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2007/06/02

ナマのベトナムが分かる、週間ベトナムニュース第117号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年6月02日 土曜日 第117号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflag_92いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その117 今週のヘッドライン
* 5月28日(月) ベトナム鉄道事業 出発進行!
* 5月29日(火) ホーおじさんの教えを守ろう
* 5月30日(水) 誘拐後18年目の里帰り
* 5月31日(木) 今年5ヶ月間の外国直接投資実績
* 6月01日 (金)   2007年 鳥インフルエンザ現状
* 6月02日 (土)  ベトナム債券市場の魅力

* 読者のコメント(在越日系企業管理職氏より)

5月28日(月)  ベトナム鉄道事業 出発進行!
*ベトナム鉄道公社は今後2010年にかけ、首相に承認された計画に沿って継続的に鉄道事業の近代化に着手するという。計画の下、公社は国内外の投資家たちと協調し、国内の港湾・鉱山・工業団地・経済地域を結びつける軌道建設をするというもので、2007年から10年の間にその事業に投下される資金は凡そ、14兆6000億ドン(9億1250万米ドル)が見込まれているが、これには管理費や鉄道整備維持費、それに鉄道開発プロジェクト費用は含まれていない。

鉄道近代化計画は、ハノイ・ホーチミン間やラオカイ・ハノイ・ハイフォン間の戦略的高速鉄道化並びにドンダンーハノイ間の改修事業に焦点を当てた投資を呼び掛けている。また国内外の資源を利用し、鉄道技術者や管理者を養成して行く。新計画では都市に他のとハノイ郊外を結ぶ多機能サービスを目指したイエンヴィエン・ゴックホイ郊外高架都市鉄道構想も含まれている。ベトナム鉄道公社は2010年までに年間2070万人の乗客と1401万トンの貨物輸送を目指すとしている。

(辛口寸評)
個人的な話でなんだが、初めて家内を東京に連れていった時、都内の移動は地下鉄を始めJR・私鉄などに大層 世話になった。
その時、家内が何気ない一言を漏らしたのを筆者は今も忘れない。
「サイゴンに地下鉄があれば、バイクが要らなくなるでしょう。」と。
12年前の話ではあるが、今日 街にはあの頃以上のバイクが溢れ、しかも自動車が幅を利かせつつある現状、家内のあの一言はより現実味を帯びて来たといえよう。

ベトナムの場合、地下鉄もさることながら、先ずは既存のハノイ・ホーチミンを結ぶ幹線鉄道のアップグレード化と新式車輌の投入が急がれる。ハイスピード化も順次、積年の努力の結果、随分改善され、10年前までハノイ・ホーチミン間片道3日掛かっていたものが、1日と5時間ほどで結ばれるようになったが、まだまだだの状況で、本格的な海外からの資金調達と技術導入が急がれる。是非、ベトナムにも新幹線を売り込んで欲しい物である。

5月29日(火) ホーおじさんの教えを守ろう
*ホーチミン主席はいつも他人に気を遣い、彼自身は独立を勝ち取る為の闘いが最優先事項であった。人民は彼の優しさや人生に対する東洋的思想を覚えている。そして彼は個々の人々に希望を持ち続け、単調な彼の人生と典型的な道徳感は今もベトナムの将来への羅針盤として機能している。元ホーチミン主席のボディーガードを長く務めたファン・ヴァン・ソアン少将は、ホーチミンおじさんの道徳観を促進させる政治キャンペーン活動は、全てのベトナム人に歓迎されるもので、国民(特に若い世代の)を現代社会に於いて、祖国に対する責任と倫理観を向上させる上で、奨励されるものだという。そして、ソアン少将はこのキャンペーンを長期に渡り続けて行くことで全てのベトナム人が、ホーおじさんを模範に襟を正し、汚職や不正に立ち向かうよう感化されるだろうとする。共産党党員及び政府職員たちは、ホーチミン主席の敬虔なる僕として国民の範となるべきであるとソアン少将は続け、このキャンペーンが立ち上げられたことを喜ぶ反面、もっと早い段階に行うべきだったとの考えを示した。

