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2007/02/17

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第102号

ウィークリー・ベトナム・ニュース
■ 平成19年2月17日 土曜日 第102号
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■ こんにちは!!

Sozai31謹賀新年「2月17日(土)」ベトナム・テト Chuc munh nam Moi!!

次週、週刊ベトナムニュース 第103号の配信は旧正月休みを頂く為、2月26日(月)となりますので予めご了解願います。。

いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

Vnnationalflag_74今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その102 今週のヘッドライン

* 2月12日(月) 学校の休みを変えろ 時短?
* 2月13日(火) ベトナムの価値観に主眼を置こう
* 2月14日(水) 首相とオンライン対話
* 2月15日(木) ベトナム企業の海外上場
* 2月16日 (金)  四大銀行株式会社化へ
* 2月17日 (土)  それでもテトはテト、、、

2月12日(月) 学校の休みを変えろ 時短?
* 教育訓練省初等教育課主導のパイロットプロジェクトの一環として、児童たちに各学期毎の休暇と旧正月休暇が与えられるようになるという。この計画のもとでは、児童たちは年間3ヶ月間の休暇があるものの、夏休みを短くして休みを浮かせた分を学期毎休暇に回すというものなのだ。つまり夏休みが6週間、それに期末毎の休みが都合3週間になり、テト休みは現行の2週間から3週間に延ばすというもの。

Dang Huynh Mai教育訓練副大臣に拠れば、同課が最近発表した計画で教師や父兄を含む学校関係者たちの反応を見た上で、早ければ来年度からこの計画を導入したい意向だという。しかしながら、パイロットプロジェクトが発表されて2週間、父兄たちからは心配の声が上がり始めている。ある教師は、現行の夏休みだけでもリラックスするに100%満足と云えず、現場の教師達が3ヶ月の6割の夏休みを利用し、教育の質の向上を目指していることがお偉方にはわかっちゃいないのだと吐き捨てた。

ハノイのChu Van An小学校に通う2年生の児童の母親Pham Thanh Maiさんは、休み期間の変更に懐疑的だ。「昨年の夏休み、家の息子はHai Phong市に住む祖父母の元で一緒に暮らしたが、夏休みが短くなる事でこれからはなかなか実家へはやれなくなるわ。」とMaiさん。多くの父兄がMaiさんの意見に同調する。とはいうもののハノイのNguyen Du小学校1年生の児童の母親Nguyen Van Anhさんは、この計画の賛成派だ。「子供たちにとって夏休みは2ヶ月あれば充分だわ。スポーツにしろ音楽をやるにしろ或いは勉強するにしたってね。」とAnhさん。

Mai副大臣曰く、新しい時間割は児童の開発を促進し、やる気を植えつけるものとなり、勉強とリラックスの両立を可能と成らしめ、授業に遅れ気味の児童はこの間に取り返すよう努力し、その一方で優秀な児童はゆっくり頭と体を休める時間として充てれば良いとする。今回の計画を強力に推進して来た教育訓練省初等教育課Trinh Quoc課長に因ると、この計画がうまく機能する様になれば柔軟性のより高いカリキュラムが組めるようになるばかりか、台風や水害などの天災に見舞われた時でも、新しい休みの中で履修を進める事も可能となるという。導入前は学校も父兄も何かと、不安は多いと思われるが、先ずは実施に移してみる事が肝要だ。

(辛口寸評)
ベトナムの小中学校の夏休みは、3ヶ月にもなる。通常、5月下旬から休みに入り、9月の始業で大学生よりも長いのである。
日本の小中学生にすれば何とも羨ましく思えるこの期間だが、件のベトナムの少年少女たちにとって、長い夏休みはどちらかといえばありがた迷惑のようだ。都市部の子供たちは、担任の教師がアルバイトに自宅で塾を開いているのだが、当然、夏休み期間は貴重な余禄稼ぎ時期として夏季講習が彼等に拠って主催され、子供たちは朝から送りこまれることになる。全く、通常の一日と変わらないといっても過言でない。

田舎の子供たちはどうかといえば、経済的に余裕のある家のそれらは都会っ子同様、塾通いを余儀なくされるが、貧しい家の子たちはこれ幸いと親から畑仕事などの農作業に駆り出されるのである。恐らく、夏休みが短くなって最も喜ぶのはこうした貧しい地方の子供たちなのだろう。

