ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第134号
ウィークリー・ベトナム・ニュース
■ 平成19年9月29日 土曜日 第134号
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■ こんにちは!!
いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。
今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。
翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。
誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>
尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。
ベトナム・ニュース その134 今週のヘッドライン
*9月24日(月) ベトナム映画DVDで日本発売
*9月25日(火) インターナショナルスクールの値打ち
*9月26日(水) アメリカご都合主義の人権カード
*9月27日(木) 円借款の橋崩落 犠牲者多数!!
*9月28日 (金) 橋梁崩落事故 その後。。。
*9月29日 (土) デング熱の猛威と中秋恩赦
9月24日(月) ベトナム映画DVDで日本発売
*ベトナム映画“ズオントゥー”(メッセンジャーの通り道)がDVDとして日本でリリースされた。この映画は1967年ベトナム戦争当時、クワンチ省ケッサンの戦いでの兵士たちの物語である。前線基地861号はアメリカ軍に包囲されると共に、負傷者や戦死者は山のように積まれ、軍事郵便配達人として6年間の軍務を与えられたタンと新兵のホアンアンは一緒に機密指令を届けるよう任務を授けられた。
激烈で痛ましい風景の中、アンは恋人からの手紙により自らを奮い立たせ戦争の困難に立ち向かう。メッセンジャーの通り道は戦争映画だが、しかし新進気鋭映画監督のブイ・トオアン・ズンは通常、戦争叙事詩には終わりを告げる対話を必要とするがこれには存在させず、この手のジャンルに新鮮みを呼び込んだ。この物語は事実を元にドアン・ミン・トォアンが脚本を書いている。
(辛口寸評)
ついこの間、ベトナム有名歌手のミーリンが日本で今月アルバムをリリースするとお知らせしたばかりだが、今度は映画がDVD化され発売に至るという。これまで日本とベトナムの関係はどちらかといえば経済が先行し、文化的な面での結びつきは弱かったが、ここへ来て徐々にその度合いが増し始めているようだ。特に、日本からベトナムを見つめる眼差しが強くなってように思う。2~3年前に韓流ブームが巻き起こったのは記憶に新しいところだけど、ひょっとすると来年か再来年には越流ブームが日本を席捲することになるかも知れない。ベトナム人の身内や親戚をもつ筆者にとって更にベトナムが日本人の身近な話題に採り上げられるのは嬉しいものである。
9月25日(火) インターナショナルスクールの値打ち
*ここのところ二週間の間、グエン・ヴァン・フンさんの眠りは浅い。
彼の希望は息子を意中のインターナショナルスクールに通わせることなのだ。「私には子供を海外へ留学させるだけの余裕はありませんが、少なくともインターナショナルスクールで学ばせることは可能だと考えています。」とフンさん。フンさんの同僚の子供たちは何れも私立学校で新学期を迎えることを熱望しており、父兄もその顕示欲を顔から隠そうとはしない。インターナショナルスクールへの興味は何も今始まったものではないが、ここ最近になりベトナム国内のより多くの人々への選択肢として広まってきたものだ。
結果的に、子供たちを留学させる代わりに多くの父兄はその対案としてベトナム国内で国際規格を整えた教育設備の揃ったインターナショナルスクールでの教育環境を子供たちに提供するようになって来たのである。国内のインターナショナルスクールに通わせるようになって授業料や生活費を安く抑えることが出来、その一方で学生たちはベトナムに居ながらにしてイギリス・アメリカ・オーストラリアなどの有名大学の学位が修得出来るようになる。
