« Japan Fashion Week をパスして、WBCでの復活を祝す! | トップページ | Japan Fashion Week 「東京コレクション」が始まりました! »

2006/03/18

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第54号

ウィークリー・ベトナム・ニュース
■ 平成18年3月18日 土曜日 第54号
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ こんにちは!!

vnnationalflag いつもお世話になっておりますベトナム、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その54 今週のヘッドライン

*3月13日(月) 輸入中古車解禁の裏事情
*3月14日(火) 産休明けの乳呑児の世話
*3月15日(水) インターネットテレビ配信開始
*3月16日(木) フルーツ日々是丹精
*3月17日(金) 国を挙げて明日への布石を!
*3月18日(土) スパの効能とどっちが綺麗?!

3月13日(月) 輸入中古車解禁の裏事情

*商務省・財務省、そして登記局は今週初め輸入中古車の規制緩和を決め、5月より実施に移行するという。商務省副大臣Phan The Rue氏曰く、今後、省としてこの分野で如何なる輸入割当を課すことは無くなるが、関係省庁において輸入中古車に対するタリフが作成され、それらを競争力のある価格設定がなされてゆくだろうと。また、Rue氏は、条項12に中古車輸入に関する取扱い方の説明は詳細を極めて居るので、新たにこの件についてガイドラインを作成する必要は無いだろうと付加えた。

輸入中古車に門戸を開放する目的は、国内の発展が遅れ、しかも重く保護された自動車産業界に一石を投じるもので既存業界に危機感を与え、奮起を促し輸入中古車との相乗効果を期待するものである。尤も業界専門家筋の見立てでは中古車に課せられる税金は300%と予測されるため国内自動車産業に対する然したる脅威にはならぬとの意見もある。故に、業界全体では当面の間、輸入中古車解禁政策を静観する姿勢を保つだろうという。

国内自動車生産メーカー11社の生産性は市場の停滞が響き40%カットした一方で、1~2月の輸入新車台数は対前年同月比で32%落としている。過去二ヶ月間の国内自動車生産台数は3334台で、この内、国営企業系メーカーの生産台数は464台に留まった。Do Huu Hao産業副大臣に拠れば、自動車購入潜在顧客たちは5月の輸入中古車解禁待ちのスタンスに入っていると考えており、新車との比較対照したうえで購入に向かう為、5月以降の市場の動きは楽観視して良いと鳥瞰している。

(辛口寸評)
国内自動車メーカーの売行きが芳しくなければ、自動車税の切り下げをもっとすればよいだけであるのに、ここへ来て輸入中古車の規制を緩和するなどと出鱈目な方針を打ち出してきた。これでは市場に自動車がダブつくだけで、事態は益々悪化するだけである。そもそも、ベトナムが外国の自動車メーカーを呼び寄せるための口実はベトナム国内では3社ほどしか誘致しないというのを謳い文句にしていた。ところが、いずれのメーカーも営業許可が下りた時点で、3社の内の1社に選ばれたと内心喜んだもののいざ蓋を開けてみると何とその数9社!!
その後、2社が新たに参入してきたという経緯があり、大いに煮え湯を飲まされた。

それもこれも、当時の指導者層が私腹を肥やすため、あっちを立てればこっちが立たずの状況になり、結果的に全部立てたらこうなったといった具合で、そこから考えると、今回の輸入中古車解禁も自ずと裏が見えてくるというものだ。少し調べてみると、敢えて名は伏せるが今回の政策に関わった閣僚の身内が既に香港に中古車一万台をプールしているという。もちろん、私腹を肥やすために他ならない。筆者の手元に名前が挙がっている閣僚は今のところ一人だけだが、実質、それ以外の閣僚クラス及び関係完了たちも大同小異とみて差し支えない。お手盛りの錬金術というところだ。

