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2007/05/12

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第114号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年5月12日 土曜日 第114号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflag_88いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その114 今週のヘッドライン

* 5月07日(月) ザラバ方式延期とベトナム
* 5月08日(火) アセアン中国地域自由貿易協定
* 5月09日(水) 米産業界訪越の幻惑
* 5月10日(木) 国会議員選挙の進捗
* 5月11日 (金)   歩ける場所を確保して!?
* 5月12日 (土)  前副首相天皇陛下より叙勲

*  特別寄稿:「アジア通貨危機」回避に向けASEAN+3により、2000年合意の「チェンマイ・イニシアティブ」を発展させ、新たな危機管理の枠組みへ!

5月07日(月) ザラバ方式導入延期とベトナム
*ホーチミン市証券取引センターは5月7日より導入を予定していたザラバ方式を証券会社各社が新方式への対応が不完全であるとしてセンター長は先週、延期を決定した。チャン・ダック・シンセンター長は、新方式導入は延期が決まり、新たな導入スケジュールは現状未定としながらも、準備が整い次第 そうしたいと語った。新方式の導入延期理由は、新たに設立した証券会社の多くは技術的な面で対応準備がとれていないことに拠るとシンセンター長。先週、ホーチミン市において同センターと45の証券会社各社との会合が開かれ、内12社のみが新方式に対応して行くことが可能という結果が出たという。

シンセンター長は、今後、投資家がこれまでの板寄せ方式からより複雑なザラバ方式に対応出来るようトレーニングを提供して行くことになるだろうと述べた。4月中旬、ホーチミン証券取引センターは5月7日より、2度の板寄せ方式を一部維持しつつザラバ方式を打ち上げる旨、発表した。板寄せは第一セッションの始値と第三セッションの終値で起用し、第二セッションをザラバ方式で行うというもの。

(辛口寸評)
今回の延期、実にベトナムらしいパターンを久しぶりに覗かせて貰った心地がした。ここ数年は、如何にもベトナム自体が完全に生まれ変わったように、お金が無かった頃の泥臭さが消え、颯爽と資本主義経済圏に現れた白馬の騎士であるかのように経済発展の新風を巻き起こし、それが臭みを吹き飛ばし、新生ベトナムが我が世の春を大股で闊歩している。過去をほんの少しでも知る者としては、多少眉唾が過ぎているのではと感じつつも、物が溢れる街の様子、次々と建てられるビル群、そして、WTO正式加盟などを目の当たりにすると、さすがに「ベトナムはやはり変わったのだ」などと思いこむようになってきた。

で、今回の新方式導入なのだが、導入自体は良いけれど、鳴り物入りで発表し、蓋を開けたら、やっぱり出来ませんでしたという。
細かく調査もせず取り敢えず、出してみる。それで調子が悪ければ引っ込めるのは、他の国では考えられないのだが、ベトナムでは伝統である。今回は証券取引センターのチョンボで、やはり根底の部分でこの国はまだ変わっていないことを再確認する一方、ほっと少し安心もした。ベトナムが幾ら経済成長を押し進めようとも、この国がどこかの国のように息の詰まるような杓子定規の国になっては欲しくないからだ。

ところで、今回の新方式導入にはもう一つおまけがあった。ホーチミン市証券取引センターは、売買単位を10株からハノイ同様100株に変更する予定であったが、これも延期され、当面の間、これまで通り10株単位で取引が続けられることになった。筆者も所持する株を100株に揃える為に、随分、高掴みをさせられてしまった。
かと言って、今更どうすることも出来ないし、ましてや取引センターなんぞが責任を持ってくれるわけでもない。ベトナム株を楽しむ者は、これもリスクの内と織り込むべきなのだろう。

