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2006/06/10

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第66号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成18年6月10日 土曜日 第66号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflag_17 いつもお世話になっておりますベトナム、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その66 今週のヘッドライン

* 6月05日(月) ハノイの大亀伝説
* 6月06日(火) 都市の拡大と雇用新形態
* 6月07日(水) 流通大変革をもたらす事態か?!
* 6月08日(木) 市民生活向上と違法駐車取締り
* 6月09日(金) 生きる意味を教える教育
* 6月10日(土) バスにはバスの悩みあり

6月5日(月) ハノイの大亀伝説
*何世代にも渡り語り継がれ、Hoan Kiem湖の湖底深く棲むという不思議な巨大亀の存在は、ハノイの人々を魅了してきた。ハノイ中心部のHoan Kiem湖は、静かに満面の水をたたえている。ある夏の日、湖の近所にいた人々が湖西岸に群がり、目前の泳ぐ物体を指さし、ある人は声を失い、またある人は興奮して眺めていた。絵画的で美しい湖、実は数々の伝説を秘めているのだ。

今から15世紀に遡る伝説に因れば、黎朝創業者レロイ王が湖で船遊びをしていた時、神聖な亀と遭遇し、聖亀は彼にレロイが北部侵略者制圧の際、使用し地域平定に力を与えた聖剣を亀に返すように訴えたのだった。直ぐさまレロイは部下に命じ、自ら聖剣をその湖に投げ入れた。そしてレロイはその湖に“Hoan Kiem”「戻った剣=還剣湖」と命名したのである。

この物語は何世代にも受け継がれ、歴史書にも書かれたものの、その聖亀に纏わる姿・形については1967年まで一切記述されることは無かった。ベトナム戦争最中、ハノイ食品会社がHoan Kiem湖で巨大な亀を捕獲した。その重さは実に200キロ、長さは2メートルにも及んだ。捕らえられた亀は会社が解体し肉を売りさばく運命にさらされたものの、これを知った時のハノイ市長Tran Duy Hung博士は、取引中止命令を出したのだった。にも拘わらず、亀は捕獲時の傷が元で息絶えてしまい、やむなく骸を剥製にし現在、Ngoc Son寺に奉納されている。

この事件以来、毎年3月と12月になるとHoan Kiem湖での大亀の目撃談が寄せられるようになったのだった。「湖には一匹の巨大亀が生息しています」と断言するのはハノイ自然大学生物学者Ha Dinh Duc教授だ。今年67歳になる教授はこの巨大亀を求め1991年以来、研究を続けているという。これまでに400点に及ぶ巨大亀の写真や目撃談を集めて来た。レロイ王をもじり教授はラフィタス・レロイと名付けたHoan Kiem湖の大亀はハノイの文化や歴史を語る上で重要なアイデンティティにまで昇華されている。

Duc教授は専門的研究でスッポンとの比較や湖の水質調査を15年に渡り行っており、巨大亀の存在を追求している。教授に因ると、湖の巨大亀の重さは200キロ、体長2メートルほどになると云いとても貴重な個体だとし、恐らく推定年齢は500歳、ひょっとすると700歳を超える可能性も高いと示唆する。

1995年、フロリダ大学海洋生物研究所のPeter Pritchard氏はハノイ市人民委員会に対しHoan Kiem湖の亀の調査を希望したが脚下された。脚下の理由は亀が海洋生物学的に重要な存在ではあるものの、ベトナム人の心情に拘わるものだからだとのことだった。自然保護団体のWWFも、この人民委員会の決定に賛意を示し、同団体もこの亀の調査には資金提供をしない構えを見せている。

Hoan Kiem湖には現在、多くの小さな亀が生息している。
地元の人々がペットや購入したものをここに放しに来るからである。もし、あなたがHoan  Kiem湖の周りを散策することがあるとしたなら是非 注意深く湖を観察してみては如何だろう。
ひょっとすれば、多くのハノイアンが一度は見てみたいという巨大亀に出くわすかも知れない。

(辛口寸評)
12年前に家内とハノイを訪れた時、Hoan Kiem湖畔のホテルに宿を取った。翌朝、散歩がてらに表に出ると黒山の人だかりで、皆、湖の中程に浮かぶ島を眺めていた。何事かと近くに居た人に尋ねて見ると、大亀が出たという。筆者が見たときは既に遅く大亀の痕跡はどこにも残っていなかった。「見た!」という人々は一様に興奮を隠さず見損ねた人々を相手に盛んにその模様を解説していた。

