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2007/11/10

ナマのベトナムが分かる、週刊ベトナムニュース第140号

ウィークリー・ベトナム・ニュース  
■ 平成19年11月10日 土曜日 第140号
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■ こんにちは!!

Vnnationalflagいつもお世話になっておりますベトナムから、ニャットアインです。

今日もここ一週間のベトナムの主なニュースをご笑覧下さい。

翻訳は直訳とせず、日本語に馴染む意訳としておりますので、ご注意下さい(笑)また、訳者の独断と偏見を交えた辛口寸評を入れてみました。内容が片寄り、言葉が多少過ぎる箇所も多々あろうかと存じますが、これもベトナムを愛するゆえの諫言とお許し下さい。

誤字・脱字はご愛敬ってことでお願いします<(_ _)>

尚、記事の転送は営利目的以外なら原則自由ですが、自己責任において行い、その中で被った被害・損害に対し筆者は責任を負えませんのでご了解下さい。

ベトナム・ニュース その140 今週のヘッドライン

*11月05日(月) タイ人観光客はベトナム中部を目指す
*11月06日(火) ミス・アジアインターナショナル2008
*11月07日(水) 男は黙って一生懸命
*11月08日(木) 親しき仲に距離を置くコツ
*11月09日 (金)   市バスに乗り換えてみませんか?
*11月10日 (土)  お手盛りの税制論議のその先に
* 論評:ベトナムでの「橋梁桁崩落事故」を扱わない理由

11月05日(月) タイ人観光客はベトナム中部を目指す
*先週、約15000名のタイ人観光客が歴史ある古都フエを訪れ、ツアー団体として過去最大を記録したと、トウアティエン・フエ観光局は発表した。先週、火曜日、フエは約6000人のタイ人観光客を歓迎した。観光客の殆どがトランス・アジアハイウエイを利用し陸路でラオスの国境を抜けベトナム・クアンチ省に入境して来た人々だった。今回のタイ観光客団体のフエ受け入れは単日としては最大級でしたと語ったのは、トウアティエン・フエ観光局のヴォ・フィ・フン局長。タイ人観光客は今週も引き続きフエに訪れ、今ではタイ東北部の人々にとってフエはホリディー都市となりつつあるという。

タイ人観光客が急増した背景に、ベトナム・ラオス・タイ東北部を結ぶトランス・アジアハイウェイの連絡、そして東西回廊の整備、亦、ラオスのサヴァナケートとタイのムクダハンに架かる第二友誼橋が昨年開通したことが挙げられる。しかし、その一方でフエ市の宿泊施設客室提供量は約6000部屋ほどしかなく、一度に大量のゲストを迎え入れる事が叶わないでいる。フン局長曰く、フエ市一日終日観光を楽しんだ今回のタイ人観光客は、フエ市以外に近隣のダナン市やクワンチなどに分宿しなければならなかったと話した。

フエ市に拠点を置く旅行会社フオンザントラベル社のグエン・ハン・クイ社長はベトナム中部のクアンビン省のフォンニャ洞窟やフエ城趾、ホイアン街、そしてクワンナム省のミーソン遺跡を含む世界遺産に多くのタイ人観光客が興味を示したという。亦、クイ社長に因ればタイ人観光客は贅沢なホテルに泊まってお金を使うよりも土産物や伝統的なベトナム料理に対するウエイトが高いようだとコメントした。彼の会社ではこれまでに600名のタイ人観光客のお世話をしてきたそうだ。タイ観光当局(TAT)の統計に拠れば、ベトナムはタイ人観光客にとってメコン地域内での観光地としてラオスに次いで二番目に人気のある旅行地になっている。TATの統計では、2007年に入って9ヶ月間でベトナムを訪れたタイ人は121000名を記録しており、対前年比でその割合は137%となった。その一方で、ベトナムからたいへ訪れるベトナム人観光客は今年7ヶ月の数字で昨年に比べ60%に減少しているとのこと。

