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2007/08/26

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第129号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年8月25日 土曜日 第129号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflagいつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その129 今週のヘッドライン

* 8月20日(月) 日越友好議員連盟表敬訪越
* 8月21日(火) “ありがとう”は5つのひらがな
* 8月22日(水) 海で結ばれるベトナムと中国
* 8月23日(木) 学校の授業に水泳がないのは何故?
* 8月24日 (金)   加藤登紀子スペシャルエンヴォイ
* 8月25日 (土)  韓国人男性に嫁いだベトナム人女性

8月20日(月) 日越友好議員連盟表敬訪越
*ベトナム共産党と国家は常に日本との多角的協力関係や友好関係を強化・重要視してきましたと昨日、ノン・ドック・マン書記長は語った。日越友好議員連盟会長で、今回の訪越議員団団長を務める武部 勤氏との会談の席上、書記長は二国間の両党・両国会・両国民の最近の関係発展に対する喜びを伝え、議員団そして特に武部会長の日越関係促進に果たす努力と貢献を讃えたという。
又、書記長は会見において彼のゲストに対し、ベトナムの現状及び独立外交政策・和平・協力・開発について簡単に説明をしたとのこと。
マン氏は、武部会長に日本の首相兼自民党総裁の安倍晋三氏にくれぐれも宜しく申していたことを伝えるよう要請し、その一方で武部会長はマン書記長へ歓迎式の謝意を伝え、併せて安倍首相から書記長や他のベトナムの要職者へ尊敬の念を贈った。

武部会長はベトナム国民が国家復興への偉大な成果をもたらしつつあることを認識しており、アジア域内における平和と繁栄の戦略的パートナーシップの興味構築に邁進する越日協力関係の発展・友好促進に満足していると語った。日本はアジア地域と世界の中で重要性を増しつつあるベトナムとの協力・友好関係を重要視しており、日越友好議員連盟は今後とも両国の関係強化のために努力を惜しまないと述べた。同じ日、国会議長のグエン・フー・チョン氏も、日本の代表団と面談し、チョン氏は代表団に直接、日本のベトナム支援に対する感謝の言葉を贈ると共に、第12回下院の結果を踏まえ、新しい立法機関と民主化を進めて行くと語った。

日越双方は、二カ国の議会メンバー間で様々な形で意見交換と協力を増やすことに同意し、武部会長は両国の議会同士が定期的に情報と意思疎通が迅速に諮れるよう協力し、善処すると述べ、日本の国会議員たちがベトナムとの友好と協力を広め展開することに重点を置いて行くだろうと結んだ。

(辛口寸評)
小泉政権下で、幹事長を務めたミスター・イエスマンこと武部 勤氏、最近、露出が少なくなったと思っていたら、ベトナムに来ていたとは。このおじさん、筆者の記憶に誤りがなければ昨年のジャパン・フェスティバルの際も、確か代表団の団長という資格で来ていたが、その頃からベトナムに太いパイプを作り始めているようだ。エロ拓こと山崎 拓もアジア、殊更、ベトナムに対しては利権絡みで割と古くから唾をつけているが、武部さん、どうやら山拓の対抗軸として頭角を現し、山拓の追い落としを画策しているのでは???そんな気がするのは、私だけだろうか。。。山拓と云えば小泉前首相の盟友の筈なのだが、まるで山拓の邪魔でもするかのように子分の武部をぶつけてきたのには何か深い理由でもあるのだろうか?

