金貸しジューシー、やりたい放題!国連中心主義は幻想だろう!
国連は役立つか?本当に国連は世界の平和維持能力を備えているか?
日本は、国際社会で生じる出来事に対処する際、常に「国連中心主義、国連第一主義」を掲げ、国連のお墨付きさえあれば、多少のことは、国際社会に対して言い訳ができる、と考えているフシがある。
例えば、日本が国連の平和維持活動(PKO)に、自衛隊を派遣することになった、カンボジアの暫定統治(UNTAC)から、便利な魔法の言葉としての「国連中心主義」が念仏のように唱えられるようになった。何かあれば「国連の場」で議論し決着をつける。
日本は、常に国際社会と一緒に行動するのであり、単独で行動するわけではない。国際社会の秩序を誰よりも重視している。国際社会の決定に従う国である、というイメージ造りを国内向けに乱発してきた。「国際社会で付き合うには、絶対的に交際費(国連分担金とODA)が必要なのだ」と吹聴し続け、今日まで、自民党も民主党も、潰れたテープレコーダーのように同じフレーズ「国連中心主義」を唱えるのである。また、大多数の日本人は、その魔法の言葉を聞けば、何となく安心し意味もよく考えず諒解してしまうのである。
思えば不思議な国である。いつから、ここまで思考力を失う国になってしまったのか。
国連は、町内会の井戸端会議と何ら変わらぬ集まりでしかない。とにかく井戸端会議に出なければ、隣近所で、何を言われるか、言われているか分からないから、とりあえず、町内の井戸端会議には、朝昼晩のどこかで、参加しておくのである。参加すれば、思わぬときに、思わぬ相手から、思いもしないお裾分けを手にすることもできるから、井戸端会議に出て悪いわけではないのだ。
国連は、この程度の役割(機能)だと思えば難しいわけではない。しかし、いつの頃からか、日本人の多くが、国連の役割に過度の期待を寄せ、自らの貢献が大きいと誤解するようになってから、いよいよおかしくなってきたのである。そこで、国連は役に立つか?とコラコラコラムは問うわけである。
町内会でもそうだが、どこにも、もちろん国連にも、声のでかい、態度のでかい、口数の多い輩は存在するのである。何かにつけ、他人の暮らしにケチをつけ、口やかましく小言を言い、場合によれば、自分の意見を通すために、暴力も辞さずと脅しもかける輩が必ず存在する。この種の輩は、いつも、自分の廻りを自らに忠実なバカどもで固めたがり、徒党を組んで町内を威圧的に徘徊するのである。時には、頼みもしないのに、他人の家の夫婦げんかにも口を挟み、あれやこれやと口実をつけては上がり込み、居座り、居直り、時には何らかの金銭を要求するのである。これは見ようによれば、ゴロツキと同じ構図である。いやゴロツキそのものである。だから、多くの善良な人は、毛嫌いするが、それでも無視もできないので、町内会費(国連分担金)とは別に、何がしかの金銭を掴ませ、あるいは握らせゴロツキからの難を逃れようとするである。
ゴロツキは、「何かにつけ、町内会の井戸端は、自分の地所を貸してやっている」と凄み、周囲を固める子分達を札束を叩いて増やすのである。しかも、その札束は自分のモノではなく、より忠実なポチ公が差し出すのである。
世の中には、このゴロツキの態度を、疎ましく考える者もあり、およそ3分の1は嫌悪している。しかし、ゴロツキは意に介さない。最近は、ポチ公を始め、多くの年寄りや若い衆が付き従うようになったと、意気軒昂むしろ鼻高々である。
このゴロツキも、金貸しジューシーから、大量の金を借りている。世の中で厄介なことは、「金がなければ、生きていけない」という絶対的な事実である。ゴロツキは徹底したリアリストである反面、驚くことに物凄い誇大妄想教でもあるため、いつも何かの強迫観念に駆られている。強迫観念を沈めるには、腕力を高める以外に途はないと、単純に考える思考力しか持ち合わせないこともあり、そこが金貸しジューシーには、堪らない魅力となるのである。