(辛口寸評)
同じ国内でありながら南北に縦長いベトナムで、ホーチミン市からハノイまでは1800キロも離れている。ホーチミン市を起点として、西北に進めば350キロ進めばカンボジアのプノンペンに行くことが出来るし、更にそこから450キロ先に行くとタイのバンコクに辿り着くことが出来る。日本本土で喩えるならば、ホーチミン市とバンコクの距離は東京と広島程度でしかないのだ。更に、ベトナム中部のフエはどうかというと、真西に25キロ行けばラオスとの国境となり、そしてどんどんと西へ150キロ向かえばタイ東北部のイーサンだ。

因みにホーチミン市中心として半径1500キロ範囲内で行ける近隣都市を参考までに挙げると、ラオスのビエンチャン、タイのバンコクはもとより、マレーシアのクアラルンプール、シンガポール、そしてマレーシアサラワク州内に孤島のように浮かぶブルネイ王国までカバーすることが可能だ。同様にハノイを中心とすると西はミャンマーの首都ヤンゴン、そしてマンダレーを含み東は香港・深センを網羅し、北は三国志でお馴染みの蜀の劉備元徳が都を定めた成都を包み込む。東南アジアに暮らす人々にとって、平和を謳歌出来る今、国境を跨ぐ旅行とは言え感覚的には国内旅行の延長として捉えられる日がもうそこまで来ているような気がする。

11月06日(火) ミス・アジアインターナショナル2008
*グエン・ティエン・ニャン副首相は、2008年ミスアジアインターナショナルのホスト国にベトナムがなることを公式に承認した。
文化観光スポーツ省・外務省・公安省から政府へ提出された提案においてこれら関係各省が、来年、ベトナムで初めて開催されるアメリカ主導のこのイベントに責任を持つこととなる。毎年開催されるこのコンテストにはアジア56カ国から代表が参加し、強調・平和・愛が主眼に置かれる一方、アジア大洋州地域の文化・経済の特色を集積したものになるという。

コンテストではアジアの女性の美を覚醒したイメージを提供し、世界化の中で重要な役割を担うアジア女性の力強い昂揚を固めるものとなると主催者は考えており、この地域での女性たちの相互協力に今回のイベントが役立つものと期待しているという。ベトナム投資開発銀行は関連省庁より慎重にベトナム初のこのミスアジアイベントに備えるよう援助するスポンサーに選ばれている。

(辛口寸評)
最近、ベトナムでもこの手のビューティーコンテストが広く行われるようになったが、今から13年ほど前の駐在員時代、この手のコンテストの企画をしたことがあったが、何分、今のように情報は全くなく、一から手探りであった。先ず、信頼でき当局に顔が利くベトナム人を探し出し、各方面に渡りを付けて貰う作戦をとった。
しかし、この話に飛びついてきたベトナム人はいずれも怪しい連中ばかりで、中には現役の官僚なども含まれていたが、暫く付き合ってみると十中八九、自分の商売でイベントを利用しようとする者たちばかりであった。

途方に暮れていたときに、ある日系メーカーに勤める友人からひとりのカナダ人越僑を紹介して貰った。このメーカーも販促の一環でベトナムでしばしばイベントを立ち上げて来ており、件の越僑の尽力があるという触れ込みだった。どちらにせよ生のベトナム人を相手にしていると、さっきまで予算1万ドルもあれば大丈夫と太鼓判を押していたのが、その舌の根も乾かぬうちに“実は10万ドルでした”などと言うのは日常茶飯事で、それに疲れていた私はそのオファーに飛びついたのである。

パートナーになった越僑は、自分なりのネットワークをベトナムの中に創り上げており、それを利用しコンテストの段取りを進める一方で、契約書内で明記した予算内でイベントが出来るよう取り仕切ってくれた。イベント自体は5つ星ホテルのバンクエットを借り切り、約3時間に及ぶ一大美のページェントを成功裏に終わらせることが出来た。この時ほどベトナムで西側の概念を持ち込み仕事をセットアップする際、膠としての越僑ビジネスマンの有益性を身にしみて感じた事は無かった。古い話ではあるが、今日の記事から昔話を思い出したのでつれづれなるなるままに書いてみた。

