ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第72号
ウィークリー・ベトナム・ニュース
■ 平成18年7月22日 土曜日 第72号
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■ こんにちは!!
いつもお世話になっておりますベトナムからニャットアインです。
今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。
翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。
誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>
尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。
ベトナム・ニュース その72 今週のヘッドライン
*7月17日(月) ソンラ水力発電所
*7月18日(火) 新型ATM導入のメリット
*7月19日(水) 南部工業地帯の人材確保の行方
*7月20日(木) カンボジア国会議長表敬訪問
*7月21日(金) ブランド力創造が決め手
*7月22日(土) 傷だらけの天使の微笑み
7月17日(月) ソンラ水力発電所
*Da河に建設中のSon La水力発電所の労働者たちを前に彼らの日頃の苦労にねぎらいの言葉をNguyen Tan Dung首相はかけ、過去6ヶ月工事が無事スケジュール通り推移していることを褒め称えた。水力発電所工事に付随した洪水防止策も整い、工事の基礎となるダムの基礎工事も成功し、Son La・Dien Bien・Lai Chau各省に跨る河川流域住民の移転も滞りなく計られ、これを実行可能とした20余カ所に及ぶ移転先地区の整備、510件に及ぶ交通網・上水道・住居・電力の承認も既に得られている。先の三省は関係省庁と連携を取りつつこれまで、補償費や移転ついて歩調を取ってきた。
運輸省はPa Uon橋建設や排水システム事業を加速させているため国道279号線や12号線へ設けられるそれら工事は直に始まることになるだろう。Dung首相は関係セクションに対して今月中に二期工事の為の技術的なデザインを承認をし終え、今年、第三四半期・第四四半期に必要な予算の試算を完成させなければならないと言った。その一方で、首相は農務省に関係省庁並びに機関と協力し移転政策、特に土地利用に拠る生産基盤の確定と移転住民用の水道確保・長期生産計画を策定するよう要求した。そして建設省に対しては建設工事が効果的に行われるよう監督システムを組織するよう命じた。
Dung首相は、Huoi Hao Hamlet・Muong Bu村・Muong La区及びSon La省の各行政当局者に対し、共産党並びに国家が開発した移住民が待ち望むよりよい生活が保障されるよう移住政策を滞りなく実行するよう申し送った。道路網整備・学校・病院・住居建設用の土地を割り当て、それら公共工事は今後も継続されて行かねばならず、Son La・Dien Bien・Lai Chau省の移住事業成功が、Son La水力発電所の成功を握っているのだと首相は語った。
Son La水力発電所は完成すれば2400MWの発電力を持ち、第一タービンの完成は2010年で2年前倒しで行い、最後のタービンは2012年に取り付け工事は3年前倒しで行われ送電が開始されるとのこと。
(辛口寸評)
ハノイから300キロ北西に位置するソンラ省は深い山岳地帯で、ベトナム人の中核を成す、京族の他 少数民族のメオ族・ムオン族・白タイ族・黒タイ族が散在し仲良く共に暮らしている。ソンラの省都もやはりソンラといい、ここには約5万人が生活している。そこへ6年前に水力発電所建設工事の話しが中央から下ろされると、ハノイからソンラ・ディエンベンフーに繋がる道路整備は一気に加速の度を増した。加えて、2007年 ソンラは省から“市”への昇格が予定されており、この辺りの不動産は一気に上昇したのだった。
道路が整備されたお陰で以前はハノイからバスで片道12時間かけて悪路を揺られて行ったものだが、それが今では約半分で訪れることが出来るようになった。現在のところ、ソンラ・ディエンベンフーは、ラオスと国境を接するだけのハノイから見れば西の外れにしか思えないが、近い将来 ラオスやタイ・ミャンマーなどへ抜けるルート工事が検討されていると言われており、推論ではあるもののソンラが市になるのは西の拠点としたい思惑があるのかも知れない。ソンラでは既に温泉なども掘られており、風光明媚なロケーションはサパに優るとも劣らぬ観光資源の可能性を秘めている。水力発電所の完成に拠って、それが現実のものになる日も近いと思われる。
