桜(はな)よ、散るな!満開でいてくれぇ~!
何年か前のこの季節と同じになってしまったかなぁ~。
帰国したら、「桜」は終わり燦然と「葉桜」が輝いていた。
「センバツ」も終わり、「春」を「春」として感じないまま「初夏」になり「夏」になった。
日本人は、春に「桜」が咲きその花を愛でる事で「季節の移ろい」を感じとるのだろうと勝手に考えている。
やはり「桜」を体験しない「春」は体内のリズムが狂うように思う。
東京は千鳥ヶ淵の「桜」が満開だとの事。
そうだろうなぁ!
ネットの画面で見る「桜」は「桜」のようで「桜」ではない。
毎日毎日、時間を見出しては、天気予報のWEBページで気温と天候のチェックを繰り広げていると、「何をしているの?」と不思議がられる。
衛星写真で雲の動きを映し出し、それがネット上で公開されている事にベトナムの友人達は驚きの表情を見せる。しかも日本を中心にカムチャッカからほぼシンガポールの手前までの東アジア全体を広域でカバーしているのだから、ベトナムの天気もよく分かる(データからの予知能力があれば)という事になる。
昨夜(30日)のハノイは、一部の地域が広範囲で停電となり、なかなか復旧しなかった。夜半には、巨大な雷雲に包まれ至る所が落雷に見舞われたようだ。
日本から来た知人は、雷からのプレゼントである「稲妻と雨」に驚いた様子だったけれど、ハノイの雷はたかが雷と高を括って大丈夫だ。
近隣に落ちたところで地響きもない。
それに比べ、南部の大都市ホーチミン市やメコンデルタ一帯で暴れる雷は、一度にたくさんの落雷を起すと共に、近い場合は地響きが伝わるからこれは正真正銘、驚嘆させられる。ホントに腰を抜かした人もいた。
この種の雷のときは、落ちてくる雨も半端な量じゃない。
稲妻が光ったと思ったら大音響と共に地響きが伝わるという事になる。
大粒の痛い雨が避けられない人は悲劇である。
間違って、木の下へでも逃げ込もうものなら、自分の「生命」との引き替えを覚悟する必要がある。もしも、稲妻の直撃を受けたら、間違いなく一巻の終わりである。
ベトナムの雷は別の機会に譲るとして、
日本の「桜」である。
何よりもヨーロッパでは「イースター」が春の訪れを告げるように、日本では「桜」だと頑固に考えている。
ベトナムの北部では「桃」かも知れない。
南部ではどうだろうか?「正月」に「金柑の実」を鉢植えごと飾るとき、「春」を感じるのだろうか、一度、聞いてみたいなぁ~。
とにかく、「桜」である。
「桜」よ、どうか散らずに待っていてほしい!
と願う、年度末、三月の末日である。
(この時点JST2008/03/31,14:55、昨夜[3/30]からネットは繋がらないままだ/現在時点JST2008/04/01,11:20ようやく復旧したので掲出)
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