韓国は、日本に解決済みの事案で「誠意」を求める前に、自国の「自己批判」をせよ!
「日本」は、既に誠意を見せている。何度も要求され、その都度、誠意ある態度で臨んでいる。
いつまでも寝言を繰り返しているのは誰なのか?よく考える必要がある。
「日本」に対し、まだまだ誠意が足りないと主張するなら、あなた方は「自国の歴史や制度について正しく検証し、自己批判する必要があると申し上げておこう!」。
その上で、「日本」が示す点で誠意がないと主張されるなら、それはそれで話し合えばよろしい。自らの自国の過去の制度や歴史について、検証も反省もなく、一方的に自らに不都合な点には全て目を瞑り、他人のせいに責任転嫁する思考論理で、国際社会の中において一人前の国家と主張するには、いささか恥ずかしいのではないか。
自国が、他国に支配された歴史、その過程で生じた様々な事案について「恥」の部分も含め、それが心理的な意味での汚点となり足枷になることは十二分に理解できる。
その点について被害者としての主張には異論はない。しかしながら、いつまで経っても、自らの制度や歴史に対する検証や反省を欠いたまま、他国を非難し続け、その上自分達に都合のよい、未来志向を掲げてみても何か生産的なことはあるのか?と問いかけたい。
一国を代表する指導者が、一度は「もう過去に拘らず、より大きな未来志向で臨もう!」と国内へ呼び掛け、良好な関係の構築を「日本」に対しても呼び掛けたことを忘れ、一方的に反古にし、自らの政治的立場が弱体化すると、票を稼ぐ目的で「反日を煽り、日本を非難する」ボルテージを上げる、というのは決してフェアーなやり口ではない。
だから、いつまで経っても、信頼できる関係を構築できないのだ。
国と国との関係を述べ立てるなら、「両国が交わした外交文書」を精査し公開すべきだ。
その上で、「日本」が「韓国」に対し、誠意がないと国際社会から非難されるなら、それは偏に「日本」の責任であり汚点といえよう。しかし、1965年に、日韓両国が締結した基本条約に基づき、「日本」は、「韓国」の求めに対し必要な謝罪、それに付随する支援を行い完了させている。政府の賠償と支援だけに止まらず、民間でも多様なビジネス交流を介し、様々な貢献を行っている。
この上、何を望むのか。いい加減にしろ!
日韓基本条約全体が不本意だというなら、それは自国(韓国)の問題である。すなわち「韓国」の国内政治の問題だ。そのことを検証せずに、日本を非難することばかり繰り返しやっているから、本当の意味での信頼醸成に基づいたパートナーシップを構築できないのだ。
歴史全体を捉えて言い始めたら、長い歴史の中で生じた様々な点について、「日本」にも応分の主張がある。隣り合う両国が、それを繰り返したところで、有効な未来へのパートナーシップは構築できないだろう。それを、ノ・ム・ヒョンは4年前、大統領に就任した頃、自ら主張したことを決して忘れてはならない。都合良く、自らの発言を修正することは、一国の大統領として恥ずかしいのではないか。余りにも「無原則」に過ぎるぞ!
引用開始→ 歴史問題「日本は誠意を」、韓国大統領が演説 (讀賣On Line)
【ソウル=福島恭二】韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は1日、日本による植民地支配に抵抗する「3・1独立運動」88周年記念式典で演説し、日韓の歴史問題について、「歴史的な真実を尊重する態度と、それを支える実践が必要だ」と述べた上で、歴史教科書や慰安婦、靖国神社参拝などの問題は「誠意さえあれば、いくらでも解決できる」と強調し、日本側の具体的な対応が必要との考えを示した。
盧大統領はさらに、米下院でいわゆる従軍慰安婦に関する公聴会が行われたことを挙げ、「日本帝国の蛮行を国際社会が許さないということを再確認できた」と指摘した。
(2007年3月1日22時0分 読売新聞)
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米国の連邦議会が公聴会を開いたということで、歴史的事実関係に対する、両国間の(解決)合意(基本条約)が否定されるわけではない。また、米国の主張が、国際社会で常に正しいわけではない。「反日であり、反米である、ノ・ム・ヒョンが、自らに都合の良い時だけ親米に転じたり、親日になるということこそ、政治家としての『恥』であること」を弁知せよ。
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