いま現在、
日本には、国公立大学の合計で大小を問わず約760大学が存立しています。
一学年の総収容定員数が凡そ50万人を超えています。
現在、2025年の総出生人口が70万人を切り、68万人です。
凡そ、大学教育と呼ぶレベルの学力水準は、総出生人口の30
%(++)程度とされています。
即ち、70万人の内の約30%で即ち20万人~25万人(最大値)までと推計されます。
現在時点の総収容定員50万人の半数(最大25万人)で智力や学力での均衡が保てるワケです。
この状況で、
巨大な上位の私立大学は、一大学当たり4年間で7万人~3万人の学生を収容しますから、
これは金城湯池で笑いが止まらない状態ともいえ、卒業者の政治力を用い、
次々に学部増や研究科増を実現し笑いが止まらない状態とも言えます。
上位の巨大私立大学(大都市圏中心)は「学位記販売業」で20%ほどの収容定員を示しています。
(この歪な実態を正確に知るべきです)
日本大学、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、立教大学、青山学院大学、中央大学、
帝京大学、立命館大学、同志社大学、関西学院大学、関西大学、近畿大学、福岡大学、などは
肥大化した私立の代表的で頭抜けた巨大なオバケ大学です。
大学の再編と日本の後期高等教育の立て直し、国際的な水準を維持するには、
ズバリ、国公私立大学の別なく、400大学の淘汰再編が必要です。
その前に、学生の収容総数が5万人を超える大学は、自主的に収容定員を半減させよ。
総数で3万人を超える大学は総数の30%を自主的に削減せよ。
その上で、400大学の閉鎖を必須の政策として進めよ!
再編する上で、
大学を「学術知」を探求する対象と、社会的な「実践知」を探求する対象に分ける。
更に、400大学は「専門技術職」を実践的に研究し教育する「専門学校」へ移行する事です。
その上で、
高等学校の「普通科教育」を明確な「水準」を示し、人としての「教養教育」に注力する事が不可欠です。
受験型に特化した受験学習ではない「人間教育」が重要です。
いわゆる「職業科」は、
大学に頼らず実践力のある知恵と技術を発揮できる教育への再編は必須です。
文部科学省の職員も、
政策を差配するのは「上級職採用」の人達で、国家社会や社会経済を担う俊英だと眺めみてきましたが、
残念ながら、デキの悪い利権政治屋に尻尾を振り、統計数値も見ず理解もせず、
求められるまま「大学を認可」し続けた無責任は否めません。
人口動態から私立大学の整理が不可避と言われたのは、
21世紀初頭で、2000年に入った頃からです。既に四半世紀が経過しています。
振り返り思えば、1997年に爾後の経営戦略の策定を求められ、
中堅私立大学の設置法人に経営参画した事で、将来計画のシビアな策定で、引用のテーマは殆ど議論しました。
当時、その種の真剣な議論を重ねた学校法人は希少だったと考えています。

<コラコラコラム ©>
引用開始→ 財務省『私大250校削減案』が真っ当な理由、「大卒レベル」の稼ぎを得られない「名ばかり大卒」を量産する不幸
(MSN/J Press 2026/07/12.河村 小百合,・湯浅 大輝)
財務省は財政制度等審議会の分科会で、2040年までに私立大学を少なくとも「250校程度」(約4割)減らすべきだ、と指摘した。18歳人口が減少しているのに大学数は増えているのがその主な理由だが、資料には「四則演算・be動詞の活用を教えている大学もある」と記載され、話題になった。財政審の委員を務める日本総研の河村小百合主席研究員は「留学生・リカレント教育頼みで大学数・定員を維持しようとしていたのは無理筋。『大学全入』は悪平等で、結果として奨学金に苦しむ学生が急増している。高等教育政策は変わるべき」と喝破する。
文科省も実はホッとした?
──財務省が4月末に2040年までに私立大学を250校削減するべき、と提案しました。かねて河村さんは「日本には大学が多すぎる」と指摘していましたが、財務省が今回初めて数値目標を出したことをどう見ていますか。
河村小百合・日本総研主席研究員(以下、敬称略):文科省が反論しなかったことに、率直に驚きました。これまでは財政審で財務省が大学等の教育分野の改革のあり方について厳しく指摘すると、文科省が公式HPや大臣の記者会見等で猛烈に反論するのがお決まりの流れでした。
ところが、今回財務省が「250校程度」という数字を出したのにもかかわらず、これに対する明確な反論を避けました。
──大学が多すぎると、国にとってどんな不都合があるのでしょう。
日本は「名ばかり大卒」が多すぎる
河村:大前提として、日本の大卒資格は国際的に比較しても、競争力がありません。学生にとって不利益になっている可能性が、まず挙げられます。
以下の図を見てください。

図表:河村氏提供
OECD諸国の中で、日本は「大卒なのに大卒以下の仕事に就いている人」が非常に多いことが分かります。
私は職業差別をしているわけではありません。むしろ、学歴に関係なく、それぞれの持ち場での役割が尊敬され、尊重されて、社会に貢献する付加価値で報酬が決まる世の中の方が健全だと思っています。
しかも学生や親からしてみれば、せっかく高い学費を払って、場合によっては奨学金も背負っているのに、大卒でしか従事できない仕事に就けている人が少ないことから様々な問題が生じているのではないでしょうか。
なぜこんなことになっているのか。大学教育が内向きになり、実際の経済・社会活動に必要な人材を育ててこなかったからでしょう。あるいは、ゆとり教育開始以降、大学の数を増やしすぎて、「名ばかり大卒」が増えたことも関係しているかもしれません。
こうした状況について、ある大学関係者の方が「大学はこんなに良い教育をしているのに、それに見合った仕事をつくらない社会が悪い」と発言するのを耳にしたことがあります。社会のニーズを把握しようとせず、自分たちのしたい教育ばかりをしている。正直、唖然としましたが、これが日本の大学の現実です。

