ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第70号
ウィークリー・ベトナム・ニュース
■ 平成18年7月8日 土曜日 第70号
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■ こんにちは!!
いつもお世話になっておりますベトナムからニャットアインです。
今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。
翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。
誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>
尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。
ベトナム・ニュース その70 今週のヘッドライン
*7月03日(月) 廃品回収業 今昔
*7月04日(火) ドイモイ中興の祖 辞任
*7月05日(水) 新大統領・新首相選出と組閣
*7月06日(木) 携帯電話市場 膨張
*7月07日(金) 情報に責任を持て
*7月08日(土) 学生の悩みとベトナム近未来
7月03日(月) 廃品回収業 今昔
*「ご家庭内でご不要となりましたテレビ・冷蔵庫、その他の中古家電品を高く買い取ります!」と大きな声でがなり立てる音で、私はある日曜日の昼寝を妨げられてしまった。ハノイ市民の生活が向上し、近代的な都市生活に慣れるに従って、ベトナム社会は他の先進国同様、人々の心の中に消費者中心の感覚が芽生え、新しい物を購入すると古い物は捨てるといった習慣が付きつつある。
市内の至る所で毎日 多くの人々が膨大な量の古い冷蔵庫・テレビ・扇風機・炊飯器・ジャー・アイロンなどを捨てている。その一方で誰かにとってはゴミであっても他の誰かにとっては宝となる。
その結果、地方からの廃品回収業者が街に現れ、それらの“ゴミ”を再生し、再利用するわけだ。
これら廃品回収業者の多くは、これまで農閑期の農家のサイドビジネスとして参入して来ていたが昨今ではこれを専業とするものも洗われてきた。毎日、バイクにリヤカーを括り付けハノイの路地裏をくまなく回り、数万ドンの利益を上げる。私の通りに現れる廃品回収業のLuongさんは私に以前我が家から出した炊飯器と他の家から出されたそれを組み合わせ一台の炊飯器を蘇らせ、それを売り10万ドン(US6.25$)近くの利益を上げたと語った。このような再生品は家電品屋で売り子とが出来る物の、買い取り価格は安い物だとLuongさんはいう。しかしLuongさんのように真面目に働けば家族を養うだけのお金は稼げるのだとも語ってくれた。
Bac Giang省出身のNgo Van Binhさんはこの仕事をハノイで始めて今年で5年になる。彼の行商先はDong Da区の住宅街が主でVan Chuong坊・Linh Quang坊・Kham Thien通りやDe La Thanh通りだという。「この仕事は結構技術がいるのです。買う製品について熟知していなければ商品に再生できずただのゴミになってしまうのです」とBinhさん。彼らは家電製品の仕組みを熟知しているので、直し方を見極め、出物が売りに出されれば直ぐにそろばんを頭の中ではじくらしい。Binhさんに因れば、このお陰で国に残してきた妻と子供3人の食い扶持を稼ぐことが出来るという。
Ha Tay省出身のNguyen Van VinhさんはBinhさんと比較するとやや手広くこの仕事を行っている。Quang An区に倉庫を構え、多くの回収品を保管し3人の従業員と共に中古家電品を修理し、再販することで毎日数十万ドンの利益を稼ぎ出すという。「再生した製品を故郷に持ち帰り僻地の防火の人々にそれらを販売しているのです。」とVinhさん。
Nam Dinh省出身のTran Cuongさんは1980年にハノイに移住した。廃品回収業を続けてきたお陰で今ではAn Duong住居地区に家を買い、スタッフに回収を任せオーナーとしてビジネスを確立したのである。しかし、Cuongさんは この商売も後数年後には辞めるつもりだという。やはり中古製品が年々売りづらくなってきていることを肌で感じ始めているからだと。。。
再生品の再利用はゴミを減らし社会に有益な貢献をもたらす一方、副作用も存在する。田地を捨てて都市に移住し廃品回収業者になるものの数は増大するものの、それに対し、ハノイ市は住民用を用いた管理は出来ずにいる。また盗品と判っていながら製品を犯罪者から仕入れたり、必ずしも衛生的な環境で行う取引でないために集荷場はネズミや虫の発生源となる。