7月18日(火) 新型ATM導入のメリット
*東アジア銀行は現在、24時間利用可能で口座の開設や外貨両替及び出入金が出来るキャッシュカード使用、ATMの導入を計画中だ。このタイプは現行の時間限定で外貨両替・口座開設が出来ないものとは異なり、近未来型となりベトナム初という。直接客がお金を入金すれば、その場で口座開設してくれるのみばかりか、偽札や使用不能な紙幣の判別も自動で行えるという優れものだ。
このシステムを運用するために東アジア銀行は中国のATM製造メーカー最大手であるRGR銀行装備有限公司と420台のATM購入契約にサインした。尚、現行タイプのATMもRGR社から導入していた。最新式ATM装備に拠り東アジア銀行では戦略的顧客獲得・拡大を来年に向けた布石を行っているわけだ。
また東アジア銀行はアメリカの送金業務を専門に行っているMoneyGram社と今年初め代理店契約を締結し、これにより同社の84000軒の支店網ネットワークを活用し、170の国々からの送金が同行で受けることが出来るようになった。同行は他の40数社の送金業務会社の代理店にもなっており、昨年度はそれらを通じた入金額の扱いがUS690m$だったという。
(辛口寸評)
最近、キャッシュカードを持つベトナム人が確かに増えてきた。とはいえその対象者は都市部に住む40代から下の世代が圧倒的に多く、実用性というよりは寧ろファッション感覚の必携アイテム化(平たく言えば他人に対する見栄の一環)し出しているようだ。以前にもクレジットカード普及に関する記事の寸評で書いたことだけど、そもそもベトナム人は銀行というものに頭から信頼を置いていない。
歴史的にインフレにより通貨切り下げなどがたびたび行われ、一夜に財産を紙きれ同様になってしまったことがあったからに他ならない。
ただ昨今、ビジネス上で銀行口座を持つことの必要に迫られ口座を持つ企業・団体が出てきてはいるが、基本的に必要以上の資金を銀行に預けておくなどと言うところは中小においては皆無といえるだろう。今回、新型ATMが東アジア銀行に導入されることに拠って、もっともメリットを享受出来る人たちとはベトナム人というより寧ろ、外国からベトナムを訪れる旅行者になるのだろうと思う。しかし、多少緩やかになったとはいえ、ベトナムにはまだまだ外国為替管理法に拠り、通貨の出し入れには一定の制限が加えられている。このため、外国人が自国から持ち込んだキャッシュカードを利用し、ベトナムで現金引き出しが可能となるまでには沢山の法的整備を経なくてはならないだろうが、、、。
7月19日(水) 南部工業地帯の人材確保の行方
*急速に世界経済の中に取り込まれてゆくベトナムであるにも拘わらず、ベトナム南部での経済地域では人材難、特に大卒の熟練従業員不足に頭を抱えている。この問題に対処するため、職業訓練と質の高い人材育成はこの地域の発展を促して行くのに早急に手当をしなければならない。これら地域とはホーチミン市・Binh Duong省・Dong Nai省・Ba Ria-Vung Tau省・Tay Ninh省・Binh Phuoc省・Long An省で、これら地域を併せると23994平方キロに渡り、地域人口は1235万人で実にベトナム総人口の15.5%に当たる。
過去10年間、この地域が国の経済発展を担い牽引してきており、事実 ホーチミン市・Binh Duong省・Dong Nai省・Ba Ria-VungTau省だけでGDPの36%を稼ぎだし60%に及ぶ労働力を生み出し、60%の輸出額を築き上げ、国家予算の半分を貢献してきたのだ。
現在に於いても、この地域の国家的生産拠点の重要な位置づけには変わりなく、企業の進出に対する優遇措置の完備や投資環境の良さから国内外の投資家を惹き付けている。結果的に地域の工業団地や輸出加工区が地域の発展の重要な役割を担い続けているというわけだ。
今のところこの地域には40カ所以上の工業団地及び輸出加工区にライセンスが下ろされており、敷地の5割相当の土地が貸し出され、1253件のプロジェクトが稼働中で総資本金額はUS10b$で26万人もの雇用を創出するに至っている。この地域では製造業以外でも石油やガス採掘・精製・製鉄・電気・IT・化学薬品・肥料などの基幹産業が国家経済に寄与しているのだ。しかしながら、地域開発は今も進行中であるため各省間の連携が整っていないのが実情で、この地域の実力を100%発揮するまでには至ったいないのだ。