ところで、お盆の帰省で日本へ一週間ほど戻っていた筆者は、面白い本を仕入れてきた。元早大教授でエコノミストの植草一秀氏が上梓した「知られざる真実」というものだ。植草氏というと、女子高生のスカートの中を手鏡で覗いた嫌疑をかけられ現在も公判が続いているのだが、その彼が小泉政権下で何が行われていたかを赤裸々に公開する内容で、興味と野次馬根性丸出しで購入したのである。読後、私の植草氏に対するイメージは180度変わったものになった。彼はシロであろう。元外務官僚の佐藤優氏同様、国家に拠って罠に填められたのだ。知られざる真実の冒頭に吉田松陰先生の詩が載せられていた。「斯くすれば斯くなるものと知りながら、やむにやまれぬ、大和魂」植草氏の一日も早い復権を希望する。書籍については次のサイトをご覧下さい。
http://tinyurl.com/38sf3t

8月21日(火) “ありがとう”は5つのひらがな
*盲目であることは、英語・仏語の本から越語への翻訳業を生業とするチャン・フー・カムさんにとって何の障害もない。彼がこれまでに翻訳出版した書籍は20冊におよぶ全てが所謂おとぎ話だった。彼の仕事場は自宅の小さな部屋で、パソコン・ラジオ・スキャナーが備わっており、彼が翻訳家として必要な全ての物に囲まれているのだ。1985年、彼は国家大学英文科を卒業し、ホーチミン市ではフランス語を学んだという。“カムさんと一緒に仕事させていただいて随分になりますが、彼の仕事に対する姿勢に魅せられています。彼は思慮深く細かいところも手を抜きません。翻訳家に必要な物は言葉を聞き取る良い耳と言語力に尽きるのではないでしょうか。カムさんは盲目ですが彼がこれまで達成してきた偉業は盲目のみならず目が見える健常者であったとしても適わぬそれだったと思います。”と語るのは青年出版の編集者チャン・フーさん。しかしながら仮にカムさんが途中でこの道を挫折していたとしたら今の彼はなかった。

カムさんが盲目になったのは1974年に遡り、彼がサイゴン農業単科大学3年の時だった。彼は旧南ベトナムサイゴン政権に逮捕され、コンダオ島に収監された。一年後に出所したものの投獄中に受けた拷問で視力を低下させてしまったという。それから10年後、目の病を患い当時ホーチミン市第三区青年同盟に職を得ていたが、それも辞めざる終えなくなってしまったのである。新たな生活を得る糧として選んだ仕事が翻訳業だったが、1995年には遂に視力を完全に無くしてしまったのだった。なぜおとぎ話の翻訳に特化したのかカムさんに尋ねると彼は笑顔を魅せながら、おとぎ話には彼の情熱を見出すことが出来るばかりか純粋で時にユーモアを持ち、そして道徳観念も植え付けることが可能で、それら全てが人生に目的を与えてくれるからだと話してくれた。

現在のところ、カムさんはノンフィクション小説に取り掛かっているという。サマッククイーンという少年の自叙伝を手がけており10月には青年出版社から出版される予定だという。サマッククイーンは白血病を患っている。彼が問い代える質問は全てシンプルだが心に訴えかけるものがある。“なぜ人は死の間際に人生を走馬燈のように振り返り見ることが出来るのか?或いは、死に神がなぜ小さな子供たちを連れて行ってしまうのでしょうか?スマッククイーンが耐えなければならない大きな苦しみを持っているにも拘わらず、カムさんはスマッククイーン少年はお茶目で楽観的で純粋なのだという。スマッククイーンを翻訳している間、しばしばカムさん自身が微笑みながらスマッククイーンに同化していることがしばしばあるという。

“私は子供たちが大好きです。以前、青年同盟で働いていた時も、率先して子供たちのためのミュージカルなどを組織してもので、いつも子供たちの側に立ち彼らの考え方を理解しようと努めてきたのです。ですから、子供たちが何を求めているかを描写することはそれほど難しいものではありませんでした。翻訳の際、私は常に視覚に訴えることを考えます。そして物語に登場するキャラクターと共に同化するのです。”とカムさん。彼はキャラクターたちとの対話を目で行わず心眼で読み取るそうで、今年出版予定のナンシーの日記ではカムさんは、薄幸の乙女の心の痛みを理解しようと務め、又、日記の中での心の葛藤や変化などを生き生きと浮き上がらせるのだと語る。