インターナショナルスクールのプライマリー(小学課程)やセカンダリー(中学・高校課程)の児童生徒らは外国人教師たちから最新の教育方法で学習する機会を得ることが出来る。「インターナショナルスクールで学ぶということは、子供たちが個別に彼らの能力と進捗に併せた形で学習のスキルを身につけられ、それに付随して英語を速い速度で覚えてゆくのです。」とある外国人教師は言う。現在のところ自称も含めインターナショナルスクールと冠した学校はベトナムに45校存在するが、ブリテッシュインターナショナルスクール(BIS)、インターナショナルスクールホーチミンシティー(ISH)、サイゴンサウスインターナショナルスクール(SSI)、ABCインターナショナル(ABC)の僅かなインターナショナルスクールのみが、英語を母国語とする教授陣に拠るインターナショナルバカロレア準備の為のイギリスやアメリカのカリキュラムに従った教育を施しているのが実情だ。
インターナショナルスクール人気は、入学申込の増大に拠る学生の増加を招いたものの、興味だけでは不十分で、これら教育機関に通おうとする児童生徒はこれらスクールでついて行けるだけの能力も必要とされている。多くのインターナショナルスクールでは、学校でベトナム語或いは各児童生徒の母国語を話すことを固く禁じているため、英語の得意な子供たちにとって問題ないものの、そうでない子たちにはとても難しくきつい問題となっている。
ホーチミン市チャンフ区在住のチャン・アン・トゥーさんは最近、息子をイギリスと関係の深いインターナショナルスクールに通わせることにした。月謝は凡そ1200万ドン(約9万円)、トゥーさんにとっては安く無い費用だったがそれ以上に心配だったのは学校への英語の入学試験だったそうだ。昨年の夏、トゥーさんの息子は英語の勉強にほとんどの時間を費やし、寝てる最中でも息子は英語で話をしたほどだったという。しかし最終的に彼の情熱は入試の成功となって顕れ、彼は志望の学校に他の17名のベトナム人学生と共に入学を受け入れられたのだった。ところが、彼はクラス分けされるには更に一年待たなければならなかったのである。
トゥーさんの息子にとってインターナショナルスクールで学ぶことは第一ステップに過ぎず、彼は英語での授業について行くために一生懸命努力しなければならないのである。インターナショナルスクールの児童生徒の中には、折角入学してもついて行けず落ちこぼれてしまう子たちも大勢出てきている。「うちの娘はインターナショナルスクールから娘の能力に合ったベトナム人学校に戻すことにしました。私にとって最も重要なのは我が子が良い教育を受け、将来、良い仕事に就かせる事なのです。」と語るのはフートン区在住のタン・ラムさん。国際教育は全ての人のものではない。ある児童生徒は有資格でもその他は異なるもので、父兄たちはインターナショナルがもつ名声に拠って子供たちの教育の場を選ぶのではなく、子供の成功にとって何が必要なのかを心配すべきなのである。
(辛口寸評)
昨今のナムサイゴン程ではないものの、我が家のあるフーニュアン区もサイゴン陥落以降、陸軍将校とその家族が北から移り住んで来た地域であるため、所謂、社会主義国家の中では成分が高く普通の庶民よりかなり就職・出世・収入などで恵まれた人々が多く住んでいる。
既にベトナム戦争から32年を経ているので、住民も息子や娘の世代に代替わりしているが、一方で彼らのような若い世代の人々がベトナム社会の中の各方面で影響力を持ち始め、親から受け継いだ有形・無形の資産を昨今の経済成長の中で資本主義の部分と従来の人知的な要素とを有機的に利用し、莫大な収入を手にし出すようになってきた。
そんなお金は当然家庭内での教育費におけるエンゲル係数を飛躍的に高める結果となり、インターナショナルスクールや海外留学の需要の底上げをしているわけだ。インターナショナルスクールでもピンからキリまであるので一概には言えないが、記事に登場した学校だけで見れば、月謝は凡そ平均800米ドルにもなる。このクラスになると実はシンガポール留学という選択肢も出てくる。シンガポールでは現地校に編入するため、その分、授業料は現地人よりはやや高めでも100~200米ドル前後で納める事が可能で、後は生活費と考えて差し支えない。尤も、人それぞれだが如何に留学とはいえ小中学時代を親元遠く離れて暮らす事が果たして本人や家族にとって幸せなのだろうかと筆者は思う。
インターナショナルスクールで学ぶことの目的は、虚栄心を他者にひけらかす事にあらず、子供たちが様々な国々から集まって来た同窓と色々な価値観・文化・物の考え方などを共有し、コスモポリタンとして一人前に成長させることにある。とは言え、インターにしろローカルにしろ、最も重要なのは本人の能力が高いことが大前提である。ある意味、我が家にとっての娘の場合、親に似てやや劣るからせめて親心で厳しく過酷なローカルより少しでも教育環境の好いインターを選択したともいえる(笑)
