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2008/04/10

「伊勢丹」が「三越」を配下にした第一号店舗は「JR大阪駅北ビル」への転換出店!

4月1日に、伊勢丹と三越は経営統合し「三越伊勢丹ホールディングス」となった。
昨秋、電撃的な両社の「経営統合」の発表があったとき、いくらかでも流通分野に身を委ねる者として、正直、ちょっとビックリの惨状だった。

辛辣な物言いをすれば「三越」は百貨店業態として図体はデカイが、現在の流通環境には全く適応していない見本のような店であり会社であるからだ。

よく下手なビジネスを揶揄する言葉として「武家の商法」などというのがあるが、「三越」のそれは「公家の商法」と言い切ってもよい代物だ。
傍目から眺めると、浮世離れしているとしか言いようがない。
なんてたって、マーケティングセンスが際立って離れすぎている点に「金メダル」を上げたいと思うね。
「三越」は「東京・日本橋本店」が唯一の本丸で一人屹立しているに過ぎない。
後は、出城だろうが、出城の役目を果たしていない。まぁ、いいところ「砦」ってものかなぁ。「銀座店」くらいが、何とか出城の面目を保っているワケで、それも隣の「松屋」と六丁目の「松坂屋」が体たらくだから、辛うじて面目を保っているに過ぎないってとこだ。
隣の「松屋」はかつて「伊勢丹」から大物経営者と言われた山中のオヤジを再建責任者に迎え入れ、華やかなりし頃のADOグループの一員として銀座に根を張る店としての面目を保った事もある。その山中オヤジも尻軽で、「松屋」の再建に銀座で骨を埋めるとか何とか言いながら、田舎者の東武鉄道が池袋の東武百貨店を日本最大の売り場面積だとかなんとか能書きを垂れたとき、「東武百貨店」の社長へと華麗にというか見事にというか平気に転身を遂げた。
その頃、流通業界とりわけ百貨店業界は尻軽でも足軽でも何でもが、ともかく自分のやりたい事をやり抜くために、実力社会だ腕一本のフリーエージェントだとかなんだとかほざいて勝手気ままな事を繰り広げてきた。
いま破竹の伊勢丹を率いる武藤信一社長は、その頃、婦人服部門のサラリーマン部長に過ぎなかった。しかし、いろいろ不思議な個性を持った人物を統御していた。
武藤さんの下には、自称天才バイヤー(天災ヤバイ)の川中某なんぞもいたな。

この頃、三越は坂倉専務(?)が権力闘争では一方の雄だった。
その坂倉氏が、なんと池袋の田舎者とあざ笑われた堤清二氏が率いる「西武百貨店」の社長に引き抜かれてしまった。当時の三越の幹部が「厄介者を所払いしたと考えたか、泡を喰ったか、泡を喰わせてやった」と考えたかは部外者の知るところではないし定かではない。
とにかく、西武百貨店の社長の椅子を占めた坂倉氏は、やたらめったら頑張り、張り切っていた。そして遂にある時、小売業一店舗当たり売上高で「西武百貨店池袋店(通称:池店)」が「三越日本橋本店」を抜き去り日本一になった。
この日は、堤清二氏が坂倉氏と祝杯を上げたと、西武百貨店の関係書に記されている。

三越は、東京の拡大と共に顧客の生活圏が大幅に移動し、世代交代がより強く進んでいる事を正面から理解する必要があったにも拘わらず、それを手当てしなかった。
そればかりか、「三越教」とでも言うか、全国区の稀なカネ持ちを相手にさえすれば何と維持できると考えていたのだろう。
これは、業務上横領や特別背任で捕まった「元社長の岡田」イズムの浸透によるものだろうと考えるが、粉飾決算まがいをしても平気な、あの程度の人物が大手を振って店内店外を大手を振って闊歩するのを許していた体質とそれへの反動が今日の結果を生んでいる。
そもそも「三越日本橋本店」が何とか成り立っていたのは、隣の「東急百貨店・日本橋店(元は白木屋)=いまや跡形もなく消えた」が、三越以上に体たらくだったからに過ぎない。

三越が、日本橋本店を大改装するって、バブル経済華やかなりし頃には、もっぱらの評判だった。そして改装された暁に出現して驚歎させたのは、ナントなんと!貴金属売り場のフロアーにあるトイレであった。
「黄金のトイレ」を出現させたのだった。ちょっとクレージーすぎるんじゃないかねぇと!
ある時、噂の「黄金のトイレ」のある宝石貴金属売り場のフロアーに所用があり人を訪ねたところ、長い行列を見たので「何の行列ですか?」と訪ねた相手に聞いたところ、それが「黄金のトイレ」の順番待ちの行列だと説明を受けた記憶がある。
「東京は暇を持て余しているのだなぁ」と、その時、一瞬の感想を持った。

