タイの国内情勢も「前首相・タクシン子飼いのサマック政権打倒」と騒ぎが大きくなり始め!
月明けには、タイ政府機関の実務ミッションを受け入れるのにねぇ~!
政治は、予告どおりとは言え、いきなり熱くなってしまいましたねぇ!
内政に干渉してはいけないので、黙って見守っているけど「どっちも、どっちだよ!」。
グローバリズムが肥大化し、世界を我が物顔で駆け回り駆け抜けたあと、いずれの国も我慢ならない状況が生みだされてしまった。
28日のブログは、27日のアフガンでの「ペシャワール会」伊藤さんへの拉致殺害について記述すべきだろうが、なにぶん、「浦島太郎」状態なので、後日送りとします。
若干、関わりのある国「タイ」を取りまく政治情勢についての掲出を先行します。
1997年に、突如、ヘッジファンドに自国通貨を叩き売られ、あっと言う間に「国が破綻の際」へ追い込まれたタイは、その傷を癒やしながらようやく立ち直りの気配を見せたとき、政権を握ったのが、汚職まみれで国を私物化しようとしたと指弾されている、前首相・タクシンの一派であり一族であった。
何と、首相在任中の不正蓄財は、日本円で700億円とも1200億円とも指摘されている。
(日本円である、タイの一人当たりGDPは約4000米ドルだ=1965年頃の日本)
どれくらい巨額かよく分かる数値でしょう。
現在時点の日本に置き換えたら7000億円~1兆2000億円と計算できるかも知れない金額だ。(計算方法は様々だけどね!簡単に10倍しておく)
これは、やっぱり「やり過ぎ」でしょうねぇ。
このタクシン一派躍進の陰で、陽の目を見なかった人がいる。
押し退けられた人がいる。
弱い立場の人もいる。
しかし、なんと言っても、奪われてしまった側は許せない。
タクシンの一派は、首都圏のバンコク選挙区では勝てないと見るや否や、ローカルへ繰り出し「カネ撒き散らし(実弾戦)」を効果的に展開し、常に選挙は圧勝だった。
あまりの酷さにブーイングの嵐になった!
結果は、良識ある世論に動かされた「タイ国軍」が決起しクーデターが起き、外国訪問中のタクシンはそのまま帰国せず逃げてしまう。(何というヤツか?)
しかし、国際社会の世論(特に欧米)は、一斉にタイのクーデターを非難し、公正な選挙を要求する。そしてクーデターから1年を経た昨秋、民政復帰へ選挙を実施したところ、タクシン一派はこれまで同様の選挙戦(実弾戦の票買収)を展開しローカルエリアで圧勝してしまう。
その上、弱小の政党にも(どうやら実弾をぶっつけ)連立参加を呼びかけ、幅広く連携し巨大与党を形成してしまう。
民主化を求める市民層は、バンコク首都圏だけである。これでは、民主派は多数を取れないし勝ちもない。
仕方がないので、見守っていると、タクシン子飼いのサマックは「タクシンの恩赦を提議するやら、一族の不正蓄財を免除する方向」を打ち出したから、バンコク市民は堪らないと怒りを爆発させた。
これが、今年の5月頃の話で、7月上旬にバンコクで政府機関招聘の特別講義を担当した頃が一つの山場であった。(7月上旬バンコクから掲出した)
それが、タクシン一派の企みは、いよいよ露骨さを増してきた。北京オリンピックへ出席したタクシンはそのまま堂々凱旋帰国を企んでいたようだ。
しかし、タイの裁判所は、タクシンの嫁が不正蓄財した財産の没収やら嫁本人の有罪判決を決定し収監命令を発したから、タクシンは凱旋帰国どころか、大慌て尻尾を巻いてロンドンへ逃げ帰り亡命申請したようである。
その際、遠いロンドンから「負け犬の遠吠え」を繰り広げていた。
その遠吠えを聞いた、現首相のサマックは、ナンとボスの一家を助けるべしと、再びタクシン一族救済のために「憲法改正」を持ち出す始末だという!?
呆れてモノが言えないと、バンコク市民は嘆くのだとか。
こんな事、解説していてイイのかなぁ?ホントのところ!
月明け1日の早朝には、バンコクから大切な人達が訪日してくる事になっている。
7日間、ベッタリのお付き合いなのだが、この件に「触れるべきか、触れないべきか?」。
民間の私人だし、市井の一市民なのだから。
でも、人としての立場は同じだし!
民主主義の基本原則は、少数者の意見や権利をできるだけ保障する事だしなぁ!
でも、下手をすりゃぁ、内政干渉だしねぇ~!?
とらえもん は、言いたいことが一杯あるよ!内政干渉にさえ問われなければ、ホントに!