2月13日(火) ベトナムの価値観に主眼を置こう
* ベトナムが他国との交わりを奨励する政策をとってからというもの、西洋の世界から経済・異文化・フェスティバル・ホリデーなどが、我が国に採り入れられベトナム全土に定着しつつある。「新聞・インターネット・映画・テレビから世界中の出来事を窺い知る事が出来、まるで世界中の人々が同じ町内に住んでいるかの様な錯覚さえ受けるほどだが、この感覚、僕は嫌いじゃない。」と云うのは大学生のMinh Thuさん。仏印時代公務員として過したUng Trong Thuocさん曰く、宣教師立ちと仏軍兵たちが西洋からベトナムにもたらしたものは、キリスト教・クリスマス・新暦正月だった。
当時は、7月14日のフランス独立記念日も我々ベトナム人は強制的に祝わされたものだったが、多くの一般的なベトナム人にとっては余り意味をなさなかったと振り返る。

それほど遠くない昔の話しになるけれど、クリスマスはキリスト教徒だけの重要なイベントだった。クリスチャンでない人々は主に興味深げにクリスマスを眺め近くの外国様式を堪能していたに過ぎなかった。しかし時代は下り、クリスマスは誰にとっても重要なイベントになり、人々はクリスマスプレゼントをショッピングモールで買い求め、異教徒の子供たちさえサンタクロースの到来を心待ちにする様になった。今年25歳になるThai Thaoさんはクリスチャンではないが、クリスマスイブに教会で行われるミサには毎年必ず友人たちと一緒に出掛けるという。彼女たちにとってのクリスマスとは、幸福感を仲間たちと共有する機会であり、愛する人々に感謝の気持ちを持ちカードやプレゼンの交換を楽しむものなのだ。

ベトナムの若者たちは西洋の文化的価値観・フェスティバル・ハロウィーン・音楽・芸術・ファッションに至るまで直ぐに吸収して行く。これらは全て我が国の対外政策に起因しており、うまくそれが行き渡った事にあるといえよう。宗教に関係のないイベントの中には例えば、バレンタインデーがあるが、これもベトナムでポピュラーで、好意を寄せる相手に対し気持ちを伝える橋渡しの役を担っているのだ。多くのベトナム人はバレンタインデーのその名が聖ヴァレンタインをもとに付けられたという事実を知らないし、気にもしていない。それでもバレンタインデーは今日 ベトナムの若者にとって重要な意味を持つ日となった。国内の小売店には色とりどりのチョコレートがところせましと並べ立てられる。

同様に母の日・父の日(アジアにとって孝養は大切な徳目のひとつではあるが、、)も、ベトナムで徐々に家族の中に浸透しつつある行事だ。これらの日は、両親が子供たちに拠って讃えられるもので、丁度、旧暦7月15日の佛縁日、敬母の日と似通ったものだ。永い間、ベトナムの女性たちは社会の日陰に置かれて来た存在に甘んじなければならなかったが、今日では3月8日は国際婦人の日として10月20日は女性同盟設立記念日として讃えられる日が創られた。

この様にベトナムに多くの海外からのイベントが根付く一方、所謂、商業主義に乗せられているのではという批判もある。実際、子供用のイベントなどは挙って様々なアイテムが市場を席巻し、需要の喚起を高めるのに躍起だ。伝統的にベトナムには提灯行列で有名な子供の為の中秋があるし、6月1日の国際子供の日、そしていわずもがのクリスマスが控えている。キャリアウーマンのMy Lanさんは、3歳の息子の為に彼が物心付くまでの間、毎回バイトのサンタを雇いクリスマスプレゼントを届けさせたという。

子供心理学の専門家は、社会として過剰な消費は悪い作用をもたらすものだと警告する。これらイベントシーズンは恵まれない家族の人々にとっては悲しみが増すだけである。貧しい家庭の子供たち・ストリートチルドレン或いは孤児院や施設で暮らす子どもらは、恵まれた家庭の子供たちから更に取り残された気持ちにさせられるものなのだ。貧富の格差は貧しい子供たちの心にカタワ者としての傷を生涯に渡り残すものとなる。ゆえに感覚の分裂はイベントに拠って非常に若い時期からもたらされる可能性を秘めていると言えよう。

現在、世界経済とひとつに繋がった我々の行く手には新たな異文化と触れ合う機会が増えるだろう。重要なのは、我々にとって何を採り入れるべきかを良く判断することが迫られるといえる。ベトナム人として、我々は新しいものに常に窓を開いておくものの、しかし、新しさと我が国が長年に渡り脈々と築き上げてきた文化的価値とのバランスを計り取捨選択して行く必要があるのではないだろうか。