ベトナムの政治は丁度、今時分の日本の気候と同じでまだまだ三寒四温といったところだろう。

3月14日(火) 産休明けの乳呑児の世話
*私の赤ちゃんが生後4ヶ月の頃、ベトナムはもとより世界中の働く女性が持つ悩みに突き当たったのです。出産後、仕事に復帰したくても私が会社に出掛けてしまえば一体誰が赤ちゃんの面倒を見てくれるというのでしょう。私の旦那や両親も仕事をしているので彼らに頼むことも出来なかったし、保育園も2~5才児までの年齢制限があったので全く途方に暮れてしまいました。仕方が無いので、近所に民間託児所があると聞き、喜び勇んで入所案内を訊きに出向きましたが、そこも1才からしか受け付けてくれないことを知り、落胆したのです。結局、会社に無理を言い更に4ヶ月の産休を申し込んだのです。そして旦那と二人でベビーシッターを探すことに全力を投入しました。二回目の産休が切れようとするころ、自宅からは離れていましたが、とある未亡人が娘を彼女で預かっても好いと申し出てくれたのです。娘を連れてそこまで通うのは正直億劫でした。しかし、仕事にも戻らなければならず、結局、お願いすることにしたのです。

赤ん坊を連れた多くの私の友人たちも同様の問題を抱えています。友人のTruong Minh Phongさん(27歳)は、生後8ヶ月の息子を毎日自宅から1キロ離れた叔母の家まで預けに行っています。「私の母は体調が芳しくなく、息子の面倒が見られません。旦那の両親も離れて暮らしているため無理なのです。天気の好い日は、叔母の家まで出掛けるのは苦になりませんが、そうでない日は、息子への感冒感染を考えると、問題です。」とTruong Minh Phongさん。現在 Phongさんの息子は16ヶ月、漸く仕事に安心して打ち込めるようになったという。

Phongさんほどラッキーじゃ無いけれどここにもうひとりの友人のケースを話してみましょう。Vo Quynh Chiさんは両親も義父母も既に他界している。彼女は外資系企業に勤めていたものの、産まれた子供が保育園齢期になるまで、一時、仕事を辞める事に決めたのだという。「誰かを雇って子供や家事の世話をして貰う事も考えたわ。だけど、その人がどのように子供の面倒を見てくれるのかが不安だったし、それに誘拐の怖れだってあるでしょ」と Chiさん。 Chiさんは心配性の帰来があるものの心配は理解できるものだ。

同僚のひとりが不意にお昼ごろ自宅に戻ってみるとお手伝いさんが勝手に娘ようにこしらえておいたスープを飲んでいて、ショックを受けた事を話してくれたけど、誰にも目の届かないところでは何が起こるか解らないものだから。Phongさんは息子を叔母の元に預けて一年が経つがお金の心配も無く気楽であるという。とにかく乳飲み子を抱えた多くの母親の職場復帰は一般的に難しいものである。

午後7時に繊維会社社宅を訪れてみると人々は夕餉の時間かとても静かで、時折、そのしじまを破るように赤ん坊の泣き声が聞こえた先の家の軒先には多くのオムツが干されており、その下で赤ん坊をあやしているHoiさんと出合った。「工場従業員は残業に追われ孫の母親が帰宅するのは午後8時ごろ、、、お乳が欲しいのか、母親が恋しいのか、いつもこの時間になると孫を宥めるのに大変さ」とHoiさん。Hoiさんの義娘Lyさんは、繊維会社に就職する為、Hung Yen省から出稼ぎ労働者として出て来た。彼女の亭主は技術者で、赤ん坊が産まれた途端、喜びも束の間、Lyさんの職場復帰後、赤ん坊のお守りを誰がするかで揉めに揉めた。結局、子守りのお手伝いさんを雇おうとしたものの費用が高過ぎて、諦める事にしたという。そこで、Hoiさんの息子は母親に赤ん坊の世話を頼みに来たのだ。この様な事象はHoiさん一家だけに留まらず、他の従業員一家でも同様の事が起きているという。

ハノイにある Vinh Tuy 工業団地で靴メーカー労働者として働くThuさん。近くで赤ん坊を見るとハノイを遠く離れたThanh Hoa省に暮らす自分のそれを思い出し涙が溢れて来るという。彼女の狭い社宅では母親と子供を呼寄せ一緒に生活も出来ず、産休が終わると赤ちゃんを実家に預けて来たのだという。「時折、故郷に戻って再び百姓でもしようかと考えます。そうすれば親子一緒に過ごせます。」と、Thuさん。