引用開始→ タイの反政府団体が蜂起 国営放送を占拠、首相府包囲 (asahi.com)
2008年8月26日12時55分【バンコク=柴田直治】タイの首都バンコクで26日早朝、反政府集会を続ける民主主義市民連合(PAD)の多数のメンバーが国営放送局を占拠した。首相府も包囲し、予定されていた閣議を阻止する構えだ。政府の退陣を求め、軍の決起を促しているとみられる。サマック首相は軍首脳と対応を協議している。
PADのメンバー約80人が午前5時半(日本時間午前7時半)、国営放送局NBTに侵入しようとして警察に逮捕された。銃器やナイフで武装していたとされる。約3時間後にも再び姿を現し、今度は突入に成功。職員らを追い出して一時、放送を止めた。政府寄りの報道姿勢を改めるよう求めている。
反政府派は首相府も約1万人で包囲し、さらに財務省や警察庁に向かってデモを開始した。バンコクでは、あちこちで大渋滞が起きている。警察や軍は動いておらず、「クーデターはあり得ない」(陸軍司令官)としている。
PADは06年に結成された反タクシン元首相の団体。元首相の直系とされる現政権の退陣を求めて5月から連日、集会を開いている。タクシン元首相が英国に亡命した後も、反政府活動を続行すると宣言。26日の大規模行動を予告していた。
(朝日新聞社asahi.com) ←引用終わり
引用開始→ タイ反政府デモ激化、首相府敷地に侵入しにらみ合い (讀賣On Line)
26日、バンコクの首相府敷地に侵入したデモ隊=AP
【バンコク=田原徳容】サマック首相の退陣などを求める反政府勢力の抗議デモは26日、国営テレビ局の占拠から首相府など政府施設の敷地に侵入するなど激しさを増している。サマック首相は同日午後の記者会見で「辞任はしない」と明言、違法行為を厳しく取り締まる姿勢を示したが、警官隊とデモ隊のにらみ合いが同日夜も各所で続いている。
タイ警察によると、反政府勢力の中核「市民グループ連合(PAD)」のメンバーは、財務省など各省庁や警察本部周辺で計約3万人規模の抗議集会を展開。首相府では、一部がフェンスを乗り越え敷地内に入った。
PAD指導者の1人、ソンティ・リムトンクン氏は「首相が辞めるまで動かない」と宣言した。一方、首相は、デモ参加者に撤収を要請。従わない場合は無許可侵入などの容疑で逮捕する方針を打ち出した。
反政府勢力は、タクシン元首相の意向をくんだ政権運営を進めるサマック内閣に反発し、5月下旬からデモを実施。今回、行動をエスカレートさせたのは、軍部の政治介入を期待したからとの見方もある。
だが、アヌポン陸軍司令官は同日、「軍の関与はない」と表明。デモは、タクシン氏を放逐した軍事クーデターを招いた2006年のデモの際とは違い、都市部の中産階級の支持を得ていないのが実情だ。
(2008年8月27日01時15分 読売新聞)
Copyright © The Yomiuri Shimbun. ←引用終わり
引用開始→ タイ:反タクシン派、首相府占拠 サマック氏の退陣要求 (毎日JP)
【バンコク藤田悟】タイのサマック政権の退陣を求めデモ活動を行っていた市民団体「民主市民連合」は26日午後、首相府の敷地内になだれ込んで占拠し「首相辞任」を要求した。サマック首相は「退去しなければ法に基づく措置を取る」と警告したが、市民連合側は「3日間は占拠を続ける」と宣言、緊張した状態が続いている。
デモ隊は数万人規模で国営テレビ局や財務、運輸、農業各省も一時占拠した。
市民連合は06年にタクシン元首相の追放運動を主導した団体で、サマック政権を「タクシン元首相のかいらい」と批判。タクシン元首相が英国に事実上亡命をした機に乗じ、社会混乱を招くことでタクシン派のサマック連立政権を崩壊に追い込む戦術だ。
市民連合は、メディアグループ経営者や市民運動家らが率いる「市民団体」の体裁を取っているが、タクシン政権時代に利権を失った企業家ら旧来の支配層から資金提供を受けているとされる。事実上は反タクシン勢力が復権を目指した権力闘争という色彩が濃厚だ。このため、多くの市民が自主的に参加したかつての反タクシン運動のような広がりはない。「断固たる処置」を宣言したサマック首相は、占拠が長時間続けば強制排除に乗り出すとみられる。
==============■ことば
◇サマック連立政権
タイでは06年9月の無血クーデターを受け、当時のタクシン首相が海外で事実上の亡命生活を送っていたが、07年12月の国政選挙でタクシン派の「国民の力党」が第1党に。今年1月には反タクシン派の第2党、民主党以外の政党が参加し、全議席の約3分の2を占める連立政権が発足。国民の力党のサマック党首が首相に就任した。
毎日新聞 2008年8月27日 東京朝刊
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引用開始→ タイ:首相府占拠で指導者9人に逮捕状 負傷者十数人に (毎日JP)
【バンコク藤田悟】バンコク中心部のタイ首相府を占拠した市民団体「民主市民連合」は26日夜から27日にかけて、1万人規模の座り込みを続け、サマック政権の退陣を要求して徹夜の集会を開いた。警察は27日午後、「違法占拠を指揮した」として指導者9人の逮捕状を取り、投降を要求。これに対し、デモ隊は指導者らを守って抵抗を続ける姿勢を示し、緊迫した状況となっている。
コウィット内相は「首相府から立ち去らなければ法に基づく措置を取る」と最後通告したが、市民連合は「政権退陣まで抗議行動はやめない」と宣言。警察は同日夜にも強制排除にかかる方針で、数千人の警官隊を首相府周辺に動員し、にらみ合いが続いている。
27日未明には敷地内に入った警官隊とデモ隊との小競り合いが生じ、十数人の参加者が負傷した。
毎日新聞 2008年8月27日 20時38分
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