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2008/05/07

ベトナムの写真を増強しました。

GW前に公開してくれると親切だのに!
おそらく、この声が届けられる事でしょう!
GWに旅行されたなら、それでイイじゃないですか。
ベトナムまで出かけて同じ風景を求めなくてもね。

右下のサイドバー「ベトナムの写真」をクリックしてご覧下さい。
6日に増強(UL)したのは15枚です。合計42枚になりました。まだまだありますが、整理ができていないため、全部公開するにはもう少し時間が必要です。お待ち下さい。

今回、増強公開写真で興味深いポイントは、ハノイのスナップでは
「ハノイ千年キャンペーン+ハロン湾を世界の七不思議に組み込もうキャンペーン+携帯電話の拡販キャンペーンの相乗り風景(ホアンキエム湖畔)」
「ベトナムもATMの時代を迎えた光景」
「メトロポールホテルの観光シクロの列とオートバイ・ラッシュの光景」
「街頭案内のインターネットで表示されるマップ機(利用されているようには見えない)」
「利用者を発見したのでその光景」

ホーチミンのスナップでは
「エッフェル設計の中央郵便局の外壁塗装が黄色から淡桃色へ」
「中央郵便局は内部の色も淡桃色へ、綺麗になったインテリアと」
「マリアの涙騒動もあった、サイゴン大教会」
「サイゴンで想い出深いポイントと残存建物(意義深い)」
あえて↑全容は省略して。
などを追加しています。
その時代その時代、ある環境や別な環境の中で、それぞれの場所に立つ時、様々な記憶が鮮明に蘇るのが不思議です。

そう言えば、ハノイでフエ通りの「ワンタン麺屋」へ行った。
ハノイが、いまとは異なり、何もなかった頃、ホントに腹を満たすのにも苦労した頃、ホン市場の前にある「ワンタン麺屋」を聞きつけ、足繁く通った事を想い出しながらの事である。
ハッキリ言って、薄汚れた「しもた屋」で「ワンタン麺」を振るっていたオヤジは、だいぶ以前に亡くなり、いまは娘だったか倅の嫁だったか(忘れた)が、店を仕切っている。
亭主は、横で眠りこけているようでいながら、シッカリ客から代金を受け取る事は忘れない。

老年のオヤジは、麺を振る手を休ませると、毎日同じように、フエ通りにしゃがみ込んで、前を通過するオートバイの列を眺め、タバコをくゆらせ一時を楽しんでいた。
怪しい日本人が繰り出す、とても怪しい幼児以前のベトナム語で、ようやく会話を成立させていた。
「日本から来たのか」
「そうだよ」
「日本は遠い国だ」
「そうだね」
「ハノイで、何をしている?」
「いろいろ勉強している」
「何を?」
「経済とか、政策とかをですね」
「そんな事して、役に立つのか」
「直接、いま、役に立つワケではないね」
「役に立たない事して、どうするのだ」
「そういうものでもないでしょう」
「アンタの夢は何だ?」
「ベトナムの発展ですね!」
「どうしてだ?アンタは日本人だろう!」
「日本人だとか、ベトナム人だとか、そんな事は関係ないよ」
「アンタは党の人か?政府の人か?」
「いや、全く関係ないよ」
「関係ない人が、しかも外国人が、ベトナムの事を考えるのは、分からない!」
「まぁ、イイじゃない!」
「アンタ、タバコを吸うか?」
「いや、吸わない!」
「美味いぞ!」
「ここの『ワンタン麺』だけでイイ」
「明日も来るのか?」
「ああ、明日も来ますよ!」
「そうか、待っているよ、アンタはよい人のようだ」
こんな他愛ない話をした道端はいまも変わっていない。
「ワンタン麺屋」は、いまは建物を「コンクリート」で固めた店になり堂々たる風情だ。

はるばる日本から訪ねてきた「元学生」とその人が伴ってきた「中学生」と連れ立ち、足を運ぶ事にした。元学生は10年ぶりだという。そうかゼミ旅行だとかナンだとか言いながらベトナムへやって来てから、もう10年の年月が過ぎ去ったのか!?
価格も自然に上がってきたが、大きく意識した事はなかったけれど、元学生は「価格上昇」を鋭く指摘した。しかし味は変わらず美味を保ち続けている。
「元学生」は、「懐かしい、オイシイ」と感想を述べた。
もう、入り口に佇み「道路を行き交うバイクを眺めタバコをくゆらせる」老人はいない。

ハノイでの経験は短い。たかだか20年だ。20年程度に過ぎない。何もなかったハノイへ足繁く通うようになってからでもたかだか16年だ。

サイゴンは、どうだろうか、やはり足繁く気軽に通えるようになってから16年だ。
しかし、足を踏み入れたとき、その前の、記憶が一気に蘇った。手に取るように「サイゴン」の街が蘇生した。自由な往き来を確保した92年時点で最後の滞在から21年だった。それでも、ホーチミン市を出て他の地域へ足を運び訪ねるためには、「移動許可書」を必要とした。絶対不可欠の書類だった。圧縮段ボール(馬糞紙)状の用紙に細かく訪問先やら訪問目的やら面会人やらを書き込み、自分の写真を貼付して、所管の公安へ届けを出して許可を得る必要があった。
これが簡単に許可されなかった。手間取るのだった。イヤになった。
だから、あの頃は、大量の顔写真を日本で準備し持ち込み、どこでも持ち回っていた記憶がある。もう一つ質の高いカーボン紙と書き味の良いボールペンは必需品だった。

夜の帳が降りると、サイゴンは真っ暗になった。電気が足りなかった。
暑いから、バイクを繰り出し街を走り抜ける。別に行き先はないのに。
カフェの出来そこない、スナックの出来そこないへ足を運び、冷えていない缶ビールを貰いグラスに氷を投げ入れ「ビールのロック」を飲んでいた。
ビール代を支払うにも、現金を輪ゴムで留めた「煉瓦」のような固まりで支払った。
「飼い猫」も痩せていた。ビールのアテはスルメだ。猫も喰いたいと横へ来る。
どこか満腹感に欠けていた。
「カネ」を出せば、モノが喰えるというワケではないから、分け合いながら喰べるという事になる。受け入れられない人は生きていくのが難しい状況だった。

カティナ通りがツーヅー通りと名前を変え、いまはドンコイ通りになった、サイゴンのメインストリートは「ひっそり」していた。マジェスティックも輝きを失い薄汚れていた。
通りで眠りこける家族もいた。

90年のサイゴンは、15年前の狂騒や虚飾の輝きが消え、生気を失いひっそりしていた。
サイゴンの街には、その時代ごとに刻み込まれた歴史がある。
ハイ・バ・チュン通り入口のサークルにあるチャン・フン・ダオ像は屹立していたけれど。
ベンタン市場前のタコ足サークルも同じくチャンフンダオ像が睥睨していたのを見て、なんだか懐かしくホッとした。

ホーチミン市の残存建物は、それよりもっと旧い時代に刻み込まれた苦い記憶だ。
どんなに発展しても、この建物だけは潰してほしくない。
中央郵便局が保存されているように、ベトナム現代史にある数々の犠牲を象徴する建物は何としても維持して貰いたい。

「ベトナムの友人達が、ニッコリ笑う、格別の笑顔を取り戻すまでの苦労について思い致す心が欲しい」と「元学生」達へ10年前に助言した事を改めて想起した。

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