※お断り、この部分の記事は、一部に不適切な文言使用による記述表現がありますが、「コラコラコラム」は、記事作成送信者の著作権を尊重し、そのまま掲出致します。

(辛口寸評)
ベトナム人の行動様式はある種、我々日本人と良く似ている。一般的な古くからの日本の家庭には、仏壇が仏間に鎮座する一方で神棚が奉られている様に、ベトナムの家庭でも同様、先祖崇拝用の棚があり、その足元には五穀豊穣の神を奉り、メインの宗旨が仏教やキリスト教だったりするのだ。故に、異教徒であろうが良いと思われる物は巧みに採り入れ生活に反映させている。その際たるものが、ベトナム生まれのカオダイ教だろう。
宗教の良い所取りにかけては、ベトナム人の右に出る者はいない。以下はグーグル先生を検索して見つけたカオダイ教の概要である。

カオダイ教は、1919年、ゴ・ミン・チェンによって唱えられたベトナムの新興宗教である。五教(儒教・道教・仏教・キリスト教・イスラム教)の教えを土台にしたことから、カオダイ=高台と名付けられた。教義では、キリスト教的な要素、特に聖職者の階級制度を採用していると言われるなどカトリックの側面が見られる一方で、古来からの精霊崇拝の要素も見られる。一般信徒は主に白色のアオザイを身に着け、日に4回の礼拝を行っている。

天眼と呼ばれる目玉を「宇宙の原理」「宇宙の至上神」の象徴とする。この目玉はカオダイ教のシンボルマークでもある。
孔子・老子・釈迦・キリスト・ムハマンド、さらには李白・ソクラテス・トルストイ・ウィクトルユーゴーなどを聖人や使徒と仰ぐ。ホーチミン市から北西約100kmのタイニン省に総本山がある。信徒数は約100万から300万とも言われ、タイニン省の人口の7割、或いは3分の2がカオダイ教の信者だと言われる。

2月14日(水)  首相とオンライン対話
*Nguyen Tan Dung首相とオンライン対話の主催者は、政府のウェブサイトに寄せられた首相への16000件に及ぶ質問の内、113件を選出したと発表した。この企画は2月10日午前9時に開始され二時間に渡って行われ首相を中心に7人の閣僚が質問に答えるというものだ。政府ウェブサイトの編集長が司会進行役となり、首相に集まった質問をぶつけ首相以下各閣僚がテーマに応じて回答するという趣向だ。

特に多く寄せられた質問は次のとおり。

・     2006年度のベトナム社会経済状況の総括
・     2007年以降の安定した経済成長の見通し
・     汚職撲滅の傾向とその対策
・     住居・土地に関わる不動産政策
・     中央・地方全体の行政改革
・     教育・文化・健康の開発
・     科学技術力の向上
・     自然災害と病気の予防と処置
・     人生・仕事と社会政策

以下の質問はTuoi Tre新聞の読者と政府ウェブサイトに寄せられたものだ。

2020年にベトナムは産業立国としての地位を確立したいと考えているが、Nguyen Thy Nhanくん(26)は首相に対し、どんな産業をもって産業立国とさせるのか、亦、どのような計画があるのか知りたいという。Ho Thanhくんは政府が農業・僻地地域の安定した発展の為にどのような政策を持ち、都市と地方とのギャップを縮めて行くのか尋ねたいという。Nguyen Tan Vinhくん(25)は、メコンデルタ地区の輸出水産加工の開発で政府の計画を教えて貰いたいとする。
Truong Thi Nhungさん(21)は、ベトナムは外国投資を得るためなら、環境破壊に手を貸すのもやぶさかでないと政府は考えているのか?Mai Van Tuongさん(29)は、汚職を憎み嘆く者だが政府の政策に関し追求したいという。

(辛口寸評)
今回、首相と国民とのオンライン対話は、ベトナム版タウンミーティングと言ったようなものだが、団体主義の社会主義国に於いて行政の長が、オンラインであれ何であれ直接、国民と接点を持つなんて事は未だ嘗てない出来事であり、これも社会経済主義の進捗の表れのひとつと考えることができよう。尤も、日本のタウンミーティングが、予めマッチングされていたように、ベトナムの場合、ある程度「その傾向」があるのは致し方なかろう。質問内容は言うに及ばずその質問者の身辺・背景は予め把握されているとみるべきで、全てがシナリオに沿って進んで行くと思われる。筆者はこの事について善悪の二元論で語ろうとしているのではない。
団体の前において個人が無力な社会主義国の中で、今回の試みは今後のベトナムの将来を明るく暗示するものだと実は評価しているのである。

