「船場吉兆」廃業決定は、自業自得、当然の事だ!
「船場吉兆」は傲慢だった!
自分でまいたタネだから、仕方がないワねぇ~!
「死者」に石礫を投げつけようと考えて「掲出」するワケではない。
かつては大阪・船場の背骨だった堺筋から一本西へ入った、大阪市中央区北久宝寺町二丁目に拠点を構える「船場・吉兆」は、1キロほど北で、同じように堺筋の西側で高麗橋二丁目に拠点を構える「高麗橋の(本)吉兆」から、さぞ迷惑がられた事だろう。
はたまた、「洞爺湖サミット」で日本料理を担当する「京都・吉兆」からも迷惑がられた事だろう。
平野町には、創業者(つまりオヤジ)の湯木貞一氏(故人)は、丹精込めて収集した「茶器」を集めた「湯木美術館」も遺している。
「吉兆」が大阪の文化、食文化に与えたインパクトは大きなモノがある。
古来より、「自由都市」を追い続け戦国乱世の頃には、自由経済により都市としての経済力を蓄積した「大阪」は、日本で最も進んだ世界に誇れる「大都市」であった。
その「町の経済力」が育んだ「文化」が「吉兆」に集約された「料理文化」と言える。
「船場」は大阪のというより日本の「商流」ターミナルである。
「茶の湯」は「モノの始まり何でも堺」と言われた「堺」から起こり、「京の都」でその華を開いたとされているが、「茶」を芸術の領域へ押し上げたのは「堺の町衆(市民)」であり、その頭目の一人が「千利休」である。
何よりも千利休が「茶」を確立できたのは大阪城を拠点にした「太閤秀吉」という、ひたすら「シティーボーイを目指した稀代の田舎者」があっての事だと珍説を考えている。
やがて平和を取り戻した日本社会で、京都から動かなかった「天皇家」を頂点とする「公家社会」で日常の作法が加わり、たかだか「茶の湯」が「作法により完成される芸術的な権威」となり、その「所作や作法」を受け入れるか否かが「教養人」を裏付ける役割を果たす事になった。
所詮は、「茶の道」と言ったところで、「社会制度」が創り上げた「珍奇な現象」に過ぎないのだが、これをビジネスモデルにした点が「裏千家」「表千家」に代表される「千利休」の子孫達である。
「吉兆」創業者の(故)湯木貞一氏は、この種の権威と巧く融合する事で稀代の「名料理店」のビジネスモデルを創出し、折りから日本の市場経済を左右する経済力を誇っていた「昭和(戦後)の大阪」で、その名声を博し確立したのである。
日本の市場経済が「昭和(戦後)の復興を終え、高度成長期に入ると、経済の中心は東京へ移る」と共に、「吉兆」も東京を目指し、関西から強制移住させられた「大阪の経済人」により、貧しい食文化の東京で根を張る事に成功し、いよいよ「吉兆」は全国区になるのである。
この途は「明治維新」で東上した「虎屋(黒川)」と同じ構図だ。
いまや東京では「虎屋」は東京の店だと誤解している人が多いようだけれど、「虎屋」の羊羹の元は「京都烏丸・御所の西」である。
創業者が偉大であっても、子供たちが偉大であるとは限らない。
まして「娘」たちが偉大である保障はない。
「船場吉兆」の今日に至る混乱は、経営陣(家族)の程度もさることながら、食品や料理を扱う事業者としての資質を疑われるのは、これまでの惨状を目にされた多くの市民の口をアングリさせ続けた。
「この料亭にして、この経営陣あり!この経営陣にして、この料亭あり」だった。
しかし、もう一つ加えておくと、
「この経営陣にして、この弁護士あり!」だったらしい。
あの、最初の「稚拙な『産地偽装』を露呈」させた時の弁護士である。
大阪の法曹界では、もっぱらの噂話である。
「船場吉兆」の幼稚で稚拙な経営陣の責任が免れるワケではないが、コンプライアンスを助言する立場の弁護士が、相当程度同じレベルでは、いや「法令遵守」についてそれ以下では話にならないワなぁ~!法曹界の噂では、中々のレベルで中々の人らしいですよ!最初の頃の記者発表での受け答えを見たとき、弁護士がついていてと思わず考えましたけれど、弁護士が必ずしも正義の人だとは考えられないような・・・・・
「船場吉兆」が公権力にガサ入れされた日、
「堺筋」と「藤中橋筋」へ押し寄せ占領する膨大な報道陣の車に業を煮やした日に掲出したスレッドは、「船場吉兆はん、まぁ、アタマ丸めて、一から取り組みなはれ!」であった。
今回の決定は、遅すぎる!