5月08日(火) アセアン中国地域自由貿易協定
*アセアン近隣諸国や中国からベトナムに輸入される品々は、5月1日より優遇輸入課税の適応を受けることになる。新たに適用された関税タリフでは多くのカテゴリーで様々な分野の輸入品に対する輸入税引き下げが、アセアン・中国地域自由貿易協定(ACFTA)に則り行われるのだ。全ての輸入税の引き下げは、協定で定められたロードマップに従い段階的に実行され、優遇課税はその内のひとつなのだ。長期的には、アセアン諸国並びに中国からの輸入税は、0~5%まで引き下げられることとなる。

中国・タイ・シンガポール・フィリピン・ミャンマー・マレーシア・ラオス・インドネシア・カンボジア・ブルネイからベトナムに輸入される全ての品々に優遇輸入課税の適応がなされる。優遇課税の適用を受ける品々は、輸出国から直接ベトナムへ輸入されるもので無ければならず、原産地証明の他、要求された公的書類を整えなければならない。又、財務省は中国からの輸入自動車の税額を引き下げる旨の発表をし、バン・ピックアップ・ローリー並びにその他の車種で5トンを超えないものは90%から80%になるという。6トン以上のローリーは現行の55%から50%に引き下げになるという。スノーモービル・ゴルフカート・ゴーカートのような特別な車の税率は、50%から40%へ引き下げられ、自家用車については従来通り80%のまま据え置きとなる。

(辛口寸評)
日本政府がボヤボヤと態度を決めかねている内に中国がアセアンの取り込みを周到に始めてきた。80~90年初頭まで、中国はアセアンに対し武張ることで圧力を掛け続け、特に南シナ海での石油権益が絡む領海権を主張してきた。アセアン加盟諸国が中国にクレームを付けたところで、戦闘艦など派遣し、力のない正義は無力なりとばかりに強引に自国の領有物として実行支配していった。ところが、この力のバランスが脆くも崩れ去ったのは、アセアンがベトナムをオブザーバーとしての参加資格を与えた1992年の頃だ。この辺りの経緯は以前、何度か記事の中で説明しているのでここでは割愛するが、要するにベトナムがアセアンの仲間入りしたことが中国にとって逆風となったわけだ。アセアンにとって膨張主義を掲げてきた中国は歴史的にも現実的にも驚異である。他方、ベトナムにとっても中国は彼の国から完全独立以来の伝統的仮想敵国で、事実、中越戦争の傷も癒えていない生乾きの関係が続いていた。

アセアン諸国とベトナムが手を握るということは、とりもなおさず、対中国を意識した包囲網の形成だったのである。そこへ来て、更に中国を孤立化させたいアメリカの思惑がベトナムとの関係回復を促し、加えてベトナム自体、90年後半から現在に至るまでの間、驚異的な経済成長を見せ、中国はアセアン諸国との懐柔策を取らざる終えなくなったというわけだ。中国首脳部の賢さは、アセアンを取り組む為に単にODAのばらまき援助だけに留まらず、本来、嫌々路線変更するしかなかった軟派な懐柔策を逆手に取り、日本に先駆けてアセアンと自由貿易協定を結んだことである。本来、アセアンとしては、人畜無害の日本とこれを真っ先に結びたかった。しかし、日本はアメリカの意向を恐れるが余り、旗幟を鮮明にせず、結局、中国が出してくる好条件を拒む論理的理由も無いので、押し切られる格好で協定を結んだというわけだ。日本政府も現在、協議中ではあるらしいが、中国に遅れをとり、既に遅きに失した感があり、鳶に油揚げをさらわれたのは何とも惜しいことである。

5月09日(水) 米産業界訪越の幻惑
* 一昨日、グエン・タン・ズン首相はハノイに於いてアメリカ産業界の指導者で構成された視察訪問団の歓迎会を開催した。視察訪問団はベトナムでの投資機会を探る為にやってきたもので、ボーイング社・チェヴロン社・コノコフィリップス社・エクソンモービル社・フォード社・ゼネラルエレクトリック社・IBM社・アボット社・ヒューレートパッカード社・シティーグループ社・タイムワーナー社からの代表者が含まれていた。首相はアメリカ・アセアンビジネス協議会に対し、今回の訪問団を組織したことへの謝意を示し、アメリカ産業界が、ベトナムが伸びゆく経済の中で、事業と投資を拡大する強固なプラットフォームを備えたWTO加盟国と認識する事を強く希望した。