2月15日(木) ベトナム企業の海外上場
*ベトナム財務省は、シンガポール財務当局(MAS)と共に連携し、ベトナム企業をシンガポール証券取引所に上場させるための計画プログラムを策定したという。このプログラムは年内中にも二段階に分けて実行されるとのこと。第一段階は、ベトナムとシンガポール側双方でベトナム企業の上場手続きに関する基本的な条件と手順を二つのセミナーに拠って組織される。第二段階では、先に第一段階に参加したベトナム企業がシンガポールや他の国・地域の戦略投資家と会談を開くというものだ。

主催者によると、第一段階はハノイとホーチミン市に於いて4月上旬に開催予定で、第二段階はシンガポールで9月に実施予定との事だ。第一段階への参加希望企業は2月5日までに申請を済ませなければならない。申請窓口は国家証券委員会で電話番号は04-9340763または9340755まで。因みに、ビナミルク・FPTは2008~9年の間に海外の証券取引所に上場が見込まれている。

(辛口寸評)
急速な経済成長は実力ある企業を打上げ花火のようにあれよあれよという間にファイナンスの空を上昇して行く。記事に出て来るビナミルクはベトナム随一の乳業メーカーで資本金US99m$でホーチミン市・ハノイ・ダナンの3箇所に販売拠点を持ち、製造拠点は全国に9箇所にも及ぶ。コンデンスミルクと牛乳製品だけで国内シェアの実に6割を占め、輸出、特に中東向けは全体の90%にもなる。上場は昨年1月19日で、漸く満一年を迎えたところだが、ベトナム人の乳製品の消費量は年を追うごとに拡大しており、2005年時点では国民ひとりあたりの牛乳消費量は9リットルであったが、2020年には20リットルまで伸びるだろうと試算されている。
しかも、その時の人口は1億人を超えての話しなので、超有望市場を抱えていると云える。

同様にIT最大手のFPT社、こちらの上場は昨年12月13日だが、上場から僅か2ヶ月で株価は二倍に化けた。関連会社5社を持ち、各種ソフトウェア開発・各種データ配信サービス・通信機器(携帯電話等)販売を手掛けている。何れもドル箱で特にアウトソーシングに関して云えば、意外と知られていない事実としてインドに持ち込まれる下請け仕事の実に8割がここFPTに持ち込まれ処理されているという。今年からはIT技術者の育成と確保を目指した私立大学FPT大学を開校し、更にITのみに留まらず近々、証券業界にもFPT証券として進出する事が決まって下り、未来に向けて大きな可能性を秘めている。

ベトナム自体まだまだ証券取引の歴史は浅いが、将来に向け高い可能性を秘めた企業が目白押しで、資金調達の道が開ける事により、世界企業の足掛かりを作ることが出来るのだ。ベトナム企業の躍進はいよいよ次のステージに入りつつある。

2月16日(金) 四大銀行株式会社化ヘ
*4つの牽引的な国営銀行は、ここへ来て株式会社化への初めてのステップを踏んだ。つまるところこれら銀行は年内にはベトナムの証券市場に上場されることとなる。しかし、進捗は未だ遅く、株式会社化への詳細はつまびらかにされていないのが実情である。ベトコムバンクとメコン住宅公庫(MHB)の二行は今月末までに外国系アドバイザーを選定予定で、選定後、株式会社化に向けて3つの段階(国内市場並びに海外市場で社債或いは上場株として販売・戦略投資家を捜す・組織内改革)に分けて行うとベトコムバンク外国為替課のPham Thanh Ha課長はいう。アダバイザーはこれら3つのサポートに携わることになる。

ベトコムバンクは、二週間後に控えた旧正月までにはアダバイザーとの契約に漕ぎ着けたいと希望している。というのも、昨年7月に同行は約1.37tドン(US85.87m$)の社債を発行しており、株式については今年第三四半期までに証券市場に上場させる意向を持つからだ。今のところベトコムバンクからは可能性の高い戦略投資家についての詳細は公表されていないものの、Nguyen Hoa Binh頭取に因れば、選定条件は厳格に粛々と行うつもりだとの事。NHBの株式会社化については今のところ良好な状況にあると云える。