筆者はどうせネス湖のネッシーかツチノコ、ヒバゴンの類の話だろうとしか考えなかったのだが、隣で話を聞いていた家内の様子は真剣そのもので、如何にも見損ねたことが残念といった感じで「本当にいると思う?」と訊ねると、記事にも書かれていた伝説を語ったのを思い出した。そのとき、国は変われど得たいの知れないものに興味を引かれる気持ちは万国共通だとつくづく感じたものであった。

因みにハノイはスッポン料理が有名である。日本同様、精力がつくと信じられており重宝がられている一方で値段の方は、とても庶民的に設定されている。是非、ハノイへお立ち寄りの際は、Hoan Kiem湖の大亀とスッポン料理をセットでご賞味頂けたらと思う。

6月6日(火) 都市の拡大と雇用新形態
*このところホーチミン市郊外の開発が急速に行われており、現在16カ所の工業団地・輸出入加工区・ハイテクパークなどが整備され、多くの労働者を惹き付けている。加えて それらの経済効果が地域に恩恵をもたらしているのだが、しかし開発の一方で、新しい問題も発生し始めているのだ。年間平均800~1000hrに及ぶ農地がつぶされ、そして地方の人口は労働者達の流入により増加の一途を辿っている。

ホーチミン市人民委員会地方開発局常任委員会委員長のTruong Hoang氏によれば、市は既に地方の発展計画書を作成し、地方農業を都市型農業と定義したという。その上で都市型農業は数種類の野菜を日本やヨーロッパ市場への輸出を開始し、地元の労働者のために雇用を創出し、彼らの収入を改善に貢献するようになった。ホーチミン市は野菜、花、植木の成育、また鑑賞魚の飼育を奨励する為の農業プログラムは順調に推移していると語る。併せて養蝦業にも力を注ぎ、養蝦池の造成を行い、酪農分野では現在70,000匹以上の乳牛と3,000ヘクタール以上の用地を保有しているとのこと。

市共産党文化・イデオロギー委員会が実施したアンケート調査に因れば、仮に地方労働者の職業訓練や再編成が成されなければ、いびつな開発に進むという。工業団地などで肉体労働を担うのは若くて健康的な労働者であり、あるものは非農業生産者として都市へ職を求め、地方で農業の担い手の多くは老人と女性なのだで、郊外化を進めることによって都市の拡大に繋がり、結果的に都市へ出稼ぎに出ていた若い労働者のUターンを促し、農家の兼業化を助けることになるという。

(辛口寸評)
少し翻訳が難しく日本語に直しても意味が通じにくい記事なので補足したい。都市の郊外に工業団地が設けられ、その結果、周辺が都市化され地域に新しい雇用が創出される。それは、団地内の仕事に留まらず、そこで働く人々を対象としたお店なども出来て行き、地域が活性される。更に、地方の労働者に対し職業訓練を施して行けば全体的な経済のボトムズアップに繋がり、地元で働くことが可能になった労働者は一方で兼業といった形で農業生産者として従事可能となり、市政府はそれを実行可能となるようなプログラム整備が今後も強く求められるということなのだ。

6月7日(水) 流通大変革をもたらす事態か?!
*多くの自治体で手足口病発生の報告により、国内の消費者たちは地元の豚肉・牛肉などに背を向けるようになった一方、スーパーマーケットなどで販売される安全なその他の食材に目を向けるようになってきた。Hang Be、Hom-Duc、Kim LienやLang Ha市場関係者は豚肉・牛肉の価格が下落したにも拘わらず販売も下降の一途を辿っていることに不安を隠せないでいる。感染症により、客足が遠のいたことに不満を漏らしているのだ。

Lang Ha市場で豚肉を扱うNguyen Thi Thuyさんは、手足口病のせいで一日の売上が発生前と比較して40%も下がってしまったと嘆く。Thuyさんのお店の隣で牛肉を扱う業者もThuyさん同様の問題を抱えているという。打撃を受けた食肉業者を尻目に、感染症により水産品・鶏肉・卵・缶詰・大豆関連食品業者などは業績を伸ばしているそうだ。これら食材は現状、通常価格より10~20%割高で販売されているものの、消費者は“安全・安心”を求め売上は好調という。