LyさんやThuさんなどが抱えている問題を解決するため、幾つかの企業では社内に託児所を設け始めた。ホーチミン市の Truong Loi Garment Making Ltd Company は、そのひとつで現在、社内の託児所で15人の幼児を月額一人当たり15万ドン(約US9$)で面倒を看ているという。個人的には、この様な動きが更にベトナム中で促進され、少しでも母親の負担を軽減してあげられればと願っている。

(辛口寸評)
今更、筆者がここにコメントを残すまでもなく、乳飲み子を抱えた母親にとって産休後の子供の世話をどうするかは切実な問題である。しかもベトナムは、夫婦共稼ぎが一般的であるぶん、身内が近くにいなかったりすれば、お手上げだ。昨年、弊社工場従業員が出産した。彼女もその亭主もうちの社員で、それぞれ北部から出稼ぎで社員寮住込みであった。結婚後、寮の一室を彼ら専用に使用する事を認めていたが、子供が産まれるとなると泣き声など他の寮生活者にとって迷惑になるのではと考えた。

筆者自身は、赤ん坊がひとり増えることに対し何の異論もなかったが、家族はどこか近くにアパートでも借りさせるべきで、それがまたベトナム流らしい。しかたがないので、昼食時、当事者の亭主を呼んでその事を話したところ、近くにいた寮に住む従業員達が、真剣な眼差しで「我々に気にせず、どうか赤ん坊と一緒に暮らさせてあげてください!」と本人が応えるより先に頼んで来た。仕方ねえ~な~と思いながらも、そんな優しい従業員達がうちの会社に大勢いることを知り、嬉しかった。

3月15日(水) インターネットテレビ配信開始
*インターネットプロバイダーのFPTテレコム社が、ベトナム初のテレビ送信サービスを開始した。このサービスは、同社サイト http://tv.fpt.vn から視聴する事が可能だ。FPTテレコム社は、the Corporation for Financing and Promoting Technology 社(FPT)の子会社でIT企業としては国内第二位の規模を誇り、国内外32チャンネルをカバーするという。同社曰く、ADSL(Asymmetric Digital Subscriber Line) の高速通信サービスを通して視聴者はPC及びモデムと繋がれた従来型TVから番組を楽しむことが出来るとのこと。 

FPT社は3月10日より500人のADSL利用顧客を同サービスの無料もにたーとして選び、テストを開始する。一方、Viettel Internet Centre社代表Bui Quang Huy氏は、FPT社同様のサービス展開を模索中だとする。現状、ベトナムにはケーブル整備が存在しないため、衛星放送から受信した上、配信がなされるとのこと。人口8300万人の内、920万人がインターネット利用者 そして270万人がインターネット契約者で、この分野でのベトナム市場発展は世界規模で今後、大きく期待されている。そして、次世代のブロードバンド・IPTVなどのIP機軸の社会資本整備が成された暁にはインターネットの力で素敵なテレビ放映をお茶の間に届ける事が出来るようになるだろう。

(辛口寸評)
日本にやってきてブロードバンドを体感して見ると、実にその速度の速さに驚かされる。ベトナムの我が家も"とりあえず"ADSL環境を整えているものの、それでも動画などは途中で停止することが多く、今回、FPT社がテレビ番組配信サービスを開始したというが、海底ケーブルの敷設工事が為されていないゆえ、品質はこれまでと50歩100歩と言ったところではないだろうか?!目新しいもの好きのベトナム人故、今後先を見越したサービスの提供であろうが、一利用者として一刻も早いケーブル化を押し進めて貰いたい物である。