カムさんが翻訳するための本を初めて受け取ると、先ず声に出してその物語を音読しレコーダーに納める。翻訳中に、しばしば家族の助けを借りて単語の意味を確認したり、パソコンの前で黙々と仕事を続ける。仕事がひとつ終わると、カムさんは家族や友人たちにそれを呼んで貰い、間違いを修正し、その後に出版社へ原稿を送るのだという。しかし、今日、音声記憶ソフトウェアの発達のお陰で、これまで人に頼っていた作業も徐々に自分の力だけでこなせるようになってきたという。盲目になったことについてカムさんは悔いは無いという。というのも、天から彼に与えられた翻訳の仕事自体が即ち彼の生き甲斐で、人生に満足しているとカムさんは結んだ。

(辛口寸評)
日頃、何不自由なく暮らしている健常者である我々は、ついつい健康であることが当然とでもいうように横柄になり、あらゆる物や他の人々に対し不平不満を持ちがちだ。かく言う、筆者もその口でこういう記事を読んで一瞬は自重せないかんな~と思いながらものど元過ぎれば何とやらで、40数年生きてきたにも拘わらず成長の跡が見られないのは何とも嘆かわしい話である。筆者の年下の友人に、常に奥さんへ大して“有り難う”と心の底から衒いもなく言える人が居る。ここへ辿り着くまでに彼も、様々な葛藤や相手に対し思いやりの無い態度をとってきて家の中は所謂修羅場と化していたそうだが、この「有り難う」に気づいてからというもの、家庭内から刺々しさが完全に抜け、そして新婚当時のような温かみが舞い戻って来たという。他の誰かに不平を言う前に、先ずは自己を見つめて“ありがとう”の言葉から身近な人との関係改善に努めてみても悪くなかろう。

8月22日(水) 海で結ばれるベトナムと中国
*ベトナム中部のトウアティエン・フエ省と中国広西省とを結ぶ周遊船が今年10月にも就航することになるだろうと当局者が発表した。トウアティエン・フエ省観光局レ・フー・ミン副局長が明かしたところに拠れば、彼の局と広西ベイヘイ観光公社とがこの就航に関する詳細をこれまで打ち合わせて進め、この度、晴れて両者の間で一連のサービス発足させることで同意したという。
「我々は、ベイヘイからフエのチャンマイ港への初就航便を10月に就航させる予定だ。」と先週ベイヘイで行われた事務レベル協議に出席し帰国したばかりのミン副局長。

今回の就航は去る4月に中国広西省とトウアティエン・フエ省の間で締結された観光協力覚書の中の一環として行われたもので、この取り決めのもと両省間で既に構築されているベイヘイとユネスコ世界遺産のひとつにも指定されたハーロン湾ルートを含むツアーの催行を促して行くとのこと。就航便ルートが開設の暁には、周遊船はベイヘイを出発し、ハーロン湾に一時寄港してチャンマイ港とを結ぶことになる。今月下旬、或いは来月早々にも中国側パートナーはフエを訪問し、ランドオペレーション策定及びオプショナルツアーなどの下見をする予定となっているとミン副局長は話す。又、就航後、フエ省に中国から毎月一万人を超える観光客を見込んでおり、この数字は、トウアティエン・フエ省を訪れる外国人客の5分の1を占めるだろうと期待を膨らましていると副局長。同省では毎年120万人の観光客が訪れ、内半分は外国人観光客だ。

(辛口寸評)
広東省の西側に位置する広西省南部の凭祥市にある友誼関は中国とベトナムとの主要門戸となっている。又、同自治区はベトナムと長い国境線を有しており、住民同士は専ら日常的に行き来しているという。中国最大の少数民族タイ系チワン族の原住地。漢族人口約3,000万人、チワン族(壮族)人口約1,500万人。首府は南寧市。かつての広西省(こうせいしょう)。
亜熱帯性気候で、二期作、三期作が可能だという。著名な観光地桂林が東北部に所在します。

