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2007/09/22

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第133号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年9月22日 土曜日 第133号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflag_2いつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その133 今週のヘッドライン

* 9月17日(月) ベトナム有名歌手 日本でアルバムリリース!
* 9月18日(火) 米航空会社ベトナム路線就航
* 9月19日(水) チェット大統領 ニュージーランド公式訪問
* 9月20日(木) 露携帯大手ベトナムで合弁事業設立
* 9月21日 (金)   一流雑誌?!に高評価されるベトナム
* 9月22日 (土)  第13回世界清掃デーとゴミ意識

* 長崎の愛読者さまより“村山富市氏ベトナムで叙勲”に対する感想

9月17日(月) ベトナム有名歌手 日本でアルバムリリース!
*超有名なベトナムの歌手ミー・リンの3枚のアルバムが今月下旬、日本でリリースされるという。日本のエム&アイ・レコードフィルム社は、“メイド・イン・ベトナム”、“モーツアルトとお話しして”そして“愛を歌わせて”をポニーキャニオンを通じて発売されるとのこと。各アルバムの詳細については、9月19日発売日の前日に東京で記者会見の席上発表される予定だ。各アルバムは日本有数のラジオ局で名古屋に拠点を置くラジオアイで包装される。

“メイド・イン・ベトナム”は同ラジオ局において9月のベストアルバムとしてノミネートされたという。“モーツアルトとお話しして”は、2005年にベトナムでリリースされ、モーツアルト、バッハ、シューマン、チャイコフスキー、ヴィバルディなどのクラッシック音楽にベトナムの有名な作詞家ドントウーが詩を書き下ろし謡わせているものだ。“メイド・イン・ベトナム”は2003年に発売され、ドントウーやフイトウアン、バオチャンなどの有名作詞家などの手による11曲を載せている。“愛を歌わせて”は昨年発売で、新進気鋭の若手ミュージシャン ホー・ホアイ・アンなどを招き10曲が網羅されている。

(辛口寸評)
ほ~~と記事に眼を奪われた。これまで何かといえば、ベトナムと日本の結びつきは経済が一番で、日本からはベトナムへの投資、ベトナム自体もそれを期待し続けている。ところが音楽を含む文化的な催しといえば、全く無いことはないもののいつも隅に追いやられているような感じで、今ひとつ表に出てこないでいた。銭金ばかりでなくもっと文化的な交流と交換があっても良いのではとかねてより思ってきたが、今回、ベトナムの歌手が日本でアルバムを発売すると聞いて嬉しくなった。筆者は日本でもベトナムでも芸能音痴なので、歌手ミー・リンと聞いてもピンと来ないのだけど、記事にもあるように“モーツアルトとお話しして”なんかはベトナム語といえ、耳慣れたクラシック音楽を使用している分、馴染みやすいだろうから、聴いてみるのも悪くなかろう。皆さんも、如何です?

9月18日(火) 米航空会社ベトナム路線就航
*牽引的アメリカの航空会社であるデルタ航空はこの月曜日、ベトナムの二大都市とアメリカを結ぶ航空路を今月就航させると発表した。そのフライトはホーチミン市と、北部首都ハノイを離陸し、ソウルか台北を経由後、アメリカ・カナダ・メキシコ、或いは南部アメリカの諸都市を結ぶことになるという。デルタ航空は乗客に対し他の航空会社に先がけ地球上でより多くの就航先と接続先を目指しており、現在その数は52カ国311目的地となっている。昨年、60以上の国際路線を付け加えたデルタ航空はアメリカの他の航空会社の路線拡大の追随を許さず、大西洋を横断する32航空路線では世界をリードする立場にあるという。また、デルタ航空は世界中の参加航空会社・目的地・質の高いサービスを提供するグローバル航空会社提携組織“スカイチーム”の設立メンバーでもある。

同様にアメリカの航空会社、ユナイテッド航空は10月29日よりホーチミン市-ロスアンジェルス間にデイリーで就航させる予定で、世界で越僑人口が最も過密した地域である南カルフォルニアからの集客を狙っている。ユナイテッド航空のデイリーフライトは香港で途中寄航した後、ロスアンジェルスまではノンストップで飛行する。ロスアンジャルス-ホーチミン市間のEチケットは既に今年6月から販売されている。
さて、アメリカの航空会社が順調に米越間の路線を発展させる一方でナショナルフラッグキャリアのベトナム航空はアメリカ直行便開設に遅れが生じており、関係行政当局に対し、来年2008年後半まで計画の延期を求めている。この様な遅れは、ベトナム航空をして既に二度目であるが、同社は今回の延期をアメリカの競合先に耐えうるべく強い競争力を養うためとしている。デルタ航空ベトナムオフィスは、31 Ly Chinh Thang St, District 3, Ho Chi Minh CityとVincom City, 101 Ba Trieu St, Hanoiにある。