アメリカ産業界指導者たちはベトナムでのビジネス活動に興味を示しているものの、しかし、ベトナム政府は引き続きベトナムでのビジネス環境の向上を図ることを要請し、ベトナムがこの地域での主要投資国になるという共通認識を持つように求めた。訪問団の滞在中、彼らはベトナム外務省とアメリカ・アセアンビジネス協議会主催の“アメリカビジネスの明るい未来、それはベトナム!”と名付けられたフォーラムに出席した。亦、訪問団は、ベトナム政府オフィシャルたちと戦略開発・貿易政策・行政改革・法整備・WTOでの約定ごとの実行方法などの意見交換で議論に花を咲かせた。

(辛口寸評)
アメリカにとって、ベトナムは対中政策上、戦略的に重要な国であることは以前も述べた。とはいえ、アメリカも出来ることならベトナムを牽制し、米中の間で戦略的キャステウィグボードをみすみす握らせ、漁夫の利を得る立場に置きたくない。故に、ベトナムが最も欲しがる外資を餌に、経済的側面でベトナムをアメリカに隷属させるのが狙いなのだ。ベトナムの中にいて、筆者が今、強く感じることは、最近のベトナム証券ブームである。このブーム自体、アメリカの仕掛けた罠に思えてならない。ベトナム株をやるベトナム人のうち株の知識が全くないのが一説では9割になるという。ただ、単に新たな博打を公営で提供して貰ったくらいにしか考えていない人たちで構成されていると思って間違いない。

先ず、投資という撒き餌で獲物を寄せ、さんざん美味しい思いをさせたのち、一気に脆弱なベトナム経済を仕留めるのが狙いだ。
要するにアジア通貨危機の再来の画策が裏で静かに進行していると考えるべきなのである。アメリカは日本と戦争するために日清戦争二年後には日本を仮想敵国としたオレンジ計画を1897年に策定し、50年後にそれを実行させている。長期展望に立ち着々と布石し、詰め将棋を仕掛けるのは、アメリカのお家芸であることをベトナムは忘れてはならないし、この国の指導者は目先の利得で動いてはならないのだ。

5月10日(木) 国会議員選挙の進捗
* 国会下院議長兼選挙管理委員長のグエン・フー・チョン氏は、日曜日にハノイにおいて次期、第12回国会議員選挙の進捗度合いを査察した。チョン委員長は、ハノイ市の選挙に対する選挙民の意見集約・選挙の幅広い告知・選挙の安全運営・候補者や選挙に付随したクレームの解決などきちんと対応しているとして褒め称えた。
ベトナム政治・経済 そして文化の中心であるハノイの選挙への取り組みが国全体を映し出す鏡であり、故に首都ハノイは襟を質した選挙ルールを厳格に守り、候補者の情報を余すところ無く提供し、選挙民が正しい判断で選挙に参加出来るように民主主義の原則を貫かねばならないとチョン委員長。ハノイの選挙民は、1964箇所の投票所で21名の代表を選ぶことになるが、現在37名の候補者で議席を争っている。

先週末、下院副議長のグエン・ヴァン・イユ氏も北部山岳地域にあるカオバン省を訪問し、選挙の進捗状況を視察した。カオバン省では前回選挙時より15箇所多い1120箇所の投票所を設けた。
自治体の文化・情報窓口では選挙広報を地元に住む少数民族の人々にも参加を呼びかける為にモン語やダオ語でのキャンペーンを行っている。ベトナム各自治体でも選挙準備に忙しく取り掛かっているところだ。激しい土砂降りにも拘わらず、200名以上の選挙民がタンフォア省の18の区や村から集まり昨日、候補者との会合に出席した。タンフォア省祖国戦線のハ・ヴァン・トン議長は、全29名の候補者が今週金曜日までの選挙運動期間中に毎日、公聴会を開く計画をしていると語った。