11月08日(水) 男は黙って一生懸命
*若いベトナム人起業家の多くは実用的な経験の重要性を過小評価している傾向にあるという。ホーチミン市内に暮らす多くの若者たちはいつか金持ちになることを夢見ている。そんな彼らが直面するひとつの質問は、誰かの会社に勤めるか、或いは自分自身で起業するか、はたまたその両方を目指すかである。毎月、600名以上の若者たちが、ホーチミン市投資計画課に営業許可を申請する。誰もが一様に自信と情熱に溢れているが、しかし、実際のビジネスでの経験不足は否めない。

ホーチミン市社会科学人文大学学生ディンくんのケースが好例となるだろう。彼は自分の会社を設立後、いくらかの友人たちは彼を励ます一方、その他大勢は彼のビジネス経験不足が成功の足枷になるだろうと起業を危ぶんだ。ディンくんは、フリーのデザイナーとして活躍していたものの起業するまで、会社勤めをしたことが無かった。多くの若者たちは起業家を夢見るものだ。しかし、経験不足のせいで彼らは彼らを待ち受けている困難・苦難を予測し、挑戦し、そしてそれらを乗り越える事が出来ないのである。例えば、市内トウドック区の大学内ではいくつかのビジネス活動環境が整えられているのだが、僅かな数の学生起業家が細々と経営を続けているだけで、現実は起業した先から失敗し、そして店を畳んでいるのである。

過去二年間で、10人に5人の割合で学生起業家たちは大学村に設けた店を畳んでいる。ここには数千人規模の学生が生活し勉強しているので立地条件が悪かろう筈が無いにも拘わらずだ。
青年経済相談センターのグエン・トウ・アイン副長に拠れば、ビジネスを立ち上げ軌道に乗せてゆくには良いアイデアと情熱だけでは駄目で、成功には知識と経験が欠かせないと語る。新規起業家にとって最も大切なものは、起業前に誰かの下で働きその経験を養う事だとアインさん。

将来起業家を目指す殆どの若者たちは、事前に経験を積むことが重要だと認識している。その為、この需要を満たすため多くはPRコースを履修するという。何故なら、彼らはこれによって仮想ビジネス世界に身を置き、顧客開拓や起業の機会を伺う事に役立つと信じているからだ。ホーチミン市内で情報デザイン会社を経営するフックさんは起業前、同じ業界の有名企業に就職していたという。そこで二年間働いて経験を積んだ後、彼とその同僚たちは自分たちが起業可能なほどの能力を養えたのを認識し、その結果、共同で起業の道を選んだのだった。「仮に我々が誰かの為に働いていたとすれば、決してお金持ちにはなれないでしょう。事前に経験を磨いておいたお陰でビジネスの業績は好調です。」とフックさん。

ナムタンさんは建設資材とその設備を売買する貿易会社に勤務する一方で、独自の会社を経営している。彼はこのまま会社勤めを続けて行くかそれともそこを辞め100%自身の会社に身を入れて行くかで悩んでいるという。既に彼自身、起業に必要な資金も十分にあるものの、経験値は今ひとつ不足すると分析しており、現在、様々なところへ相談を持ちかけているというのだ。もちろん彼の会社の同僚は彼が起業している事を知らない。彼は勤め先の顧客を引き抜く事はしないと決めたものの、その代わり新規顧客とは積極的な関係発展を目指すようにしていると語る。

ホーチミン市経済大学銀行業務学部学部長チャン・ホアン・ガン教授に拠れば、一般的な傾向として学生は卒業すると直ぐに起業するという。もし彼らが経験不足なら先ずその師を見つける必要があるのだと続ける。これら0から起業する者たちは、借金をして起業することは慎むべきで、その代わり先ず誰かの下で働きながら経験を得、しかも様々な業態を経験することが望ましくビジネスでのしかかるプレッシャーやリスクの取り方などを体験しておく事が重要だと教授は訴える。現在、経済成長目覚ましいベトナムのビジネス環境の中において競争やリスクはとてつもなく巨大である。故に、経験不足はビジネス活動にとって致命的なのだ。