さて、今回、周遊船がベイヘイとフエを結ぶことになったという。旅好きの筆者はこの船がベトナム人と中国人を対象とした主催旅行のみならず、一般個人客も利用可能なのか気になるところだ。これまでベトナムから、中国へは空路以外に陸路があったが、仮に今回の就航便が個人旅行者に開放されるならば、陸海空、自衛隊では無いが三拍子揃った旅が可能になるからだ。10月になればもう少し、この件で情報が集まるだろうから、もし個人旅行OKならば来年のテト休暇には家族と共に中国船の旅と洒落込むのも悪くなかろう。旅が実現したら又、その模様を公表したい。

8月23日(木) 学校の授業に水泳が無いのは何故?
*ハノイの大学でキャンパス内にスイミングプールを備えたところは片手で数えるほどしかない。国立ハノイ工科大学が多分、大学として初めてプールを備えた学校ではあるが、それですら数十年昔の話で、水源管理大学(この名前からだけでもこの大学の学生は少なくとも泳ぎに長けていなければならない筈だが)ですら、1990年半ばまでプールが存在していなかったのである。大学でこの程度なので小学校に付いては推して知るべし、で、ハノイ市内を探してもプールを備えた小学校はひとつもないのが実情だ。故に、中学・高校・大学生に至って水泳の授業がなぜないのか説明がつくというもので、ベトナムの子供たちにとって走ることと同じくらい重要な泳ぎを知らないことはマイナス要因となっている次第。

国家人口家族子供委員会が出版した統計に拠れば、約12000人のベトナムの子供たちが毎年溺れて命を落としているという。犠牲者は全てカナヅチでありその割合はベトナムの子供たちの死因のワーストワンである交通事故に続く大きなものとなっているのだ。又、台風などの嵐の時期での子供の水難は通常の2倍から3.5倍も高くなり、西南部の各省に暮らす子供たちは毎年、3~6ヶ月もの間、洪水に曝されているという。北中部地域では、鉄砲水が子供たちを襲う主要因となっていて、都市郊外や地方においても水槽、井戸、池や湖は、泳ぎができない子供たちに深刻な危険をもたらしている。5才未満の子供たちの死亡原因の90%は大人の監督不行き届きだという。

河が多く存在するメコンデルタに暮らす子供たちはどうかといえば一般的に河童小僧ばかりと思いがちだが実際には6歳未満は92%、6歳から8歳は80%、10代の13歳から16歳までの25%の子供たちが泳げないのである。それもこれも学校での水泳の授業がカリキュラムとして整備されていないからに尽きるのだ。この頃では児童・生徒に特別カリキュラムとして体操、芸術、音楽の練習は採り入れられるようになってきたが、水泳だけは含まれていない。一体どうしてなのか、、、、?水泳・ダンス・ボーリング・ゴルフが戦後経済の衰退期で採り上げられなかった昔は理解出来るが、今は全く状況が異なりこれらを教えて差し障りはないはずだ。

ベトナム人は国を代表してグローバル経済と文化に寄与する権利と義務を負っている。そろそろ我々の子供たちに世界中で普通に行われているのと同様、学校での水泳の楽しみや水の安全について教える時が来たのではないだろうか。私の学生時代、私は水泳を難なく嗜む外国人学生を羨ましく思ったものだった。私も子供たちも贅沢を訴えているのではない。せめて子供の時代には我々の子供時代に果たせなかった水泳を学ばせたいと思う。我が子が学齢期になった暁には是非、プールに通わせたい。そこがチェンジの始まりになるからに他ならない。

(辛口寸評)
今日の寸評は本当につまんないので飛ばしてお読み下さい。
水泳はおろか都会の小学校になると普通、校庭もないようなのはざらにあるので、これまで当地に根を張る外国人の一人としてはプールが無いのは寧ろ“普通”の事態と捉えており、今更何言ってるのって感は否めない。しかし、学校にプールが無くても、公共のそれはホーチミン市に限って云えば、割と充実したいる方だと思う。しかもそのほとんどが8レーン完備の50メートル公式で、見栄えも悪くない。料金も大人5000~8000ドン(約38~61円)で子供はその半額で済むので、いつも大勢の人で賑わっている。