Thang Longメトロスーパーマーケットでは先週、多くの消費者が安全な食肉を求め買い出しをし、一週間で一人当たり約5キロの肉を確保した計算になるという。各スーパーでは食肉価格は感染症発生前と同じで変化は無く、食肉を求めに来た顧客曰く、家庭では今もスーパーで仕入れた安全な食肉を消費しているとのこと。同様に多くのスーパーが食肉の売上を伸ばしている背景には“安全・安心”を要求する都市部消費者意識の高まりにあるのだろう。Hung Yen省の食品加工会社 Duc Viet社代表は、現在、安全な食肉の加工で多忙な日々を送っており、今後の需要の高まりを見越した安定供給に努めて行くとしている。

(辛口寸評)
今回の手足口病の蔓延は、ベトナム流通業に大変革を巻き起こすかも知れないと思う。この国へ来て町の市場を覗かれたことがある人であれば、理解して貰えるだろうが、肉などは日本と比較すると蠅が集るような不衛生な場所で販売されており、見ただけで幻滅を余儀なくされた。しかし、ここに長く住む筆者は見てくれはどうあれ、市場で販売される肉の多くは前日の夜ないし早朝につぶされたものばかりであり、寧ろ日本のスーパーで冷凍肉を買うより新鮮だと考えてきた。このような考え方はベトナム庶民も同様であった。

しかし、今回の感染症は多くの庶民に恐怖感を与えたのみならず、安心・安全をうたえない市場での食肉を遠ざける結果に繋がった。確かに市場の場合、流通経路が生産者・町(村)の堵殺屋、そして販売と単調な分、消費者への販売価格はリーズナブルに抑えることが可能で、それ故、庶民に支持されてきたのは評価できるだろう。ところが、堵殺業者の多くは無認可農家の副業でやっているところが主流なので、衛生に関する専門知識は持たないのだ。つまりこれまでは堵殺から販売に至までの時間が短く、それだけで新鮮さをアピールすることが可能だったのが、それでは許されぬ状況に市場の食肉業者は追い込まれてしまったというわけである。

手足口病が長引けば長引くほど、庶民の食肉の購入先の軸足はスーパーマーケットに傾いて行くだろう。市場が衰退するひとつの要因になりかねないと考えられる。

6月8日(木) 市民生活向上と違法駐車取締り
*都市部のカフェやレストランは歩道を客のバイク駐輪場に占有し、結果的に危険な駐車違反を続け、行政当局は問題解決に頭を痛めている。違反を続けているカフェの多くが人気の店であり、客の利用が絶えず常に歩道はバイクで溢れ自動車は付近に路上駐車されている。取締りの警察官は歩行者の通行の妨げとなるばかりか身を危険に曝すとして対応に苦慮しているという。

オープンして一年になるNguyen Chi Thanh通りに店を構えるNang Sai Gonは、バイクや自動車でやってくる多くの客を惹き付けている。Nang Sai Gonから数メートル離れたところにはCasa Misa Caf&eacute;があって同様に大勢のお客で溢れている。他にもLy  Thuong Kiet通りに面したNew Window Caf&eacute;などは歩道どころか車道にも車やバイクの違法駐車が目立つ。それどころか店側は駐車場の違法サインを掲げている始末である。

ホーチミン市公共交通輸送部検査課のHoang Van Manh課長曰く、殆どのカフェ・レストランには顧客の駐車スペースを確保しておらず、仕方が無いので公共のスペースを駐車場化していると。国家は歩道の設置や道路改修に多額のコストをかけているのだが、これらの店によって違法駐車場にされてしまっているとMinh課長は憂う。最近、違法駐車に対し、15のケースについて摘発し改善命令を出したものの、状況は一向に好転しないでいる。というのも、取締りに因る罰則はバイク・自動車の所有者のみが対象とされ、カフェやレストランのオーナーには罰則規定が無いからと検査課長はいう。もちろん、道路交通法でカフェやレストランでの違法駐車は違反規定と定められているが、違反を無視されているのが現状なのだ。