(辛口寸評)
若い起業家たちに起業前にこれからしようとする仕事の経験を積むことの重要性を順々と説いている。僭越ながら、筆者も起業したひとりとして云わせて貰うなら、経験があることは大切だが、それ以上に大切なのは彼らには“若さ”があるということだ。若いうちに沢山、失敗をしておくことだ。40歳まではいくら失敗しても、多額の借金まみれにならない限り、それが致命傷となることは先ず無い。寧ろ、その失敗が成功の素となる。別に、将来のビジネスを想定した仕事の経験だけを追い求めずとも良い。あれこれ何でも経験してみることだ。
その時点で“遠回り”しているかの如く思える事ですら、いずれその経験は将来、何かの折に生きてくる。それだけでなく、様々な経験がシナジー効果をもたらす為に、ひとつひとつの経験から応用が効くようになるものなのだ。

筆者は現在、本業の菓子以外で4つの仕事をこなしている。詳細はここでは省くけど、いずれの過去の経験の応用で出来上がっているものばかりだ。旅行会社時代・商社時代・コンサル時代と職業は都度変遷を辿ってきたが、そのいずれもが筆者の“今”を構成しているのである。松下幸之助翁では無いが、「転けたら立ちなはれ」そこから掴めるものは若さがあればいくらでもあるものだ。人生は泣いても笑っても一度きりしかない。何をして食って行くかは本人次第、、、。他人を嗤う前に先ず自分の足下をしっかり固め歩んで行けば自ずと結果とお金は後からついてくるものなのだから。ということで、男は黙って一生懸命。

11月09日(木) 親しき仲に距離を置くコツ
*私の妹が長女を出産したとき、同じ病院で偶然 ダオ・クワン・フンさんと出合った。丁度、彼の奥さんもそこで彼の3番目の息子を出産していたのである。殆どの男性は息子の誕生に喜びを表すものだが、フンさんの場合、青ざめた顔をして弱々しく微笑んだだけだった。フンさんの様な多くの男性たちは彼らの子供の将来を心配する。
フンさんは将来 子供が独立した生活を営んで行くだけの資質と資産を持ち暮らして行けるのか、それとも奥さんの実家でマスオさんをしなければならなくなるのか心配なのだという。「正直言って、今の僕の気持ちは笑うべきか泣くべきか判りません。もちろん生まれた僕の赤ちゃんを愛する気持ちに変わりはありません。しかし、将来、3人の息子たちが結婚し独立するときに、その費用を工面してやれるかを考えると貧しい懐事情の我が家では難しいと思うのです。」とフンさんは打ち明けてくれた。

フンさん曰く、「持ち家がなければ息子たちは私が10年前にそうであったように厄介な状況と向き合わなければなりません。私は結婚後、持ち家がなかった為に渋々、妻の実家に入ることに同意しました。
今年35歳になる教師のグエン・クオック・フイさんは我々と同じ待合室で座り、フンさんの言葉に驚きそして話し始めた。「結婚して直ぐに妻と私は義父母の実家に入り5年間共に生活しました。仮に誰かが妻の両親のことを僕に尋ねたとすれば、彼らは僕らにとっての“救世主”と答えるでしょう。」とフイさん。

「ハノイで僕が15の時に高校に入学しました。若くして親元を離れました。実母は僕に普通の愛情を与えることが出来ませんでした。何故なら、僕の故郷はハノイから200キロも離れていましたし、勉強で忙しく実家へ里帰りすることなど殆どありませんでした。ですから、僕は妻をくれた義母に深い感謝をしています。実際、彼女が私の実母以上の母でもあります。彼女の僕に対する気持ちは尊敬と愛情を兼ね備えており、僕自身 孤独をここで感じたことはありません。幸運にも、妻も彼女の母親の性格をうまく受け継いでくれています。」とフイさんは続ける。
「我々ベトナム人の諺に、人々は嫁は実の娘として捉える一方、婿は種馬に過ぎないというものがあります。しかし、私の義母は、私と家族の絆を結びつけてくれただけでなく、同居することで肩身の狭い思いと捉えていた私のわだかまりを解き放してくれたのです。」とフイさん。