3月16日(木) フルーツ日々是丹精
*2006年初めから、農業系技術者のお陰で近所の市場には新しいタイプの果物が軒先に並ぶようになった。1995年、南部果物研究所で働くTran Thi Oanh Yen女史は友人からカンボジア産のドラゴンフルーツの苗木を分けて貰った。2年間、彼女はそれを丹精込めて育てた結果、小さな実をつけるに至った。研究所の同僚Pham Ngoc LieuさんとTran Kim Cuong,さんと共に、Yen女史はBinh Thuan産ドラゴンフルーツと掛け合わせ、1998年ついに新しいタイプのドラゴンフルーツを生み出したのだった。ベトナム産ドラゴンフルーツの開花時間は夜10時から12時の間で、萎むのが早朝3時から4時にかけてなので、しばしば寝る時間もありませんでしたとYen女史は回想する。

二種類のドラゴンフルーツを受粉させ、そしてカンボジア産の赤いタイプを掛け合わせ5年後に新種を完成させた。2005年、南部果物研究所は、Long Dinh 1赤ドラゴンフルーツと名づけたその新種の大規模作付けに移行した。出来上がった新種は、その質・素敵な形、それに美味しさと三拍子揃っており、すぐにホーチミン市内やBinh Thuan省の市場で顧客の注目を集めるに至った。近い将来、私の生み出したドラゴンフルーツは海外の市場でも知られるようになるでしょうとYen女史は胸を張る。

「もし美味しいグレープフルーツを食べたかったら、Le Van Hoaガーデンに行くことだね」と言うのは、南部果物研究所主任研究員のNguyen Minh Chau博士。1996年、Hoaさんは南部Ben Tre省にある農家の畑を訪ね、果肉がピンクで皮が緑のグレープフルーツに目を奪われた。早速、彼は実験用に5本の苗木を分けて貰った。それから二年後、彼は資金的リスクを冒し、これまで作付けしてきたドリアン畑を新しい栽培方法を用いグレープフルーツ栽培に切り替えたのだった。農家はしばしば木々についた害虫を取り除くために石灰を塗っていたのだが、彼は一本一本水で洗い落としていった。「木は人間と同じできれい好きなんだ。もし清潔さを保てば、虫も来ないし病気にもならないんだよ」とHoaさんは説明する。彼は自在にグレープフルーツの開花を操作することを覚え、彼の畑では一年中、実をつけるようになった。そして、近所の農家にも作付け方法を教え、地域の生活条件を向上させていったのだった。結果、Hoaさんはこの1月、Hoaさんのグレープフルーツが、ベストフルーツに選ばれた。

南部Ben Tre省Lach市場の人々は、Nguyen Cong Thanhさんを「品種改良の男」と呼ぶ。すでに彼はこれまでに種無しドリアン・カカオ・グアバなど12種にも及ぶ新種を発明してきた。Thanhさんは、タイ産ドリアンとベトナム産のそれとの交配に成功したのみならず、リスクを冒してこれまで誰もなし得なかったホーチミン市農業大学からBen Treの畑に600本に及ぶカカオを移植し、現在は40万本のカカオの木を栽培するまでになった。「品種改良は楽しいものです。これからも創造を続けてゆきますよ」とThanhさんは微笑んで言った。

(辛口寸評)
黙っていても美味しいと考えられていたベトナムが、名も無い人々によって更に改良が加えられ日々進化しているという。日常 かみさんに出される果物を何気なく食べてきたが、これからは注意深くその変遷も味わってゆきたいものだ。

3月17日(金) 国を挙げて明日への布石を!
*副首相Nguyen Tan Dung は、ペトロベトナム社に対し、万難を廃しDung Quat 石油精製工場の建設を急がせるように求めた。このコメントは、3月5日、副首相の中部Quang Ngai省への公式訪問の際、述べられたもので、ここで彼は石油精製工場建設工事関連プロジェクトの進捗状況を視察し、護岸設備拡張工事・出国管理事務所・その他、行政設備を見て回った。Dung副首相は、投資家たちや建設現場作業員等に対し、「既に幾つかの難題はクリアーしたものの、まだまだ工事を予定通り完遂させる為に支障が残っている。総員の一層の努力と奮起を期待する」と要請した。また、副首相は建設を担当する国内建設会社に一刻も早い、3つの建物の建設を完了するよう求め、一方で投資家に対しては、問題案件の解決並びに、資金調達を速やかに行い建設業者が遅滞なく工事が進められるよう求めた。ペトロベトナム社は、引き続きコントラクターたちと連絡を密にしプロジェクト全体に齟齬が起きぬよう監督してゆく。