(辛口寸評)
昨今、筆者が日本へ帰国する際に利用する日系航空会社には多くの越僑が乗り合わせるようになってきた。タンソンニャット空港のチエックインカウンターでは、多くの荷物を預けようと人の数よりもうずたかい山になっている。通常、我々日本人乗客の場合、エコノミーなら20キロまで、ビジネスクラスなら30キロまで、更に航空会社の上客に与えられる追加+10キロまでが預けられる範囲なのだが、アメリカからやってくる人々の荷物は重量制限でなく、個数制限が認められるそうで、故にひとりで4~5個の荷口持ち込みが可能となるわけだ。

しかも、アメリカからベトナムまでの往復航空運賃はシーズンにも因るが平均エコノミークラスで500米~600米ドル前後でとても安く設定されている。ベトナムから日本への往復が一年オープンがエコノミーでも1000米ドルを超えることを思えば、如何に彼らアメリカからベトナムへ訪れる人々は優遇されているかというものだ。一体、どういうカラクリになっているのか知らないが、それにしてもアメリカとの関係で常に貧乏くじを引かされるのはここでも日本人のようである。アメリカと日本ではルールが異なるといえばそれまでかも知れないが、そのルールを平等にしなければならないと気概を持つ政治家にしろ民間航空関係者が今の日本に居ないのが嘆かわしい。

9月19日(水) チェット大統領 ニュージーランド公式訪問
*グエン・ミン・チェット大統領のニュージランド(新西蘭土)公式訪問が9月11日より始まり、昨日のウェリントンを皮切りにクライストチャーチ訪問、そして本日はヘレン・クラーク首相との会談が予定されている。今回 ベトナム国家元首レベルのニュージランド訪問は、同国首相及びアナド・サティアナドニュージランド総督の招聘により実現したもので、チェット大統領の初訪問地は昨日午前中のクライストチャーチで、ここでベトナム・ニュージランドビジネスフォーラムに参加した。フォーラムの席上、チェット大統領は越新二カ国のますますの協力関係拡大を嬉しく思うと語る一方、大統領に随行したベトナムビジネス使節団はニュージーランドでの投資とビジネスの機会を模索していると伝えた。大統領は二国間のビジネスがそれぞれの国を有機的に投資の機会と捉え経験を共有して発展拡大してゆくことを望むと述べた。

同日、午後、チェット大統領とその夫人はウェリントンに入り、そこに暮らす越僑住民や留学しているベトナム人学生たちとの懇親会を持った。チエット大統領は当地の越僑や学生たちが安定した生活を営む姿と、同時に彼らが祖国発展の礎として貢献している姿を目の当たりに出来て喜ばしく、ベトナム共産党と政府は常に祖国を現代的な産業国家建設に邁進する原動力として機能する決意を語り、海外に住む所謂、越僑は重要なパートの一部をなすものであると力説した。ベトナム人留学生たちとの懇親会で、チェット大統領は学生たちに学業に励み、将来、その知識や経験を祖国建設に役立てて欲しいと依頼した。現在のベトナム発展に欠かせぬ人材で才能ある留学生や祖国へ帰還した越僑らの存在はベトナムの大きな励みになっていると結んだ。チェット大統領は、クライストチャーチ航空機エンジン修理センターやTAIT電子プラントなども見学した。

(辛口寸評)
この間、チェット大統領の子息を紹介してくれた女性経営者は、今回、大統領と共にベトナムビジネス使節団の一員として随行している。オーストラリアとニュージランド、この前の会食で、女性経営者はもうすぐオーストラリアへ行くと言っていたので、てっきり今年からオーストラリアの大学生になる長男の世話で出掛けるのだろうと思っていたが、実は後になってこの使節団に参加しての公用旅行と知った。11月には彼女は大統領に随行して来日も果たすと聴いた。

そういえば会食で彼女は盛んに、11月まで安倍政権は持つのかと尋ねて来た。どのような意図があってかは敢えて問わなかったが、微妙なところにあると応えておいた。尤も、先の参院選で歴史的大敗北を喫した自民党で、今も総裁の席にしがみついていること自体、不思議な現象であって本来、あってはならぬことなのだから、、、、。と、書いたが結局、安部さんは12日、首相の地位を投げ出した。全く持って世間知らずのわがまま坊やを露呈した格好だ。

9月20日(木) 露携帯大手ベトナムで合弁事業設立
*ロシア第二位の携帯電話会社のヴィムペルコム社がベトナムで携帯電話事業サービスの合弁に乗り出し、ここ2~3年のうちにGMS携帯ネットワークへ10億米ドルを投資するという。この水曜日、ヴィムペルコム社がステートメントにて発表したところに因れば、ベトナムの法律に従い、この合弁で同社の株式はパートナーのGテル・モバイル社より低い割合になるものの利益取得割合はヴィムペルコム社が主体となる。この合弁は、ヴィムペルコム社にとってロシア連邦以外で操業する初の海外戦略で、ロシアとウクライナの移動テレコミュニケーション市場が飽和状態にあり、それを打破し多角化する一環とされる。