タインフォア省選挙委員会のグエン・ドウック・タン委員は、タンフォア省は省内に住む約240万人の選挙民に候補者情報をあまねくもたらせるよう人材面及び資材面、双方を持って対応すると決意をあらわにした。南部アンザン省の僻地ティンビエンとチトン両区域は約90万人のクメール系ベトナム人が暮らしている。内5万人が選挙人名簿に登録されている。そこのヴァンザオ村の男性チャウ・クエンさんは5月20日の投票日が今から待ち遠しいと語り、彼は最も才能があり地域住民の生活の向上を目指してくれる候補者に投票するのだと述べた。

(辛口寸評)
政治の中枢にいる人々や共産党員などは、選挙となるとお祭りの賑わいを呈するものの、一般庶民の政治に対する意識はそれほど高くない。それに実際のところ、誰が議員になっても既に選挙の前から、名簿に拠る絞り込みが済んでいるので、共産党にとっては、誰がなっても当たり障り無いのである。そういうからくりが国民の中に浸透しているので、それも手伝って投票への足が遠のくということもあるようだ。国としては社会主義国を標榜する立場上、実際の投票率を発表することは先ず無いが、ニュースの記事で書かれているような盛り上がりは左右に見られない。折角、将来の多党制をふまえた布石となる国政選挙なので、もう少しベトナム庶民層には関心を持って欲しいものだ。

5月11日(金) 歩ける場所を確保して!?
* ハノイの通りをゆったりと歩きながら街の風景や音を楽しみたいと思いませんか?残念ながら、どうやらこれはハノイの通りについては幻想にしか過ぎないようである。散策は最も環境に優しい移動方法である一方、ハノイ住民は歩から次第に遠ざかっているという。
彼らはどちらかといえば、バイクタクシーを利用した方が良いと考えているのである。「ホアンキエム湖の畔を散策しながら物売りの人々やエクセサイズに興ずる人々、それに若いカップルを眺めるのはとても素敵」というのは若い公務員でこの辺りを毎日行き来するゴック・チンさん。「もし、バイクで通勤していたならきっとこのような観察は出来ないでしょう。」と彼は言う。多くの他の人々もチンさん同様の考え方をし、歩行は最も経済的な移動方法と認めている。それに必要な燃料は食べ物の接種であり、体内エネルギーを燃焼させてその力を生み出すのだから。

ベトナム登録選別統計局の試算に拠れば、1996年から2006年までの間にこの国のバイク数量は420万台より1800万台に達しているという。ハノイだけで見てみると、1000人に497台のバイクがあることになる。バイクがほとんど全ての歩道を占有し駐輪場化しているせいで、安全な場所は無いと前出のチンさん。それに通りを歩くのは逆に可笑しいと思われ故に歩行者はしばしばバイクタクシードライバーに奇異の目で見られたり、乗って行かないかとしつこくつきまとわれるのだ。悪いことに、バイカーたちは歩行者よりも道路上の優先権を持っていると考える人々が多いのだ。例えば、歩行者用路側帯が無いキムリエン交差点でアメリカで有名な人工知能の権威であるマサチューセッツ工科大学名誉教授シモア・パパート氏がバイクに撥ねられ重傷を負ったことがあった。皮肉にも教授が事故に遭った際、彼はハノイの混乱した道路事情をコンピュータ管理で制御する事が出来ないかを同僚との議論の最中だったという。