「船場吉兆はん、アンさん、アタマ丸めはらへんかったでっしゃろ、ホラ、しゃあないんちゃいまっしゃろか」。
大阪の市民が漏らす一言は、ほぼ、この種の声ではないかなぁ。
引用開始→ 「船場吉兆」廃業へ、偽装・使い回し発覚で客離れ進む (讀賣On Line)
牛肉産地偽装事件などで経営が悪化し再建中の料亭「船場吉兆」(大阪市、民事再生手続き中)は、廃業することを決め、27日、幹部従業員らに伝えた。
28日に湯木佐知子社長(71)が全従業員に伝え、取引先の金融機関にも説明する予定。
相次ぐ食品表示偽装に加えて今月上旬、客の食べ残した料理を使い回していたことが新たに発覚した。
これ以降、急速に客離れが進み、収益確保の見通しが立たなくなった。同社関係者によると、吉兆グループ各社や他企業からの支援も取り付けることができず、再建断念を決めたという。
(2008年5月28日03時11分 読売新聞)
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追加掲出:
引用開始→ 高級料亭「船場吉兆」廃業へ 客足激減、グループ会社の支援もなく (産経MSN)
2008.5.28 09:33客が食べ残した料理を使い回していた高級料亭「船場吉兆」(大阪市中央区)が廃業する方針を固めた。28日午後に発表する。女将の湯木佐知子社長(71)が全従業員に伝え、同日中に取引先の金融機関にも説明するという。同店は牛肉産地偽装事件などで経営が悪化し、民事再生手続き中だった。今月上旬の使い回しの発覚で客離れが一層進み、収益を確保できる見通しが立たなくなった。
同社は昨年10月以降、賞味期限の不正表示や牛肉や鶏肉の産地・原材料偽装が相次いで発覚。昨年11月、不正競争防止法違反容疑で大阪府警の捜索を受けた直後から約2カ月間にわたり休業した。大阪地裁に民事再生法の適用を認められ、3月に営業を再開した。
しかし今月2日、本店で客が食べ残したアユの塩焼きや天ぷらなど6品目を別の客に使い回して提供していたことが発覚。7日には博多店(福岡市)のほか、すでに閉店していた心斎橋店(大阪市)と天神店(福岡市)の全4店舗で過去に同様の使い回しをしていたことが明らかになり、急速に客離れが進んでいた。
代理人弁護士などによると、同店は営業再開に際し、184人いた従業員を希望退職などで約70人まで減らし、一連の表示偽装で問題となった物品販売も中止。赤字部門を切り捨てたことで毎月の黒字を達成していたが、使い回しの発覚で大型連休明けから客足が途絶えがちとなり、再び経営状態が悪化。吉兆グループ各社や他企業からの支援も取り付けることができず、再建断念を決めたという。
船場吉兆は、創業者の湯木貞一氏が三女の佐知子社長夫婦にのれん分けする形で平成3年に設立。吉兆グループの本吉兆(大阪市)、東京吉兆(東京都)、京都吉兆(京都市)、神戸吉兆(大阪市)各社と資本関係なしで連携していた。
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