同じ日、副首相は、Song Tranh第二水力発電所の起工式に出席した。この発電所は、Quang Nam省のVu Gia川とThu Bon川に架かる8番目のそれとなる。2005年、政府に拠って建設許可が承認され190mwのキャパを誇り、年間697kwhの電力を発電させる事になる。総工費は、4.1tドン。発電所建設工事に当たり凡そ1000軒の世帯が立退き、建設目的は電力需用の増加のみならず、乾季の水不足による農産物への被害をくいとどめる効果を期待するものなのだ。完成の暁には地域経済の活性化はもとより、周辺住民の生活レベル向上に役立つ事だろう。

(辛口寸評)
ベトナムで国家プロジェクトがなされる時、日系建設会社がコントラクターとして商社等と関与する場合を除き、概ね工期は予定通り進まないものだ。工事マネージメント能力が劣る事に加え、しばしば請負業者が資金調達に時間が掛かり、手当てがつくまでストップしてしまう事などざらなのだ。尤も、コントラクター自体、日系以外、特に他のアジアが請負った場合など、初めから工期の遅れなど当たり前で折込済みが、ほとんどなのである。従って、今回のように政府閣僚が直々に視察し、工事の督促を図る必要があると言うわけなのだ。

以前にも書いたと思うが、日本の明治政府は国家建設の為に多くの有望な若者をヨーロッパに留学させ大学で最新技術を学ばせ日本へ移植しようとした。学生も学生で寸暇を惜しんで勉強に明け暮れ、彼の一日の遅れが日本の一日の遅れに繋がると励んで帰朝したという。翻ってベトナムは今、まさに国を挙げての国家建設に邁進する時である。せいぜい、閣僚が自ら現場に赴き工事遅れの督促を図るくらい当然ではなかろうか。

3月18日(土) スパの効能とどっちが綺麗?!
*私の友達で今では二児の母になったNguyen Thanh Thuyは、学生時代の6年前は美人コンテストに出ては優勝をかっさらっていったものだった。ハノイ大学外国語学科を卒業後、彼女は、絵に描いたような素敵な青年実業家と結婚したときは、それはもうクラス中の女の子たちが羨ましがったものだったの。しかし、去年、久しぶりのクラス会で出会った彼女は皆が驚くほど痩せこけ疲れた表情を曝け出していた。彼女の話に因れば、一日のほとんどの生活を家事と子育てに明け暮れるのみならず国営企業のOLとしても働いているというのだ。

最近では彼女のご主人は彼女をパーティーに誘うこともなく、あろうことかご主人は同じ会社の女子社員と関係を持ち浮気に走ってしまったという。私たちはこの件でThuyにアドバイスをしてあげた。彼女にとっては結果的に耳の痛い話になったと思うけど、彼女は我慢強くそれに耳を傾けてくれた。彼女のご主人が他の女性に浮気をしたのは、Thuyにもその責任の一端がある。何故なら、二人の子供を産んでから余り体型維持に気を遣わず、「女」から「ただのおばさん」になってしまったのが原因なんだと。。。。

その後、Thuyは私たちの助言を聞きいれて、ハノイのスパに通い始め若々しさを取り戻した。スパでは顧客に対し、アメリカ製の高品質なフェイシャル・ボディーケア用品をを提供してくれる。「値段も手頃だけど、何よりスパへ行きだすようになってから、自分に自信を取り戻す事ができたことの方が嬉しいわ」とThuyは語る。