フイさんのケースはある種、特異稀なものであるように見える。
妻の両親と同居するチャン・ドック・チャンさんの状況は悲惨なもので、曰く、「私の妻は義父母にとって一人娘なので、我々の結婚式が済むと、義父母は直ちに彼らと同居するよう求めて来たのです。彼らの寂しく哀しい気持ちも解ったので、その時は先のことを深く何も考えず求めに応じて一緒に暮らし始めたのです。ところが、近所では私が義父母との同居に同意したのは彼らの大きな家とお金目当てなどと噂が撒き散らされたのです。

眠れぬ日が続いたものの家内の励ましにも救われ随分落ち着いたのですが、しかし子供が授かると又、災いが家族を襲いました。
それは義父母が孫の側を四六時中離れず、自分たちで養育すると言いだしたのです。義母なんかは私が息子や娘の勉強を見ていると邪魔をしだす始末。しばしば、義父母が何を考えているのか理解に苦しみました。そして悲しみと怒りを産みだしたのです。現在、我々は義父母と別居し既に3年になりますが、小さくても自宅で誰憚ることなく妻や子供たちと共に暮らすことの出来る生活にとても満足しています。」と話してくれたチャンさん。

個人の性格というよりも義父母と同居するのは簡単なことではなさそうだ。この事は特にベトナムのような保守的で固定概念が凝り固まった国では真実といえる。もちろん、義父母たちが娘婿を憎かろう筈はないものの、古い世代は彼らなりの生活スタイルや主張を持ち、そのことが若い世代と相容れず相互誤解に発展してしまうのである。
少なくとも、結婚後の義父母との同居には僅かでもプライバシーの概念を双方に持ち込むことが肝要だと思われる。

(辛口寸評)
我が家では結婚以来、家族揃ってベトナムで生活をしており、かみさんの両親と一緒に生活したことはないので、義父母との生活がどんなものか想像することは困難だが、記事にもあるように同じベトナム人婿ですら、問題を抱えるのであれば国籍が違うそれならば、尚更だろうと推測する。文化・歴史・言葉・習慣 どれひとつをとっても異なる為、たまの旧正月休暇に会うくらいの期間であれば、誤魔化しも利くだろうが、ひとつ屋根の下で暮らすとなれば弊害は蓄積してゆく一方に違いない。これは婿ばかりでなく立場を変えた嫁であっても同じだろう。親子であっても一旦 別に世帯を持ち独立した限りには一定の距離を置いて付き合うことが大切ということか、、、、。

11月10日(金) 市バスに乗り換えてみませんか?
*安くて便利な市バス。彼らがベトナムの都市を走る最も快適な乗り物とは言わないまでも、しかし貧乏学生の私にとってこの謙虚な交通期間は新しい尊敬の念を生じさせたのだ。その第一の理由は何と言っても安価な運賃。貧しい学生の私はしばしば勉強道具や友達との付き合いごとに費やすお金を貯めなくてはならない。実際、親が与えてくれるこずかいにも限界があり、そうそう無理は捻じ込めない。だからこそ、僕のような学生やその他大勢の人たちは毎日の市内の移動や通学に5万ドン(US3$)の学生定期や8万ドン(US5$)の定期券は欠かせない手段となっている。

しかもバス移動の良い点は、これだけに留まらない。バス停で軽く手を挙げれば、気軽にバスに乗車出来、晴れていようが雨降りでも、どこでも好きなところへ連れて行ってくれる。それにラッシュアワーを避ければ席に座って移動することも可能だ。ハノイ工科大学4年の学生は、天候を気にせずあちこち出かけることが出来るバスは素晴らしい乗り物だと推奨する。昨今 総てのバスはエアコン・ラジオ・カセットテープレコーダーが完備され、運転はドライバーに任せリラックスした気持ちで移動を楽しむ事が出来るのだ。それに今日では、運転手も車掌も車内勤務は以前にも増して真摯に行う様になり、ちょっと前までのように荒くれた運転は既に過去のものとなり、殆どの運転手は親切で優しい人々で構成されている。