今後は市当局がこれを本格的な事業と位置づけ廃品回収を行うことに因り、都市の環境面を配慮して行くことが大切ではないかと私は考えている。
(辛口寸評)
農家を捨て都市にやってきた人々は元々豊かな生活を求めた末での行動で、ゼロから身を立てるために行う手っ取り早い仕事が、この廃品回収業なのだ。元手は自転車に計りくらいで、毎日入れ替わり立ち替わり「チャイチャイバン!」と叫びながら流して行く。今回の記事では中古家電品が取り上げられていたが、これにはある程度の専門知識がないと馴れないため、普通は古紙と金属製品の回収が主になる。
兎に角、自分の身を粉にして働けば、元々利益率が高い商売なので、実入りも多く5年ほど前まではホーチミン市内でも自宅を2~3件構えた廃品回収業者もいたようだが、昨今では地方移住者の増加と共にやはり競争が厳しくなっているのだろう。以前に比べれば随分やりにくくなってきているようだ。
ところでベトナムでは様々な物売りがやってくる。野菜・肉・魚・新聞・タバコ・宝くじ・天井掃除用の箒・おこわ・サンドイッチなどなど。しかしながら経済発展の中で最近見かけなくなった物売りも多い。その中の代表といえば、100円ライターのガスの充填屋・水飴屋・蛇酒屋などだ。多分気がつかないだけで他にも多くの種類の物売りが消滅しているとは思うが、物売りの掛け声が商売ごとに色々な言い回しがあって、風情を誘ったものが消えて行くのは淘汰とはいえ寂しさを感じさせる。
7月4日(火) ドイモイ中興の祖 辞任
*Phan Van Khai首相、Tran Duc Luong大統領 それにNguyen Van An国会議長の三人は先週土曜日、国会に辞表を提出した。国会冒頭、共産党中央Nong Duc Manh書記長は三名の指導者たちを讃える演説を行い、「類い希なる戦略的頭脳を持ち党の政策・法律をより先鋭化し実行し足跡を残した」と絶賛した。続けて、責任感・道徳観・仕事に対する使命感を強く胸に秘めあらゆる困難に立ち向かい国家建設に邁進し尽くしたと感謝の念を示したのだった。
この三名の指導者たちは過去5年間、党のガイドライン・政策・国家管理・躍動的な政治・共産党の努力・ベトナム人民、そして軍の為に重要な職責を全うした。その上で書記長は彼ら自ら後進に職務を譲ったことに対し感じ入り、今回の辞表を受理することにしたのだと述べた。
Khai首相はその辞表の中で、在任中を振り返り各々の閣僚が一致団結し党や各界に貢献でしたことに加え国家の発展に寄与出来たことを嬉しく思うと伝えた。その一方で首相は政府内での問題点も認識しており、今後、仮題として改善されてゆくことを希望した。
(辛口寸評)
今回、辞任する3名の指導者はドイモイ後のベトナムにとって、まさに中興の祖といえる働きを見せてきたと言えるだろう。尤も、彼らにしても全てがクリーンな政治を行って来たというわけではないが、清濁併せ飲みつつ間違いなくベトナムのこれからの発展の礎を築き上げた手腕は高い評価を与えられている。
ベトナムの政治は所謂、合議制であり、実際の政権は首相が強い権限を持つものの、あくまでも共産党中央の“指導下”つまり思惑に則った政策の実行部隊に過ぎない。しかも、面白いことにこれら指導者は、地域的バランスにも配慮されており、書記長のNong Doc Manh氏と国会議長のNguyen Van An氏は北部、大統領のTran Duc Luong氏は中部、首相のPhan Van Khai氏は南部といった案配で互いに監視及び牽制しあい日本同様、専制政治が必然的に行えない形にしてあるというわけなのだ。
新執行部体制については、今後、またの機会に採り上げてゆきたい。
7月5日(水) 新大統領・新首相誕生と組閣
*昨日、ハノイで開催中の第11回国会第9セッションに於いてNguyen Minh Triet氏は新大統領に、そしてNguyen Tan Dung氏が新首相にそれぞれ選出された。共産党中央政治局員且つ、ホーチミン市書記長を兼任するTriet氏は国会演説で新大統領として法律に基づき国家と国民に対する重責を全うする決意を述べ、前任者の残した職務を忠実に実行してゆくと約束した。
Triet大統領は今後の任務遂行に当たり、国会はもとより全ての国民、そして海外で暮らすベトナム人、国の全ての公的機関からの協力を得、国会から与えられた職責を果たしたいと続けた。また、席上、Triet大統領は現共産党中央政治局員兼副首相のNguyen Tan Dung氏を次期首相への推薦した。彼の推薦は、この日の午後に行われた選挙で92票の賛成票を獲得し、Nguyen Tan Dung氏は正式な次期首相として選ばれたのだった。