地元住民の多くは乗り物が常に行き交うハノイの通りを歩くのはリスクが高いと考えており、歩行者がキンマ通りをゴックカン通りを短い時間で急いで横切らなければならない一方で、その通りは長い。結果的に、ゆっくりしか歩けないお年寄りなどはしばしば、車の行き交う道の真ん中に取り残されている自分を発見することになるわけだ。ザイフォン通りに住む、グエン・ティ・ハさんは毎回、キンマ通りを横切る時には寿命の縮む思いをするという。故に今は彼女がそうするのは通りが静まった夜間だけなのだと話してくれた。ハノイで歩行者に優しい通りは日増しに少なくなって来ている。歩道には屋台が出されたりバイクの駐輪場とされたり、店先の棚代わりに使われ、歩行者は通りに押し出される格好となっている。

「もし私が歩いて出掛けるなら、車道を歩くことになります。以前、歩道を歩いていたらバイクがぶつかってきて足の骨を痛めました。それ以来、どんな近場でもバイクで出掛けるようになりました。」とカウザイ区在住のチャン・ハイ・ミンさん。7ヶ月前にハノイへ駐在員としてやってきたドイツ人メルヴィン・オリヴァー・シュナイダーさん曰く、これまで頭に納めてきた交通ルールがここハノイでは役立たないことを思い知らされたという。一方通行の通りの逆走を始め、無理な割り込み、時間短縮の為にはどんな違反も辞さない人々の交通意識には呆れていると語る。「環境や健康にも役立つ歩行が減少しているのは、早朝のジョギングを除き悲しいことである。ハノイは、私が知る都市の中で最も美しい都市のひとつであり、道路でも歩行者に気を使うゆっくりとした優しい街になって欲しいと願っているのです。」とメルヴィンさんは結んだ。

(辛口寸評)
毎朝、筆者は健康維持の為、4時に起床し、5キロほど歩いている。以前は自宅中心に円を描くようなコースを歩いていたのだが、今は近くの公園の中のリンクをぐるぐる回るようにした。何故ならば、如何に早朝といえども道を歩くのに何度か身の危険を感じたからに他ならない。先ず、ベトナムの場合、特に都市部においてはトラックやローリーなどの大型作業用自動車の日中の乗り入れが制限されている為、夜間の内に移動が集中する。確かに早朝はバイクや普通自動車などの車両は少ないといえ、その分、大型車がものすごい勢いで駆け抜けて行き、その風圧に吸い込まれそうになることがしばしばあった。

そしてもうひとつの問題は、別に身に降り掛かるリスクとは言えないまでも、精神衛生上、宜しくない事象との毎度の遭遇だった。それは歩道を占領する朝食の屋台の存在とそれらの客たちである。人が通るための歩道にまるで我が所有物であるかのように店を開き、折り畳みのテーブルにプラスチックのイスを起き、そこへ客たちがバイクで集まり、バイクを歩道上に停め、朝餉をとるのだが、はっきり言って邪魔で仕方がないのだ。そんな光景が10メートルごとに見られ、そのたびに歩道から下りて車道を歩かなくてはならず、全く迷惑至極なのだ。もちろん、屋台はベトナムの風物詩と呼べるもので、以前から屋台風景は見られたが、昨今のバイクの増加 それに経済発展に拠る、外食層の増加需要を満たすため屋台も亦、増加しているようで、歩くのもままにならなくなって来て、結局、公園で詰まらぬリンクを繰り返し回りながら、距離を稼いでいる次第なのだ。何とかならないのかな~~。

5月12日(土) 前副首相天皇陛下より叙勲
* 前副首相を務めたヴー・コアン氏が、昨日、東京で天皇陛下より旭日大綬章を授けられた。外国人に与えられる最高の勲章は、日越関係強化に人力を尽くしてきたコアン氏への感謝を表して渡されたものである。コアン氏は在任期間中、二国間の間の1992年のベトナムへのODA再開を進める交渉の場で重要な役回りをこなしてきた。今回、コアン氏の授賞はベトナム人オフィシャルとしてファン・ヴァン・カイ前首相に続き二人目となった。