ただ、お食事中の読者には申し訳ないが、御疾呼はかなりの割合でプールの中で垂れ流し状態なので、泳ぐには多少勇気がいる。以前、筆者の地元フーニュアン区のプールへ泳ぎに出掛けた際、子供の後ろを泳いでいたら、黄金水を水中で浴びせられ、暫く放心状態になり溺れかけたことがあるくらいだ。尤も“大”の攻撃は未だ経験していないのでそっちの心配はいらないだろう(そういう問題じゃないってか)とは言え、設備は満更でもないので、雨期の雨間に一度、ふらっと泳ぎに出掛けてみては如何だろう。ベトナム人との裸の付き合いもたまには悪くなかろう(笑う)

8月24日(金) 加藤登紀子スペシャルエンヴォイ
*今週月曜日に日本のフォークシンガー、加藤登紀子さんが環境保全を訴える為、国連環境プログラム公式使節としてベトナムへ10日間滞在予定でやってきた。来週火曜日の夜、加藤さんはベトナムで最も人気の高いシンガーソングライターとして知られるチン・コン・ソンさんが作曲したいくつかのベトナムフォークソングをハノイ市ホンハシアターにおいて披露することになる。特に1970年に歌手のカィンリーと共に日本コンサートツアーで訪れ、1972年に彼のララバイは日本のヒットチャートに登場してからソンさんは日本に惹かれるようになったのだという。

1982年に加藤さんとリーさんはアジア音楽祭においてソンさんの曲を歌い、1997年、加藤さんとソンさんは初めて出会った。加藤登紀子さんは国連環境プログラム特別使節を2000年10月より携わっており、以来、インドネシア・タイ・中国・ウズベキスタン・インドなどを訪れている。今回、彼女のベトナムでの使命は、自然保護・森林保全・廃棄物処理管理などベトナムの環境対策への取り組みを視察することにある。

加藤登紀子さんは沢山のヒット曲を持ち、フランス政府からシュバリエ級文化勲章を授けられている。彼女はこれまで30年間に渡り、アジア太平洋地域において複数の環境保護活動に活発に関与してきている。

(辛口寸評)
大きな声では言えないが、小さな声では聞こえないので、ここに書いておくけど、筆者のカラオケのレパートリーには加藤登紀子がいくつか揃っており、興が乗って来ると、知床旅情・琵琶湖就航の歌・早春賦・ゴンドラの唄・カチューシャの唄・この空を飛べたならなど口をついて歌うこと甚だしい。同様に彼女のヒット曲のひとつである、百万本のバラなどはベトナムでは40年ほど前から知られているばかりか、ちゃんとベトナム語訳までつけられて庶民に広く親しまれて来ている。

ベトナムでカラオケ屋へ行き、この歌を日本語で歌ったとしても隣の席に着いたおねえさんは、イントロだけで涙目のウルウルになることを日本男児なら知っておいて損はないだろう(但し、責任はもてん)。記事の中では、加藤登紀子氏のベトナムでの詳細なスケジュールは網羅されていないのが残念だけど、出来ればサイゴンに寄って、在留日本人の為にミニコンサートでも開いてくれると嬉しいのだが、特別使節では無理だろうね~。

8月25日(土) 韓国人男性に嫁いだベトナム人女性
*結婚ブローカーにより韓国人男性と一緒になり韓国へ渡り、家庭内暴力と殺人の犠牲になっているベトナム人女性の話は韓国では珍しいものではないという。この事実は外国人妻の人権を保護する韓国女性家族省へ相談に駆け込んだ4人のベトナム人妻からの聞き取り調査で、如何に韓国人男性のもとへ嫁いだベトナム人妻が抑圧されているかが判明したのである。その内のひとりは韓国人の夫にセックスを強要され拒否したところ監禁され拷問を加えられたという。この話を聞いた担当官自身、当該ベトナム人妻に同情を隠せなかったと話す。又、ベトナム人女性が韓国人夫から捨てられたり、虐待を受けたり、果ては殺されることも一般的になったと話す。そして、ベトナム人妻が、それら家庭の破局の果てについには自殺に及ぶといった最近のいくつかの例を挙げたのである。