新首相に選任されたNguyen Tan Dung氏は、政府と共に手を携えて法と民主的な手順を踏みつつ行政改革を更に断行し国家建設に邁進し、国民と近いところで奉仕の精神に則り力強い政府を構築してゆくと語る一方、汚職撲滅・官僚の無駄遣いの改善は急務であり、これらは今後の政府の課題であることを示唆した。ベトナム政府はこれからも他国政府からの支援と協力を仰ぎ、地域や世界平和の安定に貢献しなければならなず、国家や国民から彼に与えられた職責は名誉である一方、厳しい責務が待ちかまえているだろうが、ひとまず第10回共産党大会に従い既に前任者たちに因って整えられた2002~2007年度までの法案の法制化に着手して行くとDung氏。
Dung首相は副首相Vu Khoan氏の引退に伴う閣僚人事に触れ国会に提案をした。外務相Nguyen Dy Nien氏・国防相Pham Van Tra氏は辞任。財務相Nguyen Sinh Hung氏は別の閣僚ポストに異動予定で文化情報相Pham Quang Nghi氏もHung氏と同様の措置が執られると考えられている。文部相Nguyen Minh Hien氏は辞表を提出し、受理されている。既にPMUスキャンダルの責を問われ辞表を提出していた運輸相Dao Dinh Binh氏は、他にも昨年起きた鉄道事故の責任を問われ、更迭が決定した。
昨晩遅く、ベトナム祖国戦線代表Pham The Duyet氏は今回、新大統領及び新首相に祝辞を送っている。
(辛口寸評)
今回、首相に選出されたDung首相、これまでの首相経験者と異なり、きわめて中国寄りと目されており、中国シンパと考えられているため、首相人事には首を傾げたベトナム・ウオッチャーは随分いたはずだ。また、政治家として清廉かと問われると、やはりこれも疑問符がつく。しかしながら、時代は首相個人の思いとは全く逆行しており、しかもこれからも合議制による体制の流れが強固に固められた今、政権を思い通りに動かすことは出来ないはずなので、彼の政権下で政治の流れが大きくぶれてしまったり逆行することはないだろう。故に今回の首相へ彼を起用した理由は、その政治手腕以上に能力をうまく利用することから生まれた結果と思われる。いずれにしても、これから1~2年間は前任者の残した政治課題着手に忙殺されることになるだろうが、その動きの中から彼の舵取りの方向性が見えて来るだろう。
7月6日(木) 携帯電話市場膨張
*総額US600m$に匹敵する400万個の携帯電話が今年ベトナム国内で販売され、昨年対比で50%増が見込まれているという。最も売れている携帯電話は400万ドン(US250$)未満のもので、ノキア社・モトローラ社・サムソン社が市場争奪戦でしのぎを削っている。と、同時に携帯電話プロバイダー各社(Viettel・Vinaphone・Mobifone)も通話料の値下げ合戦を促進しており、携帯電話機の需要を押し上げているのだ。
ノキア社の今年第一四半期のマーケットシェアは実に52%を席巻し、次点が18.6%でモトローラ・サムソン社が抑え、以下 BenQ・Siemens・LG・Alcalel・Pantech社を大きく引き離してリードしているが、最近、マーケットリサーチ会社Synovate社に因って行われたアンケート調査に因れば、携帯電話保有者の実に69%がノキア製を愛用しており、対前年比で9%増加したとの報告も挙げられている。
回答者の内20%がSamsung製で対前年6%の増 モトローラ製は3%に過ぎなかったという。
逓信省に因るとベトナムには現在1300万人の携帯電話利用者が存在しており、Vinaphone, MobiFone・S-Fone・EVN Telecom・Vinaphone・MobiFone各社で1000万人のユーザーが加盟しており、Viettel社単独で300万人のユーザーがいるという。昨年単年度だけで新規ユーザー数は450万人に達し、ベトナムが世界でも最も携帯電話市場の成長が早い国に押し上げている。
(辛口寸評)
元々、ベトナムの固定電話普及率はつい10年ほど前までは僅か6%ほどだった。固定電話の場合、インフラ整備(電信柱を立てたり、電線を引いたり)にコストがかかるため以前は市内の中心部に住んでいても、賄賂を出しても電話工事完了まで1~2年待たされていた。そこへ突如として現れた文明の利器“携帯電話”これだとアンテナを立てて行くだけで通信環境が整備され費用も安価な為、待ってましたとばかりにここ7年ほどで急速に普及してきたわけだ。特に田舎に住む人々の間での普及がここ2年半くらいでぐっと伸びて来ている。我々日本人からすれば奇妙な現象だが、この結果、自宅に固定電話はなくとも、携帯電話を自宅用電話にしている世帯が増え始めている。