人口減少社会の中での総合的な国力の強化(財政各論Ⅰ)4月23日・財務省。18歳人口と大学数が反比例していることが分かる
──そもそも、なぜこんなに大学の数が増えてしまったのでしょう。
カタカナの学部が急増したワケ
河村:一番大きいのはゆとり教育でしょう。受験戦争を緩和し、できるだけ多くの子どもに高等教育の門戸を開こうとしました。
そればかりでなく、日本の社会全体に「大学は誰でも入学できるようになるのが当然だ」とでもいうような“ゆがんだ平等志向”が拡がっていた点も大きかったと思います。
挙句の果てに到達したのが大学全入時代です。必ずしも4年制の大学に行く必要がなく、現場で早くから経験とスキルを積み上げた方がいいような職種もあるのに、猫も杓子も大学に行こう、となってしまった。
他方、大学側も収益は学生数に比例するので、いくら子どもの数が減っているのが分かっていても(自分たちの大学は)定員を削りたくない、となってしまった。教員の雇用を守りたいからです。
しかも、高等教育政策にかかわる文科省のさまざまな有識者会議では国内の大学関係者が目白押しで、経済界など社会全体の意見が通りにくい状況が続いていました。
その結果、教育内容が必ずしも明確ではなく、単に時流にのるような国際○○学部やカタカナの学部が乱立することとなります。
さらに驚くべきは、2018年に至っても、まだ文科省・大学は「留学生」「リカレント」という需要で定員不足を賄える、と楽観視※していたのです。
※中長期的な高等教育政策の運営方針を中央教育審議会がまとめた「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」
留学生もリカレントも需要として限界があることは自明なのにもかかわらずです。
結局、こうした無責任な高等教育政策運営のツケを払わされているのは、学生です。「大学には行くものだよね」という社会通念と大学経営を維持したい大学側、そして文科省の思惑に乗せられ、今や奨学金を借りている学生は全体の半分以上だと言われます。
──しかも卒業しても、大卒でしか就職できない仕事に就ける可能性が低い、と。
卒業生の報酬を公開せよ
河村:奨学金を借りても、卒業後相応の仕事に就ければ返済にそこまで困ることはないはずです。しかしながら現実には、大卒相応の仕事に就けず、稼げないから奨学金も返すのがつらくなるケースがかなり多い。これでは大学が何のために存在しているのか、まるで分かりません。
それであれば、ドイツのマイスター制度ではないですが、早いうちから自分の適性を見極め、稼げる道に進んだ方が、どれだけいいでしょうか。
確かに、大学には研究と教育という大きな2つの目的がありますが、前者を追求する学生は相対的に少ない。大多数は、自分の将来を豊かにするため、つまり「稼げるようになる」ために大学に行くのです。このことを忘れてはいけないと思います。
──少子化は凄まじいですから、基本的に大学の数は自然減少すると思います。そうした中で、大学はどう変わっていくべきですか。
河村:今後は、大学の教育成果の透明性を高めるべきです。具体的には、「高等教育の成果」をもっと目に見える形で、客観的に学生に向けて示すのがいいでしょう。つまり、第三者的機関の力を借りて、卒業生の報酬を客観的な立場から全国横断的に調査して、公開すればいいのです。
イギリスでは、大学卒業生に向けて第三者機関が詳細なアンケート調査を実施し、大学の学部・専攻ごとの卒業生の報酬を全英横並びで公開しています。また、在学生への調査も行い、どんな教育が行われているか学生は入学する前に知ることができるのです。
日本でも全国学生調査が行われていますが、内容も「授業の意義を説明してくれるかどうか」「質疑応答があるかどうか」というふうな中身のないものに終始してしまっています。調査の事実上の主体が大学なので、このような意義の乏しい、まるで中学や高校教育を対象としているかのような甘い調査になってしまうのです。
確かに、大学側のPRとして卒業生の就職先をアピールするところも増えてきましたが、本当に客観的で公平な指標となるのは、就職先が大企業かどうかではなく、「報酬」に他なりません。
さらに、「大学全入状態」ではもうないようにすべきです。別に良い大学を出て大企業に就職しなくとも、現場叩き上げで会社になくてはならない存在になったり、自分で会社を立ち上げて雇用を生み出したりして社会に貢献する人はたくさんいます。
昨今は高専の価値がやっと認識されてきたようですが、大学以外にももっと多様な進路があること、そして高専がまさに示しているように、本当の意味で時代のニーズに応じて稼ぐ力を子どもにつけさせられるような高等教育の環境を、大人は早期からつくってあげるべきでしょう。←引用終わり
河村 小百合(かわむら さゆり)
日本総合研究所調査部主席研究員。1988年京都大学法学部卒業、日本銀行入行。1991年株式会社日本総合研究所入社。2019年より現職。財務省財政制度等審議会財政制度分科会委員(現職)、国税庁国税審議会委員、厚生労働省社会保障審議会委員、内閣官房行政改革推進会議民間議員等を歴任。『日本銀行 我が国に迫る危機』(講談社現代新書)で第四五回石橋湛山賞を受賞