金貸しジューシーは、ゴロツキには「返済能力はない」と考えている。なぜなら、ゴロツキは「働くことよりも、腕力を試すこと、遊び呆けること」だけに忙しいからである。普通の金貸しなら、そこまでリスキーなことはしないのだが、どっこい、ゴロツキはポチ公という忠犬を従えていて、このポチ公が、実によく働くし金を稼ぐのが巧いので、最近、金貸しジューシーはポチ公にゴロツキの借金を肩代わりさせることを狙い、連帯保証させたのである。
その甘言は「町内会での『兄弟の契り』という便利な魔法の言葉」である。ポチ公は、ゴロツキの親方から「町内会の兄弟分」と囁かれ、天にも舞い上がる心境となり、大いに尻尾を振り、いよいよ忠犬稼業に精を出すようになった。
これで金貸しジューシーは安心した。いつでも、ポチ公へ請求すればよいのである。
さあ、それなら、金貸しジューシーの廻りで、うるさく騒ぎ立てる貧乏人ドモを懲らしめてやるか、と考え、いろいろな小理屈を準備した上で、ゴロツキにも、ちょっと脅かしをかけてから、一気呵成に貧乏人ドモへショバ代の取り立てに動いたのである。陰惨極まりない方法で、圧倒的な暴力仕立てで取り立てているのである。ゴロツキは、躰がでかいだけで、繰り出すパンチ力も強いようで実は弱い。金貸しジューシーの方が、この種の暴力沙汰では何千年も前から本家本元でもあり、自らの沽券にかけて、実は若い衆のゴロツキやポチ公に、「暴力とはこのように振るうのだ」と見本を示し学習させているのである。
周囲は驚き、町内の井戸端会議は、俄然賑やかになった。毎日毎日、「ああでもない、こうでもない」と言い合い、ときには掴み合い寸前までいくが、よく考えてみたら自分のことではないから、井戸端会議はやはり井戸端会議に過ぎず、町内会の井戸端での平和は保たれるのである。
それでも、日頃からゴロツキを疎ましく考える側は、お灸を据えてやろうと、徒党を組んで、金貸しジューシーを非難し、ゴロツキを牽制しようと企むが、ゴロツキは突然、腹が痛いとか頭が痛いとか言い、井戸端会議に姿を見せない。この間、金貸しジューシーは徹底的に貧乏人ドモを痛めつけ、再起不能な状況へ追い込んでしまう。ある日、ゴロツキが井戸端会議に姿を見せたので、徒党を組んだ側は、「金貸しジューシーの行為を諫めるから、金貸しジューシーへ一緒に文句を言え」と言ったら、ゴロツキは「趣味に合わないから、自分は絶対反対だ、そんなことをしたら、テメーらも一緒にぶっ飛ばすゾぉ~」などと脅しをかけて、ふて寝してしまった。
徒党を組んだ側の、一方のボスは、いつもいい顔をしようとするけど、このボスも、実は金貸しジューシーから、しこたま金を借りていて、周囲は金貸しジューシーが送り込んだ執事達に固められているから、苦虫を噛み潰したような顔をしてみたものの、尻尾を巻いて引き下がってしまった。面白いのは、ポチ公で、とりあえずポチ公は、町内の事なら、どこへでも尻尾を振る癖があるから、「金貸しジューシーのやっていることは悪いゾぉ~!」と一緒になって言ったのだ。不思議なこともあると、事情をよく知らない者は見守っているが、事情通は、そのうち、ゴロツキが目覚めたら、ゴロツキの側に尻尾を振ってすり寄るから、まあ、見てみよう、などと不埒なことを言う者も出る始末である。
所詮は、国連などというのは、この程度の話でしかない。国連が役に立つと幻想を持つ人達は、不本意にも闘い合う相手のどちらかが、白旗を掲げ、斃れるときか、斃れた後でしかない事実を、何よりも認識するべきだ。国連が創設されてから、世界で生じた戦争、紛争の多くが、国連の真実について実に鋭利に事実を物語っている。
ちょっと、暑いから、頭がおかしくなったワケではありません。既に、頭はおかしくなっていますから。
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