上場前の会計監査報告及び、政府ヘの最終承認を待つアドバイザーリスト提出は既に完了している。銀行専門家でMHBの上級アダバイザーのNguyen Duc Cuong氏は、ベトナム政府とベトナム中央銀行が各金融機関を尊重しアドバイザーの選定をあるていど自由に出きるようにすべきだという。尤も、その代わりの措置を講じる事は当然必要になるがとCuong氏は添えた。
NHBではアドバイザーの選定を2月末に完了予定と見込んで下り、株式会社化は今年上半期には終了させる方向で動いている。

ベトナム投資開発銀行(BIDA)とインコムバンクは残りの国営銀行で現在、株式会社化が急がれている。インコムバンクは、常任委員会を行内に設け同行の株式会社化への準備を行うと共に、2006年9月にベトナム政府へ提出した承認待ちの計画書に沿って同行の指導を行う枢密機関の役割を担わせている。同行は、現在、戦略投資家選定に向けて資産の確定を進めており、今年第四四半期にはIPO実施を視野にいれていると、副頭取のPham Xuan Lap氏は述べた。

同様にBIDVも既に株式会社化計画書を政府と中央銀行へ承認申請済みで、今年10月にも株式上場出来るよう希望しているという。同行は株式会社化の準備を進めており、戦略投資家についても既にあるていどの目星を付けていると、Tran Bac Ha頭取は語る。過去二年間で、BIDVは国際規約に則り不良債権を19.04%から9.1%に圧縮させている。もしIPOがなされれば、不良債権は更に5%以下に減少する見込みだと同行の取締役のひとりは断言した。BIDVは既に昨年3.2tドン(US200m$)の社債を発行し、これに拠り自己資本比率は9.6%に上昇、基本の8%以上をクリアーするに至った。

1月11日に行われた各銀行代表者会議で、Nguyen Tan Dung首相は各銀行の市場経済化の中での競争力を付けさせる為の株式会社化を急がせるよう指示を出している。2006年度の国民総生産は8.2%に上昇し、中国・インドに続くアジアで急成長著しい伸びを見せており、もしこのレベルを今後とも維持して行くのであれば各銀行は資源に資金の投下を促進し、処理能力の増大に寄与する必要に迫られるその一方で政府はインフラが求められる分野の産業に資金の投入をし続けて行くことになるだろうとDung首相は語った。社債や株式などの有価証券の発行が、今後の投資家を呼び込み、社会経済を推し進める重要な役割を担い、その為に政府も政策の改定など長期に渡り邁進して行くと首相の弁。

これら銀行株の上場後、国家は5割の株を所有する事になる。現在、外国人のベトナム銀行株の保有限度はWTOの約定に従い3割まで認められている。尤も、これらの銀行が上場後、市場に影響力を持ち続ける事が出来るかどうかは未定だが、競争原理の導入は歓迎する。ベトナムのWTO加盟は国内ローカル銀行にとって絶好の機会となるだろう。外国投資の流入・新しい金融商品の開発・国際規約の継承等が、結果的にベトナム金融システムの改革を余儀なくする事でしょうとインコムバンクPham Huy Hung頭取はいう。尤も、WTOへの加盟が一夜にしてローカル銀行を国際的な銀行に生まれ変えるもので無く、我々がその意識を先ず持つことで動き出すのは確かだとHung頭取は結んだ。

(辛口寸評)
公開前の銀行株が今とてもホットになっている。今回、記事で紹介した銀行は国営四天王と云われる大銀行で、以前から株式会社化が望まれ、そして計画も発表されていたがここへきて具体的な、日程も定まってきたようである。この4行の株式会社化の途上での不正は恐らくし難くなっていると思われるが、実は株式会社化が既になされた銀行では行内の職員に因る不正が横行していたのだ。具体的にどういう事かというと、未公開株の仲間内での価格の吊上げや、横流しに拠るものが多くこれまで放置されてきた。漸く、中央銀行がこれら不正を認識し、新株発行制限の規制に乗り出す通達を出した。とは言え、この放置状態も実質的には中央銀行も含めて彼らが稼ぐ為に黙認され続けて来た部分も相当あり、ある程度、食い尽くし旨みは無くなったので規制に出た側面も強いと云える。いずれにしても、諸手続きの透明性をより明かにする事が、ベトナムには求められているのだ。
   