授賞式後の挨拶で、コアン氏は今後の越日関係の全ての分野での発展・繁栄に前向きであると述べる一方で、経済協力協定を締結して行くために両国の指導者たちは定期的に会合を開くことが必要であると指摘した。授与式後、授賞記念式典が皇居にて執り行われた。

(辛口寸評)
今回、在外外国人の旭日大綬章叙勲者は7名。その内、アジアからの授章者は3名。先ずインドネシアの元外相アリ・アラタス氏。叙勲理由は両国友好親善と日本の国際的地位向上に寄与。次に韓国の元経済人連合会会長(我が国の経団連のようなものか?)で、現東亜製薬㈱代表理事会長のカン・シンホ氏。叙勲理由は日韓両国経済の緊密化に寄与貢献。
そして最後に、今回の記事の主人公、ヴー・コアン氏。元副首相・商業大臣などの要職を歴任し、現在、首相顧問の肩書きを持つ。天下のご意見番といったところか、、、。叙勲理由は、記事よ多少ダブるものの両国経済の緊密化と友好親善に寄与。
因みに、旭日大授章受賞者の名簿の中には、前国連事務総長のコフィ・アナン氏の名も見られる。何はともあれヴー・コアン氏の今回の授章に謹んで祝意を表したい

(了)

「特別寄稿」:ASEAN地域経済研究者氏より

「アジア通貨危機」回避に向けASEAN+3により、2000年合意の「チェンマイ・イニシアティブ」を発展させ、新たな危機管理の枠組みへ!)と題した投稿を読者のASEAN地域経済研究者氏より頂戴いたしましたので、以下、掲載致します。

投資・株ブームなど、昨今 諸外国から熱い眼差しが注がれている当該国ですが、現在、目先の繁栄は”外国との経済戦争”の幕開けと理解すべしとの警鐘が、聞こえてくるような激烈且つ、的確な観察眼に改めて当該国の本質に触れさせてもらいました。今回、ベトナムニュース読者の皆さまに原文を再校正し、書き下ろして頂きました。ここに改めて感謝申し上げます。

掲載始め======================
*現在、ASEAN各国の認識としては、通貨危機が発生するなら、ASEAN内で台頭する一国だろうとの懸念があるようです。
想定される国は、工業発展の度合い以上に、短期利益を求め流入する外資(短期国際資金=株式投資資金)により、証券取引を含めた資本市場での影響を強く受けており、現状では、過剰流動性が極限化しようとしています。このお零れにより、想定される国の国内消費は猛烈な勢いで伸びていますが、その多くは、流入した外資の余剰資金(のお零れ)によるわけです。しかも、外資が提供する商財購入に充てられ費消され、別の形で外資により回収されています。また別の面では、経済力との対比において、度過ぎた土地価格の高騰が生じています。この現象は正常な経済(実体を伴う国内生産力)を繁栄しているとは言い難い状況と見受けてます。

勿論、想定される国の首脳を支える官僚たちは、自国経済が基本的な成長軌道を描き続けるとの前提で、あらゆる経済政策を施行している筈ですが、世の中、そう思いどおりには運ばないのが人の世の常というものです。いわんや経済運営は思いどおりには運ばないと考えておくべきものです。1997年に生じた「アジア通貨危機」は、タイ・バーツの暴落により発生しました。なぜ暴落したか、米国のヘッジファンドに狙われ、売り浴びせを受けたからですが、それは表面上の問題であり、本質的な原因は別にあります。当時のタイは、急激な工業化政策を進めていました。流入する外資(多国籍企業)を積極的に誘致するため、米国の勧めを素直に受け入れ「金融の自由化」を行いました。この波を受け、世界中で余りきった短期国際資金が、雪崩のようにタイの金融市場へ押し寄せました。