どのようにすればホーおじさんのモラルに近づけることが出来るかとの問いかけに対し、ソアン少将曰く、1992年に彼は現役を退いたがホーおじさんの次の言葉を思い描いたという。「気丈な精神と丈夫な身体があるうちは、どこまでも国家に尽くすべきである。」退官後、ソアン少将は、警備サービスを行うロンハイ会社を設立した。「我々は、国家に対し職業的警備団を工場・団地・銀行・学校等に供給することでベトナムの安全を図って行くのです。それとは他に、私はライフガードを人々に教える為の一ヶ月短期コースを運営しています。そこでは私がホーおじさんから習った様々な多くの物語を語って聞かせるのです。私の会社で働く3000名の従業員は今では、敬虔なホーチミン主席の僕となり、仕事に対し高い使命を持ち働いていてくれます。」とソアン少将はいう。彼の従業員のグエン・ヴァン・ティンさんは昨年 ホーチミン市のトレードセンターで起きた火災で勇敢にも20名の人々を救出した。

元首相のヴォー・ヴァン・キエットさんは、ロンハイ社の従業員は常に人々への奉仕を心懸け他の模範となる活躍をしていると語る。ホーチミン市グエン・チー・ミン・カイ通り92番地に住む、チャン・ダック・チュンさんはタンフー地区での道路拡張工事でもめ事が少なく済んだ行政改革の模様を語ってくれた。実際、タンフー地区への公共事業は100本以上の新しい道路建設と交差点の設置事業を速やかに行うものであったが、ことは簡単には進まない。何故ならば大胆な立ち退きを該当住民に迫らなければならなかったからだ。「郊外化はタンフー地区の社会経済発展にとって早急な課題だが、国家予算だけに頼っていたとしたならば事業は遅々として進まなかっただろう。」とタンフー担当職員のフィン・ヴァン・ハンさんはいう。

「この問題を解決するには、地区の人々に参加を呼び掛けることだとし、政府職員が先ず良き見本を地域住民に見せ、この案件に関係する全てのものについて地域住民たちとの話し合いを開き、彼らの協力を得て実行に移すことにしたのだ。「タンフー地区での経験はホーチミン主席のイデオロギーに則ったもので、我々は自分自身に先ずどのように地元の人々と接するべきかを学ばなければならず、彼らの問題や如何に生活の向上を図って行くかを共有する事が大切です。ところが、現在 この考えを実践しているところはほとんどありません。」とハンさん。

ハノイのトウェ・ティン通り34番地に住む、グエン・ドック・ロンさんは革命的芸術家のフィン・ヴァン・トオアン氏が彼の自宅と自動車を迷うことなく政府に二度に渡り捧げたことを今も覚えている。(トオアン氏はベトナムのお札に描かれているホーチミン主席の肖像画を作製した画家として知られている。)一度目の引っ越しは1975年、南ベトナム解放後にトオアン氏は先ず自宅を提供し、30年後に彼はサイゴンに戻り、南部芸術院の主幹を務めた。彼は北部に異動が決まると政府より市中心部のビラを住居として与えられたが、直ぐに自動車と共に返却し、小さな家を借り家族と共に住んだのだ。
二度目の引っ越しは、ハノイのタイソン通り237番地の自宅からタンロン国際ビレッジにある小さいけれど瀟洒なアパートに移るものだった。そこは、景色に恵まれ自然と調和し、ゆったりとしたスペースが取られた素敵な住宅街だった。トオアン氏は、ホーチミン主席の態度に感銘を受ける一方、多くの共産党員や政府職員たちは国から貸与された家の名義を自己所有にしようと躍起になっている姿を目にし悲しかったという。