出産間際のあるベトナム人妻は韓国人夫に始終、虐待を受け殴られ続け、自殺を試みたが夫に見つかり未遂に終わったという。その後も夫の暴力はエスカレートし、お腹の子供が流れると夫は妻を捨てたのだった。別のベトナム人女性のケースでは、韓国人夫のセックスの強要に嫌気がさし、逃げようとして自宅2階から落ち命を失ったというものだ。彼女の貧しいベトナムの親族は彼女が亡くなって3ヶ月経つというのに、遺体を母国に戻せないばかりか、彼女の韓国人夫は妻の葬儀費用すら惜しんで出すことを拒否している有様だ。

このところ人気の韓国ドラマの影響で韓国人男性との結婚に夢と期待を膨らませる若いベトナム人女性が多くなって来ている。
メコンデルタのキンザン省出身、今年21歳になるフエン・マイさんは昨年5月、韓国人男性のキムヨンシュウ46歳と結婚し韓国チェオナン市に嫁いで来た。しかし、婚姻から二ヶ月後、彼は彼女を虐待し始め、彼女は離婚を求めたのだった。するとヨンシュウは彼女の求めに応じなかったばかりか怒りに任せて殴りつけとうとうマイさんは絶命してしまったのである。7月4日、彼女の死後8日目に遺体は自宅の地下室から発見されたのだが、検死の結果、18本の肋骨が折られているのが解ったという。逃亡中だったヨンシュウは今月上旬、当局に由り逮捕された。

習慣や言葉の違いがベトナム人妻と韓国人夫とその家族との溝を深めているのだろうと韓国女性家族省の職員は語る。又、多くのベトナム人妻たちは彼女らが嫁として超保守的な韓国の家族が求める義務をこなすことが出来ないのだとこぼす。言葉が満足に話せないため、結果的に配偶者である韓国人夫へも相談が出来ず、しばしば挫折して彼らのもとを去ってゆくのである。女性家族省は、この様な問題が起きる背景に90%以上の違法な韓越結婚を支援する結婚ブローカーの存在を挙げる。彼らは韓国の豊かな生活を餌にベトナム人女性の貧しさに付け入るのだという。ベトナム人女性を納得させる為に、これらブローカーは相手の韓国人男性の経歴・その他個人情報を捏造するのはわけなく、全くの日常茶飯事と女性家族省職員の談。最近ではベトナムの警察はいくつかの韓国人結婚仲介ブローカーを摘発している。

ただ、その一方で韓国人男性と結婚し幸せな結婚生活を送るベトナム人妻の存在もある。これらの家族は普通、週末になると家族同士が集まって一緒にゲームなどをして過ごすという。韓国女性家族省の職員曰く、外国人妻に虐待を加える韓国人夫に対し証拠を集めれば法律に則った行動が起こせ、韓国の法律では仮に韓国人配偶者の方に離婚の原因が認められると判決が下された場合、もう一方の当事者の外国人配偶者は韓国において生活保護を受け並びに在留許可を与えられる。それ以外にも、健康診断・医療保険などを離婚後も受けられるとのこと。今年に入り韓国政府は、貧しい地方の韓国人男性と結婚する外国人女性に対し経済援助を提供するプログラムを発表した他、結婚ブローカーの撲滅に向けた摘発を積極的に取り組んでゆくと結んだ。

(辛口寸評)
筆者のようにベトナム人のかみさんを貰っていると、ついついこの様な記事に眼が行く。今日の寸評は書かない、いや書けないといった方が適切だろう。読者の皆さんがそれぞれが記事を読んで感じて頂くしかなかろう。。。

以上

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