Minh課長は違法駐車に関する法令を厳しく運用すべきで、可能ならカフェやレストランの営業許可を下ろす際に駐車スペースの規定を盛り込むべきであるという。或いは大きな道に面しており道路に駐車する余裕があれば、店は行政当局に道路使用の許可を取り、使用料を払わせ、そこから得た収益は道路改修費用などの公共事業に充てることも検討に値するだろうと付け加えた。その上で、違反を続ける店舗には営業ライセンス取上げなどの厳しい対応をして行くことも視野に入れるべきと述べ、今後 市公共交通輸送部はレッカー車を拡充し、違反車輌の摘発に力を入れて行くことになると結んだ。

(辛口寸評)
カフェやレストランに限らずベトナムの都市部などでは、どんな形態のお店でも、店前はバイクの駐車場と化しており、全く歩行者を無視した環境に包まれている。それでも、2年前ほどからホーチミン市中心部の一区や三区辺りは取締りが厳しくなり、随分、歩きやすくなった。しかし、取締りの情報は事前に日頃付け届けをしておいた店には所轄の公安から漏らされる為、結局、摘発日以外はバイクで溢れているのが実情なのだ。

さて、6月1日から日本も駐車違反の取締りが厳しくなり、運輸関係業界には脅威になっているという。行き過ぎた取締りが、経済に与える歪みを創出するのでは無いかと筆者は考える一方で、違法駐車の根絶が図れれば、都市の住人にとってはそれだけ住環境が向上するので、致し方無いとも思う。ただ、それ以上に取締りを強化すべきは駅周辺の自転車やバイクの違法駐輪である。

つい先日、京王線の東府中駅で昼食を取ろうと駅前のマックに入った。店内が混んでいたので、外のテーブルに席を取り、ハンバーガーをパクついていると、目の不自由な老人男性が杖をついて向こうから歩いて来た。盲人は、道路に埋め込んだ誘導帯に杖を当てながら方向を察知するのだが、如何せん、その帯上には自転車・バイクが無造作に放置されており、行く手を塞がれた格好になっていた。

恐らくここに放置した人々にとって誘導帯は全く無関係だろうが、その老人にとっては難儀を強いられる行為となっていた。筆者は、違法車を除け行く手を開けようかとも一瞬考えたが、何せ台数が半端では無かったものだから老人に腕を貸すことにして駅まで案内した。違法駐車は車だけでなく、自転車やバイクなどの摘発にもっと力を入れて行くべきだと思う。

6月9日(金) 生きる意味を教える教育
*祖国ニュージーランドで自殺を図った友人のニュースを今も思い出す度、Trish  Summerfieldさんを悲しみの淵に追い込んでしまう。彼女は自ら死を選んだ友人の哀しみを共有出来なかった自分に憤りと後悔の念を感じているのだ。この出来事が今年40歳になるTrishさんが、何年か教育機関に籍を置きUNICEFのアシスタンスプログラムに参加したきっかけとなっているのだ。彼女が初めてベトナムの土地を踏んだのは1999年9月のこと“Living Values Educational Proguramme”(LVEP)を立ち上げるためだった。

UNICEF主導でUNESCOから支援を受けるLVEPは教職員や教育現場で働く人々へ児童や青少年たちが12の普遍的な価値を探検し開発可能な様々な教育活動や実践的な方法を提供している。12とは、協力・自由・幸福・正直・謙遜・愛情・平和・尊敬・責任・単調・寛容・統合だ。1999年ホーチミン市に開設されたベトナムLVEPの代表として赴任して以来Trishさんは、国内の多くの薬物矯正センターやストリートチルドレンを保護する孤児院を見て回り、LVEPのこの国での目標を薬物患者やストリートチルドレンたちの特性や個性を見いだし、社会復帰に役立たせることとしたのだった。

そしてこれまでに二種類のプログラムを立ち上げた。薬物患者矯正プログラムでは102の項目を設け、そこからなぜ彼らが薬物に手を出したのか知る糸口を探し出し、薬物に対する知識を自然に植え付け、患者自身の立ち直りと家族や社会との関係を見直す様に指導して行くという。また、ストリートチルドレン矯正プログラムにはストーリー・グループ討議・芸術・演劇などを使い過去のトラウマを癒し、自己の存在意義開発に繋げているのだ。それらの活動を通じ子供たちは薬物の危険から引き離すだけでなく、HIVやその他感染症の脅威を理解させるという。