9月26日(水) アメリカご都合主義の人権カード
*ベトナムはアメリカの提出した人権記法案について出鱈目であると強く抗議した。ベトナム外務省レ・ヅン報道官は、水曜日にベトナム人権アクトとして広く知られるこの法案は越米二国間関係の発展において否定的な結果をもたらすだろうと述べた。米国下院は、火曜日、ベトナムは人権侵害しているとして非難する法案を可決した。この後、法案は上院によって再審理を受ける事になっている。もしこの法案が最終的に上院で可決され法整備化されると、人権アクトはベトナムの人権記録の全てに結びつけられることになるという。
ヅン報道官は、過去数十年においてベトナム人民は独立と自由、そして民権を勝ち取るための努力をし続けてきており、ベトナム憲法下では国家は国民の経済・政治・文化・社会や信教・言論・発表・情報・結社の自由を含む市民権を明確に謳っていると語った。国際社会は既にベトナムが経済発展・社会裁判制度・主権在民・生活水準・人権に渡り高い成果を挙げてきていることを認識しており、ベトナムはこれまでも、そして今後もアメリカ合衆国と民主主義・人権・宗教などの問題点を話し合いに拠る解決を模索してゆくだろうと述べた。
我々は合衆国政府に対しベトナムの人権や民権の些末な部分に血道を開け揚げ足をとるのでは無く、我々の歴史の前後関係から二国間協力・相互理解を基礎としたベトナム経済・文化・社会を尊重してゆくことこそが、両国関係の発展に繋がって行くものと理解するよう要請した。
(辛口寸評)
これまでアメリカという国は、グローバルスタンダードと称し、自由・平等の名の下に自国の都合の良い民主主義と人権を強要してきた。
まるで、アメリカが世界一まともな国家であるが如く。ただ、何れの場合もアメリカは人権を外交カード化し、どちらかといえば嫌米国家やアメリカとの関係に一定の距離を置く途上国に対してのみこのカードを切り、表向き親米を標榜する国家であれば、それが民主主義や人権と遠く掛け離れた独裁国家であっても、アメリカは何も問題にせずダブルスタンダードでどこ吹く風のご都合主義なのである。
国に相当する英単語は大まかに二つあるという。ひとつはネーション(Nation)他のひとつはステート(State)だ。前者は、自然発生的に生まれ長い歴史を掛けてひとつの国が形成されたというニュアンスを持つのに対し、後者は、歴史は比較的浅く人工的に造られたという語感を持つのだと、以前、司馬遼太郎の著作の中で読んだことがある。想像するに、ネーションの歴史の始まりは個人だったろう。それが社会の最小単位である家族を形成し、そして部族社会と変遷を辿り今日の伝統文化を練り上げ作り上げていった。当然、紆余曲折もあったことだと思われる。
さてステートはどうかといえば、元を辿ればネーションが社会に閉塞感をもたらした結果、そこから独立を求め新天地を目指し、そのような人々の合議により新しく過去の因習の悪い部分を除外した上で、創り上げたといえる。それ故、ついつい自分たちの掲げる考え方が最も完成度が高いと錯覚してしまうのだ。その一方で、ステートに個々のネーションの成り立ちや生い立ちなど解る筈もなく、そうであるにも拘わらずステートがネーションに対しあれこれ口出しするところに無理があるのに気がつかないのである。その最たる国をアメリカとすれば、ここでベトナムが何を訴えたいのか自ずと理解できるだろう。
9月27日(木) 円借款の橋崩落 犠牲者多数!!
*ベトナムで水曜日、朝、発生したカントー橋崩落事故に拠る犠牲者数は増加の一途を辿り、少なくとも52名が死亡。150名以上が重傷を負ったと警察発表がなされた。未だ多くの人々が瓦礫の中に残されているというが、水曜日夕刻となっても救出の為に借り出されたクレーン車は僅か一台のみで、救助作業は遅々として進んでいない。公安の発表では、午前8時30分、朝勤務開始直後に崩落した橋の下で作業をしていたワーカーは100人ほどで、橋の上での作業者数は凡そ150人という。「最優先事項は人命救助である。その中で最も難しい課題は、瓦礫の下に挟まった大勢の人々を救出するために巨大なコンクリートブロックを取り除いてゆくことにある。現在、150名の軍隊をレスキュー隊として救助作業に当たらせている。」とゴ・ティン・ドック運輸副大臣はベトナムテレビのインタビューで語った。