ベトナムの携帯電話端末の市場は他のアジア諸国同様、ノキアが圧倒的シェアを治めている。日本製もソニーエリクソンやパナソニック社製が市場で販売されているものの、そのシェアは1%を大きく下回っていることだろう。日本の技術力を持ってすれば通信方式をGMSへの変更が必要だが技術的に困難とは思えず、価格的にもベトナムで工場を立ち上げたり或いはアセアン域内にある既存の工場を利用し対ベトナム市場獲得の為の生産拠点増強に力を入れて行けば住むように思える。もちろんこれは素人考えに過ぎないが、ベトナムで生活する日本人としては携帯電話が日本製でないのは何とも寂しい気がしてならないのである。
7月07日(金) 情報に責任を持て
*私の祖母は彼女の息子の噂が古い近所で広まったことを知り怒り猛った。地元の役所に勤務する彼女の息子が汚職で非難されたという噂でおまけに人々は祖母が息子の破廉恥な行為に恥ずかしさの余り村に顔向けが出来ず帰ってこれないという尾ひれまでついていた。その翌日、祖母は果物を土産に彼女が1960年から80年の間を過ごした村へ出向き、噂の真相を確かめに行ったのだった。
そこで掴んだのは噂の出元は以前、隣に住んでいた女性であり、彼女が息子の同僚と誤って噂を流したということだった。ベトナムでは日常、互いに名を呼び合い苗字を用いることがなく、それがどうやら原因だったようだ。
祖母は約半日、昔の近所の人々と出会い、噂の火消しに努めたのだった。彼女が村から戻ってくると、漸く誤解がとけ眠れぬ日々も収束した。孫の私にとってこの出来事は祖母には申し訳ないが興味深いものとなった。そして所詮“噂は噂に過ぎない”ということも含めて、、、、。興味というのは寧ろ何故、昔の隣家の女性がそのような噂の発祥先となったかということで、ただの興味本位からなのかそれともベトナム人の特徴のひとつ“お節介”なのか または“同情心”からなのか、、、。いずれにしてもこれらの感情は村落共同体を共に生きるに当たりとても大切なものである反面、時として人間関係を極端に悪化させかねない。
これらの疑問は私をベトナム人の性格について書かれた本に向かわせることとなった。文化哲学者のNguyen Van Huyen氏とPhan Ngoc氏の本に因ると、もちろん、ベトナム人の良い面として勇敢・思いやり・親切心などが採り上げられる一面、噂を作り上げるその裏に隠れたモチベーションの存在を指摘している。地方の田舎では、外面が一番重要な要素として考えられており、農耕が主な生業の共同体に於いては他社より少しでも有利な立場であることや名誉を重んじる傾向があるという。
これらの流れから隣家の女性が噂を広まらせた本当の理由は、私の祖母が築き上げてきた世間への良い印象を少しでも打ち崩す為だったと考えられ、その一方で祖母が噂の打ち消しに躍起になった理由は彼女やその家族の名誉を守るものであったと考えられるだろう。
さてここでベトナム人の自尊心と嫉妬心についてその傾向を見てみよう。今から話すのは決して悪い側面でのベトナム人の性格ではないものの、地方に於いては“意識”していないことから誤解を招く要素があるもので、村落共同体を維持して行くために中傷と建設的な意見の明確な分けがなく常にグレーにぼかされるものでもあるのだ。
個人的に私は隣家の女性と話を交わしたわけではないので、彼女の思いを全て説明するわけにはいかないが、このことが重要ではなく、何よりも携帯電話・インターネット・テレビに限らず人々は様々なコミニュケーションの中に於いて他者に何を話し、何を書き、何を発言するのかが重要なのだと思う。そうかと言って、その内容を限定しなければならないとか、世界基準に則した行為を実践すべきというわけでないが、社会の全てを構成する人々に当てはまる。
現代は古い時代に比べれば生き方が拠り複雑化しているものの、伝統的な生き方を保つ一方で安全で競争力のある生き方を採り入れてゆくべきではないかと感じている。
(辛口寸評)
田舎の中傷話しから、突然ドラステックな社会性に持ち込む話に変わり一体何を言いたいのかという翻訳内容だが、要約すると「情報に責任を持て」ということをこの記事の著者は言いたいのだろう。現代社会では個々の対話だけでなく、テレビ・ネットなどを含めた媒体が氾濫し、インタラクティブ且つ広範に情報の伝達が可能だ。そんな社会の中で、個が発する意見は瞬く間に真実であろうが虚実であろうが流されてゆく。故に、社会の調和を保つために「情報に責任を持つ」事が如何に大切かを暗に戒めているのだろう。