ホーチミン主席を模範にするには多くの方法がある。ハノイのドンダ区に住むチャン・ティ・フオンさんに因れば、全てのベトナム人は一日一善をしましょうという。例えば、彼が務める会社の従業員は公共の場所での禁煙や遅刻をしないこと そして勤務時間中は私語を慎むことと言った厳しい規則に従わなければならないのだ。
故にキャンペーンがより活発になってこれば、多くの従業員は規則に従うようになるだろうとフォンさん。ハータイ省ハドン市に住むグエン・ゴック・トウェンさんは、ホーチミン主席がバーヴィー区のドンヴァンの丘に植樹した話を思い出したという。1969年、テト祭りの記念植樹を立ち上げたホーおじさんはヴァトライ村ドンヴァン丘に住むキン老人の自宅を訪ねた。「あの頃 ホーおじさんは少し弱っているように見えました。植樹が終わると地元の人々は気を遣いホーおじさんに水量を少なくしたじょうろを手渡したのですが、「ほんの僅かな水では木は成長しません。」と悲しそうに人々に諭したという。この様子は地元民の間で世代間で受け継がれ、今も春が来ると人々の話題に上るそうだ。「ホーおじさんのお陰で、我らの村は美しい景観が生まれ、多くの木立に誘われて観光客が訪れるようになったのです。」とキンさん。

ホーチミン主席を模範にするキャンペーンの立ち上げは昨年下旬、政治局によって立ち上げられた。この目的は伝統的な道徳観念・倫理・人生観の復活と汚職や無駄遣い防止を促進させる為の他、ベトナム人の中で社会主義に則った生活態度を開発させ、進歩的な社会を創造する事にあるのだ。常任委員会がキャンペーンを指揮する為に4年前の共産党設立記念日の2月3日に立ち上げられた。この委員会には14名のメンバーが共産党書記長のノン・ドック・マイン氏の指導力の下で活動を起こしベトナムの道徳復古に邁進しているのだ。

(辛口寸評)
はっきり言って、ホーチミン主席が目指したベトナムの国造りと現状との乖離を一体、我々はどのように説明したら良いのだろうとしばしば思う。最も一外国人の筆者が憂うことでも無いのだが、ベトナム人の家族や親戚を持つ身となると、他人事には考えられない。良く知られていることだが、ホーチミン主席は元々、民族主義者であって社会主義者では無いということだ。彼が活躍した時代、歴史の悪戯により本来、アメリカ型社会を軸にベトナムの独立・自由、そして幸福を勝ち取るべく画策したものの、当のアメリカから袖にされたので、結果的にソビエトや中国にベトナムの将来を託すしたわけだが結果として、その代償は共産国家の一員として国体を護持するほか残された道は無かったのだ。(もちろん、それ以前にコミンテルン活動をしているので、共産国家の酸いも甘いも噛み分けてはいた。)

それでもホーチミン主席の偉さはやはり、一旦、宗旨替えを決めた後は共産国家建設を民族主義を根幹に据えベトナム国民を纏め上げ一致団結し、推進させたことである。そして彼の生前、このシステムは概ね良好に機能したのだが、死と共に民族主義ベースであったものが政治から外れ、共産党の独断専横を許すことになってしまったのだ。ハノイへ行くと有名な観光地のひとつにホーチミン廟があるのだが、そもそもホー主席自身、あのような飾り物になることなど全く希望しておらず、否、嫌悪感さえ抱いていた。それが彼の死後、後継者たちが示し合わせてあのように祭り上げてしまったことが、後継者の当時の気持ちを如実に物語っていると云えよう。ドイモイを導入して以来、徐々に経済的水準は向上してきたが、不平等の種は今もあちこちで息づいている。
ホーおじさんのキャンペーンを心から実践し、そして襟を質すことが必要なのは先ず、国民より先に共産党の指導者たちからでは無かろうか。私は彼らの率先垂範を心より望んでいる。