現在、国連会議へ出席の為、ニューヨーク滞在中のグエン・タン・ズン首相は各関係当局に救助活動の迅速化と事故の原因を調査するようメッセージを送った。同日夕方5時になって2~3名の生存者を発見。そしてその中のひとり、ヴ・ヴァン・クンさんは彼が埋まっていた瓦礫の更に下の方から助けを呼ぶ人々の悲鳴が聞こえていたと話した。「ある男性は、携帯電話を使い母親に“助けて”と啜り泣いていました。」とクンさん。なぜ、橋は崩落したのでしょうと云う質問に対し、工事関係者は雨で地盤が軟らかくなっていたのではないかと応えた。
足場の材料に不具合があり事故に繋がったとの見方が広がっており、全長2.75キロの昨日造られた90メートル部分が崩れ落ちている。亦、崩壊によって引き起こされた衝撃波で近くに2つあったカフェテリアも崩壊してしまった。
この橋の着工は2004年9月で日本からのODAで進められた。3億米ドル掛けて建設されるこの橋の完成予定は来年とされており、ハウ川を渡すことに拠ってカントー市とヴィンロン省を繋ぐ予定だった。
今回、崩落事故が起きたのはヴィンロン省側であった。
(辛口寸評)
未曾有の大惨事である。しかも日本が関わった悲劇で、あってはならぬ大事故を起こしてしまった。大成建設と鹿島、そして新日鉄エンジニアリングのJVが建設に携わっていたそうだが、理由は兎も角、この様な事故を起こした日系各企業の責任は重大である。責任の所在を明確にするのはもちろんだが、起きてしまったことは仕方がない。今はただ関係日系企業はベトナム当局と力を合わせ、一刻も早い被災者の救助を押し進めることが肝要だ。
それとこの事故は日本のマスコミでも報道されているが、何れも文末に「在ベトナムの日本大使館によると、日本人の作業員らが事故に巻き込まれたとの情報はないという。」と言ったコメントがつけられているが、ベトナム人に囲まれて暮らす日本人のひとりとしては複雑な心境になる。「ベトナム人なら何人死んでも構やしないのかと、、、、。」この事故で尊い命を失ったベトナム人犠牲者の皆さまのご冥福を深くお祈りする。
9月28日(金) 橋梁崩落事故 その後。。。
*南部ベトナムで起きた崩落した橋の瓦礫の下から木曜日になり救助隊は更に6体の遺体を発見した。43名の犠牲者を出したベトナム最悪の橋梁崩落事故となった。日本の資金で建設作業に250名の作業員が携わっていた橋梁が崩落したメコンデルタの水曜日に起きた災害で、救助隊は夜を徹して崩れ落ちたコンクリートを取り除いたり、鉄筋を切断し被災者の救助・発掘作業を行った。「一晩掛けて、5体の遺体を掘り出しました。」と、ホー・ギア・ズン運輸大臣は崩落現場近くでロイター共同に語った。作業員の家族たちは不安げな面持ちで被災地近くに設けられた場所で夜通し、救助作業の様子を見守っていた。現場は商業都市ホーチミン市から南西170キロのところにある。
ある女性は、彼女のご主人の遺体が5遺体の内の一体であると聞かされて気を失ってしまった。約100名がこの事故で負傷し、内17名が重傷を負ったと病院関係者の弁。運輸大臣は、現段階で42遺体の身元が判明し、87名の負傷者を把握しているものの、今も多くの人々が消息不明となっていると説明。「最優先課題は、行方不明者の捜査・救出です。この事故はベトナムの歴史始まって以来 最悪のものとなりました。が、崩落現場の除去と安全性が確認され次第、建設再開を一刻も早くしなければなりません。」とズン運輸大臣。
今度の崩落の原因は現状不明だが、しかし関係者に因ればこのところ続いている雨で地下の地盤が弛み、結果的に足場が崩れ、火曜日に築かれた90メートル部分の崩落を招いたと考えられる。捻れ曲がった鉄骨、壊れたコンクリートブロック、ひん曲がった足場は凡そ5階建てビルに匹敵する。ヘルメットを着用した救急隊は、慎重に瓦礫を取り除く隣で、クレーン車は休む間もなく崩れた足場や鉄骨を取り除いている。年8%の経済成長と足並みを合わせる為に急がれていた今回の橋梁建設プロジェクト、日本の円借款と日本のJVはカントー市とヴィンロン行政区を連絡させるために2004年から取り組み来年の完成を予定していたが、今回の事故で延期は避けられない状況だ。
(辛口寸評)
事故から二晩明けて、被災者救出作業が今も続いているという。
さて、今も雨で地盤が弛んだとの推量のみで不明とされる事故原因だが、人災も多少あったのでは無いかと筆者は診ている。ベトナムでは、住宅建設などで建設を請け負う建設会社は通常、建設のみしか責任を負わず、建設資材などは施主が自分で買い揃え、そして請負会社に渡して家を建てて貰う仕組みとなっている。勿論、請負会社に材料供給も依頼することは可能だが、彼らの利益がONされるので、とても高くついてしまう為、やはり納得の行く材料は自分たちで選ぶことになる。しかし、材料を請負会社に渡せばそれで終わりとならないところが、ベトナムなのだ。実は請負会社(便宜上、会社としているが多くは個人経営の親方と徒弟グループ)を、施主サイドで建設現場を常時、監督していないと、集めた資材を横流しして売り払ってしまうのだ。その結果何が起きるかというと、残された工期の中で作業を完成させる為に手許に残された資材で何とか格好をつけることとなり、日本じゃ無いけど、見た目問題なしで、とことん強度不足の家が建つわけだ。故に、工事期間中は必ず施主の家族が交代交代で建設現場を監視することと相成る。
