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2008/06/12

キエット元ベトナム首相の死を悼む

ボー・バン・キエット元首相、あなたは、ベトナムが「ドイモイ政策へ転換」しても、足踏みを続ける中で首相に選出され、退かれるまでの約6年にわたり「獅子奮迅の努力」をされました。その日々は、まさに格闘される姿そのものでした。毎日まいにち、手工業や家内工業と幼稚産業しか持たなかったベトナム経済を立て直すため、日々、手探りで格闘される姿は尊くもありました。
人民は、政治は関係がないと考えていますから、言いたい放題でした。
ベトナム人独特の「痛烈な批評を交わしていました」。
いわく「ベトナムの政治が悪いのは、政治家がバッカ(この意味は実に深い響きがある)だから」。
いわく「ベトナム人が豊になれないのは、政治家がバッカだから」。
いわく「ベトナムにカネがないのは、米国と、中国と、ロシアのせいだ」。
いわく「ベトナムが窮地にあるのは、北朝鮮などと組んでいるからだ」。
いわく「ベトナムの足を引っ張るのは、カンボジアだ」。
いわく「ベトナムに雨が降るのも政治家のせいだ・・・・・」。
言い始めたらキリがない・・・・・・・!

言いたい放題、自由奔放に言い放っていました。
その意味で、中国や北朝鮮とはまったく異なる国だった(今はもっと拍車がかかっています)!

キエット元首相は、その名のとおり「傑」でした。
繰り出す政策は幼稚でも手探りで「傑出」していました!
クリエイティビティに溢れていました。
何もない、何の資金も保たないベトナムが、まだ国際社会で孤立していたベトナムにできること、残された方法を懸命に探り必死に手当てしおられました。

1993年の3月でしたか、初めて日本を公式訪問されました。
実に慎ましい訪日でした。
本当に慎ましやかだった。
キエット元首相が、小さな躰で、しかし堂々と日本へやって来られた。
あの時の姿はいまも記憶の中で鮮明に輝いています。

この訪日が、日越間の今日に至る、一つのメルクマールになりました。

小さな勇気、ささやかな行動、大きな決断!
ベトナム経済の立て直しに背水の陣で臨まれ、昼夜を問わず全身で指揮されたボー・バン・キエット元首相。
あなたは、南部出身の同志、グェン・バン・リン書記長が大転換への道筋を描かれた「ドイモイ政策」の路線を確かなモノにされました。
その後、脈々と南部出身者のカイ前首相、ズン現首相へ引き継がれ、「ベトナム経済」の立て直しは、依然として苦闘しながらも受け継がれ着実な発展を重ねています。

シンガポールの病院へ移られた事をお聞きしておりましたが、逝去されたとの報に接し、
謹んで哀悼の意を表させて頂きます。

引用開始→ ベトナム元首相、ボー・バン・キエト氏が死去  (讀賣On Line)

【ホーチミン=田原徳容】ベトナム政府筋は11日、同国のボー・バン・キエト元首相が同日、滞在先のシンガポールの病院で死去したことを明らかにした。

85歳だった。死因は呼吸器不全とみられる。3日前にシンガポールに渡り、入院したばかりだったという。

元首相は、ベトナム南部クーロン(現ビンロン)省出身。1939年に「インドシナ共産党」(現ベトナム共産党)に入党。1946年に始まったフランスとの第1次インドシナ戦争に参加した。54年のジュネーブ協定でベトナムが南北に分断された際、北ベトナムに移り、共産党内で要職を歴任。91~97年に首相を務め、社会主義下の改革開放政策「ドイモイ(刷新)」の推進に尽力した。
(2008年6月11日14時07分  読売新聞)
Copyright © The Yomiuri Shimbun.  ←引用終わり

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