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2006/08/15

終戦記念日の「靖国参拝」ドタバタを悲しく思う!

香港在住で活躍中の、ペンネーム「閑臥彌」さんから、「靖国」騒動について興味深いメールが届けられました。右でも左でもない、誇り高い日本人ビジネスマンの私見をご紹介したいと思います。なお、「閑臥彌」さんは、現在、本邦へ帰国中です。ご本人の説明では、今日の「カオスの顔」へ掲出されたそうです。従って、今日は、「コラコラコラム」も「カオスの顔」も中身は同じ、今日に限っては、いわばミラーサイトともいえます。

引用開始→ 8月15日  香港発ブログ「カオスの顔」
終戦記念日の「靖国参拝」ドタバタを悲しく思う。
誇り高い(鼻持ちならないと香港では言われている)日本人でありながら、日本も分かない国だなぁとつくづく思います。

16_kiku_1今日は、首相が「靖国神社」を参拝したと、蜂の巣を突いたような報道の洪水です。
私は、第二次世界大戦を、いたずらに美化しようなどとは思いません。そのため心情を問われると複雑です。

香港で仕事をする一人の誇り高い日本人としての意見を述べます。
多くの外国人には、日本人のメンタリティが、基本的に理解できないという大きな問題があります。
戦争で、死ねば神になり、靖国神社へ全員が祀られるという論理は、殆どの外国人には理解不可能なテーマです。
「神道精神」による考えだと説明されても、それでは「神道」の教義は何か?その論理展開は?と問われると、殆どの人は説明できないのではないでしょうか?!
これは、古来より、日本人が受け継いできた「日本人の精神的紐帯のようなもので、基本的には曖昧模糊」なことで、論理的・合理的にスパッと説明できるものではないと考えます。そこが、他の多くの外国人には全く理解できない点でもあります。

戦争に動員し、不本意にも「戦死」したわけで、国家の困難を受け容れた「受難者」でもあるわけで、だから、国家がその動員された者の「戦死」を、神道形式により象徴的に尊崇することで、「無駄死」を「名誉の戦死」へ置き換え、国家としての戦争動員体制を保持する機能でしかないわけでしょう。

国家による尊崇行為自体が、明治維新以降の政治体制を支える上で、重要な手段だったに過ぎません。
国難という表現をどのように捉えるかにより、「靖国」に対する姿勢は当然のことながら変わります。

とりわけ、第二次世界大戦を巡る評価で、どのような立場をとるかで、はっきり色分けされてしまいます。

基本的に、第二次世界大戦は、「帝国主義列強間の覇権争奪の面」がある一方で、「日本による、新たな植民地獲得の侵略戦争としての面」があります。
主に、太平洋上で交わされた戦争は、「帝国主義列強間の覇権争奪戦争」でしょうが、中国大陸で交わされた戦争は、「日本による、新たな植民地獲得の侵略戦争」であることは明白です。

長い世界史の面から考えたとき、中国大陸や朝鮮半島との交流を無視することはできません。

日本には、明治維新以後の「脱亞入欧」に成功した、「近代ニッポン」のイメージがあり、周囲の国々を見下す思考が常に先行していたように見受けます。
明治維新政府による「朝鮮半島情勢の分析」における、西郷隆盛の「征韓論」などは、国際情勢を正確に分析した上でのことかどうか、甚だ疑問です。しかし、いまでも西郷隆盛の「征韓論」は、(一般的な)日本人が対朝鮮半島政策を述べる際の下敷き(見下し視点)になっているようにも見えます。
中国に対する視点も、清朝政府が末期に犯した様々な愚策をあざ笑う思考が奈辺で形成されているように見えます。
特に、「日清戦争」で一方的に勝ち、続く「日露戦争」で辛勝を得たことで、対中国観は決定的に見下す方向へ舵を切ったように思います。
長い世界史で見れば、この百年ほどだけを、自己本位に捉え、それを、ことさら強調するのは、知性のある議論として考える上では無理があります。

