日本の国債は本当に安全か?
日本の国債について説明を聞く
昨日(11/05)某大手證券会社の営業担当者が、「日本の国債」による資金運用を説明に来た。基本は10年ものを2年ごとのラダー方式で既発債と新発債を組み合わせてと、わかりやすい説明で「リスクを伴わない、投資(資金運用なら)利回りの優位性」を繰り返し強調した。一緒に聞いた人たちの多くは、若干の疑念を持ちながら、対象となる資金の性格上、仕方がないか?という空気だった。営業担当者から「物価変動に応じて必要とあれば、債券ですから、市場での売却は可能です。現在、『日本の国債』は、例えばS&Pの格付けでは『AA-』です。一定の評価を得ています」と一連の説明を加えた。
果たして、そうだろうか?
国債は、債券だから、市場での売買は当前可能だ。しかし、その際の市場価格は発行者(日本国政府:財務省)の財政状況を反映すると考えなければならない。債券だから、当然市場価格になる。従って、償還途中の市場売却は差損(益)が生じると考えるべき(この指摘への回答は小声で答えを濁す)。しかし、営業担当者と、この案件を推進しようと考える側は「国債は国の保証」を強調する。確かに、そうだ。通常の企業が社債を発行してもCPを発行しても、発行会社の責任で国は保証しない。その会社の責任である。当たり前のことだ。しかし、社債を発行しようという会社の信用力や競争力、あるいは何を目的にした債券発行なのかを知ること(判断材料)は得られる。加えて、一般的な流れでは、その経営目的に対し真摯な姿勢で臨むだろう。転換社債であれば、後に株式市場での運用も可能だ。
日本の国債はどこまで信用できるか?
日本の国債は、本当に信用できるのか、実際、どこまで信用できるのだろ。何よりも、現在、発行を繰り返している国債は「利払いと償還債の借り換え」が目的で、お世辞にも健全な投資とは言い難い。何よりも、国は国債についての(財政)政策を明らかにしていない(明らかにされたかも知れないが守られた試しがない)。その点を国会で指摘されても修正されることもない。何よりも、小渕内閣のときに発行した84兆円の国債の償還は2007年とされている。84兆円って簡単にいうけれど、これは国の年間予算の規模だ。さらに驚くことは、小泉内閣の4年間に発行された国債が、ほぼ250兆円もあるという。合計334兆円。郵政民営化により名目上、民間事業者の資金となる「郵便貯金ほかの資金総額」がほぼ320兆円。なにやら、きな臭いですね。ここまでは、持ちこたえられても、その先は全く分からない。つまり先が見えない状態ではないか。何よりも、社債を発行する会社は「監査機能」もあれば「株主総会」もある。そして「有価証券報告書」が提出され残される。国の財政査察について、国は一度でも「監査機能」を受け容れただろうか、「株主総会(=国会)」は機能しただろうか。国は「有価証券報告書」に該当する「財務財政報告書」を精緻に作成し公表しただろうか。
国の「財務財政」運用は霞ヶ関と永田町のフリーハンドでは
「官僚」と「政治」の談合状態に、未だ、終止符は打たれていない。小泉内閣の主張はよいし、聞こえも響きも素晴らしいが、本当に中身はどうなのだろう?正確に採点したとき、果たして合格点だろうか。就任時点で国債発行額の上限(年間30兆円)を示し、「やるなぁ」と気を引いてみたものの、一年ほどで「(国債発行上限を守る)公約なんか、大したことではない」と衆議院予算委員会で大見得を切って開き直り、以降250兆円という途方もない金額である。一年に置き換えると僅か60兆円強ではないかとの主張も一方にはある。30兆円が33兆円ほどになり守れなかったとしてもそれはまだ議論もできようが、毎年60兆円を超えるとなれば、一体全体「政治家の公約って、首相の公約って、一体なんだろう?」って疑ってしまいますよね。利払いを入れると発行残高総額1,000兆円に達する勢いですからね。日本の預貯金総額は1,200兆円だ、などという説もありますが、それは本当のことでしょうか。実際上の監査機能もない株主総会も機能しない官僚と政治家へフリーハンドを与えたまま、あっという間に、ここまできてしまったわけです。国債の支払い利息は、既にGDPの年間成長率を遙かに上回っているのです。すなわち、国全体の収益を合算しても国債の支払い利息をカバーできない状態にあるようです。これって、はっきり言ってしまうと「国の財政は破綻」した状態です。多少でも、経済学を理解できる人なら、実際には国家財政を破綻させた「アルゼンチン」以上の状況にあると考えるのが普通だろうと思います。それでも日本の国債は安全だという、営業担当者も大したものですが、推進しようという側の人の神経も理解できません。日本人は、いつから「巨大幻想を紡ぐようになってしまったのでしょうか?」。「幻想」や「夢想」をするのは自由ですが実態ではありません。
既に本邦への「原油着岸価格」は従来平均の3倍になっている
原油の国際市況が高騰したこともあり、基礎エネルギー価格も全てが市場価格を上げる状況を見せています。市場環境は小泉内閣の政策とは関わりなく「デフレ経済からインフレ経済へ」転じようとしています。また政府の政策意図に関係なく、原油先物投資で一儲けした海外資金を含め、東証には資金が集まり(戻り)始め「東証平均株価」は小泉内閣発足時の水準14,000円までようやく戻りました。政府は、この環境をどう評価すべきか、政策上でどう反映するのか見通しを示し得ていません。市場についての基本は「日銀」任せのスタンスを貫いています。一見、民主主義のように見えますが、政策無能の無責任と考えることもできます。本邦政府が保証する「日本の国債」は、この環境でどのような方向へ向かうのでしょうか。政府は財政見通しを十分に一貫して説明できないままではないですか。
