小泉首相の「靖国参拝」秘策を考える
「靖国」参拝取材報道は内閣記者会との事前了解?
小泉首相は、「この度の『靖国参拝』は純粋に個人的(私人)な立場、秋の例大祭にお参りした、一般の方々と同じように」と強調しておられますから、立場はそうかも知れませんが。それでは「なぜ?」、①TVカメラが待ち受けているのでしょうか?NHKを始めとする報道機関各社のTVカメラは四六時中、首相や閣僚の「靖国神社参拝」をカメラを構えて張り込んでいるのでしょうか?②そうだとすれば「靖国」へ行く普通の人達も含めて、監視されているわけですから大変恐ろしいことですよね。③同時に「それほど、報道機関は『ヒマと人を持て余している』のでしょか」。そのようなことは基本的にあり得ませんよね。夕刊フジの記事によると、飯島首相秘書官は事前打診のためか「靖国神社」へ足を運ばれ、「田舎へ戻る際の手土産に『純ちゃん饅頭』を買いに立ち寄った。ここしか売っていないので(実は国会内の売店でも販売)」と、わざわざ記者に説明されたようです。首相秘書官は公人ですから記者がまとわりついていても当前で、この記事には「そうか!」という印象でした。しかし、17日の小泉首相の個人的参拝は、事前に周到な形で『内閣記者会』へ事前にレク(説明)があり、それを受けた上での取材準備、現場取材、報道が為されたと考えるのが普通でしょうね。なぜなら、先にも触れましたが、TV各社も機材と人があり余っているわけではわけではありません。何よりもTV各社が機材を構えて一年365日四六時中待機していることは考えられませんし、そんなことをされたら靖国神社も本当に迷惑な話でしょう。従って、首相が突然、朝10時前に官邸から車に乗り込み「靖国神社」へ向かったとしたら10分ほどで到着してしまいますから、TV(カメラ)取材の態勢すら造れません。報道されたカメラアングルから考えても、周到(事前)に取材位置が設定されていなければ不可能な画像だったように見受けます。
首相も報道されなければ「靖国参拝」の意義がない。
小泉首相も、自らの「靖国神社」参拝が「私的、公的」の別なく報道されなければ、参拝する意義(存在提起)がないわけでしょうから、内閣記者会への充分な事前レクはされたものと思います。意義を問わないのであれば、早朝なり深夜なりの時間に「秘めやか」に参拝されるとよいわけですが、そのような夜陰に乗じてでは本当に問題提起ができません。従って、充分な事前レクを重ねた行為と考える必要があります。従って首相が「個人(私的)」であるとか「公人」などということを強調されたりすることは意味をなしません。基本的に「内閣総理大臣小泉純一郎」が参拝したことになるわけですから。ゆえに報道されるわけです。
小泉流で実に計算し尽くされた行為
小泉首相は、相当な人物ですね。先の衆議院選挙戦での戦術もそれなりに見事でしたが、17日の「靖国参拝」は、それ以上の展開を狙ってのようですね。何よりも北京で中国側が呼び掛け「日中の外務局長会議」を始める寸前に、あるいは「日中外相会談」を月末に北京で開催するため、日本から町村外務大臣が訪中する。それを打診し合意する会議の前を狙うわけですから「凄い」の一言です。中国側の政治戦略が変化するかの隙を狙い切り込み観測気球を上げてみる。実に小泉首相らしい固有のというか独特の計算が働いたような、この強気の姿勢には本当に驚愕させられます。おそらく中国は小泉首相の「靖国参拝」を「そろそろでは?と予想し想定」していたと思いますが、この日に実行とは考えもしなかったでしょう。それが17日の反発(李外務大臣自らが阿南大使を呼びつけ抗議する)に現れたように思います。小泉首相は東京で自らの面子を立て、中国政府は北京で自らの面子を潰されたわけです。この点も含めて、相当緻密に計算され想定され挑発した17日の「靖国参拝」だったように思います。もし首相官邸サイドから「そんなことはない」と否定見解が流布されるなら、小泉首相は本当に思いつきで行動される方だということになりますから、その方がもっと危険です。内閣記者会への周到な事前レクを踏まえ、無事に「靖国参拝」を終え「靖国神社境内」での立ち止まり会見でも、官邸での内閣記者会の代表取材に応じる小泉首相の表情と言葉に『自らのこの日の行為に対する達成感』が滲み出ていたように見えました。しかしながら「実にしたたかにみえる行動も、この一石による今後の展開は、外国(多国間にわたる外交関係)相手ですから、国内相手のようには読み切れません。なぜなら、当面は『小泉首相の思惑による優勢勝ちが国内向けには続くでしょう』が、外交がそのような展開を継続維持できるとは限りません」。アメリカ政府の外交当局も報道官が談話の形で「波風を立てない方が」との見解を示しているようですし、小泉流の強気の計算に基づく国内からの挑発は外交の舞台、国際社会でどこまで通じるのでしょうか?小泉退陣後に生じる後始末も含めて国際社会への戦略が不可欠ですね。「不毛なナショナリズムや不毛な原則論」で心配しているわけではありません。小泉首相のリーダーシップには敬意を表しますが、現実の社会における直近のテーマには「小泉流の言葉は切れ味が良く、響きも良いのですが、その先にある姿を始めそれを支える戦略がみえない、説明もない」この点に大きな不安を隠せないというのが正直なところです。
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