前者を追求する学生は相対的に少ない。大多数は、自分の将来を豊かにするため、つまり「稼げるようになる」ために大学に行くのです。このことを忘れてはいけないと思います。

──少子化は凄まじいですから、基本的に大学の数は自然減少すると思います。そうした中で、大学はどう変わっていくべきですか。

河村:今後は、大学の教育成果の透明性を高めるべきです。具体的には、「高等教育の成果」をもっと目に見える形で、客観的に学生に向けて示すのがいいでしょう。つまり、第三者的機関の力を借りて、卒業生の報酬を客観的な立場から全国横断的に調査して、公開すればいいのです。

 イギリスでは、大学卒業生に向けて第三者機関が詳細なアンケート調査を実施し、大学の学部・専攻ごとの卒業生の報酬を全英横並びで公開しています。また、在学生への調査も行い、どんな教育が行われているか学生は入学する前に知ることができるのです。

 日本でも全国学生調査が行われていますが、内容も「授業の意義を説明してくれるかどうか」「質疑応答があるかどうか」というふうな中身のないものに終始してしまっています。調査の事実上の主体が大学なので、このような意義の乏しい、まるで中学や高校教育を対象としているかのような甘い調査になってしまうのです。

 確かに、大学側のPRとして卒業生の就職先をアピールするところも増えてきましたが、本当に客観的で公平な指標となるのは、就職先が大企業かどうかではなく、「報酬」に他なりません。

 さらに、「大学全入状態」ではもうないようにすべきです。別に良い大学を出て大企業に就職しなくとも、現場叩き上げで会社になくてはならない存在になったり、自分で会社を立ち上げて雇用を生み出したりして社会に貢献する人はたくさんいます。

 昨今は高専の価値がやっと認識されてきたようですが、大学以外にももっと多様な進路があること、そして高専がまさに示しているように、本当の意味で時代のニーズに応じて稼ぐ力を子どもにつけさせられるような高等教育の環境を、大人は早期からつくってあげるべきでしょう。←引用終わり


河村 小百合(かわむら さゆり)
日本総合研究所調査部主席研究員。1988年京都大学法学部卒業、日本銀行入行。1991年株式会社日本総合研究所入社。2019年より現職。財務省財政制度等審議会財政制度分科会委員(現職)、国税庁国税審議会委員、厚生労働省社会保障審議会委員、内閣官房行政改革推進会議民間議員等を歴任。『日本銀行 我が国に迫る危機』(講談社現代新書)で第四五回石橋湛山賞を受賞

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«上手く政治を機能させ「統治」するには統治者は統治される側を巧妙に操り大きな「共同幻想」を植え付けその詳細は決めず上手く自由に適正刺激する