LVEPスタッフの一人 Pham Thi Senさん曰く、これらプログラムの指導はホーチミン市とハノイ市双方にある薬物患者矯正施設と孤児院の教官たちに行われており、Trishさん自ら、どのように患者や子供たちと信頼関係を築いたら良いかを初期レッスンとして懇切丁寧に指導しているという。Trishさんのレッスンで薬物矯正患者たちは自己や自分の身の回りの人々を愛することに目覚めさせ、そこに自分たちに存在価値を見いださせる方法をとるのだ。これまでにLVEPは68のトレーニングコースをベトナムで実行しており、そこで3550名の指導者が巣立っていった。LVEPは現在 66カ国の国々で採用され活動が続けられているという。

(辛口寸評)
最近、筆者はテレビ番組で「もしも世界が100人の村だったら」を目にした。ベトナムに居る頃、噂でこの番組の存在は人づてに聞いてはいたが、ドラマの様なものなのだろうと、勝手に解釈していた。ところが、途上国のベトナムに長く暮らしてきた筆者もこうして改めて世界の子供たちの参上を目の当たりにすると、胸に迫るものがあり何度も目頭を熱くしてしまった。ベトナムにも悲惨な話は山ほどあるが、それでも他の途上国に比べれば、まだ社会主義の流れを汲んでいる分、ましな方だと思う。

自分の娘とさして変わらぬ年回りのフィリピン少女、病気のお母さんに代わり弟たちの世話をしながら、家計を助けるため学校にも行けずひたすら朝から晩まで貧しい大人たちの中で危険なゴミあさりに奔走する姿。いたいけなというには幼すぎる年齢にも拘わらず、自分が置かれた境遇を嘆くことも許されぬ激しい生存競争を強いられている子供たち。日本ではニートや不登校児などという言葉が定着し久しいが、改めてこのような中で生きられるのは世界的に見ればほんの一握りで究極の幸せなのかも知れないとつくづく考えさせられた。一方で究極な幸せかも知れないそれは、本当は“不幸せ”なことなんだと、ニート・不登校児には気づいて欲しい。そして一日でもいいから世界の恵まれない子供たちとその身を置き換えて生きて見ては如何だろうか。そんな風に思わせた番組だった。

ところで話は変わるが、中国語で“仕事”ってどんな字を当てるか皆さんはご存じだろうか?仕事は“生意”と書き表される。読んで字の如く、仕事には生きる為の意味があるわけでだからこそ人は仕事に情熱を掻き立てられ精一杯努力精進し、そこから楽しみを得なくてはならないと常日頃から筆者は仕事に煩わしさを感じたときはそう思うようにしている。

6月10日(土) バスにはバスの悩みあり
*「バス22は私の家の前から学校までを走っているから、バイク通学やバイクタクシーを利用しなくても済むの。それにバス通学は交通事故を避けることも出来るし、経済的なの」と笑顔で応えたのは、筆者と横並びでバス22を待っていたハノイ・アムステルダム高校に通う女子高生La Manh Tienさん。過去5年間、忠実なバス22の利用者Tienさんの言うことは尤もなのだが、バス利用がいつも気分の良いものではないと筆者は考えるのだ。筆者はハノイ市でも最高の路線バス22を利用できラッキーだと思う。運転手さんも車掌さんも丁寧な応対と交通安全に気を遣っているし、到着も大凡定刻通り乗客が長く待たされることも少ない。車内もそれほど混み合うわけでもないのだが、しかし、ハノイ市に張り巡らされた60にも及ぶ路線全てがバス22と同様とはいえないのだ。

筆者は毎日、バス23を利用し、Giang Vo通りからTran Hung Dao通りへも出掛ける。時刻表に因れば15~20分間隔でバスは運行されている筈だが、しばしば何時間も待たされることがあり、最後には諦めバイクタクシーを使うことがある。友人のPhung Khac Nhatにこれを話したところ、「バスが遅れるって?そんなの今更なんだい、当たり前だろ」と半ば呆れ顔して曰く、バスの遅延なんてのは日常茶飯事で、寧ろ定刻通りに到着することの方が意外なほどだと話した。それもこれも増え続ける交通渋滞がその要因を成すと言うのだ。そしてNhatは、バス34に乗ったことがあるかいと訊いて来たので「まだだ」と応えると、試してご覧、僕の言っていることが理解出来るはずだよとニャリと笑って目的地のバス停で降りて行った。