5月30日(水) 誘拐後18年目の里帰り
*18年前、誘拐され中国に連れ去られたベトナム人女性が、この水曜日、故郷に戻り家族との再会を果たした。ハイフォン市アンズオン区キェウドン村出身のチャン・ティ・ハアさんは13歳の時に誘拐され、中国福建省の40歳の男性に5000元(約74000円)で売り飛ばされた。その後、彼女は優しい村人が彼女の手引きをし、近くの傘工場で仕事を見つける迄の間、件の男性の家族の奴隷の如く長年こき使われたという。ベトナム名グエン・ティ・ハアの本名を持つこの女性は、東南沿海部の福建省省都泉州に住む男性との結婚に同意するまでの何ヶ月間、傘工場で無給で働かされたのだ。彼女の亭主が傘工場のオーナーに3300元支払い身請けし、1995年に晴れて二人は結婚した。義理の父母は貧しいものの、ハアさんに愛情を持って接し、一年後には二人の間に男の子が授かった。

ご主人は妻の陣痛が始まり病院に身分証明書無しで入院した時のことを想い出した。彼女は中国の法律で妊婦は必ず地元当局に告知しなければならないことを気に病んでいたのだが、最終的にご主人は彼女の為に出産が出来るよう病院と掛け合ったという。過去18年間、ハアさんは幾度となく故郷に戻り懐かしい父母との再会を夢見てきた。ところが、彼女はほとんどのベトナム語を忘れ、彼女のご主人の家族も近所の人々の誰もが彼女がベトナム人であることを信じようとはしなかった。それでも彼女は根気よく彼女のベトナムの身寄りを捜してくれるよう訴え、遂にご主人も彼女の求めに応じ救いの手を差し伸べたのだった。

中国側の叔母、王さんは泉州の新聞社の雑誌がハアさんの生い立ちを採り上げた時のことを覚えているという。昨年3月、王さんは、ハアさんから彼女の話を聞くと直ぐに新聞社に電話を入れた。早速、記者がハアさんの自宅へ訪問して取材を開始したが、ハアさんの福建訛の中国語を耳にすると彼女がベトナム人であることを信じようとはしなかった。しかし、最終的に記事として採用すると“私はベトナムの家族に会いたいのです”と彼女自身が中国語で書いた紙切れと彼女の写真を記事と共にフロントページに掲載したのだ。記事を読んだ700人を超す読者から反響とハアさんがベトナムに帰省出来るよう協力するとの申し出が多数寄せられたのである。3月23日に中国の外資系企業で働くベトナム人男性が、この記事をホーチミン市のトオイチェ新聞社に送ったことから、ハアさんの出身地がメッセージから判明したのだった。早速、同新聞社は記者を彼女の故郷へ送り母親のグエン・ティ・スアンさんに取材したところ、彼女の末娘グエン・ティ・ハアさんが18年前の夜、忽然と居なくなったことを話してくれた。当時、ハアさんは小学3年生。近所の家にテレビを観に行くと行ってそのまま帰って来ず、それ以来、彼女を捜し続けてきたのだとスアンさん。

中国の新聞社とトオイチェは合同で北京のベトナム大使館及び在広州ベトナム領事館に連絡をとり、ハアさんのベトナム帰省の書類を作成し、彼女がベトナムへ訪問できるようにしたのだった。
そして4月12日にベトナム領事館は彼女の旅券を発給した。在中ベトナム大使館三等書記官のドアン・ヴィエット副領事は先週、トオイチェに電話連絡を入れ、ハアさんは今週、彼女のご主人と二人の中国人記者らと共にベトナムに帰省が叶うでしょうと話したという。
彼らのモンカイへの到着は、次週、水曜日を予定しているとのこと。