いずれの国も、その時々の政策判断を誤ることはあります。人がやっていることですから。

周辺に位置する国が、(それぞれの)対象国を尊重するなら、失政や愚策を、ことさら取り上げ罵るのではなく、友人として、必要な助言をしあう関係でなければ巧く運ばないと考えます。

「靖国」が議論になる際、日本の側には、中国や韓国(朝鮮)に対する、異常なまでの蔑視が根底にあり、対する、中国や韓国(朝鮮)には、拭いがたい侵略植民地政策への不信感(極度の怨念)があります。

その(極度の怨念の)象徴として、「靖国」が認識され位置づけられているわけです。

中国(共産党)の従来からの主張では、戦争に兵隊として強制徴兵され動員され、中国大陸で戦い生命を失った(戦死)兵隊と、戦争を指導した側は異なるとの見解を示している。これはいまも変わらない。

この論点は重要である。
私は、これと、ほぼ同じ見解を保持している。つまり、第二次世界大戦を無謀にも始めた「戦争指導者」は、
無理矢理、(無辜の民を)徴兵し、その多くの兵士を死地へ追いやり、無駄な死を強いたわけである。いわば、その加害者と被害者が同一であるわけがない。なぜ、同じ論理で祀られるのか合理的な説明が必要だ(と思います)。
遺族会会員にも、この点で、違和感をお持ちになる方もあることだろう。

「首相の靖国参拝支持者」の中には、「東京裁判」の不当性を訴求する意見も強いように見えます。
しかし、よく考えないといけない点は、「大日本帝国」は、「連合国」に対し、無条件で「ポツダム宣言」を受諾している事実を忘れていないでしょうか?この事実を否定するのは、まさに歴史を知らぬ無知のなせる業であります。
「大日本帝国」は、無条件降伏しているのです。従って、主権を所持しない国となり、「米国占領下における日本国」という地位であったことは否定できないのです。

主として「米国」を中心にした「連合国占領下における日本国」は国家主権を放棄していたのです。(それが国際社会における戦争と「無条件降伏」の結果です)
その時点における問題を蒸し返し、「東京裁判」の不当性を述べ立てることは、国際社会を知らぬ恥の上塗りに過ぎないことになります。それはさらに次の恥を生むことになるでしょう。

その「東京裁判」で裁かれた「A級戦犯」が「靖国」に合祀されたことで、問題を複雑にし、単なる「内政問題」を「国際問題」にしてしまったわけです。

中国と韓国(朝鮮)は、自国を蹂躙した「戦争指導者」を合祀したと怒り、日本国内ではこれらの外国政府の主張に呼応し賛同する勢力が現れ、「A級戦犯の『靖国』合祀は不適正」と主張し、分祀が必要との見解を表明する始末になりました。
それ以来、「靖国」は国家を二分する百家争鳴の激論となったようです。

これに、小泉さんという、ちょっと変人が首相になり、大した政策もないまま「終戦記念日に『靖国神社』の参拝」を公約し、実際、その実現に向け既成事実を積み上げ始めたことで、中国と韓国(朝鮮)は苛立ち、(子供じみた)反発を日増しに強め、口を極めて感情的に罵る行為に出ているわけです。
この出来事に対し、過敏に反応する日本のマスコミは、「天下の一大事」とばかりに、中国や韓国(朝鮮)の期待以上に騒ぎ立て、とうとう「東アジア全体の国際問題」にしてしまったように見受けます。

いま、「靖国」は、基本的に「日本の国内(内政)問題」です。諸外国政府が、口を差し挟む内容ではありません。
しかし、一方で、日本も「靖国」を議論する際、過去の歴史や、過去の「大日本帝国」と現在の「日本国」を同一視し、同じ次元で議論することは止めなければなりません。