この地域は自然条件と社会経済基幹整備に恵まれており、ホーチミン市だけでベトナム全体の科学者の3割が100軒に及ぶ研究所・大学・単科大学で精力的な活動を行っているものの、それら知識が有効に利用されていないのだ。労働市場に於いては、引き続き質の高い労働者不足に喘いでいる。ホーチミン市では、毎月1000社の企業が立ち上げられ、彼らは常に上位のマネージャーや技術者などを必要としている。Dong Nai省では、今年9万人のワーカーを省内の工業団地で雇用しなければならないが、現時点に於いても必要数に至っていない。ホーチミン市から離れたこの地区では熟練工を雇うのが困難なのだ。何故ならば、彼らは勉強や趣味・社交などの機会を都市の方が得やすいと考える傾向にあり、郊外での就職を敬遠するためだ。結果的に、Dong Nai省では必要数の3~4割のワーカーしか集まっていない。
スキルドワーカー不足は職業訓練プログラムに起因する。そもそも職業訓練校のマスタープランに不備が目立ち、受講生の要求を満たす内容に無く、卒業しても専門的な技能が身に付かない為なのだ。来年度の計画では、南部経済地域は安定した経済生産性開発に邁進すべきで、その開発スピードは引き続き全国平均の先を行くものでなければならないとする。ベトナム政府はこの地域のGDPを2010年までに少なくとも、2000年の2.5倍に拡大すべく目標値を設定しており、第二次産業で59% 第三次産業で35~36% 第一次産業で4~5%となるよう進めて行くとしている。
これを実行するには、多くの人材育成が不可欠である。ホーチミン市だけでも2006~2010年の段階に於いて524000人のこれら労働力を必要としており、この数字は現行の5倍の員数なのだ。Binh Duong省では2010年までに100000人、Dong Nai省では同様に加工区のみで225000人が必要なのだ。労働・傷病兵・社会省の専門家曰く、この地域で速やかなる戦略的な人材開発の為のマスタープランを構築する一方、地域の関係自治体は熟練工確保やワーカーの職業訓練対策を執らなければならないとしている。
ベトナム政府としては、今後早急にこの地域の職業訓練校のカリキュラム等を見直し特に経済・技術分野の計画の再策定を講じ、卒業生を増やし労働市場に質の高い労働者を送り込むとしている。そして2010年までには卒業生の割合を50%へ 2020年には70%まで押し上げたい意向だ。現在はこの地域での有益な卒業生の割合は25%しかなく、そのうち15%が技術系労働者でしかない。この数値は近隣諸国と比較すれば著しく低いもので、このままでは今後技術系国際企業のこの地区への投資が促進されなくなり、対応しがたいものとなるだろう。
今後、経済的な競争力が激化する中に於いて、知的・熟練労働者の需要は益々上昇するであろう今日、地域の行政当局者はこの問題に焦点を当て人材育成に力を入れるべきである。続けて専門家は、国としても国家規模で大局的な職業訓練システムを築き上げる姿勢を執るべきだあると結んだ。
(辛口寸評)
今回、ホーチミン市を含む近隣自治体の発表した今後、必要となる労働者数についてだが、これは知的・熟練労働者のみの数値でなく、一般労働者も含まれる。ベトナムでも職業訓練の重要性を従来より強く認識しており、学校建設など着々と進めつつ、体系的な教育プログラムも整備しているのだが、如何せん未だある資格試験で落第しても、教授陣にお金を渡すことで、進学や卒業が出来てしまうところに問題があり、本当の意味で企業が欲する人材を送り込めないのである。本末転倒とはまさにこのことだが、この部分の考え方を生徒も学校も、そして国も認識しなければ、優秀な人材確保にいつまでも喘がなくてはならないだろう。
この点については役人の汚職と同様、文化に根付いた要素もあるため、一朝一夕に改善は現段階に於いては難しいと思うが、WTOにベトナムが加盟し、Cut Throat Competitionの矢面に立たされた時、2~3年以内に考え方の大きな変化が現れて来るのだろうと筆者は観ている。
7月20日(木) カンボジア国会議長表敬訪問
*ホーチミン市はカンボジアの各自治体と包括的な重要度を持ち経済・貿易・観光分野などで結びつきを拡大してゆくと、政治局員兼ホーチミン市人民委員会書記長のLe Thanh Hai氏は語る。Hai氏のコメントはカンボジア国会議長Heng Samrin氏との会談の席上述べられたもので、Phnom Penh市との友好関係を拡大構築してゆくことはホーチミン市の社会経済発展を成し遂げて行く上の戦略的目標であると続け、今回のカンボジア国会議長の訪問は両国間の伝統的な結びつきの再確認となる意義深いものだと添えた。