(辛口寸評)
誘拐によって数奇な運命を辿ったベトナム人女性の帰省までの物語である。無事、ベトナムへ一時帰国といった形ではあるものの戻り家族との再会が果たせるのはとても幸せだと云える。ベトナムに限らず、東南アジア諸国や中国南部などは未だに人買いが跋扈しており、最近では足がつきにくい少数民族の子供らを対象にしたそれが盛んだという。また人買いにも二種類あって、合法的に親にお金を払い子供を引き取る場合と、拐かして連れ去るのだが、犠牲になる子供は断然 女の子で、しかもその多くが初潮を迎えたばかりの子供たちが対象となる。そして、置屋に売り飛ばされSEX産業に強制的に従事させられる。そして、そのほとんどが24歳までに命を落とすといわれている。HIV感染によるへエイズ発症。そうでなければ長年の使役の無理が祟って劇症肝炎による肝硬変での死といったお決まりのコースが待ち受けているからだ。アジアの人身売買の実体に迫る良書がある。もし、ご興味があればご一読されたい。

「SEX SLAVES (The trafficking of women in Asia) BY LOUISE BROWN」

5月31日(木) 今年5ヶ月間の海外直接投資実績
*計画投資省より先週金曜日に発表された声明に因れば、凡そ43億7000万米ドルに及び外国直接投資が、今年5ヶ月間にベトナム経済へ注入された。372件の新たなプロジェクトに約37億米ドルが投入され、残りの5億7700万米ドルは既に投資許可取得済みのプロジェクトや稼働中のそれに用いられたという。外国直接投資の投下資本は対前年同期比で25%の増加を見せる一方で、新たに認可された投資案件は32%も急増した。

計画投資省外国投資局の分析官は、主な投資は南部沿海のバリア・ブンタウ省、トウアティエン・フエ省、メコンデルタのハウザン省などに集まった。外国直接投資のトップはバリア・ブンタウ省で5億2700万米ドルのインドの製鉄事業、トウアティエン・フエ省のチャンマイ経済ゾーンで2億7600万米ドルを投下するリゾート開発事業、また南部ビンジュン省ではタイのカーフヴィナ社が2億2000万米ドルの資金を調達して立ち上げる製紙事業の順。

(辛口寸評)
昨年9月以降、ベトナムでは証券ブームが吹き荒れ、短期資金が怒濤の如くこの国に流入し、目の前に突如として現れた大金がいとも簡単に手に入れることが可能になり、人々の気持ちは浮き足立ち上から下まで半ば舞い上がってしまった。何とか4月に入り調整がなされ、多少、冷水を浴びせかけたお陰で彼らも冷静さを取り戻して来ているが、それでも多少、証券に対する知恵がついた程度で、秋口あたりからまたお祭り騒ぎが始まるとばかりに、“待ち”に入っているに過ぎない。いつまでこの祭りは続くのだろう?もちろん誰にもそのようなことは判らない。それでもひとつの指針として挙げるのなら、長期資金と置き換えが出来る外国直接投資が伸び続けること、そして、この国が年間経済成長率が7%以上を維持して行くことが可能な限り、“祭”りも持続可能な成長をもたらすであろうことだ。

6月01日(金) 2007年 鳥インフルエンザ現状
*グエン・タン・ズン首相は各自治体に対し、鳥インフルエンザ発生と拡散を防ぐ厳しい処置を実行するよう指示を出した。5月以来、国内5つの自治体で鳥インフルエンザの再発の確認を受け、今回、このような指示が先週火曜日に首相から出された。ズン首相は各自治体当局にH5N1型ウイルスの広がりを抑制するために草の根のレベルで密接に流行の兆しを全力を挙げてモニタリングする要請した。農業僻地開発省も各自治体に対し、H5N1型ウイルスが確認されたら速やかに感染した動物を隔離・処分するよう指示を出した。各自治体の獣医たちは既に養鶏場と影響を受けた地域の消毒を行い、家禽の輸送を止めるためのチェックポイントを設け、未感染の家禽への予防接種を開始している。農業僻地開発省では亦、人々の鳥インフルエンザの危険性を知らしめる為の啓蒙活動と安全確保に必要な情報を供給して行くという。