「ベトナムは大変魅力的な市場で増加傾向にある総人口は8500万人、携帯人口は全体の32%を誇っています。」と代表執行役員のアレキサンダー・イゾシモフ氏。ヴィムペルコム社曰く、ベトナム公安省とアメリカ新千年紀ソリューショングループが出資し設立した会社が、ヴィム社の合弁相手になるとのこと。ビーラインブランド名で操業するヴィムペルコム社は、ロシアのアルファグループとノルウェイのテレノア社に拠って所有されている。

(辛口寸評)
ベトナムは国家の主軸を担う運輸・通信関係の事業は外資100%を認めていない。この為、海外の事業者がこの分野へ参入する場合は、現地企業と合弁の形をとらざるおえない。この際、そんなことは重要では無く、筆者が驚いたのはベトナムには従来、国営企業系のモビフォン社、ビナフォン社の双璧とそれを追随する軍部関連企業のヴィッテル社の三社が国内携帯電話事業を他者が入る隙間も無いほどに固めており、国家もこの事業だけは外資に与えることはあり得ないと考えて来たのだが、思いも拠らずロシアのヴィムペルコム社の参入を認めたことにある。

丁度、この時期、ベトナムのグエン・タン・ズン首相が欧州歴訪の旅にあり、しかも現在はロシア滞在中で、プーチン大統領とも会談し発表のタイミングとしてはバッチリだ。多分、ロシア以外の先進国がこの様なビジネスを提案してきてもベトナムは受け付けなかったと筆者は考えている。恐らく政治的な配慮と判断がここにはなされた筈で、ベトナムはロシアの豊富な天然資源を手にする見返りとして今回の合弁が承認、そして認可されてゆくのだろうと思われる。

9月21日(金) 一流雑誌?!に高評価されるベトナム
*国際的に有名なビジネス雑誌である“アフリーク・アジー”の9月号に“ベトナム昇竜の時”と題し過去20年間で成し遂げた経済成長とグローバル化に躍進するベトナムを褒め称える記事が掲載された。2頁に渡る記事には、20年足らずでベトナムは貧しさから脱却したばかりか農産業分野で胡椒輸出は世界第一位、米とコーヒーの輸出はそれぞれ第二位、海産物では第七位にランクインを果たすまでになったと書かれている。記事に拠れば、ベトナム繊維産業・シューズ・家具製造も順調に伸びており、この地域で中国に次いで2006年度第二番目の経済成長率8.2%を達成している。

ベトナムの高い成長率を主要因をこの雑誌は昨年、同国に投下された102億米ドル以上の外国投資にあるとし、ベトナムが政治的に安定し、若くて熟練した労働者が豊富で且つ、オープンドア政策等が外国人投資家たちを惹き付けていることを証明した結果と括った。また、同誌は今のままベトナムが成長を持続させるのならベトナム昇竜は12年後に対を追い抜き、2020年までには産業国の仲間入りを果たすことになるだろうと結んでいた。

(辛口寸評)
ベトナムが今の成長力を続ければ12年後にタイに追いつくという。昨年、タイのあるビジネス雑誌が14年後にベトナムに追い抜かれると記事を書いてから一年、既に1年その時間を短縮させたようだ。とは言え、あくまでも“このまま持続可能ならば”という但し書きが付く。常々、筆者が語って来たようにベトナムは証券や金融・不動産開発などを中心とした第二のバブルに入っており、海外からの進出企業が増え、それと共に外国人の流入も激しくなり、オフィスビルやアパートメントの需要は高まりつつも、供給が需要に追いつかない為に更に物価は上がり、結果的にそれがインフレに帰結している有様なのだ。

基幹産業が未発達のベトナムで、バブルの要因を構成するものは唯一外国人投資家の“期待値”のみだということを忘れてはならない。それがバブルの99%を占めているといっても過言では無い。
自国で製鉄が出来るわけでもなく、単純なプラスチック加工は出来てもその原料を造り出す大元の石油精製・製品も覚束なく、化繊は100%の輸入に頼る現状で、石油産油国といえども、現在、採掘中のベトナム最大級のバックホー油田にしろ2005年から生産量の急速な減退が伝えられており、後7~8年のうちには枯渇するとさえいわれており、この油田のベトナムにとっての存在価値はもはや“産油国”という広告塔の役目しかないところまで来ている。これらの事実を見据えた上で本当にベトナムに明るい未来が来るのかどうかの判断が今後問われるのだろう。