ハイバーチュン区のマイドンからミーディン国家スタジアム間を走るバス26に乗務する車掌は、普通 バスに乗り降りするお年寄りのお手伝いをする。また バス26、11、44に誤って乗車する客がしばしば見受けられるが、そんな時、車掌達は丁寧に行き方を教え、間違って乗車した分については不問とし、乗客はお金を払わなくても良かったりするということもあるそうだ。大都市内のバス移動における一番の問題点と言えば、悲惨なラッシュアワーであろう。ザイバットからチュントウ、そしてハアドン間を繋ぐバス21のルート線上には5つの主要大学が存在し、ラッシュピーク時には自分の居場所を確保する為に芋を洗う様な状態に身を置かなくてはならなくなる。バスが混み合う時間帯は他の問題も誘発する、、、交通渋滞である。
バス21に乗車中、渋滞に巻き込まれ30分以上、バスが動かなくなることもしばしば。

ハノイの狭いチュオンチン通りのような通りでは交通渋滞を緩和する措置が講じられることがある。混雑を避ける為にバス19などラッシュ時に別のルートを通るのだ。しかし、個人的には渋滞で道が混んでいたとしても涼しいエアコンの効いたバスの中にいる方が、多くのバイクの排気ガスにまみれて外にいるよりマシである。交通安全に関して言えば、バスが安全運転を完璧に保持して来たとは言えない。運転手は時に注意力散漫で、小型車輌を押しのけしばしば交通弱者を危険に追いやってきたし、事実、バスに因ってもたらされた死亡事故も多数あった。この様なことが積み重なって、バス会社には問題解決に向けて市民から圧力が掛かっている。とは言え、やはりバスはバイクに比べより安全な交通手段と心得る。

バスは主要都市と各地方を、町から村へと毎日繋げられ、より多くのルートが今後も引かれるだろう。そして私の移動費用の節約に大きく貢献してくれるのは間違いない。バイクの利便性は未だ捨てがたい。が、しかし、将来、交通安全が一般化し、渋滞が解消され過去のものとなり、バスの席がいつも確保できるようになれば仮に黄金のヴェスパを持っていたとしても、それを利用するのは最寄りのバス停までになるかも知れないことを君も一緒に夢見よう。

(辛口寸評)
穿った見方をするようでなんだけど、大体この様な記事が新聞に載ること自体、都市部の交通渋滞の悪化が如何に深刻化しつつあるのかを雄弁に物語っているといえる。筆者の自宅は空港近くにあるのだけれど、一年前と比べると一区の中心地まで行くのにバイクなら10分、自動車なら15~20分が余分に掛かるようになった。一部、空港・ダウンタウンに抜けるチャン・フン・ダオ通りは既に拡張工事が進んでいるというのにである。苦肉の策としてホーチミン市行政は、主要道路の一方通行化を進めているのだが、これが亦、住民の生活を無視したものであり、移動時間の長時間化と交通の混乱に更なる拍車が掛かってきているのだ。

その上、バイクや自動車の運転免許試験場では、毎日大勢の人々でごった返している。一応、筆記試験と実技試験を受けるのだが、試験方法がまた、いい加減この上ない。特に筆記ときたら、お金を払えば何と検査官が答えを教えてくれるのである。しかも、試験の合格を確実なものにしたければ、昨今のバイク免許の相場は、40万ドン(約3300円)でOKだそうで、ここまで来ると本人の実力など関係なく、そしてこの様な?マークの付く人々がバイクなり、自動車免許を取得して晴れて公道を運転することとなるわけだ。考えただけでも、交通環境の混乱が増加ではなく倍加するのは言を待たない。たまたま今回は運転免許試験場の一こまを描写したわけだが、交通に携わるあらゆる公的機関で大なり小なりこの様な状況が罷り通っている。目先の対処療法も大切だろうが、それ以前に根本原因を洗い出し、患部を切り取るような外科手術を行う必要があると考えるのは筆者だけだろうか。。。