2月17日(土)  それでもテトはテト、、、。
*旧正月(テト)にハノイヘホーチミン市から帰省をしようと旅費を見積もってみたところ、900万ドン(US560$)も掛かる事が判り、今年の帰省は取り止めホーチミン市の自宅で過すことにした。私と主人は僅か6日の休暇しかなく、私の実家の両親もテト明けにホーチミン市に我らを訪ねてくれることに決まったのだ。この決定は初め簡単に決まったように見えたが、テトが近づくにつれ私の気持ちの中に後悔の念が生じてきた。

私はハノイでの昔のテトにノスタルジーを感じている。厚手の赤いトックリに身を包み、鼻水の乾いた後でテカテカと光る袖に小さな手を露にしないようにして、毛糸の帽子を被り、冷たい空気が包む市内を歩き回った当時が懐かしい。Hang Buon通りではいつも飴玉やフルーツ、それに向日葵の種を買い込んでテト期間中、それらで我が家へ年始の挨拶に来るゲストたちに振舞ったものだった。

10年前のテトは今以上のワクワクしたもので、両親と兄姉たちは一緒に正月用チマキをこさえたり、その他の伝統的なおせち料理を準備したものだ。私を含む幼い妹たちの仕事はフルーツジャムや飾り用の花束を作って家族を手伝ったものだが、今はこれらを自宅でする事も無くなり、市場やスーパーで手軽に買えるようになってしまった。テト用に私の父は来る年の幸運を招くとされる正月飾りの金柑の木を剪定し人目に付き易いところに華々しく飾ったものだった。

年末テト二日前になると母は、緑色の大きな未熟なバナナの房やザボン・みかんなどを祖先のお供え物として買い求めた。そこにチマキ・スイカ・ビスケット・キャラメルなども一緒に添えた。父がそれら全ての飾り付けを取り仕切り、納得の行く構図になるまで何度も何度も並べ替えていたものだ。大晦日の夜になると深夜になるまえに私は自宅へ急いで戻ったものだ。何故か自宅以外で年を越すことに惧れを抱いてたのである。年が明ければ、顔見知りの年男を初の訪問者として招き入れ、新年の五穀豊饒と家内安全を祈念するものだが、我が家では父がいつも我が家の最初の客となったものだ。

父はネクタイを締め一帳羅のスーツを着込むと深夜0時前に街を年越しの挨拶に出掛け、0時前には自宅の戸口に立ち、家族に向かって新年の辞を述べ玄関に入った。それが住むと父は線香に灯を点し、仏壇に備えると家族全員集め父を先頭に新年のお祈りを捧げたのだ。正月三が日は、親戚や友人たちの家々を年始の挨拶回りに出掛け、それぞれの繁栄と健康を祝した。日ごろ互いの仕事で忙しくなかなか会えない親類や友人たちにとってテトの三が日ばかりは、それを償う日々でもあるのだ。

今年のテトをホーチミン市で過す私にとって、故郷の愛すべき人々との邂逅を図れないのは寂しい。では、ここでどのように過すかと云えば、ホーチミン市内に住む主人の家族と過すことになるけれど、故郷で親しんだテトとは明かに異なる。しかし、テトはテト家族と共に過すための買い出しにそろそろ出かけるとしよう。

(辛口寸評)
僕がベトナムに馴染む理由を挙げるならば、今のベトナムにおいて自分の子供の頃の原体験がそこかしこで息づいているからだと思っている。それは日常の生活の端々からも見出す事ができるが、特にテト時期になるとそれが迸り出るように一連のシネマトグラフのように繋がり、脳裏の皺の奥深くに眠ってた記憶が甦るのだ。ベトナムでチマキを作るのは、暮れも押し迫った大晦日二日ほど前からだが、北部にある家内の実家へ行くと家族総出で、その準備に取り掛かる。

ほぼ一日仕事で家族がそれぞれ持ち場があって、一致協力して仕上げて行く。翻って僕の幼い頃、やはり同じような時期に、餅をついていた記憶がある。家族だけでなく、我が家から嫁いで行った叔母たちが集まり、もち米を蒸して餅をつき、そしてお供え用の鏡餅や雑煮用の餅に形を整えていった。ついでにおはぎや草もちなどにして熱々のそれを食べるのが子供心に楽しみだった。

今、ベトナムの正月もどんどん都市化の波に浚われて伝統的な風景が徐々に過去の物となりつつあるという。得手勝手な意見は承知だが、便利さを優先する余りに、味気ない正月になってしまうことは避けて欲しいと僕はベトナムに想う。進化の一方で失われる古き良き時代をいついつまでも残し継承して行くと良いのだけれど、、、。
    
以上

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