9月22日(土) 第13回世界清掃デーとゴミ意識
*先週金曜日にハナム省ビンルック町とドンナイ省ビエンフォア市で開催された第13回世界清掃デーに3000人以上の人々が参加した。このキャンペーンは天然資源環境省とオーストラリア大使館及び在ホーチミン・オーストラリア総領事館、そしてベトナム青年同盟の共催で“我らの気候・我らの実行力・我らの未来”をスローガンに掲げ行われた。「今年は環境破壊に対する警告だけでなく、多くの国で深刻な結果をもたらしているベトナムを含む世界的な気候変動に反応する特定で実用的な措置の要請も行った。」と、グエン・コン・タイン天然資源環境副大臣は語った。

在ホーチミン市オーストラリア総領事のグラハム・ペアース氏は今回のキャンペーンが熱狂的な支持を受けているのを確認することが出来て嬉しいと述べる一方で、ビエンホアに集まった2000人を超えるボランティアの参加自体、このプログラムの重要な意義付けとなり、ベトナムの人々が祖国の環境問題改善を意識するきっかけとなることでしょうと話した。ホーチミン市では、ホーチミン市人民委員会天然資源環境課と同市10区の人民委員会が共催でキャンペーンを組織した。このキャンペーンは元々10区住民への環境に対する啓蒙活動の一環として立ち上げられたものが、ゴミ問題もからめホーチミン市全体の企画としたのである。参加したボランティアは道行く人々にゴミ拾いを呼びかけながら、啓蒙の為のチラシを配布していた。

このキャンペーンは、元々1989年1月に“シドニー港清掃デー”に端を発し、その翌年にはオーストラリア全土から5000名の地元民と30万人の参加者を集め“第1回オーストラリア清掃デー”へと拡大した。1993年9月に“第1回世界清掃デー”が開催されると同時に世界規模へのイベントへと拡大発展したのである。毎年、世界清掃デーでは世界120カ国総勢3500万人に及ぶボランティアが参加し、環境問題キャンペーンとしては世界一の規模を誇るイベントとなっている。
世界清掃デーの活動項目は、資源再生・資源回復・植林・啓蒙・水資源再利用・環境保全・展示・修復プロジェクトなどが含まれる。ベトナムは1994年に世界清掃デーに参加以来、強力な支援者として活動を擁護してきた。2006年には数千人のベトナム人がこの行事に参加し、植林・ビーチでのゴミ拾い・ドブさらいなどを行った。

(辛口寸評)
この国での環境意識は残念ながら低い。ゴミのポイ捨ては至るところで行われており、それを咎めようとする人もいない。尤も、これには理由がある。というのも、社会主義体制下のベトナムでは仕事を平等に与えるため、各自治体では大量の清掃員を抱えており、夜間から早朝に掛けて吐き出されたゴミを一斉に掃き清め片付けてくれる。
住民の頭の中にもこの“どうせ彼らがきれいにしてくれるし、彼らに仕事を与えなければならない。」といった意識があり、結局、ポイ捨ては無くならない悪循環に陥っているというわけなのだ。

だがいくら清掃してくれるからといえ、それでは衛生的にどうかといえば良くないのに決まっている。筆者は毎日午前4時に起床し、一時間半ほどの散歩を日課としているのだが、前夜、各家庭から出されたゴミ袋の小山を左右に見ながら歩いていると、子犬ほどもあるドブネズミがゴミからゴミを走り回っているかと思えば、ゴキブリがかさかさ大量にその周りを這いずっている有様で、これでは害虫や害獣に繁殖用の餌を大盤振る舞いしているようなもので、結局、これらはある程度、腹が満とねぐらを求めて、各家庭へ明け方に戻って子孫を増やし続けるのである。

今回、ドンナイ省やホーチミン市で行われたイベントは住民の意識を高める上でのメディア的効果はあったのかも知れないが、ベトナムで13回目を数える割りに参加者が3000人というのは焼け石に水のような気がしなくもない。恐らく参加ボランティアは学生が中心だと考えられるが、それ以前にベトナムの交通マナー問題同様、親の世代を啓蒙しないことには現状が変わることは無いだろう。

長崎の愛読者より“村山富市氏ベトナムで叙勲”に対する感想

*村山元首相については,おっしゃるとおりだと思います。地震直後に、自衛隊を直ちに派遣すべきでしたし,自らも現地に飛ぶべきでした。
自民党と共謀の上、アメリカを騙して日本に有利な政策をしてもらうというだけ、そして国民に幻想を与えて社会党の選挙にも役立てるというのだけの意味しかなかった非武装中立論に自分自身が騙されて、頭が本当に馬鹿になっていたのでしょう。うそつきが、自分がうそつきであることを忘れて、自分のうそを信じてしまったら、滑稽としか言いようがありません。

以上

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