「ベトナム・カンボジアが共に手を携えた交流の発展は、ホーチミン市とプノンペン市の協力関係を生み出したのみならず、両国間の他の自治体同士の交流にも影響を与え、協力プログラムから双方間でそれぞれ目に見える形で両国民の利益になっているとHai氏が述べ、これに対しHeng Samrin国会議長は書記長の歓迎に謝意を伝え、併せてカンボジア・ベトナム両国民の交流が益々盛んになり、有益な結果をもたらすこととなり、両国指導者たちに拠ってこの関係の発展・拡大は今後も様々なエリアで花開だろうと語った。
また、ベトナム国民は過去20年、ドイモイ政策に則り数多くの実績を上げてきた。これは今後のベトナムの発展を予期するものであり成功は共産党指導者並びに国会によって誘われるだろうと述べ、ベトナムを見本としカンボジア発展の参考に役立てて行きたいと付け加え、今後の両国の強固な関係発展に意欲を滲ませた。
(辛口寸評)
ヘン・サムリン氏は久しく政治の表舞台から遠ざかっていたが、この人物、元々、1976~78年までフンセン首相と同じくクメールルージュに所属していて、そこの第四歩兵大隊の指揮官・政治局員をしていた。78年にポルポトを亡き者としようとクーデターを企てるも露見して失敗、ベトナムに逃亡したのだった。ベトナムで同年12月カンボジア全国急告戦線の議長に就任すると翌年79年にベトナム軍のカンボジア侵攻で人民革命評議会議長に就任して、カンボジア首相に納まった。
首相就任後、クメールルージュから断続的な武力抵抗に遭い、広範囲の外交上承認を獲得出来なかった。85年に当時第二首相だったフンセンとの権力闘争に敗れると、91年に前国家元首だったシアヌーク陛下が北京から帰国するまで暫定的で名誉的な意味を含んだ国家元首に納まっていたのだ。このような経歴を持つ、ヘン・サムリンなので、ベトナムのお陰で傀儡政権をカンボジアに打ち立てることが出来たのだから、当然、ベトナムとの結びつきは強い。尤も、これも今は昔の話しで、ベトナムとカンボジアがあらゆる機会を捉え、強固な結びつきを維持して行くのは地政学上避けられない運命で進んで行くのだろう。
7月21日(金) ブランド力の創造が決め手
*舶来品や外資系企業製品のブランドネームの威力はベトナムで根強く、国内産は圧倒的に風下に於かれているとマーケットリサーチ会社の報告が上がった。ブランド力は製品に対する信頼度・高品質・高性能などの代名詞となっており、特にベトナムで強いそれはNokia・Dutch Lady・Panadol・Coca Cola・Alpenliebe・Doublemint・Prudential・Sonyなどの外国企業製品だ。リサーチではベトナム産ブランドに着いても調査をし、Kinh Do・Flex・Sachi・SaXi・Bao Viet・Bia Ha Noi・Vinamilk・333Beer・Deltafoodなどに人気が集まっているという。
報告書はハノイとホーチミンに住む凡そ4000名の回答を元に分析されたものだ。カテゴリーはインスタントコーヒー・カメラ・ビール・スナック・ガム・ソフトドリンク・生保・キャンディー・携帯電話などを重点的にイギリスに拠点を置く世界的リサーチ会社のMillward Brown社が自社のブランド調査システムBrand Dynamicsを駆使し、これにホーチミン市のCustomoer Insight社と共同で調査したものだ。MB社の財務課長Denise Mullett氏曰く、顧客のブランドに対する信頼感が商品需要を作り出す鍵となっているとし、例えば有名なDutch Lady社製品は過去5年に渡りブランドイメージを市場に植え付けるため、“Get Ready for Vitality”のキャッチフレーズと共に様々な媒体から宣伝広告に力を入れて来た成果だろうとMullet氏は指摘する。その上で強いブランド力を築く為には5つの要素が伴わなければならないとし、それらは順に親近感・信頼感・差別化・指導力・人気度・価格帯と氏は言い切る。
親近感はブランドに対する満足度から生まれる一方で、信頼感は商品イメージを前向きに捉えることが出来る、“健康”・“高品質”・“美味しい”などが打ち出されていることが大切だとする。指導力については人気を創り出すだけの力、或いはトレンドに高める力に置き換えることが出来、価格帯は対価に見合った価値があることと氏は続ける。これらにプラス 合理的な配送システムの完備・適正価格の設定、そして柔軟な生産性はブランド力を更に押し上げるための必須条件であると結んだ。
(辛口寸評)