11月10日(土) お手盛りの税制論議のその先に
*国会下院議員たちは一昨日の本会議で、ベトナムが個人所得税法の導入が必要であるとの意見の一致を見た。この様な法律が整備されることに拠って、政府の金融政策の財源に結びつくのみならず、平等な社会を促進させることに役立つと彼らは考えている。この提案した法律が効力を発揮するようになれば、貧富の差は縮まり、社会経済の安定的な発展に寄与することとなる。しかし、法制化にあたり3つの問題が立ちはだかり、それらを解決しなければならない。先ず、誰が税金の支払い対象になるか?次に、いつから導入するか?そして、個人所得を計算する際、家族控除分の取扱いはどうするかの三点だ。

中部ハアティン省選出のグエン・ニャット議員、ホーチミン市選出のダン・ゴック・トウン議員、ハノイ市選出のグエン・ティ・グエット・フオン議員を含む大勢の議員たちは家族経営の企業がこれまでの法人所得税に変わり、個人所得税を支払う方向のドラフト案に同意しているという。
又、このドラフト案には一般企業のオーナーから個人所得税を徴収しないと明記してある。この免税は、ベトナムの私営企業の殆どが小規模で資本の僅かで利益も少ないので、既に常任委員会に拠って受け入れられているのだ。しかし、ハノイ市選出のグエン・ティ・グエット・フオン議員とホーチミン市選出のダン・ゴック・トウン議員は、この案に反対の立場をとるという。両議員に拠ると、この法律の法制化の第一の目的は、社会の平等化を促進する為であり、そうであれば中小企業のオーナーも所得税を払うべきで、28%の法人税だけで許される道理はない。どちらの収入を所得税扱いにするかは未だ議論の分かれるところだ。

ドラフト案では、商売・給料・有価証券投資・不動産売買で得た所得は総て課税対象にするよう提案されている。しかし、多くの議員たちは時間外手当・シフト勤務手当や株式配当に拠る収入などは免税にすべきとの意見が圧倒的なのだ。ダン・ゴック・トウン議員とグエン・ニャット議員は、特にこれらの収入は低くしかも受け取る側の多くは貧しい生活を余儀なくされているのだと訴える一方で、グエン・ティ・グエット・フオン議員は、如何なる臨時収入に対する免税措置は雇用主に新たな頭痛の種を与えることになりかねないという。何故なら、彼らがそのひとつずつを税務署に説明しなければならなくなるからだ。それに免税は脱税を誘発させかねないとの不安もある、、、。

中部ニントウアン省選出ダン・ティ・ミー・フオン議員は、ベトナムの証券市場が未熟だったので証券取引所法が確立されるまで普通株の取引から得られる利益の所得税は延期されなければならないと提案した。ビンディン省選出のヴ・ホアン・ハア議員は、外国からベトナムへ送金される7000米ドル以上のお金に課税するべきだという。ドラフト法案で提案され、多くの議員たちは毎月400万ドン(US240$)で扶養家族ひとりにつき160万ドン(US100$)の控除をすることに同意をしなかったが、その代わり500万ドンに付き200万ドンの控除をするよう主張した。ダックノン省選出のルオン・ヴァン・クウ議員は、国家予算を立てる上で、税収はメインソースとなり、仮に透明性不足により低所得者が税金を課せられ、高額所得者が課税を免れるような事にでもなれば矛盾も甚だしいと憤りを顕わにした。クウ議員は課税対象者を2~300万ドンに引き下げ、扶養控除を均等にしてはどうかと提案した。

