変人と馬面が結託し食い散らした満艦虚飾の5年間!
国内事情は、この10日ほどの間に、大きく変化したようで、現在はまさに「浦島太郎」状態にある。
何よりも、「共謀罪」は見送りとか、併せて、「教育基本法」の改正、「国民投票法」の制定も見送りとのこと。「ヘェー!?フゥーン」という心境でもある。
「日本は、いつ、イラクから撤兵するのだ?」。某途上国での10日間ほどの間、親しいジャーナリストや政治に携わる人から執拗に問われた。建前として「日本は、イラクへ派兵していない」と返したが、相手は「日本は派兵している」との見解を終始一貫して譲らなかった。その上で「何よりも、イラクの戦後体制を利用し、日本は米国と『石油』を分け合うのだろう」との見解を強く示された。
国内向けに説明され主張され喧伝される見解と、国際的な受け止め方には「大きな開きがある」ようだ。日本の自衛隊は「明らかに(世界第三番目の)軍事力であり、イラク派兵と認識」されている。
別に「イラク派兵駐留が、悪いという見解ではなかった」が、この件ではやや違和感を感じさせられた。
やはり、自衛隊を海外へ出すなら出すで、憲法上、明確な規定を示した方がよいし、示すべきである。その点で「日本は、憲法で『戦争を放棄し、戦力を保持しない』と宣言している」ことを説明したところ、「それでは、どうして、『自衛隊か軍隊か、分からないけれど、(世界第三番目の)軍事力を保持するのか』、『他国の領土へ、派兵するのか』と、これほどの矛盾はないだろうから明確に説明を」と指摘を受け、見解を問われた。
本邦政府の説明は、殆どの国で「受け入れられていないのではないか」と考える。それでは、「(自衛隊の海外派遣は)反対なのか?」と質問を返すと、「日本は、国際社会の中で、大きな存在なのだから、それ相応の責任を果たすべきである」との意見が返された。
国内で展開される「不毛な論理」は「海外では、通用しない」のである。
国際社会での責任を果たそうとしない国が、国際社会で名誉ある地位を求めることは、憲法の上で、どのように表現しようと自由だが、本当に「国際社会で、名誉を求めるなら、それに見合う責任を果たせ!」と逆襲された。
しかし、「国民投票法」の新設や「教育基本法」の改正は、改革を声高に主張した側により見送りとされた。政治は、この5年間に、多くの内部矛盾をさらけ出し、本質的に必要な改革には至らなかった。「改革ごっこ」のようなコトをしたように錯覚しているだけである。それは自己満足に過ぎない。「国際社会で名誉ある地位を得る」という主張は、脈絡を欠いたまま、単に「米国の、忠実な草履取り」に堕したに過ぎない。これほどの恥辱はない。
より大きな改革ができると「ビッグマウス」で主張する一方の側の代表は「国連」の決定に従うという主張を繰り返すだけである。「国連」などというと、日本人の多くはまるで「正義の味方」のように捉えがちだが、所詮は「町内会の意見」に過ぎない。いつ潮流が変わるか分からない。そのような馬鹿げた議論に「国家の安全に関わる行動原則」を委ねるなどという主張は、まさに「噴飯もの」である。話にならない。
国際社会に向け、自らの主張も国家観も保持しないことを、国際社会に向けて宣言しているわけだから、世界の中でバカにされ、相手にされないだろう。なぜ、こうも思考力を停止させる議論が横行するのか情け無い。
政治も弱体であるが、言論界はさらに弱体である。政治家は「テレビに出て、大袈裟に主張する」ことが本業であるかのごとく誤解しているようだし、言論界は賞味期限切れのバカ男が、相も変わらず支離滅裂な自己主張を繰り返すことに批判も与えられず、一緒になり「自己同一化」により安心しているかのようである。真に小粒な主張に終始する言論界は既に死んでいる。政治と言論界は「集団自殺」してしまったかの印象が強い。
国際社会は、発展途上国も「本邦の政治」の在り方に注視している。
お騒がせ男「ムラカミ不安怒」が、密かにシンガポールから名古屋へ帰国したという。「白昼強盗をどうして引っ括れないのか」と、発展途上国の政治家には不思議なように映るらしい。それは同様に、本邦の良識ある多くの人の目も同じなのではないか。
変人が率いたこの5年、余りにも無惨な姿に変わり果てた。既に「国、敗れて・・・」状態である。お顔の長い、馬面の財界総理だった人物は、「変人の、変人による、変人のための自己満足改革」を絶賛しておられるようだが、何がどう変わり、どの点が絶賛に値し、どの点が糾弾に値するのか、その論拠を明らかにしなければならない。そうでなければ馬面が保たないのではないか。思考停止状態の尻滅裂論法の、座敷犬チンと共に、本邦の貴重な財産を食い散らし、米国へ叩き売ったことが改革と主張され評価されるのは、受け入れがたい理不尽である。
思えば、変人と、変人が寵愛する座敷犬チン、それに加えて巨大な馬面が結託し、後ろに稀代の金貸しを従えた、満艦虚飾の「改革ごっこ」に過ぎない5年だった。
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