国債購入に慎重な意見を述べると
国債を買い入れるか否かの議論をしているのは、一定多数の会員を擁する特定法人の外郭に位置する「任意団体」です。従って、資金は、一定多数の会員が終身拠出した資金です。国債購入(宝くじ一回当選金額程度)企案推進者から「国が破綻するときは、どのような社債を持とうが、株式運用しようが、紙幣を持とうが意味はないでしょう」と、これまた大胆な主張を返されました。「外国債や外貨預金は安全ですか、安全性だけ主張されるなら、外国人みたいに『金塊』でも買うしかありませんね」と追い打ちされ、全く噛み合わないまま、議論を切り捨てる方向へ交わされてしまいました。
加えて、企案推進者は「自分の資金だったら、社債、外国債、リート、株式投資などいくつもの方法を組み合わせて資金運用する」。しかし「この組織の資金は、そのようなことが許される資金ではない。そのため、国債しかないのだ」と堂々と主張しました。うがった見方をすれば「自分の資金ではない、組織の金だから、リスクを負わされたくないし、差損を出した時に、後から文句を言われるのは嫌だ。その意味で、気楽なものだ。何で文句をつけるのだ」と考えられないこともない。そして「国の保証を信用できないなんて、どうにかなっている(=まるで非国民)」というように指弾を加えられました。国債購入を企案し推進しようという側へ、国債の懸念と、市場環境を指摘し、拙速な推進に意見を述べることが、「国の保証を信用できないのか?この非国民」のような指摘を受け、その種の議論で押し切られなければならないのでしょうか(この点は、私の関係する組織内の固有の問題かも知れませんが)。いま、日本全体を覆う便利な言葉として「非国民」に類した言葉がよく飛び交うようになりましたが、別の懸念もありますね。
実際、誰が「日本の国債」を買い支えているのか
大手證券各社は、国債の下支えに躍起です。買い支えてくれるファンドがあれば、どこへでも飛んで行き懸命の売り込みを図っています。もう、本邦の中に、一定の資金量を保ち「日本の国債」へ資金シフトしてくれる資産保持者は本当に少なくなっているようです。普通の資本家は、如何に政府保証があろうとも国債など相手にせず、より利回りの高い産業へ資金を投資しますから、国内で国債を買い支えているのは「機関投資家」と呼ばれる「生保」「損保」「銀行」など「金融庁」から許認可を受けた事業者が中心で、謂わば国ぐるみです。これらの資金の殆どは広く市民から集められています。
次の段階では民営化される「郵便貯金会社」も資金運用の合理的判断という理屈で、「郵便の資金」を注ぎ込むことになるのでしょう。そうなると、小泉改革の原点だった「郵政資金」による「財政投融資」を縮小し「特別会計による公共事業部門」を大幅に見直し、抜本的な「構造改革」を断行するという主張に、結果として著しく相違することになります。ここでも小泉首相は「(抜本的な構造改革を推進する)公約なんて、大したことではない」と主張されるのでしょうか。確かに国内的な歳出削減は一定の速度で進んでいるようですが。しかし、一方では「年金」「医療」「軍事」「外交」部門での資金支出は増加の一途です。行政の非効率は相変わらずで、実際に改善されているのかどうか不明です。
小泉首相は、さかんに「郵政民営化」の効果を強調するが
小泉首相は「郵政を民営化することで国家公務員を減員できる」との主張ですが、そもそも郵政職員は、正規の意味でいう「国家公務員」ではありません。正確に表現すれば、もともと外縁部の「公社(法律により三公社五現業と規定分類された)の職員」です。ですから、郵政職員を現在の「民営型公社」に移そうと、あるいは「株式会社」に移管しようと、本質的には、所謂「国家公務員の減員」とはならず、「国家公務員」の総量には何の変化も生じません。その意味で「郵政民営化」をすることで「公務員の減員」を行ったなどとの主張は噴飯もので小児の理屈に過ぎません。
財政を均衡させるには税制度を変更する以外に途なし
つまり、「課税制度を変更」する。課税金額を変える以外に税収増を図ることはできません。そのうち最も簡単な第一騨は「消費税の増税」です。第二弾は「勤労者全体への課税制度変更」です。企業への課税変更は「国際的な競争力を回復」させるまで、雇用確保(増大)の観点から見送る方が適正という結論になるでしょう。
しかし、その前に、歳出の圧縮はどこまで進めるのか、そのために「どの程度の痛み(国民負担増=税以外の追加支出)が生じるのか」明らかにされなければなりません。なぜって、現状のままでは、国債の利払いに廻され費消されるだけです。国家財政の破綻を交わすこと(延命)で終わるからです。本当に日本は金持ちの国なのでしょうか?どのように考えるべきでしょうか。現状は、「サラ金で金を借り切った状態の国家」です。そうか、それでO社の会長は、政府の「経済財政諮問会議」の委員として「官僚」と「政治家」を押しのけ、やりたい放題に辣腕を振るっておられるのか。そうか。そうなのか。そういうことだったのか。なるほど。だから、実際には「サラ金まがいの会社の経営者が仕切っているのか」そうだったなぁ。そういうことか。
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