「三越」の脆さは、その同じ頃「新宿店・南館(現在:IDC大塚家具)」を開業した際の商品構成にも溢れていた。浮世離れしたバカバカしさが満ちていた。

「三越」は「コワイモノ見たさ」を刺激することで「評判」をとり、というような商法で商いを続けていたに過ぎない。
「虚飾の満漢全席」みたいで気持ちが悪いというより「悪趣味」の臭いがプンプン満たされていた。
それぞれを、自らのバイヤーがバイイングした結果だけれど、ちょっとドッコイ、三越はそれらの商材を「買い取り(自社負担)」でやっていたのか?
そうじゃないだろう「委託販売(一応仕入れは計上するけど、売れなきゃ返品する)」だったか、あるいは「売り上げ仕入れ(販売時点で仕入れ計上し利益を抜く)」だったかのいずれかで、正常な小売業としては話にならない状況だったんじゃないか。

つまり他人の資産を店頭に並べ、売れれば自分のモノ、売れなきゃ他人様のモノ、これは実にハッキリしているけれど、百貨店の実力(商品集積力と販売力)を落とすだけである。

このような事を繰り広げ、三越は長期低落を余儀なくされたのである。

その結果、大阪は北浜にあった大阪店の閉店売却を余儀なくされ、現在、跡地には「日本一の高さを競うマンション」が鹿島の手で建設中である。

大阪店閉鎖と跡地売却の際、「ウイ・シャル・リターン」とかっこよく決めてみたのだが、JR大阪駅北側の「大阪鉄道管理局」跡地の入札では、「ヨドバシカメラ」の前に敢えなく敗退。なんとか再起をと、今度は「JR大阪駅改築事業で『北ビル』を狙い、見事にゲット」したものの、その後、昨秋の事情となり、今度は経営統合を機に、「JR大阪駅北ビルは『JR西日本伊勢丹』として出店」と相成った。
「ウイ・シャル・リターン」夢幻と儚く消えた。

大阪の流通、とりわけ百貨店流通事業は、ファッション商品の販売を基軸に、長年、「阪急百貨店」が事実上のリーダーであった。
数日前の掲出でも触れたように、現在、日本のファッションビジネスを支える西の雄は、誰がなんと言っても「阪急百貨店」である。東の雄は「伊勢丹」である。
そして両社は、これまで、顧客情報システム、商品管理システム、商品開発などで、競い合うと共に一方では協力してきた。
それが、「JR大阪駅」を挟み100mの中、向かい合う形で対決する事になった。

商品構築力に欠ける「阪神百貨店」が単独でやっていける余地は、既に残されていないのである。
「大丸梅田店」も「JR大阪駅・南ビル」で、「伊勢丹」をどう迎え撃つのか試される事になる。
激しい競争は、新しい知恵を産む。知恵がなければ生き抜けない。
かつてダーウィンが言ったように、
「大きなモノが生き残るのではない、強いモノが生き残るワケでもない。変化に対応できるモノのみが生き残れるのである」と「種の起源」で述べた言葉が試されようとしている。

大袈裟にいうと「科学の発展は、競走の中でしか生まれない」のである。

"「伊勢丹」と「三越」が経営統合して一番象徴的な事業になる。"
"それは事業統合で最も成果を示しやすい事になる。"
と二点を、かつて婦人服部門で課長として鳴らし、やがて部長となり、社長まで這い上がった三越伊勢丹HDの武藤信一会長は胸を張った。

大阪の声
「そらぁ、三越大阪店では勝てまへんわ!ハッキリしとりますがな!」。
「伊勢丹かぁ、カナワンこっちゃなぁ~!」。
「まぁ、お手並み拝見ちゅうとこかいなぁ~!」。
「滋賀県の店や、姫路方面の店も影響は深刻になりまっしゃろなぁ~!」。
「なんちゅうても、JRの新快速はドエライさかいなぁ~」。
「神戸の各店は、一番、深刻な打撃を受けるやろねぇ~!」。
「いや、どうちゅう事ないでっせ!京都伊勢丹、500億超えたとこでウロウロしてる」。
「いや、それは京都駅やからや、あんな場所で500売るんやからバカにデキン!」。
「今さら、んなこと言うてもしゃあないがな、競走したらエエねん、戦うのみや!」。
「伊勢丹、食料品強いんやろか?」。
「クィーンズ伊勢丹もやっとるからなぁ~、どないやろなぁ~?」。
「食料品、強なったらイカレてしまうでぇ~!」。
「まぁ、蓋あけてからでは遅いからなぁ~」。
「いよいよマーケティング力が勝負やなぁ~!」。
「逃げられへんワ!」。
「JRも罪な事しくさるなぁ!」。