ある土曜日の夕方、Nhatが言い残して行ったことを確認するためTrang Tien通りのバス停から5:30PM発のバス23に乗り込んだのだった。乗った刹那、大勢の混み合った乗客の波に押され自分の立つ位置を確保するにやっとの有様。隣に立っている学生は皮肉交じりに「つり革に掴まる必要などないさ、芋を洗う状態で倒れようがない」と呟いた。別の乗客は「どの乗客も片足立ちさ」と疲れた顔でいう。人いきれで空調は悪く、誰かが車掌に窓を開け換気をするように求めたものの、規則で窓は開けられないといなされていた。規則といいながらバスは80人定員になっている筈なのに、ラッシュ時には100人以上が乗車し、運転手も車掌も何もせず手をこまねいているだけだ。

ある乗客が私に話しかけてきて、毎日、朝6時半から7時半と夕方7時半から7時までの間のバスに乗れただけでも運が好い方だという。各バス停は人々で溢れバスが既に混んで満員の場合、停車せずにバスが通過して行くこともしばしばらしい。その乗客はクレームを訴える為にハノイ交通運輸課に電話を入れたという。しかし、返事は市内の交通渋滞により、特に混雑時の停留所への停車は運転手の自由裁量に任せるしかないとのこと。そこで彼は畳み掛けるように電話口の係員へ、改善策はないのかと問うと、係員は応えて曰く、基本的に運転手は各停留所に停車しなければならず違反を見つければ処罰する規定はあるものの、それを取り締まるだけの要員はいないのだと寧ろ利用者の理解を求めたという。

このようなクレームは至る所で出ていたことだろうが、それらが功を奏し最近のバス路線の状況は改善されたように見える。乗務員は丁寧な対応に努めるようになってきたし、バイパスやバス専用道路なども整備されてきたことも貢献しているのかも知れない。しかしながら、完全に問題を解決するには道半ばであろう。中でも一番の問題は運転手の高速運転が挙げられる。これは所定の時間内に車庫にバスを回送させないと運転手が処罰をされることによる。運転手が安全運転に心がけなければ交通事故を引き起こしかねないし、現に新聞にはバスが関与した事故記事が載ることもしばしばある。こんなケースは他国では先ず見られないだろう。

同じバスを利用するイギリス人の通勤仲間Davies Keithさんは、時々、タイのバンコクへ行くときは便利な市バスを利用するというが、運転手もフレンドリーで丁寧だという。何よりも、遅延は少なく荒っぽい運転などこれまでに経験したこともないと付け加えた。人気のメルマガをバンコクから配信しているベトナム人留学生のThanh MaiさんもDaviesさんと同じ感覚をバンコクの市バスに対して持っている。「タイはベトナムからさほど離れていないのに、双方の公共交通機関システムには大きな隔たりがあり、近い将来ベトナムでもバンコクの市バス同様の交通システムが確立されると嬉しいと語った。

(辛口寸評)
ハノイやホーチミン市では年を追うごとに市バス路線が拡大しつつあり着実に庶民の足として都市機能の一翼を担うまでに成長してきている。しかも、世界的な石油価格の高値が庶民バイカーをバス利用者に切り替えに一役買ったのは間違いない。その一方で経済格差が広がりつつある都市部では、裕福な階層がマイカーを持ち始めたことによって、自動車が街に溢れ渋滞は日常の風景になり、違法駐車も増大の一途を辿るようになった。結果的に、折角のバス交通網は常に乱れ支障を来しているわけだ。

さて、記事の中でも書かれていたが市バス運転手は、運行部から運行スケジュールの徹底管理をされている。これは市交通局が市バス営業を始めるにあたり、一般から大型運転手を広く募集することからはじめなければならなかった事に起因する。つまり、自社で教育を施したプロパーの運転手ではないため、彼らを管理する為、規則でがんじがらめにする必要があったのだ。しかも運転手は一旦、運転業務に入ってしまえば、常時、管理など出来ないので、杓子定規の規則を当て嵌めた。この結果、交通渋滞で遅れた等といった言い訳は通用せず、兎に角、割り当てられたスケジュール内に車庫へ戻らなければならなくなったのである。

当然、時間に縛られた運転手はバス待ちの客を無視したり、猛スピードでの営業運転が横行し、バスが絡んだ交通事故が多発する原因を生み出すに至ったわけなのだ。こう考えると運転手も気の毒なもので、これを解決するにはIT(GPS)を絡めた新しい運行システムを導入するしかないように思われる。

以上

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