約60名の議員たちが討議での発言登録をしたものの、時間の兼ね合いで21番までしか進められなかった。残りの未発言の議員たちは議会常任委員会に対す文書でその内容を提出することになっている。
国会ではこの法案を来年には通過させ、2009年1月1日より施行する方向で動いている。では、ここで庶民の意見を聞いてみよう。ハノイ市トウリエム区のド・ティ・チエンさんは、現金取引が優位を占めてきたベトナムにおいて所得税がどのように課せられるのか心配だという。「多くの高額所得者は税金を払っておらず、その一方で一般的に収入の低い公務員など税金を払わされることになり、これは公平ではありません。」とチエンさん。ハイバーチュン区に住むグエン・ゴック・フーさんは、退職して既に10年が経過し月々80万ドン(約US50$)を年金として受け取っている。二人のお孫さんは現在大学生で、もし新しい法律が18歳未満の扶養家族控除に限界値を定めたら、彼の息子と嫁はどのようにして子供たちの面倒を見てゆくのだろうかと心配している。

ダナン市のグエン・ヴァン・フンさん46歳はベトナムの7割のワーカーたちの平均月収は400万ドン(US250$)未満なのに160万ドン(US100$)の減免は高すぎるという。又、同じダナン市のンゴ・ヴオンさん56歳曰く、家族の収入状況を確定するのはとても難しいとする。が、彼自身、自分の家族で次のような疑問を呈してくれた。「私の両親には9人の子供がいまして、それぞれ結婚し独立し家族を養っています。内3人はハノイで生活し働き、4人がダナンに そして2人がニャチャンにいます。私の両親は現在80歳近くの年齢ですが、我々9名の子供たちは彼らの扶養家族と呼べるのでしょうか?」バリアヴンタウ省在住のグエン・ティ・ズオン・チさんは、課税対象額は500万ドン(US312.50$)からだと主張する。毎月、彼女の家での生活費は食費・学費諸共で約400万ドン(US250$)が必要なのだそうだ。はてさて、どこへ落ち着くやら、、、、。

(辛口寸評)
話はいきなり逸れる。日本で相続税といえば、3代相続したら財産が無くなる言われて久しく、そもそも明治時代まで存在しなかった。日露戦争の戦費調達財源確保に創出されたもので、仮に江戸時代に最高税率70%(現在は50%)この税制度が有ったとしたら、荘厳な江戸城を築いたさしもの徳川将軍家の初代家康の威光も最後15代慶喜を将軍に迎える頃には熊さん、八っさんを隣人に持つ長屋住まいになってしまうだろう。しかも意外や意外、相続税の導入は当時、列強諸国の中で1904年に日本が最も早く採り入れ、ドイツが1906年、アメリカは1916年、イギリスに至っては第二次大戦後の1949年を待たねば制度化されなかったそうだ。

こんなことで驚いていてはいけない。実は相続税制度の無い国々の方が、現在の世界では一般的で有ることを皆さんはご存じだろうか?
身近なところでは東南アジアの国々に相続税は無い。存在しないのである。金融王国のシンガポールや香港を始め、タイにも、勿論、ベトナムにも無い。なぜか、相続税を導入することがそのまま支配者層自ら足枷を課し首を絞めることに繋がるからに他ならない。そこで本日の記事に関連してくるが、ベトナムで税制改革、特に個人所得税の扱いについて議論がなされているようだが、為政者に不利益になるような改正はなされない筈で、来年、法案が可決された時の法律がどれほど骨抜きにされ後退させられたものとなるのかを今からの楽しみとしたい。ちょっとシニカルだけど、、、、これがベトナムである。

*論評:ベトナムでの「橋梁桁崩落事故」を扱わない理由

「コラコラコラム」11月02日付けの掲出と同じ内容です。従って、ここでは割愛します。
                  ↓
   https://febnet.cocolog-nifty.com/column/2007/11/post_f85c.html
                  ↑
   こちらで、ご確認頂く事ができます。

以上

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コメント

突然のコメント失礼します。私、ベトナムについてとても興味がありますから訪問させていただきました。

投稿: HA-NAM | 2008/04/11 18:01

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