鳥インフルエンザ防止・管理国家常任委員会は関係自治体に対し地域行政区の6つの地区での発生状況を調べ、リスクの高い地域での防止措置が講じられるよう移動検査チームを設立するように依頼した。5月上旬に鳥インフルエンザの確認が成されて以来、5500羽の家禽がH5N1型ウイルスに感染、亦は死んだとの報告が獣医たちより上げられている。これまでに1億2000万羽以上の家禽に対し、2007年の免疫化プログラムに添って予防接種が行われた。今回、鳥インフルエンザの発生を見た8つの自治体は、ハイフォン市・北部ゲアン省・クアンニン省・ソンラ省・ナムディン省・バクザン省、そして南部メコンデルタのカントー市とドンタップ省である。

キティフォンナラノン在越タイ王国大使は、一昨日、16ケースに及ぶ予防の為の医療資材をタイ政府からの寄付としてチン・クアン・フアン副保健大臣に贈呈した。この支給目的は、ベトナムの鳥インフルエンザとその他の伝染病との闘いに寄与するもので、マスク・手袋・バッグ他が含まれている。

(辛口寸評)
筆者自身、日本人の悪い癖を一人発揮し、最近は鳥インフルエンザがベトナムで発生しているのは知っていたが、またかと言った感覚が先に立ち(馴れてしまい)ついついその話題を後回しにしてきた。尤も、ベトナム政府の鳥インフルエンザへの身構えと対応は、筆者と異なりだれることなく日々、常に監視の目を光らせていてくれているからこそ、敢えて話題にしてこなかった部分も否定はしない。いずれにせよ鳥インフルエンザの発生と拡大は、ベトナムの持続的な経済成長維持を根底から覆し、息の根を止めかねない程の強烈なインパクトを持っている。それをこの国は過去のサーズの経験で十分過ぎるほど経験いているので、先ずはベトナム政府をこの点においては信頼して良いと断言する。兎に角、ベトナムは雨季に入り、これからが鳥インフルエンザのシーズンに向かう。初動の適切な行動と活動が鳥インフルエンザ制圧の鍵なのである。

6月02日(土) ベトナム債券市場の魅力
*ベトナム政府は今週、月曜日に7000億ドン(約4350万米ドル)の債券を7.05%の利息をつけて販売した。この利息は今月上旬に行われた競売時の7.10%から若干減少したと株式市場関係者の談。投資家たちが債券を7%と8.5%の間で購入しようとした後、店頭市場は3人の入札者に全ての債券を販売したとのこと。額面10万ドン(US6.25$)のこの債券は、5月30日に発行され、満期は2012年5月30日となっている。5月15日、ハノイ証券取引所では、5年満期の政府債券4000億ドンが利息7.1%付きで販売された。
この利率は先月行われた競売時より0.5%下落した。

今年これまでにハノイ証券取引所では5兆9600億ドン(3億7000万米ドル)の政府債券を販売している。財務省は3月から今年一杯 輸送と灌漑プロジェクトの資金を集めるために22兆ドン(13億7000万米ドル)の債券を販売する予定だ。3月に格付け機関のムーディーズは、ベトナム債券と現地通貨債券の安定性を前向きな評価を下し、投資格付けをBa3に格上げしている。

(辛口寸評)
ベトナムの債券に因る資金調達は昨年、初めて採用され利用されるようになったが、今までのところ好調な滑り出しを見せている。
社会資本整備に必要な資金はそれまで先進諸外国からの援助や国際金融機関からの融資などで賄ってきたが、債券と云う方法を利用することで、多少、それまでの紐付きの呪縛を解くことが可能になりベトナム自身の考え方や思いなどが、関連プロジェクトへ100%反映させえるものとなった。今後、ベトナムは国のインフラ基盤整備の為の債券需要は益々高まるだろう。