7月08日(土) 学生の悩みとベトナム近未来
*田舎から都会の大学へ勉強しにやってきた学生はその卒業後、故郷へ帰るべきか或いは都会に留まるべきか?故郷の親元を遠く離れホーチミン市で学生生活を独立し、自活し困難に立ち向かってゆかねばならぬが、卒業後は新たな困難に直面することになる。就職だ。「4年間の学生生活をホーチミン市で過ごせば、僕だってここで稼ぎ勉強して行くことが如何に困難か判るわよ」と語るのはカントー市からやってきて現在 ホーチミン経済大学で学ぶNguyen Hoang Ngaさんだ。商都ホーチミン市や首都ハノイの生活レベルは地方に比べれば遙かに高い。地方からやってきた学生の悩みの種は下宿代・交通費・食費、そして遊興費などだ。「生活に必要なものが賄えないょー」というのは別の女学生Phuongさん「例えば旅行・友達とのカフェ代・映画鑑賞なんて言うのは僕に取って望むべくもないの。」
Ngaさんは経済学の学生でジョブオファーなども多いのだが、卒業後、親からの援助なしで会社から貰える給料だけで都市での生活を賄って行けるのか不安なのだという。同じような悩みを抱える、Thanh Hoa省からやってきたTuanさん曰く、彼女はハノイでそこそこの仕事を見つけるのに苦労しており、多くの卒業生が就職が出来ずにいるのを目の当たりにしているだけに不安は余計に増すのだと。。。Tuanさんの実力は別にして、就職するためにはコネがあるか否かが重要なのだと語る。このために、都市での生活を送る学生たちは強度なストレスと孤独感に耐えて行かねばならないのだ。
またこれら学生たちは都市と地方のライフスタイルの違いに途惑いつつも都市生活を受け入れて行かねばならない。それに利便さと自由を一旦謳歌した生活に慣れると一部の学生は田舎暮らしに嫌気を差す傾向が現れるのも事実である。中部Nghe Tinh省出身のLan Anhさんはハノイでの忙しい生活に落胆したという。「田舎では皆顔見知りで助け合いながら生活をしているけど、ハノイでは全く近所との行き来がないの」
伝統的な暮らしを心地よいと感じる多くの学生にとって、都市生活に慣れるのは用意でなく田舎に戻って行くこともあるという。
国家行政研究所の卒業生Thuongくんはハノイでの就職活動が厳しくて、とうとう故郷のNghe An省に戻り、地元の人民委員会に就職した。Thuongくんにとって安定した職を得ることが最も重要なポイントであって、人民委員会に入った事を満足していると語った。
Minh Ngocさんは中部Quang Ngai省に帰り、そこの外資系企業に就職した。「田舎の外資系企業でしたが初めは英語力を保持出来るか心配していましたが入社して、その考えが誤りに気づいたのです。秘書として会社には多くの外国人が訪れ、今では英語力が格段に向上しました。」と語る。ThuongくんやNgocさんのように運の良い学生ばかりではない。一部の学生の中には都市近郊の方が仕事をより見つけやすいと考えるものたちも存在するのだ。
実際、都市ほど、国営企業・民間企業・合弁企業など可能性の高い仕事が待ち受けていると考えられているのだ。
貧しい田舎を抜け出して都会の大学に進む学生にしてみれば、一生懸命学業に専念することが自然な野望と思われるが、都市で働くが良いのか田舎が良いのかはそれぞれの学生次第なのである。最も大切な事はといえば彼らがどんな道を選び進んだにせよ、それぞれの道に困難が待ち受けている筈で、それを乗り越えて突き進んで行かねばならないということなのだ。
(辛口寸評)
ここ2年ほど前から、ベトナムもハノイやホーチミンのような都市への企業集中が崩れ始めてきており、地方でも外国投資が徐々に進み、少しづつではあるが、田舎であっても地元に職を求めることが容易になってきている。もちろんブルーカラーが今のところ主体ではあるものの、今後、ホワイトカラーにとってもUターンがし易くなる事だろう。考えてみれば、日本でUターン現象が出てきたのはここ20年くらいに過ぎない。
このことは日本が高度経済成長を20年かけて作り上げた事と合致する。既に記事からも読み取れるように、Uターンを予言するような含みを持たせているような気がしてならず、恐らくここ5年以内にはUターンがこの国にも定着することを示唆しているのだと筆者は思うのだ。つまり、この国の時間の流れが加速度的に進行しているのを物語るものであり、故にベトナムの経済規模の拡大膨張が一般的に考える以上に早やく、投資をするなら一刻も速やかに進出するのが得策ではないだろうか。
以上
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