引用開始→ 大阪出店は「JR三越伊勢丹」で・ファッション前面に、11年春計画 (日経NET)
(2008/04/08)

三越伊勢丹ホールディングス(HD)は8日、JR大阪駅前に2011年春出店予定の店舗を「三越伊勢丹」とする方針を固めた。運営会社はJR西日本との共同出資会社とする。当初はHD傘下の事業会社の三越が単独で出店する予定だったが、ファッションに強い伊勢丹色を強め、集客力を高める。

正式な店名は「ジェイアール大阪三越伊勢丹」になる見通し。売り場構成、品ぞろえなどは伊勢丹が主導する。売り場面積は5万平方メートル程度。JRが開発している大阪駅新北ビルの核テナントとして入居する。 (16:00)
Copyright 2008 Nikkei Inc. / Nikkei Digital Media, Inc. All rights reserved.  ←引用終わり

引用開始→ 大阪駅前への三越出店、伊勢丹主導に転換・連名で新店展開 (日経NET)
(2008/04/09)

三越伊勢丹ホールディングス(HD)は8日、傘下の事業会社の三越が単独で進出予定だったJR大阪駅前の百貨店について、伊勢丹主導による出店に切り替えると正式に発表した。店舗名を「ジェイアール大阪三越伊勢丹(仮称)」として2011年春に開業、ファッションに強い伊勢丹流の店作りで激戦区の大阪で勝ち残りを目指す。今後の新店でも、両社のブランド力を生かせる「連名出店」を増やし、統合効果を高める考え。

三越伊勢丹HDは三越と伊勢丹が経営統合して今月1日に発足した。大阪府は三越が05年に撤退して以来、統合会社にとり空白地域となっていた。 (07:00)
Copyright 2008 Nikkei Inc. / Nikkei Digital Media, Inc. All rights reserved.

引用開始→ JR大阪駅新北ビル、伊勢丹流で京都の実績評価  (日経NET)
地域経済更新:2008年4月9日

2011年春に開業するJR大阪駅の新駅ビル「新北ビル」に三越伊勢丹ホールディングス(HD)が「三越伊勢丹」の共同ブランドで百貨店を出すことが8日決まった。同ビル内の専門店の運営にも参画する見通しで、合計8万平方メートルにのぼる駅ビルの商業施設開発が伊勢丹流で進むことになる。京都、神戸など周辺の商業地図にも大きな影響を与えそうだ。

新北ビルは売り場面積が5万平方メートルの百貨店が核となり、専門店や複合映画館、オフィスも入る複合ビル。百貨店は三越単独の出店を見直し、事業主体をJR西日本と伊勢丹が共同出資するジェイアール西日本伊勢丹(京都市)に変更する。

伊勢丹は同店の売り場作りや商品政策を主導する一方、JR西日本の子会社が手がける専門店ゾーン(3万平方メートル)の施設開発や運営にも参画する。同日の記者会見でJR西日本の山崎正夫社長は「新北ビルの専門店ゾーンにも伊勢丹のノウハウを入れる」と明言した。
Copyright 2008 Nikkei Inc. / Nikkei Digital Media, Inc. All rights reserved.  ←引用終わり

引用開始→ 大阪出店は三越でなく「伊勢丹」…三越伊勢丹HD   (夕刊フジ)

三越伊勢丹ホールディングスが2011年に出店を予定していた三越の大阪店(大阪市)について、当初計画を変更し、伊勢丹大阪店として出店する方針を決めたことが8日分かった。

三越伊勢丹の武藤信一会長兼最高経営責任者(CEO)は1日の記者会見で、大阪の新店について、ファッション衣料に敏感な消費者に支持される店づくりを進める考えを表明。三越でなく、伊勢丹の店名で出店した方が競争力があると判断した。

伊勢丹はJR西日本とともに、百貨店「ジェイアール京都伊勢丹」を共同運営しており、この運営会社が伊勢丹の大阪店を運営する方向で調整している。
ZAKZAK 2008/04/08  ←引用終わり

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