当然、この様なことは個人住宅だけに限らず公共工事でも存分に発揮されるのは想像に難くない。造ったばかりの道路が至るところで陥没したり、河川工事をさせれば工事後に下水が家庭に逆流したりといった話題には事欠かないのがこの国でもある。しかも、建設関係の仕事は伝統的に国営企業が絡んでいるために権力が利権に介在し手抜き・丸投げ・水増し請求は日常茶飯事でしかない。
この事を今回の橋梁事故に結びつけるのは忍びないが、ベトナムのこれまでの背景からするとあっても何ら不思議ではない。ただ、今回、この工事に関与した日本の公的機関及び日系企業は建設知識・環境のみならず、当該国の国情や国民性などの知識は一通り持っていたプロであり、それらを十分理解した上で、プロジェクトを進められなかったことは断腸の思いである。
9月29日(土) デング熱の猛威と中秋恩赦
*保健省に拠れば、ベトナムではデング熱感染割合が昨年同時期と比べ5割りも高くなっており、今のところこの伝染病は衰退する兆しを見せていないという。南部では88%の感染者が蚊を媒介に感染していると専門家は指摘し、報告を受けているデング熱発生件数6万件の内、53000件近くが南部20の自治体、特にメコンデルタ地域での発生率が高い。メコン地域では大量の家庭排水が住宅地に溜まりそれが蚊の発生を促進させている為だ。その中でも最も感染率が高いのはドンタップ省のホング・タンビン・タップムオイ地区であり、既に今年8000件の感染者を出している。同省保健課長ドアン・ホン医師は、地元病院や健康センターは既に感染者で満杯状態で現在も伝染病の猛威は衰えを見せず、今年だけで5000億ドン(US309000$)をこの病気の対策費として割り当てていると語った。
ベトナム政府は国の年次恩赦プログラムの一環として10月に約10000人までの恩赦を行うと発表した。公安省下の受刑者管理局は現在10月半ばに行う9000~10000人の恩赦対象者リストを作成中であると同局ファム・ドック・チャン局長。このリストの完成後、グエン・ミン・チエット大統領へ10月6日から10日の間に送られ承認を得る予定となっている。受刑態度が良好で、少なくとも刑期の三分の一を勤めた受刑者が恩赦リスト対象者となる。しかし、子供の性的虐待・婦女子の誘拐・偽札偽造及び使用・麻薬密売・武装強盗などの犯罪で懲役を受けている者は対象外される。昨年 ベトナムで恩赦を受けた者の総数は6300人だった。
(辛口寸評)
一昨年前、デング熱で命を落とした在留日本人のことは今も記憶に新しい。当時このニュースが日系社会を駆け巡った時、皆一様に警戒の色を濃くし心配もしたようだが、喉元過ぎれば何とやらで筆者も含め殆ど主立った対策を講じていないのが実情だろう。デング熱は記事にもあるよう蚊を媒介とするため、兎に角、蚊から身を守ること、蚊に刺されないようにすることが肝要なのだ。それとこの時期、特に子供で風邪の症状を見せたら、ただの風邪で済ませず、直ぐに医者に診て貰うようにすることだ。そうしないと取り返しのつかぬ事になりかねない。デング熱での子供の致死率は50%と高いことを決して忘れてはならない。
さて、中秋に恩赦があるというと不思議に思われる向きもあろうが、ベトナムも仏教国であるよう、この時期、日本の福岡や小浜などで行われる放生会(ほうじょうや)或いは放生祭(ほうぜまつり)が、五穀豊穣と国家安寧・万民和楽を願い捕えられた魚鳥に法を修して山野、池水に放つ慈悲行として執り行われるのだが、ベトナムでは受刑者にも適用されているというと飛躍しすぎとは言え、その思想が根底に流れているのである。故に、この時期、恩赦が行われるのだ。但し、ベトナムの刑務所はどこも定員を大きく超えているのが実情で、オーバーキャパに至っているため、小規模な特赦は各自治体の公安警察の裁量で行われており、再犯で監獄に戻る元受刑者も6割を超すと聞く。これからベトナムは旧正月、所謂テト商戦に突入してゆくわけだが、果たしてこの時期の恩赦が本当に良いのか毎年、筆者は疑問に思うのだ。
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