昨今、ベトナムの女性は高学歴化をし、化粧品が身近な生活用品となって彼女たちをより美しく見せるようになってきた。一般的に女性も30歳を迎える頃になると安定した仕事と家族を持つようになり、そして個人的な美しさの維持にも注意を払うものだ。ベトナムの諺に「女が華やぐ時間は短い」というものがあるけど、現代女性はスパに通うことによって、美しさを保ち続けることが可能になった。しかし、スパの明確なコンセプトは多くのベトナム人にとって未だ曖昧模糊賭しているのも事実だ。

スパの語源は元々、‘Sanus per aqua’で、噴流水によるマッサージというものなのだが、今日のスパでは噴流水のみならず数々のビューティーサービスを用意している。私の母はスパヘ行くのは一部の女優や歌手だけだと言うけど、私はこの意見に同意しかねる。私は、現代女性はスパから得られる効能は高いと考えてけど、やはり値の張るサービスは気になる。ハノイスパへ11回通って受けるスキントリートメント代はVN1700000d(US105$)。施術時間は凡そ1時間半で、マッサージやパックが含まれている。

ハノイのとあるスパで働く、この道6年のNguyen Duc Hanhさん曰く、彼女の顧客の多くは忙しいキャリアウーマンで、スパへ素肌の手入れに来るばかりでなく、ストレス解消や気分転換に訪れるのだと。スパでは顧客に対し、少しでも寛いで貰うためロータスティーや軽音楽を室内に流し、最新のファッション雑誌を取り揃え、テレビなど見て貰えるようにし、少しでも煩わしい日常の生活から解き放つ場を与えているのだ。

Hanhさんのスパの美容部員は皆、施術法をマスターしているのみならず、お客様とのスキンシップを図れるようにも訓練されているという。全てのスパは顧客獲得の為にあのてこのてのサービス合戦を強いられ、それに勝ち抜いて行くことが求められるからだ。
女性の輝きは健康な身体と新鮮な顔色、そして溌剌とした気持ちが揃った時に現れる。スパの存在を知らぬこと、これ即ち、自己の美を埋もれたままにして置くことに他ならず、これでは幸せは得られないと思うと、Hanhさんは結んだ。

(辛口寸評)
結局、今回も読み始めで期待をそそられる話題に突入してゆくかと心浮き浮き読み進めて行ったが、最後はスパの宣伝記事で占められがっくりとした。本当なら辛口寸評も不発で終わるところだが、そこを簡単に流してはニャットアインの名折れ。そこで今回は私的な感想を記しておこう。既に一部の読者はご存知だが、現在、筆者は日本に長期出張をしている。渡越13年になり、これまでも年に数回、短期出張で日本とベトナムを行き来して来たが、ベトナム通になるのは有難くも、一方、日本の事となるととおり一片のニュースはテレビでも衛星放送を通じてもたらされるようになったので、さして不自由は感じなかった。しかし、実際、日本から長く離れていると、数々のトレンドや動きなどが掴みづらくなるものだ。そこで暫く東京にこの身を置き、情報収集に人脈作りに勤しんでいるというわけだ。

まえふりが長くなったが、日本での生活でこのところ気になることに出くわした。それは、特に10~20代に至る若い娘さんの顔がどれをとっても金太郎飴のように没個性の同じ顔のようにしか見えないのである。何というか女の子の誰もがアムロナミエ顔なのだ。パッと見た目、化粧が巧く、きれいっぽくは見えるのだけど、直ぐに見飽きてしまうのである。翻って、ベトナムの若い女性は都市部を除けば化粧もしていないのが一般的で、ほぼスッピンに近いご尊顔を拝めることが可能なものだから、彼女らが本気で化粧に磨きを懸けたなら、逆に日本の若い女性など目じゃないんだろうなとマジで思える。ちょっと贔屓目が過ぎるとは思いながらも、この気持ち、昨今の僕の偽らざる感想なのである。さて読者のご同輩は如何思われるのだろうか?

以上

|

« Japan Fashion Week をパスして、WBCでの復活を祝す! | トップページ | Japan Fashion Week 「東京コレクション」が始まりました! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第54号:

« Japan Fashion Week をパスして、WBCでの復活を祝す! | トップページ | Japan Fashion Week 「東京コレクション」が始まりました! »