そして、民間ではそれに呼応するように株式市場からの資金調達も活発化し、双方が相乗効果をもたらす事になるだろう。また、ベトナムでは債券が満期を迎えると、現金化は云うまでもなく、国から受け継いだ事業が株式会社に運営されるケースがこれからも増えるので、債券を株券に引き替えて持ち続けることも楽しみに拍車をかけるというものだ。未公開株もさることながら、国が与信を与えた債券は安全且つ安定した利息を産む今後の有効なスキームといえよう。

読者のコメント
*本日は在越日系企業管理職さんから、前回115号で採り上げた“国会議員選挙とベトナム人”に対するコメントを頂きました。ご本人の掲載許可を頂きましたので、以下、貼り付けておきます。

引用開始========================
お世話様です。是非、転載願います。

家族・会社の人に聞いても、殆ど誰も投票していないのに何故、99%以上の数字(投票率)がでるのか、ある事情通のベトナム人に尋ねて見たところ、選挙自体が政府に調整されており、ベトナム人は選挙結果を信用していないという回答でした。未だ、それぐらいのレベルの国なんでしょうね。

別途、言わせてください。株式転売ですが、通常日本で株の購入は“買い”を出すと、買える場合30分ぐらいで回答が来ます。この国は、朝、買いをだし夕方でないと回答が来ないようです。聞いた話ですと、“売り”の人から一度、証券会社スタッフが個人的に買い取り、その後利益確保してから、その夕方に購買者へ転売しているとききました。本当かどうかは知りませんが、ここならあり得ると思います。今後、この国が本当に経済発展するのか、疑わしく思うことが多くあります。
=======================引用終わり

「別途、言わせて下さい」に対する筆者から管理職氏への回答。
さて、株の件ですが、証券会社員というより先ず証券会社ぐるみで行っています。それに漏れたものを社員がバイトでやる程度であります。証券会社の給料は決して高くありませんが、何よりのうまみは彼らがインサイダー取引で有利な売買が出来、その分の実入りが良いからです。いずれにしても、そのような状況を踏まえ、ベトナム株投資リスクとして織り込まないと駄目だということではないでしょうか?それを承知の上で、やるのがベトナム株と理解すべきだと思っています。ベトナムの将来についてですが、実は僕もここ3~4年くらいしか見えていません。その先は、良くなるのやら悪くなるのやら皆目見当がつきません。

ただ、ひとつ云える事は、管理職さんもご存じの通りベトナム人の気質として”直ぐ調子に乗り周囲が見えなくなる”というものがあります。ベトナム戦争に勝ちアメリカを追い出したこの国の人々は社会主義の優越性に自己陶酔した余り、本来肥沃な土地に恵まれた農業国でありながら餓死者を何百万人と出し、ボートピープルを生み出し、漸く失敗に気づきドイモイに踏み切りました。そしてドムオイの時代、一度目の投資の楽園としてこの国は脚光を浴びたものの、役人のハンコがお金に変わることを覚えた公務員たちは、資本金額の多寡で進出企業を選別するという愚挙を犯しました。本来、製造業の根幹を成すのは名もない資本力のない中小零細製造業です。にも拘わらず国益より私利私欲を優先したこの中小零細企業を排除したこの政策は、カイ首相の時代、是正に着手したものの、もはや中国との技術力・生産力の差を埋める事が不可能なまでに広げてしまいました。

そして現在の証券ブーム、簡単に大金が舞い込むのに上も下も完全に舞い上がり、未来永劫、ベトナムの発展が続くと考えるベトナム人が実に多くなりました。事実は砂上の楼閣に過ぎないのに現実認識が出来ず、浮かれ勘違いに走り出しているのです。以上から、とてもとても5年先など見通せません。僕は、家族や身内がベトナム人だけにこの国の人々が幸せになることを祈る気持ちは強いのですが、今はある種の危うさに心を痛めているのです。

以上

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