[民族は同じですが、国の政治体制は根本的に違うのです。この点への正確な理解が不可欠です。ここを整理して議論しないから、諸外国政府につけ込まれるのです。つまり、現在の「日本国」は過去の「大日本帝国」が犯した様々な事実について、諸外国に反省を示し、和解した上で必要な賠償を行い、それを諸外国政府と個別に条約を締結し、既に解決しています。従って、諸外国政府との関係において、未来関係はあっても、過去に対する償いをとやかく言われることはありません。これは国際政治の大原則です、「日本国」が「大日本帝国」の過去を、相手国政府に対し清算し、相手国政府は受け入れ、その担保に条約を締結しているのですから、後年になり、まだ足りないとか、誠意がないとか言われる筋合いはありません]

(しかし)いかに、脈々と日本人が日本の歴史を背負い誇りにしてきたからと言って、現代史で確定した事実をねじ曲げることは慎まなければなりません。自らに都合の悪いことを書き換えていたら、国際社会で真の友人はいなくなるでしょう。中国や韓国(朝鮮)に対し、ハッキリ発言する考えがあるなら、第二次世界大戦と中国大陸での15年にわたる日中戦争を、国際社会が理解し納得する総括を示す必要があります。

残念ながら、日本は、この点において、残念ながらまだまだ弱体な面を残しています。
兵士として徴兵され、戦争に動員され、無駄に生命を奪われた側と、無謀な戦争を明確な戦略もなく見通しもないまま、戦争を指導した側が、同じであるとは思いません。被害者が加害者とどうして同席できるのでしょうか?あるいは、なぜ同席させられるのでしょうか?(ここが「靖国」を利用した支配体制の重要なポイントです)
知恵のない無謀な「第二次世界大戦」で、戦場だけに限らず、国内で無差別爆撃により生命を落とした無辜の市民も加え、戦争犠牲者は310万人です。

いわゆる「A級戦犯」は、10人内外の一握りの輩でしょう。なぜ、同じでなければならないのでしょうか?

[自らが望まない戦争に駆り立てられ、無為に生命を奪われた兵士。無差別爆撃により生命を奪われ財産を失った無辜の多数の市民に対する国内での加害責任を、戦争指導者は負わなければなりません。同様に、他国の市民に対する加害行為について戦争指導者は負うのは当然です。本邦内で、A級戦犯に対する「戦争責任」議論で、特定の勢力は小児病のように、論理的に筋の通らない主張を感情的に繰り出しますが、その種の非論理的で感情的な主張が無謀な先の戦争に繋がったのではないかと懸念します。その意味で、他国からの批判にも真摯に耳を傾け、批判や主張に矛盾があれば、国際社会に通用する思考で論理的に反論すればよいのである。徒に、感情を激突させるだけでは、本質は何も解決されません。「戦争指導者」は、「国内責任」と「国際責任」を免れることはありません]

「靖国神社」は世界へ向け、合理的で論理的な説明をすればよいのです。できなければ、自らの責任を明らかにすべきです。この点で、現在「靖国」の側から積極的に、合理的かつ論路的な説明を受けた記憶はありません。
誰にも理解できない、つまり説明不能な、わけの分からぬ身内の話を、「靖国」側はしているに過ぎません。
それでは、世界は納得しません。

私たちは、中国でも香港でも、他の国でも、「日本人としての誇りを持ち、この件では、寄せ付けぬ議論をしています」。海外で活躍する、国を思う誇り高い日本人に、もっと、合理的で論理的な説明をすべきです!

中国も、韓国(朝鮮)もそれほど然様にバカばかりではないと考えます。しっかりした論争ができると、争点は残っても理解することでしょう。
小泉首相も、あそこまで「公約だと公言し、『心の問題』だというような、詭弁を弄せず、もっと正々堂々の議論」をして貰いたいと思います。海外在住者として、何よりも、国としての強いメッセージを望むものです。 ←引用終わり 

*お断り:( )と[ ]で括る部分は、「コラコラコラム」の側で追記したものです。

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