押し寄せた資金の殆どは「短期国際資金」です。それをタイの金融事業者は借り入れ、何と「長期資金」としてタイ国内で貸し出したのです。輸出が順調に伸び外貨収入が潤沢であれば、次々流入する「短期資金」へ、ヘッジし続けることができますから、何の問題もおきませんが、一度輸出が陰りを見せると、タイの外貨準備高は一気に低下します。それにより、国の経済力に対する信認の低下を招きますから、利益に目聡いヘッジファンドが見逃すわけはありません。貸し付けた「短期国際資金」の借り換えはおろか、一気に引き上げへ廻り、回収を急ぎました。そうなると新興国のタイ・バーツは外国為替市場での信認を低下させ、いきなり売り浴びせを受け「アジア通貨危機」の引き金となりました。瞬く間に、同様の体制を敷いていたインドネシアへ飛び火し、時を移さずASEAN諸国を巻き込み、国際資本との戦争状態に陥ったわけです。

想定される国は、金融を自由化していません(実験的途上です)。
株式市場における証券取引にも、様々な規制を課しています(実験的途上です)。この規制の恩恵を受け「株価は高止まりしている」とも指摘されています。外国人投資家は、いきなり膨大な投資をすることができない仕組みになっています。しかしながら、「短期国際資金」は儲けが消えるとなれば、多少の損害には目を瞑り一気呵成に資本の引き上げを始めます。そのとき、高値の株価は一気に暴落し紙くず同様になるわけです。その紙くずを握らされるのは、遅れて参入する、ささやかな小金持ちの人たちだろうと思います。想定される国で、何よりも高騰を続ける株式の最終的な引き受け手(本当の意味での引受人)はどこにいるのでしょうか。本来、産業基盤と社会基盤に充てる上からも不可欠な国内債券市場の創出は遅々として進んでいません。

貯蓄性向が若干改善した程度で、基本的には弱含みのままです。
「金」と「米ドル」の箪笥預金が未だに高貴な位置にあり主軸を占めています。この状況で、資本市場における資本取引である証券売買について根本的な知識を欠いた人たちが、外資(短期国際資金)からヘッジされ押しつけられていることを見抜けないまま、熱病に浮かされたように、毎日「株式市場へ参入」しています。本来の、目的と完璧にズレた指向をするのが、想定される国の人たちの特徴でもありますが、実に嘆かわしいことではないかと先行きを案じてしまいます。外貨準備高は、100億米ドル程度に過ぎません。最大の貿易相手国は、日本であり米国です。日本の輸出相手(稼ぎ頭)は米国です。米国の消費環境が変われば、日本の景気も変わります。同様に想定される国の対米輸出も減少に転じます。そうなれば一気に外貨準備高の激減を招きます。

想定される国の、官僚は、純粋で純朴ですが、国際経済と多国籍企業、また当該地域の産業発展や分業体制を含めた、域内における貿易と為替の連関性について十二分に理解しているとは言い難いように見受けます。その点で、クライシスが生じた時は、脆いのではないかとの見方が一方にあるのです。日本の経験を紐解くまでもなく、「ささやかな小金持ちが、自らの小金を大きくしようと、あらぬ知恵を動員し参入し始めたときが、最も警戒を要する時点であり、その決壊点へ急激に進んでいるわけです。」金融当局はどう考えているのか分かりませんが、よく言えば鷹揚であり暢気なように見受けます。
一部の金融関係者は、少し過熱気味の状況に危機を感じ始めています。貧困に喘いだ国が、外国資本を導入し、工業化する過程で生じる通過儀礼とも考えられます。その点から、京都で「アジア通貨危機」の再来を未然に防ぐ仕組み「チェンマイ・イニシアティブ(二国間協定)」を発展させ「多国間協定」へスイッチする取り決めるアジア開発銀行を軸にした会議が開催されたというわけなのです。
=======================掲載終わり
以上

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