小さな菓子メーカーを経営している筆者にとっても、会社の製品に如何にしたらブランドイメージを高めて行けるのかが、課題となっている。資金力のない企業ではおいそれと宣伝広告費が出せるわけもなく、ではどうすれば良いのかといえば利益率の高い商売をしない限り、ブランドも作り出せないということなのだろう。確かにベトナム人は外国製や外国系企業性の物を有り難がる傾向は今も強い。が、昨今ではローカル企業からもブランド作りを着々と行う会社が登場しており、これからもその傾向は増えてゆくだろう。そのような競争の中で、WTO加盟後のベトナムでは極論を云えば、ブランド力の創造が出来ないローカル企業から淘汰されてゆく事態が起きることは大いに予想出来る。そんなわけで、今回の記事の内容は、筆者自体深く考えされるそれだった。
7月22日(土) 傷だらけの天使の微笑み
*余所の愛くるしい顔をした子供たちのようにMa Thi Haちゃんも、美しい顔をしていたに違いない。彼女は生後3日目に家族から虐待を受けた被害者なのだ。彼女の父親は母親が浮気をしてその結果、Haちゃんが生まれてきたと疑い、彼は鋭利な刃物で彼女の顔に斬り込んだのだった。傷はHaちゃんの右目を切り裂くほど深く達し、それが元で彼女の顔は醜く変形してしまったのである。彼女の母親は手の施しようが無い状況の娘を、ホーチミン市第一小児病院に置き去りにして捨てたのだった。病院で処置を受けたHaちゃんは、生死の境を彷徨いながらも回復し、そして顔に醜い傷跡を残したまま、孤児院に預けられた。ここで彼女の人生は大きく回転することになった。
孤児院へやってきた養子縁組組織団体に所属するDorinda Cavanaughさんはは、Haさんを一目見るなり直ぐに、彼女をカナダでの治療を申し出たのだった。Cavanaughさんの努力が実り、カナダ政府はHaちゃんの手術費用を第三者が支払うことを条件にカナダで治療を受ける為の特別な入国ビザを与え、それからCavanaughさんはHaちゃんの治療費を掻き集めるべく寄付を集め手術を受けさせ、小さな彼女は長くて痛い辛いそれによく耐えたのだった。運良く、Cavanaughさんはアメリカの慈善団体からHaちゃんの手術費用の提供を受けることが出来た。カナダで手術を終え、ベトナムに帰国したHaちゃんが再度カナダのモントリオールにやってくることが出来るまでに10ヶ月掛かった。それは2003年10月のことだった。
そのころカナダのJonathan GodfreyさんとSylvie Godinさんとその子供たち一家は、ベトナムのHaちゃんが治療を受けられる為に養子縁組を希望する家族を募っているとの情報を知り、取るものも取り敢えず、一家はベトナムへ向かいHaちゃんの受入に出掛けたのだった。夫妻はHaちゃんを一目見るなり、血が通い合ったのだと当時のことを振り返る。Gorfreyさんは、Quebec郊外の牧師 妻のGodinさんは子供たちの世話をする主婦。Haちゃんの到来や優しく家族に迎え入れられ、6人の実の子供たちも両親の養子縁組に賛成した。Haちゃんは今では家族の末っ子で、人気者となった。
以前、Haちゃんがベトナムの病院で処置を受けた時は失敗に終わっており、傷口が醜く開いたままの状態で乾燥眼になってしまっていた。Cavanaughさんと一家の献身的な努力によって、現在はFleur -Angelと名前を変えたHaちゃんはアメリカに送られることになり、更に上の治療を受けることとなったのだ。今回 Haちゃんの治療費を負担する慈善団体のDenis Nigro博士は、彼女が物心をつく前に全ての可能な限りの治療を施したいと決めている。そして彼女が18歳になったら、整形手術により元に戻すのだと抱負を語ってくれた。
現在Haちゃんは満三歳を迎え、カナダに初めて来た頃より身長が10センチ・体重は5キロ増えた。Godinさんはアメリカから処置を受けてカナダへ帰って来たHaちゃんの姿が今も心に焼き付いているという。彼女の顔を見たHaちゃんは小さな両腕を一杯広げてGodinさんに抱きついたその姿を、、、。Godinさんは思わず泣き崩れ その瞬間、Haちゃんが待ち望んだ本当のお母さんの存在を確認したのだろうと、、、。Nigro博士は今後ともHaさんの健康管理に注意して見守って行くと結んだ。
(辛口寸評)
少しお涙頂戴談義だが、不幸な子供たちはベトナムに数多くいる。Haちゃんにとっては、辛い事件の連続であったが、運良くカナダで人々の手厚い愛情に囲まれながら過ごしているのは幸いだけど、我々は陽の目を見ない不幸な子供たちにも、何が出来るのかを考えて行かねばならないと思う。とはいえ、自分自身を見つめたときまだまだ何も出来ない歯がゆさを感じてならないのは それこそ我が身の不幸なのかも知れない。
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